行き止まり
だが、そんな僕の驚きの火に水をかけるよう、エウリューケは手帳に目を戻し優しく言葉を発する。
「……つっても、神器は今のあたしには無理よ。まだまだ研究途中」
「…………。何が足りないんでしょう」
正直、今の時点でも僕の中では凄いことだし、言われてみれば神器だ。なのに。
「『魔力を通すと効果を発現するのが神器』、とあたしゃ言ったよ。たしかにたしかに、指先くらいの火を起こすのでも神器っちゃ神器。でも、あたしゃまだそれは認められんね!!」
そう言いつつ、スパーンと床に手帳を叩きつける。衝撃で閉じてしまったが、慌てて元の場所を開こうとエウリューケはページをめくった。
「あわわ」
「何してるんですか」
そもそもなんで手帳を床に投げた。
「ちょっと興奮しちゃって。てへ」
僕の機嫌を窺うように、上目遣いに舌を出してエウリューケは笑う。
それからようやく元のページを見つけられたようで、右手で開いたそれを見ながら頭を掻きむしった。
「……んー……」
「……それで、何故神器を作れないんですか」
「…………」
エウリューケの筆が動かないのを確認し、僕は溜息交じりに話題を戻す。話の途中で切られるのは、何となく気持ちが悪い。
「……神器が作れないわけじゃあないんだ。その水準に達してないってだけで」
筆が完全に止まる。エウリューケの方も、力が抜けたように息を吐いて手帳を閉じる。
そして足を投げ出して僕を見上げた。
「神器ってのはどれもそこそこすごいもんじゃよ。使い手の考える『災厄』のみを払いのける障壁。未来を覗く鏡。全ての存在の声を聞く指輪。瞬く間に天を衝く城を呼び出す宝珠。そしてここにも、……」
言葉を止めたエウリューケは、床の魔法陣を眺めるように目を動かす。そういえば先ほど床から手が離れたからだろうが、部屋を覆う緑の光はなくなっていたか。
「人を一人、作り出す魔法陣」
ぽつりと呟かれた言葉は、少し小さい。何かしら思うところがあるのだろう。多分。
「どれもこれも、すっげえもんだ。これと比べると、火をつけるくらい、なんてことない玩具にしか見えんでないかい」
「効果だけ見ればそうかもしれませんが、それでも火さえつけられない現在、エウリューケさんの技術は僕らよりも遙か高みにある」
玩具。たいしたことない。たしかに、現存する神器と比べるとそうかもしれない。
けれど、今現在を生きている僕のような人間からすれば、それすらも遙か高みの魔法にしか見えない。
「さすが、としか言いようがない」
僕は感嘆の息を吐く。
まだ足りない、という尽きぬ向上心は立派だと思う。……なんかそれも彼女に限っては違う気もするけど。多分向上心でもないのだろうが。
「……では、エウリューケさんは何が足りないと?」
「何が?」
「エウリューケさんが、神器を作れるようになるために、必要なものは何があると思いますか?」
僕の問いに、エウリューケは口をパクパクと開閉させて一瞬黙る。
正直僕はその問いの答えに見当がつかない。時代の最先端を生きる彼女の足がかりが何か、などは。
エウリューケも、一応悩んだのだろう。しかしすぐに回答はまとまったようで、床を軽くポンポンと叩いた。
「これ」
ニコリと作った笑顔が眩しい。暗闇の中なのに。
「神器の解析って本来難しいんだ! 原理的に不可能って言ってもかまわんのじゃ」
「……既にいくつも解析していたりは?」
「出来るものもいくつか見たけど、ほとんど外部からの観測結果を予測値と照らし合わせたりとかしかしてない。さすがにじっちゃんも、神器の分解は許してくんなかった」
じっちゃん。グスタフさん。憐憫でもあるのか、エウリューケの表情もそこで一瞬歪んだように見えた。僕が、気のせいだと思いたくないだけかもしれないが。
「神器はね、中が見えないんだよ」
「分解せずとも、僕らならば覗けるのでは」
「無理だし。無理無理」
言いながら、エウリューケは袂を探る。「お?」と何度も繰り返しながら探り、そしてようやく『それ』を見つけたようで引きずり出す。それからちゃりちゃりと伸びる鎖を指に巻き付けながら。
「やってごらんなさい」
差し出されたもの。
それを見て、僕は少しだけ驚愕する。金色の蓋付きの懐中時計……に見えるが、これはきっと違うものだろう。
手に取り、ずしりと重たいそれを軽く握れば、この感覚は覚えがある。
彼女が持っていたとは。
「〈運命の輪〉……」
「どうせ誰も使わないもんだし、持って来ちゃった」
てへ、とまた舌を出して笑う。これは死蔵されるはずのものではなかったのだろうか。
昔、僕とともにこの世界に転生してきたレヴィン・ライプニッツの部下。……名前は覚えてないけれど、彼女が持っていたとされる神器。
先ほどエウリューケの口から出た、『未来を覗く鏡』とされるこれ。
紛れもない、神器だ。
「中身の構造をあたしにみせてごらんなさい。出来るもんなら!」
高価なもの。貴重なもの。僕に悪心があれば、エウリューケを殺害して奪うこともありえるものなのに、これだけ簡単に手渡すとは余程信用されているのか、それとも奪われないだけの自信があるのか。どちらにせよ、剛胆なことだ。
まあ、奪う気はないし僕もあまり興味はない。
言われた通りに、僕は中の構造を把握すべく魔力を手に込める。決着のついたあの日、僕は一度この鏡を起動させたことがある。あの通りでもないが……。
「……あれ……」
内部に魔力を侵入させる。いつものように、そこから構造や材質についての情報が僕に伝わってくるはずだ。
しかし、そうならない。
あの日と同じ。思考が侵略されているように、そこから情報が伝わってくる。ただし、それは内部についてのものではない。
ノイズ混じりの言語のような信号。たとえるならば、『未来を見る場合は、対応する数字を』とでも言っているような。
蓋を開けてみれば、その鏡部分は歪みを持った光を湛え、待機状態であることを示していた。
魔力の調子を変えてみても、出力不可能な情報にその鏡が歪むだけ。内部の構造に関しての情報は伝わってこない。
「まあ、ぶっちゃけ、その鏡なら解体しても誰も文句は言わねえんだけどさ。でも、無理っしょ!?」
「……残念ながら」
魔力を込めるのをやめれば、鏡の発光は落ち着く。あの日のように信号を制御すれば、今朝ここで見えた勇者の姿が映って見えた。
なるほど、だから無理だと。
「内部の魔法陣が見たくて魔力を込めると、そんな感じで効果が出ちゃう。昔一個解体してみたんだけどね、それは外殻部分も魔法陣に含まれてたみたいで、それきり動かなくなっちゃった」
「なるほど」
僕は手鏡をエウリューケに差し出す。それを冷たい手で受け取ると、エウリューケは自分でも起動させてみて光らせていた。
「あたしの作る魔法陣と違って、神器はとっても繊細みたい。それこそ、髪の毛一本に満たないくらい一部がずれるだけで、全体が機能不全になって起動もしなくなるくらいの」
「だからヒヒイロカネが使われてるんでしょうか」
僕が知っている中で、一番頑丈な金属。昔リドニックで見たとき、延性が金属の内の規格外だと感じた。知らないが、おそらく展性も耐摩耗性も優れているのだろう。
叩いて歪んでも元に戻る。むしろ、戻らなければ機能がなくなってしまうから。
「それもあるかもね」
エウリューケが召喚陣を引っ掻く。それでも当然のように、傷一つついていない。
しかし、なるほど。
だから、この機会は彼女にとって貴重だったのか。
「今回はとっても貴重な体験だったのだぜ。なんせ、起動途中の神器の魔法陣を素で見ることが出来たんじゃからよ」
「起動中には何か変化があるんですか?」
今日見たところ、発光していたがそのことだろうか。確かに、さっきの〈運命の輪〉も光を……。
「あたしが検証したところ、神器発動中は魔法陣の一部が発光するのじゃ。それも隙間からかろうじて覗く感じなんだけど、……えーと……」
エウリューケは手帳を拾い上げる。それからパラパラと何度も始めから終わりまで弾き、またようやく見つけて指で広げた。
先ほどから思っていたが、本の内容の覚え方は僕と違うらしい。
開いて僕に示したページは、数々の染料で記されているのかカラフルな直線が引かれ、その下にその色が丁寧に書かれていた。
「あたしはこれを、交換反応色って名付けてる。発光中に変化する色が、少なくは二色、多くは三十一色までの循環をするのさ」
「はあ……」
言われて、僕はその線を目で辿る。しかしその最中にひっくり返され、中断された。自分で見るために、というように、エウリューケは目を動かしていった。
「それも、あたしが発見した三十一色だけじゃないだろうし、発見してあるこれも、実際はもっと多くの色の循環の一部だけを見ているだけかもしんない。何しろ標本が少ないんでね」
しかし、ちらりと見ただけで膨大な数だった。二色の部分も、緑と青や黄色と赤、と様々な色が使われている。今エウリューケが捲っているページ全てにそれが書いてあるとしたら、百パターンどころではないだろう。しかも色数が増えるに従って、膨大な枝分かれが発生するのだ。既に、全て覚えるのは僕にも難しい。
「そこで、これ!」
エウリューケはまたバンバンと床を叩く。楽しそうだ。
「肉眼で見放題の発動中の発光現象、しかも魔法陣自体が裸どころじゃないくらい丸裸!! ここからわかるもんは膨大ですよ!! 前代未聞の大盤振る舞いですよ!!」
ふはははは、と笑う。正直外に声が聞こえていないか気が気でないのだが、一応彼女も魔術で対策しているらしいので大丈夫か。僕も消音はしているし。
「……しかし」
「んん!? 何か文句あるんかこのボケナス」
「いきなり」
突然罵倒されて思わず身を引いてしまうが、本人も本音で言っているわけではあるまい。……多分。
僕は咳払いをして続ける。
「何故、この召喚陣は反応しないんでしょう。エウリューケさんが魔力を通しても、反応せずに全体像がわかるのは……」
先ほどからの話は大体わかった。
だが、そうするとその不思議が新たに出てくる。彼女は魔力を通して、この召喚陣を空中に映し出した。それが出来るから貴重な試料ということもあるのだろうが、だとしたらそれは何故。
だが僕の問いにもまた、エウリューケは不敵に笑った。
「ぬふふ、これを見なしゃんせ」
そして、袂から引きずり出して差し出されたのはまた一冊の本。……今度は大分古い。
元は多分青かった表紙。タイトルらしきものは掠れて読めない。本自体は薄い。
綴じられている紐は新しいようだが、紙自体は古く、日に焼けていないまでも細かい皺が寄っている。
「……古語ですね」
端が痛んでいるページを開いて軽く読めば、そこに記されていた文法は現在使われているものではない。いや、読めなくはないが古くさい。
「勇者召喚に関わる最古の資料。王城魔術師団蔵書の禁書棚から持って来ちゃった」
「…………」
パタリと本を閉じて、僕はエウリューケをまた見つめる。いたずらのように言っているが、今日『持ってきた』と言った二つ、どちらもかなりの貴重な品だ。
「……まあまあ。それでね、中に書いてあったんだけど……」
それでも悪びれもせずに続けるエウリューケに何も言わず、僕はまた本を開く。古めかしく書かれてはいるが、一応中は実験資料らしい。それも、後世の人間がまた勇者召喚をするときに使うための。
「当時用意したのは、健康な雄鶏二十三羽。それも、まるまると太らせることが望ましい」
エウリューケの言葉に合わせるように、僕はページをめくる。当時の召喚……成功時の記録からの備忘録のような箇所だ。
「それに、それぞれ聖別された十一の穀物と七の武具。それらは供物と書かれてたけど、……勇者の体の材料ね」
「でしょうね」
神様や何か、超自然的な何かに、勇者をここに連れてくるよう頼むためのものだったのならば供物でいいだろう。けれど、雄鶏は言わずもがな、その他のものも、おそらくは衣服や身につけているものの材料だ。それにしては金属が多い気もするけど。
「そして重要なのが、手順。なんとこの勇者召喚陣、八人の魔力使いが必要なのだ」
「ああ、これ……」
僕もその記述に目を通す。八人が寸分の狂いもなく所定の位置から魔力を通し、ようやく起動するもの。そしてその後八人がそれぞれ違う祝詞を唱えたり印を結んだりする必要があるらしい。
多分その祝詞を唱えたりするのは、〈運命の輪〉を僕が使うときのように、魔法陣と対話しているのだろうと思う。
「『個人で魔力を通しても起動しない』、そこが重要だったんですね」
「おうおう。その通り。そのおかげで、あたしは生で中身も発動中の反応もこの目で見られたということよ」
エウリューケが、人差し指で、元々大きな目を広げてみせる。
「さっきカラス君は言ったね。『神器を作るのに、必要なものは』と。だからこそのこれ!」
「これでエウリューケさんの研究も大幅に進むと」
「もっちろんでございますとも。いやいや、正直行き止まりを感じてたんだけどな、この貴重な機会に遭遇できてよかったわ。日頃の行いがいいんでしょうな、美少女だし」
「それはよかったです」
後半のあまりよくわからない部分を無視して、僕は同意する。
要は、この勇者召喚陣は地層学でいうところの断層なのだ。今までボーリングで調査していた地層を、生で見ることが出来る。
彼女のような『科学者』にとっては、とてもとても貴重なものなのだろう。
「命の野郎、待ってやがれ。あたしのおみ足を舐めさせて頭踏みつけてやる」
僕から返された召喚説明書と自分の手帳。それを重ねて掲げて、エウリューケはそう宣言する。
その姿はとても楽しそうで、馬鹿にするわけではないが、少しだけ微笑ましく見えた。
ふと、部屋の外が騒がしくなる。
誰かが駆け下りてくる。階段を、それも複数で。
僕と同時にエウリューケも気がついたらしい。体を固めて、腰を浮かせて即座に僕の足に手をかけた。
「何かね」
「……多分、ここに……」
エウリューケの問いに、あまり悩まずに僕は答えようとする。
駆け下りてくるのが誰かはわからずとも、その足音の目的は知れている。そしてその足音からも、駆け下りてくるのが誰だか推察できる。
そして僕が答える前に、扉の向こうから正解が聞こえてきた。
「お待ちください! 今は立ち入り禁止となっております!」
「通して、ください!! ここからなら!」
「勇者様、お待ちください!」
男性二人の揉み合うような声。それに続いて、追いついてきた女性らしき声。
おそらく始めの二人は、勇者と門番の聖騎士。後についてきたのは……声からして王女かな?
「ここからなら! ……っ!!」
制圧されたのか、少し勇者の声が歪む。それに応えるよう、エウリューケが溜息をついたのが聞こえた。
「…………ここからなら! 日本に!!!」
扉の向こうで、幾人かの応援が駆けつけてきたのがわかる。
一般の兵ではないだろう。全く根拠はないが、おそらく聖騎士たちが。
扉の向こうから聞こえてくる啜り泣き。
僕も溜息をついて、その声を聞く。嫌悪感とともに。
彼は帰れない。この召喚陣に帰す機能はないだろうし、この部屋からは。
彼は帰れない。どうにかして日本に戻ったところで、そこには自分がいる。元の世界で何一つ変わりなく暮らしている自分が。
彼は帰れない。もう、彼の主観上の元の生活を送ることは出来ない。
この召喚陣は、エウリューケにとってはとても興味深い『出口』だったのだろう。行き詰まった研究を進め、自分の技術の階梯を一段進むための。
そして彼にとってはこの世界の出口としての希望だった。
しかし、それは出来ない。行き止まりなのだ。ここで。
勇者に同情するわけではない。
しかし、勇者にとっては悪魔の遺物の召喚陣。そしてそれを使わなければいけないこの事態。
「……本当、戦争って嫌ですね」
エウリューケに同意は取れないだろう。だが僕は、そう呟かずにはいられなかった。




