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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
私の物語

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守りたいもの

その、作中での彼女の年齢についての思想はその、彼女視点ということで……。極端なんです彼女……。

 



 フラムの魔法。それは、全てを腐食させる毒を放つ、だけではない。

 彼女が関わる全てのものに、彼女の意のままに、彼女にすら成分がわからない毒を帯びさせる事が出来る。

 オラヴに何度も吹き付けた風。その風にも彼女特製の毒は含まれており、そしてオラヴが何度も吸った空気にもそれは混ざっている。


 闘気は触れている空気を毒に変えることは防げても、毒に変わった空気を消すことは出来ない。

 闘気使い故に解毒も容易なはずだったが、戦闘中にそのような悠長な真似も出来ない。


 じわじわと蝕まれていく身体に、オラヴは気付かなかった。

 そして更に、闘気使いの身体は毒を無効化するわけではない。ただ毒に強いだけだ。


「か、は……」


 オラヴの顔や手の皮膚が、毒に耐えきれずに黒く変じていく。奥まで汚染された肺は空気交換の用を成さずに、吸収された毒が横隔膜や心臓の筋肉を汚染していった。


 それでもまだ死なない理由は、エッセン国探索ギルド当世随一の頑強さにより。


「アハハハハハ! 遊びよ遊び! あたしに片手を使わせるなんてやるじゃない」

 震えるように血溜まりで身体を汚すオラヴの耳に、フラムの声が響く。そういえば、フラムは片手しか使っていない、という妙な納得が頭の中で何度も反芻される。

 視界が白く濁っていく。仮にここにカラスやエウリューケがいれば、角膜の白濁、と即座に判断しただろう。

 フラムは笑い続ける。愉快な、素敵なものが目の前にあるように。

「でもやだぁ、そんなすごく大事な街なのね。じゃあ、もう一度この街がめちゃくちゃになったのを見せてあげる。楽しみにしてなさい」

 ケラケラと笑うその顔は見えないが、醜悪に歪んでいるということはオラヴにはわかった。

「待……」

「その男に手出しは無用よ」


 少しの間生かしておいてあげる。そう虫たちに言いつける言葉だけは、オラヴにもなんとなく聞こえていた。

 待て、と伸ばす手に力は入らない。白く霞んだ視界の中で、森の中らしからぬ高い踵の靴が見えて、遠ざかってゆく。

 守れないのか、と涙が出てくる。遠ざかる影を耳だけで追っても、それすらもすぐに消えていく。ざわざわともしくはずりずりと、またはブンブンと耳には周囲の音が鳴り響いている。

 伸ばした手が地面に落ちる。持ち上げられずに落とした手が、血溜まりを叩いて飛沫を飛ばす。生温かくて気持ちの悪い液体が頬に掛かったが、もうその感触は涙と変わらない。


 守れないのか、と嘆くオラヴ。

 そしてその視界に、チカリと橙色の光が見えた気がした。





「ぎゃああ!!」


 身の丈を越える毒蛇が騎士の頬を噛み、鎧の上から巻き付いて全身を砕く。

 玉石混淆……それも玉はほとんどいない騎士は毒蛇や毒虫に殺され、たまにいる玉もフラム直属の魔法兵に殺されていく。

 望みなどない。森へと逃れた一般人を襲うのは、子犬ほどの大きさの毒蜘蛛。その巣にかかり、麻痺毒を注入されて生きたままただ死を待つ。茂みの中では蚊と蜂の大群が全身にまとわりつき、意識の残るまま血を吸われて徐々に息絶えていく。


 悲鳴と鳴き声と羽音が響くクラリセンの中を、フラムは悠然と歩く。


 仕事などあるはずがない。聖騎士団も駐留していないこの地は、彼女を止める術はない。

 そう彼女は感じ、そしてそれはほとんど事実だ。


 血と毒と悲鳴の坩堝の中、鼻歌を歌う彼女を咎める者はいない。

 彼女が連れてきた直属兵は二十名ほど。そしてムジカル軍正規兵が六十名ほど。その誰もが彼女を畏れ、そして恐れている。


 いい気分だった。

 これでひとまずラルゴから与えられた仕事は終了だ。後はこの地に前線基地を築くだけだが、そのような雑事は正規兵に任せておけば事足りる。聖騎士団への備えとしては、直属兵をいくらか、もしくは全て残しておけばいい。

 そうして自分はこの戦争の第一目標に向かうのだ。


 〈赭顔〉のカラス。このエッセンでは〈狐砕き〉とも呼ばれているらしい。

 噂では、美しい顔を持つ魔法使い。まだ年若く、未来ある力の強い青年。

 なんとも素晴らしく、微笑ましく、そして憎らしい。

 是非とも手に入れたい。その顔、その身体。すれ違えば道行く女を、時には男の顔までも赤く染めるとまで言われる〈赭顔〉の美しい容貌。夜空色の吸い込まれるような瞳。まだ若く、水を垂らせば玉へと弾く肌、整えずとも均整の取れた身体。

 是非とも蒐集品に加えたい。その美しい黒い目の光が消える瞬間を見たい。その肌が惨めに擦り切れていく瞬間をこの目で見たい。


「……っひいいいい!!」


 フラムの目の前に、騎士が一人飛び出してくる。

 そこにフラムがいたとは思っていない。ただ、数羽の毒鳥に襲われ命からがら逃げてきただけの。

「…………っ!!?」

 その男の首を、フラムは掴む。不細工な顔だ。二十代後半、しかしどうせ童貞か、もしくは娼館で経験を済ませたことがある、程度の男だろう。

 突然のことに、男は戸惑い、そして次の瞬間、ようやく敵だと感じた。手遅れながらも。

「あ、が……」

 男の顔が干涸らび、髪の毛が白く染まっていく。口の横、それに小鼻に沿って深く刻み込まれた皺はまだ重ねていないはずの年齢を感じさせる。口元が萎み、開いた口からぼろぼろと歯がこぼれ落ちていく。

 やがて骨と皮だけになり染みだらけの汚らしい干物のように変じた男。投げ捨てられ、地面に落ちればそこで黴の固まりのように砕けて崩れた。


 崩れた粉の山を踏みしめて、フラムは辺りを見回す。

 もう残党などはほとんど残っていまい。逃げ出した一般人は見つけ次第収穫するとしても、あとは部下たちにも確保を命じている治療師団程度。

 あとは適当に集合命令を出すくらいだろう、と僅かに油断していた。



 不穏な気配を感じ、フラムは横に飛ぶ。

 そしてその予感は的中し、わずかに残った髪の毛の先が、横向きに放射された火炎で焦げた臭いがした。


 僅かに残る煙の臭い。血の臭いからそれだけをかぎ分けて、フラムは顔を顰めた。

 自分の髪の毛を焼いた。それは美意識の点からいっても脅威である。許せるものではない。だがそれ以上に、自分の髪の毛を焼いた、そんな炎を発することが出来る魔術師がこの場に残っていることに対して。


「誰?」

「あんたこそ」


 振り返ったフラムの先にいたのは、先ほどの大男を担いだ少女。年の頃は十代中盤。赤い夕日の色をした髪の毛はフラムと同じように背中で流され、そしてそれが快活な印象を持たせる。


 革の鎧を身に纏い、その上からまた革の外套を纏った少女。

 その名はテトラ・へドロン。二つ名を、〈灼髪〉といった。



 フラム様、と毒蛇が足下でシュウシュウという声を上げる。その毒蛇にちらりと目を向ければ、毒蛇はフラムと目を合わせてから、またテトラの方へと目を向けた。

「何よ?」

 面倒に思いつつもフラムが毒蛇に問いかける。何か連絡があるはずだ、という苛つきと共に。

 そのほんの僅かな敵意ともいえない軽い感情に蛇は怯え頭を下げる。それから、身体をくねらせて「入り口側、全滅。目の前の雌に全て潰されました」と言った。


 毒蛇の言葉に鼻を鳴らし、フラムはテトラに目を戻す。全て潰された、と蛇は言った。ならば目の前の少女は何かしら相手を潰す手段を持っており、そして武器らしき武器は腰に差した短剣のみ。では、やはり。


「今蛇と話したわね? じゃあ、あんたは魔物使いで、……五英将様ってことでいい?」

「あなた、私を知らないの?」

 呆れたようにフラムは返す。イラインの人間の情報網とはそこまで滞っているのだろうか。少なくともムジカルでは、自軍に迫るであろう軍の素性は調べるし、敵軍の有力者は人相書きや斥候による案内で誰でもわかるようにする。

 ましてや自分は五英将。ムジカル軍で五人しかいない有力者。いくらラルゴの攪乱により情報網が混乱しているとはいえ、参戦した時点で人相書き程度出回っていてもおかしくないのに。


「あんたがフラム・ビスクローマなら、名前だけは知っているわ。若い男の子や女の子を集めて悦に入ってる悪趣味な変態でしょ?」

「はぁ!?」


 比較的温厚だと自負しているフラムも、テトラの言葉に頭に血が上るのを感じた。

 変態。そのような言葉は言われたことがない。悪趣味、などとは自分でも思ったことがない。

 だが、それ以上の怒りは表に出さない。このような小娘の言葉に心動かされ、動じるなどあってはならない。深呼吸をし、フラムは全力で身体の力を抜く。拳を握り締めぬよう、眉を顰めぬよう。

「……間違ってるわね。私の趣味は、芸術品の蒐集よ。美しい人間を求めているの」

「ふうん」


 胸に手を添え自慢げに、高らかに口にしたフラムの言葉を軽く受け流し、テトラは横を向く。

 倒れているオラヴを見つけ、担いできたが、さすがにこのままでは戦えない。近くの家屋の崩れていない壁にもたれ掛からせ座らせるが、オラヴの目は覚めそうにない。

 壊疽が広がり爛れた顔。先ほどは頬の僅かな部分だったはずだが、それが今では顔の半分近くまで広がろうとしている。時間がない、はやく治療師に診せなければ。


「まあどうでもいいわ。おばさんの趣味なんて」

「おば……?」


 だがオラヴの容態よりも気になることがある。

 今まさに虫たちに蹂躙されている街。聞こえてくる叫び声。血の臭い。

 その他全ての五感に届く事象が、優先すべきことがあると言っている。


 ひくひくとフラムの口元が歪む。小皺のある目元が痙攣する。

 そんな目の前の女性の怒りに気付かないように、テトラは首を横に振った。


 気になることがある。許せないものがある。

 同じではないか。毒鳥や、人間以外のものに蹂躙される街。殺されていく住民たち。血で汚れていく街。原因が魔物使い。

 全部、同じではないか。あの日あの時、クラリセンが一度壊滅したときと。


 親友ヘレナが召集した魔物がこの街を滅ぼした、あの時と。



 テトラが泳がせた手の先で、小さな火種が浮かび上がる。

「許せないのよ」

「…………」

 フラムは決めていた。遺言なら吐かせてやろう。自らを馬鹿にした罪は重いが、寛大で温厚な自分はその程度許してやろう、と。

「ここは私が育った村よ。ヘレナとおじさまと、三人で幸せに暮らしていた村」

 もっともその幸せを壊したのは自分だ、ともテトラは自嘲する。自分の何かが違えば、まだその生活は続いていたのではないだろうか、とも。

 だがそんな幸せなど、享受する資格は既に自分にはない。


「そんな村を、みんなで守った街をぶっ壊すやつを、私は」

 テトラが火種を浮かべた手を振りかぶる。その詠唱や装備のない火種作りに、ようやく魔法使いだとフラムは気づき、そして身構えた。

「許せないのよっ!!」


 振り切られたテトラの手から、砂を撒くように火炎が散らされる。

 火炎放射のようでそうではない炎の鞭をフラムは鞭のように手を振ることで弾き逸らした。


 火とは本来瓦斯(ガス)の酸化反応である。圧力を持たず、熱による変化はあっても、それ単体で物に干渉する能力はない。しかしそのときは、フラムの手の先でバチンと何かを弾く固い音がした。

 炎を弾かれたことも気にせず、テトラは一歩踏み出す。


「掛かってきなさい、フラム・ビスクローマ! このテトラ・へドロンが、あんたを灰に変えてやるから!!」

「粋がってまあ」


 挑発に乗るように、フラムが一歩踏み出す。

 自分の首をひねれば、凝っていたのかコキコキと音がする。


「戦場でよく見るのよ、あなたみたいな子。きっとみんなに褒められて育ったのね。私に勝てると思い上がってるの」

 もう一歩踏み出せば、足跡が紫に、黒に染まっていく。一歩遅れてそこを通った毒蜘蛛が、藻掻いて苦しみ足を広げて動かなくなった。

「でもね、年を考えなさい。経験と言ってもいいわ。まだあなたみたいな小さな子が、私に勝てるわけないでしょう?」

「あら? 年寄りなのが自慢なの?」



 ピタリとフラムの足が止まる。テトラの言葉を一瞬飲み込めず、反芻して笑えてきて。

 笑みを強めて止まった姿に、テトラは何故だかフラムの思考が読めた気がした。



「そういえば、あんたたち五英将って長生きよね。あんた何歳くらいなの?」

「今それは関係ないでしょう?」

「歳のことを言い出しはじめたのはあんたでしょう? おばさん」


 フラムの思考が読めた。何の理由があるかはわからないが、彼女は年齢に何かしらの思うところがあるのだ。そうテトラは確信し、あえてその話題を続けようと囃し立てた。

 ぴし、とフラムの額に青筋が入る。それを悟られぬよう、殊更に優しげな声音を出そうとして、フラムは猫撫で声を発した。

「目が腐ってるんじゃないかしら? あなたは私がおばさんに見えるの?」

「顔だけ見ても皺とくすみだらけ。どうみてもそうじゃないの」


 けらけらとテトラは無理に笑う。

 その笑みが真性の笑みではないことをわかりつつも、フラムの苛立ちは収まらない。


 たしかに目の前の少女からしたらそうだろう。

 見たところ十代。ならば確かに自分も、その頃四十を越えた程度の人間が酷く年寄りに見えていた。

 それに彼女自身、十代の、まだ悩みの少ないであろう肌。それに加えて彼女は特にその点は気にならないらしい。毛穴の目立たない鼻。ニキビや目立った黒子などもなく、法令線も口元の皺も目立たない。

 対して自分は。


 なんとなく吐き気を催し、フラムは話題を打ち切るべく両手を軽く挙げる。


「やめましょう。魔法使い同士、歳のことを言っても意味がないわ」

「そうね、意味ない……わ!!」


 フラムが一歩詰めていた距離を、テトラが詰める。それと同時に、燃え上がるように炎に変じるのはテトラの髪の毛。

 毛の先が靄が掛かるように不明瞭になり、全体が白熱した高熱の固まり。《灼髪》。


「……っ」

 油断した。そう後悔したフラムが、振られて伸びた髪の先を押し止め掴もうとする。

 だがそうしようとした瞬間、手の先に感じた熱気に反射的に手を引き後ろへ飛んだ。


(すごい火力ね)


 軽い火ならばまるでただの煙のように扱うフラムであったが、テトラのものはそう扱えない。

 その理由は、単純な火力。



 魔力とは想像や思考、認識を具現化する力であり、想像とは大抵の場合現実離れしているものだ。

 魔法使いが自らの身体を変質させて守るときも同様。たとえばとある魔法使いのように『自分は溶岩に飛び込んでも平気』という認識。またたとえば『自分は同じ怪我を二度しない』という認識。そのような認識を具現化し、魔力を消費し現実を否定して耐性を持つ。


 そしてその認識も限度がある。

 溶岩に耐えきれる者でも、太陽に飲まれて平気とは思えない、かもしれない。同じ怪我でも、子供の持っている剣による切り傷と比べ、剣豪による魔剣の一撃は違うものだと思ってしまうかもしれない。


 闘気使い同士の戦いは、技量と体力の比べ合い。

 しかし魔法使い同士の戦いは極端にいえば、それぞれの思考、認識の強さの比べ合い。


 フラムは生半可な高温には耐えきれる自信がある。

 しかしたとえば焦熱鬼の放つ高熱に生身で耐える自信はない。


 今まさに《灼髪》を恐れた理由も同じこと。

 その白熱化した髪の放つ熱量は文字通り想像を絶し、フラムの肌を焼くに充分な火力を持っていた。




 周囲を毒の空気へと変えながら、フラムはテトラの髪を避け、時には特に熱に対する障壁を張った手で弾く。

 腰までしかなかったテトラの髪の毛は、いつの間にか身の丈を越える長さを持っていくつもの束に分かれ、縦横無尽に辺りを焼いていた。


 そして警戒すべきはそれだけではない。


 速い、とフラムは内心舌打ちをした。

 《灼髪》に混じり飛んでくるテトラが飛ばす火の玉はそう火力はないものの、フラムでさえ『熱い』と一瞬感じてしまうもの。そしてそれに怯めば、自身を焼ける火力の髪が迫ってくる。

 毒手の攻撃は念動力を帯びたテトラの拳足にはろくに効果を出さず、膂力の差だけで押し返すだけが精々だ。


 先のオラヴという大男と同等の厄介さ。

 直属兵と変わらない。エッセンに、このような強者が残っていたとは。




 もっとも、内心感心までしているフラムと違い、テトラも内心は焦っていた。


(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいい!!!)


 フラムの攻撃を一つ受ける度、受けた箇所の肌が軋んで痛む。打たれて熱くなるはずが、逆に骨までも届くような冷たさまで感じる打撃。見る間に色が変わっていく腕。

 打たれている腹や胸なども同じだろう。先ほどまともに受けてひりつく耳から側頭部にかけての色は、テトラも想像したくない緑に似た色に既に染まっていた。 


 手足が震え、息が切れる。

 やはり、無理かもしれない、と思えてくる。五英将と自分が戦うなんて。



 ここクラリセンは、エッセンとムジカルの境にある街だ。その立地によりエッセン国にもかかわらずムジカル出身の人間が多い。

 そのために、ムジカルの話を聞く機会がテトラも幼少期から多かった。砂漠の景色の話や空に連なる標の話、一日で現れ一日で消える、不思議な湖の話。そして当然、五英将の話。


 強い人間たちだとは聞いていた。畏怖の対象となっているとも聞いた。もしも攻め込まれ、休戦もしないのであればエッセンは勝ち目がない、と大人は笑いながら話していた。

 化け物、怪物、彼らを表す言葉は数多くあれど、どれもが人並み外れたものを指す。


 とても、魔法使いであれども凡人の自分に抗える者たちではない。事実、今でもまだ遊ばれているのを感じる。フラムは本気ではないだろう。こちらは本気で、死力を振り絞っているというのに。



 だが、逃げるわけにはいかないのだ。


 フラムに掴まれた腕から爆炎を放ち、テトラはなんとか拘束から逃れる。

 掴まれたら、そこから肉が腐る。すぐに自分は死ぬ。そう確信していた。


 逃げるわけにはいかない。

 ここクラリセンは、自分と親友の故郷だ。一度は親友の手で滅びてしまったが、それから自分とオラヴがずっと守護してきた大切な場所。


 他のどの場所を焼かれても構わない。イラインが陥落しようが、エッセンが滅びても構わない。

 この街だけは守らなければ。たった一人の親友の墓標。この村、クラリセンを。



 全身から一度炎を放ち、爆発するようにフラムを吹き飛ばす。

 その勢いで隣にあった家屋の壁が一部飛び、屋根に火がついたが、テトラは気にも出来なかった。


 強制的に下がらされたフラムは、舌打ちをしてテトラを睨む。

 遊びすぎたか、と内心反省しながらその腕をぷらぷらと振った。


「やあねえ。しぶといわ……」

「ハン、おばさんはもう息切れしてるの?」

「いいえ」


 自身の息切れを隠しもせず、テトラはフラムの言葉に煽りを入れる。もちろんその様を強がりとみたフラムは、今度は動揺せずに鼻で笑った。


「もう飽きたのよ」


 一瞬、テトラは周囲に風が吹いたように感じた。突風ではなく、抱きしめられるような緩い風。しかしそれでもその不快感に、全身から嫌な汗が噴き出してきた。

 フラムがふうと溜息をつく。殊更に大げさに。

「まだ世の中わかってない子供に付き合ってあげたけど、私はこんなことしてられないのよね。もっとすごく大事な用事があるの」

「子供、ね。あんたからしたらやっぱりそうかも」


 テトラの全身がじくじくと痛み始める。

 視界の中、ちらりと入った指先、爪の裏が黒く変じているのを見て、心臓が跳ねた。

 フラムが撒いているのは毒。それも先ほどまでよりも数段強いもの。


「ねえ、あんた、魔術ギルドで勉強したことある?」

「ないわ」

「そう。じゃあ、一個教えてあげる」


 言いながら、テトラは魔力全てを身を守ることに集中させた。そしてそれでも防げない毒の浸食に、指先が引きちぎれたようにも感じた。


 フラムの頭から爪先までを眺めるように見て、テトラは意地で笑う。

「……魔法使いの外見年齢がどうやって決まるか、それは私たちの研究の永遠の謎の一つと言われてるわ」

「何の話が始まったのかしらぁ」

 また年齢の話。そう悟ったフラムが、また笑みを強める。今度は歯を見せたどう猛な。


「今一番有力な説、それはね、自分の自己認識によるもの、っていうの」

 舌が痺れて縺れる。それでも懸命に魔力を込めて毒を追い出し、テトラは声に震えを見せなかった。

「魔法使いの身体の外見で、一番魔力の影響が出やすいのは髪。魔力を生み出す脳に一番近くて、周りからも見えるから、ともいわれてる。色や長さなんか……あたしの《灼髪》も一緒ね」

 実際には頭蓋骨や、舌、それに眼球などもそうなのだろうという予測はあり、テトラもそれに賛同している。だが眼球はまだしも、舌の長さや頭蓋骨の形や色など、何かしらの想像をする者はいないために変異していないのだろう、と。


 もちろんといってはなんだが、エウリューケ・ライノラットはその説に部分的に反対している者の一人だ。

 人が自分を想像する際、髪型だけならばまだしも、髪の色など曖昧で、ましてや長さなど正確に把握している人間は少ないだろう、と。

 髪の毛が変異する、ということは否定しないまでも、それが一番とは言い切れず、変質したとしてもそれは穏やかに変わるだけなのではないか、とも。


「顔の造形や肌の色なんかは、元の自分のものを手足を見たり反射で見たり、なんてしてるから中々変わらないらしいのよ。するとしても、生まれてすぐ、くらい」

「……何が言いたいのかわからないわね」

「じゃあはっきり言うわね」


 テトラは、少しだけ震える指をフラムに向けて持ち上げる。全身を覆う寒気が、身体を噛んでいる気がする。それでも、その声に力強さをなんとか乗せたかった。


「魔法使いの歳はね、自分が自分で『これくらい』って思っている年齢で止まるの。何? もっとわかりやすく言って欲しい?」

「いいわ、黙りなさい」

「あんたは歳を気にしてるみたいだけど、あんたはあんたが自分でババアだと思ってんのよクソババア!」






 フラムの制止を聞かず、言い切ったテトラ。

 一瞬、その場がしんと静まりかえる。

 だがその静寂の中で、フラムは自分の頭が立てる音を確かに聞いた。


「……んの……」

 フラムの身体が震える。

 自分でも抑えられない怒り、とはこういうものだったのか、とどこか冷静に見つめている自分もどこかにいる気がする。

 上空に向けて解き放たれる空気は、瘴気のように黒く濁っている。


「このっ!!! 小ぉぉ娘がああああああああっ!!!!!」



 怒りに任せてフラムが解き放った魔力の波は、その突き通った地面を、壁を、木材を全てとろかし変質させてゆく。

 反射的にオラヴと自分を結び大きく障壁を張ったテトラだったが、その魔力の影響を抑えられずに目の前に突き出した手の表面がぼろぼろと崩れていくのが見えた。


 オラヴは無事。そう確認すると同時に、テトラの足に力が入らなくなる。

 毒々しい紫に染まった泥のような地面に突っ伏すように倒れ伏せば、汚物のような悪臭が鼻に突き刺さった。


(あ、やっぱり勝てないわこれ)


 正気を失えばまだ勝ち目があるだろうか。テトラはそう思い挑発し、そして結果その分の酷く悪い賭けに負けたと今確信した。

 テトラの頭を、フラムが強く踏みつける。側頭部を踏まれ、半分泥の中に頭が埋まりかけたテトラは、フラムの長い裾越しに見上げるように顔を睨み付けた。


「言い残す言葉があれば聞いてあげる。さっさとその今までの人生で糞しか吐かなかった口から、私に看取られるための尊い名誉の最後の言葉を吐きなさい」

 一転して優しげな口調のフラムだが、足に込められた力にテトラはその内心が読み取れた。

 頭が痛い。身体全体が痛くて重い。


 諦めたくない、とテトラは今になって思った。

 ここまで鍛えてきたのが無駄だった、とは思いたくない。クラリセンが壊滅し、オラヴが町長に就任した後、テトラは魔術ギルドの修行を一からやり直した。

 魔法使いという力もあり既に一等魔術師だった身分を、無理を言って三等まで落とした。

 街を守るために、村を守るために必死になった。それでようやく、上等魔術師に至れるかもしれない身までこの身を取り戻した。


 その力で、クラリセンを守れると思った。

 親友と一緒に遊び、暮らしたこの村を守れると。


 それでも。


 これが運命だったのだろうか。

 あのクラリセン壊滅の時、私は泣いた。何がどこから間違っていたかわからないと、あの魔法使いの少年カラスの前で。

 でも今になって思う。


 間違っていたのは最初からだ。


 まだクラリセンが健在だったあの頃。ヘレナが犯罪に荷担していると知ったあの時。

 イラインで出会ったレイトンというあの男に試されるようにして、カラスと自分はヘレナを生かすべくレイトンを説得した。

 だが、そのときからだった、間違いは。


 人にしたことは、やがて自分に返ってくる。

 テトラはそう信じている。

 人に優しくすれば優しさが返ってくるし、酷いことをすれば酷いことが返ってくる。

 人を助ければ誰かが自分を助けてくれる。人を傷つければ、誰かに自分が傷つけられる。


 だからなのだろう。

 自分は前町長を殺すことに反対しなかった。殺すことに荷担した。だからそのせいできっと、巡り巡ってヘレナが死ぬことになったのだ。


 そしてヘレナが死んだのは間違いで、きっとそのとき本当は、自分が死ぬべきだった。その償いをヘレナが受け、それで済んでしまったのが間違いだった。だから今自分は、ここでフラムに殺される。償いをするために。



 この数年、自責の念は、テトラを苛み続けてきた。

 彼女が数年も悩み続けたその答えが、今目の前で出ている気がした。


 そしてそれでも、それが『答え』でも、やはり自分は諦めたくない。


「いいことを教えてあげる」

 にやつくテトラを怪訝に思い、そして『教えてあげる』という二度目の言葉に少々の苛つきを覚えつつ、フラムは足に更に力を込める。

 もう一息で頭蓋を砕ける。魔法使いはその程度で死なないことが多いが、苦しめるためにはちょうどいいだろう、などと考えながら。

「あんたがどれだけの人を苦しめてきたのか、なんてわかんないけど、きっと多いんでしょ? 数え切れないくらい、きっとあんたを恨んでる人は大勢いる」

「それが?」

「あんたはまだ知らないわ。自分がやったことはね、絶対、必ず、どっかで、……」


 テトラは最後の力を振り絞る。

 身体の力を完全に抜き、魔力をより濃く、より多く絞りだそうとする。


 自分が溶けていく感覚。この世界のどこまでも広がっていけそうな、一種心地よい感覚。

 まるで楽園にいるかのよう。一瞬そこに浸りたく思ったテトラだったが、それは出来ないと身体を動かさず内心首を横に振った。


 楽園に火をつける様を想像する。火種を放り込み、全てを灰燼に帰すように。


「絶対、どっかで返ってくんのよ! 糞ババア!!!」




 テトラが想像するのは、先ほどのフラムの姿。

 天までも届きそうな瘴気を解き放ち、石畳の地面を紫のぬるぬるとした泥に変えた姿。


 簡単な魔法だ、とテトラは自分で思う。

 その火力を、得意の炎に変えるだけなのだから。




 爆炎が火柱を作る。

 フラムとテトラを中心に巻き上がった火炎は付近を飛んでいた毒鳥や毒虫たちをも燃やし、彼女らを中心に更地を作る。

 全ての魔力を使った。薄れゆくテトラの意識の中で、視界の中に煙が満ちる。


 咳き込むような臭い。吸ってしまえば咳が止まらなくなる気がして、懸命にテトラは息を止めた。


 自分の頭を踏んでいるフラムの足。

 その先にいる女が少しでも傷ついていてほしくて、最後の力を振り絞り、テトラは見上げた。


 けれども。


「すごくびっくりしたわ。小娘にしてはやるじゃないの」


 その視線の先には、無傷のフラム。にやにやと笑い、そしてテトラの頭を踏みつけている力をわざと抜いて、ぐりぐりと嬲るように動かした。


「でも、駄目よ。奇襲ならもっと思い切りよくやらないと。誰かを守る、なんて考えちゃ」

 フラムは近くの無傷に近く残った家屋に視線を向ける。そこには、意識を失ったまま、衝撃で倒れたオラヴの身体があった。

「おかげで障壁を張る時間があったわ。馬鹿みたい」



 フラムはひとしきりテトラの頭をぐりぐりと踏んでから、一度足を頭から離し、もう一度力強く踏む。

「あぎっ……」

「じゃあ、最後の言葉はさっきのでいいわよね。もう忘れたけど」


 みりみりとテトラの頭蓋骨が音を立てる。他にも妙な音が、テトラは耳の中で鳴ったように感じた。何かを引き伸ばすような、弾くような。

 あはははは、とフラムの高笑いの声が響く。テトラの頭の中の音にそれが混じり、不協和音がガンガンと暴れるように鳴る。


「あなたとの遊びは楽しかった……やっぱつまんなかったわ。さような」


 だん、とどこかで音が鳴った気がする。


「にゅ」


 フラムの素っ頓狂な声に続き、テトラは頭に乗せられた圧力が消えたように感じた。

 不快だった音が止む。代わりに風の音が、ようやく聞こえてきた。



 瞬きをしたその視界の中で、フラムが鼻を押さえ、押さえた手の隙間から血を流しているのが見える。

 そして他に誰かいる。足が見える。革靴。木綿の下衣は、その上の不思議な色の外套ですぐに隠されていた。

 黒い髪。こちらを向いていないが、眼鏡をかけているらしい。


「救援に来ました」


 その声は、どこかで聞いたことがある。テトラは記憶の中を捜索し、当てはまりそうな人物を探そうとする。

 だが誰だろうか。わからない。


 こちらを向いてくれないだろうか。ぼやけた視界の中でも、こちらを向いてくれたらわかる気がする。きっとどこかで会ったことがある。彼と。ここで……。


 テトラの願いが叶ったように、肩越しに見下ろすように、彼が頭だけで振り返る。

 テトラと謎の男の視線が交わる。端正な顔、まるで魅了されるような。


 そしてその顔は、やはり見たことがある。

 たしかに、ここで、この街で。


「僕の分、残しておいてくれてありがとうございます」

「……あんた……」



 笑いかけるカラスの顔を見て、テトラは何故だか『ありがとう』でも『どうして』でもなく、『あの時はごめん』という言葉が脳裏に浮かんだ。





次回『第三話』coming soon...

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― 新着の感想 ―
おばさんの自己認識がおばさんで世界認識がおばさんで彩られて 小娘には軽口叩かれるし、おきにの推しは挨拶代わりの男女平等キックで顔壊しにくるし 最近の若い子は怖いワ!
[一言] (>_<)えー セーフじゃないのぉ?
[一言] ⊂( • ̀ㅂ•́ )⊃セーフ
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