外道
ようやく、ほのぼの戦争編、二部構成の一部スタート
日の高い時間帯。旅程は順調だ。
まだ街道を使えるためにそれなりに森は走りやすく、そして騎獣たちも重い荷物を載せたまま存分に走ることが出来る。
景色の変わり映えはない。馬車などであればほんのわずかに余裕を持ってすれ違うことが出来る程度の細い道の両脇には鬱蒼とした森が生い茂り、中からは鳥獣の気配が濃厚に漂う。
日が高いためにまだ道は明るく、木漏れ日が森と道の境界線をゆらゆらと朧にする。
蹴る地面はネルグの根が既に密に絡まり、土ともまた違う絨毯のような感触だった。
騎獣たちの速度は馬の駈歩程度、だがこれでも彼らにとっては速足程度というのが恐れ入る。
出来れば襲歩で走ってもらいたいが、無理は言うまい。今日も明日も走ってもらわなければいけないのだ。最悪僕が念動力でまとめて浮かせて運べばいいけど、そこまで手を煩わされたくないし。……彼らのために野宿の準備までしている今言うことではないけれども。
走って行く彼らとは少し離れ、僕たち徒歩組は木々の上を跳ねて移動する。たまに木々に止まっている鶯や山鳩などを驚かせてしまうのは悪いが、それは勘弁してほしい。
たまに視界に入る僕らをちらちらとソラリックは見上げるように見る。それで振り落とすような馬鹿をする騎獣でないというのはありがたいと思う。
腹時計で、走り出してそろそろ二刻ほど。
僕の記憶が正しければ、この先少し森へ入った辺りに水場がある。そろそろ最初の休憩だろうか。
僕はまず徒歩組へ、それから騎獣組へと合図を送り誘導する。水場へ入る小さな小径手前で立ち止まるように。
「え? わざわざ?」
そして僕が休憩を指示した場所に、ソラリックがまた難色を示す。難色というよりは疑問だが、おそらくその内心は。
僕が指示した場所は、水場となる川と街道の真ん中くらいの少し街道寄り。小径からも外れ、茂みがほんのわずかに途切れて、騎獣二頭と僕ら五人が揃えばやや手狭になる程度の開けた場所。
「そうですね。とりあえず水分補給をしておいた方がいいと思いますので、水を汲んできましょうか」
見回せば木の上には多くの木の実が生る。三分の二くらいは食べられるものだし、目につく範囲だけでも五人分の食料には困るまい。
「この水は……」
ソラリックは、僕が渡した荷物を示す。これは飲まないのか、と。
そんなに邪魔にはならないように作ったが、慣れていないと持ち運ぶのも嫌なのだろう。軟弱とはいうまい。
だが。
「それは緊急用です。常に持ち運ぶようにお願いします」
僕にはいらない荷物。レシッドは持参した同様の荷物を持っているが、スヴェンは持っていない。
簡単にいえば、聖領で補給をなくしたとき、三日生きるための荷物だ。
彼女に対してあまり気遣いをする気もない。しかし、預けられたからには生きてもらわなければなんとなく僕の気分が悪い。
これから僕たちが待機したり多くの時間を過ごすのは開拓村。当然そこは聖領の中にあり、何者かの襲撃を受け逃げる必要があるとき、逃げ延びるのも聖領の中だ。
その中で、レシッドか僕がいない場合に生きるために、持っていてもらわなければ困る。人は水を飲まなければ三日ほどで死ぬ弱い生物だ。
もちろんこのネルグは豊穣の森。食べられる果実はそこかしこに生っているし、そこから水分を取ることも出来る。
そしてそんな迂遠なことをせずとも、蔓や皮の中に水を溜める種の樹木も存在するし、知識があれば生き延びることも出来るだろう。
だがおそらく、ここまでの印象上、彼女にはそんな知識はない。
パタラとソラリック。彼らが一人もしくは二人で生きるためには、必要な荷だろう。
「何故この場所に? 休むのは河原でもよいのでは」
パタラが大きめの石に腰を落ち着けながら僕へと尋ねてくる。
「水場は獣や魔物も使いますからね。あまり刺激したくもないので」
「そんなもの、お三方なら簡単に打ち払えるのでは」
「もちろん身を守るためなら戦いますけど。でもここは獣の土地です」
言い残すように僕は言ってから、空の水筒を手に、沢へと下る。
レシッドは二日酔いも既に収まっているようで、木の上でスヴェンとなにやら笑い合って話していた。
ほんの十数分の休憩。
騎獣たちの腹ごしらえにと野兎を一羽ずつ捕らえ、それを食べさせるための間だ。
その上で揺られている人間たちも疲れてはいるだろうが、そのお荷物を運ぶハクたちのほうが疲れるだろう。
僕は、要らないことになればいい、と思いつつも、拾った枯れ枝や枯れ草を束にして縛り、ハクたちの背にくくりつけた。
そろそろ出発しよう、と僕が見渡すと、それを察したパタラが立ち上がる。そのパタラを見て、ソラリックも立ち上がり、自身の旅装を見直した。
察しがよくて助かる。僕は周囲の気配を探るように耳を澄まし、何かしらの獣がこの辺りに迫っていないか確認しつつ街道へ戻る道へ視線を飛ばした。
そんな僕に、レシッドが歩み寄ってきて顔を寄せる。
「お前から見て、森の様子はどうだ?」
レシッドも探索者だ。それも、街中での仕事が得意ではあるが、色付きという野外でも活動できる証を持つ上級の。僕はその言葉の意味を考えつつ、先ほど休憩中に見た光景を脳裏に思い浮かべる。
「……少々危ないかと。先ほど兎を探してきたところ、地面に新鮮な血溜まりが出来ている箇所がありました。残されてた肉片の臭いと味から、おそらく熊だと思います」
僕の言葉にレシッドはうんと頷き、空気を入れるように喉元をぱたぱたと引っ張って揺らした。
「俺も一応見て回ったんだが、熊の爪痕の上に違う爪痕がついた木があった。真新しいもんだ」
僕も、ああ、と呻きながら渋い顔を作る。面倒な話だ。
このネルグに住む一部の熊は、その縄張りを木につけた爪痕で示す。故にその爪痕がある木の近くは兎などの小動物が逃げているため、狩りがしづらい場所だ。僕も兎二羽程度を探すのに手間取ったくらいの。
そして、爪痕の上に爪痕をつけるのは、縄張り争いの証。つまり最近縄張り争いがこの辺で起きた。熊と、何かの。
無論、熊程度で怯える僕たちではない。だがその熊に打ち勝った何かが、熊ではないかもしれないことを考えれば。
「今夜開拓村で世話になるんだろ? この近くの開拓村は大丈夫かよ」
「昨日聖騎士もこの辺りを通ったんです。ならば大丈夫でしょう」
「どうだかな」
まだ木の上に寝そべっていたスヴェンが会話に入ってくる。太い枝に抱きつくようにして俯せになりつつ、頬を枝につけ撓垂れかかりながら。
「前の戦でも、かなりの数の開拓村が潰れた。先ほどから森も騒がしい。カラスの言うとおり我が輩たちの立ち寄る村は問題なくとも、進軍経路から外れた開拓村は今回も危ないだろうな」
「あの、何の話なんでしょうか?」
ハクの背に括り付けた枯れ枝の束に首をひねっていたソラリックが、ようやく僕たちの会話に参加する。呼んだわけでもないので、参加せずとも構わないのに。
ずる、とスヴェンは体を枝から落とし、左手一本で体を支える。見た目よりも重いのだろう、僕程度なら軽々支えられそうな枝が、ギシと音を立てた。
「十万近くの人間たちがこの森へ無遠慮に入り込んでいるのだ。住民たちがただ大人しく見ているだけのわけがあるまい?」
「開拓村の人たちが……何するんです?」
「縄張り争いだ」
飛び降りた足音が、ズンと響く。
「それを思えばしばらく退屈と思っていたこの仕事、楽しくなるやもしれんな! 駐屯中に聖獣でも寄ってこないかと期待するばかりだ」
「期待しないでください」
僕は窘めるように言うが、スヴェンはただハハハと明るく笑う。冗談ではない。焦熱鬼との殴り合いのようなものをまたここでやられるのは迷惑だし、そんな事態は起きないでほしい。
もっとも、そんなことがあればさすがに記録に残っているだろう。
しかし僕が見た記録の中には、有史以来そんなことは起こっていない。
「聖獣……ですか?」
先ほどの主語が違うことも、今の話もぴんときていない様子のソラリック。それに対しパタラは納得したように額に汗を垂らした。
「なるほど。獣たちの縄張り争いですか」
「そうですね。森の中でこれだけの獲物が歩いているんですから、魔物が放っておくわけありませんし。魔物が移動するなら、それに追い立てられて普通の獣も動くでしょう」
戦闘員は除き、人間はもともと魔物にとっては簡単に狩れて餌にありつける上等な食料だ。
そんな食料が大挙して歩くこの一大行事を魔物たちは見逃さない。戦争に出るための行軍中とはいえ、彼らにとってはそんな事情など関係がない。
以前スヴェンが焦熱鬼を狩ったときに言っていたように、彼ら魔物は自分たちの縄張りの中での王だ。我が物顔で歩く人間たちに臆さず勝負を挑み、狩り、その肉を食む。
人間の肉の柔らかさ、旨さを覚えた魔物たちは、人間たちを狙い住処を移動する。
その結果、現在森は騒がしい。まだ見てはいないが、普段は魔物など大犬や羽長蟻程度の弱いものしか見かけないこのネルグ浅層でも、大型の魔物が闊歩しているのではないだろうか。
事実、前回の戦争でも記録に残っているだけで総計二千人以上の被害が魔物によって出ていた。フラムたち魔物使いが操っているわけでもない野生の魔物で。
それに、先ほどの話では。
僕はスヴェンを見る。楽しげに笑うその男が先ほど口にした言葉。
『進軍経路から外れた開拓村』。それはおそらく記録には残らないだろう。戦争とも関係なく、ただ自然と魔物に襲われ消えていった村。悲しいことに、やはりそういうものもあったらしい。
「とりあえず出発しましょう。夜の森はさすがに歩きたくありません。日が沈むまでに中継地点の開拓村へ」
そう四人を促し、また急ぎ走り出した僕たち。
途中治療師二人の股擦れの痛みに一度止まり、その他休憩も挟んだので遅れた旅程。それでも日没近くの暮れ泥む紺色の空のうちに、目的の中継地点には辿り着くことが出来た。
その、入り口までは。
開拓村らしい低い柵が周囲を覆う。その中に、本当ならば今頃赤茄子や胡瓜などが実った瑞々しい畑が点在していたのだと思うが。
そこから歩み入り、もう少し高い丸太で出来た塀の中、人の居住区を覗き込む。中から漂う臭気は、饐えた悪臭に近い。
誂えは開拓村らしい木造の家屋が多い。一部藁などで作られているのは食料貯蔵庫のようで、おそらくここを訪れる軍に供出するためのものだろう。
スヴェンが笑う。松明の明かりなど、点いているのが当たり前の照明設備が一切なく、ただ暗闇だけが広がっている村の様子を見て。
「ここは駄目だったようだな」
「……どういうことなんでしょう」
パタラが目を凝らし中を見る。だが彼らの目には見えないらしい。おそらく見えるのは、僕とスヴェンの魔法使い組。後の三人は強化しないとはっきりとは見えないのだろう。
その、血が流れた凄惨な跡を。
遅れてレシッドが納得したように頷き、周囲を見回す。
それから僕に視線で尋ねてきたので、僕はこの辺りの地形図を思い返しながら森の中を指し示した。
「向こうがいいですかね」
「あー、もう、早速野営かよ。めんどい」
溜息をつきながらレシッドが偵察に動く。とりあえず、急ぎ寝床を定めなければ。ここより離れた場所で、そしてこの騒動の原因が来なさそうな場所。
基本的にはネルグの幹から離れ、水辺からも遠い場所がいい。あとは周囲に獣道がないわずかに開けた場所。すぐ見つかってくれるといいけど。
「キャアアアアアッ!!」
遅れて、おそらく中の様子を確認できたソラリックの叫び声が響く。
丸太の塀の上で「おいしい」と呟きながら何かしらの肉片を食べていた梟が、その声に驚いて飛び去っていった。




