おうかがい
結局、残念ながら蟷螂肉は食べられなかった。
『人の手で解体された肉の断端は、どうしても怪しいものになる』というのがレイトンの談だが、そもそも怪しまれないようにという発想がなかった僕には耳が痛い話だ。
レイトンは、挑発のために切断した男の頭部を丁寧に刻み、近くの草むらに投げ込む。
そしてそれとは別に、原形の残っている二つの死体……霧を出していた小太りの男と魔物使いの女の死体を道に並べ、偽装工作を加えていった。
「……焼けた森は、女の仕業でいいかな?」
「僕が言う言葉でもないんですけど、説得力ありますかね?」
「あると思うよ。少なくとも、激戦の跡ということで言い訳はつく」
二人の魔法使いの死体に加えて、熊と蟷螂の死体。それら四つの死体を使い、数分の後には見事な事故現場が作られていた。
説明されていないので多分だが、話の始まりとしては、二人の男女が旅のために道を歩いていたというもの。
何かしらの不審な形跡を追い、森の中を覗き込んだ男は、そこで隙間蟷螂と遭遇する。当然叫び声を上げて逃げた道の先では、剣幕に戸惑った女が何事かと男に尋ねた。
その男を背後から突き刺す無情の鎌。ようやく事態に気づき男を置いて逃げようとした女。
蟷螂が女を追う。女は魔術師で、炎の魔術を使って応戦をする。その余波で、森の木々が傷ついてゆく。
それでも蟷螂には勝てず、死を覚悟した女はついに最期の賭けに出た。
使うのは大規模な魔術。それも、森を地表ごと焼くほどの。
しかし、蟷螂もさる者。蟷螂はそれに怯まず、無慈悲な攻撃が女の胴を両断してしまった。
二人分の死体を作り、蟷螂はようやく今日の餌にありつける。
そう思った矢先、蟷螂にも予想外のことが起きた。
火に呼ばれた青嵐熊の襲撃。それも不意打ちだったのだろう。背後から胴を半壊させる爪が、蟷螂の命を奪う攻撃を完遂してしまった。
死へと向かう蟷螂。だが蟷螂にも意地がある。もはや胴が半分に削れ、立っていられなくなりながらも、その鎌が青嵐熊の頭部を薙ぐ。
青嵐熊の毛皮は切断に強い。そのため鎌は肉こそ裂かなかったが、その衝撃で青嵐熊の背骨は折れ、頭部を木々に強くぶつけ、憎き熊の命を奪った。
とまあ、そんな顛末だろうと思う。
放っておけば、誰か善意の通行人がこの惨状を近隣の街の衛兵に届け出る。そうしてここに駆けつけて、検分する衛兵たち。その姿が目に浮かぶ。
僕やレイトンの足跡を消す担当は僕だった。その他の痕跡はレイトンがなるべく消した。もはや、普通に検分した限りでは僕らの関与はわかるまい。
おそらくは、きちんとそんな風に読み取ってくれるだろう。レイトンが即興で制作した物語を。
問題は、イラインから出た僕らが、この魔法使いたちと一緒だった、ということ。
駆けつけた衛兵が、魔法使い達と僕らが一緒にいたことを見ていればまずいことになるかもしれない。そうでなくても人相書きなどと一緒に聞き込みをされてしまい、目撃者がいれば怪しまれてしまう。
六人で街を出たのに、その先の街に入ったのは二人だけ。しかも、一緒にいたはずの人間が死体で発見された、となれば事情を勘ぐってもおかしくはない。
そう思ったが、それはレイトンに否定された。
曰く、『これから強引に拉致するかもしれない相手と一緒にいたことなんて、彼らが既に隠蔽しているに決まってるじゃないか』ということだ。
まあたしかに、彼らもわざわざ人目を忍んでこんな街から離れた街道で襲撃してきたのだ。事を荒立てたくないという先ほどのレイトンとの話にも絡んで、心配はないのかもしれない。
どう隠蔽したのか、あんまり想像がつかないけれど。
「……じゃあ、いこうか」
「ええ」
ごく少量の水を水筒から手に注ぎ、レイトンが手についた血を払い落とす。何か薬品でも混ぜてあるのか、ちょっと見ただけでは血痕は見えなくなった。少しだけ臭いは残っているだろうか。それも、僕の鼻でも寄らなければわからないくらい。
よく調教されているのか、馬は一連の作業の最中にも、おとなしくじっと待っていた。魔物使いによる使役がされているのかと思ったが、レイトンの闘気による魔法の解除も僕の脳内精査もそれを示してはいなかった。
御者台に座らず、荷台にも乗らず、レイトンがその馬の鼻先に手を当てる。
「きみは、鳥と話せたんだっけ」
「鳥の言葉はわかりますけど、馬のはわかりませんよ」
レイトンの言葉の先を予想し、先に断っておく。
馬に指示を出して走らせられないか、ということだろう。だがそれは出来ない。馬とは会話できないし、仮に鳥を挟んで通訳させても同じことだろう。
鳥語……というくくりがあるのかどうかは知らないが、鳥語と馬語は結構かけ離れている。
昔日本で、犬と猫、馬や鳥や鼠たちなど、動物たちが自由に話しているアニメーションを見たことがある気がする。
魔物使いの管理下でもなければ、この世界ではそれはないらしい。鳥の言葉を喋ることが出来る僕だからこそ、断言できる。
しかし、ならばミーティアの人たちはやはりどうなのだろう。アントルはほぼ猪の見た目だったが、エッセンで使われているような言葉を崩して使っていた。彼は、猪と話すことは出来ないのだろうか。
少なくとも、豚肉は食べていなかったはずだ。
僕の言葉に、レイトンはこちらを見ずに溜息をつく。もう一度、馬の鼻先を撫でると、馬が目を細めて微かに嘶いた。
「残念。楽できると思ったんだけど」
「御者の経験は?」
「やれなくもないけど、面倒だね。乗馬も出来るけど、それとはちょっと違うし」
もう一度溜息をつき、レイトンが肩を鳴らす。
「仕方ない」
そう呟いた矢先。
僕の身体に震えが走る。
風もないのに木々が揺れた気がする。バサバサと、戻りつつあった鳥たちが無言で急ぎ飛び立ってゆく。
馬たちが糞尿を漏らす。先ほどまではレイトンに懐いているかのように首を擦りつけていた人懐こい馬たちが身体を固めた。
その顎の下に手を這わせ、ゆっくりと撫でる。馬は、それでも硬直したまま一度身体を震わせた。
レイトンがポンポンと馬の胴を叩いた。
それだけで、脇目も振らず馬はゆっくりと歩き出す。その動きに合わせて、レイトンに触られていなかった馬たちも、ゆっくりと足を踏み出した。
ようやくレイトンが振り返る。いつもの笑みで。
「じゃあ、行こうか。乗りなよ、街の近くまでは乗っていこう」
言うが早いが、横を通り過ぎようとした荷台に飛び乗る。僕もそれに置いていかれないよう、足を早めてよじ登る。
荷台に僕ら三人が乗ったことを気にも留めないようにして、それでも一度ちらりとレイトンを振り返り、馬たちは独りでに歩を進めていった。
「次の街まではそれなりにかかる。夕刻までにはつけるといいね」
ここまで来たときとは打って変わり、ガランとした荷台。もはや周囲に気を遣うこともないので、固まってではなく贅沢に僕らは向かい合うように壁際に座り込んだ。
レイトンが、僕の背中の上側にある窓から外を見上げる。少しだけ傾いた日が、進行方向から僕らを斜めに照らしていた。
「そうですね。次の街までどれくらいあるかは知りませんが」
「何事もなく進行していても、まだまだ先は長いくらいさ」
一度行ったはずだが、僕はどんなくらいかも覚えてはいない。馬車の速度もあの時より遅いし、ずれもあるだろうし。
しかし、こんなところで嘘はつくまい。ならばまだ先は長い。もっとも、ここからは何事も起きないのだろうが。
しばしの沈黙。その後、僕は一度馬車の前方の馬たちをちらりと見て、少しだけ哀れに思い口を開いた。
「……レイトンさんも、馬と話すことが出来るとは驚きでしたね」
「ひひひ、そんなこと出来るわけないじゃないか」
僕の冗談に、レイトンはケラケラと笑う。わかっている。だが馬たちにとっては、きっと話せた方が良かったと思う。
「ただ少し脅かしてみただけだよ。素直に聞いてくれて助かった」
「素直、といえば聞こえはいいんですけど」
もう一度、馬たちを見る。文句も言わずに、丁寧に車を走らせている彼ら。それは、彼らが従順だからでも、それだけ能力が高いというわけでもない。
ただ、怯えているのだ。
今でもまさに、レイトンの顔色を窺い、必死にその意向を汲もうとしている。
野生の動物は、危機に直面するとまず逃げようと試みる。それが出来ないと悟ると、牙を剥く。
それが通説だし、僕の経験上からもそうだ。
今回の馬は、飼われているからということもあるだろうか。
逃げようとしなかった。そして、逃げられないのに抵抗しようとも思わなかった。
その上で、更に次の段階があったのだろう。
「本当は、死を覚悟して、必死で走ってる」
調教。それも、鞭などの痛みによるものや、餌による快楽によるものでもない。
彼らは今まさに、追い立てられているのだ。
必死に媚びを売っている。死を簡単に与える存在である、レイトンに向けて。
「可哀想かな?」
「ええ。本当なら、彼らも安心して仕事が出来るようであればとも思うんですけど」
「でもきみは、馬には乗れない、だろ?」
「そうですね。苦手です」
ムジカルにいた頃、たまに駱駝には乗っていた。
荷運びにも移動にも、そして時には食用としても重宝される彼らへの騎乗は、僕には向いていたらしい。
逆に、蜥蜴はなかなか難しかった。馬や駱駝などと比べて体高が低く、体型も違うために乗るための姿勢が違う。それに加えて、何というか、言うことを聞いてくれない。
あれに比べれば、訓練された馬などは簡単なのかもしれないが、しばらく乗っていないため自信はなかった。
「ひひひ、なら、仕方ないだろう? それに、実際には傷一つつけないんだ。彼らもこの移動が終わればお役御免、たった半日の辛抱だよ。……それとも、このまま最後まで付き合ってもらおうか」
「荷台の付け替えなんか面倒じゃありませんか?」
「幸い傷みもほとんどないし、扉さえ何とかすれば欲しがる奴らなんかいると思うよ。駄目で元々、明日交換で募集してみようよ。無理ならまた乗合馬車だ」
「馬が可哀想なんですが……」
僕はもう一度馬たちを見る。自分の疲労など全く意に介さず走り続ける姿。
まあ、そこまで気にするならば、そもそも馬車など引かせるな、という話だが。
「一頭以外も売り渡そう。もしくは、三頭全部と引き替えて何か別の騎獣でも購うかい? ハクなら一頭でもこの馬車を引けるだろうし、他の騎獣でも構わない」
「後者が一番穏便な気がしますね。足りない差額は僕が出してもいいですし」
金はあればあるほどいいが、使わなければ意味がない。家を売り払った代金まで手をつけなくとも買える……とは思うが、まあ使ってしまってもいい。
「ならそうしよう。といっても、明日良い騎獣が売りに出ていればだけど」
「そう願います」
脅して動かすのは、なんとなく慣れない。
多分それが、僕が騎爬に乗れなかった理由なのではないだろうか。
馬車は進む。
また影も伸び、しかし陰の色が薄くなってきた頃、しばらく黙っていたレイトンが口を開いた。
「それでそろそろ、紹介はしてくれないのかな?」
「僕はそういったものが苦手なので、自己紹介をしてくれると助かったんですけど」
言いながら、お互いの視線が揃って荷台の後方を向く。
後方といっても、外ではない。中、それも薄い木の床に向けて。
呼吸の音は消せないらしい。
おそらく木の床の下にいるということでもない。
彼はスヴェンと同じように地面に潜っていったが、違う媒介でもあるのだろうか。
まあスヴェンの場合は、ただ床を抜けて下の階に出ただけだったと思うが。
「そうだね、たしかにきみは、そういうのには向いていない」
ね、と続けながら、レイトンが壁につけていた背を引き剥がす。
わずかな動作。それだけで、床に切り傷が走った。
「出てきなよ」
レイトンの言葉を最後に、シン、と荷台の中が静まりかえる。
そして次には、シールでも剥がすように僕の影が床から剥がれ、膨れあがる。
黒っぽい膜が人形のような形を取り、まるでシャボン玉のように表面がうねうねと動く。
透けていたそれが徐々に濁り、形が定まってゆく。
四肢がきちんとした形を取り、同時に顔や服がどこにでもある普通の質感を帯びる。
最後に、透けていた髪の先が揺らめくように色づく。
それから、まるで浅い沼から足を踏み出すように床に足をかけて立ち上がったのは、この前僕が出会ったムジカルの魔法使い。
「…………」
カンパネラが、不敵な微笑みを浮かべてレイトンを見つめた。




