旅のしおり
軍議のすぐ後。僕が与えられた宿の一室で。
「スヴェン・ベンディクス・ニールグラントだ。よろしく頼む」
「……レシッドっす」
レシッドとスヴェンが固い握手を交わす。レシッドの笑みが卑屈にも見えるようひきつり、見下ろし見下ろされるような身長差があるせいか、もう既に二人の間に力関係が出来上がっているようにも見えた。
「それでカラス、我が輩は誰を殺せばいいのだ?」
手を離し、身を翻してスヴェンが僕に笑いかける。話が早いのは美点だが、早すぎるのも欠点ではないだろうか。
「一応その前に紹介させてください。こちらは治療師のパタラさんと、ええと、ソラリックさんです」
「我が輩が世話になることはあるまい」
「でしょうが」
頭を下げかけた二人を無視して、スヴェンは無下に言う。たしかに治療師など、必要はないだろうこの男には。そもそも内部構造からして人間と同じとは思えないし。
まあいい。とりあえずは。
「それで、標的ですが」
「ふむ」
「まだわかりません」
「なんと」
驚いている風でもないが、一応驚くようにスヴェンは口にする。レシッドも首を傾げたが、彼にも何も言っていないし仕方あるまい。
僕は部屋の中にあった机に適当に地図を開く。地形図などもない、本当に簡略化されたネルグ南側の地図だ。
「僕が取ろうとしている動きを含めて説明します。レシッドさんにも関わることなので、何か質問があれば随時お願いします」
「……おうよ」
「まず、先ほど決まったエッセンの動きですが……」
それから僕は、さきほど軍議で決まった聖騎士団を中心とした動きを四人に説明する。
椅子に座り、机の地図を囲んで。
それには、まあ、さして質問は飛んでこなかったが。
僕の話は、その先の話。一段落した後、溜息交じりにスヴェンは言う。
「我が輩たちはどうするのだ?」
「僕たちは明日移動をし、開拓村に駐屯する聖騎士団の陣を一部借ります。おそらく数日そこに留まることになりますが、そこで戦線の推移を見守りましょう」
「暇だな」
「僕たちの出番はその後。五英将が戦場に姿を見せてからになります」
「五っ……!!」
レシッドの椅子がガタンと鳴る。なんか、さっきも似たようなものを見た気がする。
質問ではないようなので、僕はそれを無視した。
「スヴェンさんの標的が決まるのはそこでしょうか。突出してきた五英将、または近隣にいる五英将を一人以上、片付けてもらいます」
「我が輩が最低一人。人数自体は構わんが……お前たちはどうするのだ?」
「僕も同じ事を。五英将を出来る限り同時に殺害する。これは個人的理由からですが、それが最終目標です」
背もたれにもたれ掛かり、スヴェンが椅子をギイと鳴らす。余裕ある態度で。
「五英将は五人。こちらはお前と我が輩と〈猟犬〉と。仮に一人一殺としても二人余るな」
「おそらく四人しか来ません。なので、残った一人は」
カタ、と微かな音がした。窓辺から。
視線が集まる。その先には、席を立ったレシッド。
レシッドはつっかえ棒で開きっぱなしにしてある木戸を更に上げて開口部を広げ、窓枠に足をかけていた。
僕が念動力を作用させると、木戸が勢いよく閉まる。
「どうされました?」
「あの、お前、……いや、言いづらいんだけど、一言いい?」
「どうぞ。質問などでしたら」
僕が言うと、レシッドが気まずそうに目を逸らす。
レシッドの苦笑いを見て、スヴェンがニヤニヤと口角を上げる。組んだ足のせいだろう、この部屋で一番偉そうな仕草のまま。
レシッドは頬を掻く。気まずそうに笑いながら。
「あのさ、俺に、五英将と戦えってこと?」
「そうですね。そのつもりですが」
「五英将って、あの五英将? ムジカルの?」
「あの五英将です」
むしろ、他にいたら困る。
そう思ったが、レシッドは深刻に考えているようで渋い顔で俯く。それから苦笑いし、「そういやさ」とポンと手を打つ。
「お前、簡単なことって言ったよな? 簡単で安全に大金手に入れられるって言ったよな?」
「ええ。手順としては簡単なものだと思いますが」
僕の答えに一度俯き、顔を上げたレシッドがにっこりと笑う。
それから勢いよく突き飛ばすように強引に木戸を開け、潜り抜け、扉に手をかけ外側の窓枠に足をかけてぶら下がる。ここ二階だけど。
「バーカ! お前マジでバーカ!! んなこったろーと思ったよバーカ!!!」
威勢よく、窓の外でレシッドが叫ぶ。それから跳んで向かいの建物に飛び移った。
「逃げたな」
「……ですね」
僕とスヴェンが顔を見合わせる。
木戸が閉まった窓の外から、「俺やんねーからな!!」と叫ぶ大きな声が聞こえる。
スヴェンが、木戸越しに見えないレシッドを指さし僕の方を向いた。
「〈猟犬〉といったか、あの駄犬は必要なのか?」
「味方ならば、多ければ多いほどありがたいですから」
「さっぱり理解出来んな」
無感情にスヴェンが吐き捨てるように言う。その言葉が何故か、ニクスキーさんと重なった。
しかしまあ、悠長にはしていられない。契約を既に交わしているし、レシッドが本当に逃げることはないとは思っているけれども。
「ちょっと待っててください。連れ戻してきますので」
僕は言いつつ立ち上がる。面倒だし、本気で逃げられたら捕まえられるかどうかわからないけど仕方ない。
僕も窓枠に足をかけて木戸を開くが、その先で豆粒のように小さく見える後ろ姿が、建物の陰に隠れて見えなくなった。
しかしスヴェンが「いや」と応え、それからゆるりと立ち上がった。
「我が輩が連れ戻してくる。雇い主殿はここで大きく構えているがいい」
「そうしてくれるとありがたいですけども……頼んでもいいんですか? スヴェンさんにはいてもいなくても関係ないでしょう」
そもそも先ほどの言葉では、スヴェンはレシッドを要らないと思っているのだろうに。
僕の疑問にスヴェンは笑う。
「たしかに我が輩にはあいつの必要性は理解出来ん。だが、あれだけ嫌がっているのだ。連れ戻す理由としては充分だろう?」
嗜虐的な笑み。先ほどニクスキーさんと重なって見えた顔が、今度は何故かオトフシと重なった。……本人に言ったら怒られそうだけども。
「……そうですね」
何も言えず、僕は道を譲るように身を引く。だがスヴェンは構わず壁へと向かって歩いた。
そういえばそうか。
軽くスヴェンは跳ぶ。
その勢いのままに、まるで煙の壁の中に入っていくように石の壁をすり抜け、さらに壁を外側から蹴る音がした。それから向こう側を勢いよく駆けていく足音が遠ざかっていった。
「あの」
二人がいなくなった部屋。そこで、小さく手と声が上がる。女性側の方、ソラリックの。
「何か」
「先ほどの話からすると、この隊は通常の戦闘には参加しないということでいいんでしょうか?」
「聖騎士団に従属するわけではありませんので、そうなります。采配はミルラ様からの許可は得ていますし」
仮に従属しているとしたら、それは本隊ともいうべきクロードたち第二位聖騎士団だろうか。彼らの指示に従うのはやぶさかではないが、それでもこちらにも優先したいことがある。
「……つまり、仮に味方部隊が危機に陥っていても……救難もしない……と?」
代わって責めるように男性の治療師、パタラが言う。
偏見からかもしれないが、その顔色のどこかから喜色が見える気がする。失点狙い、とそんな気もする。それが間違っていたら失礼にも程があるが。
そしてそんな失点を回避するべく僕は首を横に振った。
「必要以上に打って出るつもりがないだけです。陣を借りた聖騎士団に添う形で、私と先ほどのレシッドがそれには従事しましょう。幸いなことにお二人のような治療師の方もついていらっしゃるわけですし、そのときは頼らせて頂いてもいいでしょう?」
「……。それはもちろん」
「もっとも、印象が悪いのもわかっているつもりです。パタラさんから見れば、功績狙いの自分勝手なものかも」
「…………現時点で否定出来る材料がありません」
赤い髪の毛を軽く掻いて、パタラがアルカイックスマイルを浮かべる。
僕でもわかる愛想笑い。
「名高い薬師としての力量を見せて頂けると期待もしていたんですが」
「それこそ、不要でしょう。治療師の方からすれば児戯のようなもので」
謙遜と世辞も混じるが、本音もほとんどだ。
薬師も治療師も人を癒やす職能だが、戦場で求められるのは緩やかに人を健やかにする薬師の業ではなく、確実に命を繋ぐ治療師の業。
薬師は怪我で苦しみ呻く傷病者から痛みを除くことは出来るかもしれないが、治療師は同じ事をした上で怪我自体を取り去るだろう。
点穴を交えて推拿しても同じ事。やはり、即効性という観点から見れば治療師の術には敵わない。それだけが理由ではないだろうが、だから廃れてしまった。
そういえば。
「こちらからもお聞きしたいんですが」
「何でしょう?」
僕は赤毛の治療師に逆に尋ねる。彼らにも聞いておきたいことがある。彼らがついてくるということで発生してしまう問題。
「移動手段は用意されていますか? 自前の馬など」
僕とスヴェンにレシッドならば、徒歩での移動で充分だ。並の騎獣などよりもずっと早く、小回りもきくだろう。
もちろん彼らが望むのならばどうにかして都合しなければと思ってもいたが、彼ら自身も雇う際に要らないと言ってくれたので解決している。平時ならばまだしもこの戦時下では難しいとも覚悟していたし、それはありがたかった。
しかしならば、この治療師たちは。
「騎獣を陛下より下されております。馬には乗れませんが、邪魔にはなりません」
「では、私たちが合わせますかね」
といっても、スヴェンが合わせてくれるだろうか。もう、現地集合で良い気がしてきた。
煩わしい、が無理もない。
僕の推測だが、クロードが先ほど否定しなかったということは間違いあるまい。彼らの役目は監視役。仮に僕が功績を挙げたとしても、それに何かしらの瑕疵を見つける役。
簡単に言えば、戦後いちゃもんがつけられるのだろうと思う。彼らの証言によって。
それに、足枷にもなっている。
彼らの帯同は僕らの進軍の明らかな重荷だ。通常の軍であれば大人数により自然と足が重たくなり、彼らの足の遅さはそう問題にもならないが、僕らに対しては別。
足回りの軽さという少人数の利点が殺されている。
そのための、二人の治療師だろう。彼らの護衛も僕らの中で考えなければならないわけだし。
僕が溜息を堪えつつ宙を仰ぐと、パタラが心配そうに僕に語りかける。
「カラス殿たちの騎獣は?」
「私たちは使いませんが、遅れないようにお願いします」
「……?」
「……集合場所と時間、決めておきましょうか」
もちろん見える範囲にはいようと思うが、万が一はぐれたときのために。
意味がわからない、という風にパタラは首を傾げたが、その理由は明日知ってもらおうと思う。騎獣は楽だが、今は邪魔だ。
しばらくして、今度は一応スヴェンは木戸から戻ってきた。
首根っこを掴まれて引きずり込まれたレシッドは涙目に見えたが、それは無視するのが優しさなのだと思う。
息を切らしたレシッドは、転がされるままに床にどちゃりと投げ捨てられた。
「鬼事というのも中々面白いものだな!」
「……俺はもう、勘弁……」
レシッドの方が単純な足が速いと僕は思うが、やはり駄目か。スヴェンの壁透かし……だっけ、あの特技は障害物がある街中での鬼ごっこには反則に近いと思う。障害物という概念がないのだから。
起き上がるも、足を崩して肩でしている息を整えているレシッドに、スヴェンがしゃがんで顔を近付ける。
「息を整えたらもう一度逃げろ。また我が輩が鬼をやる」
「いえ、もういいです……大丈夫です……」
レシッドがスヴェンに目を合わせずに応える。それを見て、気の毒だと思ってしまったのも、きっと良識というものなのだろう。
話は大体終わりだ。レシッドも快く納得してくれたようだし。
僕は最後に、と四人に向けて話す。
「では、出発は明朝十の鐘で。それまでに、各自とりあえず三日分の日持ちする食料と野営の準備をお願いします。治療師のお二方の荷物はこちらで作った方が?」
スヴェンもレシッドも心配はないだろうが、こちらは大丈夫だろうか。そう問いかけると、ソラリックが、え、と顔を強張らせる。
「小荷駄も動いてますし、陣を借りられるのでは?」
「ですけど、聖領の中では何が起きるかわかりませんし」
戦場になるのは、多くはネルグの中。
ならばそこは本来人の縄張りではないし、敵は敵兵だけではない。
食料に関してはまったく準備しなくても大丈夫だと思うけど、一応。
「……治療師団のほうでは手厚い補助が出るのでしたね?」
「そのはず、だったと」
僕が尋ねると、ソラリックが頭の上で何かを思い描く。その何かは僕には当然見えないが、それでもきっと記憶にはあったのだろうと思う。
たしか、戦場でも治療師団は食料などが独立して配給されている。もちろん彼らは戦場の中でも後方にいるのでそもそもそういうものが不足するという事態が起こりづらいのだが。
彼ら二人に関しては治療師団の方を頼ってもいいと思うが、しかし今回はそうも言っていられない。
「しかし仮にその中にお友達がいらっしゃれば、同じように準備を促してもいいと思います。前回〈貴婦人〉の襲撃を受けたことを思えば」
ソラリックの方は思い至らなかったようだが、パタラの方はサーッと顔が青くなる。
経験者、の反応な気がする。必要性は理解頂けたらしい。
「カラス殿にお願い出来ますか。私たち二人は聖領内は不慣れなので」
「わかりました。参道師の真似事ですが、どうにかしましょう」
もちろん必要になる事もないと思うが、念のために。
彼らのおかげでまた一つ仕事が増えた。
「今から出立でもよいのではないか? 我が輩たちは問題なかろう?」
スヴェンが口を開き、治療師を見る。『我が輩たち』ではない二人を。
「僕もそのほうがいい気もしますけれど、置いていくわけにはいきませんし今言った準備もあります。お二人には申し訳ありませんが」
「俺も、明日がいい。明日にしてくれ」
レシッドが軽く手を上げて言う。ならば多数決ではこちらの勝ちだ。
スヴェンも別に不満があるわけではないだろうと思う。急ぎたいのではなく、いつ出ても構わない、という感情だろうし。
それに、何より。
「あと、これから僕に個人的な用事があります。なのでお願い出来ますか」
別にスヴェンに関しては先に行ってもらっても構わないが、出来るだけ別行動による面倒は避けたい。
そう僕が願うと、スヴェンは椅子にもたれ掛かり足を組み替える。
「まあ構わん。それまでは適当に城の宝物庫で腹ごしらえでもしてるとしよう」
「……食べ物ならば、用意しますので」
さすがにそれは勘弁してほしい。あとでどこかの鍛冶屋にでも掛けあってくればいいだろうか。
僕の言葉に聞いていた治療師の二人はまた首を傾げ、それから腹繋ぎに差しだした鉄貨を囓るスヴェンの姿を見て、目を剥いて驚いていた。




