我を見よ
僕は頭の中で懸命に何度も兵たちの動きを考える。
大丈夫、多分これで合っているはずだ。
「単独行動の許可をもらいたいんです」
「単独行動?」
「ええ。斥候の」
オセロットは片眉を寄せて僕に怪訝な目を向ける。僕はその目を見つめ返すことなく地図に向けた。
地図を見て、僕は考える。
完全に敵拠点に重なってではないが、敵拠点を結んだ敵の勢力圏の中にはいくつもの村があった。彼らは今もなお、彼らがムジカル軍に見つからずに安穏と暮らしている可能性も、一応はある。もちろんそんなことはほとんどないことくらいは僕でもわかるけれど。
ムジカル軍による捕虜への虐待はあると言い切れる。村などがあることを知れば、ムジカル軍は迷わず襲い、そして昨日も見た『惨い』ことをするだろう。そして、今まさにしているのだろう。
だがその捕虜は、この全ての敵拠点に存在するのだろうか?
「この四つの敵拠点全てに捕虜がいる、という予測ですが、それが確実かはわかりません」
「まあ、……そりゃそうだが」
「そして仮にそこに捕虜がおらず敵兵だけならば、私は思い切り魔法が使えます」
あ、とオセロットは声なく口を開く。僕はその動作に、説明を加える。
「もちろん私一人では包囲殲滅など出来るわけもありませんし、討ち漏らしも出るかもしれません。しかし、今日を安心して眠れなくなる程度には、拠点の形を変えてきましょう」
もっと簡単に言えば、拠点を破壊しよう。そこまでの大言は中々吐けないが。
「…………なるほどな」
オセロットは机に手をついて寄りかかり、三白眼を見せるように僕を上目遣いで見た。
「ただしこれは、相手の位置を把握していることをこちらだけが知っている、という利点を捨てることでもあります。仮に一つでも敵拠点を落とした場合、他の拠点の警戒は増して明日以降の強襲に問題が出るかもしれません。その辺りを考慮して、ご意見を伺いたいのですけれども」
「…………」
じ、とオセロットは黙って僕を見つめる。まるで睨まれているかのように感じてしまう。多分違うとも思うけれども、実際に睨んでいるのかもしれないとも思う。
沈黙に雨の音が被さる。湿り気のある空気が雨でようやく冷えてきた。
「…………。……捕虜の救出までは……難しいわな」
そして長い沈黙の後にオセロットはようやく口を開くと、その言葉の最中にため息をついて自ら中断する。嘆くように。
「敵がいることを察した奴らが、捕虜を後方へ急いで送る可能性もある。救出したい俺としちゃ、それは困る」
……駄目か。
「ムジカルの兵が、そこまで臆病でしょうか?」
「何?」
「先ほどの男によれば、情報の交換は毎朝のはず。討ち漏らしが伝えることを除けば、明日の朝まで他に伝わる可能性は低いでしょう」
失敗を悟り、僕は話題の方向を修正する。オセロットがその可能性に気付かなければよかったのに。
そして探した根拠がそれだ。オッドだっけ、さっきの男はそう言っていた。随時連絡を取り合っているわけでもないごく緩い連携。故に、そこまで迅速な動きはまとまっては出来まい。
「また、樹液路を渡れないのはムジカル兵も同じはずです。流れに乗って魔物が現れることまでは知らないかもしれませんが、水の怖さは知っている。こちらが渡れない、とも思っているのではないでしょうか。……ならば、敵はどこから来た、と考えるでしょうか」
「……近くにいるってか?」
「そうですね。捕虜を逃がすよりも、周辺の探索を優先する……のではないかと」
なんとか理屈をつけていく。さすがに苦しいだろうか。
しかし、一応理屈は立っていると思う。
合わせて三千人の軍勢といえども、指揮する者がいなければ烏合の衆だ。
四つの拠点に全て千人長クラスがいるとも思えず、百人長が数人それぞれの拠点にいるのだろう。そして頭が増えれば、統一された指揮は難しい。
「周辺、それも樹液路で遮られていないどこか近くに敵の拠点があるかもしれない。どこかでまだ『収穫』が出来るかもしれない。そう思えば」
それはさっきの大男を見た僕の印象から。
エッセン兵の習性を熊だとしたら、ムジカル軍は蜘蛛だ。
自らのものを守ろう取り返そうと固執する熊と、今まさに貪り食っている最中の餌があろうが新たな獲物を見ればすぐさま食らいつく蜘蛛。
大男はわざわざ僕の首を取りに来たのだ。拠点を半壊させたのが僕だと知っているにも関わらず。自分なら勝てると誇りを持って。
「また、仮に僕の取り逃しが多くなれば、更に敵は勢いづくのではないでしょうか。『これだけ集まったのだ、どんな敵でも勝てるだろう』なんて」
さすがにそこまで多くを逃がす気もないが。出来るだけ、取り逃がさないようにはする。
けれども、大人数になって、自分が多数派だと確信出来れば、気が大きくなるのは人間たちの習性だろう。
集団になった人間たちは、簡単に酷薄で醜い存在になる。
僕はそれをイラインで何度も見た。
……本音をいえば、オセロットの言葉の通りなのが僕にとっては理想なのだ。
一つ二つの拠点を破壊し、残りは捕虜を抱えたまま撤退させる。そうすればまたオセロットが東進するまで戦場は作られないし、勇者は戦わない。捕虜が酷い目に遭うということさえ除けば、僕にとっては一番望ましい展開なのに。
「……だが……」
しかし、ここまで言ってもオセロットは乗り気ではない。
言い淀むように言葉を止めて、僕への反論を練っている。まあ多分、少し考えれば僕の拙い理論など穴はいくらでも見つかるのだろうが。
仕方ない。ならば次だ。出来ればやりたくない、程度には僕も否定的な案。
オセロットが次の言葉を出す前に、と僕はそれを口に出す。
「今から急ぎ、少数精鋭でいくらか樹液路を渡っていただくわけには?」
「勇者と同じだな。寡兵になっちまえばそっからどうにもなんねえよ」
だろう、と僕も思う。兵を分けることはないにしろ、そもそも少人数では拠点の急襲には足りないだろう。
だがその勇者の案とは、一つ違うことがある。
「その方々は、そんなに大人数と当たることはありませんよ」
「…………まさか、カラス殿一人だけで……!?」
オセロットではない、どこかの騎士団長の方から声が上がる。
そうだ、そのまさかだ。
「はい。三十人もいれば充分ではないでしょうか。仮拠点が一つ作れる程度いれば問題ありません。捕虜の確保だけお願いしたい」
戦闘は僕が行う。拠点も僕が一人で潰す。
ただし、捕虜の奪還だけは僕だけではおそらく不十分だ。一人二人ならばまだしも、おそらく弱っているであろう大人数を引率して森の中を移動するのはさすがに厳しい。
もちろん、その場合の仮拠点の人間も、大軍と当たるわけではないが戦闘はある。
だからこそ精鋭が必要なわけで、そして失敗すれば精鋭を失い多大な被害が出る。
先ほどの僕の案と比べても、簡単に頷ける話ではないと思う。だが、こちらなら。
「……簡単にゃ頷けねえな」
「やはり難しいですかね」
何かを考え込むようで、それでいて厳しい顔をしているオセロットの顔色を僕は窺う。
オセロットにとって、僕の発案はどこまでが受け入れられるものだろうか。最初の斥候までは好感触だったと思うけれども。
ならば、と僕は人差し指を立ててオセロットに示す。まだ何かを言う前に、最後に。とっておきで、正直やりたくないもの。
僕はため息をついて覚悟を決める。
「なら、最後に一つだけ。僕の発言はそこまでで打ち止めで結構です」
「おう?」
一番やりたくないもの。
だが、オセロットに対しては一番効果的なのではないだろうか。
……いや、落ち着いてしまった以上、ちょっとそれもわからないが。
「拠点ごと移動しましょう。後詰め以外、皆でこれから川を渡るのはどうでしょうか」
オセロット以下、皆の顔に疑問符が一斉に浮かんだ。
あらかたの話がまとまり、ぞろぞろと天幕を出る僕たち。
これからまた大移動だ。軍を二つに分けることにはなったが、二等分にするわけでもないのでまあ数としては問題はないだろう。
あとは、勇者だが、後詰めに入れるという僕の進言が通ればあとの対処はなんとかなる。
対勇者の僕の方向としては、彼には何もさせないのが一番だ。出来ればクロードの本陣で、もっと言えば王都で安穏と待機していてほしい。
それが出来ない以上、拠点攻めには参加させず、この陣に留め置くのが最善だと思う。
それに先ほどの大男、オッドとの戦いを見ても、やはり彼は戦場には向いていまい。
もちろん、素人ではない。戦いを生業としていない一般人と戦えば十中八九彼は勝つだろうし、人を殺すことももはや痛痒を感じていないようだった。
ならば最低限の自衛程度は出来るだろう。魔法使いということから、最低限の魔法へ抵抗力もある。
けれども、現時点ですら彼の命があるのは単なる武器と防具の効果に過ぎない。不壊の金属を贅沢に使った宝剣と鎖帷子に阻まれ、刃が身体に食い込まなかっただけで。
無駄に命を散らすことはないだろう、と思うのはお節介だろうか。
いやまあ、きっと彼にとっては、間違いなくお節介なのだろうが。
「…………」
雨を防ぐため、多くの人間たちはそれぞれの天幕の中に入っている。
捕虜たちの療養を兼ねて仮に設営されたこの拠点には、元々人が多くはない。故にあぶれることなく多くの人間が天幕の中に入ることが出来ている。
そしてそれぞれの騎士団や治療師団などが設営している天幕の多くは部外者立ち入り禁止というわけではないが、レシッド程度の対人能力がなければ、自身と無関係な場所に立ち入るのは憚るものだ。
資材置き場などを借りればいいのに。
勇者とその配下たちは、茂った木の枝でかろうじて雨を防げるような場所に小さな筵などを設営し、強行軍の疲れを癒やしているようだった。
その外れにいた勇者は、木の幹に寄りかかって捻れた根に座り、前を通りかかる僕を一瞥した。
「……気分、いいっすか」
僕が通り過ぎてからぽつりと勇者が呟く。おそらく話しかけられたのだろう、と思いつつ立ち止まり顔だけわずかに振り返っても、勇者はもうこちらを見ていなかった。
だが僕の仕草に、会話が成立していると思ったのだろう。こちらを見ずに、また口を開く。
「大手柄だってよ。大きな魔法を使って? 魔法使いを殺したって」
「そうですか」
僕は身体ごと振り返り、水滴のついた眼鏡の位置を直す。
「大したことをしたつもりはないのですが」
「…………」
思わず謙遜を口にするが、勇者は応えず黙り込む。
僕はその様子に、嫌なものではないが何か違和感を覚えた。
手柄を得る好機、とはたしかに思ったが、正直大手柄だと思ってはいなかった。というよりも意識していなかった。大きな魔法というのは《山徹し》のことだろう。それを使って拠点を落としたこと、たしかに考えてみれば大手柄だ。最終目標の五英将の首には届かないが、既に武功としては叙爵されたオラヴに近いのではないだろうか。
「……話題を変えますか。僕からもお聞きしたいことが」
「何だよ」
「何故、最前線までいらっしゃったんでしょうか。勇者様には、後方を支えるというお役目もありましょうに」
「変わってねえよ」
また僕が嘲るように言うと、これまた勇者もぽつりと呟く。
僕が喋りすぎたのかもしれないが、彼としては何が言いたいのだろうか。まるで決まっていないような感じがする。さすがに決めていてほしい。
勇者の金属製の鎧、その胸の裂け目、銀色の中に見える赤銅色に雨の水滴が吸い込まれる。替えのものなど持ってきていないのだろう、損壊はそのままだった。
勇者が歯を食いしばり、音を鳴らす。
「あんたも、俺に戦うなって言うのかよ」
「戦うなとは申しておりません。ただ、別の仕事があるのではないかと言っています」
いや、実際は戦ってほしくもないが。
しかしそれ以上にそれはそうだろう。先ほどオセロットにも言われていたことだ。各陣営の思惑はあれど、それでも勇者は第九位騎士団と共に後方支援に就くことが決まったはずだ。それを押して、ここに出てきた。今回は僕にも何の呵責もなく、責められるべきは勇者だ。
「俺だって戦えば、出来るんだ。……俺だって……」
「…………」
静かに自分の腿を叩き、勇者は呟き続ける。だがそれを僕に言われても、……僕はどうもしたくない。
きっと彼の保護者ならば、僕は『身の程を知れ』とでも告げるのだろうけれど。
「戦うのでしたらここでなくとも出来るでしょう。どうかご自身の場所へとお戻りください。第九位騎士団の陣まで」
「……意味がないんだ……」
僕の言葉に応えるように、勇者はようやくこちらを向く。
明らかな敵意がある目。睨むような、もしくはふてくさるような。
「俺は、この戦争で戦って、偉くなるんだ。勇者になるんだ、そして……」
ぶつぶつと僕に呟くように語りかける。僕を見ているようで見ていない、そんな目で。
「……俺、ここに来る前に、ルルさんに告白した。そこで、ルルさんは俺がここで活躍して、偉くなれば……結婚してくれるって言ったんだ」
「……そうですか」
わかっている、もしくは、知っている。そんな言葉を吐きそうになり僕は堪えた。
知っている。そのために勇者はこの戦争に参加した。
だから、僕も参加したのだ。そうさせないために。
「邪魔するなよ。頼むからさ」
「……邪魔をしているつもりはございませんが」
「それを! 邪魔してるっつってんだよっ!!」
僕の言葉に、突然癇癪を起こしたように勇者が叫ぶ。
視線が集まる。勇者の配下と、それに近くの天幕からも様子を窺う視線が。
僕は一歩下がって、胸の前で両手を開いた。
「申し訳ありませんが、要領を得ません。失礼なことを申し上げましたのならば謝罪いたします」
「あんたは、何のためにここにいるんだよ」
「何のためとは」
「手柄を挙げたんだろ? 喜べよ、もっとさ、俺に勝ち誇って見せろよ」
「それはなんというか、今更、ですし」
集まった視線になんとなく居心地が悪い。
未だに勇者が何を言いたいのかわかる気がしないのだが、他の誰かならばわかるのだろうか。
「おお、何事でしょうか勇者様!」
先ほどの高等治療師が、心配そうに勇者に歩み寄ってくる。おそらく表情を見れば、会話は聞いていなかったのだろうと思う。
「……何でもないっす」
「しかし、何事もない剣幕ではございませんでしたぞ」
言いつつ、治療師がこちらを睨む。集まった視線の中で、唯一間違いなく敵意ある視線で。
「何でも、ないっすから」
勇者が立ち上がり、木々の中へと歩み入っていく。
それを見送る僕と勇者の間で視線を何度も往復させ、そして治療師は勇者の後を追うように森へと入っていった。




