閑話:うやむや
聖騎士団の詰め所。そこでは数名の聖騎士の、声を潜めながら大慌ての報告が飛び交っていた。
「南二十四区画担当は!」
「異変無しと報告が!!」
「西三区画は手が空いているな!? 巡邏させろ!」
「もう既に!!」
その中で、王城の見取り図を見下ろし見つめたまま、黙り悩む団長の姿があった。
クロードがそのまま汗を拭うように額を掻いて、内心何度も何度も現状をまとめていた。
(勇者の姿を見たという報告は上がってこない。侍女が勇者の行方を聞いて回っていたのが朝食後の九の鐘辺り……。テレーズのところには行っていない……)
現状何も手がかりがないのも同じ事だ。ジグから報告が上がってきたのも先ほどで、そして……。
(ジグめ、そこで詳しく話を聞いておいてくれればいいのに)
その報告をしてきたジグへの苛立ちが浮かぶ。侍女マアムにもう少し詳しく話を聞き、消えた正確な時間や状況などを把握してからこちらへと報告してくれればよかったのに、などと考えつつ。
しかし、その苛立ちを首を振って鎮める。
それほど慌てていたのだろう。勇者の失踪という未曾有の一大事、慌てて対応がおろそかになるのは仮に自分であっても容易に想像出来る。
それに、あとで軽く注意はしなければいけないだろうが、それよりも今は勇者の行方を追うほうが先決だ。
立ち番中の聖騎士へ、マアムの居所の把握も命じてある。二度手間だが、自分がこれから聞けばいいだろう。
しかし……。
どうすればいい、と再度これからのことに関して考えて手応えがない現状に汗が垂れる。
勇者は姿を消した。それは確定している。
だが、その行く先の可能性はいくつも考えられる。
まず、自発的なもの。それから他動的なもの。
自発的なものならば、単なる迷子から出奔までの可能性。他動的なものならば、誰かに連れられてのお忍びでの遊行から、誘拐まで。
今は城の中にいるのか、それとも外に出ているのか。それさえもわからず、捜索範囲が絞れない。魔術師などに頼ればいいかもしれないが、しかしそれも……。
(大事になるな………)
もちろん勇者の身の安全には代えられない。しかし、出来れば内々で処理したい、という願望もクロードにはもちろんあった。
これがたとえばテレーズならば即座に魔術師団にも協力を要請し、更に大事になろうとも勇者の行方を追っただろうが。
責任を追及されるのは誰だ。そう、無意識に考えてしまう。
これで仮に勇者に何かしらの被害が及んだ場合、まず責任を追及されるのは侍女のマアムだろう。勇者とおそらく最後まで一緒にいた彼女。勇者の失踪に気が付かなかった、と責められるのは彼女だ。
そして次いで、区画の警備の任に携わっている第二位聖騎士団。それも、その団長のクロード。つまり自分だ。
その後監督責任としてミルラ王女へ。
関わる全ての人間にとって一番望ましいのは、何も起きていなかったということ。勇者は単なる迷子で、複雑な王城の中で一人彷徨っているだけだった、という笑い話。
けれども、それが望めないこともクロードは既に察している。
勇者が姿を消しておそらく一刻以上。その間姿を見せていないということは、もはや勇者の姿は王城にはなく、捜索を城の外に向けるべきだろうと。
ならば、次に望ましいのは、このまま事態が外部に漏れることなく事態が収拾すること。勇者が何事もなく帰還し、マアムや自分、ミルラ王女にも何事もなかったかのように終わること。
ならば、勇者も一人で出ていてほしい。誘拐などの人為的なものではなく、遊行などの目的で自発的に。
もちろんその場合、その原因は『昨日の出来事』が原因で、決して望ましいものではないだろうとも思う。
しかし、出来ればそうなってほしいという誘惑。段々とその望みは潰えているのを如実に感じるが、それでもそうであってほしいという願望。
どれであっても、クロードには絶望しか残っていないかもしれないが。
「首尾はどうかしら」
「…………」
不敵な言葉と共に現れたのは、今まさに内心名前を挙げていた王女、ミルラ。背後には侍女のアミネーも控える。
その顔がほんのわずかに緩んでいるのが、クロードには不快だった。彼女も責任は追及されるだろうに、まるで、そこまでは至らないだろうと考えているようなその顔が。
だが不快さをおくびにも出さず、クロードは静かに口を開く。
「現状、何も手がかりが掴めておりません」
「大変ではないですか。マアムも、厄介なことをしでかしてくれましたわ」
「マアム殿のせいではないでしょう」
言いながら、クロードは自身の内心に気付く。マアムの責任として全てを押しつけてしまいたい、などという考えがほんの一瞬わずかに浮かんだということを。
しかしそれは出来ない、とクロードは内心自らを罵りつつ止めた。そんな弱い考えを持ってはいけない、と。そもそも考えること自体間違いだ、とも。
そして、だからこそ今のミルラの言動の意図をほとんど正確に推測出来た。
その余裕ある顔。それは、自身への責任の追及を『させない』ということを決意しているからこその。
「……勇者殿のことが心配ですな」
クロードは、ミルラの内心を確かめるべく呼び水を口にする。その口から出るであろう言葉を予想しながら。
「誘拐ということは?」
「あり得るから困っております」
クロードは無理に笑みを浮かべる。内心、そんな余裕は全くないのだが。
「勇者殿がご無事ならよいのですが……」
「……もう自分の身を守ることは出来るだろうと、勇者様への警護の削減を提案したのはベルレアン卿でしたね?」
「…………そうですな。依然、実現に至ってはおりませんが」
殺人も経験し、テレーズの話ならば少々腕の立つ相手など歯牙にもかけない戦力がある。ならばそろそろこれくらいの時期に、守られる側からの卒業もすべきだろう、というのはクロードが提案していたものだった。
もちろん、最低限の警護は残すが、今のような厳重な警護はいらないだろう、と。
そうすれば、もっと気軽に街などにも出てもらえるだろうという配慮もあり。
ミルラの言葉の棘。それをクロードは牽制し、やはりと内心溜息を吐く。
ここ数日、ミルラの様子がまた変化した。以前よりもより性急になり、そして配慮を欠く言動をすることが多くなった気がする。
それは自分の気のせいだとも思える程度で、そしてカラスからの『占い師』に関しての報告による先入観のようなものからとも思っていたが。
原因についての確証はない。『占い師』のような原因あってのことかもわからない。
しかし、その変化にまた王の愚痴が増える、という事だけは確かだろうな、とクロードは思った。
(……エーミールなら……)
現実から目を背けるように、クロードはここにいない第三位聖騎士団長を脳裏に思い浮かべる。
黒眼鏡のいつもへらへらしている柔和な男。それがここにきて、心底頼りになると思った。
聖騎士団。十七あるその団は全て有能といってもいい働きをする。
どの隊も能力に不足はなく、基本的な騎士団の業務ならばどれも迅速で優秀な働きをすることが出来るだろう。
しかし、やはり能力の偏りというものは出来る。主に、それぞれの団長の思考によって。
クロードの第二位聖騎士団やテレーズの第七位聖騎士団は、やはりその団長たちの性格と同じく武断の団といってもいい。聖騎士団という集団行動を行うのにまったく不足があるわけではないが、それでも他の団に比べれば『武道家の集団』という性格が強くなる。入団希望者に水天流の出身者が大きな割合を占める第二位聖騎士団などはなおさらだろう。
他にも第一位聖騎士団や第八位聖騎士団は、その聖騎士団長たちの圧倒的な個人戦力を下支えするような団となっている。
そして、現在ミールマンに駐屯中のエーミール・マグナが団長を務める第三位聖騎士団。
そこは他の団とは少々異質な団だった。
緊急時、団が半壊してもその機能を失わないように五人一組の小隊ごとの行動に慣れている。頻繁に行われる小隊ごとの集団戦闘訓練に、緊急時の権限委譲の細かな取り決め。
ごく簡単に単純に平たくいえば、個人でも団としてそれぞれの柔軟な判断が出来る聖騎士団。
故に諜報や索敵など、そういった戦闘に限らない特殊な行動を、他の団よりも得意としている団だった。
その能力の真価は、エーミールの指揮の下最大限に発揮される。
本人の政治戦略を反映させているように、戦闘員の配置や行動は過不足なく行われ、対象の作戦行動への対処を的確に行う。
敵の伏兵や進軍経路の予測も、的確に。
そんなエーミールならば、人捜しなど簡単に終えてしまうだろう、とクロードは歯噛みする。
自分に思いも寄らぬ奇策のような手で、手品のように瞬く間に事件を解決してしまうだろう、と。
むしろ、各所への協力の要請ももっと円滑に行うだろう。自らの責任を回避し、そして誰にも責任をとらせることなく穏便に対処する。あの男ならそれが出来る。
しかし、自分ならどうすれば、と溜息を吐くクロード。その耳に、駆け込んできた部下の足音が響いた。
そちらを見れば、走ってきたにもかかわらず、息一つ切らせていない頼れる部下の姿。
「団長、マアムを発見しました」
「……連れてきたか?」
「いえ……これから勇者様の部屋へ検分に向かうので、そこで合流したいと」
「…………?」
その言葉に、クロードは何となく違和感を覚えた。
何度か目にしたことのあるあの侍女が口にした言葉とはどうにも思えず。
しかしなんの根拠もない。単なる自分の勘のようなもので、そしてその言葉にも一理ある、とも思えた。
「行きましょうか、ベルレアン卿」
「…………しかし」
一応責任者だ。自分がここから離れるわけにはいかない、とそんな考えがよぎり、クロードは躊躇する。
「ベルレアン卿」
そんなクロードに、もう一度ミルラは呼びかけた。
「わかっていると思いますが、勇者様の失踪は、私たちの政治的瑕疵になりえますわ」
「承知しております」
「私や貴方の責任を回避する方法はただ一つ。今日中に、無傷の勇者様を保護すること。それもわかっておりますわね?」
「はい」
そんなことはわかっている、とクロードは怒鳴りつけたい気分になった。だが言えなかった、そうしたところで、何が解決するわけでもないと自戒して。
だが、ここにいても何も出来ない、とそうも思う。
報告を聞いて、まとめる役ならば自分でなくてもいい。
クロードは部屋を見渡してそう考える。今ここにいる副団長でも何ら変わりなく出来る行為で、そしてそうなれば自分はここにいる必要もない。
ならば行こう。
エーミールと自分の差。それは欠点ではなく、自分の強みだろう、と先ほどの劣等感に類する考えを、心のどこかで否定しながら。
エーミール・マグナ。個人でも、団長の強さの順位ともいえる第三位に列することも出来る程度の戦力は持つ。
だが、惜しいかな。その身に持つ障害故に、前線に出ることなどはほとんどない。
クロードは、何となく逃げるように部屋を後にする。
今日の戦場はここ。そして自分は、前線に立つ。そう、何となく自分を励ましながら。
胸を張り、自信溢れるいつもの顔を作り上げて。




