傾向と対策
五英将は三人称本編
森の中、ただ一人でラルゴ・グリッサンドは考える。
(襲ってきたのは二人組。〈鉄食み〉スヴェンとあと一人……)
スヴェンの名前は聞き覚えがあった。〈鉄食み〉の名前はムジカルにも轟き、ラルゴが五英将に任命されるよりも前、五英将を一人討ったとされるのも彼だ。
二百年近く前の出来事。五英将〈無角〉、〈鉄食み〉に討たれる、という報。幼少期のラルゴも、その報に目を輝かせたものだ。
その武名は要注意人物としてラルゴの耳にも刻み込まれており、今回の戦争にも不参加の可能性が高いという情報が入りつつも注意は向けていた。
現在彼の所属はミルラ・エッセン麾下。カンパネラから伝え聞く限りの情報から推測するに、彼女にスヴェンを御する器はない。ならば彼を現在指揮しているのは、同じ探索者の〈赭顔〉カラス。
(……ここでまたカラスか)
舌打ちをしつつ、ラルゴが大きな目で虚空を睨む。
更に〈鉄食み〉ともう一人、ならばその二人は同僚と考えるのが自然で、そして同僚となればもう一人の金髪の正体は自ずと知れる。
(ならばあれが、〈猟犬〉レシッド)
自身に奇襲をかけ、大木ごと両断しようとする手並み。
実際危ないところだった。間一髪といってもいい。殺気も寸前まで帯びず、およそ他の五英将にも、無傷で凌げるものとは思えない。
カンパネラからの報告にも、彼の名前は上がっていた。
曰く、イラインの探索者の中では〈形集め〉オトフシと並び最上位に位置する男。
そしてその強さは、直属兵程度でしかない、とも。
「………………」
森の奥、どこからか声が聞こえてラルゴは咄嗟に木の幹に背を寄せ身を隠す。スヴェンとレシッドの話し声だということを確認して、また奇襲を警戒し周囲を見た。
蹲り、茂みを揺らさぬようにラルゴは場所を移動する。
ここは位置が悪い。挟撃をされぬよう、慎重に。
(たしかに、直属兵程度。その中の中程度、だろうかな)
ラルゴは先ほどのレシッドの行動を思い出し、にやりと笑う。
たしかに、奇襲の腕前以外ならば、そう驚くところはなかった。剣の腕も鋭いが凡庸。おそらく幾多の流派を混ぜて自己流とした荒々しい剣技に身のこなしは、恐るるに足るものではない。
けれども。
(だが、追ってこなかった)
茂みの中に身を隠し、いくつもの茂みや木々の隙間からちらりと見えたスヴェンの姿を確認し、ラルゴは手の届いた場所の葉をむしり取る。陽動のため、それに、誘導のため。
地面に散らした青々とした広葉樹の葉は、ここネルグの森の中ではよく見れば不自然、という程度のもの。しかし気付いてくれるだろう。スヴェンはまだしも、もう一人の彼ならば。
(警戒すべきは〈鉄食み〉だけではないようだな)
長い蔦をちぎり、高い枝の上を渡して違う枝に結びつける。引けばがさがさと音が鳴る罠。しかしまだ、引かない。
ラルゴは耳に意識を集中し、森の音を拾っていく。足音は二つ、それが包囲を狭めるように自分を中心に動いている。
指揮はおそらくレシッドだろう、とラルゴは推測した。
用兵の基本は、分断からの各個撃破。ラルゴはそう思っているし、それは大抵の場合真実だ。
基本に従い、最初の激突の後ラルゴはレシッドを誘い出そうとした。一人にすれば簡単に殺せる、と思いながら。
けれどもレシッドは追ってこなかった。どう見てもラルゴは劣勢で、逃げるしかない身の上なのに。
自分の力を過信し、追ってくるような愚か者ではない。優勢に身を任せ、周りが見えなくなるような激情家でもない。
レシッドは追ってこなかった。その慎重さが恐ろしい。決してスヴェンの近くを離れようともしなかった。
そしてもしもあの場で自分がレシッドを殺そうと欲を出せば、その瞬間を狙っていたスヴェンに逆に殺されていただろう。その殺気も感じていた。
二人の足音に意識を戻し、ラルゴは足下の蔦を手に取る。
思い切り引き、ガサリと枝を鳴らせばその足音が止まる。
今だ。
そう決意し、一気呵成にラルゴは地面を蹴り、足音の主へと向けて茂みから飛び出した。
茂みの奥、向こうに見えたのは銀の髪。スヴェン。
爛々と輝く目に怯まぬよう、ラルゴは自身の手に力を集める。込めるのは単なる念動力だ。先ほどと同じく。
ただし先ほどのは『押し出す力』。今回はそれとは異なる。
「見つけた」
「いいや」
身構え、自身も地面を蹴るスヴェン。しかしその刃へと変形した手がラルゴに届くよりも先に、ラルゴの手が今横を通り過ぎようとする木の幹に触れる。
今ラルゴが手に発生させている念動力は、『引き寄せる力』。その力は杭のように木にラルゴの身体を固定させ、急制動させる。結果ラルゴは止まり、スヴェンだけが近づく、という状況を発生させた。
スヴェンの剣が空振りする。
そしてその隙に、ラルゴはスヴェンの前に降り立ち、上から両手を握りしめ振り下ろした。
「私が見つけさせたのだ」
どこからか飛んできた砂塵がスヴェンの目を一瞬塞ぐ。反応の遅れたスヴェンが腕を合わせようとするが間に合わず、不完全な体勢で受けたその拳には、やはりラルゴの念動力が込められていた。
「っ……!!」
込められた念動力は『潰す力』。まともに受けたスヴェンの両鎖骨が抉られるようにして綺麗に断裂、肩が地面に落ちるかのように折れ曲がる。
(さすがに頭は守るか。しかし腕は奪った……!)
もうまともには動かせまい。そう判断したラルゴは、追撃にもう一度右掌を振るう。『切り分ける力』が込められたその掌は、丸みを帯びた指のまま鋭利な刃物のように対象を切断する。
狙うは首。頑丈な魔法使いといえども、首を落とせば命を奪うことが出来るとの判断から。
しかし、その手が届く前に。
(……くっ!?)
ずる、と太い木の根を踏んだラルゴの足が滑る。
その揺れた頭部があった場所に、何かが通り過ぎていく。
通り過ぎた後、軽い衝撃波を感じ、更に風を切る音が聞こえた。
後方、十歩以上離れた位置にあった木が、めきめきと音を立てて倒れる音がした。
今のは、とラルゴは思い返し、頬に冷たい汗が一滴落ちる。
ラルゴの動体視力は人間の域を超えている。その大きな目は確かに見ていた。自身の頭部があった場所を通り過ぎていく何かを。通り過ぎていった指先程度の小さな欠片を。
「……歯か……」
「惜しかった」
スヴェンの口の端がニイと吊り上がり、目元が愉しみに歪む。
歯を口から射出する。スヴェンのやったことといえばそれだけである。まるで西瓜の種を吐き出すように、歯を超音速で吐き出しただけのことだ。
シュルシュルとスヴェンの腕が解けるようにしてから形を取り戻していく。千切れそうになった肩は元に戻り、何事もなかったように。
「だがやはりつまらん。まともに打ち合わん相手は」
「怪我はしたくないからな」
「怪我程度、もはや我が輩たちは気にすることもあるまい」
「そうはいかん。私の肩には大勢の部下の命が掛かっている。私の身に危険が及ぶことすら、本来あってはならないことなのだよ」
ラルゴが黒髪を棚引かせて後ろへ跳ぶ。その先には茂みがあり、更に奥を覗こうとしても見えないほど濃い闇が広がる。
スヴェンはラルゴを追うように跳んだ。また逃げられては面倒だ、と。
まったく同じ速度で同じ方向に跳んだ二人の視線が交わる。二人の位置関係は変わらず、二人だけが互いに静止したように感じた。
流れる風景。しかし、ラルゴは茂みには入らず、そこで踏みとどまる。
瞬間、スヴェンの顔に閃光のような衝撃が走った。
バチン、という衝撃にスヴェンの勢いが止まり、今度はラルゴが一歩前に出る。それから振るわれるのは、熟練の拳、そして蹴り。一呼吸に十以上行われたその全ての動作に念動力が込められており、迎えたスヴェンの拳足がラルゴの攻撃のままに歪んだ。
驚愕に動きが鈍るスヴェンの胸にラルゴが蹴り込む。まともに受けたスヴェンは、一歩押されてから踏みとどまった。
胸をさすって痛みを反芻する。これは先ほどの拳とおそらく同質の……。
「……武術か」
「魔法使いが武術を学んではいけないということはあるまい?」
「ああ! ないとも!!」
嬉しくなり、スヴェンが手足の再生もそこそこに踏み込み、尖った手をラルゴに突き立てる。しかしラルゴはその手をくるりと撫でるようにして受け流し、そして振るうのは、また掌打。
ただしそこにはまた念動力、『潰す力』が込められており、また腹部に受けたスヴェンの胴体が、轟音と共に前後から押し潰されるようにぺちゃんこになった。
「がふっ……!」
血も吐かず、しかし体内の息を絞り出されるようにしてスヴェンが苦しげに口から息を吐く。
パリパリというどこか軽く肋骨が折れる音、それに背骨が砕けるゴリ、という音。身体が潰れる音を聞いたスヴェンは、その突きに焦熱鬼の豪腕を想像していた。
楽しい。
自分にも通用する念動力。カラス以外にも、このような者がまだいた。
自分の速度についてくる身体能力。それを補助する何かしらの武術。
楽しい。
このような者がまだこの世にいる。まだ自分は頂点ではなく、越えるべき壁が世界にはある。
楽しい。自分はまだまだ強くなれる。
見たこともない敵と相見え、そして見たことない強さを持つ敵を乗り越えるという快楽。それ以上の快楽はない。そうスヴェンは信じている。
いつか頂点に立つその日まで、試練と克服は続いていく。
今日もまた自分は強くなれる。目の前の強敵を乗り越えて、また。
「ハ、ハハ……」
陶酔したスヴェンの頭から、『痛み』というものが消えていく。
「ハハ、ハハハハハハハハハッ!!」
「…………っ!?」
突然響いた哄笑に、ラルゴの手が止まる。胴体をほぼ粉砕されて、死に体となっていたはずの相手の反応に。不気味さに。
しかし不可解さは感じず、どこか納得する思いだった。伝え聞いていた〈鉄食み〉スヴェンは、確かにこのようなものだろうと腑に落ちる。
スヴェンの腹がぼこぼこと沸騰するように膨れあがり、縮み、元の大きさに戻る。ほんの数瞬の出来事に、ラルゴはスヴェンが再生を終えたのだと悟った。
(まさしく化け物だな)
五英将の五人共が、余人にそう呼ばれることがある。そして事実、そう呼ばれるに相応しい力を持つ。
五人全員が、程度の差こそあれ人知を越える身体能力と、何かしらの卓越した技術や技能を持つ。故にムジカル軍の中でも別格とされ、欠員が出ても能力が足りる者がなく補充されないことすら歴史上存在するというのに。
そんな一人に数えられるラルゴも、目の前の光景に驚愕していた。
怪我の治りが早い、程度ならば五英将にとって通常装備に近い能力だ。けれど今まさに致命傷に等しい傷を負い、なおそれがみるみる癒えるなど、自分からしても化け物じみて見える。
(対策を……)
だが、化け物といえども所詮は単なる魔法使い。
誰でも、どんな相手でも、自分がすることは変わりない。相手を知り、己の出来ることを知り、対策を立てて実行に移す。
どんな相手であろうとも、正しい対策を立て、正しい準備をし、正しく実行すれば勝てる。ラルゴはそう信じている。
視界の端に金の髪が映る。
間に合わなかったか、とラルゴは舌打ちをし、視界の中で飛びかかってくるスヴェンの斬撃、それに打撃を精一杯防ぐ。
時間が必要だ。彼ら二人をまた分断し、一気呵成にどちらかを討ち取る妙案を考えるために。
一瞬のスヴェンの攻撃の緩み。それを逃さず、ラルゴは転がり茂みに飛び込む。この逃走法を使えるのも今回が最後だろうと自分を戒めながら。
木の幹を器用に使いつつ、ラルゴは追跡を振り切ろうと森を走る。
悪路である。木の根は地面から所々に突き出し、気付かない程度の傾斜が足を取る。それでも彼は転ばない。成功者故に。
背後から迫る殺気。まずはこれを振り切らなければ。
それにしても。
(そういえば、何故この二人がここにいる? カラス隊は第八位聖騎士団に帯同していたはず)
思考を止めず、ラルゴは考え続ける。それが成功へと至る唯一の道だと信じている故に。
(第八位聖騎士団は、クロード・ベルレアンの指示で第七位聖騎士団と合流を目指すはず。その動きも実際に確認している)
ならば、単独行動。カラス隊は第八位聖騎士団を離れ、単独で動いている。
何のために?
……。
…………。
"『探すのが簡単とは言ってくれる』"
ラルゴの脳裏に、スヴェンの言葉が浮かぶ。そうだ、〈鉄食み〉と〈猟犬〉は自分を狙ってここに来た。
ならば、単独で動く理由は、……。
(…………カラスはどこだ?)
そして隊である以上、彼らを指揮するため、通常なら一緒に行動するはずだ。
しかし今になってまだ、カラスは姿を見せていない。カラスの顔は知らないが、二人しか姿を見せていない以上、まだ遭遇していないだろう。
仮にカラスも姿を見せた場合、ここにいるのは危うい。
現在遭遇した二人。どちらか一人相手ならば勝てるだろう。しかし二人を一緒に相手するのは骨が折れる。更に増えれば三人相手はさすがに自分でもまずい。
単独で彼らが動いた理由。その目標が、『指揮官ラルゴ・グリッサンド』ならば撤退を視野に入れなければ。
『五英将』ならば、おそらくカラスは単騎でそちらへ向かった。その場合はイグアル、もしくはフラムに期待して任せるとしよう。
しかしどちらにせよ、困ったことがある。
(怪鳥の使いどころを間違えたな)
ラルゴはカラス対策に、一人の魔物使いと一羽の聖獣を用意した。
そろそろ攻撃を開始しているだろうが、無駄打ちか。
呼び戻すか進路変更をさせるか。どちらにせよ、その伝令までの間にせめて少しでも戦果を上げていてほしい。そう願いラルゴが見上げた木々の隙間には、藍色の空が亀裂のように見えていた。




