騒がしい森
何故撃たないのか。
それが問題だ。
妙な話だ。
デンアが強弓を放てば、こんな問答をすることもなく、僕が認識するまでもなく僕の命は無くなるのだ。
闘気を込めた攻撃も必要ないと思っている? ただの速射で充分だと?
いや、以前の時も、たった今も、闘気の籠っていない矢は全て防いでいるのだ。それくらいの力はあると思われているだろう。
使わない、もしくは使えない。
どちらにせよ、僕にとってはありがたい。
だが、その理由がわからないのが問題なのだ。
その理由がなくなったら、即座に僕は死ぬかもしれない。
無意識に体が後退っていく。
竜の首が、視界に入った。
白い首にちらりと見える傷。
この事態を引き起こしたその傷を見て、思わず舌打ちが漏れた。
暴走の原因になった傷。それを、デンアは僕がつけたと……
そう、デンアはこの傷を僕がつけたと疑っているのだ。
そうだ。
ならば、この内傷それ自体が、デンアからの追及に対する反論材料になる。
デンアの方をもう一度見る。
弓は握られている。しかし、ニヤニヤと笑うその顔に、戦意は見えなかった。
ようやく、デンアが絡んできた意味がわかった。
撃てなかったのではない。撃たなかったのだ。
内傷を見て、さらに僕の魔法を見た。それで充分だった。
デンアはもう気付いている。
もう戦闘行動は必要ない。
けれど、デンアが引く気配は無い。
必要ないだろうが、もう一度、僕の身の証を立てるとしよう。
体の周囲に、大小様々の火球を大量に浮かべた。
「避けれれば、どうぞ」
そして、一斉にデンアに撃ち込む。
一般人ならば、焼けた肉片になる威力だ。
しかし、デンアがこの程度で傷を負うとは思えない。変な感じだが、そういう信頼はある。
「必要ないです」
迫る火球に身じろぎもせず、涼しい顔でデンアは立つ。
そして、その弓が霞んだかと思うと、次の瞬間火球は全て弾けて消える。
弾けた飛沫が火の粉になって舞う。
煙幕のように撒かれた火の粉が晴れ、デンアの立ち姿が見えた。
ニッと、邪気の無い顔でデンアは笑う。
それを受けて、僕も笑顔を作った。
「必要ないのは、回避行動ですか?」
「やはり聡い子ですねぇ。どっちもですよ」
そう、どちらも必要が無い。
回避行動も、僕がわざと防がせた魔法も、もう必要が無かった。
つまり、疑いは既に晴れていたのだ。
竜の内傷は、強い闘気によって起こされたもの。そして、僕は魔法使い。
通常は、魔法使いは闘気を使えない。
僕が風の障壁を作った時点で、もうデンアから敵意は消えていたのだ。
デンアは弓の弦を外した。
「キミの疑いは晴れました。まだキミが誰かを使ってこの事態を引き起こしたという可能性もありますが……」
デンアは地面に目を向ける。
そこには焼け焦げた地面が広がっている。
「これくらい出来るなら、自分でやった方が早いですね」
納得したように、デンアは微笑み僕を見る。
この程度の火力で何とか出来るとは思えないが、納得してくれるならばあえて否定はしまい。
圧力が無くなる。途中でもう去っていたようだが、命の危機が無くなり体の力が抜けた。
軽口を返す余裕も出てくる。
「ネルグの近くなんて、怖くて行けませんけどね」
「俺も行けませんよー」
どの口が言うのか。
「じゃあ、無罪放免ってことでいいですよね?」
「まあ、そうなりますけど……」
デンアは笑い顔のまま、唇に指を当てて思案する。
「でもね」
言葉を切り、こちらを見た。
次の瞬間、鈍い音がして僕の横にある木が倒れた。
「晴れたのは今回の疑いだけです。キミが得体の知れない子だって事は変わりが無いのでー……」
デンアの弓が、木を薙ぎ倒したのだ。
「村に敵対はしないように」
僕は素直に頷いた。それを見て、デンアは楽しそうに笑う。
「まあ、姿を見せてこの村に来た以上、キミは今客人です。時間の許す限りゆっくりしていって下さいねー」
そう言うと、クルリと背を向け村の中に歩いて行った。
助かった……。
魔法使いは闘気を使えないという常識に今回は助けられた。
隣で倒れている木を見て、また肝が冷える。
逃げ出すために、闘気を使っていたらアウトだったのだ。
その場合、恐らく力ずくで排除されていただろう。
魔法を使う習慣があって助かった……。
何はともあれ、これで情報が得られた。
山徹しが使われたのは、火竜に対して。そして火竜は、何者かに釣り出されて村まで来ていた。
火竜の目的地はわからない。
しかし、ネルグからこの村を結ぶ直線、その延長線上にイラインがあるのだ。無関係とは言いがたい。
その辺の情報の精査は、また今度グスタフさんに聞くとしよう。
まずは、レシッドと合流して、帰らなければ。
「村民に聞いて回ったけど、誰一人何も知らねえってさ」
レシッドは広場で待っていた。歩き回って疲れたのだろう。端の木陰で木により掛かって座っていた。
「こっちは竜の死体を見てきたんですが、一つ収穫がありました」
そう告げると、レシッドは興味深そうに感心して続きを促す。
「デンアさんからも聞いたんですけど……」
説明を終えると、レシッドはまた面倒くさそうに髪の毛を掻いて目を瞑った。
「意図的に釣り出された……かぁ」
「そうらしいです」
んー、っと力強くレシッドは唸る。
そして少しすると、勢いよく跳ね起きた。
「背景や犯人はわからんが、これで原因がわかった」
「ええ」
「帰るぞ。文句はねえな」
「はい。ありがとうございました」
これで帰れば、今回の任務は終了だ。
村を出て、走り出す。
なるほど。聞いてから見てみれば、確かに前と比べると騒がしい森だ。
動物たちの鳴き声はいつもより多く、鳥たちの羽音もいつもより騒々しい。
「竜が出ただけで、森ってこんなに変わるんですね」
あの巨竜を見た上で、『竜が出ただけ』と口から零れた。
軽い事態に思えるのは、きっとデンアのせいだろう。
「そうか? 俺はいつもの森とやらを知らんからよくわかんねえ」
レシッドの活動範囲は、どうも都市部に限られているらしい。
それもそうか。
本人が言っていた「汚れ仕事」とやらは、人間がいないと発生しないのだから。
走り出してすぐに、違和感を覚える。
いつもの森と違う。
いや、さっきからいつもの森と違うことはわかっている。
遠くから、悲痛な声が聞こえた気がした。
「レシッドさん、向こうから何か聞こえませんでしたか?」
「? 何のことだ?」
レシッドには聞こえていない。
僕の気のせいか。
よく考えれば、野生動物が野生動物に狩られる際に発する悲痛な声は、必ず何処かでしているのだ。
今の声は気のせいか、気のせいで無くてもいつものことだろう。
そう思っても、違和感は消えない。
そう、森がいつもと違うのだ。
竜が消え、荒れていたという主だった動物たちが狩られたあとでさえ、まだいつもと違う。
確かに、すぐには鎮まらないだろう。
しかし、気になる。
また悲鳴が聞こえた。
今度は、絶対に気のせいではない。
「やっぱり何か聞こえます」
「お、おお」
おかしい。
おそらく、先程とほとんど同じところで動物が死んだ。
大量に何かを殺す生き物が、そこにいる。
「あん?」
レシッドも何か気付く。
「何か来るぞ!」
僕も視線の先を追う。
「うわっ!」
視線の先から鼠たちの群れが、僕らの足下を抜けていった。
「……なんかやべえな」
レシッドもここに来て異変に気付いた。
僕は頷く。
「ちょっと偵察してみてもいいですか」
不測の事態だ。このまま僕らも逃げても良いものか、それとも隠れるべきか。それすら判別が付かない。
「俺も行く」
「お願いします」
二人で頷き合うと、ネズミが来た方向を揃って見る。
山徹しが飛んできてから、おかしな事ばかりだ。
僕は小さく溜め息を吐いた。




