閑話:暴力装置
定期的に入る小難しい話
ニクスキーの足が止まる。戸惑いと、わずかな警戒をつま先に乗せて。
「やあ、ニクスキー。飛び入りだ、ご一緒させてよ」
ひひひ、と笑いながら、レイトンはニクスキーの前に現れた。傍らに紫の髪の女性を連れて。
「…………」
「彼女はザラ・イストラティ。今きみが追っている奴らの被害者だよ」
ニクスキーは黙ってザラへと視線を向ける。無気力さや空虚さすら帯びているような何の圧力も感じない視線に、ザラは困惑した。
それを無視して、レイトンはザラに向けてニクスキーを示した。
「イストラティ嬢。こちらはぼくの仲間だ。ぼくと同じく『正義の味方』さ」
「……ふざけないで」
またも叩かれたレイトンの軽口に、ザラは苛立ちの声を返す。当のレイトンは、それを聞いても苦笑と大げさな動作で受け流したが。
「俺が追っている、とは……」
何故それを知っているのか。レイトンが裏切るとはニクスキーも考えていない。だが、それでも警戒は必要だと、ニクスキーは先ほど殺した工作員の顔を思い出してとぼけた。
彼も、何度か顔をあわせた男だったはずなのに。
「肩口に大酔蚊の羽が付いているよ」
「…………」
その言葉にニクスキーは改めて自らの肩口を見る。そこに付着していた虫の羽は、さきほど手紙を調べさせた虫のものだ。
溜め息をついて、爪の先よりも小さく、色もないその羽を払い落とした。
「……彼女を連れていくべきではない」
「そうかもしれないね。でも、そうでもないかもしれない。ちょっとやってもらいたいことがあるんだ」
レイトンは笑う。そうだ、連れていくべきではないだろうとも思いながら。
これから行うのは、間違いなく荒事であり、そして殺戮だ。けして、真っ当に生きている彼女を関わらせていいものではないだろう。
しかしレイトンは、関わらせてみてもいいと思った。
単なる気まぐれではある。だが、何より先ほどのザラの様子に、『その先』を見てみたいと思った。
「ま、邪魔をさせる気はないよ。何があってもぼくがどうにかするさ。気にせずお前は、グスタフの指示に従えよ」
「…………」
返事をせず、ニクスキーは歩き出す。ザラの横を抜けつつ。
その仕草に了承を感じ取ったレイトンは、ザラを促してその横を歩き始めた。
「貴方たちは何を、何をする気なの?」
戸惑いと恐れを乗せた質問。それが一歩下がったザラから発せられる。
尾行の擬態としてプラプラと周囲を見回していたレイトンは、体を反らしてザラを見た。その言葉を面白がって。
「何をすると思う?」
「聞いているのはこっち」
その態度に、ザラはまた腹が立った。自らを正義の味方と名乗るこの男は、どこが正義の味方なのか。態度からはどう見てもそうは見えない。
歩きながら、ザラも一瞬考え、そして気付いた。
そうだ。
そもそも、何故自分は目の前の怪しい男たちについていこうとしているのだろう。ただ、衛兵が聞いてくれなかった話を聞いてくれたというだけで。
そこまで考えたザラの体が一瞬固まる。
そうだ。彼らは一体どういう存在なのだろう。
そうだ。彼らはどう見ても衛兵ではなく、そして目の前の金髪の男は『探索者』の居場所を知っていたかのような素振りまで見せた。
彼らが『探索者』の仲間でないと誰が言ったのだろう。彼らが、妹を死に追いやった者たちの仲間でないとどうして言えよう。
どうしよう。衛兵に、一言相談を……。
そこまで考えて、ザラは頭を振る。
衛兵に相談したところでどうなるというのだろう。目の前の二人は、未だに自分に何もしていない。仮に彼らが自分を陥れようとしていたとしても、今衛兵の詰め所に駆け込んだところで何もならない。また、追い返されるだけだ。
衛兵は、信用できない。目の前の男たちよりもなお。
「その『探索者』……、名前は多分ラッズっていうんだけど、そいつを衛兵に捕縛させる。簡単でしょ?」
レイトンの言葉に、顔を見ずニクスキーは溜め息をつく。自分がここまでしてきた調査を全て無駄にされた気がして。
もちろん、ニクスキーの調査も無駄ではなかった。
石ころ屋の首魁グスタフの、懐刀であるニクスキー。彼が動いたからこそ、反乱分子も反応し、存在を確認することができたのだ。
それに、レイトンとしても調査をしている。ヴィネが死んだ原因の調査をニクスキーがしていれば、同じようにここに辿り着いただろう。
「捕縛って。そんなこと」
出来るはずがない。ザラはそう思った。
それが出来るのであれば、ザラは衛兵の詰め所で喧嘩をすることもなかった。それに彼らがその男を犯人として糾弾しようとも、あの頭の固い衛兵たちは信じないだろう。
その内心をレイトンは読み取る。レイトンも大筋は同意する。だが、そうであってはならないとも信じている。
「させるよ。それは、正義たる彼らがしなければいけないことだからね」
一瞬混じったレイトンの冷たい空気に、ザラは無意識に息をのむ。しかし、すぐに消え去ったそれを気のせいだと胸の奥に沈め、そしてその言葉に応えようと口を開いた。
喉元を押さえる。服を握りしめ、声が震えるのが自分でもわかった。
「あいつらは、正義なんかじゃない」
正義。正しく、人として歩むべき道を歩く者。
奴らがそんな存在であって堪るものか。
妹の死を、軽く見るのが正しいはずがない。ただの娼婦の死だからと、手を抜くのが正しいはずがない。
ザラはレイトンの言葉に、静かに激怒した。
「……この国では、奴らは正義なのだ。間違いなく」
レイトンは笑みを貼り付けたまま、わずかに驚く。ニクスキーが、協力者でも仲間でもない相手に口を開く。珍しいことだと、そう思った。
「そんなこと、あるわけない」
ザラの反駁に、視線を前に向けたまま、ニクスキーは続けた。
「およそ千年前、勇者と魔王の闘争の時代。人々の社会は乱れていた」
「…………」
ザラは黙る。勇者による魔王の討伐。それは英雄譚として語り継がれている事実だ。だがその事実がこの件に何の関係があるのか理解できずにいた。
「だが、皆団結もしていた。魔王という全ての人々共通の敵と戦う中で、仲の悪かったはずの隣国と手を取り合うこともよくあったという」
「それが、……」
それが何だというのだ。ザラはそう叫ぼうとし、振り返ったニクスキーの力のない目を見てその気が失せた。その光のない目に、反論してはいけないと思った。
「そして、魔王は死んだ。勇者によって、配下の聖獣共々首を刎ねられ」
ぱーん、とレイトンは効果音を口にする。おどけた仕草を笑う者はいないが。
ただの事実文だ。しかし、ニクスキーの口から出た『死』という単語に、何故だかザラの首元が粟立った。
またニクスキーは前を見る。さきほどよりもやや早足で。
「そして魔王が死んだ後、世界は更なる混迷を極めることになる。国同士の戦争が始まり」
「そんな中立ち上がった人間の一人が、当時この国の王位に就いていたグレゴワール・エッセン。……ニクスキー、たまに話すと話が長いなぁ」
ケラケラと笑うレイトンに、ニクスキーは反論しない。分不相応だと自らも考えていた。
だが、ニクスキーも楽は出来ない。レイトンが笑顔だけで続きを促す。ニクスキーが長話をするという珍しいこの事態を、少しでも長く楽しもうと。
「……その男は、当時まだ小国だったエッセンを治めるために、厳格で明確な法を定めた。『理性こそが人の人』という言葉とともに」
今度は意図ではなく意味がわからず、ザラの頭上に疑問符が飛び始める。それを感じ取ったレイトンは、もう少し複雑化しようと説明を重ねた。
「大意としては、『人は、理性があるから人である。そして、理性ある者は法に従うべき』かな。当時はまだ明文化された法律とかも少なかったみたいだね。ごく少数の統治者のみに伝えられ、容易にねじ曲げられる法律か、みんなの中で口伝で語り継がれていた曖昧な法律というものが多かったみたいだ。もしくは、何の法もないまさしく無法者の集団か」
無法者でも、厄介なものでもあったとレイトンは推測する。当時から神器はあった。故に、その無法者の集団はそれでも国家で、そして無鉄砲に神器という大きな力を振るう存在でもあったのだから。
レイトンの悪意を責めずに、ニクスキーは一拍おく。レイトンの話が一段落したのを確認するために。
「そして、そこで規定されたのが国家による暴力の独占だ。国家や領地に所属する騎士や衛兵、その他の少数の役職に就いている者以外が余人を傷つけることを厳格に禁じた」
「ひひ、やっぱり長いよ」
この言葉から話し始めてもいいとレイトンは思う。もっとも、そうすると更に唐突な話題の変換になってしまうかもしれないが。
「ま、簡単に言えば衛兵や騎士しかこの国では人を傷つけちゃいけないってことだね。傷つけるというのは、縛り上げたり、閉じ込めることも含めてだけど」
「……そんな話、そんな話は聞いたことない。第一、探索者だって傭兵だっているじゃない」
工房の注文に使う符丁や、簡単な文字しか読めないザラは法律の発布を読むことは少ない。そして、その発布された法律を調べてみるという発想がなかった。
もっともそれはこの国の庶民の共通点のようなもので、だからこそ一番街の掲示板に書かれた法を伝える読売のような者も存在できるのであるが。
「傭兵に関しては、彼らは誰かに雇われて生活しているというのが強いかな。権力者に雇われれば、すなわち臨時の騎士扱いさ」
正しくは領地を統べる貴族または王族に雇われなければ合法とはいえない。どのような資産家であっても、彼らを使うのは違法行為だ。それも衛兵たちに咎められることは少ないが。
「そして、探索者に関してはグレゴワール王の明確な失敗さ。彼は、暴力の真の独占に失敗した。当時はまだ魔物も多かったから、彼らに頼るほか術がなかったというのは擁護になるかな」
そしてバレてしまえば処罰されるとはいえ、人相手の傷害を日常茶飯事としている探索者がいるからこそ、傭兵も曖昧な法の適用で逃れられてしまう。
悪循環だ。それを断ち切れなかったエッセン王国は、常にその病魔を内に抱えているといってもいい。
「複数の国や地域に跨がり活動する巨大な暴力組織。探索ギルドも、それなりに厄介なやつらだよね」
その力も利用している自分たちが言えたことではないが。
そうニクスキーもレイトンも、内心口を揃えた。
「お隣のムジカルでは、逆に兵の力が強くて探索ギルドの力も削がれている。魔物への対応も騎爬兵が主らしい。その点、やっぱり失敗してるよねぇ……」
各国の各街に支部を置く探索ギルド。探索者という構成員を持ち、探索で得た神器を保有し、そして組織の長がいる。
そんな組織が各国に入り込んでいる。そんな状況に危機感を覚えないほどエッセン国王も無能ではないと願う。そうレイトンは祈った。
「そして、そう、衛兵や騎士が人を傷つけることを許されているのは何故だと思う?」
「……王様が決めたから」
「では、なんで王様はそう決めたのかな?」
意地悪く、レイトンはザラの顔を覗き込む。楽しそうではあるが、現在尾行中ということを忘れないでほしいと、ニクスキーは思った。
「王族や貴族以外を、力で押さえつけるため」
「……ま、いいや。だいたい正解だね」
ふいとレイトンはまた視線を前に戻す。一応ラッズの行方を確認して、誤魔化すように道端の野良犬に手を振った。
「きみが言ったのは、その目的に関しての正解だ。剣を持った権力者に、裸で逆らえる庶民は少ないからね。でも、さっきの建前に照らし合わせると、少し違う」
「…………?」
「人同士の騒乱を防ぐためさ。人を傷つけてはいけないという法はある。でも、自衛や不可抗力なんかで、傷つけないといけないときがあることもわかる。でも、その判断をするのもやっぱり法だ。『この場合は怪我をさせてもいい』なんて、勝手に庶民が判断しないように、まずは全てを禁じたのさ」
レイトンは足下の石ころを蹴る。
全て禁じられている。なのにそれが行われ、許されたからこそ、この街には巨凶が生まれた。
それがきちんと運用されていれば、この街は平和な街だったかもしれないのに。
「そんな合理的な面もあり、建前もあり、そしてきみが言った目的もある。それらを成すために必要な要素。それが、彼らが掲げる『正義』だ」
ザラには完全に理解することが出来ない。
予備知識もなく、そしてこんな話が突然始まるとは思っていなかったために心の準備も出来ていない。
だが、なんとなくわかってきた気がした。目の前の男たち二人が言おうとしていることを。
「彼らはこの国の秩序をなす根幹だ。衛兵は犯罪や災害に対応し内患を排し、騎士は魔物や人などの外患を阻む。この国にとって、彼らは正しく、治安を維持する務めがある」
「故に、奴らは正義なのだ。正義でなければいけないはずだ」
レイトンの言葉を継ぎ、ニクスキーは話をまとめる。ようやく終わったと、内心安堵しながら。
まるで駄々っ子のようだ、とザラは思った。
以前親が言った口約束を守らせようとする幼子。
それに、現実はまるで違う。当たり前のように。だからこそ、今ザラはここにいるのだ。
「でも、だったら、衛兵は私の話を聞いてくれたはず。妹が死ぬようにはならなかったはず。あいつらに正義があるわけない」
ザラの声に涙が混じる。実際に流してはいないが。
「そうだね。きみの訴え通り捜索してくれていれば、少なくとも妹君は多少薬物に酔っていた程度で済んだはずだ」
ニクスキーの足が止まる。レイトンも足を止めて、それに気付いたザラは無意識に俯いていた顔を上げた。
「だから今、あいつらに正義はない」
横手には、赤い石が積まれた人の目を遮る高い塀。それがすこし続き、次の区画に行く前に途切れて門がある。
遠目に、通用門のようなところに入っていく男の姿が見えた。
「だったら、正義はどこにあるんだろうね?」
レイトンが振り返る。そのわずかに下がった瞼に、ザラはレイトンの悪意を垣間見た。
ニクスキーは、立ち止まった二人を無視して歩き出す。レイトンにさせたいことの半分を理解して。
ザラもそれに続こうとしたが、レイトンはそれを押しとどめた。
「これから少し荒っぽいことが起きるから、きみはこの家に衛兵を呼んできてほしい」
「でも……」
ザラは反駁しようとする。同じではないか。またどうせ、衛兵は話も信じずここにはこない。ザラは、そう感じていた。
レイトンもそう思う。だが、一応呼べる根拠もある。
「ここは一番街に近い二番街。資産家も多いから、『中から悲鳴が聞こえてきていた』と聞けば、奴らは飛んでくるはずさ」
「…………」
ザラは一瞬迷う。だが、そのレイトンの言葉に少しだけ腹が立った。レイトンに対してではない。衛兵の態度に対して。
「じゃ、頼んだよ。きみがこの家に入ってきたときには、『探索者』は捕縛できるようにしておくさ」
そしてレイトンはニクスキーを追う。ザラに対するわずかな微笑みを残して。
視線の先で、ニクスキーが門扉を蹴破るまで、ザラはその場を動けなかった。




