閑話:瞳は選ぶ
まだ鎧打ちが決まる前のこと。
クロードとディアーヌが木剣を結び合う。
二人の模擬戦。クロードがカラスの反駁に、苦し紛れに発した言葉から始まったものである。
二人とも真剣に向かい合い、そして真剣に剣を握っていた。
流れるような攻防。クロード側も本気ではないとはいえ、闘気もない状態ではさすがに木剣は当たれば痛い。ディアーヌの必死な剣を、クロードは躱し、防ぎ凌いでいく。
演武にも似た剣の舞。どちらも傷つかず、どちらにも命の危険がないもの。
だからだろう、とそれを少し離れた位置に座り、見ていたルルは自分で納得する。
だから、自分でもそれを見ていられるのだろう、と。
「おかわりを」
「まだ結構です」
サロメが淹れて水筒に入れてきた紅茶は既に温くなっていたが、この初夏の温かい中、外で飲むのにはちょうどいい。
そう思いつつも、ルルの手元の茶器の茶は中々減らない。まだ半分ほど、だが何故だかそれ以上を飲む気にはなれなかった。
クロードたちの模擬戦の様子から焦点をずらし、その手前、手持ち無沙汰にその模擬戦を観戦している二人の影を見る。
直立不動というよりも、ややだらけた立ち姿。だがルルは知っている。その二人はそれでも気を抜いているわけではなく、そしてその内の一人は、仮に自分が危機に陥ればその体勢を崩さぬままに危機を脱させるだろう。
紅茶を一口含む。それでも、なかなか喉の奥へと落ちてはいかない。
剣を使う行為。そして、その集大成。そこから連想される、ルルの身に起きたこと。
その視線の先、カラスと二日前に遭遇した男の言葉について考えてしまえば。
愛国心を失わせる、とカンパネラと名乗った男は言った。
そしてその言葉の通り、その話はルルにとって泥濘のように耳にまとわりついているように感じた。
戦争。本来国家存亡の危機にすらなり得る一大事。それが、王族にとってはただの貴族への牽制という目的で行われる定例行事だった、ということ。
もちろん、あの男の言葉だけでそれを信じることは出来ない。
けれども、たしかに、と頷けることがないわけではない。
三百年ほど前に、ネルグ南側の覇権を争うミーティアと、この国の戦があった。その時奪取したネルグ南側領土、そこがムジカルと接した頃から、戦争はたしかに定期的に行われていた。
そしてその度に、互いに小規模の領土の割譲を繰り返す程度で事が終わっているのも事実だった。
ルルの持っていた歴史書では、その時に動員された貴族の詳細までは記されていない。しかし、その動員数や簡単な死者の数から見れば、その犠牲が聖騎士団ではなく領地貴族所有の騎士団に偏っている、という見方も出来なくはなかった。
王への忠誠心など、ルルは持っていない。
いいや、持てなかった。持つべきだと何度も聞いて、そしてそう自分を律してきたこの数年間でも、やはり。
きっとその忠誠心を持つためには、そう生まれもつことが重要なのだろう、とルルは信じている。そうして生まれてくるからこそ、王家への忠誠や爵位や勲章の重要性がわかるのだろう、と。
だからこそ、揺れてしまう。
忠誠心を、持つべきだと思っている。王家に下された爵位を、その権威を守るためにこそ、この国の貴族たちは力を合わせるのだ。だからこそ、ムジカルなどの外敵からも、力を合わせて戦えるのだ。
そしてこの身はエッセン貴族の娘。王家を頂き、王から家に下された爵位を守り、受け継ぐためにこの身はいる。
しかし、その話が事実ならばどうだろう。彼ら王家は、その『爵位持つ家臣』たちが力を持つことを警戒している。強い敵との戦いへの警戒よりも、強い味方を作らないように腐心している。そう考えてしまう。
敬うべきだろう。王なのだから。
しかし、何故敬われているのだろう。王というだけで。たまたま、そう生まれただけで。
勇者の語ったとされる話の一節には、こういうものがあった。
『とある農夫が長く続く嵐で仕事が出来なくなった。やがて食料がなくなってしまい、飼っていた山羊を食ってしまった。そして次には、畑仕事を手伝う牛を食った。それを見た番犬たちは、口々に逃げる相談をしあった。「役に立っていた牛までもご主人様は食べてしまった。ならば、次はとうとう自分たちの番だ」と』
ずっと、領地貴族たちはそうして力を削がれてきた。
王家の命令に従い、自分たちの足を食べるように、騎士団を無駄に散らしてきた。
無駄に、と考えてルルは唾を飲む。
そう、無駄なのだ。その結果報奨は出ただろう。勲章を受け取るものもいただろう。新たに爵位を得たものもいるだろう。
それでも、無駄。
そこまで考えてしまえば、ルルの心の中にはもう愛国心など微塵もなく消えていた。
そう、無駄なのだ。爵位に価値など見い出せない。見出してもいない。
ならば何のために頑張ってきたのか。家のことを除いて考えれば、もはやルルには明白だった。
レグリスには恩がある。母ストナも、自分の幸せを願ってザブロック家への養子縁組みを後押ししたのだろう。
彼女ら二人への恩返しのために、ここで踏ん張っていた、はずだ。
ならば、自分にとって家など、爵位などやはりどうでもいいものだったのだろう。
守るべきものが、無価値。そう自覚してしまった今では。
ムジカルへと誘う言葉。
カラスを勧誘したのは、きっと彼の本心だ。そうルルは思っている。その表情にも声音にも、ルルには嘘が読み取れなかった。
そしてその後、自分もどうかと問われたその言葉。
カンパネラも、その言葉をただの親切で口にしたわけではないのだろう。
その言葉の前に、勧誘されたカラスは言った。『今はザブロック家に仕えているので、ムジカルに行くわけにはいかない』と。
そのために、カラスがムジカルへと渡れるように、とどちらかと言えばカラスを気遣い発された言葉だったのだろう。
しかし、その時に『カラスがおらずとも、歓迎する』と言った。
その言葉も、きっと嘘ではない。
無理矢理紅茶を飲み込み、ルルは続きを考える。
その言葉に乗れば。ムジカルへと渡れば。
無価値なものを守り、嫌な言葉を吐きながら、味のしない料理を囓る。そんな日々が消えて失せる。
ムジカルは、『ここじゃないどこか』。そんな誘惑に負けそうな思いだった。
木剣を打ち合わせる音が耳に響き続ける。
甲高いような音と、震える木の鈍い音。おそらく二人の握り方の違いなのだろう。
そしてその音からもきっと、目の前の人はより多くのことを読み取っているのだろう。そんな気が、ルルにはしていた。
ふと、視線の先にいたカラスが身体を揺らす。視界を揺らして視野を広げるのだ、と前に彼に聞いた気がする。ならば見るべきものがあったのだろう。そう感じたルルはその仕草から導き出された先を見て、唾を飲む。
しずしずと歩いてくる影がある。
いつも自信満々で、悠々と過ごし、人の注目を集める花のような存在。嫌悪感を表さないように唇を引き締める。
サロメも気が付いて、予備に置いてあった椅子を広げる。ルルにとって、その椅子を使うのは、その人ではなかったはずなのに。
内心溜息を吐いて、笑みを浮かべた。
「ヴィーンハート様。ご機嫌麗しく」
「ごきげんよう、ルル様。いい加減、名前で呼ぶように統一してくださらない?」
おほほ、と笑うルネスが口元を扇子で隠すのを見て、ルルは内心「笑わなければいいのに」と吐き捨てた。
「以前少しだけ聞いた気がするのだけれど……面白そうなことをなさっているのね。ベルレアン卿による指導かしら?」
「はい。指導を受けているのは彼女だけですが」
椅子に座らず、ルネスが稽古中の彼らを見る。ルネスだと確信したカラスは、また視線をディアーヌに戻していた。
「ヴィ……ルネス様は、どうしてこちらに?」
「今日辺りから勇者様がこちらで何やらやるというので、下見ですわ」
高笑いをするような仕草と共に、ルネスがそう口にする。
その仕草の意味がルルにはわからなかったが。
ルネスの言葉のままにルルも練武場の遠くを見れば、肉眼ではほんの小さな蟻のように見える位置で、大人数がなにやら行っていた。
なるほど。その中に、勇者がいるのだろう、とルルは頷く。もっともその勇者がどこにいるかは、ルルには見つけられなかった。
「ですが、こちらも面白そうではありますね。ご一緒してもよろしいかしら? それとも、お邪魔かしら?」
「……邪魔など……どうぞ。サロメ、お茶を」
「かしこまりました」
既に設置されていた椅子に、ルネスが静かに腰をかける。
それから空を見上げて、まだ上がりきっていない日の光に目を細めた。
クロードとディアーヌの模擬戦が終わり、二人が一息つく。
そしてジグが立ち去り、始まったディアーヌとカラスの模擬戦に、ようやくルルはここに来た目的を果たせそうだと頬を綻ばせた。本人の自覚もないままに。
ルネスと他愛ない会話をこなしつつも、その唇は会話ではないもので緩む。
木剣を打ち合わせる音が響く。きっと、彼とクロードの違いなのだろう。積極的に剣を打ち合わせるクロードと、打ち合わせるよりは躱す彼と。素人ながらルルはそう分析する。
ルルには、剣のことはわからない。
刃物ならば、母ストナが営んでいた食堂で幾度となく握ったことがある。賄いをつくり、たまに客に出す料理まで作っていた彼女は。
しかし、剣を握った覚えはなかった。二日前、勇者と訪れた鍛冶師の店で握ったのが初めてではないだろうか、とルルは思っている。もちろんそれは、事実に近かった。
木剣というのは通常真剣よりも軽い。
だが、とルルは真剣の重さを思い出しながら手を握る。
木剣を軽々と振る二人。それも、一合や二合だけでは終わらずに、空振りまで含めれば一試合で何百回と。
ルルはその姿を見て、感嘆の息を吐いた。
彼ら二人……ジグやクロードまで含めれば四人。彼らは、どれだけの修練を積んできたのだろう。もちろん、ディアーヌを除く三人はそういったことが生業で、素人であるはずがない。だがそれでもきっと、初めて剣を握った日には自分と同じ有様だったはずだ。
ディアーヌの鋭い薙ぎ払いを、のけぞりつつ下がってカラスが躱す。
先ほどカラスはディアーヌの剣を弾き落とすように左手で払っていたが、ディアーヌが左手に関して注意をされた後からはカラスも左手を極力使わないように、と抑えている様子だった。
それを、残念、とルルは感じていた。
ルルには剣のことはわからない。武術や戦術に造詣が深いわけでもない。
それでも、思い切り自由に動くその様は。地面を蹴り、木の葉のように身体を舞わせ、風のように剣を振るうその様は。
いいや、剣などなくとも。自由に思うがままに四肢を操るその姿は。
きっとその様は、今よりももっと、格好いいものだったのだろうに。
遺憾に思いながらも、見惚れるように、ルルはその姿を瞳に映し続ける。
綻んでいた頬が引き締まる。無念さに、やや固くなる。
それでもなお、目が離せなかった。
彼女は未だ気が付いていない。
練武場でなくとも、あの日からずっと、視界の中のカラスを目で追っていることに。
読書の感想を話し合う。薬湯を改良し、その品評をする。
そんな最中、笑みが増えていることに。
ルルは溜息を吐く。
自分はこの王都から離れない。ならば彼は、このまましばらくは戦場に出ることはないのだろう。
もちろん、戦場に出てほしいわけではない。傷ついてほしくない。死の危険など以ての外で、恥ずかしげに笑うあの顔で、隣にいてほしい。
それでも、やはり。
きっと、彼は、戦う姿がよく似合う。
思うとおりに考えて、動いているその姿。その姿こそが、きっと本当の彼なのだろう。
彼と会話をし続けて、ルルは確信している。彼はこの国の水に合っていない。彼がここにいるその様は、皆と会話し愛想笑いをするその様は不自由そうで、鎖でがんじがらめにされているようにも感じた。
溜息を吐く。
ならば、薦めてしまうべきだろうか。ムジカルならば、きっと彼はここよりも自由に生きられる。
こんな国で不自由に、こんな場所で不幸でいるよりも、彼に適した場所は他にある。
『ムジカルならば、彼はきっと幸せに生きられる』
先ほど彼と交わした会話。その物語の中の言葉を引用し、使えばきっとそういうことなのだろう。
ルルは思う。
彼と話すのは楽しい。話していると、瞬く間に時間が過ぎる。
一緒にいたい。出来るだけ長く。
それでも、それは我が儘だ。単なる自分の、子供じみた。
本当は彼は、こんな場所にいるべき人ではない。
彼もきっとそう思っているのだろう。こんな場所は、早々に立ち去りたいと。
だが、足かせがあるのだ。
彼の性格上外せはしない、重い、重いものが。
「溜息ばかりですわね」
ルルと共にディアーヌたちを眺めていたルネスの言葉に、ルルは現実世界に引き戻された気がした。
慌てるように表情をつくりながら、紅茶を飲むふりをしながらルルはルネスの方を向く。
「そうでしょうか?」
「ええ。私数えてましてよ。もう何度も、何度も」
もしや自分との話がつまらなかっただろうか。とっておきの侍女の失敗話まで繰り出したというのに。そう考えたルネスは、すぐにその考えを改める。
視線の先にいた男性。その彼を見つめるルルの顔に、違うものを感じた。
「……カラス様に、何かありまして?」
「…………」
何故、と戸惑いつつルルの心臓が跳ねた。もしや目の前の女性は心が読めるのだろうか、などという突拍子もないことを考えつつ、落ち着くように紅茶の杯を机に置いた。
「いえ。ただ、凄いなぁ、と」
「凄い?」
取り繕うように、ルルが話を考える。嘘をつく気はない、が、それでも何となく整合性が保たれるように。
「私、一昨日初めて剣を持ってみたんです。カラス様みたいに上手に振れるわけがないんですけど」
「まあ逞しい」
茶々を入れるようにルネスが合いの手を入れる。もちろん、馬鹿にするような意図は微塵もないが。
「きちんと振ったりとか、そこまですら出来ませんでした。両手でもなかなか」
ルルの視線に応えて、ルネスがちらりと模擬戦中の二人を見る。カラスはもとよりディアーヌまで、二人ともが、片手で軽々と振るっている木剣。真剣までの重さとはいかずとも、自分も振れるだろうか、などと考えつつ。
「きっと凄い努力があったと思うんです。それなのに……」
「それなのに?」
「あの剣を、振るわせなくていいんでしょうか」
ほとんど脈絡のない悩み相談のようなもの。
それを突然聞かされ、ルネスの脳内に疑問符が大量に現れる。
ルルが残念に思っているようなのは、読み取れる。しかし、残念に思っているそれが、ルネスにはよくわからなかった。
「……? 元気に振ってらっしゃいますけど?」
振らない、もしくは振っていない、という言葉の主語が、カラスだということはわかる。しかし、今まさに元気に模擬戦をしている。ならば、その剣を使っているということではないだろうか。
よくわからない。その内心を目一杯表情で表現しているルネスに、ルルは自分の言葉の意味がわからないということに気づき、もう一口紅茶を含んだフリをした。
そもそも、自分でも何を言っているのだろう。
突然の内心の吐露。それも、親しいわけでもない目上の女性に。
そんなことに今更ながら気が付いて、紅茶を持つ手が震える思いだった。
「…………ムジカルから、お誘いを受けているんです、彼」
そして自分も。
動揺から、不用意なことを口にしてしまう。その言葉を発しながら、その話題を誰かに伝えるのはまずい、と気づき、ギリギリ自分の分は止める。視界の端で、サロメが動揺しているのが申し訳なく思った。
「……ムジカル? というのは、あの?」
まずい。口止めも必要だし、そもそも彼の立場を悪くしてしまうこの言葉は、誰にも話せない類いのことだったのに。
呆気にとられたルネスを見ながら、どうやって口止めをしようと考えつつ、動きを止める。
その動作に、言葉の代わりにルネスは確認が取れたと思った。
なるほど、と思う。
ルルの言う、剣を振るうというのは言葉の通りのものではなく、戦うという行為そのものに関してのこと。そして悩んでいるのは、戦いの結果得られるものを、彼が得ないのは不満ではないのだろうか、というようなこと。
そんな、おおよそ間違ってはいない推察を、ルネスは瞬時に判断した。
「失言でした。ここだけの話にして頂けますか」
ルルはそうルネスに嘆願する。この話が広まってしまえば、カラスの立場は悪くなる。誰が、敵国となり得る者たちと繋がりを持つ者の王城内での滞在を許すだろうか。
内通者と見られてしまうかもしれない。その結果、何らかの処罰があるかもしれない。まだルルの目からすれば何もしてない以上処罰というのもおかしい話だが。
そして本来は、カラスがそのような者だということが広まれば、それを雇い王城内に入れたザブロック家の立場まで悪くなる。
本来は、そうなるはずだ。
だが、ルルはそこまで考えることはなかった。彼女にとっての重要なこと。それを、考えてしまえば。
「ルル様……」
「もちろんカラス様はお断りしましたし、私もそれは確認しています。ご心配をおかけすることは、決してございません」
彼女の口から漏れてしまえば、『カラスに』迷惑がかかる。
表に出さない演技も交えつつ、ではあるが、ルルは内心必死だった。
ルネスの目が見れない。畏れ、というのはこういうことだっただろうか、などとルルは場違いなことを考えつつ、次の言葉を考える。
どうにかしてルネスの機嫌を取りつつ、この場を乗り切らなければならないのだろう。
どうする、とサロメがルルを見て、会話に参加もせずにそもそもディアーヌの剣に集中して気が付いていないカラスを見て、また主に視線を戻す。
その場にいた一人として、カラスのための証言を加えるべきか、と悩みつつ。
緊張の走った主従。それを見やり、ルネスはほんのわずかに悩む。
カラスがムジカルから調略を受けている。その事実は本当らしく、そしておそらくルルの言葉も正しいのだろう。
……後半は、ルネスにはどうでもよかったが。
ルネスは一口紅茶を飲み、閉じた扇子を膝の上に置いた。
「まあ、わからなくはないですわね」
「……え?」
目を閉じたルネスの言葉に、ルルが聞き返す。落ち着き払った態度がルルの予想と不釣り合いで、この後にどのような言葉を吐き出すのかと身構えた。
「だってそうでしょう? あれだけ有能な探索者という話なんですもの。国属というわけでもないですし、ムジカルだって、エッセンだって欲しがるに決まっていますわ」
むしろ、ならばエッセンからも話を受けているはずだ、とルネスは思う。もちろん、そのような事実は存在しない。
「その上で、お断りされてるのですね? なら、よかったわ。ベルレアン卿と渡り合えるような猛者がムジカルに渡るなんて、悪夢ですもの」
ルネスも二人の演武を見た一人だ。
もちろん二人ともが本気でないのは知っている。
しかしそれでも、クロードすら容易に勝てない腕前だということくらいは、読み取る目があった。
「……そんなにいいお話でしたの? 報酬など」
カラスがムジカルに渡らなかったのは、ルネスにとって、エッセンを母国とする彼女にとっては喜ばしきこと。
だが、ルルの顔色は芳しくない。そちらのほうが、ルネスにとっては気になった。
まるで、素晴らしい報酬を断らせてしまったという罪悪感があるような、そんな顔。
「報酬などに関しては、聞いていません」
「ならば、カラス殿が乗り気だったとか?」
そんなわけもない、とルネスは思う。
カラスが乗り気なのであれば、ルルもこんな顔はしないだろう。そもそも、探索者だ。彼らがその気ならば、契約を何とかして打ち切り自力でムジカルに渡るだろう。
怒りこそすれ、罪悪感を覚えるはずはない。
ならば。
今もまだ打ち合い続けているカラスを見る。
ならばきっと、彼の問題だ。
何をしたのだろう。彼が何かの失礼をするようには見えない。その主従の仲も良好かどうかはわからないが険悪ではなかったと思う。
しかし、何をしたのだろう。私の可愛い妹分に、何をしたのだろう。
「カラス様は、お断りしました。今は私に仕えているから、と」
カラスとムジカルの関わりは、ルネスにとってはザブロック家の瑕疵のはずだ。理解は示しているが、その内実はわからない。そんな怯えがルルの中に生じる。
だが、それにしては悪意は見えず、嘘をついているようにも見えない。ならば、何を?
ルネスが何を考えているかわからず、それでもどうにかしてカラスは潔白だと証明したくて、ルルはそう重ねる。
ルルに悪気はなく、そしてそれを言ったカラスにも悪気はなかった。
しかし、その言葉に、ルネスがああ、と一つ思い至った。
「そう、ですか」
きっとカラスも悪気があって言ったわけでもないのだろう。
本来、この主従の中での話だ。自分が口を挟むことでもないのだろう。
しかしながら、少しだけ言いたいことが出来た。
ルネスにとってはまったくの他人事でも。
カラスと良好な関係を築きたくないとは言わない。
むしろ、お近づきになりたい。憧れのようなものが、ルネスの中にも存在する。
だが、それとこれとは話が別だ。
ルネスにとって、大事な妹分の顔を曇らせるのは大罪だ。
一言文句を言ってやらなければ。
きっとこの妹分は、自分だけでその感情を処理してしまうだろう。誰が悪い、ともせずに、自分が悪いと最後には片付けてしまうだろう。
自分が言うべきではないのかもしれない。
二人だけで片付けてもらうのが最良かもしれない。
しかし、言わずにはいられない。ならば言うべきだろう。
ルネスは、行李を担いで現れたジグの姿を見ながら、そう決めた。
それにしても。
内心鼻息荒くそう思ったルネスだったが、ルルの顔と表情を見て違うことに思い至る。
勇者のお気に入り。それに関し、ルルから勇者への感情はとそれとなく確認しようと思っていたが。
思ってはいたが、聞く意味はなさそうだ、とルネスは思う。
お互い、貴族の令嬢だ。自分たちの仕事には逆らえるべくもない。
それが喜ばしいことならば、大手を振って補助しようと思っていたのだが。
喜ばしいこと、ではない。ならば、仕事として後押しをしよう。
愚痴くらいならばいくらでも聞こう。支えよう、友人として。
その瞳に映っているのが、違う人間だというのならば。




