閑話:笑顔の決心
ルルの閑話群は終わりです。
ヨウイチが扉を閉めて出てゆく。
座ったまま、挨拶もなくそれを見送ったルルは、ふと溜息をついて現状を再確認する。
「…………」
思考が止まる。途中からは夢の中で喋っていたようで、恥ずかしさも何も湧かなかったその言葉の数々を思い出し、噴き出すように笑って顔を引きつらせた。
自分は何を言ったのだろうか、とまるで他人事のように一つ一つ思い返してみれば、やはり自分が言ったとは思えない言葉の数々だ。
好きな人がいると言い、貴方ではないと告げ、挙げ句の果てにはその人と幸せになりたい、などと……。
「……! …………!!」
顔から火が吹き出るような感覚を覚え、恥ずかしさに意味なく身体を揺すり足下をばたつかせる。
何を言ったのだろう。言葉に出来たのがついさっきだとは思いつつも、誰にも話していなかったことを、勇者に向かって。
扉が叩かれる。
勇者が出ていったのだ、当然、とルルは思ったが、慌ててそれを制した。
「……あの! まだ!! ちょっと、その!!」
「? 失礼いたします、お嬢様」
わたわたとしながら取り繕おうとするルル。しかしサロメは返答を気にせず扉を開き、その先にいたルルを見る。
そして慌てる仕草のルルを見て、その尋常じゃない様子を見て、全身の毛を逆立てた。
「……あの勇者っ……! 何を……!!」
「サロメ殿、落ち着かれたほうがよろしいかと。心配なさるようなことはありませぬ」
「はぁ!?」
背後からオトフシが、落ち着いた声でサロメを宥める。
勢い余ってそのオトフシを睨んだサロメは、オトフシが笑いながらも目を細めたのを感じ取り、「申し訳ございません」と深く謝った。
「……それで、話はどのように……?」
オトフシに気を遣うように窺い見ながら、サロメはルルに問いかける。ルルは当事者、オトフシは聞いていた。ならば知らない部外者は自分だけだという殊勝な態度で。
ルルはまだ顔に赤みを残しつつも、咳払いをして平静を取り繕い口を開いた。
「勇者様から直接求婚していただきましたが、丁重にお断りしました。求婚は、お義母さまを通じてと」
「ははぁ……勇者様も大それたことを……」
サロメがポカンと口を開ける。呆れたわけではないし、戦争前のこの時間に先に話しておきたいという気持ちもわかった。けれど、やけに早い、という印象もあった。
会って、話をして、お互いに距離を詰めて恋をして最後には結婚する。そんな庶民の一般的な伴侶決定の行程。勇者はそれをしたかったのだろう、とも思うし知っている。
ルル・ザブロックへの恋慕の情。それは傍から見ても明確でよくわかるものだったし、露骨な態度にもそれは表れていた。
サロメには、その類いの経験はない。幼い日にした恋も、形になる前のあやふやなままで終わってしまった。
だがそれでも不思議に思う。仮に相手に結婚を求めるとして、仮に相手を伴侶として決めたとして、相手から自分への感情をもっと考えないだろうか、と。
もう少し距離を詰める時間が必要だったと思う。
今回も、求婚をするとしてもその予告のようなもので、ルル・ザブロックに対して何かしらの返答を求めるようなものではない、程度に考えていた。
いわゆる愛の告白というものは、相手からも好意を寄せられていると確信してから行うもの。そんなサロメの考えは、それなりに一般的なものだろう。
そして、サロメもルルも知らないが、ヨウイチも本当ならばそう考えていた。本来ならば。
しかし、とサロメは考える。
愛の告白には、もう一つある。相手からすれば、初対面に近い間柄でのこと。
文字通りの告白。これから仲を詰めるための意思表示。
ならば、こちらだろうか。
「お嬢様のことをそんなにも想っていたのですか」
「……嬉しいことに」
ルルは応えるが、その表情は沈む。一瞬嬉しいと思ってしまった。ヨウイチの、たった一言が。もっともそれで心が動くことはなかったので、現在に至っている訳なのだが。
そしてサロメからしても『そうだったんだ』程度の感慨しかない。だから何だというのだろうか。それよりも、ルルの気持ちのほうが重要だと。
そこまで考えて、気付く。廊下でのオトフシの言葉に。
「ああ、なら、お嬢様、もう安心です。カラス様にも伝えなければと……」
「しかし、見事な断り文句でしたな。あの勇者様も落ち込んでらっしゃいましたよ」
サロメの言葉を遮り、オトフシはクツクツと笑う。サロメは不満げにオトフシを見るが、オトフシは視線でその続きを制した。
ルルは、安心、というサロメの言葉も気になったが、オトフシの言葉から喚起された恥ずかしさに、それどころではない思いだった。
そうだ、聞かれていた。先ほどの言葉は全て。
オトフシの言葉を止めるようにルルが手を伸ばすが、当然届かない位置のオトフシには何の効果もない。ただオトフシは、その仕草を見て笑みを強めた。
「『私は貴方に幸せにしてもらうよりも……』」
「わー! わーっ!!」
掻き消すように声を出すが、もはや生来と教育によって育まれた慎ましさから、その言葉を掻き消せるほどの声量はない。ただその仕草に、サロメが耳を塞いだのが幸いだった。
そして初めて見る。主のそこまで焦った顔。怒っているわけでもないようだったが唇を尖らせ、年相応の少女のように振る舞う姿が、サロメは何故だか嬉しくなる。
オトフシの言葉がオトフシ自身の笑いによって止まる。
「……やめてください」
「了解しました」
それからオトフシを叱るように言うルルの赤い顔に、後でオトフシに詳細を聞かねば、とサロメは決意した。
何度か自身の顔を叩き、赤い顔を平静へと戻し、ルルは何度か溜息をつく。
舞踏会に行くために、立ち上がらなければ。
ふっきれた、と思ったがやはり足は動かなかった。先ほどとは別の悩みが発生して。
「さてそろそろ……という気分ではなさそうですが?」
「どういう顔をして行けばいいかわからなくて」
先ほどよりも大分気は楽になっていた。だが、別の問題がある。舞踏会場には、先ほど告白を断ったばかりの勇者がいるのだ。
そして勇者はルルにとっても関わりのある重鎮である。ルルにとって挨拶をしなければいけない重要な人物。
だがそこで、お互い知らないフリを出来るだろうか。今日会った出来事を全て忘れて、周囲からはいつものように見えるよう会話を出来るだろうか。そう考えれば、足が動かなかった。
いっそ招待を断ってしまおうか、とも考えた。病欠など適当な理由を用意し、いかなければいい。
しかしそれはそれで、周囲の噂を呼ぶものだ。特に、勇者と次に会ったときの態度がおかしければ。
一番は、やはり気恥ずかしい。世の恋多き女性は、こういうときにどう乗り越えているのだろうか。そうルルは、頭痛を誤魔化すように額に指を当てた。
その様子に、肩を上下させてオトフシは言う。
「なるほど。……まあ、化粧を直してからで良いでしょう。涙で随分と落ちておりますし」
「え?」
ルルはオトフシの嘘に、目の下に指を当てる。そもそも泣いてはいない上、そのオトフシの嘘も明確だったために、そんなわけはないと内心思いつつも。
そして、その通り、ルルの拭った指先に色はない。
「髪は私が梳かしましょう。サロメ殿、目元を」
「……はあ……?」
テキパキとオトフシは指示を出す。サロメは反駁したかったが、有無を言わせぬオトフシの態度に、何故だか身体が動いていた。
机を引き、長椅子にルルを座らせたまま、言われたとおりにサロメがルルの化粧を直す。目尻の、涙が流れていれば落ちているであろう場所を、カラスの作った乳液に浸したごく細い海綿で拭い、また細い筆で下地と黒い塗料を塗る。
緊張で額や頬に吹き出ていた汗を絹で抑えるように拭い、下地の表面を整える。
全くの無意味なことを、と思いつつも。
しかし、と完了したルルの顔を引いて見たサロメは不思議に思う。いつもと何か違う気がする。
まるで、別人が化粧をしたような。
それを黙って見ていたオトフシは、ようやく柘植の櫛を一つ手に取り、今気が付いたかのようにルルの額に手を回した。
よそ行きのための髪飾り。ルルが勇者と会うときには、いつもつけていた前髪を留めていた飾りを外す。横に流すように上げられた前髪が、さらりと落ちた。
「失礼いたします」
それだけ言って、オトフシはルルの髪を梳く。
元々乱れていない上、ルルの髪質は何もせずとも絡まない上等なものなので、全くの無意味な行為なのだが。
「先ほど勇者に告げた言葉、後悔しておりますか?」
「…………」
オトフシの言葉に、ルルは無言で膝の上に置いた手を握る。していない、と自分では思う。だが、している、と思ってしまうことも事実だった。
ただ。
「……間違っていた気もします。やっぱり、貴族らしく振る舞うなら、私は快諾するべきだったのではないかと。貴族らしくはない」
「ルル様は、もう既に貴い血を持つ方々の一員でしょう。好きでもない男と結婚する。そんなことを出来る女はそうはいない」
立派です、と小さくオトフシは付け加える。
それは自分も出来なかったことの一つだ。
もっともオトフシも、そうなる以前の問題だったのだが。
「どんな顔をしていけばわからない、と仰いましたな」
「……ええ」
「簡単です。ただ、笑顔でいけばいい。口角を上げて、目尻を下げて」
ルルはその言葉に唇を結ぶ。
何度も躾け係に言われた言葉だ。そして自分が一番、苦手だったもの。
櫛を置き、オトフシがルルの両肩に手を乗せる。
「わかる。妾もそれが苦手だった」
「……?」
妾も、という言葉にルルは首を傾げる。突然変わった口調にではない。ただ、その実体験ともいうような言葉に。
振り返ろうとした。だが、振り向いてはいけない気もした。
背後から聞こえる女性の声が、酷く歳をとって感じられる。若く艶のある声、ではあるのに。
「だが、出来たはずなのだ。妾と同じく、かつて魔法使いだったお前にも」
「私は魔法なんて」
振り向けず、戸惑いながらもルルは応える。オトフシはまた櫛をとり、ルルの毛の先を梳く。化粧道具をしまったサロメは、遠目に、その姿が何故だか仲睦まじくも見えていた。
「妾もお前と似たような悩みを抱えていたのだ。籠の中の鳥である生活が、嫌で嫌でたまらなかった」
「もしかして、オトフシ様も?」
「ああ。かつて妾も貴族の一員だった。その末席で、さらに『元』がつくが」
オトフシは目を細め、思い返す。それはほんのわずかな昔。
たった、三百年ほど前の話。
「エッセン西部でいくつかの銀や銅の鉱山を管理する家でな。妾も成人するほどまでは、それなりに裕福だった」
「……だった?」
ルルは言葉尻をとらえる。成人するまでは裕福だった。ならば、それ以降は。
「どこの家にでもある普通の話だ。妾には双子の兄がいてな。その愚兄が、家の食い扶持であるはずの鉱山から採れる資源を、全て食い尽くしてしまったのだ」
オトフシは、今でも思い出せる。遊行に耽る兄。死の病で病床につき、苦しみながらも兄の帰りを待った父。そして父が死んだ後、腹を膨らませて満足げに帰ってきた兄の姿。
「ありがたいことにそのせいで、ちょうど父も亡くなったこともあり、しばらくして家は没落。爵位を取り上げられ、使用人も散り散りに。後には魔術だけが取り柄の世間知らずの女と、傲岸な魔法使いの兄だけが残った」
「それは……」
ルルは、なんと言えばいいかわからず言葉に詰まる。
お気の毒、とでも言えばいいのだろうか。それとも、彼女の言葉をそのまま受け取り、よかった、とでも言えばいいのだろうか。
道義的には前者だろう。だが、ルルは後者の言葉を吐き出したくなる。
もちろんルルは、レグリスに悪感情など持っていないのだが。
「……恨んでますか?」
代わりに吐いたのは、その『兄』への感情を尋ねる言葉。
オトフシはその問いに、まず「んー」と悩むように唸った。
「恨んではない。妾も嫌気が差していた家だ。両親との仲もそう良くはなかったからな」
「じゃあ逃げ出せて、……嬉しかった?」
「それが正しい表現だろうかな。解放感はあった。これから自分で人生を選べるのだと、名前も新しく自分でつけた」
ああ、だから、とルルは納得する。
以前のクロードと、オトフシの会話を思い出し。
オトフシは言葉を切り、そのときの心情を思い返す。解放感があった、は嘘ではない。だがそれ以上に感じていた感情があった。
「しかし。妾にも、今のお前と同じように、これからどうしていいかという不安もあった。そんなときに兄に言われた言葉だ」
長椅子の背もたれにオトフシの手が乗せられる。その重みが背中に感じられ、ルルは背中を支えられている気分になった。
「『笑っていろ。いつでも、どこでも。そうすれば、自ずと道は開ける』と」
「だから、笑えと」
「馬鹿らしい兄だろう? 自分で家の財産を食い潰しておいて、妾を苦境に放り出して、それで笑えなど」
オトフシの言いたいことはそうではない。だが、ルルの言葉を否定せずにオトフシは鼻で笑った。
「妾はそこに付け加える。付け加えるわけではない、反対のことを言うだけだがな」
「反対?」
「『笑っていろ。もしも笑えなくなったら、その道はお前の進むべき道ではない』」
オトフシはルルからも視線を外し、兄との会話を思い出す。
家が潰え、わずかに残った財産すらも全て失ったそのとき、二人の間で交わされた言葉。
…………。
……。
"「これで我が輩たちはお互い、何もなくなったわけだ」"
"「そう落ち着いているときか」"
"「慌ててもどうにもなるまい? 空から突然金貨が降ってくるわけでもない」"
"「…………」"
"「人間たちは身を寄せ合って生きるのだろう? ならば我が輩たちも、しばらくはそうしようではないか」"
"「お前と協力して生きろと?」"
"「我が輩たちは双子で生まれた。そしてお互い違うところばかりだ。お前は女、我が輩は男。お前は内気で我が輩は外交的。お前は法則を否定する魔術師、我が輩は法則を無視する魔法使い。我が輩は好奇心に溢れ、お前は用心深い」"
"「ご託はいい。で?」"
"「我が輩たちは、二人で全てを分け合って生まれてきたのだ。ならば協力ではない。最初から、そう生きるべきだったと思わないか?」"
"「……妾はそうは思わんな」"
"「我が輩はそう思う。意見の一致だな!」"
……。
…………。
いつ考えても、あの兄とは反りが合わない。性格も何もかもが正反対の男。
だから彼女は、彼と反対の生き方を、と模索してきた。
ただ銀の髪の色が同じということは、彼女の誇りの一つだ。
「行儀を教える教師たちはろくにそんなことは教えんがな。どうすれば笑えるか、なんて実は意外と簡単なことだ。好きな食べものの事でも思い浮かべればいい」
「そんなことで?」
「簡単だろう? そうすれば、笑わぬまでも口角は上がる。目尻は下がる。自然と求められる明るい表情になる」
それはオトフシの持論だったが、間違いではないと思っていた。『好きな食べ物』というのは、大抵はその味だけで好きなわけではない。『好きな食べ物』と一緒に思い出されるのは、その時の喜ばしい出来事。
そして、それを思い浮かべも出来ない状況ともなれば、笑えないのであれば、その時は自分の道を考え直すべき時だろう、とも。
オトフシは、そうして生きてきた。
「好きな食べもの、というと……?」
疑いもせず、素直にルルはそれが何かを考える。
子供のときに、祝い事で母ストナに作ってもらった鶏の丸焼き。頂き物の青山茶。たまにサロメが作る会心の出来の薬湯。それに、……以前、森で食べた小さな果実。
一つ一つを思い浮かべる度に、笑顔ではないが表情は緩む。見ている間にも、徐々に目の輝きが増した、と傍から見ていたサロメも思った。
「人は誰もが魔法を使える。余計なことを覚えるにつれ、皆が使えなくなってゆくが」
オトフシは言い含めるように続ける。背もたれに手をかけたまま、その頭に後ろから囁きかけるように。
「お前をこの王都へと送り届けたときには、お前はたしかにその魔法を使っていた。笑顔という、誰もが使えたはずの対人関係で全てを解決する一番の魔法だ」
生まれ出た人が、最初に覚える魔法。
周囲に助けを求めるため、周囲を味方につける最強の魔法。
「どうすればいいかわからないときは、笑顔でいられる状況を選べ。手段はどうでもいい。今回ならば、笑って舞踏会へといくがいい。だがもし舞踏会に出たとして、どうしても笑えないなら勇者にも会わずともいいと妾は思う。後悔は終わった後にするとして、些事に囚われず、後々笑えるようにすればいい」
「……難しいです」
「ならもっと簡単に言おうか」
オトフシはルルの前へと回り、机の上に置かれたものに手をかざして示す。
ルルを、美しく飾っていた銀色に光る小さな金具。先ほど外した髪飾り。勇者の前に出る際には、必ずつけていた装飾品を。
「舞踏会にいるのは、勇者だけではあるまい」
もっと言えば、髪飾りをつけるかつけないか。前髪を上げるか下げるか、そんな単純な話。
「……前髪、どちらにする?」
なるほど、と思った。勇者のことは置いておいて、舞踏会には行かなければ。あそこには、戦いに出る者たちがいる。勇者だけではなく、他の誰かも。
ならば、わかりきった質問だ、とルルは内心どこかで言い切った。
髪飾りを丁寧に箱にしまい、サロメが『さあ』と準備する。
ルルももう迷わずに立ち上がり、オトフシを見返した。
「誰も、二人とも、叱らないんですね。私が勇者様からの求婚を断ったこと」
「叱るわけがありますまい。むしろ、喜ばしいことだ、とサロメ殿も仰っております」
「私は何も申しておりませんが、否定する気はございません」
澄ました顔でサロメは淡々と口にする。ただ口元は、わずかに笑みを湛えていた。
「でも、貴族らしくない、なんてルネス様にばれたら叱られてしまうかも」
ルルの内心で、叱りつけそうな顔の筆頭が浮かぶ。もっとも、ザブロック邸にいる本当の筆頭は、恐怖で浮かばなかったが。
「申し出には応える、としているのです。ならば文句のいいようもないでしょう」
オトフシも、ルネスの顔を思い浮かべながら答える。上手くやれている彼女は、たしかに本心からそれを叱ろうとするだろう。ルルの交際範囲内でも珍しく。
殊更に貴族令嬢としての振る舞いにこだわるディアーヌとは異なり。
「ルネス様ならば、きっと受けたんでしょうね」
ルルはその光景を思い浮かべる。内心そう思っておらずとも、笑みを浮かべて勇者の申し出を受ける彼女。好きな人がいることをおくびにも出さずに勇者の手を取り、勇者もそれを疑わずに大いに歓喜する。きっとそれが、勇者にとっても幸せだったのだろうと。
自分はやはり出来ない、とルルは思う。
やはり自分は貴族の娘。そうであると同時に、市井の娘。
生まれ出でたときの血が違うのだ。彼らと市井の人間は本来違う生物で、自分はその合いの子であるのが不運だったのだ、と。
「やっぱり、単なる町娘には貴族のお嬢様は無理だったみたいです。いっそ本当に、レグリス様の子供だったらもっと楽だったんでしょうか」
そうすれば、自分は真に青い血の娘。きっと心にもまったくの呵責なく、自身の仕事を遂行出来たのだろう。
ルルは言いながら笑う。
だが、その顔には王城へ来たときの、自身の血への呪いはもうない。
上手く出来ないのが自分だ。青い血が半分しか流れていないのが自分だ。
だから、勇者と自ら結婚をする道を選べない、のではない。勇者と自ら結婚しない道を、選べるのだ。
「町娘と仰られましても、私には見事に貴族のお嬢様に見えていますが」
クツクツとオトフシは笑う。花が咲くようなルルの表情を見つつ。
「私は半分町娘です。皆さんとは違って」
オトフシはその言葉に、頭上に疑問符を浮かべ、それから「ああ」と思い直す。
そんな勘違いは、まだ続いていたのか、と。
「妾腹……母親が貴族ではないことを気にしてらっしゃいますか」
「……昔は」
でも今は違う。ルルはそう胸を張って言い切れる。だが、オトフシの嘲笑うような笑みに戸惑った。
「気にしてましたけど、今はもう平気です」
「ならば、もっと早くに教えて差し上げればよかったですな。パンサ家のことをご存じなかったのならば」
そのほかの悩みが大きすぎて、オトフシも気付かなかった。ならば自分ならば、それだけはすぐに解決出来たのに、とわずかに後悔した。
「どういうことです?」
「この前、パンサ家は女腹、そして娘たちを多くの貴族へと嫁に出している、と申し上げましたな」
「はあ……?」
むしろ、気付いていなかったのか、とわずかに呆れも混じる。
そういえば、誰も声を上げなかったな、とも。
「そして、その子供である男子たちは、粗末に扱ってもよい跡取り候補の保険となる、と」
「たしかにそれは」
「女腹のパンサ家の女に、息子が生まれるわけないだろう」
クツクツとオトフシが笑う。ルルとサロメはそれを聞いて、「あっ」と揃えて声を上げた。
そしてルルは、その話の核心部分にも気付く。
人間の子供は、ある日突然空中から生まれるわけではない。木の根から生まれるわけでもない。
ならば、パンサ家の女の息子とされるジュリアンも、…………。
「さすがに大抵は当主の血は継いでいるがな。……わかるか? 皆、お前と同じということだ。貴族は青い血、と言われているが、既に赤い血も大量に混じっているだろう」
むしろ、純血を保っている家などそうはない、とオトフシは内心付け足す。既に五代ほど前の王家すら、もう。
「だからまあ、……全ては気の持ちようだ。血など関係ない。この窮屈な社会で生きることが、出来る奴と出来ない奴がいる、というだけの」
自分は出来なかったが。同じように、目の前の少女も。
「貴族らしくない、などという悩みなど捨て去ってしまえ。貴族らしさよりお前らしさのほうが重要だ」
そして、この話をしても、目の前の少女の目の光は変わらない。
ならば、余計なお世話だった。そうオトフシは、取り越し苦労だったと内心笑った。
自分が余計なことを言わずとも、彼女は強く咲き誇れる。
「さて、長話もなんだな。行くとするか」
「はい」
「…………」
何故オトフシが先導しようとしているのだろうか。
そうなんとなく納得いかない気になりながらも、サロメは歩み出るルルに合わせてゆっくりと扉を開いた。
その日、舞踏会へと向かうルルはいつもは浮かべぬ微笑みを湛え、胸を張って歩いていた。
白と黒でまとめられた地味な衣装。揃えた前髪を下ろした野暮ったいとされる髪型。平凡な化粧。美男美女とされる者が多い貴族としては、十人並みとも言える程度の容姿。
およそ、注目を浴びるような女性ではない。
けれど、すれ違う男性は目を奪われ。
振り返らずにはいられなかったという。




