我らエッセンに進軍する
五英将パートも三人称本編です
長征の時が来た。
五英将が一人〈成功者〉ラルゴ・グリッサンドは青空の下に広がる砂漠を見つめる。見つめるのはその先、ネルグの森の向こう、遠い隣国エッセンである。
ムジカル王グラーヴェに任された任は、エッセンを奪ること。その国という枠組みを破壊し、先へと進めること。
王都ジャーリャの外に並べられた兵たち総勢二百名ほどは、皆五英将の直属兵だ。
もっともその統べる者の性向から比率は大きく偏り、最も多い〈歓喜〉イグアル・ローコの配下は百名を超え、最も少ない〈眠り姫〉トリステ・スモルツァンドの配下は一名のみ。
それでも、この軍事商業国家ムジカルの、核ともなる軍である。
「ラルゴ。僕は先に行く」
イグアルが、静かにラルゴに歩み寄る。いつも通りの愉しみを、今回の戦でも享受すべく。その身体を覆う包帯に砂が絡み、肌に突き刺さるような感覚を覚え、それすらも愉しみながら。
ラルゴは長い黒髪を棚引かせて微笑む。
「そうしろ……とは今回は言えない。お前たちにはやってもらうことがある」
「お前……たち?」
イグアルはその言葉に首を傾げ、その対象となりそうな者たちに目を向ける。まずは己の部下たち。唯一直属の部隊を複数持つイグアルの部下たちへ。
しかし、そうではないと感じる。部下たちは手足。イグアルに何かをさせるともなれば、必ずその命に従いついてくるはずだ。
そして、ならばと目を向けるのは同輩たち。ここにいる五英将、残り三人へ。
ラルゴは頷く。
「ああ。お前たちだ。特段お前たちには難しいことでもない」
そしてラルゴの視線も、他の五英将へと。
「フラム、イグアル。お前たちはまずネルグ外南東部で待機している第十五位聖騎士団を叩いてもらう。手段は問わん」
「二人で?」
「そうだ。二人でだ」
イグアルとフラムは共に不思議に首を傾げる。
「どっちかだけでいいんじゃないの?」
聖騎士団とはエッセンの最高戦力の一人。強敵ではある。それこそ万全の備えの上位聖騎士団であれば、無策の五英将単騎では万が一すらある程度の。
しかし、それでも二人は過剰だ、と二人共が思った。そもそも自分たちすら不要だとも。
砂漠地帯はムジカルのもの。兵たちは砂漠に慣れ親しんだ者たちで、逆にエッセンの兵たちは砂漠に慣れているものは少ない。地の利がある以上、仮に五英将が出ずともイグアルの直属部隊が一つ出れば充分だろう、と。
そしてその任を、フラムとイグアルは視線で互いに押しつけ合う。
そこに行くとしても一人で充分。ならばそれは自分ではないもう一人の仕事だ、と互いに。
「その言葉に異論はない。だが、お前たちの運用は私に一任されていることを忘れるな」
二人の仕草を止めるため、あえてラルゴは強い言葉を使う。二人はその言葉に一瞬動きを止めて、それぞれラルゴを睨むように見返した。
「忘れてない? 僕とお前は同格なんだが?」
「ついでに私も」
ふう、と溜息をつきながら、それとなくラルゴは半身を引き視線を向けずに横を示す。
そこには腕を組んだまま、じろりと二人を見下ろしている半裸の老人、〈鎮守〉ジェネロが立っている。
彼の姿を見て、二人は口を噤む。重々しい威圧感をその身に受けて。
威光を笠に着ている、と自身でも少々後ろめたくなりながらも、黙った二人に向けて姿勢を戻しラルゴは咳払いをした。
「まだエッセン国内の戦意を削ぐわけにはいかない。故に、お前たち二人だ」
「何故?」
「お前たち二人相手ならば、聖騎士団が負けようとも納得がいくだろうからな」
ラルゴは内心付け足す。
いつもならば、二人の言うとおりだった。聖騎士団一つを落とすのに、五英将一人でも構わなかったし、出ずともよかった。
だがそれは、一時和平を前提にした戦ならばだ。
「無論、落とした聖騎士団や、そこにいた兵たちはお前たちのものだ。好きにするがいい」
「当然だよ」
イグアルの露出した目元が笑みに歪む。そしてラルゴとどちらか、でもなく、トリステとどちらか、でもなく自分たち二人がまとめられたのはそのためかとも内心納得した。
「フラムはその後西進。イグアルは北西方向から聖騎士団を始末しつつ西進。細かい指示はそれから私所属の斥候兵が出す」
「あら、なんで? 黄鳥でいいじゃない」
「今、その行動は全てカラスに掌握されているという報告がある」
「カラス?」
「〈赭顔〉だ」
面倒だ、とラルゴはまた溜息をつく。
エッセンには魔物使いがいない。いくらかを有するムジカル軍とは違い、そういったことが出来る者はいないと思っていたのに。
カラスという名に一瞬心当たりがなく、それでもまさかと思い、そしてそれから異名までを聞いてフラムの顔がパアと明るくなる。
実際に会ったことはない。けれどその伝え聞く美しさを、何度夢に見たことだろうと。
「あの子も参戦しているのね? どこ?」
「ネルグの中を、こちらの拠点を焼き潰しながら真っ直ぐに東進している。この分ならば、あと二日もあれば砂漠まで出るだろう」
そしてまた面倒なのがここだ、と内心ラルゴはまた溜息をついた。
どうやら、魔物溢れる聖領ネルグは、彼の歩みを鈍くする効果がきちんとあるらしい。しかし、そこからはそうではない。砂漠地帯はそこで生活していたこともある彼にとっても慣れ親しんだものであるし、歩みを止めることはないだろう。
その上砂漠地帯まで出てこられてしまえば、伝え聞く彼を止める術は雑兵にはない。
なんとしてもネルグ内で仕留めなければならない。
もしくは、出てこられた場合は……。
「ねえ、なら第十五位聖騎士団はイグアルとトリステに任せればいいんじゃないの? そのカラスは、私が」
「トリステには別の任がある」
そしてこれも面倒だ、とラルゴは重ねて思った。フラムがカラスに執着していることは、部下のカンパネラから聞いている。既に幾人かの工作員を独断でエッセンに入れ、誘拐まで企てていたことは。
「それじゃ、私は聖騎士団を潰した後そっちに行くとするわ。それならいいでしょ?」
「いや……、……それは、もう一つお前が任を果たしてからだ」
「もう一つ?」
「王領とライプニッツ領の要。ネルグの南側。そこに、前線基地を作る必要がある」
万が一の恐れがある、という本音は言えない。
もちろん彼女も魔法使いとして恐るべき強さを持つ。相手の肉を腐らせ、骨を塵に変える恐ろしい魔法。単騎の聖騎士団長程度ならば問題にもならない。
しかしフラムの真価は単騎の強さではなく、魔物を群れで戦場に投入する軍の強さだ。
「……なら、そこまでいったら?」
「それまでにカラスが生きていれば、いいだろう」
「ならいいわ。どうせお前たちに〈赭顔〉は殺せないでしょう」
ふふ、と笑ってフラムは納得する。
カラスを拉致するために追わせた部下四名が戻ってこなかった。懐柔されるような者たちでも、逃亡するような者たちでもないはずだ。ならば、撃退されたとみて間違いない。
そんなことを出来るカラスを、同輩といえども簡単に殺せるわけがない。
その軽口を他の五英将も否定する気はない。
ここで『殺せる』『殺せない』を言い争うのは簡単で、そして不毛なことだ。それよりももっと単純で、簡単で、確実な『殺した』という証明法があるのだから。
そして別の意味で否定する気もなかったトリステが、おずおずと足を踏み出す。今の今まで話題に上がらなかった自分の身が気になり。
「私は、何をすれば?」
乾いて破れ皮がめくれた唇を動かして、小さな声でトリステがそう尋ねる。
五英将で唯一御するのに苦労しない彼女を、ラルゴは侮りを隠しながら見た。
「トリステ。お前はネルグを北方方面から回ってもらう。狙うは副都ミールマン。そこにいる、第三位聖騎士団と共に瓦礫の山に変えてやれ」
「……え……?」
トリステの隈が目立つ大きな目が見開かれる。
もとより、自身が扱うのは発動すれば無差別に破壊行動を行う魔法だ。友軍との別行動は慣れている。聖騎士団の相手というのも想定内だ。他の五英将が当たる以上、自分が当たらないわけがない。
しかし。
「北から……? なんで……?」
「サンギエ越えが不服か?」
あえて的外れな言葉でラルゴは聞き返す。トリステが聞きたいことは、そうではないのに。
「無論ネルグを通っても構わない。身体強化すれば一日もあれば踏破できるだろう。あと二日程度、たったそれだけだ」
「……そう、あと、二日……」
「出来れば感づかれたくない。それまでは、《悪夢》は使うな」
「…………」
トリステはその言葉にほんの僅かな光明と、そして絶望を見出す。
あと二日。あと少しで思い切り眠れると思っていたのに。それは、今日中にも訪れる僅かな安息だと思っていたのに。それでは、私はあと二日も、この幻覚や全身を覆う悪寒に耐えていかなければいけないのだろうか。
景色が歪む。砂漠で目が眩んだように。慌てて眠気覚ましを鼻の下にあてがえば、誰かが自分を笑っている気がした。
しかし、なら。
「早い分には、いい?」
「構わん」
「なら、もう出る……」
会話を切り、トリステが一歩踏み出す。
従者の中年男性はそれを追って動き出したが、その後ろ姿が蜃気楼のように歪んで一瞬躊躇した。
それでもゆかなければならない。蜥蜴への騎爬は彼女には危ない。事実一人で乗りこなすことは、彼女には出来ないのだから。
「じゃあ、僕たちも」
「ええ」
移動を始めよう。配下の兵たちにもそう号令をかけて、イグアルとフラムが歩き出す。フラムの騎爬は輿のついた豪華なもので、イグアルはそれを見て、周囲に見えないようにクツクツと笑った。
砂漠から兵が放たれ、残った五英将はラルゴとジェネロの二人のみ。そしてジェネロには、言わずとも必ず従事する仕事がある。
「万が一の時、この王都を頼みます」
ラルゴがそう言うと、ジェネロは腕を組んだままじろりと見下ろす。その態度は、誰に対しても変わらない。ただ彼と、彼の後ろに立つ兵たちは、無言でそれに応えた。
ラルゴはまた、青空を見て溜息をつく。
その仕草に、今まで言葉を発さずに横に侍っていたカンパネラが口を開いた。
「申し訳ありません、私が調略出来なかったばかりに」
「いや、なに」
カンパネラは察していた。この戦でラルゴを悩ませるものを。
探索者カラス。古くは〈狐砕き〉、そしてムジカルでは〈赭顔〉、また今戦場では〈静寂〉とも呼ばれつつある彼のことだ。
聖騎士団相手ならば、ラルゴが悩むことはない。悩むとしても第三位聖騎士団長エーミール・マグナとの知恵比べ程度のことで、そしてそれも悩むというよりも知的遊戯の感が強い。
けれど、今はそうではない。
明らかにラルゴは、強敵カラスのことに悩んでいる。厄介だ、とまで思っている。もちろんそれ自体は、彼を賛美するカンパネラの中での最上級の讃辞となり得る。
だがその悩みが、自分の手により引き起こされているのであれば。
「……強いな、カラスは」
「ええ、それはもう。エッセンにはもったいないくらいの」
本当に、自分が彼をムジカルに引き入れられれば全てが上手く回ったのだ。そうカンパネラは後悔する。
そうすればラルゴはそれに頭を悩ませることはなかったし、もっと簡単に栄光を手に入れられる。
彼に対抗するために、あたら有能な兵が死ぬこともなかった。彼の手によって殺された千人長たちも、ムジカルでは一廉の人物たちだったのに。
そしてなにより、彼がムジカルについたのならば。その有能な力を決して腐らせることもなく、彼自身鬱屈した日々を送ることなく、そして彼の国と一緒に沈むこともなかったのに。
「私の失敗です」
カンパネラは深く反省し頭を垂れる。有能な人材は世界の宝だ。その全ては太陽であるラルゴ・グリッサンドの下で適切に正しく扱われるべきなのに。
ラルゴの下に入るはずだったカラスを逃した。いずれこの国の王となるだろうラルゴに正しく使われるはずだった千人長たちを死なせてしまった。それは全て、自分の責だ。
「私の」
「それは違うな、カンパネラ」
自身を責める言葉を繰り返そうとしたカンパネラに、ラルゴは笑いかける。グラーヴェほど優美ではないが、それでも力強い太陽の笑みで。
「お前の報告から、私はカラスの調略を許可したが、命じてはいない」
ムジカルにいたときには、有能な男がいる、と聞いた。エッセンに彼が渡ってから、その心がエッセンから離れかけている、と聞いた。だからと許可した。それ相応の地位と待遇を以て迎え入れようと確約した。
しかし。
「だがカラスの調略をしろと命じれば、お前は確実にそれをこなしたはずだ。違うか?」
「…………」
絶対にしてこいとは命じていない。立場としては、カンパネラの独断を許可した、という程度のことだ。
そして目の前の忠実な部下は、必ずそれを成し遂げると信じている。
「俺……私はそれを命じなかった。そして今そのせいでカラスに手を焼き、そしてどうにもならなくなった、……となればそれは私の失敗だ。そうだな?」
「…………」
カンパネラは、同意出来ずに困り果てた。敬愛するラルゴの言葉を否定も出来ない。だが肯定も出来ない。何せ、彼は……。
「そして、私は失敗するか?」
「…………いいえ。そのようなことは、決して」
「だろう」
鷹揚にラルゴは頷く。力強く太い眉の下、大きな目がカンパネラを射貫く。
「気にすることはない。全ては私の成功のための一つの踏み台だ。足下の水たまりも、遠くに広がる湖までも」
約束された成功の道を歩く。だからこその〈成功者〉。
そして、全てを成功へと変える。だからこその〈成功者〉。
ラルゴは部下の方を向く。カンパネラほどの重用はしていなくとも、それでも信頼している自身の部下たちへ。
「カラスに道を用意する。潰しやすく、焼きやすい。徴兵された兵どもを集め、ネルグ内の拠点作成を急がせよ。詳細は追って伝える」
指示された直属兵が、眉を顰める。強兵の前に弱兵を立たせる。それは犬死にをさせるだけで、単なる悪手なのではないだろうか。
「よいのですか? それでは犠牲が」
「構わん。強ければ生き残る」
カンパネラには、ラルゴの考えが理解できない。
だが、一つだけはわかる。
「予定通りだ。全ては予定通り。私が指揮を執る限り。……だからお前への命令にも変更はない」
この人についていけば、必ず成功の道がある。
「かしこまりました。ではそのように」
太陽王は、遍く全ての人を照らすという。
ならば自分にとっての太陽は、この人しかあり得ないのだ。
カンパネラはそう思った。




