微笑みを絶やさぬよう
エウリューケとの勇者召喚陣見学を終えた次の日。
城にいくつもある中庭の一つ。
そこで行われている午前のお茶会を、僕は離れた後ろから眺めていた。
礼装ではなく普段着に近いドレスを身に纏い、ルルも含めた五人の女性が円卓を囲む。円卓の中央にはマカロンやクッキーのような焼き菓子が積まれているが、誰もそれを手に取らないというのはもったいないとしか思えない。
あとでいくつかもらえないだろうか。
「早く会いたいですわ」
「私はちょっと怖いかもしれません。私たちにもどのような方かはわかりませんもの」
栗色の髪の女性に応えたルネスは、言葉を発してからルルを見て「ね」と同意を求める。ルルも曖昧に頷き、会話が流れてゆく。
彼女らの話題はもちろん、勇者ヨウイチ・オギノのこと。
今集まっている五人の内、召喚に参加できたのはルルとその横に座るルネスの二人のみ。あとの三人は男爵位の令嬢ということで、あの部屋に入れなかったらしい。
本来昨夜お目通りできるはずだった三人は勇者に会えず、そして召喚を確認していた二人も遠目に顔を見ただけ。
ここにいる全員が勇者とほぼ面識がない。
なのに、勇者の話題で会話が続くというのは、不思議なものだ。
「あの紳士服も変わった意匠でした。こう、下の着物に細かな柄がずっと入ってらっしゃって」
ルネスは指で空中に絵を描く。灰色がかったズボンにあったヘリンボーンの柄のことだろうが、そんなに変わったものだっただろうか。石畳にも存在するのに。
「襟巻きも細くて……」
しかし、あの遠目の短時間でファッションチェックまでしていたとは恐れ入る。いや、ルルよりも地位の高いルネスは、僕たちよりももう少し勇者に近い位置にいたのだろうけれど。
この分ならば、もう少し近づくか触ればもっと感心したのではないだろうか。機械生産されたブレザーの分厚く密度の高い生地は、この国でもそうそうあるものではない。
「どういう方なのでしょうか」
「勇者様ですもの、きっと勇壮で力強く、自信に溢れた方に違いありませんわ」
勇者を見ていない少女たちが、そういいつつ顔を見合わせる。
だが一応だろうか、ルルもルネスもそれには同意せず、ただお茶を口に含んだ。この反応を見れば、『自信がある』ということは同意できないらしい。彼女らが見たのは、戸惑いながら侍女に連れていかれる少年だ。たしかにあの様だけを見れば、『勇者』とは思えまい。
あの場で勇者らしい振る舞いとやらを行える方が異端だとも思うが。
「……それにしても、私たちはいつお話しできるのかしらね」
黒茶にちかい紅茶の水面を見つめて、ルネスは呟く。
「どういう意味ですか?」
栗色の髪の少女がルネスの言葉を問い返す。だが、ルネスは意図的に呟いたわけでもないようで、小さく首を振った。
「いえ、勇者様のお目見えは、いつになるのかと思いましてね」
「昨日はお疲れのようでしたが、今日の晩餐会には出席なさるのでは?」
「今日晩餐会があるなど、連絡は何かありませんか?」
短いサイドテールの少女……ええと、カノン・ドルバックだっけ……が、唐突に斜め後ろに控えていた侍女に問いかける。しかし背の高い侍女は、慌てる様子もなく首を横に振った。
「ございません」
「困りますわ。バリンさんに腕を振るっていただいていいものか」
「もちろん、カノンさんの晩餐会には、私たちもお呼びいただけるのよね?」
冗談という雰囲気でもないが、ルネスの言葉にフフと皆笑い合う。
楽しいのだろうか。僕には笑うところがさっぱりわからないが。
しかしまあ、気を遣うというのも大変だ。端から見ていてそう思う。
いつも話題の中心にいるルネス、だが何もしていないわけではない。
話題を提供し、誰かがそれに反応すれば、それを膨らませたりオチをつけたりと忙しい。発言が少ない誰かがいればそこに話を振って、輪に参加させる。この場では一番地位が高く中心にいるはずなのに、どちらかといえば、役割的には司会に近いのではないだろうか。
その他の人間も失敗は出来ないとどこか緊張しているようにも感じるが、多分負担は彼女が一番大きい。
僕の横を、銀のカートを押した女性が通る。大きな三つ編みを首に巻いた三十代から四十代の彼女はルネスの侍女で、このお茶会参加者に最も近づく部分の給仕をほぼ一手に担っている。
お茶の入れ直しか温め直しをしたらしい。匂い的には多分入れ直しか。そして円卓を見て、空に近づいていたらしいカノンのカップに静かにお茶を注ぎ入れる。それも、カノンの注意がカップから離れたのを見計らって。
見た目の印象を一言で言えば、『若いお母さん』といったところか。整った仕草の端々に、何故か家庭的な印象があった。
そんな様を見つめていた最中。
ザアと木々が鳴り、ふわりと風が吹く。
給仕の際に外していたごく薄いポットウォーマーが風に舞う。ちょうど僕の足に当たる辺りに転がるように飛んできたそれを空中で受け止めると、おお、と円卓から感嘆の声が上がった。
僕は会釈をしてそれに応えて、ルネスの侍女にそれを手渡す。地面に触れていないから不潔ではないだろうが、使わないようで侍女は小さく礼を言ってそれを畳んだ。
侍女は僕の背後に目配せをする。目配せをされた使用人はおそらく新しいものを取りにいったのだろう、視界に入れずとも背後の音でそんな感じがした。
「さすが探索者さん」
フフ、とまた笑いながらルネスは僕を讃える。正直何もすごいことはないのだが、会話のネタ探しの一環だろう。僕はまた少しだけ頭を下げてそれに応え、一歩身を引いた。
「ルル様が羨ましいわ。そんな見目麗しい殿方をお側に置いておけるなんて」
「いいえ、そんな」
まだ続くらしい。会話の矛先はルルへと向かい、ルルは応えあぐねて口ごもった。
「……ねえ、ところで」
僕の足下を向いたルネスが声を上げる。何だろうか、何か失敗をしたか。
ルネスの目の方向へ僕も顔を向けると、その視線は足に向かっていた。……なんで?
顔を上げたルネスが僕を見て、少しだけ目を逸らしながら慌てるように口にする。
「その靴、見たことありませんけれど、『麗人の家』の作ではなくて?」
「ええ?」
誰ともなしに軽く声を上げて、他のお嬢様たちも覗き込むように僕の靴を見る。
しかし、『麗人の家』? そのようなブランド品ではないはずだが……。
ええと、直答してもよかったっけ。いや、この場合は大丈夫だ。
「『麗人の家』、ですか?」
「貴方、ご存じないの? その刺繍、イラインのあの工房のものではないですか」
思わず僕が聞き返すと、さらに追加情報がくる。
イラインの工房製。そこまではたしかにあっている。これはリコに作って貰ったものだし、……それに、刺繍、まあたしかにあるけれど。……じゃあ、正しいのだろうか。
というか位置的にも角度的にもそこからだとほとんど見えないだろうに、鋭いにもほどがある。
僕は一応申し訳ないようなフリをするよう目を伏せる。
「店の名前は申し訳ありません、失念いたしました。けれどこの靴は、イラインの服飾工房にいる友人に作ってもらったものでございます」
「友人? ……ご友人が『麗人の家』にいらっしゃるの?」
「そうですね。その工房がそうならば、その通りです」
「まあ」
羨ましい、とルネスが声を上げる。そこまでか。そういえば、リコの作ったものはこの王都でも売れていると聞いたが。
ルネスが自分の手袋を僕に見せるように示す。
「私の使っているこれも、その工房の作なのです」
「へえ」
もっと近づいて見て、といわんばかりに手を差し出されたので、僕もそこに一歩歩み寄る。
そして見れば、たしかに手首の辺りに僕の靴と同じ刺繍がある。縫い目で誰が作ったのかわかる、などという芸当はレイトンでもないので出来ないが、たしかにリコの作ったものと同じく丁寧な作だ。
そんなものを見ていると、フフ、とルネスは笑う。
「まるで謁見の挨拶ね。カラス様が跪いて、私の手に接吻なさるような……」
言いながら、自分で言っていることが恥ずかしくなったのか、ルネスが手を慌てて引く。
紅茶のカップに少し肘が当たったが、倒れずに済んで良かった。
それから目を逸らしたルネスは、気にしなければわからないほどややどもりながら、言葉を発した。
「手袋や下着などばかり、と思っておりましたが、靴もお作りになるのね」
「どうでしょうか。皮革製品も慣れてきた、とは言っておりましたが」
手袋などは作るだろうが、そもそも皮革製品はどうなのだろう。そもそも、そういった皮革製品は専門の職人がいるだろう。リコがそうでないとは言えないが、彼女がそれに携わっているのかと言われると頷きづらい。
とりあえず、勝手なことは言えない。
「私の探索者という身分を考えた上で作ってくれたものなので、商品としては作っていないのかもしれません」
「そう、……残念」
その本当に残念そうな声音に、ルネスが何かの作成を依頼しようと思っていたことがよくわかった。
それからわずかに溜息をついて、そうだ、とルネスは手を叩く。
「ねえ、カラス様。探索者ということは、戦うことも出来るのではなくて?」
「……私はそれ専門ではありませんが、人並みには」
「でしたら、勇者様とどちらがお強いのでしょう?」
ルネスの瞳が僕を捉える。悪意はなさそうだが、少々面倒な話題だ。
いや、本来ならば謙遜してしまえばいいのだ、僕が勝てるはずなどないと。しかし、先ほどのルルたちの勇者に対する態度に加えて、僕を雇っているという立場のルルの面目を考えれば……。
「どうでしょうか。手合わせしてみないことにはわかりかねます。しかし何しろ、先代の勇者は魔王をも討ち果たしたとされておりますので……」
今はわからない。だが、いつかは僕よりも強くなる。そう言外に強調し、僕は言葉を濁す。
召喚の際に掌がほんの少し見えたが、何かの武器術は使えると思う。それも指の付け根の傷から、多分真剣や模造刀を使う類いのものを。しかし僕らの時代よりも少し後だとしても、日本で殺し合いの経験が出来るとは思えない。
……どちらかといえば、そういう経験があってほしくはない。日本が好きというわけではないが、嫌いでもなく、愛着はある。僕らの時代の後に、学生が命の取り合いをするような殺伐とした国へと変貌していてほしくはない。
実際の戦力はわからないので推測だが、故に今の勇者ならば勝てるだろう。身体の巧緻性が引き上げられているとかそういうことを加味しても、おそらく対人での戦闘経験のない彼には。
「そう……」
どう話を膨らませたものか。そう一瞬思案したように見えたルネスは、花が咲くように笑みを浮かべた。
「そうだわ。勇者様も調練の時間があるはず。今度みんなで見にいってみませんこと?」
「いいですね」
栗色の髪の少女がそれに同意する。その訓練時間に見学など出来るのかなど、そういうことは考えていないのか。
僕が近くの侍従に視線を向けると、意図は汲んだのだろう、『わからない』というふうに首を振った。
勇者の訓練というと、おそらく聖騎士の訓練に混ざるのだろう。聖騎士の訓練など本来見学できない気もするが……、勇者が関わっている以上、彼女らには出来るのだろうか。
それから、各家の私兵の力自慢に話題は移る。
もちろん勇者には敵わないが、という但し書きの元、皆自分の家で雇っている誰かの話をしはじめる。
元傭兵の現在下男の話。退役した聖騎士を嫡男の武術指南として雇っている話。
そしてもちろんと言っていいだろうか、ルルの番になれば、僕に話が戻ってきた。
「私がこの王都に移り住む際にも、彼が護衛してくれたんです」
「なら、結構古い付き合いなのではなくて?」
「いいえ。それきりしばらく会っていなかったのですが……」
ね、とルルが僕を向いて頷く。僕もそれに応えて短く「はい」と口にすると、ルルは何かに緊張したように唾を飲んだ。
「この登城前に五年ぶりにお会いしまして、今日に至るというわけです」
「そこを端折らないでくださらない?」
冗談めかしてカノンが茶々を入れる。しかしルルはそれを受け流すように、一口紅茶を飲んで口を開いた。
「皆さんにお話をするような面白い話はありませんもの」
「お母様が彼ら探索者をお雇いになったとか」
ルネスが話を継いでいく。どこか慌てているような雰囲気があると、何の根拠もないのに感じた。
「ええ。正直やはり、私には過ぎたものだと思います」
ルルが微笑んで、それで話題が途切れる。
そんなことはない、などと皆が取りなすように笑うが、何故だろうか。皆のその笑い声に、僕は少しだけ嫌悪感を覚えた。




