乗合馬車
「予定としては、到着は十日後。移動手段は馬車でいい」
三番街の街角にある露店、そこにいくつか備え付けられた椅子と机。そこで差し向かいになり、僕らは今後のことをまとめていた。
手持ちぶさたなので、僕は早い昼食を兼ねて露店で揚げ鶏を買っていた。
その名の通り、塩漬けにした鶏肉を素揚げにしたものだが、肉汁がないのでパサついている。もうちょっと工夫が欲しい。
スパイスのような匂い付けも薄い。多分何かでしてあるのだろうが、高温の油で揚げている間に消えているように思う。結果、あまり匂いのない固い塩味の肉の塊、というよくわからないものになっている。
閑散としているはずだ。僕らが座っている間にも、誰も客は来ないのだから。
藁半紙のような包み紙を折り、脳内で味の品評をする僕。
それを見ながら、頬杖をつき、レイトンは続ける。
「道中、逗留したい街があったら考えるけど、何かあるかな?」
「ないです」
「じゃあ決定だね」
簡単な王国の地図。街の名前とそこを繋ぐ太い街道のみが描かれた地図を指先で叩き、レイトンは軽く順路をなぞった。
順路といっても、最短経路を叩いているだけなのだが。
もう少しだけおぼろげになっているが、以前王都を訪れたときのルートと同じだ。
だが、日程が違う。以前は強行軍で五日。今回は十日と倍の日数をかけるという。
どこの街にも一日以上逗留することはないが、急ぐ旅でもない、ということだろう。
だが、一つ心配も残る。悠長なことをしていれば、勇者召喚に……
「召喚の日取りなら気にしないでいいよ。大きな催しだし、召喚をするなら、その少し前に必ずお触れが出るはずさ。もしも道中でそれを確認したら、そこから急げば充分間に合う」
「……そうですか」
まったくなにも質問していないのに答えが返ってきた。いつものことだが、若干急かされている気がして僕は内心苦笑した。
「ネルグから離れることになるから、道中あまり食料の採取は出来ない。それもいいかな?」
「問題ないです」
視線が、地面に下ろしてある僕の荷物に向く。そして僕の返答を聞く前に頷いた。
心配しているのは荷の確認だろうが、荷造りは終えている。モスクには声をかけ、家の鍵はもう渡してきた。
あの家はもう僕の家ではなく、そして中にあった荷物も整理して持ってきた。
本は頭の中に入れ、不要な衣服も……それははじめからなかったか。
背嚢にはいつも入っていた薬……それも古い物やすぐに作れる物は処分してスペースを空け、数着の服を丸めて入れた。
その底には、金貨百枚を足された硬貨の層が出来ているが、出さなければ問題ない。さすがにそのままは色々と不都合があるので、新たに得た金貨百枚は鉛入りの合金で覆って繋いである。必要なときには溶かして使おうと思う。両拳を合わせたよりも大きな塊で、しかも底にあるので、この背嚢は振り回せば立派な鈍器になるだろう。使う気はないが。
前よりも大きくはなったが、思ったよりは小さく荷物は仕上がった。
前は斜めがけにする細めの背嚢だったが、それが一回り大きくなっただけだ。重たいが、大きさ的には動きを阻害するほどではない。
「そうと決まれば……じゃあ、行こうか。とりあえず、隣町まで乗合馬車が出ているだろう。今日はそれに乗ろう」
頷き、手の中で藁半紙のような包み紙を丸めて燃やす。
灰となって散っていった包み紙が、石畳の地面にパラパラと落ちて馴染んでいった。
イラインの西側。
乗合馬車の発着場は、少しだけ混雑していた。
ここで飼われているわけではないだろうが、とりあえずの厩舎が建ち並び、そこに数頭の馬が留められている。衛生的にはいいようではなく、風の匂いに糞尿の臭いが混じった。
石畳の隙間には飼い葉が落ちており、灰色の地面に黄色っぽい筋が出来ている。一応、たまに水で流してはいるのだろうか、泥などはあまり詰まっていない。
馬の小さな嘶きが聞こえる。
さすがに馬とは話せないが、そのつぶらな瞳が、好奇心を持って僕らを見ていた。
「あと三人! あと三人だよ!」
「こっちはあと一人! 銅貨一枚だ!!」
それなりに人は多い。その中で、馬車の車体の前に立った人間たちが声を張り上げている。
このイラインで、乗合馬車は庶民が使うものだ。大きめの車体が概ね二頭から四頭の馬で引かれる。その車体に乗る人数は馬車の大きさによっても異なるが、小さければ二人、大きければ十人ほどまで様々だ。
彼らは当然、多くの荷を乗せて街間を動きたい。なので、利用する人が少なくないときは、その馬車に乗る人もしくは荷物が一杯になった時点で運行を始めるという風になっていた。
呼び込みの人間たちが白熱するのはそういうことだ。
一応、街営というか国営の馬車もある。八頭立ての大きな馬車。だが、それは午前午後に一便ずつだけしか出ておらず、民営の物よりも割高だった。
午後の運行の時間はまだ遠い。僕とレイトンは顔を見合わせ、乗るべき馬車を選定してゆく。
お互いに、特に希望はない。どの馬車も大抵は椅子がなく、木の床に腰を下ろすか壁際の手すり代わりの縄に捕まるか、という粗末な扱いだが、レイトンも気にしないようだ。
どれも、代わり映えのしない馬車。
実際には騎手の腕や馬の調子で乗り心地は少し違うのかもしれないが、それを判別するのは僕には不可能だ。
選ぶとしたら、共に乗る客層。それと値段。まあ、価格競争もあるので、最後の一席を急ぐときくらいしか値段も変動せず、そう変わりないのだが。
一つ、呼び込みしていない馬車がある。黒茶色の馬車としては平均的なサイズのもの。その馬車の縁に座っていたちょびひげの小太りの男性が、こちらを見て微笑みを作った。
さて、どうしよう。どの馬車がいいだろうか。そう悩んだが、一つ忘れていた。
僕は、隣にいたレイトンに話しかける。
「そういえば、レイトンさん、言ってませんでしたね」
「……何を?」
さすがに考えてもいないことはわからないようで、レイトンはわずかに首を傾げる。
「僕この前、ムジカルからも勧誘されたんですよ」
「……へえ……」
僕が口にした言葉に、それほど意外でもないような感じでレイトンは返した。
そして周囲をもう一度見て、笑みを強める。
「……なるほどね、だから、厄介ごとの種があったわけだ」
「そうなりそうです」
クスクスと笑いながら、レイトンが歩を進める。一歩僕から遠ざかり、それから楽しそうな笑みを僕に向けた。
「じゃあ、そうしようか。有効に活用させてもらおうよ」
「乗るんですか?」
「うん。遅かれ早かれ旅程の最中にことは起きる。どうせなら、そういったことは片付けながら進もう。特に手間でもないだろう?」
「まあ」
僕は頷き、先んじたレイトンを追うように足を踏み出す。
僕たちが歩き出したのを見たのか、先ほど呼び込みをしていなかった馬車の騎手が、声を張り上げて客引きを始めた。
ガタン、ガタン、と進むたび、車体が揺れる。
ネルグの根はもはや地面に露出していないが、それでも起伏は細かく激しい。サスペンションもない馬車の揺れは、慣れるまでは少しだけ気になった。
素通しの窓から外を見るように、レイトンは金の髪を靡かせる。
まるで旅情を楽しんでいるように、その瞳は外の景色を映していた。
外の景色と言っても、あまり代わり映えもせず、種類の変化も乏しい森が周囲に広がっているのだが。
僕らが乗った馬車は、行き先は隣町まで。
六人乗れるところに四人しか客が集まらず、あと二人待っていたと騎手のちょび髭は笑って語っていた。
三頭の精悍な馬が文句も言わずに馬車を引く。
僕らの他には、母と子らしき二人組、それにフードを目深に被った恐らく老人、それに呆けたように外を見上げている大柄の男性だ。
手を広げたくらいでは触れあわないくらいに間は開いてるし、窮屈とはいわないまでも、やはり人数が集まると圧迫感があった。
多分僕は乗ったことがないが、バスとはこういう感じなのだろうか。マイクロバスという名称だったか、小さなバス。それよりも幾分か小さいとも思うが。
軽量化のためか、床は薄い。足の裏から、馬車の底を通り抜ける空気の振動まで感じられる。
壁もそう頑丈な作りではなく、寄りかかったりする程度ならばよくても、武器などの柄を強く叩きつけるだけで壊れてしまいそうだ。無論、僕たちには、そんなことをする意味などない。
「……ムジカルからの勧誘。この様子じゃ、穏便なものではないんだろう?」
僕へも馬車の中へも視線は向けず、レイトンは小声でそう口にする。
馬車の中では誰も口を開かない。おそらく、楽しい旅ならば誰かが音頭を取って会話に花を咲かせるのだろうが、今日はそういう感じでもない。
皆の沈黙を邪魔しないような小さな声。僕が普通の人間であれば、聞き取れもしないくらいくらいの囁き声だった。
明らかに僕に向けての問いだったが、僕は声を発さずただ頷いた。
「目的はぼくと同じ……というわけでもなさそうだけど」
「……戦争に参加させるんじゃ?」
だが、黙っていられなくなり僕は問い返す。レイトンの目的は、とりあえずは僕をエッセン側につけて戦争に参加するという形をつけること。ムジカルの……フラム側の意図はそうではないとすると、戦力が目的でもないということになるはずだが。
「さて、それはどうだろうね。会ったこともない個人の考えなんて、わからないからなんともいえない」
レイトンは窓枠を指先で叩き、何かを考えるように目を細める。考えているのは今後のこと、だろうか。
僕もつられるように視線を外に向けて、頬でそよ風を受けた。
「勧誘は二つありました。といっても、穏便でないのは片方だけで、もう片方は大分理知的でしたが」
カンパネラという魔法使い。彼による、その上官であるラルゴの名代としての勧誘。好条件で僕を迎え入れると言ったあの言葉。全くの根拠のない推測だが、印象的には嘘ではあるまい。
「問題は、その穏便でない方。実行をするとされる四人組の魔法使いは、僕が聞いた限りでは、三日以上前にイラインに入っている筈なんですが、……ここまで待ったのは何故でしょう?」
「どうしてすぐに拉致にかからなかったのか、ということかな?」
「ええ。まるで、街から出ていくのを待っていたようで」
不思議ではある。
今までで、いくらでもチャンスはあったはずだ。家で、街中で、隙を見せたつもりもないが、それでも魔法使いならば強引に拉致にかかるチャンスが。
しかしその気配はなかった。息を潜めて街中に潜伏しているように。
カンパネラが身を窶していたのと同じような違和感があった。
彼には〈成功者〉の意図に従っているという理由があったが、それでも今回の件は違和感が残る。
カンパネラは、〈成功者〉ラルゴによる偵察という目的があった。そのために事を荒立てたくなく、街中に潜伏して情報収集に当たっていた。
だがフラムの部下は違うはずだ。フラムにとって情報が大事かどうかは知らないが、カンパネラの言葉を信じるならば今回はどうでもいいはずだ。
「簡単な話さ。まだムジカルには、エッセンと具体的な戦争行動を起こす気がないんだろう。魔法使いが暴れれば、エッセン側もムジカルに宣戦布告をする気運が高まってしまう」
「それはムジカルの利益になるんじゃ?」
「そうだね。わかってるようだけど、ムジカル側からすれば、宣戦布告は早ければ早いほうがいい」
戦争に関する動きが重いエッセン王国と比べて、ムジカルは常に戦争の準備が万端だ。相手側の戦争の準備が整っておらず、自分だけが整っている状況、それが理想のはず。
だから、カンパネラの行動にも最初違和感があったのだ。
何故、身を隠しているのだろうか。既に戦闘行動を始めた方が……今のこの状況ですら、イラインで魔法使いに暴れられてしまえば、イライン側は防ぐ有効な手立てはないだろうに。
「でも、してない。多分それは、その方が国家としての意図に適っているからだ」
初めてレイトンがこちらを向く。振り返り、鞘が壁に当たって軽く鈍い音を立てた。
「今回きみを狙って魔法使いを放ったのは、フラム・ビスクローマ、……であってるかな。おそらく彼女は王命に背いて動いているんだろう。彼女独自の行動だから、国家の意図に背けず、まだ開戦の幕はひらけない」
「もう一人の方は?」
ならば、ラルゴは。
「慎重なんだろう。それか、単に真面目なんじゃないの?」
ケラケラと、最後はからかうように笑う。
車輪が石を弾き、後方へ飛ばす音がする。その音を聞いて、ふと森の匂いが鼻を突いた。
代わり映えもしない、だが、やはり森林の匂いは確実に変わっているし、そして鳥の声も違うと改めて気がついた。
「そして、そう、だから彼らはこの状況を待っていたんだ。きみが街から離れて、どうなろうとも事件化しないであろうこのときを」
「わざわざ乗ったということは、腹案があるんですか?」
別になければないでいいけれど。なくても何とかなるとは思うし、そもそも作らせる気はある。
レイトンは目を細める。
「そうだね。……きみは何もしたくない、とでも言いたげだけど?」
「必要になれば手を貸しますけど、正直戦う理由は僕にはないので」
今回僕は『手を貸す立場』だ。いや、拉致は嫌だし抵抗するけど、フラムの下に降る以外に僕には道がある。その道も一応消極的にだが選びたくはないので、ここでレイトンと一緒にいるわけだけど。
「……まあいいさ。なら、いいよ。今回きみは手出しをしないでもいい。確かにこれは、きみよりぼくに理由がある」
揃ってちらりと前方を見て、頷き合う。こういうことは話が早くて助かる。
「でも、少なくとも一人はきみが相手をしてくれると助かるかな。その方がずっと早いから」
「……わかりました」
レイトンが背中をほぐすように胸を張る。寝起きのように強く瞼を閉じて、開く。
僕も一度深呼吸をして馬車の中を見渡す。
馬車には御者も含めて五人の気配。
そしていつからか、周囲をどこからか捕捉している二人の気配。
中から見える前方の景色。そこからいつの間にか御者が消えている。
そして何事かをぶつぶつと呟いていたフードを被った老人が崩れ落ち、砂が弾けるように同質量の蚤が外套から溢れ出した。




