顔見せ
呼び出された『勇者』が、ようやく事態に気づく。
痛む尻をさすりながら、景色が変わった周囲を見回し、それから小さく「え」と声を上げる。
何度か瞬きを繰り返し、それでも事態を飲み込めないようで、戸惑いながら唇を締めて苦笑いを浮かべた。
円を作っていた魔術師が、道を空けるように一歩下がる。憔悴しているのか一人尻餅をついて倒れたが、左右の二人が引き起こして肩を貸していた。
その開いた道から、逆に一歩踏み出すものがいる。
王か、と思ったがそうではない。白っぽい桃色のドレスに身を包んだ巻き毛の女性……結局誰だかわからないけれど、その女性が勇者に向けて歩み寄る。
その仕草に、聖騎士たちの手に緊張が走ったのが見て取れた。
「へ、へへ、……あの……」
「ようこそおいでくださいました、勇者様」
未だ困惑している『勇者』は苦笑いで彼女に問いかけようとするが、彼女は取り合わずに挨拶をしながら膝をつく。視線の高さを合わせて、語りかけるように。
「私は、エッセン王国第一王女、ミルラ。ミルラ・エッセンです」
「は、はあ……。荻野陽一、です」
「……では、オギノ、さま。父王共々、伏してお願い申し上げます」
膝をついて、胸に手を当てたまま跪礼する。お姫様の仕草というより、騎士の仕草な気もするが。
「どうかこの国を、お救いください」
「……はい?」
どう見ても、ただ聞き返しただけ。
よくわかっておらず、聞き返した。それだけなのだろうが。
王の周囲が拍手をする。それに合わせるように、周囲の上位貴族が。それに伴い、その更に周囲にいた貴族が。そしてその横にいた子供たちも。
拍手が広がっていく。やがてこの部屋にいるほとんどの人間が拍手をするまで、そう時間はかからなかった。
「なに? え? え??」
『勇者』はといえば、ただただ困惑するばかり。しかし褒め称えるような周囲の表情と、やはりこの不可解な状況に強くは出られないようで、ただ口の中で疑問符を繰り返していた。
「勇者殿も、慣れぬこの場でお困りであろう。状況は別室で詳しく説明させていただく」
ミルラ王女の背後で、エッセン王がそう口にする。顎で指示された老執事は頷き、侍女らしき二人に手で勇者を示した。
「御身を整えさせていただきます」
侍女たちは「こちらへ」と続け、勇者の手を取る。そしてまるで囚人を護送するように前後で挟み、部屋の出口を向く。
「え? あの?」
女性相手だ。力で逆らうことも出来るだろうが、そうしないようで『勇者』……オギノヨウイチ? は、素直にその手に引きずられてゆく。……未だ困惑しているということもあるだろうが……。
景気づけのように、聖騎士たちが剣の鞘の先を揃って床に打ち付け身を正す。それに合わせたわけではないだろうが、貴族たちの人混みが割れる。規律正しく身を引き、まるで勇者の前に道を作ったように。
『勇者』は、先導するミルラ王女についていくように、その道を歩く。歩いていく最中、困惑から、少しばかりの恐怖に表情が変わっていくのが如実にわかった。
そして、諦めか。
歩き方が、とぼとぼという修飾語が似合うようになっていく。下がった眉に不安が読み取れ、残された自転車のことも考えつかないように。
やがて僕たちの近くも通る。
近くで見てみれば、やはり仕立ての良い服だ。ブレザー姿ということは、僕や先代の勇者の時代よりも大分後の学生だろうか? 年代はわからないが、多分。
靴はスニーカー。革靴だが、革もおそらく合成だ。錬成されたものな以上、それが本物と同じ材質なのかはわからないが、それでも一応この世界には存在しないものだろう。
坊ちゃん刈りの刈り上げ部分を伸ばしたような髪型。伸びてしまったのだろうか、それともそういうデザインだろうか。
ふと、僕の体に何かが触れる。
何が触れたわけでもないのに、体の表面で音もなく泡が弾けるような感触がした。
……これは、僕の闘気が魔法に抵抗した?
何かが起きたことに驚いている僕。もちろんそんな者に一切構うことなく『勇者』は戸惑うように顔を上げて、縋るように周囲を見る。
だが、周囲の貴族たちはそれに構わず、疎らな拍手を送り続けた。
やがて、扉から勇者一行は出ていった。
最後まで、『勇者』は事態を把握していない様子だったが。
拍手がようやく止む。
もう一度聖騎士が鞘の先を打ち鳴らすと、また貴族たちはそれにつられてそちらを見る。
正確には、貴族たちが見たのは聖騎士ではない。その後方にいる、王に視線を向けた。
重そうな瞼を瞬かせ、ごく小さな咳払いをして王は口を開く。
「召喚は成った。皆の者、あの顔をよく覚えておくがよい。この国を守る礎よ」
部屋の中はシンと静まりかえり、誰も返事をしない。
それでも、先ほど勇者が通った道に重なっていた者たちは、何かを察してまた道を空けた。
「皆、重々承知の上、励め」
それだけまた口にし、王は歩き出す。周囲に誰もいないかの如く、緩やかな足取りでゆっくりと。
その姿が消えるまで、勇者の時とは正反対に、誰も言葉を発さずにただ見送っていた。
そして、姿が消えると歓談が始まる。皆、手近な仲間に向けて、口々に勇者への期待と不安を語っていた。
もう、帰っていいらしい。言ってしまえば自由解散というか、まあそんな感じなのだろうか。
一斉に出るという音頭を取る者がいない。召喚陣には近づかないまでも、皆思い思いに動き出す。王が廊下からも消えるのを待っているのだろうが、入り口近くには、もう出るために外の様子を窺っている者までいた。
……しかし、これで終わりか。
ただこの場に呼ばれ、そして勇者召喚を見届けた。この場にいる百人弱の貴族とその他の付き人たちは、ただそれだけのためにきた。
いやまあ、見届けるというのも重要だったのだろうけれど。
「いやいや、面白かったすなぁ……ふへへ」
横でエウリューケが垂らした涎を腕で拭く。いつもしているような動作だが、その格好からすると、はしたない動作に見える。……それもいつもか。
レイトンもいつもの微笑みを浮かべて、耳の後ろを掻いた。
「さて、これで戦争への道をこの国は一歩踏み出した。感想はどう?」
視線が向いているわけでもないが、僕への問いかけ。それにあまり逡巡することもない。
「……特に、何も」
愉しそうなレイトンの問いに、僕は笑みを浮かべながら返す。
実際、勇者召喚についてはどうでもいい。そして近いうちに戦争は起きるのだろう。どちらも止めようとして止まるものではなく、そして前者はもう起こってしまった。
どうにも出来ない以上、僕が思い煩うべきではない。
そして何より。僕にとって重要なのはそこではない。
「あの勇者、オギノ・ヨウイチでしたか」
「英雄譚によると、勇者の国では姓が前らしいよ。だから正確にはヨウイチ・オギノだね」
ひひ、と笑いながらレイトンが注釈を入れる。正確には、とはいうが、それはエッセンで挙げるときの正確だろう。
だがそれを指摘はしまい。この国では、たしかにそちらの方が正しいのだ。
「……戦えるんでしょうか。喧嘩程度ではなく、戦争での戦闘行為としては」
「どうだろう。今は無理だと思うよ」
「いつまでかかるんでしょうね」
「さあね。本人の資質によるんじゃないかな」
僕は適当な……といっても、それも重要だが、適当に話題をずらす。僕にとって一番重要なものに、レイトンたちにも辿り着かせないように。
視界の端に召喚陣が映る。そこでは聖騎士が、自転車を引き起こして検分していた。
車輪の形状から、乗り物だとは想像つくだろう。サドルの形から、乗り方も見当はつくだろう。
整地された場所であれば徒歩よりも早く、軽い労力で移動できる乗り物。
軽快車のようなので荒れ地は難しそうだが、それでも大変便利な乗り物。
軽い荷物を運ぶのならば、馬よりも取り回ししやすいのかもしれない。闘気も魔力もあるこの世界だ。人力の価値は前世よりも大きく、馬よりも速く走ることが出来るかもしれない。
多くの人間が少し練習すれば使えるようになり、そしてときには馬にも勝る性能を発揮できる優れた技術。
メンテナンスは必要だが、餌も飼育スペースも必要としないランニングコストの安さ。
素晴らしいものだろう。僕は乗ったことがないけれど、きっと素晴らしいのだろう。
前世の人間が生み出した英知の結晶の一つ、自転車。
素晴らしい。
だがそれは、この世界にはまだ存在しないものだ。
「……気に入らなそうだね」
嘲るようにレイトンが口にする。そう見えないようにはしたが、しかし自転車に注目していることに気がついたのだろうか。しかしまあ、なんとなく隠したい。
「事実とは違うまでも、これは皆にとっては誘拐の筈。なのに、勝手な期待をしている」
「…………」
僕が話題を逸らそうとしていることに気がついたのだろう。レイトンの返答に間が出来る。その間に、僕も補足を放り込む。
「勇者が断るとも考えずに」
「それを防ぐためのきみたちだろう。きみではなく、正確にはお集まりの女性たちだけど」
レイトンも乗ってきた。探られたくない腹だと察してくれたようだ。……それもまずい気もするけど。
「まあ、ここに大勢を招いたように、エッセン王も必死なんだ。そこは勘弁してやってあげてよ」
「必死?」
僕は薄く笑い、レイトンに視線を向ける。それに合わせて、レイトンもニコリと笑顔を作った。
「そう、必死なんだ。国を守るためか、それとも自分の身を守るためか」
さわやかな笑顔が、ヒヒヒ、といつもの意地の悪い笑みに変わっていく。
「……ここに皆を集めたのは、証拠のためと思っていましたが……」
「それも間違いじゃない。仮に誰にも現場を見せず、ただ『勇者を召喚した』とだけ言ったところで、偽者疑惑は消えないからね。先ほどの顔を覚えていろという言葉の真意の半分はそれだろう」
だから僕たちはここに集められ、召喚を見届けることになった。そう思っていたのだが、他の理由……?
レイトンが視線を上げて、周囲を見渡す。注目しているのは、子供たちではなく、大人の貴族たち……かな。
「きみはここに集まった貴族たちがどういう人間たちか知っているかな?」
「高官たちだと漠然と考えていましたが」
「そう、国家の中枢を担う高官たち。……ま、実際に誰がここに来ているか、詳しくはオトフシに聞くといいよ。その他の傾向が見えれば、自ずと見えてくる話さ」
話は終わりだ、とばかりにレイトンが上げた視線を戻す。そしてその先には……。
「まじか。交換反応色の定義に二つも違うのがありやがるぜ。軌道遷移からして染料は……でもねえな、ありゃ鱗粉でもねえしなんじゃらほい??」
どこからかメモ帳を取り出したのだろう。僕とレイトンが会話をしている最中にも、止まらずに黒鉛の筆を走らせていたエウリューケが、ぶつぶつと呟いている。
おそらく今見た景色をそのまま記録しているのだろう。現象の流れを文章にしたようなものに、簡易的な召喚陣の図。図には汚れにしか見えないほど細かい字が注釈として書き加えられていた。
「人も減ってきたし、さすがにこれ以上は怪しまれる。ぼくらもそろそろいくよ、キュヴィエ伯爵夫人」
「あ、待って、待って!」
エウリューケの手を動かす速度が速くなる。レイトンはそれに対し苦笑しながら、腰に手を当てた。
「召喚陣はまた見に来ればいいじゃないですか」
「来るさ、来るけども、こういうのは現場の空気感が重要なんじゃい」
「……そうですか」
召喚陣の形に関しての注釈。細かく描いているが、そういうこともあるのだろうか。落ち着いてみるのならば、後のほうがいいと思うけれど。
そういえば、と僕は思い至る。世間話的に話を振った。
「……レイトンさんは」
「?」
「レイトンさんは、何か収穫はありましたか?」
僕もエウリューケも、勇者召喚を見るためにここを訪れた。僕の場合は違う仕事も入ってしまったが。そしてそれは達成され、あとは互いに検討だけだ。
しかし、レイトンは勇者召喚に興味があったわけではあるまい。
「……あったよ。さっき、きみも聞いたと思うけど」
端的にそう答え、レイトンはまた口角を上げる。……また意味深長なことを言うが。
「きみも、今は警護に従事しているんだろう? そろそろあちらのお嬢様についていきなよ」
「……そうですね」
ぼくはちらりとルルの方を向く。いつの間にか近くに来ていたルネスと歓談しているためだろう、場所は動いていない。だがオトフシはこちらを不満げに見ていた。
「では、僕も……」
そろそろ、と口にしようとしたが、いらなかったらしい。
振り返った先にはレイトンもエウリューケもおらず、ただ誰もいない空間がぽっかりと空いていた。
「あまり長い私用は感心しないな」
「ここで誰かに襲われるわけもなく、もしもの場合にも反応できる距離を保っていました。その程度構わないのでは?」
お小言をいうオトフシに、戻った僕はそう言い返す。職務を一時放棄して離れた以上、今回に関しては完全にオトフシに分があるが、それでも言い分はある。
それも、それはオトフシに昔言われたこと。いやまあ、完全に今回は僕が悪いので、本来恐縮して謝るところなのだろうが。
「……口の減らぬことだ」
「持ち場を離れて任せてしまい、申し訳ありません」
「最初からそう言え」
ふう、とオトフシが溜息をつく。疲れたわけでもあるまいに。
というか、他の貴族子女が連れている随従は、警護という用途はおそらくない。この場では多分、本当に護衛もいらないのだろうと思うが。
ルルはまだ歓談中だ。
まだ移動はしないらしいので、これ幸いと僕はオトフシにこの場にいる貴族の素性を聞いていく。顔と名前の一致は今はいいだろう。漠然とだけ覚えておけば。
しかし傾向などは見えてこない。文官が多い、とは思うが、それでも名前と役職だけでは先ほどのレイトンの言葉にピンとこない。おそらく、違う要素が必要なのだろうが。何だろう。
そんなことを考えて、僕は内心首を捻り続けた。




