嘘を隠さずに
石造りの狭い階段。少し上がればすぐに折れ曲がり、九十度こちらを向いてさらにどこかへ上がっていく。そんな階段を一段ずつ上りながら、振り向かずに僕は尋ねる。
「もう用意したんですか?」
セーフハウス。隠れ家というからにはそういう性質があるのだろうが、いや、そもそもならば何故城の中にいるのだろう。
僕の言葉にレイトンは一瞬楽しそうに唸った。
「用意したにはしたけど、……どちらかといえば、されていた、が正しいかな」
「されていた? つまり……」
踊り場へと辿り着き、もう一つ階段を上がろうと曲がったところ、レイトンはそのまま足を前に踏み出す。追い抜かすように僕の横を通ったレイトンは、その向かい側、木で作られた飾り棚に歩み寄り手をかけた。
僕も足を止めて、その様を見守る。
五段程度の飾り棚。合板の棚板が壁に直接金具で固定されているようで、花瓶が一つ乗っていた。
その棚板の一つを軽く引っ張ると、両手を伸ばした程度の長さの棚板の内、真ん中部分が抜けて折れ曲がる。引っ張り出しても根元がそのまま奥へと繋がっているらしく、蝶番で折れ曲がった棚板はプランと下にぶら下がった。
「よいしょ」
そのまま、レイトンが壁を軽い動作で押し込む。
「……へえ……」
僕は感嘆の息を吐く。押し込まれた壁は左側を支点に飾り棚ごと奥へと移動し、まるで大きな扉が開くように中の空洞が見えた。
人が一人入るのに体を擦る程度の隙間を空けて、レイトンが体を滑り込ませる。
そしてその隙間に手をかけて扉を押さえながら、僕へと奥を示した。
「さ、どうぞ」
「お邪魔します?」
疑問型な言葉を吐きながら僕も体を滑り込ませるが、服にチョークで汚したような白い跡が残った。擦っても中々落ちないな、これ。後で消さないと。
扉の先は暗闇というわけでもなく、明るく昼の日差しが入っている。
踏み出せば、そこも石材で作られた足場。レイトンが既に一段降りている階段がそこに繋がるそれは、人が一人でも危なそうな程小さく頼りないものだった。
扉を閉めると、こちら側にある木製の留め具がずれて、向こう側の棚板が元に戻った感触がした。
まるでミールマンの通陽口にある階段のよう。そんなことを思い返しながら、僕でもやや身を竦めてしまうほどの狭い通路を下っていく。
コツンコツンと足音が反響する。レイトンが気にしていないということは、多分外には漏れないのだろうが。
「隠し階段ですか」
「そうだね。ここ数百年は確実に使われていなかっただろう。蜘蛛の巣を払うのが大変だったよ」
壁に手をつくこともなく、レイトンも階段を下っていく。
明かり取りの窓から離れているので、徐々に暗くなっていく……かと思いきや、そうではない。
先ほどこの隠し階段に入る前に上ったものと同じくらいの長さの階段が、今度は踊り場を介し三つ繋がって下っている。つまりおそらく、先ほどレイトンと会った場所からすれば、地下に入ったことになるが。
そして、下の階についた僕は、ああ、と声を上げた。
「どうだい。立派なものだろう?」
「そうですね、僕としては充分な備えですけど」
ついた場所は、やや開けた部屋。といっても、僕が今与えられている三畳くらいの部屋を三つほど繋げたくらいの小さなものだが。おそらくこの王城の屋根の高さまであるのだろう、五階程度の高い天井に空いた明かり取りの窓から、細く光が差し込んでいる。
下には雨か何かで濡れて固まった埃のようなものが積もっているが、足跡もレイトンの分しかないようで、この部屋が使われていなかった年月が読み取れるようだった。
部屋の奥にはまた通路が繋がっており、その先はさすがに窓もなく暗い空間が続いていた。
その部屋にあるのは、小さな背もたれのついた木の椅子。それにレイトンが持ち込んだらしい荷物と毛布が雑に転がっている程度。正直本当は『立派』とはいえないと思う。
レイトンも、そんな意味で言ったのだろう。笑顔はいつもよりも皮肉っぽく歪んでいた。
部屋の隅の床の溝にちょろちょろと流れている水は、飲用にでも使えるのだろうか。それも、小さな穴からどこかへ排出されていっていた。
「それで、ここは……」
「その通り。緊急時の脱出口らしいよ。奥の通路は時間稼ぎ用の枝分かれをした後、王都外の丘陵にある隠し扉まで続いていた」
「……そうですか」
成人男性がくつろげる様子もない小さな椅子にどかりと腰掛けて、レイトンが空を見上げる。豆粒のように見える窓は、やはり昔見たミールマンの通陽口を想像させた。
灰色の寒々しい部屋。見方によっては監獄のように見えるこの部屋だが、もともと居住性能など考えられてはいないのだろう。
「気づかれないものなんですかね。いつも使っている場所ですけど」
ここに入る前の階段は、そこそこ人は通るという場所という印象だった。しかしこの部屋を見る限り、そしてレイトンの言葉からすれば数百年は誰も足を踏み入れていないのだろう。
皆その前を毎日通っているのに、気づかれていないか、それとも皆あえて足を踏み入れていないのか。隠し階段という用途を考えれば、間違いなく前者なのだが。
いや、隠し階段とか脱出口とかはあってもおかしくはない。なんとなくそういうものは王の私室とかそういう場所にありそうだと僕は思ってしまうというだけだ。
「みんな、毎日使っている慣れ親しんだ場所、という先入観から調べないからね。城というのは、必ずこういうものがあるのに」
楽しそうにレイトンは笑う。この分だと他にもこういう場所はありそうだ。
「ここに住んでいるんですか? エウリューケさん……はまた別の場所とか」
言いかけて、まずこの部屋にエウリューケの痕跡はないことに気がつく。多分この部屋に入ってもいないだろう。知らないということまであるかもしれない。
「彼女は街で色々とやっているよ。きみが漏らした情報から色々やっているみたいだし、今度会いに行ってみたら? 『実験だ』なんて言いながらはしゃいでいたけど」
「僕が漏らした?」
というのは、どのことだろうか。そう尋ねるが、レイトンは事も無げに口を開く。
「『全ての人間は魔力を持つ』。そう彼女に伝えたのはきみだろ?」
「……ああ、あの話、ですか」
「今回の勇者召喚で得た魔法陣研究の検証実験も兼ねているらしいね。ぼくはよく知らないけど、きみなら多少は得るものがあるんじゃないかな?」
「それは……わかりませんが……」
エウリューケの実験。それは中々僕に理解できるものでもないだろう。一度教えを乞うてもいいかもしれないが。
まあ、そんなことよりも。
「それで、僕に声をかけたということは、何か用があるんですよね。何でしょうか?」
「忙しないなぁ。せっかく部屋に招いてあげたんだ。少しはくつろいでよ」
「まあ、時間はありますけど」
何となく落ち着かず、僕はレイトンから視線を外す。腰の辺りについた埃が気になり、払い落とすと光の中に粉がきらきらと舞った。
「ま、ぼくがきみに用があるというよりは、きみがぼくに用がないか、と思ってさ」
「僕が、ですか」
「うん。そろそろ、きみの身にも変わったことがあっただろう?」
レイトンに視線を戻す。その楽しげな笑みに、上手に笑っている目。見方によっては優しげなのに、僕には何となく尋問されている気がした。
隠す気はないし、まあいいけれど。
僕は服のポケットに入っていた柴の欠片を取り出して、親指でレイトンに弾いて渡す。
爪の先ほどの小さなそれを、レイトンは空中で人差し指と中指で捕らえる。そして小枝を目の前で検分すると、『ふうん』と呟いた。
「……昨夜、僕と勇者が接近したことはご存じですか?」
「なんとなくね。昨日は他に調べ物してたからきちんと把握していないけど」
「では、やはりそれはレイトンさんの手によるものではない、と」
その柴は、僕と勇者が初めて会ったあの屋根の上に蒔かれていたものだ。
今思っても、やはり異常な事態だった。僕が気配に気づかずにあそこまで接近されるというのはそうそうない。
レイトンは僕の問いには答えず、指先で弄んでいた小枝を床に弾いて落とした。
「そのとき他に何か見なかった? たとえば、変な模様の描かれた紙。もしくは、複雑に編まれた木の蔓」
「はっきりと記憶してはいませんが、おそらく木の飾りは手に触れた覚えがあります」
あの日、僕が談話室に入ることをやめた直前のこと。石の壁ではなく、木の何かに触れた気がする。そして次の日に、その辺りには何もなかった。
やはり、それもか。
「……人払いの飾りに、招来枝。決まりかな」
「プリシラさんでしょうか」
「間違いない。ぼくたちが暗殺対象を誘導するときに使うものだよ」
「また不思議なものを使いますね」
はあ、と僕は息を吐く。木の飾りに、小さな枝。先ほどの言葉からすると何かの絵の場合もあるのだろう。しかしそんなもので……実際に誘導された僕が『そんなもの』とは言えないか。
「不思議でもなんでもないさ。人は心地良いものに近づき、心地悪いものからは離れていく」
貧乏揺すりのように、レイトンは床を足の裏で叩く。タップダンスのような音が断続的に響き続ける。
「きみは木の飾りを触って嫌悪感を覚えて、それから木の枝……音みたいだけど……枝を踏んでその道に好感を覚えて進んだんだ。無意識にね」
「目的はやはり、勇者への気遣いでしょうか」
「だろうね。怯えて剣をとりたくないのに、強引に戦場に引き出されるであろう勇者。あいつが好きそうな『弱者』だよ」
そこまで言って、レイトンは笑みを強める。
この笑み、ルル的には嘘なのだろうが。
「誇るといい。強者の芽を摘むとき以外、あいつは『弱者』のために動く。きみならば、確かにその勇者の支えになってくれるだろうとあの女は考えたんだ」
「助けになれる気もしないんですけどね」
僕は腰に手を当てて眉を顰める。実際、さっき失敗したばかりだ。弱いフリ、までは良かったと思うけれど、何というか怒られかたの種類が思っていたのと違っていた。
勇者の様子を思い返してみても、多分彼の中でも想定外のものだったのだろうと思う。それは想像だが。
「失敗って、何したのさ?」
楽しそうにレイトンが聞き返して……いや、僕失敗とは口に出していないんだけど。
「……勇者へ失望させることを期待して、ちょっと手を抜いて稽古試合で戦ってもらいました。それで聖騎士団団長に怒られてしまいまして。『稽古への不真面目な参加は皆に失礼なことだし、師匠の名を汚すことにもなる』、と」
「ハハッ、勝手すぎる話だね」
噴き出すようにレイトンは笑う。開いた足の間、椅子の座面に置いた両手をパタパタと動かして。
「そもそも勇者には戦いに出る理由がないんだ。本当に、あいつらは頭が固い。次はどうするんだろうね。無理矢理にでも剣を手に縛り付けて、魔物うろつく森の中に放り出しでもするのかな?」
「どうするんでしょうね。団長は、『自分が納得するまでは戦場には出さない』と言っていましたが」
「……なんだ、失敗でもないじゃん」
最後に鼻で笑い、レイトンの笑いが鎮まる。口元の笑みは、ここまで一切絶やしてはいないが。
「これで勇者は戦いになんて出ずに済むんだろう? ずっとぐうたらしてると今度は王家のほうが騒がしくなるだろうけれど、しばらくは」
「そうなんですけどね」
たしかに、戦いには出ずに、出られずに済む。しかしそれも多分彼は……。
「きみの失敗というのはただその団長の反応を予想できなかったことかな? その様子だと、勇者も動揺してたんだろうけれど、そうするとそれも?」
「そうですね。いや、あの怒り方は予想外でした」
乾いた笑いを上げながら、僕は弁解するように言う。レイトンに言ったところで何もならないのだが。
「そこはきみが関知しなくてもいい部分だ。きみは助け船を出し、勇者はそれに乗り、見事対岸へと辿り着いた。対岸の景色が嫌なものと気づいたとしても、嫌ならそこから降りればよかったんだからね」
天井からの日が少しだけ陰る。鳥か何かが通ったのか、一瞬だけ。
「でもまあ、そこを悩むのは自由だ。好きにするといいよ」
「……僕の選択に、プリシラさんは合格を出すでしょうか?」
「どうかな。悪ければ、多分あいつからの干渉がただなくなるだろう。喜ばしいことに。でも……」
「今回は喜ばしくない、と」
僕の言葉を聞いて、レイトンが一瞬床で視線を止める。何か考えたのだろう、それから僕を見て、またニンマリと笑った。
「そうだね。ぼくはあいつの邪魔をしたい。だから僕としては、今回失敗していてほしかった。でも成功してしまった以上、今後はきみと勇者を引き剥がすことにかかるべきなんだろう」
「僕に、これから勇者と会うなと?」
「それはあいつが邪魔をする、というのもわかりきっている。なら、だから、少しだけあいつに協力してやろうと思う」
レイトンがそっと右手を伸ばす。まるで握手を交わすためのように。
まるで、プリシラのような動作で。
「交換条件だ。きみは今、何か悩みを抱えている。ぼくにもプリシラにも関係がなく、そしてその解決に至る道もわからないもの」
「…………」
「ぼくは、それを解決するために知恵を貸してあげる。だから、一つ頼みがあるんだ」
僕が抱えている悩み。その言葉に、何のことだろうかと僕は内心首を傾げる。
……いや、正直、どれのことだかわからないというのが正確だろうが。
「……頼みとは?」
だがその『悩み』が何か、と問う前に、僕の口が言葉を紡ぐ。
まだ引き受けるとは決めていないし、そうとも言っていない。だがレイトンの口角が上がったということは、多分確信したのだろう。僕が引き受けると。
……多分僕も断らないと、自分でも思っているけれど。
「ぼくはこれから、きみを巻き込む手を一つ打つ。それにきみはただ乗ってほしい」
「その『手』が何だかわからなければ、頷くことは出来ません」
「わかっちゃうと多分結果が出ないからね。ま、最終的には悪いことにはならないよ。それは保証する」
何をするかわからない。しかし、それに乗れ。
いつものこの男の行動か。まあ、今回は先に言っておいてくれるだけマシか。
「そうなるともう、僕にそれを聞かせる必要もないのでは……」
「きみとは仲良くやっていきたいからね。そして、不発に終わると面倒だ。何かが起きると知っていて、何が起きるかわからない、くらいがぼくにとってはちょうどいいのさ」
「んな勝手な……」
そういうことをいつもするから、レイトンが殺されても僕はなんとも思わない、というカンパネラへの言葉を否定できなかったというのに。
それでもレイトンは構わないのだろうが。
「ないとは思うけど、きみが『それ』に気がつかない場合もある。そして、きみが了承しなくてもぼくは勝手にやる。ここで頷いておいた方が一つ二つ得をすると思うけど?」
そして、『悩み』のことといい、これでも僕のことを気遣っているのだろう。
ルルが嫌悪しそうなレイトンの笑顔に対し、いつも通りのそんな甘い考えをわずかに浮かべてしまった僕は、「わかりました」としぶしぶ頷いた。




