これからは一人で
ザブロック家の玄関先で、馬車と共にルルを待つ。
僕やオトフシの分も含め、持っていく荷物は既に積み込み済みだ。
僕とオトフシはそれぞれ簡易的な礼装に着替えていた。
僕は以前着た学ランのようなものを、シャツのような薄手の生地に変えたようなもの。さらに少しだけ灰色がかった色になっているのは、やはり略礼装ということだろうか。そしてその上に、ほぼ同色の短いコートを羽織った上で腰のベルトで止めている。
オトフシは同じような服、だが色味にほんのわずかに緑が混じっている気がする。気のせいかと思うほどほんのわずかに。衣装の保存状態の差かもしれない程度の。そして、背中に垂らしていた毛をまとめて編んであった。
僕らはひたすら待つ。
……しかし、全くもって無駄な時間だと思う。
今僕たちは、ルルたちの朝食が終わるよりも先にここに集合し、最終確認を終えて待機している。本来、終わる頃に来ればいい。ルルの準備が終わったくらいに集合すれば。
いや、立場的にそういうのが無理だということはわかってるけど。
地面の土塊をぼーっと眺めていた僕は、ああ、と顔を上げる。
声がした。
見上げる塀の上に止まった羽が赤と黄色のまだら模様の鳥。昨日打ち合わせでここを訪れたときにも顔を合わせた鳥だった。
僕が顔を上げると、向こうも気づいたらしい。塀から片足を上げて後ろを蹴るように伸ばし、もう片方も同じように伸ばす。
それからゆっくりと羽音をわざと立てながら、僕の目の前まで飛んできた。
小鳥ともいえない少し大きめの鸚鵡に似た鳥。指で受け止めるには大きすぎるので腕をそっと差し出すと、上等な服に爪を食い込ませてそこに止まった。
……学生服に似たこの服、支給されているとはいえ一張羅なので大事にしてほしい。
鳥が小さく喉を鳴らす。「出かけるの」と。
若い鳥だ。性成熟はしているようだが、それでもまだ老成しているとは言い難い。
その怯えも見えない仕草に少しばかりの違和感を覚えながら、僕は頷いた。
「ええ」
僕が応えると、鳥が周囲を見渡す。そして、ルルのために用意された馬車を見ると、出かけるのが誰かを把握したのだろう、また「今日中に帰ってくるか」と尋ねてくる。
「いいえ。しばらくは帰ってきません」
「どれくらい?」
「少なくとも、三十日は」
僕の言葉を聞いて、鳥がゲゲと意味のない言葉を発する。不満げに思っているときに発する音だ。
誰かと話している。それにようやく気づいたのだろう。ルルに僕とともについていく下男が、目を丸くしてこちらを見た。
しかし問いただしたりはしないようで、気の弱そうな巨漢は殊更に目を逸らした。
オトフシが、それを見て小さく笑う。
しかし、よく慣れている。不思議に思っているわけでもないだろうが、不思議そうに首を傾げた鳥を見て、僕は少しだけ思案する。
「……残念ですか?」
「あの雌いなければ、ご飯探さなければいけなくなる」
「…………ああ、ご飯を」
そして、思案を深めるまでもなく得心した。どうりで慣れていると思った。
野生の鳥は、自分からこちらに寄ってきたりはしない。なのに、彼は寄ってきた。まるで人間が怖いものではないと知っているように。
つまり、ルルから何か食べ物でも貰っていたのだ。彼は。
「これから大変ですね」
「困る」
飛び立ちもせずに、バサバサと鳥が羽を動かして不満を示す。まあ、それが本来の野生の鳥だ。頑張ってほしい。
……いや、この家にそういう習慣があるのであれば、別に彼が困ることもないのだろうが。以前僕がここにいたときにはなかった。だが、あるのであれば。
「あの」
僕は、先ほど目を逸らした下男に話しかける。びくりと肩を震わせた彼は、やや引きつったような笑顔でこちらを向いた。
「な、何でしょう?」
「鳥たちが、ご飯が食べられなくなると不満を言っているんですが、ザブロック家ではどこかで鳥の世話をしているんですか?」
「世話……?」
「毎朝誰かが食べ残しを上げていたり、もしくはそれ用の餌を中庭に蒔いていたり」
例を挙げても、下男は眉を寄せた顔で悩む。
その仕草に、もう答えが出たようなものだが、残念だ。
「わかりました」
即答しないまでも、ここまでそのような事実が出ないのだ。この鳥が嘘を言っているとは思えないので、多分家でやる行事のようなものではなく、ただルルが私的にあげていただけなのだろう。
ならば、面倒だとは思うが。
「これからはなくなるようなので、自分で調達お願いします」
「…………」
えー、とでも文句を言うように、鳥が無言で喉を鳴らす。
何故か、何から何まで違うのに、遠方に仕事へ行く親を見送る子供をあやしている気分だ。
残念ながら、あやす飴は今持っていない。僕のおやつ兼鳥用の餌はあるにはあるが、僕の荷物の中に入っている。そしてその荷物は、荷馬車の中だ。荷ほどきするまでは取り出せない。
適当な虫でもあげれば食べるだろうか。
そう思いつつ、地面を眺める。今視界に入る分には、団子虫のような小さなものが地面に隠れて三匹。少し掘ればミミズも一匹いるようだが、彼は食べるかな。
いや、ここで甘やかしてはいけない。彼は一応飼われているわけではなく野鳥だ。定期的に餌を貰っていたとはいえ、これからは自分で狩らなければいけないのだし。
「頑張ってくださいね」
「……頑張る」
それに、彼も文句は言いつつもやる気はあるらしい。僕の言葉に、体を上下に振って応えた。
腕を組み、馬車に寄りかかっていたオトフシが、体を剥がすように引き起こす。
その仕草に僕は玄関を見た。
「来たな」
「ようやくですか」
小さく応えると、オトフシが噴き出す。それからにやにやと笑いながら唇の前で指を立てる。
「さすがにその類いの軽口は今後控えたほうがいいぞ」
「……そうですね」
一言多くなるのは悪い癖だ。一応反省をしながら僕も馬車に背を向け身を寄せる。
下ろした腕をよじ登るように、鳥が僕の肩まで這い上がってきた。
「連れていきませんよ」
「えー」
僕がそう告げると、抗議の声を上げて、それでも鳥は肩から降りない。人懐っこいというか警戒心がないというか。僕が猟師ならば、すぐに捕まえられるだろう。
扉が開く。
まずルルの侍女のサロメが目に入り、開かれた扉の奥からルルが現れる。こちらも礼装なのだろう、いつもの白黒のモノトーンのドレスに、少しだけ装飾が増えている気がする。
白い手袋をつけて、つばの狭い黒い帽子を浅く被って、といつもと違う装いに、僕は少しだけ息を吐いた。
その後ろから、いつものレグリスが姿を見せる。やや暗い室内から現れるときでも、白塗りの顔はそこだけ目立って見えた。
馬車の扉が、下女によって開かれる。少し年嵩のこの女性も、ルルに付いて登城する担当だ。
「お待たせしました」
「いいえ」
僕とオトフシに向けて、ルルが笑みを浮かべる。言葉ではオトフシに返すに任せて、僕はただ会釈を返した。
ルルが振り返る。背後にいたレグリスに向けて。
「では、レグリス様、いって参ります」
「これから貴方は一人になる。気をつけなさい。貴方の身は貴方だけのものではないのですから」
「ええ、肝に銘じております」
ルルがわずかに片足を引いて頭を下げると、今度はレグリスは僕たち随従に目を向ける。……多分、僕とオトフシに向いているのだが。
扇子を広げずに手に持ったまま、レグリスは口を開く。
「ルルの言葉に従い、力となってくださいませ」
「…………」
オトフシが言葉を返さない。ただ少しだけ指を振って僕に喋れと合図を送った。
「心得ております」
「頼みましたよ」
レグリスの、扇子を持つ手に力が入る。声も多少震えているように感じるが、これは気のせいかもしれない。
サロメが一歩進み出る。扉を開いた下女と配置を替わり、ルルが歩み寄るのを待った。
ルルもまた振り返り、馬車へと一歩足を進める。
だが馬車に乗る前に、気になったのだろう。立ち止まった。
……正直僕は忘れていた。
「その鳥は……?」
「……申し訳ありません」
責めているわけではないだろう。しかし一応謝りながら、鳥に向けて降りろと指で指示をする。だが鳥はそんなことも構わず、じっとルルを見つめていた。
では、小声で。
「降りてください」
「だめ?」
「ええ」
僕が懇願すると、少し躊躇った後鳥はパタパタと翼を軽く振りながら着地する。
それでもちょこんと地面に立ったまま、ルルを見つめて静止した。
ルルがそれを見て、少し笑う。
僕もそれに合わせるように笑いながら、言い訳のように言葉を紡ぐ。
「お見送りがしたいようで」
「ごはん!」
鳥が一声発する。その様に、ルルが一歩歩み寄ると、上から覗き込むようにして手を伸ばした。
「ごはんが欲しいの? でも、ごめんなさい。今日からは駄目なの」
その手を嘴でつつこうとして、それでも諦めて鳥は後ずさる。
逃げられたのを残念そうにルルも手を引くと、軽く手を振って体を起こした。
「またね」
最後に、とルルは呟く。鳥はルルの言葉がわからないようで、首を傾げる。だが一瞬考え込むようにしてチと鳴くと、「また今度」と短く言った。
ルルとサロメを乗せた馬車の扉が閉まる。
僕とオトフシは外で徒歩だ。やや早歩きになるが、馬車は並足で進むので苦ではない。
御者代わりの下男と下女はそれぞれ担当する馬車の前に座り、手綱を握った。
馬車が動き出す。最後に、とレグリスを振り返れば、僕とオトフシをじっと見ていた。
『頼みましたよ』と口が動く。それに応えるよう口を動かし、頭を下げれば、レグリスも頷きで応えた。
街中での道中。馬車が進むと人混みが割れる。もともと馬車のよく通る道を使っているからだろうか、慣れているようで、事故のようなものはない。
ただ、集まるのは奇異の視線。おそらくは今日、多くの馬車を見たのだろう。群衆の視線が『またか』というような意味を帯びている。
道端で立ち竦む小さな少女が、抜けた前歯を見せて笑う。手を振った少女に向けて、御簾越しにルルも笑ったように見えた。
王城へと到着したのは半刻ほど後。
そこまで来ればやはりというべきか、同じような馬車がいくつか見える。
王城の、通常人が通る通用門ではなく、正門から。入っていく馬車に向けて、さりげなく慌ただしい警戒の目を両脇に立つ衛兵たちが向けていた。
随伴の僕たちには、それなりに厳しい目がさりげなくなく向けられる。
だが、僕たちにやましいことはない。ただ会釈をして通り過ぎれば、すぐにそんな視線も切れていった。
それから、衛兵の手振りによる指示の下、いくつかの隧道のような場所を抜けて、ようやくまた賑わっている気配がする場所に出る。
どうやら案内されたのは、この王城に無数にある裏庭。ルルたちがこれから生活する居住区に近い、大広間に面した庭だった。
野外なのに石の上に絨毯が敷かれており、馬車の揺れも殊更に少なくなる。
大きな窓。その中が多くの人で賑わっている様が見えるようになってようやく、馬車が止められた。
窓の横、扉の前にある、複数人が固まっている窓口のような場所。
そこに向かう緋色の絨毯に合わせるよう止まった馬車。そこから、まずサロメが飛び降りる。そしてサロメは絨毯に近いルル側の扉を開くと、その手をそっと差し出した。
ルルはその手をとると、するりと馬車から抜け出すように降りてくる。
ルルが降り立ったのを確認し、下男下女は馬車を進めてどこかへ……多分厩舎へ向かった。
歩き出したルル。それを追うように、僕たちも随行する。
やがて辿り着いた窓口は、まさしく『受付』といった感じの場所だった。
置かれた机の前にいたのは二人の衛兵に、一人の……多分聖騎士。
聖騎士は白いシャツに飾緒つきの黒いコート。正装をし、茶色く短い髪の毛を固めて来客を迎える服装をしていた。
「ようこそいらっしゃいました。招待状を拝見いたしたく」
大柄で、普通にしていても威圧感のある聖騎士が、折り目正しく頭を下げる。その言葉に、サロメが一枚の封筒を袂から出す。
それを、聖騎士が頭を上げるのを待って片手で差し出した。
「こちらでよろしいでしょうか」
聖騎士はそれを受け取ると、中を見て頷く。
「ザブロック家令嬢、ルル・ザブロック様。たしかに」
聖騎士はルルの顔を見て、それから僕とオトフシの顔を眺めるように見て、先を示す。
……多分、今のはただ見られたわけではない。記憶したのだ、おそらくは。
木の扉がエプロンドレスを身につけた使用人の手で開かれる。
「後ほど、陛下のお言葉がございます。それまではごゆるりと、お楽しみください」
使用人が告げる。その頭を下げた向こうには、多くの『姫君』が楽しそうに談笑していた。




