突撃の矢
早朝。まだ夜明けを迎えたばかりの頃。
指の先で、チチチチ、と尻尾の先が青い鳥が鳴く。
「ありがとうございます」
僕が礼を言うと、どういたしまして! と元気よく口にする。
「では、他のみんなにも呼びかけて、この辺りからはしばらく離れていますよう。少なくともあの建物からは、しばらく離れていた方がいいと思います」
「わかった」と言い、彼は飛び立っていった。
彼の足に括り付けた布袋には、彼の家族が食べる分だけの食料を詰めておいた。卵で腹が膨らんできたという彼の妻のためにと芋虫の団子も入れておいたので、全員で美味しく食べてほしい。
「斥候いらずだな」
「出来るのは簡単なお願い事だけですけど」
それに、鳥数羽が見て回っても気にしない杜撰な警備体制に限る、という注釈も入る。
横からのオセロットの声に、僕は視線を向けずに返す。
開拓村のすぐ横にあるものではない丘の上。わざわざ大回りをして、辿り着いたそこからは、ムジカルの魔法使いが作った城が俯瞰でよく見える。
北東寄り以外の三方を低い山に囲まれた要衝。なるほど、昨日聞いたとおり、蔦が平面となるまで密度高く絡まり、綺麗な直方体の城を作っている。
もしも白ければ、ウェディングケーキ、という風にも見えるのではないだろうか。おそらく本丸の、『高校』と聞いて想像できる程度に大きな四階建ての豪華な建物には、簡易的なテラスに昨日の見取り図でもあった見張り台もついている。
城の外部には、ムジカル式の陣幕がある。潜むためのものではなく、参道師が作る雨風を凌ぐだけのものではなく、住居のように居住性を兼ね備えたもの。
幅が広く奥行きの狭い長方形のそれは数百人が使うことを想定しているようで、布が垂らされただけの開口部は広く、風通しも良さそうだ。虫などを防ぐ効果もなさそうだが。
まだ警戒としては夜警の段階だろう。
見張り台にはそれぞれ数人が明かりをつけずに立ち、周囲を絶えず警戒している。見える範囲では、城壁内の見回りなどもいるらしい。二人一組で巡回している姿が見えた。
ほとんどの人間は寝ているらしい。剛胆なことだ。近くに聖騎士団率いるエッセンの正規兵がいるというのに。
「捕虜のための牢は城の南側にあるそうです。夜通し、お楽しみだったとか」
実は夜通しかどうかはわからないが。しかし今でも真っ最中と先ほどの鳥が報告していたということは、そういうことなのだろう。剛胆だし、お盛んだ。
「…………」
無言でオセロットが振りかぶり、胸の前で自身の掌と拳を打ち合わせる。手甲の金属音は響かず、肉を打ったような鈍い音が響いた。
まだおそらく二里は離れているとはいえ、見通しのよいこの場所だ。音を響かせないように努力はしたのだろう。しかしその衝撃で、木の上からパラパラと塵が落ちてきた。
「で、いけそうかよ」
「ええ。見た限りでは」
正直、やはり蹴破る自信はない。木製は言わずもがな、鉄製や石製ならば割れるし砕けるが、植物の蔦製はなんとなく厳しそうにも思える。薄いものならばまだしも、厚さ数メートルはあるコルクマットと考えれば……いやコルクマットはいけるけど、なんとなくクッション性もあり衝撃に強そうだと思う。
だが魔法なら確実だ。大穴を開けろ、と注文も受けているし。
「よし」
オセロットは頷き、細い顔を歪めるように唇を大きく吊り上げた。
「これより敵陣北側から! 一隊を残し残り全軍で突撃する!」
開拓村の陣に戻ったオセロットは、麾下にいる騎士団の団長十五名ほどを集めてそう宣言する。ほとんどの者は承知だったのだろう、そう驚きはないようだった。
作戦内容は簡単の一言だ。二千の兵のうち百ほどの兵を外部からの援軍に備えて残し、残り全てを北側から突撃させて城に突っ込ませる。
……作戦も何もない。おそらく千ほどの兵に対する約二千の兵力による圧殺。包囲なども考えておらず、ここから多くを殺しながらとりあえず追い払えればいい、という適当なもの。
もっとも、散逸し敗走する兵たちも周囲を囲む山に速度が落ち、追撃が容易ということもあるけれど。特に先ほど僕たちが見下ろした南側は切り立った崖。布陣も撤退も難しい。
改めて、王都の書庫で見た過去の戦争の記録が正しかったことがわかる。
計略も何もない力押し。ムジカル軍の大半もそうだったようだが、結果として単なる力と力のぶつかり合いで、この戦争のおおよその戦闘は決着がつく。
なるほど、と改めて納得する。昨日聞いたスヴェンの言葉からも。
勝敗に影響があるのは、軍の兵の練度。それに、数。
だから、この戦争は負けるのだ。
「先陣を切るのは我ら〈孤峰〉。そして、侵入口を作るのは魔法使いであるカラス殿」
オセロットの言葉に視線が僕の方へと向く。その態度は半々といったところ。『お前が?』という怪訝な視線と『なるほど』という納得の視線。後者は僕のことを知っているからなのか、それとも知らないからなのかはわからないけれども。
「目標は敵城南側に捕らえられている捕虜の解放。そして次に殲滅とする」
「敵兵を捕虜には?」
おずおずと、一人の騎士が手を上げる。だがその姿を、オセロットは細めた目で冷たく見やった。
「とらねえ。皆殺しだ」
冷たい言葉に、場がシンと一瞬静まりかえる。
誰かがゴクリと唾を飲む。
なんとなく僕はその雰囲気に、ばからしい、とも思えてしまったがそれを表には出していないつもりだ。
「もしも敵城があまりにも固く、カラス殿でも破れない場合は作戦を全て中止して退却する。その場合も殿は〈孤峰〉が務める」
続けたオセロットの言葉に僕はなんとなく胃におもりを乗せられた気がした。
責任重大な気がする。いや、間違いなく責任重大だろう。僕の働きによって、二千の兵の動きが決まるのだから。
戸惑うように、一人の騎士が体を大きく動かして僕とオセロットの顔を交互に見る。
それに目を留めたオセロットは、眉を上げて尋ねた。
「どうした?」
「いえ、しかし……その、カラス殿はどのようにして城壁を破るおつもりで?」
オセロットに騎士が尋ねるが、オセロットも知らないだろう。言ってないし。
そして結局僕のところに視線が集まるが、僕も言っていいものかと悩む。何せこの話、信じられたことがない。
早く言えよ、と怒ったような顔でオセロットに促された気がして、僕は面倒ながらも口を開く。今回信じられないのならばオセロットのせいだろう。そういうことにしておこう。
「模倣ですしあの城壁相手ならば小さなものとなりますが、《山徹し》で」
僕の言葉に、ざわざわとどよめきが起きる。「まさか」「そんな」、と驚きと嘲笑のような言葉までもが。
結局、オセロットが声を張り上げるまで、その騒ぎは静まらず。
やはり焦熱鬼の熱波にしておけばよかっただろうか。
元々この場では一切築かれていない僕の信用が、一気に落ちたのが如実にわかった。
結局、皆の信用は得られなかった。とにかく城壁が開けばいいだろう、と皆を黙らせるオセロットも、内心半信半疑だと思える態度で。
だがまあとにかく、確かに門を作ればいいのだ。それも、捕虜に影響のない場所に。
続々と皆が開拓村を離れていく。
僕らも行かなければ。
「では、一応作戦通りに」
「おう」
結局、またレシッドには治療師のお守りをしてもらうことになる。彼ら二人を孤立させておくのは危険だし、スヴェンは五英将以外は強制できないし、でレシッドに集中して白羽の矢が立つことになるのは申し訳ないが。
ただ、レシッドとしてはありがたいのではないだろうか。五英将と戦う以外にも僕の指示に従い戦争に参加する契約ではあるが、そのおかげで激戦区には行かずともいいのだから。
しかし、そのために僕の戦力が一つ欠けてしまうのも少々腹立たしい。これも狙ったのだとしたら、やはりエッセン王も大したものだ。
……そのせいで結局、僕一人で参加しているようなもの、というのもまた腹立たしい。参加をお願いしたもう一通は届いているのかいないのかもわからないし、レシッドがいてくれて助かった、という風に考えておけばいいのかもしれないけれども。
この村に待機するパタラとソラリック。彼らに目を向ければ、ずい、とソラリックが一歩踏み出してくる。パタラが呼び止める間もなく。
「絶対に、助け出してくださいね」
「それは聖騎士様にお願いするところですね。私は門を開けるだけなので」
それ以上をする必要はないだろう。必要ならば僕も参加するが、約二倍の兵力は本来抗いようのない戦力差だ。相手方に魔法使いもいるので少々の被害は出ても、勝ちはするだろう。……すると、今回の話ではないが、この戦場以外の兵力差もなんとかする手立ても考えなければいけないのだろうか。そういうのは本職の仕事だとも思うが。
とりあえずは先ほど与えられた仕事を。
「自分の仕事をするだけです。昨日のソラリック様のように」
「なら、私からもお願いします。どうか、今もなお苦しめられている方々をお救いください」
真っ直ぐな目でソラリックはそう言うが、別に僕としてはその気はない。結果的に助かるだろうとは思っているけれども、そうではないと思う。
なんとなく、ほんのわずかに場が荒れるように始まった無意味な意地の張り合い。正直これに関しては、ソラリックに分があるだろう。
戦場に出る誰かへの慣例句。悪い奴らをやっつけるときに使うだろう慣例句。僕がそれになんとなく同意できず、そして同意しなくともいい立場相手だから反論しているだけで。
僕がソラリックに対し、『わかりました、いってきます』とだけ言えば何事もなく終わったのに。
何だろう。無駄に意地を張った気がする。
何故だか彼女には張り合いたくなる気がする。僕に何かを期待されているようで、その期待に応えたくなくて。
「僕は助けに行くわけではないです。城を壊して敵を殺しにいくだけで」
成り立っていない会話。
わかりましたの一言が言えず、僕が返すとソラリックが絶句する。こういうことをするから、きっと人間たちには嫌われていくのだろうな、となんとなく思った。
壮観な図だった。
上空から城を見下ろし、僕は小さく感心する。
大まかに言って、城の南側は容易に上れぬ切り立った崖、西には歩いて渡れぬ川がある。城の東側に出るためには大きく回り込まねばならず、大軍で移動するのはなかなかに大変な作業だ。故に、丘といってもいい程度の高さの北側の山の上に布陣した二千の兵。
陣というわけではない。ただただ聖騎士団を中心に寄り集まった大所帯が集合しただけ。山の上から奇襲をかけるよう、見下ろせる位置で停止しただけだ。
聖騎士たちは騎獣に乗らず、それでも馬に乗っている騎士たちもいるのは足並みを少しでも揃えようという涙ぐましい努力だろう。山岳戦で馬に乗るのは是か否か、は僕にはわからないけれども。
「ぃ行くぞおおぉぉぉぉ!!!!」
突撃のラッパもなく、オセロットの声が響く。まだ黄色い太陽の照らす早朝、声が辺りを照らすように光った気がした。
おお、と声を上げて皆が走り出す。
急斜面を駆け下りて、聖騎士たちが飛ぶように駆けてゆく。木立に紛れるように、それでも馬の駆け足よりも速く。乗馬している騎士たちはそれを追うのがやっと。徒歩ならばなおさらで、走り出してすぐにもう遅れていた。
中でもひときわ速いのが、やはりオセロットだろう。
低く跳ねるように大股で駆ける軽功独特の走り方で、既に部下すらも引き離しつつある。
山の中腹辺りでようやく気がついたムジカルの見張りは、オセロットが山を駆け下り終わった辺りで法螺貝のような低い音のラッパを鳴らした。
城の北側にも陣はある。
そこから、眠気眼の兵たちが幕を払って駆けだしてくる。
こちらも練度の差だろう。正規兵らしい者と民兵らしき者が、その半々が混ざった百か二百程度の兵の中で、それぞれ際だって見えた。
ムジカル兵特有の、革や鱗で補強された『少し豪華な普段着』という雰囲気の鎧。金属鎧が発達しなかったからだろうが、それが森の中でも雑多に混じって逆に保護色のようにも見える。
ひとまず北側の陣にいた弓兵およそ三十が二列に並び、拙い隊列を組む。老若男女関係なく、ムジカル人にとっては弓は必須技能だが、それでも弓兵は正規兵が務めるのだろう。民兵らしき者たちがぐずぐずとその前で槍衾を作る前に、その発射準備が整ったようだ。
僕は北側の山の上。その空の上でそこまでを確認する。
あとおよそ三十を数える前に、オセロットは槍衾に突っ込んで斬攪する。他の聖騎士が携えている槍を持たず、両手にそれぞれ手戟を手にし駆ける彼は、そこで止まる男ではあるまい。
なら僕も急がなければ。
山の前、城壁の高さ程度まで高度を落とし、顔の前辺り手を空に向けて翳す。
その先で形作るは矢。
弓で射れればそれなりに形にはなるのだろうが、それは僕には出来ない。それが出来るのは、このネルグの森で今もなお普通に生活しているであろう一人の猟師のみ。
だから僕からすれば、これは射撃というより投擲になるのだが。
手の先の矢が青白い光を帯びる。規模は小さくていい。隙間ない敵の城壁に、城門を開けるだけのこと。
……すると、地面にあまり大きな穴も開けられないな。その辺りも調整……出来るかな?
今更ながらに考えつつ、やはり焦熱鬼の熱波にしておけばよかったとも思いつつ、僕は手を振り上げる。
まあもう遅い。もう兵は走り出してしまった。
ならば、僕も止まるわけにはいかない。なに、足場に関してはこれだけ浅い角度ならば問題あるまい。
斜め下を今まさに走り抜けようとしていた騎士が、僕を見てぽかんと大きな口を開けて止まる。
なんだろう、その驚きは。魔法使いということまで信じられていなかったのだろうか。
まあいいや。
もうオセロットが敵とぶつかる。敵の槍を封じつつ、その首を二つまとめて飛ばしている。
その後の乱闘中にちらりとこちらを見た視線が、僕を急かしている。
僕はそれに精一杯の微笑みで応えた。
ならば盛大に。出来るだけ派手に、大きな声で。せーのと気合いを込めて。
「《山徹し》!!」
僕にしては珍しい大きな声。その声と同時に走った閃光の矢が、城壁を貫き地面を抉り、城の向こう側までも通る大きな道を通した。
あとでもう一話いきます、自分いきます。




