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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
収穫の国

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いい奴




 朝。

 小鳥たちの声……というよりは日差しの強さで目を覚ます。

 スノコ状に組まれている木と、その上に編むように絡められた藤のような蔦。そんなこの国特有の通気性の非常に高いベッドの感触を背中に感じ、僕は外の方を向いた。

 ベッドのすぐ横、石造りの壁にとりつけられた木戸からは日が滲み、まるでその向こうからスポットライトでも当てられているかのように輝いて見える。

 

 伸びをして、その木戸に手を当てる。

 温かさからして、もう昼前か。壁の石も含めてこれからもっと熱くなるが、その前に換気しておきたい。

「……っ……!」

 かけ声を、吐息に混ぜて起き上がる。今日の朝ご飯は何にしよう。


 ペタペタと石の床を裸足で踏みながら、作務衣の布地をもっと少なくしたような寝間着を整える。面倒だが、これもまた洗っておこう。

 それよりもまずは水を汲みに行かなければ。

 

 髪の毛に手ぐしを入れ、頭を掻く。僕はたった今整えたばかりの寝間着を脱ぎ、壁に打ち込まれた細い木の杭にかけてある普段着に手をかけた。




 手に桶を持ち、外に出るとまた一段と暑さが濃くなる。

 日差しが圧力を持ったように降り注ぎ、僕の体の熱を上げる。


 以前、とある商人によりこの国に持ち込まれた蝋燭が気温に負け、更に粗悪品だったせいで全て溶けてしまったという話を聞いたことがある。

 その商人は結果大損害を被ったという。証拠として溶けた蝋燭を見せられたが、それはさすがに何の根拠もない笑い話だと思う。そもそも聞いたのが大道講釈だったし。


 だがそれは笑い話としても、納得してしまいそうになる。ある程度感じ取れるようにしているとはいえ、魔力で保護している意味がない気がしてしまうほどの気温。

 驚くべきことに、これをこの国の常人は体に布を巻くだけで普通に凌いでいるのだ。

 このムジカルで生まれ育った人間は、暑さに強い。長年の淘汰の影響もあるだろうが、人の慣れや適応とは凄まじいものだ。



 そろそろ時間的にはお昼時だ。僕の場合は朝ご飯だけど。

 屋台の気配もしてきた。焼ける肉の匂い。弾ける油の音。水を汲んだら、ご飯を食べよう。

 昨日の蠍鍋はやさしい旨みだった。今日は、少し辛めでもいい。


 

 

 部屋の隅に置かれた素焼きの瓶に水を注ぐと、それだけで少しだけ気温が下がった気がする。表面にしみ出てくる水分が蒸発する際の気化熱で、部屋の涼をとることも兼ねている備蓄法。正直ほんの気休めだが。


 瓶の中で揺れる清浄な水。街の各地に必ず存在する井戸から運んできたこの水は、遙か地下から汲み上げたものだ。

 育つにつれて内部が空洞となる天然のガイドパイプとも言える木を用い、水脈まで地面に穴を開ける。

 日によってその水脈の圧力は変わるらしく、圧力が高い日は地面より吹き上がるほどに水が溢れてくる。また低い日はその反対で、まるで井戸が涸れたかのようになってしまうらしい。


 そんな日ごとの変動を緩和するための設備が水監視塔だ。日ごとの圧力の変化を監視し、適切な対応をとる。

 上がりそうなら空洞を狭めて水量を減らし、下がりそうならため池のような場所に水を流し込んで水を確保する。そしてたまに水脈が移動すれば、それに合わせて井戸も移設する。


 そんな水監視塔を運営するのが、エネルジコのような水守の一族とやらだ。

 水守の一族も、古くはムジカル王家から出た傍流のような存在らしい。エッセンでいう貴族のような者たちといえばわかりやすいだろうか。

 年月が経つにつれて人数も増え、もはや威厳のようなものはなく権力も少ないため、人によってはエネルジコのように気軽に接することが出来た。



 水も汲んだし、着替えてあるし……。

 洗濯よりも先に朝ご飯を食べてしまおうか。先ほど目をつけていた挽肉のクレープがいい。

 少し濃いめの塩味と辛味の効いた挽肉。それに根深という……正直玉葱にしか見えない野菜が刻まれて入っている。甘く柔らかい生地でそれが包まれており、おやつに近い感覚で食べられるものだ。


 容器が少なくて済むのもありがたい。

 洗い物は少ない方がいい。


 そうと決めた僕は一応貴重品だけを持ち、部屋の扉を開ける。

 行き先は先ほど出かけた道だが、一つ家事を終えただけで何となく気分がよくなっていた。



 だが。

「すみませんねえ、カラスさん」

 いい気分もまた翳る。

 屋台村。その一角の小さな机で。

 あんぐりと二つ目のクレープを囓っていた僕に向けて、男性が頭を下げる。禿げた頭を布で隠すように巻いている睫毛も髭もないその男。たしか、どこかの娼館の用心棒をやっているその男は、何度か見たことがあった。

 そして、その男性が連れている少年も。


「何です?」

 クレープを咀嚼しながら僕は尋ねる。正直、その組み合わせにもう用件はだいたいわかったが。

 少年……ランメルトの左頬は赤く腫れ、恐らく痣になる。喧嘩……でもないな。一方的な制裁が加えられたのだろう。それも、多分用心棒に非はない。

 細い紐で軽く括られた両手は力なく垂れ、泣きそうに唇を震わせていた。

「どうも、こいつがカラスさんのお知り合いらしくて」

「……まあ、……」

 知り合いといえば知り合いだ。昨日会ったばかりだし、それで別れたきりだけど。


 クレープと一緒に買った出汁入りの砂糖水のようなスープを啜る。

 少し大味か。こちらはちょっと失敗したかもしれない。


「知ってますけど、昨日砂漠を一緒に歩いただけの薄い縁です」

「やっぱりですかぁ」

 細い目の目尻を下げ、用心棒は苦笑する。

 おおかた、ランメルトが何か騒動を起こし、身元を引き受ける誰かを探しているというところだろう。

 ……普通は叩き出すだけで済ますだろうに、この男も律儀だ。

「何したんですか?」

 ランメルトに微笑みながら問いかけると、ランメルトは肩をふるわせ身を縮める。驚かせたつもりも脅かしたつもりもないのだけれど。


 僕の質問に代わりに答えるよう、用心棒が口を開いた。

「娼婦の一人と知り合いだから会わせろってんです。でも、こんな子供じゃ、ねえ……」

 しみじみと用心棒はランメルトを見る。それだけで殴るとも思えないので、余程しつこくしたか、強行突破でもしようとしたのだろうか。

「しかも、知り合いだっていう娼婦はこの前買った奴隷なんすよ。じゃあ、どこで知り合ったかって聞いても口を開かねえ」

「……はあ……」


 まあ、言えまい。

 会いたい知り合いが少し前に出回った『奴隷』だとするのなら、明らかにその『奴隷』は、ランメルトの故郷での知り合いだ。陥落したはずの故郷。ランメルトのほうの事情は知らないが、仮に脱走奴隷とでもするならバレてしまうわけにはいかないだろう。


「どこのガキだって聞いても答えねえ。じゃ、知ってる奴は、って調べたら昨日うちの若いのが、カラスさんとこいつが一緒に歩いているのを見たってんでね?」

「納得しました」

 スープは先に飲み干してしまおう。唇につけた椀を勢いよく傾けて口の中に流し込む。甘いものと甘いものの取り合わせはよくあるけれど、このスープは甘いクレープ生地と合わないと思う。


「……僕は」

 俯いたままのランメルトが静かに口を開く。

 僕は口の中のクレープを咀嚼しながらそちらに目を向けた。

「僕は……、……その人に会いに、ここまで……きたんです。……お願いです……、会わせてください」

 誰にも向けていないようなその言葉。独り言のようで、用心棒に言っているのか僕に言っているのかもわからない言葉だが、それに応えて用心棒は溜め息をついた。

「どこの誰とも名乗らねえ奴を嬢に会わせるわけにはいかねえよ。客としてくんなら、もうちっとでかくなってからこい」

「…………」

 最後の一欠片を口の中に押し込み、僕はランメルトの様子を窺う。

 会いたい事情とやらもわからないが、家族だろうか?


 まあ、今回理は用心棒にあるだろう。

 素性の知れない子供が娼館の中の娼婦に会いに来た。事情を聞いて納得でもすれば通すかもしれないが、素性を知らない以上、職務として通せない。

 客としてならば通してもいいが、その場合は年齢が低すぎる。


 実際には、この国の娼館は年齢制限はない。

 成人したら、という区切りでもつければいいのにとは思う。だが、様々な人種が入り交じるこの国は生活様式も多種多様で、成人の年齢すら民族によって違うのだ。なのでそれを尊重するという意図があるらしい。


 なので、その基準は門に立つ用心棒に委ねられている。

 成長期を終えていそうなら通すし、まだ色々と未発達ならば通さない。それを、用心棒が主観で決める。主観といっても、彼らの業界独自のある程度共通した基準があるらしいが。



 ムジカルの子供たちにとっては、娼館の門をくぐるのは一種の憧れらしい。

 『大人になった』というのが、娼館の門を通ることが出来たという隠語にすらなるという。

 

 そして、その門をランメルトは通れないのだろう。

 用心棒の基準では、彼はまだ大人ではないのだ。

 僕はといっても、客として通ったことがないからわからないけど。



 噛み砕かれた挽肉が喉を通る。そのあとから追いかけるように、香辛料の匂いが口の中に改めて漂う。

 大満足だ。スープは失敗だったが、こちらは正解だった。


「しかし、面倒だな。じゃ、こいつはどこのガキだってんです?」

 用心棒は顎をさする。砂漠を僕と歩いたということは、砂漠を越えてきたというところまでは察せているだろう。

 だが、奴隷との間に知り合い以上の繋がりがあるかもしれないということは察せていないらしい。この人の良さで、用心棒が務まっているから不思議だ。

 

「さて。本人が言わなければ何とも」

 しかし、どうするか。ここで知らぬ存ぜぬを通せば、ランメルトと僕との関わりはこれで終わると思うけれど。

 

 それよりも、食器を片してしまいたい。

 スープに使った椀だが、水洗いだけでもしておかなければ。


 


 …………。

 ふと、視界の端のランメルトの顔が気になった。

 俯いた顔。憔悴したような顔。腫れた頬の痛みよりも、境遇の方に耐えかねている顔。


 ……放っておいてもいいけど、少しだけ力を貸したほうがいいだろうか。

 この場合は、財力だけれど。


 用心棒に向き直る。出来るだけ軽い口調で。

「まあ、会わせてあげるくらいならいいんじゃないですか? 別に客としてきたわけじゃないし」

「いや、だったら……」

「ね?」

 用心棒の手の中に、そっと銀貨を差し入れる。少し多いが、銅貨だと多分少ないからいいだろう。

 ぎくりと顔を固めた用心棒は手の中をそっと確認し、わずかに目を逸らした。

 

 事情を知らないランメルトは、怪訝そうにその顔を見る。

 ランメルトを無視して、用心棒は瞬きを繰り返す。

「……いや、まあ、そういうことなら仕方ねえかもしんねえですな」

「相手も知り合いらしいですし? ま、僕もついていけばいいですかね」

 不審人物なのは変わりない。入れた責任は僕にもあるとすれば、きっと納得するだろう。

「そうしてくれるとありがてえです」

 そっと銀貨を懐に入れたということは、了承か。用心棒はランメルトの肩に手をかけ、頷いた。


「悪かったな。じゃ、行くべ」

「……食器洗いたいので、待っててもらえますか」

 洗うこと自体はすぐに出来るが、こんな机の並ぶ場所では駄目だろう。

 だが、用心棒は首を横に振った。

「悪いっすけど、俺もあんまり持ち場離れらんないもんで……」

「……じゃ、先に行って……」

 と思ったが無理か。

「とりあえず、後で連れていきますね」

「そうしてくだせえ」


 立ち去る用心棒を見送る。

 そして僕も立ち上がり、ランメルトを見た。未だ俯いている彼を。


「よかったですね」

「…………何を、したんですか……?」

 キュ、と拳を胸の前で握り、ランメルトは僕を睨むように尋ねる。

「ちょっと説得しただけですけど」

 正確には、少し賄賂を渡しただけだけど。賄賂について気付かれていないとはいえ、正直お礼を言われてもいい場面だと思う。

「……やはり、……有名な方、なんですか……?」

「いいえ? 少し顔は広いと思いますけど」

 しかし今回は顔の広さは一切関係ない。


「ですが、……急すぎます……。あの人、僕の話は全然聞いてくれなかったのに……」

「そういうお仕事ですし」

 不審人物の排除に手心を加えるわけにはいかない。衛兵とも違い、彼らは自衛のためでもあるのだから。

 むしろ、僕の下に連れてきただけでもかなり優しい。


「急にいい奴にでもなったんじゃないですか?」

「…………」


 僕の冗談めかした言葉にも応えず、ランメルトは僕が食器を洗い終わるまでじっと待っていた。





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