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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
年老いた国と若者たち

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縁結び




 謁見の日の夜はザブロック家からの饗応を受け、アリエル様は満足げだった。

 身分的なものもあり、僕がオトフシやサロメと同じ部屋で食事を取る、としていたのは不満げだったが、アリエル様は仕方ないとも微笑んでいた。

 アリエル様の相手はルルに任せるとして、僕には僕の仕事もある。

 


「……見張りにしては、随分と物騒なことで」


 僕がいるのは外。オトフシにだけは伝えてある。

 僕が覗き込んでいるザブロック邸近くの狭い路地では、四人の男たちが煙草を吸う休憩のようにたむろしていた。


 もっとも、その男たちは明らかに何かの仕事の合間の休憩ではなく、その真っ最中なのだろうと思う。

 今は夜。篝火のような照明がいくつか燃えているとはいえ、暗い中に彼らはいる。煙草の赤い明かりをぽつぽつと点しながら。

 それぞれが短剣などの武器を忍ばせており、更に彼らは明らかにザブロック邸を監視していた。


 オトフシも気になっていたらしい。

 狙われているのはルルではないと思いつつも、もしもそうではなかったら、と。

 刺激しないために彼女も遠目に見ている以上は警戒しなかったそうだが。


 男たちは僕の言葉に否定しなかった。

 しかし一人が身じろぎし、驚いたように咥えていた紙巻き煙草を取り落としそうになる。咥えていた場所が唇に貼り付き、プランと下向きになった。


「先にお聞きしておきたいんですが、どちらの方でしょうか」


 答えられるとは思っていないが、どこの誰かは知っておきたい。

 好意的か敵対的か。それは今この場にいる彼らの目つきの鋭さと武器を手に取れるよう準備したことで知れているが、それもどこだろうと思う。

 理由もわからない。エッセンと敵対しているはずのムジカルだろうか。それとも僕へ恨みがある誰かだろうか。そもそも彼らは誰だろうか。傭兵か、探索者か、はたまた別の何者かか。


「お前は……」

「つまり、僕が目的ではないんですね?」


「待て」


 僕の顔を知らなかった、という感じの反応。ならば相手は僕ではない。

 すると目的はアリエル様か、……もっと考えづらいがルルか、と思ったが、問いかけた男をまた別の男が止める。

 止めた男は手を懐から離し、空手を強調するように両手を前に出して指を開いて見せた。


「……カラス、で間違いないだろうか」

「間違いないですね」


 僕が答えると、男はふう、と息を吐く。

 揃えるように皆も警戒を解いて、武器から手を離した。


「敵意はない。我々はビャクダン家の者だ」

 言いつつ襟の裏を見せる。そこにはよく覚えていないが、確かに以前見たビャクダン家の紋章らしきものが刺繍されていた。蒲の葉に杖と鞭、……だっけ。

 ビャクダン大公家、つまりザブロック家の属する太師派の長の家。

「ビャクダン家の誰かが、ここで何を?」

「やはり虫払いか。随分な警戒だな」

 

 答えたのは男ではない。ほとんど重さなく僕の肩に乗った紙製の燕だ。

「虫払い?」

「既に幾人かを追い払っているよ」

「カラス、もう戻っていいぞ。この男らはどちらかといえばザブロック邸の警護だ」

「はあ」


 紙燕のオトフシの補足でなんとなく事態を察する。

 いや、事態をではないが、彼らのやってきたことを。


「そんなに誰か来ていましたか?」

「何も行動は起こしてない。そんなことをすればお前や私が気付かぬはずがない」


 フフン、と折り紙が笑う。

 たしかに、と僕も思う。現在このザブロック邸を監視しているのは彼らだけ。あとザブロック邸を視界に入れているのはごく僅かな通行人程度のものだろう。

「しかし対応が早い」

「ビャクダン大公閣下は憂慮しておられるようでな」

「期待しているの間違いだろう?」

「…………」


 黙り込んだ男を、またオトフシが嘲笑う。

「口が過ぎたな。憂慮しておられることを妾たちも祈らせてもらおう。そして伝わるとも思えないが、一応閣下に伝えてほしいと嘆願しておこうか」

「何を?」

「どうかこの地に争いの種が蒔かれぬように、血が流されぬように。そんなことになれば、妖精の恐ろしさを身を以て知ることになる」


 妾は逃げさせてもらうがな、とオトフシは最後に付け加えた。




「それで、どういうことですか?」

 ザブロック邸に戻った僕はオトフシに問いかける。

 相変わらず悠々と長椅子に腰かけていたままの彼女。警護として、監視カメラの役割はそれでも出来るので充分なのだろう。

 オトフシは尊大に顎を上げたまま、僕を見て鼻を鳴らした。

「どうせ明日にはわかることだ……、が、そうはぐらかし続けるのも不誠実だな」

「そうですね」

「今この王都には、大きな争いの種が存在する。お前とアリエル様だ。アリエル様はそのようなことをお考えになってはいないと思うが」

「それは僕もですが」

 最後に口早にアリエル様に対して弁解するオトフシに、僕は唇を尖らせる。

 僕も別に争いの種になりたいわけではない。

 だが、その一言で話はわかった。


「お前を、もしくはアリエル様を自陣営に取り込みたい場合、貴族はどうすると思う?」

「懐柔ですかね」

「それもいいが、妾は『貴族は』と言った。一番の可能性から目を逸らすな」

「一番嫌な可能性ですから」

 僕は苦笑し目を逸らす。

 わかっていてはぐらかそうとした、というのはオトフシの言う不誠実な行いなのだろうが。 オトフシは人差し指を立てて、その向こうで目を細める。


「そう、『結婚』だ」


 勇者の時と同じ。

 あのときは、この国の誰かと勇者を結婚させてこの国に対する軛をつけさせようとしていた。

「お前にとって状況は悪いだろう。更に悪いことに、ビャクダン大公は状況を一番高いところから俯瞰して見ているようだ。無論、妾を除いてだが」

「それは?」

「あそこで男たちは何をしていたと思う?」

「監視、見張り、……オトフシさんの言うところでは警護でしょうか」

「そう、警護だ。ではそれは何から?」


 ……こういう問答は面倒くさい、と僕は考えるのをやめようとする。

 レイトンを相手にするのに似ている。あの男もオトフシも、僕を相手にして楽しんでいるように。

 何か本当面倒くさくなってきた。

 アリエル様相手ならば素直に喋るだろうし、呼んでこようかと思ったが、こういうときはおそらくアリエル様もオトフシの味方をするだろう。

 きっと僕は結局、考えるしかないのだ。


「今の話を統合するに、僕に近づこうとする何者か、でしょうか。なら全部断りますけど」

「ほぼ正解に近いが少し足りない。あれは牽制なのだ。このザブロック邸に、お前たちに近づこうとする不埒ではない輩に対する、な」

「不埒ではない?」

「そうだな。元々、アリエル様やお前、ついでに妾がいるこの邸内に不埒な輩が入り込むことなど考えられん。押し入ったり忍び込んだり、入り込んだ時点でアリエル様と敵対するのだ、それも当然のことだが」

「その当然ではないことが既にイラインで起きてますね」


 イラインでは聖教会がスティーブンの家に押し入ってきた。アリエル様を救うという大義名分を掲げていたが、もちろんそれでもアリエル様はご気分を害しあそばしただろうに。

 


「…………それは考えなしの馬鹿がやったことだろう」

「そうですね」

「あの男たちは、そういったものを防ぐためのものでもある。仮に誰かが押し入ろうとしたところで、……たとえ聖教会相手でも奴らは身を挺してこの邸を守るだろう。このザブロック家は今、ビャクダン大公家が保護していると示すために。そして保護されているともなれば、弱小貴族や大公家に敵対したくない他派閥の家はここを訪れることは出来まい」

「そういった意味での、牽制ですか」

「ああ。だから今は信用できる。あいつらは家の命に掛けて忠実に、妾たちの機嫌を損ねぬようにこのザブロック邸の敵を追い払い続けるだろう」

「僕は追放されますが」

「そのような些事、大公家ともなればどうとでもなる。加えていうなら、お前たちの捜索も仕事の一つだったんだろうな。お前たちが行きそうな場所に散っていて、そしてここを突き止めた」

「すると、僕と彼らを接触させたオトフシさんの失態ですね」

 つまり僕があの場に向かわなければ彼らに僕の居場所が知られることもなかった。それで不都合が起きたら、オトフシのせいなのだけれども。

 僕はそう言外に含めながらオトフシを見下ろす。

 

「知られて困るものでもないだろう。奴らも外部には漏らさないだろうしな」

 僕の抗議をものともせず、オトフシは「ともかく」と言葉を続けた。

「お前に止められることでもないし、楽しみにしているがいい。明日から牽制されなかった連中が動き出すぞ」


 オトフシのどこか陰鬱にくつくつと笑う顔が、最近見た誰かの顔と重なる。

 そういえば彼の顔も、オトフシの顔と重なったのだったか。


「……なんか、スヴェンさんと話している気分ですよ」

「失礼だな」

 眉を顰め、溜め息をつきながらオトフシはそれでも笑う。背もたれに肘をついて、頬杖をつくようにして。

「妾と奴は正反対の生き物だ。髪の色以外、何一つ似ているところなどないはずだが?」

「そうですかね」


 僕はオトフシの隣に座るスヴェンを幻視する。オトフシの言うように、同じ髪の色。

 長椅子の隣に悠々と腰かけ、同じように背もたれに肘を回し、足を組んで尊大に笑う。

 騒乱を、戦乱を愉しみ頬を吊り上げる。傍観者と参加者、その楽しみ方は確かに正反対だけれども。

 なんとなく、まるで家族のように似ている、と思った。

 兄妹か姉弟か、もしくは父子か母子か。





 次の日の午前。

 僕はザブロック邸にいた。昨日オトフシが言っていた『動き』はまだ見られなかったし、特に急ぐこともないと思っていたからなのだが。

 結婚。貴族にとって縁を繋ぐ行為。アリエル様は知らないが、僕へと来たのならば当然全て断る。それで話は済むし、僕の機嫌を損ねてまで結びたい縁など無いだろう。

 それにオトフシの性格は知っている。

 彼女が何かしらの対処を取らないとき、もしくは求めないとき。それは事態がどうにでもなるときと、どうにもならないとき、その二つだけだ。



 アリエル様は先ほど庭の草木と話しにいった。

 ルルの部屋で僕は読書中。僕だけではなく、ルルもサロメもだが。


「カラス様は、いつまで王都にいられるんですか?」

「そうですね……」

 ルルが読んでいた本から目を離し、彼女の文机近くの長椅子に座っていた僕に尋ねてくる。

 僕もルルから借りていた本から目を離し、悩みつつルルに目を向ける。

 答えは決まっていない、といえばその通りなのだが。


 ミルラ王女の命令では、僕は終戦までにイラインに行ってレシッドに引き継ぎをしなければならない。

 いつもの戦争では、終戦は和平交渉が始まってから十日ほど、と聞いた。その開始がダルウッド公爵の元に書状が届いた二日前とすると、もう八日。ムジカルからミーティアに届けられた三日前とするならばあと七日程度となる。

 実際には十日前後で、そこからまた短くなったり長くなったりするのだろうが。


 つまりまた短くなったとして、六日。ぎりぎりまでいてもあと五日はここにいられる計算だ。

 しかし、何があるかわからないし。


「終戦がいつになるかはわかりませんがあと十日もないでしょう。急げば一日でイラインまで行けますが、余裕を持って明後日か明明後日くらいでしょうか」


 ここを出て行きたいというわけではない。

 もちろん王都は食堂以外大嫌いだが、それ以上にここにはいたい。

 しかし仕事がある。契約という約束を守りたいということもある。


「そうですか」


 僕の答えに、微かにルルは笑う。それから本に目をまた戻した。

 僕もまた本に目を戻す。『海原冒険記』と題された本は、以前ルルが書庫で読んでいた本だ。これはそこにあったその本というわけではなく、新たにルルが買い求めた写本らしい。


 舞台はとある架空の海辺の街。そこで暮らす主人公の少年は、人の背丈をした鳥を連れ、果ての見えない海の先を見つめて、『いつかあの先へ行く』と言い続ける。


 ……しかし、なかなか冒険しない。もう本の中盤になるが、少年は未だに街の中でその日暮らしの仕事を続けている。

 いつ行くの、と鳥に問われるが、いつか、としか少年は返さずに。


 ただ、海の向こうは何度も描写をされていた。

 水平線をいくつも越えたその向こう。知らない国、凄腕の魔法使いが暮らす国で、少年は豪華絢爛なもてなしを受ける。ただの湧き水や粗末な肉片は、魔法使いの魔法で絶品の葡萄酒と肉料理に変わる。

 果てにある太陽が休む島では、冷えた太陽が再び熱を取り戻すために夜空の星を食らう。

 鷗に乗って辿り着いた空の彼方に浮かぶ島。天女が暮らし、その手に持つ銀杯の中に今まで少年が暮らしてきた海があった。

 どれも荒唐無稽で、そしてどれもが少年の見た夢の話だったが。


 そしてその旅立たない理由も何度も描写されてはいる。

 少年は、旅立つのが怖いわけではない。ただ、確かめるのが怖いのだという。

 何がある、と確かめることではない。何もないことを確かめたくないのだ。

 海の先に何があるか。もしも何もなかったら。もしもその果てには何もなく、ただの辿り着けない水平線が広がっていたら、と。

 親友の鳥にすら打ち明けず、ずっと怖がっていた。


 僕もまあ、多分踏み出せないだろうけれど。

 その様を笑えないな、と苦笑しつつ僕は物語の先を急いだ。



 扉が叩かれる。

 気がついたサロメが本を手にしたままのうたた寝から目を覚まし、澄ました顔で扉へと向かう。

 静かに開くと、そこにはザブロック家の使用人がいた。

「どうされました?」

「ティリー・クロックス様がお見えになられました。お通ししてもよろしいですか?」

「どうぞ、こちらでよろしいです……よね、お嬢様?」

「はい」


 まだ夢うつつなのだろうか。対応のサロメの体裁が整っていないようにも見えたが、ルルも誰も咎めなかった。

 いや多分、後でサロメは誰かから叱られるんだろう。


 少しの後、使用人に案内されて侍女を伴ったティリーが部屋を訪れてきた。

 いつも通りの七分丈のドレス。今日は茶色のワントーン。いじってきたのだろうか、僅かにどこか土の臭いが香る。


「やあやあ、カラス君。活躍は毎日紙面で目にしていたよ、無事で何よりさ」

 そしていつも通り、眠たげな目でぽやぽやと呟くように言う。

「ご心配をおかけしまして。この通り無事に戻って参りました」

「そうだねぇ。五体満足、うん、何も変わりない」


 確かめるようにティリーは僕の顔をしげしげと見た。

「お父様から聞いたよ。昨日、王城で陛下とやりあったらしいじゃないか? しかしこれが妖精の息子とは……なるほど、綺麗な顔にも納得だ」

「血は繋がっていないので、義理ですけど」

「そうなのかい?」

 ティリーは、へえ、と感心するように呟いて一歩下がる。

 それからてくてくと歩き、長椅子に力を抜いて腰かけた。


「まあ、立ち話も何だ。座りたまえよ。そうだ、ルル君、こんにちは」

「くつろぎすぎじゃないですか?」

 というかルルへの挨拶が後になるとは、礼儀としてはおかしな気がする。

 もっともそのことについて、この場にいる誰も気にしていなさそうなことのほうがおかしな気もするが。

「最近よく来てたからねぇ。サロメ君、私の分のお茶はいつもの通りで」

「あ、はい」


 サロメも慣れているようで、入れた茶に僅かに水を注ぎ入れる。

 味が薄くなるのではないかと思うのだが、それよりも温度を優先したのではないだろうか。

「ラルミナ君ともよく顔を合わせたんだが……今日は来てないかい?」

「はい。カラス様が戻ってきたと昨日お知らせはしたんですが」

 ルルが答える。

 僕が僅かに首を傾げたのを見て取ると、更にルルは続けた。

「お食事会の招待を兼ねて、予定を聞くために、です」

「カラス君が戻ってきてることを聞けばすぐに飛んできそうな彼女が来てないともなれば、本当に忙しいんだろうねぇ」

 

 紅茶を一口含み、ティリーは言葉を切る。

 それから添えられた牛乳を一垂らしし、匙で軽くかき混ぜた。


「しかし、カラス君もまた大変だね。追放騒ぎとは」

「一応口止めされているんじゃないですか?」

 それはミルラの予測だが。

 おそらくあの場にいた人間たちは、とりあえず口止めをされる。僕が来たことと、アリエル様が現れたことと、それに僕を追放したことを。

 それに対抗するために、ミルラは多分アネットを通じて噂を広めようとしたのだろう。

「あそこには偶然お父様もいたんだよ。そうすれば、陛下が何といおうとも、家族にくらいは話すさ。実際私も聞かされたからね」

「じゃあ、どんどん広がっていきますね」


 僕は楽しくなって声に出さず笑う。

 王の失態は広がっていくのだ。止めても、塞いでも。

 何故だろうか。ミルラに同情するわけでもなく、それが僕の戦争参加の目的でもなかったはずだが、この嫌がらせは楽しくて仕方がない。

 

「それでね、カラス君。一応お父様に言われたから口にするけど」

「何でしょうか」

「私たちで結婚しようじゃないか」


「は?」


 僕ではなく、ルルが驚きの声を上げる。

 サロメも僕も、開いた口が塞がらないとばかりに口を閉じられず、ティリーの次の言葉を待った。


「おやつは好きかい?」

「……好きか嫌いかと問われれば好きですけど……」

 僕が答えると、ティリーは胸を張って拳で叩く。

「知っていると思うけれども、我がクロックス侯爵家は代々この国の時計鐘を管理している。私と結婚すれば、お父様からのお祝いとして、しばらくの間この国の時間をおやつの時間で止めてくれるってさ」

「いや、それは……」


 そんなこと出来ないだろう、という冷静な突っ込みが浮かび、口に出しかけて止まる。

 一瞬浮かんだ『何故?』は昨日のオトフシとの問答で決着がついた。

 お断りします、と言えばいいのだろうが、なんとなく言いづらい。冗談で言っているのだろうと思うし、そのにやにやとした顔はそれを示しているのだろうが。


 空気が止まった。

 それに気がついたのだろうティリーが、顔を向けずに侍女に声を掛ける。


「おい話が違うぞ、ジェシー。こう言えば冗談だってみんなわかるって言ってただろう」

「まだまだ精進が足りないようです、申し訳ありません、フフ……」

 黒い長髪で顔を半分隠した侍女が、謝っているのか笑っているのかわからない口調で微動だにせず応える。

 

「いや、あの、冗談なのはわかるんですが……」

 冗談というか、嘘というか。実際出来るのかもしれないが、何というか反応しづらい冗談というか。

 そう思ったのは僕だけではないらしい。サロメも一瞬遅れて目を瞬かせ、ああ、と呻くように言った。

「じょ、冗談だったんですか」

 ルルも、明るく笑う。愛想笑いのようだが、多分上手に。


「お嬢様、前振りというものの重要性をもう少し理解してください」

「面倒くさいな」

 不満げに足を投げ出し、床を足でパタパタと叩く。

 それから手までもパタパタと振りながら、ティリーはこちらを向いた。


「まあ、そんなわけで義理は果たしたよ。もっとも、受けてくれても構わないんだけどねぇ。有象無象のどこか知らない輩のところへ嫁に行くより、カラス君の嫁にでもなった方がずっといい」

「クロックス侯爵からの指示ですか?」

「うん。王城で親交があったと言ったら、随分と興味を示してさぁ。そうだ、こうも言っていたよ。『もしも婚約を受け入れてくれるなら、追放に関してはこちらから陛下に嘆願して取り消させる』って」

 なるほど。ならばティリーの他、ディアーヌ辺りも親に言われてきそうなものだ。

 あとはルネスやカノン、ええとあとはジーナ・クレルモンとか。その辺りは親交と言うほどのものもないし、縁は薄いかもしれないが。

「嘆願で取り消せるんですかね」

「さすがに何の縁故もなければ無理だけど、これでもクロックス家は侯爵位の他にいくつかの爵位を持っているんだ。それをカラス君に継がせて、貴族にしてやれば通るんじゃないかなぁ」

「なら尚更ですね。お断りします」

「ジェシー、振られてしまったよ」

「ふふ、お嬢様、かわいそう……ふふふ」


 よよよ、と泣き真似をしつつティリーが投げかけると、侍女が応える。

 本気で笑っていそうなところが他の侍女と雰囲気が違うように見える。これも冗談だからだと思うけれども。


 

「じゃあ、もう一つ真面目な話」

 気を取り直して、とティリーが座り直す。

「今ザブロック女伯爵閣下がどこにいるか知ってるかい?」

「政務じゃないんですか?」


 僕はルルに尋ねる。

 僕はもちろん知らない。レグリスとは昨夜アリエル様と共に挨拶したが、その短時間しか顔を合わせてはいないし。

「そのはずですけど……」

 ルルも頷く。


「さっき廊下にいた子に聞いたんだけど、どうやら違うらしいねぇ」


 ティリーが目を向けた先は、壁際にいるオトフシ。今まで黙ったまま話を聞いていたが、腕を組んで楽しげに笑っていた。

「朝、ビャクダン大公の邸宅に向かったらしいよ。何の話をしに言ったのかはわからないけど、大事な話なんだろう」

「婚約の話だ」


 婚約。

 ぴくりと僕とルルが反応し、揃ってオトフシを見る。

 その視線にたじろぐこともなく、オトフシは目を伏せた。


「本当にビャクダン大公は手が早く視点が高い。今朝早く縁談の申し込みがあった」

「ビャクダン大公、というとまた僕かアリエル様に向けて?」

「違う」

 そして僕に向けられたのは、哀れむような視線。

 この落ち着き様はどちらだろう。

 どうにでもなるのか、もしくはもうどうにもならないのか。

 内心の問いかけに、オトフシは当然答えない。代わりに言葉をただ続けた。


「ルル・ザブロックとジュリアン・パンサ・ビャクダンの」


 僕はその言葉に、何故、と掠れた疑問の声を上げた。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] ルルとビャクダンの婚約は気になるけれど、個人的にはスヴェンとオトフシの関係にどびっくりしました。昔恋愛関係にでもあったのかなと思ってたので、そっちか!!と。オトフシのお兄様の人間像と一…
[一言] カラスとアリエルを手に入れるためにルルを振り回すってことね。
[一言] どういう思惑なのかはよくわからないけど、あんな誰もが認める下衆で愚鈍な豚野郎を結婚相手に勧めるってのは「お前にはこの程度の男がお似合いだ」っていう侮辱と捉えられてもおかしくないんじゃないか?…
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