合理的に考えて
僕は前で倒れる騎士には近寄らず、一足飛びに左の茂みの中に駆け込んでいく。
敵の数はまだわからないが、おそらく小隊と当たりをつけながら林の中を見れば、とりあえず見える位置には五人ほどの弓を持った人間。それを庇うように盾を持つ三人。
それと。
「……っ!」
木の上から重量のある物体が斜めに降ってくる。どす、と音を立てて着地した敵兵が、空振りした三日月状の刃を見て舌打ちをした。
奇襲だろう。弓兵を撃破しようと飛び込んできた果敢な兵の命を刈り取る常套手段。
二度、三度、と銀色の線が視界の中に伸びる。三日月状の刃の両端を結び、弦を張るように取っ手が付けられた刃物は、ムジカルでそこそこ見る武器だ。
虫除けらしい薄い布を巻いて素性を隠しているようにも見える男は、僕に攻撃が当たらないことを確認するとまた舌打ちをして飛び退こうと足に力を込めた。
僕は一歩前に跳び、下がっていくその頭を掴み、引き戻す。
「…………!?」
驚く男が抵抗する前に、僕はそのまま持っている頭を横に振る。
男の首に後ろから、僕を狙った矢が深く突き刺さった。
「ぐ……ぶっ」
口から血をわずかに噴き出しながら呻く男は今更抵抗しようと腕を持ち上げるが、遅い。
その頭を投げ捨てるように地面に捨てつつ、思い切り踏みつける。男はそれきり動かなくなった。
ざわ、と動揺に空気が動いた気がする。
先ほどよりも人数がよく見える。木々に紛れながらも視界の中に入っている人数は二十人を超えている。
……やはり、小隊か。
「きぇええええええ!!」
吶喊の声を上げながらまた別の太った男が僕へと走り寄ってくる。両手で振りかぶったその手に握られているのはやや太めの直剣。
その剣が振り下ろされるより先に僕が腹をやや上に向けて蹴り飛ばすと、ぶちゅ、という音と共に背中の肉が破けて裂けた。
倒れ伏した男の背中から、大腸がはみ出して地面を叩く。それを見て、ムジカル兵たちが息を飲んだ。
一応僕を間合いに入れているのはあと六人。遠巻きに見ればまだいるし、背後では先ほどの騎士団の団員も戦っているのだろう。金属がぶつかるような音や、怒号のような悲鳴が何度も聞こえる。
だが弱い。
闘気を使えるような兵たちではないのだろう。恐らく正規兵ではなく、街から徴兵された市民兵たち。
そんな彼らが、恐れるように戸惑うように、それぞれ剣や槍を構えたままじりじりと下がりつつ顔を見合わせた。
少し離れた位置で警戒中のレシッドたちには、向かっていく兵はいないらしい。
レシッドの足下には叩き落とされたらしい矢がいくつも落ちているので、戦力分析の結果だろうが。
分析は僕の分がまだだったのだろう。間合いの外から矢が五本飛んでくる。
それを叩き落としつつ手近な敵に飛び込み胴を横薙ぎに左で蹴れば、小さく悲鳴が上がりその女の胴体が横向きに二つ折りになる。足にまとわりついたその体を背骨ごと踏み潰しながら足場にし、跳びつつ後ろへと右足を蹴り込めば、踵の向こう側で西瓜のように誰かの頭が弾けた。
「やばいのがいるぞ!!」
危険を知らせるためだろう、弓兵が叫ぶ。
まだ飛んでくる矢と突き出される槍を躱しつつ側宙し、手近な頭を掴んでひねれば、ギョリ、という音と共にその女の体の力が抜けた。
脂ぎった黒髪が僕の指に絡みつく。手を頭から引き剥がすよう強引に引きちぎれば、頭皮までもついてきたのか肉片が髪の毛ごと飛んでいった。
とりあえず僕を囲んでいる槍兵はあと二人。
奥にいる弓兵と盾兵は合わせて八人。今僕が殺した五人と、遠くから聞こえてくる声を考えれば、恐らくこの襲撃は小隊規模だろう。
エッセンではまた少し違った気がするが、ムジカルの小隊はおおよそ五十人ほど。七人から八人の組を分隊とし、その分隊をまた七から八個束ねて小隊とする。
奥にいる弓隊を見れば、まだ二人残っている槍兵がびくりと身を固める。背後にいる彼らを守るためだろうか。
それよりも、自分の身を守ることを考えた方がいいと思うが。
「べっ……!」
「……がっ……!!」
間合いを詰めようとした動きに合わせて僕も近づき、二人の首を手刀で刎ね飛ばす。時間差で地面に崩れ落ちた二人の首の切断面から、どくどくと地面に血が滴り吸い込まれていった。
見ている前に、周囲は乱戦状態だ。何人もの騎士団とムジカル兵が揉み合い、地面を転がるようにして剣や槍をぶつけ合っている。
ちまちま一人二人を殺していくのは面倒くさい、が、これでは大規模な魔法で一気に片付けることは出来ない。先に考えつけばよかった。
「退けっ!!」
弓兵たちも退却を考えているのだろう。一組の盾兵と弓兵を残し、後は一目散に逃げていく。
その途中二人の弓兵が騎士に襲われていたが、盾兵が騎士にのし掛かるようにぶつかって止めていた。
矢がまた僕へと飛んでくる。無駄なことだとわかっているだろうに、恐らく足止めとして。
僕はその矢を掴んで投げ返す。盾に深々と突き刺さったそれは、さすがに闘気も魔力もなしでは盾兵を殺傷するまでには至らなかった。
この世界の戦場では、弓兵の射た矢は戦力分析において重要なものだ。
もちろん、距離にもよるが、矢は兵士を殺傷するのに十分な威力を持つ。だがそれ以上に、その矢への反応がとても重要なものになる。
何せこの世界、闘気や魔力がある。そして矢は一部の例外を除き闘気で強化できず、威力は弓と風などの環境にだけ依存する。
弱い闘気使いならばまだしも、高い密度を維持できる闘気使いに矢は通じないのだ。刺さらずその行動を妨害も出来ない。魔力使いにも程度によっては同様。魔力使いの作る障壁には矢はほとんど無力で、一部の例外を除き、全く効果のない代物と成り果てる。
矢による足切り。
ごく簡単に言って、矢を射かけて通用しない人間には、闘気使いや魔力使いで当たらなければ話にならない。
レシッドが守る治療師たちを襲わないのもそのためだろう。
専守の態度を見せているからというのに加え、レシッドや騎獣たち、闘気を纏う者たちに打ち勝つ手段がなく、結果も見えているから。
僕やレシッド、ましてやスヴェンに対して通用する小隊ではない。
だが、と僕は駆け出す。
だがだからといって放っておいていいわけではない。スヴェンの先ほどの言葉のように、今戦っている騎士団たちも守る意義はあるのだろう、きっと。
「おめたちでは話にならん!! どけっ!!」
そうして駆けだした僕へと向けてではなく、逃げ遅れた弓兵たちへ向けて怒号が飛ぶ。
ただしその殺気は僕へと向けて。一応、いたのか。
弓兵たちの向こうにいた革の鎧を着た男が、片手を天に向けて掲げる。
次の瞬間、男の周囲で空気が揺らめいた気がする。それからパチンパチンと音がして、弾けたのは男の周囲のネルグの地面。細かな根の絡まる地面から、触手のように太い根が五本ほど屹立した。
手の先にある見えない玉を投げるように僕に向けて腕を振る。
まるで指揮を執るように、それに合わせて触手が僕へと迫って伸びてきた。
「……魔法使い……」
鞭のような打撃。しかしそれを弾こうとした僕の左腕に触手が絡みつく。まるで筋肉のようにうねる太い根が万力のような力で僕の腕を締め付け、ぎし、と音を鳴らした。
「〈根性〉のサザーランド参……」
だが付き合う気はない。
他にも伸びてくる触手を躱しつつ、闘気を込めて思い切り腕を後ろへと引けば、触手は簡単に引き千切れた。
他の触手がその表面に棘を出現させる。僕の指程度に太く、それでいて鋭いそれはネルグの根にはないはずだから、恐らくこの男の魔法によるものだろう。
ほんの一瞬。その棘が射出されるのをぼんやりと見ながら僕は魔力を前方に飛ばす。
弓兵に盾兵。そして魔法使いまでも巻き込む範囲、だが味方はいないように限定的に。
赤黒い棘が迫る。
しかしそれが僕の肌に到達する前に。
「るぁ」
生じさせる事象は高熱。飛ばすのは熱波。
大分小規模にしたはずだが、僕の手にまだ巻き付いて残っているほんのわずかな根を残し、僕の眼前から人間の姿はとろけて消え去った。
趨勢は決した、というのはこういうことをいうのだろう。
僕の魔法で地面が灰色に変わり抉られてからすぐに、呆気にとられていたムジカル兵たちが騎士団によって死体に変わり始める。捕虜はとらないらしい。
一対一で揉み合っていた者は相手を殺し、近くで戦う味方の救援に入る。救援を受けた騎士は二対一の数の有利でムジカル兵を殺し、すぐにまた近くの味方の救援に向かう。
乱戦における好循環。それがすぐに始まり、瞬く間に林の中はムジカル兵とわずかな騎士の死体で埋まっていった。
「お疲れ」
僕がミルラ麾下の集団に戻ると、レシッドが僕に労いの言葉をかける。その横でどかりと道に座り込んだスヴェンは、興味なさげに騎獣を撫でて嫌がられていた。
僕はどうも、と口の中だけで言って会釈で応えてから四人を見渡す。
「血が流れました。すぐにこの場を離れましょう」
「一人足りないのに気づいてんだろお前」
呆れたようにレシッドが言うが、それは僕は一度目を逸らして無視した。
今ここにいるのはスヴェンにレシッド、そしてパタラに参道師。いるべき人間が一人いない。
警護を任せたはずだ。改めてそうレシッドに目で問いかけるが、レシッドは黙って騎士団の方を指さした。
「……痛いところは……」
名も知らぬ騎士が座り込んでいるところへ、ソラリックは熱心に付き添っている。
遠目から見ても、腕が刃物で抉られ血が溢れているようだが、骨などに異常ないだろう。
指や腕の動きを確認した後にソラリックもそう判断したようで、腋下へ簡単な止血帯を巻いてから法術の祝詞を唱えて傷を癒やしていた。
……熱心なのはいいことなのだろうが。
僕は参道師の方を向く。こういうことは彼の方が適任だろう。
「みなさん、今はここから早く立ち去りましょう。血の臭いで新手がきまさぁ!」
参道師が手を叩いて声を張り上げる。彼が騎獣に跨がると、それを見た幾人かが急いで馬に乗った。
しかしそこに、ソラリックが声を上げる。
「でも、あの! 足に怪我をした人たちが残っています!」
「…………」
参道師はその言葉に口を閉じる。どうしようかと片目を閉じて、顎をさすり思案しているようにも見えた。
「中には、その……馬が死んだ人もいます。せめて治療をしてから」
「どれくらいいやす?」
「九人が怪我してる。そのうち腹や胸の傷で動けないのが三人」
ソラリックの代わりに答えたのは、名前も知らない騎士だった。他の人間よりもほんのわずかに鎧と兜の羽根飾りが豪華に見える。おそらく何かしらの役職を持っているのだろう。
だがそれは自分の得たい答えではない。
そう参道師は思ったのだろう。もう一度口を開く。
「怪我などで移動が困難な方は」
「あーと」
騎士は指を折り数える。だがそれで数え終わらず、何度か振り返り、座り込んで休憩中の部下たちを見回してから、また指を折り始めた。
「動けないのが五人くらいだな」
「ではその五名を残し、馬のない方は相乗りでもして先へ進んでくだせ。出来れば夕暮れ前に聖騎士様方の本隊と合流を」
「……。……見捨てろってことか!?」
一瞬言葉の解釈に悩みそれから騎士は思いついたように声を上げる。
だがそれは勘違いだ、と傍から聞いている僕は思うのだが。
参道師は首を横に振る。
「私が五名を預かります。出来るだけ早く追いつきまさ」
「預かるって……」
「なに、それが私たちの本分」
「だけど動けないんだが?」
「騎獣がいやすんで、布担架で引っ張っていくことは出来ます。少々窮屈な思いをさせますが」
にこにこと参道師は笑う。
「はやく、こうしている時間も惜しい。カラス殿たちと一緒に」
「なら、私も……」
また、ソラリックが言いかけて僕を見て言葉を止める。
私も残りたい。言うと思ってはいたが。
……僕は目を伏せて溜息をつく。
本来ならば、関わりのない部隊。治療師団は衛生兵のように全ての兵に対し公平に治療をするものだが、ソラリックもパタラもどちらかといえば僕らの専属に近い立場。
余力は残しておくべきだ。スヴェンや僕はいいとしても、少なくともレシッドのためには。参道師も、だから彼らに特に要請などはしないのだろう。
ソラリックを止めて、引きずってでもここを後にする。それが合理的な判断で、その判断をとらない理由がない。
彼女は僕の言葉を待っている。駄目と言われれば引き下がるのだろうか。それとも、また不満を大にして叫ぶのだろうか。わからないけれども。
……。
…………。
……まあ、いいや。
「全員で残りましょう。ソラリックさんとパタラさんは、よろしければ治療をお願いします」
「ありがとうございます!」
僕が許可を出すと、何故だかソラリックがお礼を言う。別に礼を言われるようなことでもないと思うが。
いいのか? と言いたげなパタラに、僕は答える代わりに問いかけた。
「どれくらいかかりますか?」
パタラは一瞬悩んで肩を竦めたが、すぐに答えを出す。
「単純なものならば、すぐに終わります」
「では出来るだけ早く」
僕は頷いて、騎士を見た。
「とまあ、怪我の分は心配ご無用です。ご協力いただけるんですから、使わなければ損でしょう。治療を終えた後に皆で進めばよろしいかと」
周囲を見れば鳥が先ほどから戻ってきているが、一様に「どうしよ」という類いの言葉を口にしている。逃げるべきか留まるべきか、と悩んでいる。
彼らが立ち去るべきか悩んでいるのだ。このネルグで生き残っているたくましい生物たちが。ならば弱小な人間など、ここから早々に立ち去るべきだろう。
けれども、まあ。
「まだ新手の兵がこの辺りにいないとも限りません。騎士団の方々で、偵察を兼ねた歩哨を立てた方がよろしいかと」
「あ、ああ」
騎士は僕の言葉にコクコクと頷く。実際には人間が近付いてきたら鳥たちが反応するからわかりやすいんだけども。
「それと、手が空いた方がいたら、死体をまとめて積んでおきませんか? 戦利品の収集なども同時に行いつつ」
「やろう」
すぐに騎士はそれを部下に伝達、行動に移す。
苦悶の顔で死んでいるムジカル兵に一部の騎士。それらの死体から、まだ使える剣や装飾品をはぎ取りつつ。一部の騎士たちの死体には、形見の品でも残っていればいいけれども。
僕はそれを手伝う気にはなれず、騎獣の傍でスヴェンたちと共に治療師二人を待つ。
スヴェンにとっては残念ながら魔物は現れず、騎獣たちも落ち着いており僕が話を聞くために指に乗せた小鳥を涎を垂らしてじっと見つめていた。
そして参道師が自分の分とともに、僕たちの分の枯れ枝まで拾い集めてくれた頃。
時間にすればわずかな後、治療が終わり、騎士が揃う。
怪我は癒えても全快ではないようで、元怪我人たちの顔色は芳しくない。特に足を骨折した者は整復されていない曲がった足でよろよろと立ち、同僚に掴まっている有様だ。
しかしそれでも揃った。ならば出発しなければ。
「行きますか」
「そうですな」
僕が参道師に問いかけて、応えた参道師が騎士団長伝いに指示を出す。三十名に満たない騎士たちが、揃わぬまでも元気な声を上げた。
ぞろぞろとまた歩き出した列の最後尾。
先頭が動き出したばかりのために動き出せない僕たち。殿を買って出たわけではないが、自然とそうなってしまったようだ。
歩き出せる時をじりじりと待つ。そもそも道を進むわけでもないので、別に通る隙間がないわけでもないが、本当になんとなく。
「まったく、小娘らを強引に引き剥がし、怪我人は参道師に任せておけば我が輩たちも先に進めていたものを」
「先を急ぐ旅ではないですし」
しゃがみこみ、僕を見上げて文句を言うスヴェンに僕は言い返す。別に急ぐ旅ではない。日が沈んだ頃には恐らく最新の拠点につけるだろうし、そう出来ずとも構わない。これだけの死体がここに用意できたのだ。ならば野営で構わない。
「あの小娘、調子に乗るぞ」
「かもしれませんね」
薄ら笑いを顔に貼り付けたまま、スヴェンは僕から視線を外し、まだ僕らよりも死体の山に近い場所にある茂みを見る。
会釈をするように水色の頭を下げて、組んだ手に唇をつけて何かしらの祈りを捧げているソラリックは、僕たちに気づかない。
屈伸するようにスヴェンが立ち上がる。
「無駄なことをしたものだ」
「そうですね」
僕はソラリックから視線を外さずに応える。たしかに、スヴェンの言うとおり僕たちは先に進むべきだったのかもしれないが。それでも。
今もまだ、死者のために祈る彼女の姿。戦場には似つかわしくない姿。
人のために祈り人のために尽くす。
確かにそれが、彼女らの本分で。
「でも、人間たちは合理的なので」
「よくわからんな」
僕の言葉をすげない返事で断ち切り、スヴェンは歩き出す。見ればもう列は進んだ。僕たちも進んで問題ない。
僕がソラリックにまた出発を促すと、彼女は慌てるように組んでいた指を解き、「はい」と答えた。




