免罪符
僕とランメルトは、娼館へと向かって歩く。
あの用心棒のいる娼館は二度か三度行ったことがあるので、場所はだいたいわかっている。もちろん、客としてではなく取引先としてだけど。そして、ついさっき叩き出されたランメルトも迷うことはないだろう。
そういえば、むしろ、どうしてそこに辿り着けたのだろうか。人を探すにしても、このジャーリャは数万を超える人間が住んでいるのに。
「…………」
二人並んで歩く沈黙の中、ランメルトは時々道の周囲に視線を飛ばす。その視線の先の人物に視線を返されると、慌てて逸らしていたが。
その視線の先の人物の傾向に、僕は少しだけ不憫に思った。
僕は口を開く。
その空気を掻き消すためにという理由。それと、やはり気になった。
「その、会いたい人の場所はどうやって突き止めたんですか?」
「……え……?」
思い立ったら聞いてみよう、そう思い問いかけたが、ランメルトはキョトンとした顔で聞き返してきた。いや、これは話を聞いていなかったのだろう。
「……なんでもないです」
まあ、別にいいか。手当たり次第に聞いて回ったとか、しらみつぶしに娼館にあたったとか、それくらいは出来るだけの時間があったろうし。
改めて、彼の視線の先を追う。
ランメルトの視線の先には、戦争から帰ってきた者たち。
それを示すように皆、『帰還した英雄』というような意味合いの言葉を書いた札を地面に立て、そして武勇伝を語る。
曰く。
ストラリム戦役では、バッタバッタと敵兵をなぎ払い、十の首を取った。
卑劣な罠にかかった友軍を助けるため、上官に逆らい単身で救助に向かい、これを成功させた。
この胸元の傷を与えたのは、ストラリムの剣豪だ。代わりに首をはね飛ばしてやった。
そんな、嘘か本当かわからない話が何カ所かで行われている。
今のところ、視界に入るのは三人。他にもいくつか声はする。
だが、これでも少なくなったのだ。
ストラリムの占領が終わったあとしばらくしたときには、隣の武勇伝が掻き消されるほどの密度で集まって口々に喋り続けていたのに。
足下の札の周囲には、多量の投げ銭が転がる。
戦場に立ち、帰ってきた彼らには恩給も出る。だが、それだけでは足りないとも考える者がいる。彼らにとって、この行為は小遣い稼ぎも兼ねた自尊心を満たす行為だった。
そして僕も、この街にきてからもう何百人と見た。
ムジカルが反乱組織や他国と戦い、戦争が終わる度に、この光景は何度も。
「……この話の中で、……殺されているのは、僕たちの国の、人間です……」
「でしょうね」
僕は頷く。ストラリム戦役と言っているのだから当然だろう。ムジカルの人間とストラリムの人間同士が殺し殺された戦役。
ここで勇ましく語っている彼らは、間違いなく徴兵されたムジカルの国民だ。
そして、それが気に入らないのもよくわかる。
「……よく……、よく、その話で、喜べますね……」
ランメルトが睨む先は、その投げ銭を投げている観衆たち。
彼らも大分少なくなったが、それでもまだまだ戦の話をすると立ち止まって聞き入る程度には盛況だ。
「この国にとっては、ただの娯楽なので」
正確には、この国の、この街の人間たちには。
「…………人殺し……」
それだけ言って、ランメルトは唇を結ぶ。
その横顔に僕は何もいう気になれず、ただ歩を進めることにした。
「でもまあ」
歩を進めながらも、僕は周囲を確認する。
戦場から帰ってきて、自慢話のついでに小遣い稼ぎをする。それ自体はべつにどうでもいいし、それなりに正当な報酬であるとも思う。要は、名声を金に換える行為なのだから。
彼らは頑張った。それを誇示して何も悪いことはない。
努力したこと、成し遂げたことを誇るのは何も悪くはないし、称賛を得たいと思い実際に得るのも間違ったことではない。
だが、僕の視線の先で、壁に背中を押しつけるようにして地面に座る男。
そういうのは、別だ。
僕が顔を道端に向けているのを見て取り、ランメルトが歩調を緩める。そして、困惑したかのように首を傾げた。
きっと、この場にいる誰もがその男のことを不自然には思わないのだろう。その足下に置かれた布袋に放り込まれている鉄貨や銅貨は、きっと本当に善意からのものだ。
「僕も嫌いです、ああいうの」
それだけ呟くように告げ、僕はランメルトから少しだけ離れ、その男の下に向かう。
ぼろ切れを纏い、薄汚れた男。
横に置かれた立て札代わりの木っ端はどこかから拾ってきたものだろう。それに、草の汁で読みづらいが文字が書いてある。
「大変ですね」
僕が前に立ち止まり呼びかけると、俯いていた男は気怠げに僕を見上げた。
それから、水も飲んでいなさそうな張り付いた喉から、ひしゃげた声を出す。
「……ああ、旦那、哀れに思うのでしたらどうかお願いしゃす……」
お願い、というのは前に置かれた袋にいくらか入れろということだろう。既に鉄貨は数十枚と貯まっている。しばらくは昼飯に困らないだろうに。
「ご覧の通り……、……腕と脚の腱をやられまして、もう戦働きはできねえす」
困った、という風に男は首を振る。
たしかに、男の立て札にはそう書いてあった。
『私は命を賭けて戦った戦争で、手足の自由を失いました』
動かないのは右足と右腕だろう。悔しそうに、男は語る。
「おいら奴隷身分なもんで、治療師にも治しちゃもらえねえ。この腕が動けば働くのによう……。だから、どうか、旦那……お恵みを……」
「それはお気の毒」
僕はしゃがみこみ、男と視線を合わせる。それ以上の苦労話を聞く気はない。
この手の人間は、皆同じようなことを言う。真実であれ、偽りであれ。
さあ、この男はどちらだろうか。
「今なら銅貨一枚で治してさし上げます。いかがですか?」
笑顔を浮かべて問いかける。こうすると、大抵の人間はだいたい表情を固めるのだが。
「……銅貨……? ……どういうことです?」
男の表情は、薄笑いに近い無表情。まるで、嘘だと思っているような。
「治療師には治してもらえない。そのせいで働けず、生活が困難。そうでしょう?」
「え、ええ、そうですが……」
「後払いでいいですよ。銅貨一枚で、その手足元通りにしてさし上げます。そうすれば、働けますからね」
ニコリと殊更に笑みを強める。
だが、逆に男の笑みはどこかへ消え去ってしまった。
「銅貨一枚では高い? では、今日は特別に半銅貨一枚でいいです」
半銅貨一枚。この街の一般的な市民が、昼食に使う程度の金額。これならばこの男にも支払うことが出来るだろう。今目の前にある投げ銭の入った布袋、そこから一掴み出せば事足りる。
もっともそれは、銅貨一枚であっても変わりないが。
「旦……いや、あんた何言ってんすか」
「ちょっとした押し売りです」
善意と、ちょっとした悪意の押し売り。この国にきて、ようやく活発に出来るようになったことの一つだ。
振り向いていない背後から、ランメルトが不安そうに僕を見ている気配がした。
「…………」
「まだ高いですか? では、鉄貨一枚?」
もはや子供の小遣い程度だ。手足の腱断裂の補修、治療師ならば銅貨一枚でも破格なのに。
僕と話しているからだろう。男の下には群衆は立ち止まらない。
先ほどまでは、それなりに人が立ち止まりコインを投げていったのに。
ふと邪魔に感じた眼鏡を持ち上げ、あるべき位置に戻す。闘気も魔力も使える今ならば素通しに近いが、やはりずれると不快感が増す。
「では、半鉄貨?」
「……からかうなら、他のところ行っちゃくれねえですか。おいらにとっちゃ、ここでお金もらえなければ死ぬかもしんねえんです」
同情を誘うように、男は眉を寄せる。
まあ、確かにそうだろう。一時金の報酬として恩給は出るものの、これからは働くことも出来ない。奴隷故に生活費の給付も受けられない彼は、ここで物乞いをするしかない。さもなくば親しい誰かに養ってもらうしかない。
僕の前世でも、たしかにそういう存在がいた。
戦争が終わって四半世紀以上、それで生活していたという者たちが。
「でしたら、逆に僕がお支払いしましょう。銅貨一枚を僕が貴方に渡します。それで、治させて下さい」
彼の話。それが本当ならば、痛ましい話だ。
国のために働き傷ついた者たちが、寄る辺ない身で道端の人に縋って生きるしかなくなるなど。
それは国家の損失で、社会としてあってはいけないことだ。
「…………」
「どうしました?」
黙ってしまった男の顔を覗き込む。
疲れているような顔に、わずかに怒りが見えた。
僕はその顔に、笑みをなくした。
「たとえお金をもらっても、そのままでいたいんでしょうか?」
「っ……! ふざけ……」
男の襟を持ち、僕が立ち上がるのに合わせて持ち上げる。足下に転がっている粗末な木の棒は杖だろう。きっと、たしかにここに来るまではそれに頼って懸命に来たのだ。
「交渉は決裂ですね。では、無料で」
左手で男の肘に手を当て、数瞬。それから引き寄せ、太腿に手を当て魔力を込める。
腱が断裂しているだけで、他の組織に酷い損傷があるわけではない。若干萎縮はしているが、これならば簡単に終わる。他は調べていないが、気にしなくてもいいだろう。
「いやあ、よかった。これでこれからも働けますね!」
戸惑い立ち尽くす男に、拾い上げた杖を手渡す。
「いや、よかった、よかった。じゃ、行きましょうか」
振り返りランメルトにそう呼びかけるが、彼には何が起きたのかわからないらしい。
いやたしかに、何が起きたか他の人物にはわからないだろう。
今のところ、わかっているのは治した僕と治された男だけ。
だが、すぐにわかるだろう。
そして、ランメルトの強く瞑った目と、飲まれた息で結論は出た。
今回は、偽りだ。
背後から振りかざされた杖を左手で受け止め、振り返り様に男の首を掴む。
そのまま壁に叩きつけるように押し当てると、男は苦しむように僕の手を引きはがそうとした。
その、上げられなかったはずの右手を使い。
「…………っ!」
「襲われた意味がわからないんですが?」
今回、僕は襲われた側。遠巻きに見ていた何人かの観衆がその証人だ。
「もっと喜んでくださいよ。動かなかった右腕と右脚、元通りでしょう?」
「んなわけ……!」
観衆も気がついた。
この男が、少し離れた僕に駆け寄り、そして両手を使って木の棒を振り下ろしていたことを。
もがく両手。そこにはもはや、何の障害もない。
もう必要のない杖。それが、砂地の地面に落ちて倒れた。
「お礼を言われてもいい気がするんですが、これが返礼ですか」
まあ、実際には僕が勝手にやったことなので礼の言葉もいらないのだが。それでも、杖で襲うのはさすがにどこの民族でも礼にはならない。
男の首を掴む手を放せば、一息吐いたように息を吐き、それから荒い呼吸を繰り返す。
地面を見れば、先ほどと一切変わっていない硬貨の入った布袋。
これだけの立ち回りをすれば、もう誰もこの男の立て札を信じないだろう。
恩給を除き、この布袋に入った分が、今回の戦争後に彼が得た報酬の全てだ。
「……クソッ!」
その布袋を男は拾い上げると、立て札を踏みつぶす。
何度か乱暴に踏みつければ、もとがボロの木っ端だったせいか簡単に砕けていた。それでも掃除は必要だろうけれど。
そして僕を睨み付けると、雑踏を掻き分けて小走りで歩き出す。
礼の一言もなく。
やはり、『偽り』だった。
「……あの……」
「あ、すみません。あんまり待たせても申し訳ないですし、急ぎましょうか」
男を見送った僕に、ランメルトはおずおずと声をかける。
ランメルトには申し訳ない。僕の都合で少し時間をとらせてしまった。
それに……騒ぎを聞きつけたらしい衛兵が、雑踏の向こうにちらりと見えた。追われるわけでもないが、この場は立ち去った方がいいだろう。
少しだけ歩調を早め、ランメルトの横を通り過ぎるように歩く。それを追うように、ランメルトも歩き出した。
もう少しで目当ての娼館だ。
娼館が集まる花街のような区域。そこにさしかかった当たりで、ランメルトは口を開く。
「……あの人に……、殴られると、思いました……」
その言葉に僕は一瞬だけ考える。
ランメルトが口を開く以上、彼の会いたい目当ての人物に関してかと思いきや、違ったらしい。
僕が会ったことがない以上、あの人、という表現は当てはまらないだろう。
では誰? と考えるのもおかしな話か。殴られるところだったと言えば答えは決まっている。
先ほどの物乞い。彼に関してのことだろう。
心配をかけたらしい。先ほどの表情からすれば別の感情もあるだろうが。
「あの程度ならなんともないですし」
まぐれ当たりはあるかもしれないが。それでも、見えている限りはどうということはない
多分、当たっても問題ないし。
「……何故、あの人は……嘘をついていたんでしょうか……」
「嘘なんかついてませんよ」
「でも、……あんな……、元気に杖を振って、走っていきました」
その通りだ。彼は諍いの後、元気に走って、健康な体で去っていった。多分羞恥心から。
でもそれは、僕の行為のせいだ。
「僕がさっき治したので。実は僕、治療師の真似事も出来るんです」
「……え……」
沈む顔を覆うような驚く顔が面白くて、僕は少しだけ笑った。
「でも、……だったら、お金をもっと取るんじゃ……」
「別にお金に困ってはいませんし」
僕の生活は、特にお金に依存しているわけではない。家賃を支払うために幾ばくかの金銭は必要だし、探索者のギルドとの繋がりを維持するために仕事はしているが、逆に言えばそれくらいの理由しかない。
労働は、本当は僕には必要がない。ムジカル国民とは違った意味で。
「ですから、趣味です」
「だったら、なんで……」
「趣味です」
言い募ろうとするランメルトの言葉を、笑顔で止める。『趣味』。きっと、それ以上の意味はないだろう。
「ちょっとした、嫌がらせがしたかっただけなので」
「…………?」
ただ、嫌いだった。
体を動かせずに何も出来なくなることが。
嫌いだ。
体を動かせないことを免罪符にするのは。
「こんにちは。話はついていますか?」
道行く僕らに声をかける客引きを適当にあしらい、無視しながら辿り着いた目当ての娼館。
二階建てで少し大きく、どちらかといえば労働者向けというよりは富豪向きの類いだ。
その門番は、先ほどの用心棒とその相棒。
はげ頭の用心棒は僕らを見るとニコリと笑顔を強め、中を示した。
「ええ、ついてまっさ。案内しましょう」
相棒もその仕草を止めない。ならば入ろう。
ランメルトはその娼館の入り口で立ち止まり、見えない境界線を見つめるように俯く。
その仕草を見て取った用心棒は笑顔を作る。
客引きのためのものではない。きっと、本音の笑顔だ。本心では本当に気のいい男なのだろう。多分。
「今回は止めねえって。さあ、カラスさんの紹介だ。入った入った!」
「…………」
ランメルトは唾を飲み込み、小股でその境界線を踏み越える。
それから一歩踏み締めると、ザ、という音とともに大股で歩き出した。
僕らが建物に入れば、娼館の入り口付近にいた待機中の娼婦が、華やかな声を上げる。
真っ直ぐに続く廊下。その両脇にいくつも並んだ扉の先では、きっと今まさに仕事が行われているのだろう。さすがに真っ昼間な以上、そう多くはないだろうが。
石の床がカツンと音を立てる。
埃払いのために来た露出度の高い女性が、僕の体をはたきのような布の束で払っていった。
「ただ、客が入ったら退散してくだせえよ。さすがに、仕事の邪魔は……」
「しませんよ。ね?」
用心棒の言葉を一言だけで言い含めるよう、ランメルトの顔を覗き込む。
ランメルトの体を掃除しているのは、緑のビキニの水着のような服に、白く薄い布を纏っただけの褐色の美女。
おそらく思春期の男性ならばどうしても目がいくであろうそんな女性に、一切目をくれることなく、ランメルトは頷く。
ならばいい。
適当に袂から掴み出したコインを色も確認せず掃除女に渡し、僕は用心棒を促す。
僕は一応付き添い。
ここから先は、彼が主役だ。
その沈んだ顔が、少しでも晴れることを祈る。
俯くのをやめたランメルトを見て、僕はそう思った。




