何故、この依頼を
「どういうことですか……?」
問い詰めるような口調で、ルルが静かにレグリスに問う。それをレグリスは、扇子を閃かせ受け止めた。
先ほどの、口約束ではあるが契約成立した件。
その後呼ばれてきたルルにレグリスが説明を始めた。
どうもルルは、王城への呼び出し自体を知らなかったらしい。その説明は静かに黙って聞いていたが、随伴に僕たちが参加するということを告げた途端に、表情に驚愕が混じった。
……いや多分、そこで臨界点に達したというだけだろう。
王城召集令でも、驚いてはいたのだ……多分。
「王城への召喚はわかりました。それでも、何故、お二方まで……」
「身の回りの世話ならば、三人もいれば充分ですから」
「ならばなおさら、何故、探索者のお二人を連れてゆくのですか?」
「…………」
レグリスが扇子を止めて黙り込む。
ルルの疑問ももっともだと思うが。事情を説明すればいいのに。そうは思うが、一応よその家の中の話だ。口は挟まない。
オトフシも同じ方針のようで、僕と並んで壁際で、無表情で眺めるようにただ佇んでいた。
「……貴方のためです」
「私のためならば、どうして?」
ルルの後ろで佇む侍女が、レグリスの侍女に目配せする。彼女も事情を知らなかったように見える。多分、彼女もルルについて王城へ入るのだろうが。
「貴方は、登城したことがないはずです。初めての登城で、なおかつ長期間の滞在。更に大人数が同時に城に入るという前代未聞の事態。何が起こってもおかしくありませんもの」
「それは、探索者の力が必要になるようなことなのですか?」
「それはわかりません。これから貴方が進むのは、貴方も私も知らない世界なのですから」
レグリスがピシャリと扇子を畳む。
「だからこそ、万全の備えをと思います。これより王城では、お二人は貴方の部下となる。……人を使うことを覚えなさい。いいですね?」
「人を……」
ちらりとルルがこちらを見る。
レグリスに反論していたときの強い目つき。それが一瞬だけ緩み、代わりに唇が強く結ばれたように見えた。
だがその反応も一瞬だ。僕とオトフシを一瞥し、ルルはレグリスに目を戻す。ドレスの足の付け根辺りをギュウと掴みながら。
「人を、……ですか」
「ええ。雇い主は私でも、今回は契約上貴方を最優先にしていただきます。彼らの主として、相応しい振る舞いをなさい」
「…………」
「これは、ザブロック家当主としての命令です。いいですね?」
「…………はい」
観念したように、ルルが返事を返す。ドレスを掴んでいた手はいつの間にか離れ、お腹の前で組まれていた。
「わかりました、レグリス様」
「よろしい」
レグリスが不機嫌さを振り払うように、扇子を広げて口元を隠す。その唇は、先ほどのルルと同じように結ばれていた。
ルルの方は、少しだけ俯き、呟くように口を動かす。角度的に僕からしか見えていないだろうか。
「……そうやって、みんな私から……」
声はない。人に伝えるためでもないために、唇の動きもよく見えない。
だが、たしかにそう言っているように見えた。
細かい打ち合わせは登城前日するとして、今日は挨拶くらいしておけと言い残し、レグリスは部屋から去ってゆく。
後に残されたのは、僕とオトフシ。それに、ルルとその侍女。
四人だけ残された部屋に、去ってゆくレグリスの足音が大きく聞こえた。
誰かが息を吐く。
ほんの少しだけ緩んだ空気に、やや茶色い三つ編みを頭の後ろでまとめた侍女がまず口を開いた。
「僭越ながら……お二人は事情をどこまでご存じなのです?」
お二人、と言いながらもオトフシに向かっての問い。オトフシの方が目上だからか、それとも話しかけやすいからか。
どちらかわからないが、オトフシはその問いに片目を瞑りながら応えた。
「事情、というのが曖昧ですな。まあ、このカラスも同じく、お二人とそう変わりはないかと」
「……そうでしょうか」
ルルが呟くようにオトフシに反駁する。何を言うのか、と僕が注目すると、ルルは小さく首を振った。
「いえ。何でもありません」
「……ルル様におかれましては、私どもには遠慮は不要でございましょう。疑問点があれば、なんなりと」
何か言いたいのに、言えない。そんな雰囲気を悟ったのだろう、オトフシがルルに進言する。だが、ルルはまたそれに首を振って応えた。
僕は殊更に聞かせるよう、小さな溜息をして注目を集める。
「王城内で具体的にどんなことがあるのか、それを知らされていないのは私たちも同じです。……登城する方々の一覧などあれば、私たちも見せていただきたいのですが」
後半を、侍女に向けて放つ。僕らが調べてもいいが、どちらかというとそれはそちらの方が詳しいだろう。レグリスは、他のどんな貴族に手紙が送られていることまで調べていたのだし。
侍女は僕の言葉に頷く。
「わかりました。調べられる限りで準備させておきます」
「お願いします」
あとは……なんだろう。せっかく貴族の家に雇われるのだ。使えるものは使いたい。
一応前日に打ち合わせはあるが、それでも時間がかかるものはここでお願いしておかなければ。
「……あの」
少しばかり悩み始めた僕の思考を遮るように、ルルが声を上げる。再び彼女に注目が集まったのが居心地悪いのか、間を持たせるように少しだけ視線を漂わせた。
それからまた、何かを我慢するように一瞬表情を固めて、それから綺麗な笑顔を作った。
「よろしくお願いします。私は自室に戻りますので、どうかあとは皆さんで」
「お嬢様、では私も……」
「サロメはお二人と一緒に、今後のことを」
「……わかりました」
一瞬だけ戸惑い、サロメと呼ばれた侍女は了承を返す。
しかしもう一度笑顔を曇らせ、ルルは僕たちの方を見た。
「何でしょうか?」
そのまま口を開かないルルに向けて、僕は問いかける。オトフシか僕、もしくは両方に何か用件があるのだろう。そう思って口角を上げて待つが、中々ルルも言葉を発しない。
けれど、僕とオトフシをまた一度ずつ眺めて、ようやく口を開いた。視線的に、主に僕に向けて。
「……何故、この依頼を?」
「依頼を受けた理由ですか?」
誤魔化すように問い返しながら、僕はその返答を考える。無いわけではない。むしろ、色々とある。どれを答えていいものやら。
「私たちも仕事を探していたといいましょうか。ちょうどよかった、というのが一番かもしれません」
「……そう……」
僕の答えに何を思ったのかはわからないが、ルルが苦笑するように笑う。僕の言葉の感想も返さずに、頷いた。
それから、スカートの腿当たりを掴み、持ち上げない程度のほんのわずかなカーテシー。ほとんど会釈と変わらない。
「では、ごきげんよう。また四日後に」
ルルが、部屋から出るために扉の前まで歩く。そしてドアのノブに手をかけようとしたところで、サロメが後ろから制止するように手を伸ばした。
横目でそれを見ていたのだろう。しかしルルはそれを無視するように、ドアのノブを強く握る。開く扉。消えていく後ろ姿。口も動いてはいないが、『そのくらい、自分で出来る』と声が聞こえた気がした。
パタリと閉じた扉の向こうで、聞こえない足音が遠ざかってゆく。
もはや部屋の中の声は聞こえない。その程度の距離になってようやく、オトフシは口を開いた。
「……大変そうですな」
「いえ」
サロメは小さく首を振る。年の頃は二十代中盤くらいか。なんとなく疲れて見える。
「……それで、オトフシ様にカラス様……」
「ああ、それについてお願いが」
サロメの言葉を遮り、オトフシが組んだ腕の端で指を上げる。
「…………?」
「迅速な情報伝達のために、私たちへの様付けと殊更に過剰な修飾語は不要です。指揮系統は多少異なるが、一応私たちは貴方と同組織。そして、貴方たちの上に立つわけでもない」
「…………」
顎に手を当て少しだけ思案し、静かにサロメは頷く。
「わかりました。……ならば、貴方たちも私には畏まった物言いは不要でございます。私たちは同じ主を頂いている同輩。地位に上も下もないでございましょう」
「……了解した」
こちらはあまり考える様子もなく、オトフシは同意する。畏まった物言いが不要といわれても、僕にはそっちの方が困るのだが。
まあ、言葉を減らせばいいだけか。
「では、オトフシ殿、カラス殿。確認したいことがございます」
「どうぞ」
オトフシが応える。それにもう一度頷いて、サロメが部屋の外に視線を向ける。ルルの去っていった方へ。
「先ほどははぐらかされてしまいましたが、もう一度。貴方たちはどこまで事情をご存じなのでございましょう?」
「王城の事情を知らないのは本当だ。だが、レグリス様曰く、妾たちは無礼な男どもからお嬢様の身を守れと言われている」
「無礼というか……まあ、その想定している相手を知らないのも本当なんですけどね」
オトフシの言葉に補足する。本当に、僕たちはそれ以外は知らない。何か行事をやるのかや、王城での生活の詳細など、何も。
しかしまあ、それはサロメも同じ事だろう。おそらくは、王城へ行くことを知らなかったのだから。
「ですから、事情と言われてもその程度です。やはりサロメ殿たちと変わりない」
「そうでございますか」
安堵か落胆かはわからないが、サロメが軽く息を吐く。それから、心機一転という感じで肩を揺らした。
ふふ、と笑う。
「でしたら、今日は本当にただの挨拶でございますね」
「ああ。予定など組むことも出来ん。ただの紹介、だろう」
交わる二人の笑顔に混ぜるよう、僕も視線で同意する。
今のところ、ここでは何も出来ない。調べて貰うにせよ、僕たちが調べるにせよ。
「サロメ殿以外の随従もまだ決まってはおるまい。顔合わせは次回ということになるな」
お互い、事前の準備がまるでない。それを咎めるわけではないだろうが、オトフシはそうまとめた。
部屋の隅の蝋燭が揺らめく。
他よりも少しだけ背の小さい蝋燭が揺らめき、そして消えそうになって僕らは顔を見合わせる。
もう夜更けだ。別に問題ないとはいえ、これ以上の滞在は一応失礼にはなるだろう。
「では、妾たちはこれで失礼する。三日後は、いつ頃訪えばいいだろうか?」
「食事時を避けていただければいつでも。そう長くはかかりませんし、朝の十の鐘の頃でよろしいでしょう」
「了解した。カラスも、いいな?」
「ええ」
僕が口を出さなくとも、色々と決まっていく。そんな風に思っていた僕に向けてオトフシが問いを発した。それを努めて普通に受けて、僕もサロメに頭を下げる。
「では、失礼いたします」
「お見送りを」
僕が頭を上げきらぬ間に、サロメが扉を開く。せっかちなのかスムーズなのかはわからないが、僕の頬に苦笑が浮かんだ。
それから、慣れた道を案内されて玄関まで移動する。
既に外は暗い。だが空を見れば、王都の特徴ではあるが、歓楽街に夥しい数を並べられた松明の明るさがよくわかる。
帰りも馬車は既に待機していた。
玄関先で僕たちが門から出て行くのをじっと見つめていたサロメ。僕らが門から遠ざかったところでようやく家に入り、僕らへの視線がなくなる。
揺れる馬車の中で、僕とオトフシは肩を並べる。カーテンを閉めずに外を見ているのは、ひとえに外が暗いからか。窓ガラスもないが明かりもない暗い中、紙燕も飛ばさずにオトフシは外をじっと見つめる。
そんなオトフシの姿を見ていると、不意に視線が交わった。
お互いに苦笑する。魔術師でも夜目が利くのだろうか、オトフシの目はきちんと僕に焦点を合わせていた。
にやりとオトフシは笑う。
「明日から、忙しくなるな」
「ええ」
溜息交じりに僕は応える。だが、そんな僕の答えに満足いっていないのか、オトフシは唇を尖らせて喉元を掻いた。
「……なんだ、つまらん。また妾の言葉を解せない戸惑う顔が見れると思ったのに」
「え? 何するんですか? 僕は明日からまたしばらくゆっくりしようと思ったんですが……」
期待と違った。そう聞いて、ならばと僕は適当に言葉を紡ぐ。こういうことを言って欲しかったのだろう、この女傑は。
「わざとらしい」
「すみません」
だがその答えもお気に召さなかったらしい。目を瞑り、前へ向き直りながらオトフシは持っていたハンドバッグを膝の上で叩いた。
僕も顔を前に戻し、背筋を正す。
「……誰が、それと、どういうところか、ですね」
「そうだな」
返してから、オトフシがクスクスと笑う。不快ではないが、不可解な笑いだった。
「しかし、よく出来た。これもレイトンの薫陶の成果か」
「グスタフさんの、と言ってほしいものですね」
レイトンの指導などではない。……まあ、グスタフさんからもそういうのはなかったと思うけれど。強いて挙げれば、……エウリューケかな?
三日後に打ち合わせがあり、四日後にルルは王城へ入る。
この前レイトンと行った王城探検の時に知れた召喚の日は、五日後だったと思う。
つまり、まだ時間はある。
けれど、時間はない。というか、足りることはない。
「まだ三日ありますけれど、その間は休憩時間ということではない、でしょう?」
「そうだな。休息を取る時間でもあるが、準備時間でもある。いらん指導だったとは思うが、これからもそんな風に、先手を取って動け」
「努力はします」
いつも出来るとは限らない。今日もたまたま思いついただけだ。
拘束されない時間は三日間ほどある。
けれど、その間、じっと待ってるだけでは足りないだろう。
今日の食事会までは、ただじっと待っていれば良かったと思う。しかしルルの警護を引き受けた以上、今となってはそうもいくまい。
「噂を調べるのは不得手なので、そっちはお願いできますか」
「……いいだろう。ならば、お前は宿の調査だ」
「わかりました」
今オトフシと僕が決めているのは、調査の分担。
とりあえず先に知っておきたいこと。先ほどレグリスがいっていた、素行の悪い貴族令息や令嬢とは大まかに誰か。それと、ルルや僕たちが逗留する場所の構造や簡単なルール。
他にもあるかもしれないが、僕が忘れていれば、オトフシがその都度何か言うだろう。これは彼女の仕事でもある。失敗の要素は一つでも消しておきたいはずだ。
だから、とりあえずはそれを調べる。
そして、明日の夜、落ち合おう。
そう決めて、今日は別れた。
面倒なことだ。
だが、やらなければ。
僕は自分の宿に戻り、借りた部屋へと入り、衣装を変えずにベッドに倒れ込む。
あまり寝心地の良い寝具ともいえない藁を巻いた枕を頬に寄せて、俯せのまま横を向いて壁をぼうっと見つめる。
明日から、忙しくなる。
仕事を受けた以上、わかっていることだ。
頑張ろう。金のために。戦争へと出ることなどないように。
……違うな。
寝返りを打ち、天井を見つめる。
金のためではない。金ならば充分にある。
戦争へ出ないため、というのも正確ではない。身を守る以上、いつかは戦わなくてはならないのだ。
貴族からの命令だから、というのも違う。レグリスはそうしないと言った。
……この仕事を受けたのは、僕が後で嫌な気分にならないため、とそう思った。
レグリスの心意気に応えなければ、と。
でも、本当にそうだろうか。
僕はこの仕事を受けた。レグリスの心意気を無にしたところで、僕は本当にそんな嫌な気分になるだろうか。
……あんまりならない気がする。親子の確執など、どこの家庭でもある話だ。レグリスが嫌われてようが、あんまり……。
それでも、きっと断ったら嫌な気分になる。帰り道、きっと口内に嫌な苦みが残っていただろう。直感だが、それはきっとそうだろう。
じゃあ、何で?




