増えるもの
目指す軍議の間は、北の兵営に作られている。
それ専用のものというより『何かに使える』とばかりに作られた建物で、床も張られておらず安普請の木造の大きな箱だ。
僕は一昨日起こしたあの騒動以来この兵営を訪れてはいなかったが、普通に歩くだけでやはりともいうべき視線が突き刺さった。
モスク曰くの予算が取れなかった粗末な建物群。
そこかしこから、人間の体臭がする。更に朝食の魚の残り香や、離れて作られた厠からは微かな糞便の臭い。
元は空き地か農地だったはず。これは一時的な住居のはずだが、しかしそこはもう人間たちが暮らす街という風情に変わっている。
その様変わりに、人間たちがどれだけ厚顔かと、僕は要らぬ毒を内心吐いた。
そして、やはり人間の街だ。
「私たちをどうにかして貴方様の下で……」
「お断りする。我が団は特定の誰かを借り受けるような戦力の補充はしない」
精々犬のような動物はするかもしれないが、他の動物ではあまりないだろう。目の前の男女のように、地位ある者に媚びを売るという行為は。
声をかけられていたのは、聖騎士二人。声をかけていたのは……ええと、……あの、この前僕を相手に騒動を起こしたあの……なんとかという探索者とその相棒らしき女性。
手前で立ち止まった僕をちらりと見て、その聖騎士の偉い方は手を軽く挙げようとして止める。
そのまま続けてくれればいいのに、言葉の応酬が止まる。
この前の探索者は僕を睨むように見ていたが、そこに興味をなくしたように聖騎士は彼らから一歩遠ざかるように身体の位置を変えた。
「カラス殿。いよいよだな」
「これはテレーズ殿。色々と既に大変そうで」
「…………まあ、な」
テレーズが二人の探索者にちらりと視線を送る。何とかという眉に傷がある探索者はその視線を受けて、更に僕を見て不満を眉に示した。
隣にいる男性は〈露花〉の副団長だろう。見た目は四十過ぎほどの男。顎髭はないがこだわりのありそうな鼻の下の髭が特徴的な。
副団長は探索者を牽制するようにじろりと見つつ、僕とテレーズを横目で見れる位置に移動した。
「クロードには会ったか?」
「いえ。私もこちらの用事を済ませていたので」
「なら私と一緒に今から行こう。カラス殿の意見も聞きたい」
「私の意見など」
僕は首を傾げる。僕の意見を求めたいとはどういうことだろうか。
それに、僕は軍議に出るためにきたが、まだ時間的には始まっていないはずだ。クロードたちが勝手に……? 何を?
「いいや。カラス殿は長くこのイラインで活動してきたと聞く。ネルグの植生や地形には詳しいだろう?」
「一般の方よりは。……何のために?」
「陣を張る場所の検討だ。先に決めておかねばならん。参道師も呼んでいるが、信頼出来る意見ならば幅広く聞いておいたほうがいいだろう。何せ、ネルグは二十年もあれば何もかも全く変わってしまう森だからな」
「……まあ」
ネルグが日々変化する森だというのは同意する。
けれども、そういった重要なことを事前に決めてしまっていいのだろうか。そういうものこそ、軍議で決めるようなことではないのだろうか。
「聖騎士様」
男性探索者がテレーズに向かって呼びかけるように声をかける。それを副団長が視線で止めるが、男性探索者はまったく意に介さない様子だった。
テレーズは腕を組み頷くようにしながら語る。
「それを汲んでいるからだろうか? このイラインもやはり複雑な街だな。以前も訪れたはずだが、やはり一切の以前の記憶とは違い、迷子になりやすい土地だと痛感した」
「まさかもう」
僕は半ば呆れて思わず呟く。
「いやいや、まだ副官のおかげで迷ってなどいないぞ。いないから今ここにいるのだ」
しかしテレーズは明るくハハハと笑う。
同意していいのかいけないのかわからない自虐は出さないでほしい。
僕が返事ともつかない適当な発音をして、どうにか返事をしたように見せかけている間にも、いきり立ったようにまた探索者は叫ぶ。
「聖騎士様!」
副団長が静かに左手を出し彼らを遮る。しかしそれでも、もう抑えられないようで探索者は食ってかかるように距離を詰めた。
テレーズは探索者を見て溜息をつく。
「なんだまだいたのか」
「ご注進申し上げます!」
叫び、探索者が僕を指さす。
「その男は! 決して信用における者ではありません!! ここイラインの鼻つまみ者! 聖領探索を長くしていたなど真っ赤な嘘です」
「んー?」
聖騎士の外套にある右のポケットに手を入れて、わずかにテレーズが反応する。その反応を好意的に取ったのか、男の頬に僅かに喜色が浮かぶ。
「どのようにして取り入ったのかわかりませんが、ミルラ王女からの信託まで得たといいますが……!」
「……殿下をつけろ」
こめかみの辺りを掻きながら、叱るようにテレーズが言う。それでも遮られた男にめげる様子はない。
「聖騎士団長様からもご進言ください! その男は、王女……殿下によからぬ考えを抱いて近寄ったに違いありません! 即刻、解任していただかなければ!」
「よからぬ考えというのは?」
テレーズが男に聞き返すが、男は黙る。
それからテレーズは僕を見るが、僕としてもそもそもよからぬらしき考えはないし応えられない。
僕からの答えもないことを確認し、テレーズは男を近付けないよう手を出している副団長に顎で指示を出す。副団長は鼻で溜息をつきながら手を下げた。
「黙るなよ。重要なところだろ」
「……しかし、王女殿下にお仕えするというならば、そのような男は相応しくな……」
「質問に答えろよ」
「…………!」
今度はテレーズが男を睨む。青白い瞳が突き刺すような圧力を帯びていた。
「第一な」
「なんだこんなところにいたのか」
テレーズの言葉を遮り、テレーズの後ろから声がかかる。
僕からしたら視界に入っていたし、テレーズも誰か近づいてきていたこと程度は察していただろうが。
「遅いなと思っていたら、カラス殿とじゃれていたか。迎えに来てやったぞ」
「ああ、クロードか」
「……なんでそんな不機嫌そうなんだ?」
僕はとりあえず挨拶代わりに会釈をする。探索者二人は、新しい聖騎士登場に驚いて背筋を正していたが。
テレーズが、全員に聞こえるように鼻で笑う。
「いやなに、こいつらが、カラス殿をミルラ王女殿下の私兵から解任しろとか抜かしてな」
「どうしてまた」
事情がわからず、クロードは僕とテレーズを交互に見る。テレーズのこめかみには、何となく筋肉の緊張が見て取れた。
「相応しくないそうだ。普段の素行が悪いからそれがいけないんだと」
「何したんだ?」
クロードが重ねて僕に問いかける。
どこまで言っていいものだろう。そう一瞬悩んだが、よく考えたらウェイトの話からすれば全て話しても問題あるまい。
「この方とは一昨日初めてお会いしました。その時に、ミルラ王女殿下の軍旗を奪われそうになったので抵抗したところ、少々怪我をさせてしまったようで」
「ぅ嘘だ!?」
僕は一応真実を語る。もちろん全部は言っていないが、それは別に省いても問題ないだろうところだと思う。むしろ優しいのではないだろうか。この男が剣を抜いて向かってきたということを言わないのだから。
しかし、探索者の男は慌てたようにそれを否定する。どこが嘘だというのだろうか。
「お前、それが本当ならお前らの方がよっぽど重罪だぞ」
テレーズも呆れたように二人を見る。ずっと黙っていた女の方は、その視線にサッと男から一歩離れた。
僕も頷く。
「あとで極刑もあり得ると別の聖騎士からもお聞きしましたね」
僕も昨日の夜適当な聖騎士を捕まえ調べた。
軍紀上、所属を明確にするのは必要なことだし、それを邪魔するような真似は慎まなければならないという。
軍旗を奪うというのもその一つ。それも普通ならば処罰の対象になる程度で収まるが、それが王族から下されたものであれば更に重罪になり、そして悪意があると見なされれば更に罪は重くなると。
「それは、その、その男がそうだとは知らなかったというか……」
「僕は貴方が触れる前に明確に所属を明かし、紋章も見せておりますが」
そして男の明らかな嘘に僕は反論する。
もちろん証拠はないため水掛け論になるが、それでも。
クロードとテレーズ。二人に見つめられ、男は小さくなったように見えた。
しかし横の女にちらりと視線を向け、それで何か変わったのだろうか、男は強気な目を作り顔を上げる。
「こういう嘘を恥ずかしげもなく吐く男です。わかったでしょう、そのような者に王女殿下の兵は務まりません!」
「…………ほう」
真顔になり、スッとテレーズが前に出ようとする。どの要素に対してかはわからないが、怒っている、ということはよくわかった。
しかしその後頭部をガシとクロードが掴む。
「んがっ!」
鬱陶しそうにそれを振り払ったテレーズだったが、そこで身体を入れ替えるようにクロードが前に出た。
仕方ないな、と溜息を吐きながら。
「……ならばどうしろと? 解任しろと言われても、それは俺たちが出来ることじゃないぞ。精々がミルラ王女殿下に進言するくらいだ。そして、王女も困るだろうな。予定していた出兵が叶わず……」
つらつらと述べる間、クロードが誘うように男をちらちらと何度も見る。
そして探索者の男はその視線に誘われたのか、我が意を得たりと自分の胸に手を当てた。
「代わりに俺たちをお使いくださるように! この〈翔虎〉のラヴィと〈鶏鳴〉のベッツィーがその男にも勝る働きを……!!」
「そうか、ではそれをまずは今度の戦働きで証明してくれ。次はミルラ王女殿下の目に留まるといいな!」
……そういえば、ラヴィとかそんな名前だったか。
そんなふうにここぞとばかりに自分たちを売り込もうとした男が言い募ろうとするのをクロードが遮り、また明るく笑う。
「というわけで、話に落ちがついたところで行くぞ」
クロードが僕とテレーズの方を押して身体を回転させる。そして押すが、僕たちが一歩歩き出したところで今気が付いたかのように声を上げる。
「……そうだ、カラス殿にも意見を求めたいんだが」
「それは先ほど伝えてある……が、そうだ、構わないか?」
「構いませんけれども……」
背後から、呆気にとられたような視線が僕に向けられる。
それにいつの間にか観衆も集まってきていたようで、僕たちはそこそこの注目の的だった。
さすがに聖騎士に向けられている視線に負の感情はあまり見えない。
だが僕への視線は、その表情から察してあまりあるものだ。
ちらりと先ほどの探索者を見返してみれば、先ほどまでは呆気にとられていたのに気を取り直したのか、今は唇を噛みしめて睨んでいる。
その顔に僕は、もう少し強く打っておけばよかった、と何となく後悔した。
軍議の部屋には長机が置かれ、そこにはネルグ南側のかなり縮尺の大きな地図があった。やはり種類としてはイラインの騎士団用のもので、猟師や探索者の使うものとは描かれているものの種類が違う。わかっている分の地形や開拓村などはほとんど全て描かれているだろうが、もちろんネルグの植物の傾向や獣の生息域などはまったく描かれていない。
そして、その地図を詳細に見られるような数十枚の縮尺の小さい地図。それを皆で囲んでいる。
集っているのは十五人ほどの聖騎士。おそらくこの街に集った団長級全員と、いくらかの副団長だろう。テレーズの団の副団長ももちろんついてきている。
そして僕と同じく、外部の人間が四人ほど。おそらく全員が参道師だろう。聖領の専門家。ネルグを通る商人や旅人に随伴し、その安全を確保する職業。
「この樹液路の深さは?」
「冬ならば涸れることもありますが、春から夏にかけては身の丈よりも深いものになります。今の時期なら深い激流といったところですかな」
第九位聖騎士団〈琴弦〉の団長が尋ねると、参道師がそれに注釈を加えながら答える。そして他の騎士団長も同じように尋ね、その度に地図に詳しい情報が追加されていった。
もちろん、ネルグの中にも道はある。それはムジカルにも繋がっているし、そこを通っていけば進軍には事足りる。
しかし、そんなことはムジカルもわかっている。そこを馬鹿正直に通る軍があれば、ごく簡単に罠にはめることも出来るだろう。
それをさせないために、聖騎士団長たちは事前に地形の把握に努めていく。そして把握した地形を元に、駐屯する開拓村や、進軍経路、それに陣を作る場所を決めていくのだ。
「この村は現在誰も住んでいませんが……」
「開拓に失敗したのか?」
僕はテレーズが尋ねた場所の情報を何とか思い出そうとする。ネルグ浅層のそこはたしか僕の活動範囲でもあったはずだ。しかも昔は道も通っており、商人が行き来していたはず。
「近くに羽長蟻の巣が確認されておりまして。現在私どもも近寄りません」
「なるほどな」
だが、そうか。当時僕も羽長蟻の討伐に駆り出された場所。既に諦めていたのか。
しかし、やはり僕はここでは力になれなさそうだ。
ネルグの森の勢力図は刻々と変化をし続ける。地形はまだしも、数ヶ月も経てば魔物の巣の場所も変化してしまう。今回の羽長蟻は偶然以前と同じだが、それもまあ、たまたまで、僕が出せる有益な情報などはない。
……とは思ったが、ちょっと違うか。
そうだ。参道師は魔物の巣には近寄らない。僕らと違って。
経路の一つはネルグの中層を通るものもある。
「この経路も考え直すべきかもしれません」
「どうして? 大顎虎の縄張りというなら、その程度構わないが」
地図に仮に記された矢印を示して僕が声を上げると、そこを進軍すると決まりかけていた第八位聖騎士団〈孤峰〉の団長、オセロットが聞き返してくる。その髪の毛一つない頭を自分で撫で上げながら。
「この先に、地図には描かれていませんが薬泉が湧いています。私はその辺りで、以前野狗子を見ました」
「……ずらした方が賢明だな」
オセロットがうんと頷く。それから、その大顎虎の縄張りを避けるように進軍ルートを練り直しはじめた。
「カラス殿、野狗子の目撃はどの辺りで?」
参道師が僕へと尋ねる。その言葉に、僕は数年前だがその地点を何とか脳裏に思い浮かべた。
「この辺りと、……この辺りでしたか」
「ははあ、なるほど」
僕が指したのは、当時鬼と他の魔物の縄張りが接していた地点。
簡単に言うと、縄張り争いが頻繁に起きていた場所だ。
そして魔物の縄張りで参道師が近寄れず、把握出来ていない場所。
野狗子は食人鬼とも揶揄される魔物だ。首から下は人で二足歩行、だが頭は僕らの倍以上の大きさがあり、さらに毛のない犬と表現されるような獣の形をしている。僕の記憶からすると、ブルドッグに近いと思う。
彼ら自体も集団で狩りをする魔物であるし、警戒は必要だ。しかしそれ以上に、その習性により、探索者や参道師の間ではその姿を見た場所は共有されるのだとか。
彼らは死体を見つけたらその頭蓋を大きな顎で噛み砕き、その脳髄を啜る。
そのために、『年単位でそういう機会が多い場所』を選んで住み着く。
つまり彼らが姿を見せる場合、そこは近くで縄張り争いなどで頻繁に死体が出来上がる環境ということだ。
ましてや今回は近くに薬泉が湧いていた。薬泉というよりはそれもネルグの樹液なのだが、僕もよく使ってはいたそれは傷薬としても使えるそうだ。
縄張り争いをする魔物の種類自体は変わっているかもしれないが、おそらくまだそこは魔物の勢力圏の小さな要だろう。
それを求めて魔物が頻繁に争う場所。聖騎士団だけならばともかく、随伴する騎士団が危ない。
……言いつつ若干面倒になってきた。
なんで、一般人ならばともかく騎士団の安全まで考えなければいけないのだろう。
「中層の危険地帯はカラス殿の方が詳しそうですな」
ぷくぷくと太った参道師が僕に向けてそう言う。だがそれは違うと思う。
「申し訳ありませんが、中層まで行ったのはもう数年前のことです。現在の地形や魔物の分布図についてはやはりあまり力にはなれません。頻繁に情報を更新している参道師の方々の方が」
僕の言葉に、太った参道師がいやいやと勢いよく顔の前で手を振る。
「私たちなんて、中層なんてとてもとても。商人たちだって嫌がりますし」
それから、なあ、と他の参道師に賛同を求める。それに応えて、頷く者もいた。
「オセロット閣下の随伴をする者も押しつけあっている始末です」
「そういうこと言うとお前にするぞ」
「勘弁してくだせえ」
冗談めかして参道師が言うが、おそらく本音だろう。
だが、その冗談をオセロット団長が本当の冗談のように変え、皆がハハハと笑う。
身分差もあるはずだが見えない。これから戦争に行くというのに似つかわしくない、明るい雰囲気だった。
「……、……デベラン子爵家より三百九十名、モングラス子爵家より三百八十九名、以上が第六位聖騎士団へ一時編入。これよりは……」
事前の進軍経路の打ち合わせを終えた頃。ダルウッド公爵と勇者が到着し、軍議の本番に入った。
ダルウッド公爵の横で、居並ぶ面々の編入先をクロードが読み上げていく。それは本当に作業のようなもので、誰もそこに不満の声を上げようとしない。
やはり、これはまさしく『会議』だったのだろう、と改めて思う。
既に大まかには結論は出ている。どこの騎士団がどの聖騎士団に編入されるか、なども。
希望があるならば、先ほどテレーズに探索者が直談判していたようにするのが正解なのだろう。事前の根回しや縁がものをいう。
今この場で変更することも出来ないわけではないだろうが、皆しないのだろう。
「以上、第十五位聖騎士団へ編入。……次に、ダルウッド公爵猊下より、行動の指針を発表する」
クロードがちらりとダルウッド公爵を見る。
それに合わせて視線が集まる。先にいるのはダルウッド公爵。額に大きな疣がある中年の男性。衣装が質素ならば、普通の中年男性にしか見えないものを。
「物見の報告から、既にネルグ内にいくらかの拠点が作られている。今のところ我が国の開拓村への被害は報告されていないが、それも時間の問題だろう」
壁に掛けられたネルグ南東部の地図に、大まかに印がつけられている。それぞれが歩いて数日かかるほどの距離に疎らに作られたムジカル軍の拠点。この早さからすると、ムジカル民兵のものだろう。
「先行する部隊は四つ。第六位〈胡蝶〉、第七位〈露花〉、第八位〈孤峰〉、第十五位〈蓬生〉。それぞれ進軍経路に従い、接近した拠点を叩き潰し、募兵軍と共に戦線を押し上げていけ」
「了解」
テレーズが一言応える。他の三人は頷くか無反応に留まったが。
ダルウッド公爵はそれに満足げに頷いた。
「第九位〈琴弦〉、第十位〈蛍〉、第十一位〈百舌〉は予備戦力として、予定している開拓村を随時移動しながら待機。後方より先行組の補助を行いつつ、先行組からすり抜けたムジカル兵を通さぬように」
「りょーかい」
今度は、第九位聖騎士団長……名前はフィエスタなんとかと聞いたが上の名前は忘れた……が気の抜けた返事で応える。僕よりも幼くすら見える黒髪ハーフアップの彼女は、それでもクロードよりも年上だという。
「勇者隊、第二位〈旋風〉、十四位〈鹿角〉はここイラインで待機。〈鹿角〉は遊軍として後方組の支援を行う」
「…………!」
ガタン、と椅子を動かして、今まで黙って聞いていた勇者が反応する。
この軍議で指示されるもの。今この場で変更することも出来ないわけではないだろうが、皆しないのだろう……と僕は先ほど思ったが、訂正すべきかもしれない。
「……俺は、戦場に出してもらえないんですか?」
「そういうわけでは」
そして、文句を言われると思っていなかったのだろうか、ダルウッド公爵は苦笑いを何とか堪えて愛想笑いを作った。
「戦況の予測がまだ難しく、勇者殿の剛勇を振るっていただく場所がまだ定まっておりません。これは、ベルレアン卿の進言でも……」
愛想笑いの額に汗が浮き出る。それを拭いつつ、ダルウッド公爵はクロードに話を振る。まるで、責任逃れをするように。
勇者がクロードを見て、懇願するように身を乗り出す。
「俺は戦えます。クロードさんだって、わかってるでしょう」
「わかっておりますとも」
クロードはその言葉に鷹揚に頷く。いつもと違う態度に、何となく違うことを考えていそうだと僕すらも思ってしまう態度だったが。
「しかし、今ダルウッド公爵猊下に答えて頂いたものが全てですな。勇者殿のお力がどこで必要になるかわからない。故に、私と待機ということで」
「なら、開拓村での待機でも構わないですよね!?」
血気盛んな若者。そんな態度で勇者はクロードとダルウッド公爵に視線を向ける。
クロードはそれ以上何も言わずに一歩も引かない態度を見せた。しかし。
「ダルウッド公爵猊下。貴方は、俺に戦うなと仰るんですか」
「…………」
む、とダルウッド公爵は息が詰まったように唇を引き締める。
公爵に直談判。本来不遜だろうが、やはり『勇者』という称号は強い。
「……何も、戦うなとは……」
「でしたら……」
ダルウッド公爵がクロードをまたちらちらと見る。
クロードを恐れているわけではあるまい。ただ、きっと彼の指示を待っているのだろう。
そして無意識だろうが勇者もダルウッド公爵を的確に煽っていると思う。
ダルウッド公爵は、何となく避けている気がする。責任と決断から。『勇者』に『戦うな』とは言えない、と。
「……ネルグを避け、ライプニッツ領を通りムジカルへ向かう〈蓬生〉の随伴なら……」
縋るようにクロードに意見を求めるが、クロードは首を横に振る。ダルウッド公爵は額の汗を拭う。本来決めるのは彼だろうに。
「申し訳ないが、勇者殿、これは戦争だ。ここは総司令のダルウッド公爵と現場指揮官の俺に従ってもらいたい」
それから何となく、クロードから発される圧力が増したと思う。実際には何も起きていないし、クロードから何かが出ているわけではないのだろうが。言葉にするなら、多分威厳というものだろう。
「……俺は、戦うために喚び出されたんじゃないんですか」
「その通り。しかし、無駄死にをさせるためではない。勇者殿に戦ってもらうべき戦場は、今あるものではないだろう」
じり、と勇者が一歩下がったかのように見えた。もちろん椅子に座っているし、下がったりはしていないのだが。そして、また唾を飲んでダルウッド公爵を見た。
「ダルウッド公爵猊下」
「…………」
気圧されるようにダルウッド公爵は目を逸らすが、それでも勇者は見つめ続ける。
ついに額から汗が滴り落ちた。
「…………フィエスタ・グラディエント、勇者隊を随伴させることを命ずる」
「…………」
そんな名前だったか。
じと、と第九位〈琴弦〉の団長がダルウッド公爵を見るが、公爵にもそちらを見返す勇気はあるらしい。眉を顰めたクロードを無視してダルウッド公爵は緊張の解けた笑みを浮かべる。
「予定にありませんが」
「決まったことだ。勇者殿を支援し、突出したムジカル兵を撃退せよ」
「…………」
口の中でフィエスタが「おもりかよ」と呟いたのが僕の耳には聞こえた。
彼女の隊もネルグ中層近くで行動するし、僕的にもやや不安にも思うのだが。
それから満足した勇者を置いて、軍議は滞りなく進み、解散となった。
進軍は今日、この軍議が終わったすぐ後から。
ならば僕も明日には出るくらいでいいだろうと思う。
膠着状態になるのはいつかはっきりとした予想は出来ないけれども、それで充分だろう。
狙いは五英将。彼らが出てくるのはまだ少し時間がかかる。
とりあえず、それを今日スヴェンとレシッドに伝えないと。
それにリコにも会わなければならないし……。
今日の午後も忙しくなりそうだ。
そんなことを思いながら、ドタドタと準備を始めるべく走り出す騎士団長や聖騎士団長の背を僕は眺めてから、陣を出た。
次はスヴェンとの待ち合わせか。その現場に向かうべく歩き出した僕の背に、声がかかる。
「カラス殿、少し話がある」
「…………?」
振り返りクロードを見れば、その後ろに先ほどの軍議にいなかったと思う男女がいた。
深緑色の外套は、その所属を示しているのだろう。それは国家に仕えているのではなく、もっと大きな何かに仕えている者たちが纏うもの。
「……なんですか?」
「そんなに不機嫌そうに言うなよ。いや俺も面倒だと思うけど」
「事情がさっぱりなのでそこまで辿り着けていませんが」
クロードが頬を掻く。困ったように笑いながら。それでも、口を開けば重々しい言葉を漏らす。
「畏くも国王陛下のお言葉だ。よく聞けよ」
「はあ」
もう一度、とばかりにクロードは咳払いをした。
「『ミルラ麾下の者たちよ。我が娘ミルラを助けて頂くこと喜ばしく思う。ならばこそ余からも力添えをしたい』」
「……大体わかりました」
重々しく語られた言葉に何となく嫌な思いをしながら僕が返せば、クロードは噴き出すように笑った。
「国王陛下の言葉だって言ってるだろう。遮るな」
「…………」
僕は聞こえるように溜息をつき、身を正す。この上跪けばいいだろうか。しないけど。
「『治療師を手配させた。どうかその身に神の加護を得て、我が愛する娘のための剣となってもらいたい』と」
「りょうかいしましたありがたくうけとります」
「気のない返事だな、おい」
呆れたように言ってからクロードは頷き、背後の男女を見る。
二人の治療師は進み出て、僕へと頭を下げた。
「ネウィン・パタラ、並びにコルネア・ソラリック。戦場では随伴させてもらいます。よろしく頼みます」
「よろしくお願いします」
僕よりも少し年上らしき赤い髪の男がそう言うと、僕と同年代の女性……こちらは水色の髪……の方も元気よく挨拶する。本当に、面倒な。
赤い髪の方は見覚えがある。
「王城の生薬を管理していた方でしょうか」
「そうです。その縁で、ではないでしょうが」
以前よりはだいぶ柔らかな口調、だが何となく『慣れていない』感がある。
治療師の位階は外から見ても僕にはわからないが、それでも王城にいたというのであれば低いわけはあるまい。それならばきっと、女性側も。
「宿はカラス殿の分も含めて手配してある。後は頼んだ」
「はあ」
クロードが、小さな紙片を僕へと手渡す。そこには僕も泊まれるように振り分けられた騎士団用の宿の住所が書かれていた。
……ここでいいか、スヴェンと落ち合うのも。
僕は治療師二人に向き合う。
「ではあとで私も向かいますので、宿へ先に戻っていてください。ミルラ王女殿下の麾下に入る方々を紹介し、この後の指針をお話しします」
「わかりました」
コルネアの方が応えて、行きましょう、と二人が歩き出す。
それをクロードと見送り、僕はクロードに視線を向けずに口を開く。
「見張り役ですか?」
「だろうな」
そして僕の考えをクロードは肯定する。
やはりそれが、彼ら二人のここに来た本当の理由。
「まあ上手くやってくれ。邪魔はしないだろう」
「そう願いたいものです」
僕はクロードに答えてから、またなんとなしに溜息をついた。




