疑惑の傷
聞き込みの成果は、やはり芳しくなかった。
デンアが嘘をつく必要はたぶん無いし、前線に出るデンアに情報が行かないとも思えない。
おそらく、「原因はわからないけど、動物たちが暴れ出して竜が出てきた」というのが村人達の共有認識なんだろう。
村人は知らない。
ならば、村内を探しても仕方が無い。
森の調査に出れば、何かわかるだろうか。
暴走する原因が森の中の何かだったのならば、痕跡は残っているはずだ。
しかしそれも難しいか。
竜は、ネルグの麓から来たのだ。
ならばその原因は、ネルグの麓にあるのだろう。流石にそこまで行く気はないし、まだ行ける気がしない。
竜の方を調べればわかるだろうか。
どんな原因かすらわからないが、体に何かおかしな部分があれば、そこから推測出来るかもしれない。
とりあえずまず、竜の麓まで来た。
それにしても大きな竜だ。
見上げるほどの巨体で、閉じられた瞼から察しても、眼球は二メートルを越しているだろう。体長は五十メートル以上あるのではないか。
地に伏していても、その大きさは見事なものだった。
そして、その竜を倒してのけた、デンアの技量も相当なものだろう。
さすがにデンアも一撃で、というわけではないようで、いくつも創傷が見られた。中には、折れた矢がまだ突き刺さっているような場所もある。
だがいずれも、この巨体からしたら髪の毛のような細さだ。これで致命傷を与えることは出来ないであろうことは予想出来た。
最大の傷は、やはり山徹しだ。
左胸の辺りを中心に、肉が抉られている。心臓を狙ったのだろうか。しかし心臓だけならまだしも、胴体を大きく抉り、吹き飛ばしているのだ。心臓に当たらずとも致命傷となるだろう。
竜の検分をしていて、奇妙なものがあった。
その白い首に、傷がついているのだ。
傷自体は他にもある。デンアに射かけられた矢傷が大量についている。
しかし、これは違う。
これは刃物によって付けられた、切り傷だ。浅く、だがスッパリと鋭く切り裂かれている。
間近で手を触れ、見てみても、それが矢によって付けられたものだとは思えなかった。
シウムか誰かも一緒に戦ったのだろうか。もしくはデンアが刃物を使ったか。
いや、であるならば切り傷はこれ以外にも付いているはずだ。
「その内傷、元から付いていたんですよねぇ」
突然、後ろから声がかかる。
驚いて肩が大きく震えた。気配が、感じられなかった。
動揺を見せないように振り返る。
そして、声をかけてきたデンアに応えた。
「あ、デンアさん。用事は終わったんですか?」
「ええ。あとは細々としたものが残っているだけです」
ニッコリと笑い、デンアが近付いてくる。足音一つしない。歩いているのに動作音がしないのは、酷く不自然に見えた。
「で、内傷ってなんでしょう?」
「あー、知りませんでしたかー」
僕との間、あと数歩のところでデンアはピタリと止まる。そして、頬を掻きながら解説してくれた。
「魔力を帯びている奴、この場合は竜ですけど-、そういった奴に強い闘気を使って傷を与えると、傷の治りが遅くなるんですよー。それを、内傷っていいます」
「この首の傷は、古傷って事ですか」
「そうでっす。でもあんまり汚れてもいなかったし、本当にここ数日の傷じゃないかなぁ」
「え、じゃあ、暴れ出したとき辺りの……」
暴れ出したとき、つまりネルグの麓にいたときに付けられた傷。
争いで付けられた……闘気を使って?
「そう、これが暴れ出した原因! かもしれませんねー」
当たり! とでも言うように、元気にデンアが答える。
「それでぇ、それ多分人間が付けた傷なんですよね」
「つまり、それって」
「誰かが意図的に、この竜を暴走させたんですよ」
デンアが真顔になる。
まずい、この雰囲気はまずい。
いつの間にか、デンアの左手には短弓が握られていた。
「何か知ってます? 妖精さん」
血の気が引いた。バレてる。
やばい。これは臨戦態勢だ。
「すいませんが、僕さっきここに来たばかりなんですよね。僕が教えてほしいくらいです」
少しずつ後ずさる。魔力を展開しすぐに逃げ出せるように準備を整えた。いつでも姿を眩ますことが出来る。
話せばわかる、と言いたいところだが、以前僕は逃げ出した前科があるのだ。信用してくれるだろうか。
「妖精ってどういうことです? 僕は人間の子供ですよ」
「キミが森から姿を消して、約一年。今再び現れたのは、竜が暴れた事件の直後。怪しいのは自覚してますよね」
……答えられない。どんな言葉も白々しくなる。
戦う? 無理だ。前ならそれも考えただろうが、デンアが伝説の探索者だということを知ってしまった今では、そんな気も起こらない。
大声で注意を引いて、誰かを呼ぶ? 「こんな子供相手に……」と利用出来れば。
いや、村人達はこんな得体の知れない子供よりも、デンアの言葉を信じるだろう。疑う人が増えて、さらに事態が悪化するだけだ。
話すのも駄目、戦うのも駄目、逃げるのも恐らく無理だろう。
手詰まりか。
「一応聞きたいんですが、逃げてもいいですかね」
もはや諦めに近い。自棄になっている質問。仕方が無い。勝てるヴィジョンが浮かばないのだから。
「いいと思いますぅ?」
「ですよね」
まあ、無理だろう。
抵抗は無駄だ。
けれど、無抵抗で終わりたくは無い。
デンアは未だに弓を構えない。それでも弦は外されていない、デンアなら、ノータイムで撃てるだろう。
しかし、考える余裕はある。
厄介なのは、あの速射に闘気の込められた強弓、そして山徹し。それだけだ。
そう、たったそれだけで僕を圧倒出来る。
抵抗が無意味すぎて、笑いが込み上げてきた。
それでも、一つずつ潰していく。
風で障壁を作れば、それで闘気の込められていない矢は防げる。
デンアの顔色を窺いながら、見えないように障壁を張る。デンアの指の動きまでが怖い。
そして、強弓と山徹しは……防げるわけがない。
山徹しなど、撃たれてしまえば僕が消し飛んでもおかしくないのだ。
必死に考える。僕がここから生きて帰れる方法を。
……そうだ。僕が消し飛んでもおかしくはない。
ネルグまで飛んでしまえば、また魔物の暴走を招く程の威力なのだ。
僕は少しずつ横にずれる。竜から離れ、森を背後にして止まった。
デンアはそれをみて、小さく「へえ」と呟いた。
「賢いっすね。魔法使いは早熟だっていうけれど、キミは異常だなぁ」
「ありがとうございます」
お礼の言葉に心は籠もらない。それよりも、いつその矢で貫かれるか気が気でない。
「別に、山徹しなんて撃たなくても狩れますけど」
デンアの腕が一瞬ぶれて見える。
そう思った瞬間、障壁に二十本以上の矢が当たった。
カカカカカカカカカッ
「……っ!」
息が止まる。
どれも闘気は込められていないようで、全て弾かれて地面に落ちる。
それでも、撃つ動作すらわからなかった。これで強弓を放たれたら、死ぬ。
「やっぱり魔法使いですか」
何かに納得したように、口元だけデンアは笑う。
「知っているはずですよね」
それで、僕を狙ってきたのだから。
対峙してから少し時間が経った。
そのことに、軽く違和感を覚える。
僕がまだ生きているのだ。
勿論、それ自体は喜ばしいことだ。しかし、それが違和感の元だ。
デンアが本気になれば、いや、本気など出さずとも僕を狩れるはずなのだ。
闘気を込めた強弓を、僕は防ぐ術をもたない。
しかし、撃ったのは先程の速射のみ。
山徹しと違い、強弓は撃っても問題は無いにもかかわらず。
何故か、撃たない。
考えるんだ。
きっとそれが、僕の生き残るためのとっかかりなのだ。




