腕試し
勇者の発狂から二日後。
僕はまた廊下を歩く。ルルはいない。今日はこれからディアーヌに呼ばれて、また剣の稽古に付き合う予定だ。
現場に向かう束の間、僕は昨日一日考えていた色々とを整理しまた考え込んでいた。
ルルと勇者の結婚を邪魔したい。
そう決めたものの、僕はその手段を決めあぐねていた。
昨日オトフシに聞いた話だが、勇者の発狂は野狐によるものとヴァグネル魔術師長は断言したらしい。もちろんそれは勇者への聞き取りもないヴァグネル個人の判断だし、聖教会の公式の見解でもないためにまだ安心は出来ないが。
それでも、僕への責任追及は今のところはない。これから勇者が甘露についての詳細を明かさなければ、だが。
ならば一つルルの結婚理由が減る、というのは喜ばしいものの、その事実は気付かれないようにしないといけない。それに気付かれれば、勇者の側から結婚を促すことも出来るという手札。それで脅すような人物ではなかったと思うが、それでも。
だがそれ以上に、まだルルと勇者の婚約を促す要素は残っている。
一昨日の騒動もあったが、それでもまだルルは勇者の伴侶最有力候補の座に残っており、勇者もその気持ちは消えていないだろう。
一応それに関しても良いニュースはある。これもまたオトフシの話だが、王が勇者とルルとの結婚には反対しているという。そして彼女らの婚姻を後押ししていたミルラ王女は更迭され、現場の指揮は変わった。これはクロードからの情報だ。
ルルへの嫌がらせをしていたネッサローズ家の女子も王城へ舞い戻る手筈となったらしい。彼女が勇者と接触しようとも、勇者がそれに応えるとも思えないが、今となってはネッサローズの令嬢を応援してしまうくらいだ。
僕は立ち止まり、頭を抱える代わりに掻く。
この件に関して考えると、必ず突き当たる考えに。
もしも勇者をルルから引き剥がすなら。もしも、勇者の関心をルル以外に向けるなら。
欲しいもの、手っ取り早い手段が一つある。
それは惚れ薬。
そうすれば、もっと簡単だ。とても簡単にこの件は片付くのに。
だがその自身の考えに嫌悪が湧く。
確かに簡単だろう。勇者にそれを飲ませて、適当な女性に好意を持たせる。そうすればルルは助かるし、『適当な女性』も本当に適切で条件に当てはまる女性にすれば不幸にはなるまい。
だがそれをしては、僕が嫌いなあいつと同じだ。周囲の人間を魅了し、理想の世界を作り上げていた男。僕と同じ、日本出身の男。
レヴィン。あいつの轍は踏みたくない。
もちろん、そんな惚れ薬などが存在しないという問題がまず立ちはだかるのだが。
グスタフさんの本草学でも愛の媚薬と呼ばれるものは存在するが、それはやはり恋愛感情などを催すものではなく性欲を喚起するもの。そんなものでは僕の望ましい用途では使えまい。
……いいや、そういう用途でも使えなくはないだろう。ただ、趣味が悪いと僕の中の薄い倫理観が拒否するだけで。
まあそれは最終手段だし、そもそも薬物を使って作られた感情や状況など長続きはしまい。媚薬の使用がバレてしまえば更に大問題になるだろうし。
一歩引いて考えてみれば、道義的な問題以上に、手段として悪手だと思う。
僕は止めていた足をまた動かし始める。
ふかふかの絨毯を荒らさないようにしてしまうのは貧乏性故だろうか。
しかし、勇者に対しては簡単なのだ。
いや、簡単というか、見つかってない解決策がまだあるはずなのだ。
なにせ、勇者は王からルルとの結婚を反対されている。
そうなれば、さすがに駆け落ちでもしない限りはルルとの婚姻は結べない。この国では結婚も出来ず、それこそムジカルにでも逃げ込むことになるだろう。
それはただ単に物理的に邪魔をすればいい。僕にでも簡単に止めることは出来る。
それ以外の場合。もしもザブロック家に何のダメージも残さずにルルと婚姻を結ぶとしたら、王に結婚を認めさせるしかない。
聖教会でも盾に取るのか、……革命でも起こすのか。
後者は少なくともしばらくは難しいだろう。
この国にはマリーヤもレヴィンもいない。もしかしたらマリーヤに類する者はいるかもしれないが、少なくともレヴィンは。
勇者を保護する聖教会の力を使い反旗を翻すということも考えてもいいかもしれないが、なんとなく勇者では上手くいかない気がする。それは僕の勘だが。
もちろん革命といっても、王家の転覆までいかなくともいい。勇者が政治的に力を持ち、王への直言が出来る立場になれれば。だがそれも。
……何だか思考がずれていく気がする。
根本的な解決まで踏み込めていない感じがする。今回に関しては多分、僕がまた内心を誤魔化しているわけでもなく、考えついていないだけだと思うが。
最終目標は、ルルが自由な結婚をすること。
目下の障害は、ルルとの結婚を望んでいる勇者。
まあ、考えること自体は間違っていないだろう。
まずは勇者との結婚をなくすこと。それさえ解決すれば、後のことは後で考えても……。
「ごきげんよう。お待ちしておりました」
いつの間にか、練武場まで到着していたらしい。遠間から声をかけられて初めて気が付いた。準備運動で浮かんだ額の汗を拭きながら、ディアーヌが僕へと頭を下げる。
ジグもディアーヌの言葉に応えるよう、今気が付いたような顔をしてこちらを振り返った。見ていた先は、テレーズたちの訓練だろうか。……違うな、なんとなく、テレーズたちもいつもと違う場所にいる。練武場の中央付近に、疎らに。
「おはようございます」
僕が頭を下げると、ディアーヌはもう一度頭を下げて柔軟体操に戻る。だがいつも行っているような本格的なものではなく、何となく簡略化した『身体ほぐし』というようなものだった。まるで、手持ち無沙汰なのを何とかしたかった、程度の。
僕がディアーヌを見て違和感を覚えていると、ジグが「いくか」と小さく呟く。
何の話だ。そう僕が戸惑っているのを見て取ったのだろう。軽く跳んで体操を終わらせたディアーヌが僕へと向けて口を開く。
「今日は先に見稽古をさせて頂けるらしいです」
「見稽古ですか?」
「俺も知ったのはついさっきだったからな。向こうで集合でも良かったんだが……お前のところにも連絡をと思ったが、入れ違いになると思って集合場所を変えなかった」
「珍しい、というか初めてですね。何故ですか?」
そもそも何を知ったのか。ジグの方は単なる言葉足らずだったようだが、ディアーヌの方はわざとはぐらかしていたようでクスクスと笑った。
「ベルレアン卿が、手合わせをするらしいんですの」
「手合わせですか?」
誰と? という問いを含んだ僕の言葉にディアーヌは得意げに頷いた。
「ええ。それも、勇者様のほうから、稽古をつけて頂けるよう、頼んだらしいですわ」
期待と高揚感混じりにディアーヌが笑みを浮かべる。
だが僕は、先ほどまで思案していた対象が、まるで頭の中から抜け出してきたような不思議な感覚に笑えなかった。
舞台となるのは練武場中央付近。
テレーズたちも休憩中らしく、テレーズ以外の者は遠巻きに立ったまま、もしくは地面に座り込んでパラパラと見物に入っているようだった。適当に数えた人数からすると自由参加で、何人かはこの練武場を離れているようだが。
僕らがそこに到着すると、何となく聖騎士たちが場所を空けてくれる。そんなに露骨なものではないが、ディアーヌが接待されているように人混みが割れたような感じがした。
人混みの中には少しだけ開けている場所があるが、そこに勇者はいない。ただ、今日手合わせをするクロードが、テレーズとリラックスした状態で談笑していた。
手には木剣。服は以前ディアーヌに稽古をつけたときのようなシャツに、少し余裕のあるズボン。……こうしていると、権威や風格など何も感じられないのだが。
僕たちに気付いたクロードが、テレーズに何か挨拶をして僕らの方へと歩み寄ってくる。
その行動にジグとディアーヌはすぐさま身を正したが、僕は遅れてそのまま自然体で待つことになってしまった。
「ラルミナ嬢にカラス殿。来て頂けたか」
「ごきげんよう。かような貴重な場にお招き頂き、光栄ですわ」
ディアーヌの言葉にわずかに興奮が見られる。前も思った気がするが、クロードを前にして緊張していない、というのはそこそこの胆力だと思う。
「なに、単なる腕試しだ。勇者殿と、俺のな」
クロードは木剣を地面に突き立てて笑う。その堂々とした立ち姿に、何というか『頼りがい』がある気がする。大柄な体格のせいだろうか。
「別に俺は人に見せるものでもないと思ったんだがな。ジグがどうしてもと言うから……」
「いつどのようなときからでも学びを学べ。それが教えだったかと」
「まあ俺も確かにそんなことをよく道場で言っていたが」
毅然と返したジグを宥めるようにクロードは応える。
「……カラス殿は、今大変なときだと思うが。こんなことをしてていいのか?」
「その主語が決闘ならば、特に気負うこともないですね」
「だろうが。いや、だろうがでもないが」
「決闘?」
初耳、とディアーヌが声を上げる。ジグは僕に向けてだろうか、聞こえるように溜息をついた。
クロードが補足のためにディアーヌに向けて口を開く。
「ザブロック家とビャクダン家の決闘が明日行われる。大々的な報せは明日の朝になるだろうが、まああまり広めないでおいてくれ。俺も小さなままで終わらせたい」
「ザブロック家と?」
ディアーヌが僕を見て驚愕の表情を浮かべる。知らなかったのか。
「はい。ラルミナ様はご出席されていなかったようですが、少々、私が諍いを起こしまして……」
「なんて……なんて……」
「心配することでもありますまい。そいつが勝てばどうとでもなる話です。ごく小さな波風で終わらせる。俺が」
「ビャクダン……大公家が行う決闘など、小さく終わるわけがないのでは……」
「ご指摘の通りではあるが、令嬢令息の行うごく私的なもの……で済ませたいという思惑が全陣営にありましてな。ご協力願います」
そして暗黙の了解をクロードは高らかに口にする。僕が言えたことではないが、政治が出来ない、というのはこういうことだと思う。
……だが、全陣営、だろうか? ジュリアンも?
僕の視線をどう解釈したかはわからないが、クロードがまたニカッと笑う。
「今朝方様子を探りに使いを出したが、まだ相手探しに難航しているらしい。これで来なかったら盛大に笑ってやろう」
「その場合は不戦勝でよろしいんですか?」
「当然だな。もちろん、そんなことないように誰かしらを立てるだろうが。そんな間に合わせではどうにもならん。勝ったも同然だ」
笑みがほくそ笑むように変わっていく。立会人である以上、中立でなくてはならないだろうに。
ざわ、と何かしらの空気が変わる。
取り囲んでいる聖騎士の誰かがそちらを見て、その波が広がるように、皆がそれとなくそちらを見る。
クロードもふと視線を向けて、肩を鳴らすように腕を回した。
「さて、登場らしい。しかしこんな簡単な手合わせによくもまあ集まったものだ」
皮肉交じりに溜息をつきながらクロードが歩き出す。練武場に姿を見せた勇者を出迎えるように。
「お待たせしましたか?」
「いいや。腹時計によると時間通りだ」
勇者は側にマアムを連れて、悠々とクロードに歩み寄る。昼餐会の夜以降初めて見たが、身体に異常はないらしい。
「ギャラリーがこんなに、というのは意外でしたけど……」
「気にするな。見られていると恥ずかしいというわけでもないだろう」
「はい」
身体に異常はない。そう思ったが、それ以上に何か変わった気がする。雰囲気というか、態度というか。前よりも落ち着いたようで、ディアーヌと同じくクロードに怯んでいないらしい。
そして観衆を見渡す態度も堂々としている。しかし見渡した際、ディアーヌを見てわずかに不思議そうにして、それから僕を見てほんの微かに笑った。
「基本的に禁じ手はなし、だったな?」
「はい、俺も、そういう風に戦ったらどうなるか気になるので」
見ていたテレーズが、腕を組んで苛立たしそうに眉を寄せる。
どこからか、誰も鳴らしていない舌打ちが聞こえた気がする。
クロードはまた困ったように口角を上げて、剣を担ぐ。
「……まあ、いいだろう」
「お願いします」
持参した木剣をマアムから受け取り、勇者が剣を構える。
中段の構え。剣道のような、正々堂々とした。
「じゃあ、遠慮なく」
クロードが動く。だらりと片手に下げた剣を、そのまま予備動作無しで勇者に突きつけるように。
だが勇者は落ち着き払ったまま、自身の剣を横に動かしてそれをいなし、両手で踏みこみ突きを放とうとする。
返礼のような攻撃、しかしそれはクロードはいなされた剣に引きずられるように、勇者の後ろに回り込み躱した。
躱された勇者は突き出した剣をそのまま上下反転させ、両足をそれぞれ回転させる勢いで身体を転換、剣を上から振り下ろす。
その振り下ろされた剣をさらに落とすようにクロードが踏みつけると、それを足場にして跳ぶ。残った足を、勇者の顎を上向きに蹴り飛ばすように動かしたが、元々当てる気がなかったようでそれは空を切った。
「あれは、以前教えて頂いた?」
「そうです」
ディアーヌがジグに解説を依頼する。武器の重量と遠心力に頼って自身の身体を動かす技術は、たしかにこの前ディアーヌに指導していた。
「その後の蹴りは……勇者様の見切りですの?」
「いいや、あれは団長がわざと外した」
動きに対してちょこちょことディアーヌが聞いて、ジグが答える。一応見稽古らしくなってきた感じがする。
それからも剣を打ち合わせることなく、勇者が払ってそれをクロードが避ける。その繰り返し。
だが、勇者の息が上がらないというのは誉めるところだが、それ以外はあまり誉められるところがない気がする。
勇者の振り下ろした剣を、クロードが下向きにいなす。水天流ではお決まりらしいその動きは、僕とクロードが前にやった演武の初手と変わらない。
その途中でいなしきれずに勇者の剣は止まる。膂力の差はあるだろうが、勇者の両手とクロードの片手の差のほうが大きいらしい。
剣を止め、体勢を崩さずに凌いだ勇者はその剣を手元の動きで返し、逆にクロードの小手を狙う。その小手打ちも、片手を引いたクロードには当たらず空を切った。
「あれは……」
「団長の……勇者……」
ジグの解説をディアーヌは頷きながら聞いていく。
僕はそれを耳に入れながら考える。その、ディアーヌとならば勇者はどの程度戦えるのだろうか。
今の印象ならば、ディアーヌと勇者はあまり変わらない。クロードやジグに指導を受けているディアーヌの姿を思い起こしても、あまり。
まるで今はクロードの指導を受けているようだ。手合わせ、というのがそういう目的ならばそれはそれで構わないのだろうが。
背筋を伸ばし、正眼で構えた勇者はすり足でクロードに向かう。
クロードは舞踊のステップを踏むようにそれをいなし、躱し、あえて逸らした打撃や寸止めの打撃を加えていく。
剣技の試合ではない。手合わせ、という雰囲気でもない。
単なる指導だろう。今のところは。
しかし、今の二人の動作にも違和感がある。
二人共に。
クロードの動きが若干ぎこちない気がする。僕と演武をしたときに比べて、技から技の繋ぎが若干遅れている気がする。
勇者の方も、何か変だ。不自然なまでに姿勢が崩れない。下半身や背中を狙うような動作をまったく見せていない、という感じがする。
何というか、不思議な手合わせだ。示し合わせたようではないが、二人共に実力を出していないような……。
見ている間に、クロードが勇者の突きを躱して身体ごと地面に擦りつけるようにタックルする。勇者は前に出していた足ごと後ろの足とまとめて掬い上げられ、勢いよく前に飛び込むように体勢を崩す。
それから勇者は舌打ちをしながら転がるようにクロードの方を向くが、しゃがんだ状態から側転するように立ち上がったクロードが勇者の首元に先に剣を突きつける。
木剣であろうとも威圧はされる。勇者が唾を飲む音が聞こえた。
「続きを?」
「……はい」
クロードの言葉に答えて、静かに勇者は頷く。そして飛び退くように立ち上がると、先ほどまでとは構えが一変した。
やや半身、右手だけで保持した剣を立てて構え、それと重ねてクロードを見る。左手は腰だめに、開いたまま掌を上に向ける。そんな変わった構え。
「流儀を変えたな?」
「ごめんなさい。俺の剣道が、通用するかな、って」
やはり先ほどまでのものは剣道の構え。両手でしっかりと剣を保持し、正中線にもってくる正しく正統的な。
僕は納得する。下半身や背中を攻撃しなかったのもそのためだろう。もちろん、その隙がクロードになかったという理由もあるだろうが。
「やっぱり俺程度のじゃ駄目ですよね。剣道を使うなら、もっとちゃんとやった人のじゃないと……殺し合いなんだから……」
消え入るような小さく呟かれた言葉を最後まで聞いて、クロードの片眉が上がる。
そして僕も怪訝に思う。
勇者は何故、笑みを浮かべたのだろうか。
勇者が大きく一歩踏み出して剣を振る。
腕を使うというよりは、肘から先を使って振る動き。斬るというよりは当てる剣撃。
もちろんそれをクロードは捌くが、連撃は止まらない。
腕を使わず可動域を広げていない分、剣の動きは小さい。そして、斬る攻撃ではないのだろうか、内一度は剣筋を立てずに剣先の峰を当てるように三度振られた動きは、先ほどの構えで二度振るよりも速い。
種類が変わった。クロードもそう判断したらしい。
一歩下がりつつ勇者の最後の一撃を手を添えた木剣で受けると、角度を変えて無理矢理鍔迫り合いの形に持ち込んだ。
「変わった……動きだなっ!」
「そっ……かも、しれませんね」
片手で剣を保持していた勇者は慌てて剣を両手で持つも、一瞬遅れたためかわずかに押し潰されるような不利な体勢になる。
けれども、諦めてはいないらしい。
次の瞬間、膝を蹴り上げるようにしてクロードの腹へと当て、横向きに身体を反転させる。
それからほんのわずかに空いた両者の身体、その隙間に身体をねじ込むようにしてクロードの胴体に右肩を当てて弾くように突き放した。
小さく呻き声を上げて、クロードが体勢を整える。
その隙に跳んで下がった勇者は、明らかに剣の届かない遠間で大上段に剣を振り上げた。
……あれは。
勇者の剣が振り下ろされる。本来なら絶対に剣は届かないのに。
クロードの目が見開かれ、次の瞬間、何もない空間を怯えるように身を翻した。
一撃、二撃、と転がるようにクロードが身を躱す。
何も見えていない観衆が、ざわりと声を上げた。
ディアーヌが解説を求めてジグを見るが、ジグも首を横に振る。
僕が解説、すべきだろうか?
いいか、別に。
勇者の見えない剣撃は続く。
だが、次第に慣れたのだろう、大きく動いて躱すのをクロードがピタリとやめた。
代わりに行うのは、水天流六花の型。まるで千鳥足のような頼りない足取りで、しかし地面をしっかりと踏みしめたまま勇者へと進み出る。
途中、クロードは足下の小さな小石を蹴り上げる。初めは僕も、おそらくは見ているほぼ全員がその小石を勇者に向けて投擲するのかと思ったが、そうではないらしい。
空中に浮き上がったその小石が、クロードのすぐ横で甲高い音を立てて叩き落とされた。
「見事な魔法だが、近間でも使えるか!?」
「…………!」
苦し紛れにと勇者が二度続けて剣で空を切るが、クロードには当たらない。
そのまま迫るクロードに、苦々しい顔で勇者はまた距離を取ろうと後ろへ跳ぶ。その際に、また一撃だけ剣の魔法を使いながら。
虚空に浮かんだ剣筋を横からクロードが叩き落とす。実際は叩き落とさずとも当たらないのだろうが、いい気になったようにそのままの勢いで勇者に肉薄した。
しかし、勇者はまたふと笑った。
今度は先ほどのような剣先を前に出す構え。そこから、肘と手首だけで剣を振り突きを出す。その一撃程度ならばクロードにはどうということはないだろう。
だが、その一撃を木剣で防いだクロードが、身をよじってまた跳んで下がった。
「……ってて」
どうしたのだろうと皆が首を傾げる中、噴き出すように笑いながら、クロードが脇腹を押さえる。
「…………見事な一撃だ。さすがに躱しきれなかった」
「ベルレアンさんが油断していたからっすよ」
笑って勇者も剣を下ろす。そして嬉しさが抑えきれないようにごく小さく拳を振るように握った。
「カラス殿」
ジグが小さく僕の名前を呼ぶ。そちらを向くと、ジグがディアーヌと共に僕を見ていた。
「何が起きたのです?」
ディアーヌも理解しきれていないようで僕へ向けて尋ねてくるが、そういうのはジグにしてほしい。ジグが僕へと呼びかけているということは、ジグも説明出来ないのだろうが。
「勇者様の魔法が脇腹に当たりました。突きと魔法、その二つを同時に使ったようです」
「……まあ」
魔法、という言葉を口にしたところでディアーヌがわずかに驚き、当たった、という文言で更に顔が驚愕に歪む。
そんなに驚くことかと思ったが、驚くことらしい。
僕の言葉を聞いた近くの聖騎士も、驚きに身を大げさに動かしていたのだから。
そうか。驚くことか。
この王城での手合わせ。制限も多く、実戦ともかけ離れている環境とはいえ、勇者は。
勇者はクロードに勝ったのだから。
「どうでしょう。俺、戦場に出れますかね?」
「さて、どうでしょうか。それは俺ではなく、タレーラン卿が判断なさることですからな」
クロードはテレーズに顔を向ける。しかし睨んでいるテレーズに、クロードは慄くように「キャッ」と小さく声を上げて顔を背けた。
誤魔化すようにクロードが声を張り上げるように勇者に言う。
「では先の検討に入ろうか! いくつか指摘したいところもあったからな!」
「……よろしくお願いします」
「うむ!!」
勇者に向けて、指導者の顔を作ろうとクロードは表情を引き締める。
それからまたちらりと横目でクロードはテレーズを見たが、そのテレーズは唇だけで、「後で二回くらい殴らせろ」と口にしていた。
何となく微笑ましいやりとり。意味はわからないし、テレーズの方は表情的にそんなでもないのだろうが。
それよりも、何故だろう。
手合わせは終わった。観衆たちも口々に感想や質問を互いに口にしあっている。
もう全て終わった雰囲気だ。ジグもディアーヌも、練武場のいつもの端に移動しようと動き始めている。
だが何故だろう。
勇者がこちらを見ている。まるで睨むように。もしくは、誇るように。
僕が視線に気付いたことに気が付いたのだろう。勇者の側から視線を逸らし、勇者はクロードに向き直る。
その唇が、「つぎは」と口にしたように僕には見えた。
……次は僕と手合わせ、とか願わないことを祈る。それはさすがに断る。
練武場の端へ戻った後は、ディアーヌの稽古の続きだ。
先ほどのクロードの動きの解説も交え、やや興奮気味のディアーヌにジグが毅然と指導していく。勇者の魔法については、聞かれたから答えた。ジグもその魔法がどういうものかよくわかっていなかったようで、その件についてはまるで僕が指導する立場のようだったが。
いつものように鎧打ちを終え、いつものようにディアーヌの治療をし、再度の訓話をしていたとき、ジグがいつもよりやや重たい雰囲気で口を開いた。
「突然で申し訳ないが、今回が最後として頂きたい」
「今回が最後……というのは……」
ディアーヌが聞き返し、その最中に意味に気が付いたらしい。稽古の興奮も収まりつつある中、笑みが固くなった。
申し訳なさそうにジグが僕とディアーヌを交互に見る。
「これはここだけの話にしておいてもらいたいのですが……、ここグレーツに、ムジカルの間諜が入っていたという噂があります」
「ムジカルの間諜ですか」
僕はその間諜の顔を想像する。カンパネラだろうか。あの男が、やすやすと捕まるはずがないと思うのだが。
ジグは頷き続けた。
「以前から噂はあったが、ここ数日でそれが確定したというところだ。明日の朝からは、王城内の警備に加えて王城外の警邏も業務に加わる。複数の聖騎士団の合同で」
「それに……ジグ様も参加なさると?」
「そういうことになります。しばらく休日がほぼ全てなくなってしまうというのが癪ですが」
ディアーヌの言葉にも頷き、ジグが深い溜息をつく。
それから気を取り直し、真面目な顔を作った。
「ラルミナ様。貴方には才能があり、それに甘えぬ真摯さもある。それもあって、稽古を一日終える度に貴方は強くなられた。もはや最初の時とは別人と言ってもいいでしょう」
稽古中の厳しい表情ではない。優しさの混じる真剣な顔。
「正直最初はそこの男に手伝わされ、嫌々貴方に剣を教えていたが……途中からはとても楽しく過ごさせて頂いた。休日の楽しみとなっていたことも否めませぬ」
「そんな、もったいない……」
「残念ながら、もうラルミナ様がこの王城で過ごす間は私に休日はないでしょう。貴方の剣の上達を助けることが出来ないのは残念でなりません」
いつになく優しげな言葉。最後の日だから、ということだろうか。
これが本当に最後というわけでもないだろうに。
「それは……お仕事ですから仕方ないとはいえ、私も残念ですわ」
「……これを」
ディアーヌに、ジグが小さな栞のような木の札を差し出す。端に緑色の紐が通され、片面は黒く、片面は赤い文字が記されていた。
「私の裏書きが入った鑑別符です。それを出せば、少なくとも王都の水天流道場であれば無下にはされないでしょう。出せば私以外を拝師は出来なくなりますが」
「門下生としては扱われるということですわね?」
「そうです。使うか使わないかはお任せしますが」
「使わせて頂きます」
ふふ、と微笑みディアーヌがそれを握りしめる。侍女がそっと横に立ち受け取ろうとするが、ディアーヌは渡そうとしなかった。汗が染みるだろうに、絶対に。
「もしも聖騎士が嫌になったらご連絡をくださいな。ジグ様でしたら、私が個人的に雇わせて頂きますわ」
「それも残念ながら。私もこの職場が気に入っていましてな。少なくともしばらくはありません」
「そうですか。とても残念です」
ディアーヌは心底残念そうに唇を尖らせる。それを見て、ジグはまた笑みを強めた。
「カラス、……お前とも…………」
それからジグは僕の名前と、他に何かを言いかけて言葉を止める。僕への別れの挨拶は必要ないだろうに。
「いや、お前とは……でもない、ラルミナ様とも、まだ会う機会はあるな。こんな湿っぽい挨拶は必要なかった」
「でしょうね」
休暇がなくなるとはいえ、王城内の警護にも立つのだ。別に顔を合わせないわけではないだろう。休日の、こういう会合がなくなるだけで。
「とまあそんなわけです。残念ですが、よろしくお願いします」
「心得ました。またいつか、機会があればお願い致しますけれどよろしくて?」
「もちろん。その時にはお声がけください」
いつもの稽古と違い、談笑で終わる稽古。
ディアーヌの、この王城での最後の稽古。……この流れなら、僕だけで彼女に剣を教えるという嫌な展開もなさそうで安心だ。
しかし、ディアーヌの稽古もなくなる。
ならば僕も考える余裕が少しは出来るというわけだ。
目下の考え事は、勇者。
それと忘れがちだが、明日の決闘。
……さて、どうしたものか。




