咬み合う大きな犬
こうして五番街を歩くのも久しぶりだ。
目に映るものが目新しいわけではないが、それでも職人達が力の限り鎚を振るい、威勢のいい掛け声を響かせているこの街の光景は他の街と違っていた。
炉から出ているのだろう、煙があちこちから上がり、煙突の上部は煤で真っ黒になっている。
そういえば、探索ギルドの依頼に煙突掃除があった。そういった業者に頼めば良いものを、わざわざ探索ギルドに依頼するというのも可笑しな話だ。何か事情でもあるのか。その辺を、今度調べてみてもいいかもしれない。
見回してみれば、やはり製作所が多い。
それならば、輸送の手間を省くために、この辺に小売店があってもいいと思う。しかしよく考えてみれば、僕の目に映る製作所は金属加工場ばかりだ。
服屋じゃない。
ここで初めて失敗に気付いた。
何故僕は、服を求めて職人街に来ているのだろう。
いや、たしかにここは職人が集まっているので服飾業もあるかもしれない。だが、一度来ていて知っていたはずなのに。
見渡す限り、服屋はない。
思わず苦笑した。
グスタフさんに頼り切っていたせいで、どこで買えばいいのかすらわからないのだ。
また覚えなければいけない。
僕の生活圏は、この街全体まで広がったのだから。
と、考えながら歩いていたが、僥倖だった。
小売店があったのだ。それも、鎧が置いてある。ならば体を保護するような防具が置いてあるだろう。
無ければ鎧でも買うか。そう自嘲しながら、僕は店に入っていった。
「らっしゃい」
それなりに元気よい店主の挨拶が僕を迎えた。
筋骨隆々で逞しい二の腕、日に焼けた肌から、きっとこの店主も自分で商品を作っているのだろう。
見回せば、様々な武器が壁に掛けられている。隅の箱には、適当に放り込まれたように武器の柄が見えた。あれも商品だろうか。
そして、やはり一角には鎧とそのインナー、盾などの防具が揃っている。目的はこっちだ。
まずは、目的の商品があるか確認しなければ。
「こんにちは。探索者になったばかりの新人なんですけど、僕が着れるような防具とか有りますか?」
「おお、新人さんかい? 初々しいねえ! あるよ! 無くても俺が調整するから、好きな奴を選びなよ」
そう言って、やはり防具の棚を指さす。そして、今気付いたかのように声を上げた。
「ああ、そういや、坊主は何を得物にすんだい? 探索者の連中が買ってくとしたら短剣とか、あとはでっかい奴を相手取るときのでっかい槍や鎚なんだが。それによっても、着るもんは変わってくるからよ」
「うーんと、僕は魔術師なので、何か丈の長くて袖のある外套みたいなもの、あります?」
暗に「武器は使わない」と言いながら尋ねると、店主はなんとも言えない表情を作って言った。
「魔術師とは、珍しい客だ。しかし、鍛冶屋が運営する店に来て、服が欲しいってのは、剛胆だな」
「……すいません」
薄々間違ってるのはわかっている。言ってみただけだ。そう言い直そうと口を開いたところで、店主は溜め息を吐きながら笑った。
「まあ、あるよ。といっても、鎧の上から着る用のものだがな」
「あるんですか!?」
着れるんならそれでいい。だから駄目だとは僕も思うのだが。
「おう、袖付きの外套だろ? ここいらかな」
そう言いながら、店主は防具の棚にある引き出しを一つ開けた。そこには、畳まれた外套が詰まっていた。
「これは袖無しだし、これは短いし……、ああ、この辺だ」
そして、一つの山を担ぎ出す。そこには、くすんではいるが色とりどりのローブが折り重なっていた。
「あー、と、黒色の……これかな」
その中から、希望通りの色のローブを引っ張り出して広げる。少し僕には大きめだが、きっとすぐにぴったりになるだろう。
僕はそれを適当に畳むと、手に持って店内をもう一度眺めた。
これだけでもいいのだが、それでも店主が先程言っていたようにここは鍛冶屋だ。
何か、武器か防具を買っていくべきだろう。
「あとは、そうですね。刃物が欲しいんですけど、僕が腰か背中に帯びれるような短い刃物はあります? 扱いが下手なんで、分厚いやつがいいです」
「分厚くて短い刃っていうと……鉈ぐらいしかねえんじゃねえか?」
悩みながら、それらしい刃を店主はカウンターに並べていく。やはり鉈か、大きめのナイフしかない。まあ当然だろう。
「別に気を使わなくてもいいぞ。使わねえ道具なんざ、持ってても仕方ないだろ」
「いえ、必要になることだってきっとありますよ」
以前鬼に襲われたときは、解体用のナイフが役に立った。持ち歩いて邪魔にならなければ、持ってて損になることはないはずだ。
「あ、これ、これ下さい」
並んでいる中にあった、山刀に目を止める。鉈のようだが先が尖り、大きなナイフよりも分厚い刃というのが良い。
「はいよ。じゃあ、それと外套で銀貨三枚だな。持ってるか?」
「持ってなかったら来ませんよ」
「まあ、そうだよな」
店主はガハハと豪快に笑った。
「そんで、剣鉈にお前の名とか入れるか? 別料金で引き受けるが」
「いえ、結構です。誰も見ませんしね」
大人数であれば自分のものを見分けるのに必要なのだろうが、僕には不要なものだ。
「毎度」
さっそく買ったローブを羽織ると、何故か誇らしい気がした。
聞いた話では、このローブを染めている染料に虫除けの効果があるらしい。以前グスタフさんの指示で採ってきた花にそういうものがあったので、同じものを使っているのだろう。
さて、帰ろう。明日は朝早くに砦に行って、掃除をするのだ。
埃の付いていない服は気分が良い。足取り軽く歩いていく。
今日は、嫌なことのない日だった。
次の日の朝。早くに起きた僕はいそいそと準備を始める。
なにせ、実質これが僕の初仕事なのだ。昇進試験とともに行った依頼は本当についでで、適当に素材を納品しただけだ。それも、森に入ってすぐに生えている薬草を帰りがけに摘んでいっただけ。そのため、達成したという実感がわかない。
勿論手は抜いていないが、あれは銅貨二枚という報酬に見合う仕事だったと思う。
今日のは違う。
廃棄された砦の再開拓。棄てられた砦の掃除をしてくるという真っ当な重労働だ。
掃除と言っても、清掃ではない。
もちろん瓦礫などは除去しなければいけないだろうが、そういった掃除ではない。
中に入り込んだ動物や、時には魔物の駆除、そういう依頼なのだ。
グスタフさんから言われた仕事に、こういうものは無かった。でも、僕ならばきっと出来る。
まずは腹ごしらえをして、それから行こう。
その砦は見たことがある。今から向かえば、おそらく、今日中に終わるだろう。
僕は茹でた芋虫を掻き込んだ。
街から上空へ躍り出て、ネルグの方に目を向ける。鬱蒼と茂った森の中に、ちょこんと一部露出している石造りの建物があった。
おそらく何十kmも離れているが、空を飛んでいけば問題が無い。すぐに着くだろう。
順調に飛び続ける。
森を見下ろしながら、時たま飛んでいる鷹を避けながら進んでいく。透明化を使っているので、襲われる心配は無い。僕も学習したのだ。
「……ん?」
森の中、豆粒のように何かが見えた。何か生き物のようだが、横たわっている。横たわっていること自体は別に不思議でもなんでも無いのだが、上空から見えるこの位置に寝ていることが妙に気になった。
休むのであれば、他者から見えづらい位置を選ぶはずなのに。
近寄ってみてみると、やはり変な光景だった。
昔見た大きな犬が二匹いた。それが一塊になって横たわっている。
いや、これは折り重なっている。そして、死んでいるのだ。
互いに噛みつき合うようにして死んでいる。口からは泡が出ていたような跡が残っており、目は見開いたままだ。
争って相打ちにでもなったのだろうか。周囲に暴れた跡すら残っている。
それにしても、気味が悪い死体だ。
こういうこともある事なんだろうか。初めて見たが、これが漁夫の利だとは思いたくない。
放っておこう。
きっと、帰りに通る頃には誰かに食べられて綺麗になっているのだろう。
僕は先を急ぐことにした。
程なくして砦に着く。
石造りの建物、大きな市役所のような建物だったが、上部の物見台がここが砦であると言うことを感じさせる。
どこも窓にガラスは残っておらず、ただ塞ぐための木戸がボロボロになってくっついている。
穴が開いているところもあるので、きっと中に動物が入っているのだろう。
さて、掃除だ。
今日中に終わらせて、確認のための職員を呼ばなくちゃ。
僕は勇んで、穴の開いた壁から内部に入っていった。




