正しい判断
「この国の建国はそれよりも以前、ですが、頭角を現し始めたのは千年前の魔王戦役の後でした。ムジカルと同じく」
口を開いたカンパネラが発した言葉は、この国の始まりのことらしい。
だがそれは、この前レイトンに聞いている。
「当時小国だったエッセンとムジカルは、その後に現在このネルグ周辺を二分する大国に成長した。三百年ほどの時間をかけて、ゆっくりとね」
「長くなりそうならばお断りしますけれど」
話の腰を折るように僕はそう呼びかける。怪しまれないための時間は、もはやそうないというのはカンパネラの言葉だ。
ルルの意向はともかく、長くなりそうならばルルを促し最悪拉致するようにしてでも帰還する。
「…………」
そんな僕の意向を汲んだのか、カンパネラは一瞬黙って、また笑みを浮かべる。
「では簡潔に」
軽く胸の前でひらひらと振られた手は、拍子を取るためか。その間にも頭の中で要約は済んだのか、そう間を置かずにまた口を開いた。
「ムジカルとエッセン。この大国二つは、同じように大国であれども違うことが一つある。何だと思いますか?」
「……違うこと、というのであれば無数にあるでしょう」
今度は呆れたようにルルがそう呟く。それを予想していたのか、全く戸惑うことなくカンパネラは続けた。
「無数にはあります。けれど、……そうですね、気候によらないもの、とでも言いましょうか。仮にムジカルとこの国の位置を完全に入れ替えても、それぞれ変わらないもの」
視線はルルへ向けたまま。ルルと話しているから、というわけではない気がする。
そしてそのまま歪めた唇に、僕はその意図が少しだけわかった気がした。
「貴族の存在でしょうか」
僕がそう口にするとカンパネラの笑顔に花が咲く。
「そうです。ムジカルにも水守の一族という支配階級がありますが、王族を除き彼らの間に上下関係はない。そもそも水守の一族というものすら形骸化している始末です」
言い終わり、次の話題を、と続けようとしたのだろう。だが、その前にカンパネラは「ああ」と何かに気が付いたかのように小さく声を上げた。
「誤解しないでいただきたいのですが、この国の貴族制を批判する意図はありませんよ。この国が育つ過程で、必要なことだったのでしょう。小国だったエッセンが隣国を支配し併合していく際、各地を全て直接統治するのは難しかった。故にその各々に自治を任せ、名誉や権力と引き替えに上前をはね続ける制度を作った。賢いやり方です」
称えている、とは思う。しかしその表情は、嘲りがまた混じっている気がした。
そしてその嘲りを隠そうともせずに大きくすると、カンパネラは王城を見た。僕はそちらに視線を向けないが、大きく見えているのだろう。
「ですが、それが問題です。結果として、この国では『貴族』という王への対抗勢力となり得る火種が残ってしまった。容易に消すことも出来ず、消せばそれがまた新たな火種となり得る厄介なものが」
「自ら頂く王へと刃向かう貴族など……」
ルルがまた反感の声音で言葉を紡ぐ。しかしカンパネラはそれを遮り首を横に振った。
「表だってはいないでしょうね。貴族の基たる爵位とは王から与えられるものだ。王を否定するということは、すなわち自らの権力を否定することになる。けれども」
カンパネラが今度見つめているのは、北の方角。
建物や何かしらの模様を見ているのではない。……多分、もっと先の方の雪景色。
「この出来事は、貴族の方ならばご存じでしょう。北の雪国、リドニック。その現在の王」
「……平民出身の方、でしたか」
「ええその通り。私も詳しくは存じ上げませんし、伝え聞く限りでは、その辺りはカラス殿の方が詳しいでしょう。けれども、要旨は伝わっていただけたようで」
満足げにカンパネラが頷く。
「平民が王を追い落とし、王の位へとついた。リドニック王家も無策ではなかったのに、……この騒動には、エッセンの貴族の一人が関わっているそうですよ」
「……レヴィン・セイヴァリ・ライプニッツ、でしょう」
「非公式の事実なのに、よくご存じで」
僕が苦々しく、忌々しいその名前を口にすると、事も無げにカンパネラは認める。僕の方が詳しいと、先ほど認めたその口で。
「もちろんこの国の王族ではない。非公式の事実で、誰一人としてそれを事実とは認めていない。時流に上手く乗れた末の成功ということもある。けれども、証明はされてしまった。この国の貴族ですら、王家に逆らい王を追い落とすことが可能であると」
「他国の王です。そこまでは」
「革命、というそうです。その革命の結果、その王座にレヴィン自らが就いて恭順を示すのであればまだ良かった。または、継承権を持つアレクペロフ家の誰かに王位を授け、正当な後継者を取り戻したという釈明があれば良かった。けれども託されたのは平民。そして、その行動は、エッセン王家が事前に承知していたものでもない」
ルルの言葉が遮られるも、ルルも自ら黙ったように感じた。
「故に、以前からこの国を蚕食する火種だった貴族たちに対する王家の警戒は、更に強くなってしまっているだろう、というのがラルゴ様の見解です」
「…………。勇者と何の関係もありませんね」
やはり長くなった。そう抗議の言葉を僕が口にするが、カンパネラはただ頬を掻く。これでも短くしたのだろうか。
そして困ったように、笑い、袖を払った。
「では、今の知識を前提として、切り口を変えましょうか」
カンパネラが太陽を見る。先ほどとほぼ変わらない位置にあるそれが、僕にも眩しく感じた。
「以前から、その貴族たちに対する牽制はあったんですよ。……戦争というんですがね」
「……内戦など起きたことは四百年以上ないはずでは」
ルルがそう答える。僕の方は歴史には詳しくないのでなんとも言えないが、彼女がそう言うのであればそうなのだろう、とも思う。
そして、我が意を得たり、とカンパネラは深く頷いた。
「内戦ではなく、ムジカルとエッセンの戦争です。今回行うであろうとされているもの」
「ですが、それはムジカルと……」
「以前のものは約二十五年前、でしたか。ではその前は覚えておられますか?」
一瞬考える沈黙。その後に、ルルがまた応えた。
「……だいたい四十六年前、です」
「ではその前は?」
「約六十九年前…………」
「その前は、と尋ねるのもくどいですね。私が言いましょう、ちょうど九十年前です」
背後から普通に歩いてきた通行人から軽く身を背けながら、カンパネラが答える。
通行人は話し込む僕らに視線を向けつつも、すぐに興味を失ったようで通り過ぎていった。
「おおよそ二十年周期で、ムジカルとエッセンは戦争を行っているのですよ。そしてどれも、決着はつかずに少々の領土の割譲で事は済んでいる。それが目的ではないからです」
目的。
その言葉について考えて、何となく嫌な気持ちになる。
僕の知らないところで人が何人死んでもどうでもいいとはいえ、それが目的ならば。
「二十年。ちょうどこの国の制度である開拓村が、街へと昇格する年月。新しく生まれ出でた子供たちが、大人になり剣を握るのには充分な時間です」
苦々しくカンパネラが笑う。カンパネラも、その『目的』には否定的なのだろうか。
「そうして、貴族たちは定期的にその資材を吐き出させられてきた」
「では、今回のも?」
「そうです。少なくともムジカル王はそのつもりですし、事実今回の兵糧の供出で、兵たちをあまり出さないエッセン西側の貴族も王城への攻勢はしばらく出られなくなってしまっているでしょう」
参勤交代。そんな言葉が僕の脳裏に浮かぶ。
もっともあれは、もう少しだけ穏健なものだったと思うけれど。
「そしてそんな定例行事でも、削ぎきれなかった力は各地に残存しつつある。王家に恭順を示しながらも、内心舌を出すような者たちは、狡猾に力を蓄えてきた。勇者の召喚は、そんな王の怯えの表れです」
「勇者が出るまで長くないですか?」
「まあそう言わず」
僕の突っ込みに、ククとカンパネラは笑う。まだ時間にして数分ほど。けれど、とても長い時間に感じた。
「この国の貴族には、それぞれの大公に属する三つの派閥があるそうですね?」
「ええ」
「この勇者召喚に先んじて、彼の召喚に立ち会うように貴族たちは集められている。これは完全な私の推測ですが、おそらくそれは各派閥に『とりあえず所属している』という半ば浮動している宮廷貴族たちでしょう。三公への忠誠心が薄く、かといって王家への忠誠心が篤いものでもなく、三公が仮に立てば王家へと剣を向けるべく支援する者たち」
カンパネラは言葉を切り、僕とルル、サロメをゆっくりと見てから咳払いのようにニンマリと笑った。
「兵を動員する領地貴族はもちろんですが、彼らの戦力を削ぐことも急務でしょう。王家の力とは期待できずに、ただ大公たちの派閥の養分となっている者たちですから」
「勇者がいるからといって、彼らまで戦争に必要以上に物資を供出するとは思えませんが」
むしろ、勇者の召喚は彼らにとって力を蓄える大義名分となるのではないだろうか。勇者がいれば盤石、ならば自分たちは後詰めとして王城で必要となる時を待つ、とか。
「貸しますよ。忠誠心の薄い者、と即ちでは結びつきませんが、大抵彼らは信念が薄い者たちだ」
今度は表情に苛立ちが見えた気がする。強い日差しの影が、そう見せているだけかもしれないが。
「魔王戦役での勇者は、紛れもない正義だった。世界を滅亡させ、魔物の国を作ろうとした彼女を討ち果たした勇者は一片の曇りなく、人の世で今暮らす私たちにとっては正しい行いをした者でしょう。だからこそ、だからこそ、ヨーイチ・オギノは勇者をさせられている」
カンパネラが右手を掲げ、存在しない剣を構える。その先は、王城の方を向いていた。
「勇者の敵は即ち討ち滅ぼされるべき悪。そしてその剣の先は、今ムジカルへと向こうとしている」
その目は、もう間違えようのない敵意が見えた。
「私も含めて、唾棄すべきことに大抵の人間は自らの判断をしたがらない。信念が薄ければそれは顕著で、選択を、価値評価を、他者に投げ渡そうと常に必死だ」
存在しない剣を手放し、カンパネラが周囲を見渡す。群衆、それを見る目に何となく親近感が見えた気がする。
その感覚もちょっと危ない気がするけど。
「勇者が剣を向けた相手、ムジカルを相手にするのは誉められたことだ。考えることをやめて、自らそう考えたと思い込みたい愚かな貴族たちは、そうした逃げ道を与えられる。そして彼らは王家の思惑通りムジカルとの戦いで力を削がれ、場合によっては命を散らすでしょう」
「……楽しそうですね」
「ええ。愚かな犬共が潰えていくのはいつの世も楽しいものです」
囃し立てるように僕が言っても、カンパネラはただ同意する。
そして改めて、ルルを見た。
「勇者とは正義の象徴。王家に否定的な者たちへと『正しさ』を授け、戦場へと追い立てるための先導者。彼の剣はムジカルに向けられているのではなく、この国の貴族たちへと向けられているのですよ」
言い切って、しばし待つ。
「…………」
ルルからの返答はなく、それでもカンパネラはじっと優しげな目でルルを見ていた。
そして、ルルから何かを感じ取ったのだろう。カンパネラは溜息を吐いた。
「……そろそろ時間です。今日のうちに返答は望みません。いいえ、貴方からの返答は、行動で示していただければ結構です。私に伝われば、助力もさせて頂きましょう」
カンパネラが一歩離れた壁に歩み寄る。太陽の方を一瞬振り返り、眩んだように目を瞑った。
「貴族からしてみれば、王家は潜在的な敵です。もちろん宮廷貴族であるザブロック家の方からしてみれば縁の遠い話かもしれませんが、その爪は貴方たちへと向くかもしれない」
壁につけられた手が透ける。そこから波が広がるようにカンパネラの身体が、黒く透けていく。
「ムジカルでは自由に生きられる。歓迎いたしますよ、仮にお一人で来られても。もちろんカラス殿と一緒に来ていただければ、それが一番望ましいことですが」
「私は……」
「正しい判断を。いいえ、正しくなくとも、自由に自らの頭で考えた判断を。望みます」
言葉だけ残し、壁に吸い込まれるように溶けていく。その様を見ていたサロメは驚き小さく声を上げていたが、ルルは多分、じっと見ていた。
「……いきましょう」
カンパネラは消えた。しかし一応周囲の索敵を続けていた僕に向けて、ルルがそう告げる。その対象が一瞬わからず、僕は言葉に詰まったが。
僕が視線を返すと、それにルルも気が付いたのだろう。首を横に振って言い直す。
「王城へと、戻りましょう」
「…………。了解しました」
その顔が先ほどよりも少しだけ硬くなっているのを感じ取り、僕は初めて少しだけカンパネラに反感を抱いた気がした。
早歩きだった先ほどまでと異なり、普通の歩み。
少し歩いたところで、サロメがやや高めに声を上げる。
「あの」
「……なんです?」
その対象が僕らしい、ということで振り返れば、ルルも同じように首を傾げていた。
その視線に釈明するようにわたわたと、サロメが多めに身振り手振りを加えて応える。
「素人判断でございますが、先の不審人物というのはあの男だけなのでしょう?」
「……そのはずです。私の知人とはいえ、不審人物の言葉を信じれば、ですが」
というかその場合、僕が知っているということは別個として考えるべきだ。カンパネラは自分でも名乗っているとおりムジカルの兵士。そして勇者のことを調べていたともこれまた自分で白状している。
現在まだ宣戦布告していないので正式な敵国ではないが、現在紛れもなくムジカルは仮想敵国だろう。そんな相手の言葉を全て信じるというのも出来ない。
……ならば、あれだけ会話をしてしまったというのも本来叱られるべき事だろうが。それも、警護対象を連れた仕事中に。
「ですが、やはり不審人物です。現在周囲には……」
「いないのでしょう」
僕の言葉を継いで、ルルが答える。たしかに不審人物はいない、と思う。今横を通り過ぎた男が突然刃物をこちらに向けても対応可能なくらいには警戒している僕には、とりあえず察知されているような人間はいない。
少しだけばつが悪くなりながら、僕はルルの言葉を無視するように続けた。
「……いませんが、信じるわけにはいかないと思います」
カンパネラの言葉を信じるのであれば、今回何かあるとするならば勇者。
そして何かをするのはカンパネラ一人のみで、もう今日は諦めるらしい。
既にルルには何の危機もなく、仮に僕がおらずとも、このまま王城へ悠々と安全に帰れるのだろう。いいことずくめだ。
だがサロメは納得できないように少しだけ渋い顔を作った。
「……せっかく、お嬢様も外へ出たので、こんなにも慌ただしく帰るのは……」
「仕方ないでしょう。それに、勇者様にあらぬ心配をおかけするわけにはいきません。お嬢様が戻らなかったせいで、何かあったのではないかと心配されてしまいます」
先ほどの勇者の様子ならば、誰かを迎えに差し向けてきてもおかしくはない。もっとも僕たちの詳しい居場所はわからないので、まず捜索が必要になるだろうが。
「……私が、先触れに出ます。もう心配ないと……」
「それもやめていただきたいです。カンパネラさんの事を話す気ですか?」
「……あっ……」
それをやめろと本人に言われたのだ。
もちろん、あとで彼との接触を報告するのを止める気はない。しかし、それを伝えればさらに迎えが増員されるだけだ。
そしてそれを伝えずに『心配ない』と伝えたところで、何の根拠もないのであれば信用はされないだろう。
それにまあ、王城も目の前だ。もはや否応がない。
「サロメ。気遣いはありがたいですが、今日のところはやめておきましょう」
ルルも、少しだけ沈んだ声でそう告げる。そう言われてしまえばもうサロメも何も言えないだろう。
だが、また無理するように笑ってルルがこちらを向く。
「また、今度もお供していただけるんですよね」
「ええ、もちろん」
今度は当番的にオトフシかもしれないが。勇者が一緒にいると、彼女も多分断られるけれど、彼女でもそれなりにいけるだろう。
「ならいいでしょう」
僕を追い越しそうになりつつ、ルルが歩幅を大きくする。
僕はそれに追い越されないように歩調を早めて歩く。
隠しながらも、不満げに吐かれたサロメの溜息が耳に障った。
勇者は王城の南西にある口で護衛と共に待っていた。
「ルルさん!」
「勇者様、ご無事で」
その心配そうな声に応えつつ勇者に歩み寄ったルルを見送るように、僕は足を止める。
その近くにいた聖騎士……男性だけということは、女性の方はごろつきの捕縛に関わる何かしているのだろうか、彼に会釈すると、彼も応えた。
「こっちはなんか何人かが俺を狙ってたとかで、大変だったんですけど……ルルさんの方は?」
「何も心配ありませんでした。……何も」
勇者が僕を見て、納得するように頷く。それでも一瞬のことで、すぐにルルへと視線を向けた。
「大変な目に遭わせちゃって申し訳ないです。今度また二人で外へ行きましょうよ。こんなことがないように、取り締まりも強化してくれるらしいですし」
「そうですか。それは何よりです」
ルルも、申し訳なさそうに目を伏せる。
「自由に出られる日が、楽しみです」
ルルがどういった表情をしているのかはわからない。
けれどその顔を見たサロメは、また心配そうな顔をしていた。




