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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
年老いた国と若者たち

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お集まりの皆々様



 

 夜。夕食後、皆が夜寝る部屋へと案内された頃。

 客間……一人用の寝台が五台ほど並んだ部屋で僕は目を開ける。もちろんこの部屋は僕一人、でソラリックたちは別の部屋だ。

 侵入者というわけではない。しかし、多くの人間の気配がした。音と臭い、あとは肌で感じる何かの感触。そういうものが、道場の敷地の外に大勢待機している。


 大勢といっても数十人単位。それも、周囲を囲むために正門以外は手薄になっているようで、大勢集っているのは正門のみだ。

 僕は毛布も掛けずに横になっていた寝台から、滑り落ちるようにして立ち上がる。

 ここ月野流の道場は近隣の都市の衛兵や騎士を輩出する名門といってもいい道場であり、更に現在内弟子はいないが、そもそも中には剣士として最強に近い老人が暮らしている。

 手出しが出来る賊などいないだろう、とも思うが、一応。


「夜分遅く失礼する!! こちらは聖教会の者である!!!」


 正門前で誰かが叫ぶ。誰かというか聖教会の者とはっきり名乗っているのだが、まあ誰かが。

 この広い家屋の表からということで大分遠くからだったが、夕食後で遅い時刻ということもあり、更に今現在街には住民が少なくなっているということもあり、よく聞こえた。


 伸びをして、僕は静かに廊下へと出る。

 嫌な予感がするというと大袈裟だが、嫌な予想が頭に浮かんだ。嫌というよりも、面倒な予想だったが。


「―――!!」

 不明瞭な言い争うような声がする。聖教会の誰かが押し入ろうとして、対応した女中と言い争うような声。

 これは……やったかな。


 怪我をしているかはわからないが、女中が叫び声を上げた。

 その叫び声を皮切りに、なんというか敷地内で多くの人間が反応するように身じろぎをした。


 急ぎ廊下へ出てきた影も一つ。

「…………っと!!」

 扉を勢いよく開けて出てきたのは、ソラリック。しかも見れば外套まで羽織り、出立のための荷物まで手首に引っかけている。

 対応は素晴らしいと思う。足下に見える下衣の裾からして、外套の中は恐らく薄い寝間着だろうが。

 突然出会った僕に慌てるようでもなく、しっかりと僕を見つめていた。

「何かあったみたいですけど、……どうしたらいいですか!?」

「聖教会の誰かが訪ねてきたようです。尋常一様の用向きではないでしょうね」

「聖教会?」

 え、とソラリックが戸惑うように荷物を取り落としそうになる。

 表情にも混ざる戸惑いに、それと動揺。何となく察しがついているのだろうか。

「ここラチャンス邸内はスティーブン殿の管轄です。相手が聖教会を名乗っていることからして、危ないことにはならないと思いますが……」

 どうだろう。明らかに押し入られており、そして偶然だろうが相手はこちらにじわじわと近寄ってきている。客間に見える部屋部屋を回り、虱潰しに誰かを探している。

 

 まあもちろん、探している相手は……。


「見つけたぞ! こっちだ!!」


 廊下から現れた治療師の制服の上に頑丈そうな革の鎧を着込んだ男……僧兵が声を上げた。

 まあ探しているのは僕か、もしくはアリエル様だろうな、と思ったが。

 僕だったらしい。





「カラスが出てきたぞ!!」


 一応僕たちが望んで逗留させてもらっている家屋だ。暴れて迷惑をかけるわけにはいかないと、大人しく僕はスティーブン邸の外へと移送された。

 外といっても玉砂利を踏んだところで、まだ敷地内ではあるが。

 僕の夜目の利く視界に、松明の明かりがいくつも突き刺さる。先導し、また後ろから棍棒を突きつけていた僧兵たちがずれて、待機していた僧兵と合流し斜めの四方を取り囲むように移動する。

 

 そして敷地の外にはいくらかの人が集まっており、僕の様子をじっとりとした視線で眺めている。いくらかの民間人と、あとは多分、探索者。

 松明の明かりに手を翳しながら、僕は口を開く。

「無法なる闖入、狼藉。何の騒ぎですか?」

「探索者カラス。お前には異端の疑いがかかっている。〈大妖精〉アリエル様に取り入りご乱心を招いた罪も含め、審議のため捕縛する」

「へえ」


 松明で照らされた暗闇の中。だろうな、と予測できるような言葉を吐いたのは、昼に見た坊主頭の治療師。ソラリックの言葉からすると、高等治療師だったか。

 治療師における上から二番目、もしくは特等を準特等と分ければ三番目の階級。偉い人間だと思っていいだろう。


「カラスさん!」

 後ろでソラリックが叫ぶ。連れているのは、もちろんアリエル様、それにスティーブン。事情説明をしたほうが早いと、僕が捕らえられたことを彼女に伝えに行ってもらった。

  

 坊主頭は僕を無視するように頭を下げて、アリエル様を迎える。

「これはアリエル様」

「何の騒ぎ?」

 欠伸混じりに尋ねるアリエル様に、笑みを浮かべたまま坊主頭が口を閉ざす。答えが口に出したくないのか、出せないことなのか、どっちかはわからないが。

 そしてそのアリエル様の横にいる老人は、……。


「儂の家で、随分と勝手なことをなさるのう……」


 僕にでも分かる憤怒の表情を浮かべ、坊主頭を睨み付けていた。




 少し苛つくように頭を掻くアリエル様に、気炎すら見えるスティーブン。

 その二人に睨まれて、僧兵たちが僕に向けていた棍の先を揺らすが、坊主頭は何故だか揺るぎなく僕を見つめている。更にまた、笑みを強めるようにして目に確信の光が宿った。


「なるほど探索者カラス。告発通りの狡猾さだ。我らを導いて下さるアリエル様と名高いラチャンス氏を隠れ蓑にすれば、我らが狼狽えるとでもお思いだろうか」


「……?」

「昼にお前の正体を見抜けなかった私の目は節穴と誹られても仕方ない。だが、やはり神の思し召しはお前を向いてはおられない」

「何の話よって聞いてんだけど」

「アリエル様、申し訳ありませんが、貴方様のためでもございます」

 態度は僕へのものと比べて柔らかいものの、アリエル様には答えない。その頑迷さと威勢の良さに、僕は何故だか可笑しくなった。

「昼とは随分とアリエル様に対する態度が違いますね?」

「信に当たりては何人にも譲らず、それが私たちの信ずる教え故に」

 坊主頭が僕を睨む。その視線は知っている。テレーズに心肺蘇生をしようとしたときの、パタラと同じ。

 悍ましい、と。下等だ、と。僕を蔑む目。

「なるほど。どなたからお聞きになったのかはわかりませんが、私の相当な悪行をお知りになったご様子で」


 少々笑いを堪えながら僕は坊主頭の背後を見る。

 探索者たち、そのどれだろうか。いいや、探索者とも限らない、一般市民の間ですら、昔こういうこともあったのだ。ならば今回もそれかもしれない。

 前回は暗殺者だった。彼らも今回は随分と面白い玩具を手に入れたものだ。


 幾人かが群衆の中でニヤニヤと笑う。それは僕の願望に似た思い込みの末の見間違えかもしれないが。

 僕は振り返る。

「僕が異端者だから、捕まえに来たらしいです」

 助けを求めたいわけではない。けれども事情が分からないだろう背後の二人に向けて、僕は言う。その対象ではないソラリックが唾を飲んだ。



 周囲を囲んでいた僧兵の棍が、僕の肩に押しつけられる。両肩に二本ずつ、恐らく捕縛の際には、きちんと僕の手を縛ってからそれで地面へと押さえ付けるのだろうが。

 もしくは攻撃にもすぐ移れるだろう。魔力で強化された棍は、木製の軽さのまま金属に似た硬度を持つこともある。それを滑らせ、僕の首を打ち据えればそれで決着すらあるかもしれない。僕が一般人だったら、の話でもあるが。


 さて、どうしようか。そう悩み始めた瞬間といってもいい思考の隙間に。

「……命が惜しくないのかの」

 スティーブンの口から、重々しく言葉が紡がれる。

「勝手に儂の邸内に足を踏み入れ、儂の客人に凶器を向ける。そのような無法が儂の庭で許されるとお思いか?」

「エッセン王国の法など、我が神の定めし法からすれば塵にも等しい軽いもの。異端審問に際しては、我らが法に優先権がある」

「わからんかのう」


 正直僕も今更気付いた。スティーブンの手に、木剣が握られていた。

 重戦車のような迫力でスティーブンが一歩踏み出し、滑るように僕の方へと近づいてくる。そのまま、ほとんど縦に剛剣が二つ、振り上げて、振り下ろされるのを僕は感じた。


 がらん、と僕を拘束するように固めていた棍が断たれて落ちる。

 それでも怒りが治まらないように、歯の隙間からスティーブンが静かに息を吐いた。


「エッセン王国の法などではない。聖教会の法など知らん。この邸内は儂の庭、武芸者の庭じゃ。客人への無礼は儂への無礼、ならばその決着は、死を以て当然のものじゃろうが」


 棍棒が落ちた玉砂利の上。

 更にそこに、剥がれた革の鎧が落ちる。

 僧兵たちの鎧が先ほどの一閃で切り裂かれていたらしい。

 ……通常鎧とは武器を防ぐためのもの。それを武器としては軟弱な木剣で断つとは。


「それにあんたたち今命拾いしたの、わかってる?」


 ざ、とスティーブンの手により地面に刺された木剣。その柄の上に、アリエル様が立つ。

 こちらも怒ってくれているようで、パチパチと身体の周囲に閃光が幾度となく見えた。


「だから言ったでしょ、カラス。落とし前は毎回つけさせなさい。そうしないとこういうのは何度も何度も来るわ」

「毎回はさすがにきりがないといいますか」

「少なくともそんなあんたのせいで、今スティーブンに迷惑がかかってるのよ」

「それは……本当に申し訳ないです」


 僕は振り返り、スティーブンに頭を下げる。

 スティーブンに関しては完璧に巻き込まれた形だ。原因は僕で、アリエル様が燃料を投下したもの。それを僕が更にここに連れてきた。

 あとで謝罪でも何でもしよう。謝って済めばいいけれども。


 僕とアリエル様の会話に割り込むように、坊主頭が一歩足を進める。

「なんと仰られようとも、異端の弾劾に手は緩めません」

「それで、カラスが何したって?」

「アリエル様も、その男の所行を聞けばお心を痛めることでしょうが」


 坊主頭が右掌を顔の前で掲げて見せる。何かしらの宗教的なポーズなのだろうが、それは知らない。

「その男が探索者として身を立てたのが七年ほど前。それからの戦果は表向き華々しいもの。竜を殺し人々を守り、森の奥深くに分け入り薬の花々を人々に届け苦しみを癒やした。調べうる限りは、その男はたしかに神の御心に叶う善良なる一人の信徒だった」

「それで? 良いことじゃないの」

「……しかし!」

 その掲げた右の掌を、握って自分の太腿を叩く。景気のいい鈍い音がした。

「真実は、その者は世の悪徳をかき集めた男。親のない子として生を受け、人を騙し、奪い、生き血を啜るようにして生きてきた忌み子であります」

「さんざんな言われようですが」

 僕はクツクツと笑う。その程度でもはや腹は立たない。聞いていても、ラジオが発しているノイズ程度にしか。

 そして坊主頭は僕を無視した。

「告発がありました。今回も、そのカラスはアリエル様に取り入り何かしらの悪事を働こうとしているのだと」

「はあ?」

「戦場でのアリエル様のお働きは既に耳にしております。聖騎士団すら危うい奇襲の最中、颯爽と現れ雷を落とし、戦場を支配するという奇跡をまた起こしていただけたのだと。そしてこの街に現れたアリエル様はそのお優しさから、このエッセンの民を我が子として守ろうとしたのだと私に仰って下さった。しかしそこにその男は付け入った!!」


 一息に喋ったアリエル様の偉業とやらに重ねて、指を差されて僕は溜息をつく。

 またいつもの話だ。なんというか、もう聞く意味もない気がする。

 『いつもの話』と一言言ってくれれば、後はだいたい察することすら出来そうな話。

 

 面倒くさい。

 ……ルルのことがなければ、殴り倒してしまうのに。

 

「アリエル様、耳に痛い言葉かもしれませんが、この実直なるマクスウェルの忠言をお聞き下さい。お側に置く者はお選び下さいませ。その男は戦場で、奪われた命を取り戻したという重大なる禁忌を犯した疑いがかかっております。戦場で死した者、既に神の御許に導かれた尊い魂を汚すという悍ましいことを行ったという噂があります」

「……えーと、つまり、命を助けたってこと? それ、なんか悪いことなの?」

「アリエル様の無限のご慈悲には感服するばかりでございます。しかし、その男を庇い立てすることはありません。審問にかけられ、その男は命を失うべき者。アリエル様の尊さを汚す者。道を塞ぐ者。お側には、私が」


「駄目ね、意味分かんない」


 

 ふん、とアリエル様が人差し指を振り上げる。

 それだけで、坊主頭が静かになった。黙ったわけではない。パクパクと口を動かしながら、それでも声が出ないようで、信じられない、と目を剥いたようにしていた。


 それからアリエル様は、僕に目を向ける。目を細め、哀れむような怒りのような複雑な表情で。

「あんたの思い出だけだとちゃんと聞こえなくて不明瞭で駄目ね。あんたがちゃんと話聞いててくれれば、私も大分理解してたはずなんだけど」

「僕怒られてますか?」

「いいえ。これに関してはあんたは悪くないわね。ごめん、こいつらに落とし前つけさせるのも無理だわ」

「でしょう」


 アリエル様がどこに納得したのかは分からないが、僕は一応とばかりに勝ち誇って見せる。

 それも気に障ったようで、アリエル様がデコピンのような仕草をとると僕の額に軽い衝撃が走ったが。


 木剣の上でくるりと後ろを向いて、アリエル様はぺこりと頭を下げる。

「ごめんなさいね。あたしのわがままでここに逗留させてもらって、ご迷惑をおかけしたみたい」

「…………」

 スティーブンが、たじろぐように僅かに身を引きながら無言でこくこくと頷く。もごもごと何かを喋ろうとしているようだったが、こちらは魔法の影響がないのに声は出ていなかった。



 それからパタパタとアリエル様が羽を鳴らして僕の前に飛んで出る。

 そして坊主頭の目の前で止まると、人差し指を立てて鼻先へと向けた。

「いくつか聞くわね。命を助けるのは悪いこと?」

「……い、いえ……」

 最初坊主頭は自分が喋れないと思ったらしい。慌てるように声を出してしまい、更にそれがそのまま出たようで裏返った声だった。

「じゃあ、なんで? 異端者なんて疑いはどこから来たの?」

「いいい、命を! と、取り戻すなかれと聖典に……!」

「つまり命を助けるのは悪いことなのね?」


 パチン、パチン、とアリエル様の周囲で紫電が弾ける。

 それと同時に感じるのは、放電によるオゾン臭。それと、その指先が坊主頭の鼻の頭に触れれば命を奪ってしまいそうなほどの殺気。


「それとこれとは話が違います! その者は、既に失った命を取り戻した!」

「ふうん。じゃあ、……」

 先ほどまでの断続的なものではなく、紫電が連続性を帯びる。まるで羽衣のようにアリエル様の身体を幾重にも覆い、スタンガンを突きつけるように帯電した。


「今から貴方の命を失わせるけど、あの子に取り戻させなくてもいいのね?」



 ひっ、と坊主頭が悲鳴を上げる。

 こちらからは見えないが、アリエル様が瞳を覗き込んだ瞬間に恐怖が決壊したらしい。

 尻餅をつき、両の掌をこちらに見せるようにして掲げて脇を締める。典型的な防御姿勢。それと同時に、よほどの恐怖なのだろうか、目を瞑っていた。


「わ、私こそは、神に仕える敬虔な信徒っ! 真に貴方の息子たり得る者であります!! おお助けを!!」


「それと、さっきから何を勘違いしているのか知らないけど」


 ぐい、と更にアリエル様が近づいて坊主頭に顔を寄せる。

 何もされないのだろうか、という戸惑いに、一瞬片目を恐る恐ると開けた坊主頭の顔が、更に凍り付く。


「あんたはあたしの息子なんかじゃないわ」


「ぷぐっ……!?」



 顔に向け張り手一閃……かと思いきや、思い切りグーで斜め下から殴ったらしい。

 縮尺的に届いていなさそうな距離だったが、きちんと坊主頭の顎にはその小さな拳が突き刺さったように跡がつき、ひっくり返ったように仰向けに坊主頭が倒れる。

 ぴくりとも動かなくなった坊主頭の法服が、力なく玉砂利の上に広がった。



 首を左右に曲げて肩をコキコキと鳴らしアリエル様が鼻から息を吐く。

 そして倒れた坊主頭を見下ろして、ぽつりと呟いた。

「こういうとき、あんたたちならどうするんだっけ?」

「どうすると言われても」

 僕は言いつつ周囲を見回す。僕の肩に置いた拘束の棒はなくなったが、一応切れ端を僕に向けて構えていた僧兵たちを。

 彼らからしたら英雄で、現人神にも等しいアリエル様の暴行の瞬間。それをばっちりと見た彼らも戸惑っているようで、逆に助けを求めるように僕を見ていた。


「あんたは、どうしたかしらね?」

 そんな僕を、アリエル様はちらりと見て、それから腕を一瞬組もうとして止めていた。それまでに思いついたらしい。

「そうね」

 それからふふ、と微笑むと、『しまった』という慌てたような顔をわざとらしく作り、僧兵に向けてよたよたと僅かな距離を飛んだ。


「うわー、いたんしんもんにいらっしゃったちりょうしさまにぼうこうをはたらいてしまったー、うわー、うわー」

「わざとらしすぎますね」

 棒読みというよりも、全く抑揚のない喋り方。……それを棒読みというのだろうが、それよりも更に聞き取りづらくすらある平坦な喋り方で、アリエル様が慌てたような台詞を吐く。

「これはこまったー、あたしもこれはいたんしんもんにかけられてしまうー」


 空中を一歩一歩、と歩くようにアリエル様は僕を囲む僧兵に近づいてくる。

 僧兵の肩が緊張で固くなる。冷や汗が全員の額から垂れていた。


 そして一番近い僧兵の顔の前まで近づいたアリエル様は、演技を止めるように慌てたような手振りを止めて力なく落とした。


「だから、あたしは抵抗すればいいのよね?」




 言葉にならない悲鳴が僧兵たちから響く。

 先ほどまでは僕に敵意を向けていたはずなのに。もう既に、戦意すらなくなっていた四人。坊主頭の周囲にも二人ほどいたが、彼らも一歩後ずさるようにして武器を引いた。


「て、て……」

「ん?」

 後ろ手に手を組み、可愛らしくアリエル様が上目遣いに僧兵の顔を覗き込む。

 だがその小太りの僧兵は目を瞑ったまま、勢いよく膝をついた。

「手違いが! あったようです!!」

「手違い? どういうこと?」

 やめろ、と他の僧兵が視線と身振りで止めているようだが、元々目を瞑っている若い僧兵は止まらない。

「告発があったのは本当です! 私はマクスウェル様のお側で……ええと、あの、あの男からの!!」


 目を開けて、群衆の中から探していたのは僕を告発した誰かだろう。指の先にはおそらく革の鎧から探索者だろう男がいる。

 まあ、いつもの通り全く知らない誰かなのだが。


「マクスウェル様は、その、アリエル様と共にいた、カラス殿のことをお気にされておられて、その……!!」

「やめろ!!」

 ぺらぺらと喋り続ける小太りの僧兵を、横にいた僧兵が止める。だが、涙まで流し始めた小太りは、太い眉の下を目ごとべしゃべしゃに濡らしながら続けた。

「私は、ちゃんと調べるようにとしし進言したんですっ!! 噂話などで判断せずにとっ!!」


「つまりそいつの嘘だかほんとだかわかんない言葉をそのまま持ってきたってわけね」

「本当にいつもの話じゃないですか」


 僕とアリエル様の視線が、小太りの指さした男へ向く。

 探索者だろうこれまた太り気味の男は、群衆の中で顔を背けてさりげなく顔を隠した。さっきはニヤニヤと笑っていたのに。


 しかし、本当にいつもと変わらない。

 戦争前夜、テレーズに自分を雇うために訴えていたあの……、名前は思い出せないが、探索者と同じように。

 僕のことを気にしていて、そしてそれを用いて僕を排除できるとなればすぐに僕の悪い噂を信じた。僕が悪者であればいいという願望に縋った、いつもの話。

 

 見つめていると、ササ、と男が人混みと暗闇に紛れていこうとする。

 当然逃さない。さすがにここまで来てしまえば。


「…………!!」


 カンパネラと同じように、と出来れば楽なのだが、そうは出来ないので僕は探索者の靴を地面に念動力で押しつけて固定する。突然足が止まってつんのめりそうになった男は、よろけるように両手でバランスをとった。

「どこへ行くんですか? せっかくなので、その訴えを聞かせて下さい」

「…………」

 男の呼吸が荒くなるのを感じた。それがどういう意味かは分からないが。

「良い機会なので、どうぞ、皆様の前で」

「……これはお前のせいか!?」

 僕の言葉には答えずに、ただ短い靴を何度も地面から引き剥がそうとする。こちらを見ずに叫んだ言葉には力があった。


「お、俺は知らねえよ! 人違いだ!!」

「ですって」


 男は言うが、言われた僕はそのままその言葉を先ほど泣きだした僧兵に繋げる。僕が見れば、今でも涙は流しているが、ぐい、と袖で目元を拭いて強引に止めていた。

「お前だ! たしかにお前だった!!」

「だそうです」

 それから叫んだ小太り。僕はまた言葉を繋ぐ。

 勿論投げかけられた男は否定のために振り返ろうとするが……固定された足のせいで転びそうになっていた。


 苛立ちが治まらないようで、男が靴から足を引き抜く。

 それと同時に僕は念動力を止めたが、男は気にせず靴を拾い上げて地面に叩きつけた。


「ふざけんな! 恩を仇で返しやがって!! 俺はアリエル様に袖にされてる治療師様が不憫で……!!」

「不憫だったから僕の悪口を?」

 そして口走るように自白した男の言葉を僕が補足すると、僕と小太り、双方に視線を往復させてから小太りに固定する。

「そうだよ! みんなそう言ってんだろ!? それを教えてやっただけで!!」

「でも今回は、貴方が告発したんですね」

「だから……みんながそう思ってたって!!」

「今回は、貴方が思っていたんでしょう?」

「…………!」


 じり、と僕が見つめると、男が黙る。

 何故そこで、『はい、そうです』と言えないのだろうか。自分がそう思っていたから、だからそうしたと、何故。

 

 男の姿が、何故だか違う誰かの姿と重なった。

 成人男性らしい男よりも少し小さくて、太り気味でもなく痩せていて、茶髪でもなく黒い髪で。

 黒い外套を着ていた。松明で眩んだ目に、視界が白く染まる。今は夏、だがその背景が白く滲んでまるで雪国のようで。

 その姿は、きっと僕自身。



 僕は口を開く。そういえば先ほど、落とし前をつけろと言われたばかりだ。

 ならばきっと、これが良い機会だ。


「ちょうどいいので、良い機会なのでどうか皆様」

 幻影を掻き消すように、野次馬を見回す。もう男のことはどうでもよかった。

 騒ぎを聞きつけて随分と増えてきた。多分最初の倍くらいには増えて、今は三十人ほど。後ろの方からは、きっと僕の姿も見づらいだろうに。


「このアリエル様は、私の過去の所行を全て知ることが出来ます。その上で、悪いことは悪いと、良いことは良いと仰ってくれます」

 ね、と僕はアリエル様を見るが、アリエル様は何の話か分からないようで首を傾げていた。

 だが構わない。

「私が過去に行った悪いこと。あなた方に糾弾されて然るべきこと。あるならば、先ほどの彼のようにまどろっこしいことなどせず、今この場でアリエル様に訴えて下さい。アリエル様は公正にそのことを判断し、悪いことならば悪いと私を叱りつけるでしょう。雷で打ち据え、きっと罰を与えるでしょう」


 ざわ、と野次馬に波が広がる。

 その中で、誰かが叫ぶ。主婦らしい年配の女。案の定、僕は知らない。

「そんなことしても、お前はアリエル様を騙して……!」

「騙されるような方なんですか、アリエル様は」


 そして叫びかけた言葉に反論すると、女が黙る。一瞬だけ、野次馬の中で目立っていた彼女は、すぐに埋没して他と見分けがつかなくなった。

「仮に私がその口を塞ごうと手を出そうとすれば、アリエル様は間違いなくそれを止めるでしょう。今この場ならば、何を言おうと私からアリエル様が守って下さいます、それが正しいことならば」

 言って、僕はなんとなしに口元を押さえようとしてしまうが、それをやめた。

 なんだろう、言葉が止まらない。


 宙に浮かびつつ、アリエル様が横目で僕を見る。

 足を組むようにして膝に肘をつき、しょうがないな、と優しげな目で。


「いい機会です。私がここにいること、不満があるなら今この場で仰って下さい。何か嫌なことをされたのなら、アリエル様に注進下さい。そして私に罰を与えてもらい、気が済むまで罵ればいい」


 落とし前をつけろと先ほどアリエル様が言った。

 その上で、アリエル様は僕を守ろうと前に立ってくれた。

 スティーブンには迷惑をかけた。そして、自分への無礼にもあるだろうが僕のために怒ってくれた。


 それを見てしまった以上、渦中の僕が黙っているわけにはいかない。


「ですけれど、今この場で、自分の口で僕に向かって言えないのなら。アリエル様の前で言えないのなら」


 耳には誰の言葉も入らない。

 スティーブン邸の門の前で、野次馬たちが皆黙って僕を見ている。

 違うだろう、と思う。僕ごときが何かを言う、なら彼らはそれに反論することが出来るはずだ。それは違うと言えるはずだ。

 だが、彼らがそうしたいのならば。

「だったら少なくとも、今この場にいる全員は」


 アリエル様の言う『落とし前』、これでつけられるだろうか。


「僕の今までやってきたことに、今後一切文句を言うな!」



 多分初めて。母の前で、僕は少しだけ強気になった。




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― 新着の感想 ―
魔法なんてある世界で自分でもよくわからん噂でしか聴いたことのない魔法使いをネチネチいびる命知らずな住民達 少しくらい証拠の残らない念動力ででも痛めつけてやれば嘘の噂は止まらなくても、せめてナメられる事…
[一言] ルルがいなきゃこんな国さっさと出るんだろうに読者としてはもどかしいんだけど
[一言] うじうじしてたのやっと治った?
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