傍観者の憂鬱
「お待たせいたしました」
先ほどの資材搬出口。そこに集まっていた四人と合流するように歩み寄り、ルルが頭を下げる。
一瞬、その付近をマアムが確認するように視線を飛ばしたが、本当に僕が付いてきていないか確認したのだろう。一度だけで、納得したように視線を落とした。
頭を下げたルルに対し、慌てるように勇者は首を振る。
「いえ、俺も、今来たところで……」
「…………」
その勇者をじっとルルが見つめる。不満げに目を細めたその視線に負けるように、勇者は口ごもるように言葉を止めた。
わずかに会釈した聖騎士たちの自己紹介はないらしい。
男性の方がゆっくりと周りに悟られぬように歩き出し、外へと出てさりげなく待つ。アイコンタクトをした女性の方は、声に出さないようにして頷いてから後方を確認する。
「では参りましょう」
少しだけ気まずくなった空気を誤魔化すようにマアムがそう促す。
「行きましょう」
勇者も、ルルに呼びかける。その言葉にルルは感情の見えない声で、「ええ」と応えた。
資材搬出口から外へ出る道は、やはり人影はない。
人払いしてあるからだろう。この前と同じく。
人に見せるためでもない庭木が繁り視界も悪い道。頻繁に通っているのだろう台車の轍が、いつの間にか降った雨で深くなっていた。
手持ち無沙汰に近い無言の歩行。しかし痺れを切らしたように、勇者が口を開く。
「……ルルさんの家は、伯爵家……とか?」
突然の話題の提供。だが、ルルは落ち着き払って答える。
「そうですね。ザブロック家は、恐れ多くも伯爵位を頂いております」
「それって、どのくらい偉いんですか?」
「…………?」
勇者の言葉。その言葉の意味がよくわからなかったのか、ルルが首を傾げて疑問に思う代わりに目をわずかに見開く。
同じようにサロメも、声は出さないものの頭上に疑問符を浮かべるような表情を浮かべマアムを見た。マアムもまたよくわかっていなさそうだったが。
一瞬変化した空気に気づいたのだろう。勇者はまた疑問が深まったように三人を見回し、そして「ああ」と改めてルルを見つめた。
「貴族の人の中では上から四つ目に偉いというのは知っているんですが……感覚的によくわからないんですよね、日本にはいなかったので。どういった感じで決まるんでしょう? 年功序列じゃない……んですよね?」
「……基本的には、功績により与えられるものでしょうか。それを家で、子供が受け継いでいくんです」
言いながらルルが露骨に視線を前に向ける。前に誰かがいるということでもない。その話題を打ち切りたいと、多分そういうことだろうと思う。
「伯爵位が偉いわけじゃないと思います。私はレグリス・ザブロック女伯爵の娘ですが、……」
調子よく続いていた言葉が途中で止まる。
そこから先に続けようとした言葉が、まずかったようで。
「ザブロック家は二百年以上前から文官としてこの国に仕えております。伯爵位といえども寄子はおろか領地も持っていない以上、子爵以下、騎士爵の方々と同じような扱いでしょう」
明らかに先ほどの言葉から続くものではない言葉に変えて、ルルは続けた。
「領地がなければ、爵位なんて挨拶の順番や恩給の金額が変わるだけです。偉いとか、そういうことはないと思います」
「そうなんですか……」
「はい」
思っていた答えとは違うのだろう。勇者は戸惑うようにしながらも納得を示した。
勇者的には、『どういうことができるのか』とか、『どういう扱いを受けるのか』という感じのことが聞きたかったのだと思うのだが。
「…………」
弾まない話に、諦めたようで誰も喋らない。
結局それから街へ出るまで、誰も喋らずに静かなまま彼らは歩き続けた。
馬車が横切る往来に出て、ようやく皆周囲を見渡す余裕が出たらしい。
元気のよい馬の嘶きがどこからともなく聞こえてきて、物珍しそうに勇者は馬車の流れを見た。
「この前も思ったんですが、この世界ではやっぱりまだ馬車が使われてるんですね?」
勇者がマアムにそう尋ねる。
「はい。一部馬車ではなくその他の騎獣を使ったものもありますが、やはり皆安価な馬車を選びますね」
「騎獣というのは?」
「……? ……馬以外の動物です。我が国ではハクだったり、天狗だったり……道の悪いところでは攫如なども使われるのですが、もともと街中ではあまり見かけませんし、今はこの辺りにはおりませんね」
きょろきょろとマアムが周囲を見回すが、馬以外の騎獣はその言葉の通りいないようだ。
だがその言葉に、勇者はまた不思議そうに片目を細める。
「馬の種類じゃなくて、引いている動物が違うんですか?」
「……そうなりますが……おかしな点でも?」
勇者とマアムの間に、疑問符が飛び交い続ける。二人の間に、認識の齟齬がある。
その認識の齟齬が何となく新鮮で、僕はわずかに噴き出した。
そうだ。本当は僕も、そちら側だ。
「オギノ様の国では、どのような騎獣を?」
参戦、というようにルルが口を挟む。良い合いの手だと思う。
彼女らには、認識が足りないのだ。勇者は別の国の者、というだけではない。別の世界の人間だということが。
勇者は、え、と一瞬悩み、往来へとまた視線を向けた。
「もう今は馬車とかもほぼ使われてないんですけど……、使うとしたらまあ馬か、牛……あと犬? くらいです」
「使われてない? のですか?」
「はい。そんなのよりも、自動車の方が便利で……ああっと、この世界、自動車はないんですね」
「……どういったものでしょう?」
深刻そうにマアムが勇者の言葉を掘り下げる。馬車よりも便利なもの、というところだろうか。
「どういうものと言われても……」
勇者は頭を掻いて、また悩む。知らない人間にも理解できるように一言で言え、というのはたしかに難しいのかもしれない。
定義的には、エンジンのついた車輪つきの乗り物、というところだろうが。
するとエンジンの説明が必要だし、完成された蒸気機関すらないこの世界ではエンジンの概念も説明しづらい。風車や水車はあるにはあるが、……エネルジコやエウリューケ辺りでもなければ、すぐにその概念を理解することは出来まい。
「燃料を燃やして車輪を回すんです。馬とか牛の代わりに」
「燃料というのは、薪とか?」
「薪もあった……かな? 昔はあったかもしれないんですが、俺の時にはガソリン……あの、油のもっとよく燃えるようなものを燃やして……」
基礎知識が違うことに勇者はようやく気が付いたのだろう、少しずつ言葉を平易にしていく。だが、やはり伝わらないようで空中に何度も指で何かの模式図を描いていた。
あまりその辺り、喋らせたくはない。
マアムもルルもサロメも門外漢で、全部聞いてもあまり影響はないのだろうけれど。
でも僕は、その話題が嫌いだ。
しかしまあ、やはり姿を見せていないのは不便だ。
どうやってその話題を切ろう。姿を見せて横にいれば、知らぬフリをして違う話題を振るのに。
足でも引っかけて転ばそうか。もしくは暴れ馬でも乱入させようか。そんなあまり取りたくない手段を思い浮かべてしまうほど。
結局、話題は街に鳴り響いた鐘の音で中断された。
街を見て回る時間は限られている。それをマアムに知らせた時の鐘の音で。
半刻おきに鳴らされるその鐘は、王城へ戻らなければいけない十三の鐘まで、あと一刻だと知らせていた。
「興味深いお話なのですが……。もしよろしかったら、王城にもハクや天狗ならおりますので、そちらでまた」
「あ、はい。そっちも今度見てみたいです」
行きましょう、と一行は先を急ぐ。馬車や人が歩く通りを渡り、食堂や工房、雑貨屋が乱雑に並ぶ王都の一角、小さな街へ。
ここに来るのは二回目だろう。それでも勇者は興味深げに、周囲を見て息を漏らしていた。
少し歩いて、勇者が呟く。
「……温暖な国、なんですね」
「温かいと感じるかどうかは人によると思いますが、見ての通り暮らしやすい国です」
口調はそのまま、しかしマアムが対応を変えた。僕にはそう感じた。
勇者が見ているのは果実店の軒先に積まれた柑橘系の果実。赤と紫のものが多いが、端にまだ未成熟の青いものもいくつか転がっていた。
「果物とか、この辺りのものなんですか?」
勇者は果実を手に取ろうとして手を伸ばし、躊躇するように引っ込める。中でバタバタと荷物を運んでいる中年の店主を見て、遠慮したのだろうか。
「こういった場所に並んでいる果物などは主にここから少し南の街で作られておりますね。王都の中にもいくつか果樹園はありますが、そういったものは……大体食堂で消費されている感じでしょうか」
「蜜柑よりも大きいけど……甘いんですか? これ」
「そうですね。安全管理上、味見を……というわけにはいきませんが」
「…………」
マアムに止められて、仕方ないな、と勇者が諦める。そんなに残念そうにも見えなかったが。
一歩そこから離れてしげしげと果物の棚を見つめていたルルは、一つの場所で目を止める。小さく茶色い毛のないキウイのような果実。それを指でそっと触ると、熟し具合を確かめるように少しだけ力を入れていた。
「ルルさんは」
「…………?」
「好きな果物ってなにかあります?」
話しかけられ、慌てたようにルルは身を正す。手放された果物が、台の上で少しだけ転がった。
「……その時々で、旬のものを頂いているので特に好みなどは。少々走りですが、今ならばその蓮柑などが美味しい季節ですね」
「蓮柑? これですか」
勇者に示され、ルルが頷く。先程から勇者が話題にしていた赤と紫の柑橘。
「そのまま食べても甘い冬に生る種もありますが、初夏から夏にかけてのこちらは酸味が強いので火を通した方が美味しいと思います」
ルルに視線を向けられてはいないのに、マアムのほうが視線を逸らす。少しだけばつが悪そうな……ああ、さっきの。
「へえ……」
また興味が復活したのか、勇者が棚を見る。やはり味見は出来ないと、マアムが首を振って押さえていたが。
「勇者様は、何かお好みの果物などは?」
「俺は、林檎とか好きですけど……。でもこれも食べてみたいですね」
「……料理長に相談させていただきます」
冷やかし、と思われているのだろう。
店主がじろりと勇者たちを見て、牽制するように動きを止める。その視線から逃げるように、勇者は露骨に視線を逸らし往来の真ん中まで進んだ。
「この街、何か名所みたいなところはないんですか?」
「名所……ですか?」
「こう、人が来たら必ず行くところとか、名物みたいなのは……」
言いながら勇者の声が沈んでいく。マアムとルル、サロメの顔に、そういったものが存在しないと気が付いたのだろう。
名所……といえばいくつかあるだろうが、もちろんこの街にも観光客に向けた名所はないと思う。
この街の人間も、多くは生活圏が一生変わらないし、変わったとしても頻繁に変えることはない。遠くの景色を見にいくなどという行事もない。昔から、僕が旅の目的を観光といっても理解されないように。
勇者も知ってはいるだろう。修学旅行が理解されなかったことからも。
「この街が、どういうところかわかりやすいところはないかなって……」
へへ、と勇者が笑う。それから何の気なしに歩き出すと、それに続いて他の三人も一塊になって移動を始めた。
「そもそもこのエッセンと……いえ、エッセンというのはどんな国なんでしょうか」
「どんな国、と申されましても、複雑で中々……」
マアムが困ったように首を傾げる。
「何か名産品とか、国じゃなくて街のものでもいいですけど」
「名産……特に産業はないですね」
「何か有名なものとかは?」
「…………」
うーん、とマアムが悩む。
言われてみれば、この国に独自の産業というのはあまりない気がする。鎖国中のミーティアは置いておいても、他の国には大抵誇るものがあるのに。
ムジカルは香辛料や独自の織物。聖領アウラ擁するピスキスは、海産物を使った干物などの食料や武器防具などを。この前ムジカルに吸収されたストラリムは牧畜。
今は国ではないが、サンギエは主な産業としては物流だろうか。ネルグ北側の岩山部分の人や物資の流通を司り外需を稼いでいる。
リドニックは……あそこはまあそういう余裕もないのだろうが。防寒具とかは有名な気がする。
一応ミールマンはこの国の中でも、石材の輸出で他の村や町に対して商売をしているだろうか。イラインも、ネルグの果実や野菜、鳥獣の肉を取れるけれど。
しかしどれも、国内で回っている。
内需で完結している、といえば聞こえはいいだろうか。まあそれも重要だろう。仮に国際的に孤立しても、皆の生活には一切関わりがないといえるのだろうから。
「しっかし……」
もう話題が続かない。そうわかった勇者が足を止めて顔を上げて周囲を見渡す。
見渡された先にいるのは、日中のこの時間に街にいる人間たち。
「ファンタジーの世界にきたっていっても、あんまりそれっぽくはないですよね」
「……ふぁんたじーというのは……」
「カラスさんとかヴァグネルさんに魔術に関して聞いて、そんで俺もこの世界に魔術を使って連れてこられたはずなのに」
マアムを見て、勇者は笑う。
「ファンタジーっていうのは、俺の世界で使われている言葉で……なんてったらいいんだろ……剣と魔法? の世界に関する話なんですけど。……でも、ぱっと見た感じそうとは思えなくて」
笑みが、自嘲するように変わる。右手で左脇腹の辺りを掻いた。
「言葉も知らないし、もちろんこの国のことなんて全然知らないんですけど、でもこの光景を見てまず別世界だとは思えないんです」
一度石畳を足の裏で叩いて、見上げた先は店の軒だろうか。
「建物見れば、アジアか中国か……なんて思うかもしれませんし、人を見ればヨーロッパ? なんて思っちゃうかもしれませんし。売られているものも使われている道具も、どれもよく見れば全然違うんですけど」
言葉を切り、勇者が道の先を見る。日の位置から、方角を見定めて。見た先は、東。
「このまま歩いて……」
続いて出た言葉も続かない。やや小さく首を振って、マアムとルルを見た。
「すいません、何か語っちゃって。……実は、今行きたい場所が思い浮かんだんですけど、いいですか?」
勇者がマアムに要望したのは、とある店に連れていくこと。
「ここが」
「はい。質は正直保証できないのですが……」
「構いません」
少しだけ楽しみな顔を浮かべながら、勇者が扉を押し開く。さりげなく先に入っていた聖騎士が、商品を見るフリをしながらこちらに注意を向けた。
「…………」
勇者が少しだけまた興奮するような鼻息を吐く。続いて入ったマアムとルルとサロメを置き去りにするように、棚に駆け寄りながら。
入ったのは、鍛冶師の店。いわゆる、武器屋だ。
「らっしゃい」
店主らしき男性が、店の奥で小さなナイフを研ぎながら声を上げる。砥石と金属を力を込めて擦り合わせるジャッジャッという勢いの良い音が、店内に規則正しく響いていた。
広い店内に、ある程度の余裕を持たせて置かれた棚が四つと壁際の背の低い棚。
壁際にある棚には乱雑に数打ちの剣が並べられていて、通路のようになっている飾り棚には一品ものらしき剣が鞘と並べて置かれていた。開架式の店には僕はあまり入ったことがないが、多分よくある形態なのだろう。
小刀はこちら、大刀はこちら、と種類ごとにある程度分けられておかれている店内。
農機具のコーナーもあるのか、鍬や斧なども端の方に備えられていた。
「やっぱり剣は片刃なんですね……いや、諸刃もある」
まるで玩具を与えられた子供のように勇者の目が輝く。真ん中のショーケースは、目玉商品なのだろう、単位が金貨の刀剣が数本並んでいた。
「こういうところはやっぱりファンタジー……」
「勇者様、剣ならば王城にも」
容易には取り外せないようにと、棚に針金で固定された剣。それを見て、勇者は溜息を吐いた。
「……すげー! 刃引きもされてないのに普通に売られてる!!」
そして、小声だが今までで最高潮の興奮具合。マアムが合いの手を入れる機会を逃してしまったほどの。
「お好きなんですか?」
あまり自分からは喋らなかったルルが、そう問いかけてしまうほどの変わりよう。
そして同様に先ほどまでとは打って変わって、ルルに向かって明るく応えた。
「こういうのはやっぱり日本とは違いますよね」
そして目玉商品は手に取れないとわかると、勇者は次に数打ちの品に目をやる。
それから一度店主の方へと目を向けると、「振ってみていいですか」と尋ねた。
「構わないが……扱えるのか?」
「それなりには」
店主は荒っぽいというよりも、静かなタイプの職人らしい。一応手を止めて、僕たちを見る。
おそらく勇者一行は現在、ただ冷やかしに入った一般人たちに見えているのだろう。もしくは、そういった仕事についてもいないのに女性にいいところを見せようとしている年頃の男子。
当然、買う気などないように見えているのだろう。それ以上のセールストークはなかった。
そして勇者は壁際の鞘もない剣を手に取ると、以前テレーズの前でやったように、切っ先を上げて掲げるように構えた。
「重心はやっぱり柄近く……。作りはしっかりしてる」
剣について呟くように確認しながら、他の三人が一歩下がったのを確認して虚空を見た。
ビ、と空気を裂いた鋭い音が鳴る。
勇者の袈裟斬り。しかしその振り下ろした切っ先は、床に触れないようにとピタリと止まった。
そしてゆっくりとその刃を眺めるように眼前に掲げて、そっと指を添えた。
「でもやっぱり、打ち出しみたいな作りだなぁ」
そういう材質なのだろうか、艶の残った刃に、勇者の唇が映る。その唇はやっぱりつり上がるように変形していた。
振り返った顔は、高揚しているだけの勇者の顔。若者に使う言葉ではない気もするが、何となく、若返ったような。
苦笑しながら、釈明するように勇者は言う。
「日本にも刀剣を扱う店はあったんですが、あまり触らせてはもらえないんですよね」
「そうでしたか」
呆気にとられていたマアムもどうにかして反応を返す。
「所望なさるのであれば、特注のものをすぐにでも用意させますが」
「……ですよね」
しかしそのマアムの反応に、今度は勇者の顔が曇る。もう一度剣を見て、今度は何だろう、握るのではなく、柄を刀身の峰側から包むように持った。
それからの構えは、先ほどと違う。まるで前に剣を突き出すような形。
「戦う……んですもんね」
構えから、突いた形はフェンシングともちょっと違う。まるでスナップを利かせるように、肘や肩ではなく手首を大きく使って前へと振っていた。
「お嬢様?」
何の気なしに、という雰囲気でルルが壁際の剣を手に取る。サロメが咎めるように言うが、それを無視してルルも構えた。
構えたといっても、片手では剣先を保持できずにプルプルと震えていたが。
軽く手首だけの素振りを繰り返していた勇者が、サロメの声に振り返ってルルを見た。
「……重たい……」
「そりゃ重たいですよ。金属の塊ですから」
勇者が笑う。この店に入る前にはあまり見せなかった笑顔で。
それから剣を壁際に置くと、ルルに歩み寄る。そっと横からルルの腕に自分の手を添えた。
「片手で持つと力がいるので、慣れてなければ両手で持ったほうがいいと思います。利き手は右ですか?」
「……右ですけど」
「じゃあ、左手を柄の下側を持つようにして」
言われたとおりに持ったルルはもう一度振りかぶろうとするが、それを勇者が止める。
「流派にもよるそうなんですが、右手と左手は少し離しましょう」
「こうですか?」
先ほどよりも左手に力が入らないことを不満に思っているようだが、それでもとルルは剣を振り下ろす。風切り音すら鳴らないゆっくりとしたものだった。
息を切らすように溜息を吐いて、ルルが棚に剣を戻そうとする。それを途中で引き継いだ勇者は、軽い棒きれでも持つように棚に置いた。
「……こんな重たいものを振っていたんですね」
「鍛えれば平気ですよ。ルルさんは振る必要なんてないでしょうけど」
「オギノ様も、鍛えてらっしゃるのですか?」
「ええ。まあ」
自分の分の剣も棚に戻して、勇者はルルに向き直る。
「…………」
一瞬の無言の見つめ合い。その沈黙を破ったのは、ルル。
「何で、鍛えようとしたのでしょうか」
「何故、ですか?」
悩む勇者。
その質問に既視感を覚えながら僕も答えを待つと、勇者が口を開く。
「家伝のものなんです。俺の練習した剣術って」
「そう……なんですか」
残念そうに、ルルが声のトーンを落とす。だが、勇者の言葉はそこまでではなかったらしい。
「っていうのもあるんですけど……」
ポリポリと頭を掻きながら言って、また一瞬黙って掌を見つめる。
素振りで鍛えられたのだろう、分厚くなった掌。
「なんというか……格好いいじゃないですか? 単純に、剣を使って戦う姿って」
「格好いい……ですか」
ルルが尋ね返し、答えを待たずにルルも何事かを思い出すように思案に耽る。
だがそれも一瞬のこと。互いに含みがあるような、そんな会話が続いているが。
顔を上げたルルが、笑みを浮かべた。多分、外へ出て初めての。
「たしかに、……格好よかったと思います」
その顔を見て勇者が頬を赤らめていたのが、何故だろうか、見ていられなかった。




