羽と足
僕は少し俯き鼻で笑う。
「……決まっているじゃないですか」
詳細は聞いていない。もともと僕の意思ではない。
だが、仮に選択肢がそのどちらかしかないというのであれば。
戻るか進むか、その二つしかないのであれば。
僕は背嚢を下ろし口を開く。未だ、プリシラの手紙は捨てられずにあった。
「僕の名前の意味はご存じですね」
「口に出したくはないがな!」
表情からわかる。その言葉は真実だろう。だが昨日のような忌避感はなかった。態度はかなり緩和したらしい。もちろん、本物に対しては別だろうが。
「烏は鳥です。そして多くの鳥は……」
そこまで言って、ちらりとエネルジコの顔を見る。髭がぴくりと動いたが、まだ続きを聞く気はあるらしい。
「……体の構造のせいで、多くの鳥は後ろ向きには飛べません。後ろ向きに飛べるのはごく少数です」
たしか前世では一つの属しかなかった気がする。後ろ向きに飛ぶことが出来るのは、ホバリングできるハチドリの仲間だけだった。
この世界では、きっとまだ他にもいると思うが。そう、知っている鳥にも。
「そのうち……たとえば、欽原というやつがいます。尾に猛毒を持つ魔物」
「根絶せねば」
即答か。
鼻息荒く応えたエネルジコに僕は改めて噴き出し、机を撫でた。
「数は減っていると思いますよ。昔、大規模な群れの討伐がありましたから」
懐かしい。クラリセンで大量に殺した。
まあ広大なネルグだ。もう群れの数は戻っているとも思うし、そもそも殺したのも全体のごく一部だろう。根絶は難しいが、多くが死んだとなればひとまずはエネルジコも矛を収めてくれると思う。
そして思った通り、エネルジコは僕の方便に頬を緩めた。
「それはなにより。翼もあるし、毒もあるとなれば生半可な脅威ではあるまい」
「ええ。一般人には」
僕は笑って返す。
脅威なのは戦う術を持たない者たちにとっての話だ。オトフシならば大群が相手でも全く問題にならないし、僕も今ならば刺されても多分平気だ。急所でなければそこで抑えられるだろう。
きっと相手も出来る。だが、言いたいのはそういうことではない。
「……僕が知っている後ろ向きに飛べる鳥は、ある特徴があるんです」
「ほう?」
エネルジコが細い片眉を上げる。少しだけ身を乗り出したのは、その特徴に興味を持ったからだろう。当然、鳥は彼の目標なのだから。
ハチドリ自体は彼の目標ではないだろうけれど。
「彼らは、体を軽くするために足が未発達なんです。立つことは出来ても、碌に歩くことは出来ない」
「ハハ、翼があれば足などはいらぬと。奴らも殊勝なことだな」
……笑うエネルジコに、僕は何故か少しだけ安堵した。
いや、何故かではない。
そう、この意味がわかるのは僕だけなのだ。僕だけが知っていればいい理由。
ふと一つ、僕の納得できないものを思いだした。
そうだ。この気持ちは、僕だけが知っていればいい。僕以外があえて知ろうとするのは少しだけ許せない。
いいや、それも少し違う。
知る気もないのに、知ったフリをするのが許せないのだ。
「僕はエネルジコさんとは違い、翼よりも足の方が好きです。だから、行くのか戻るのか、二つ選択肢をいただきましたが答えは決まっています」
「……行くのか、少年」
「ええ。ムジカルの王都ですか、行きましょう。烏は後ろ向きには飛べないんですよ」
戻ること自体はいい。イラインへ帰るのを拒むわけでもない。時には振り返ることも重要だ。
だが解決したい問題があって、まだ知らぬ方に解決策があるのであれば、そちらを選ぼう。
未だに後ろを振り返りながら歩いてしまうけれど。
「ですので、詳細を教えてください。僕は申し訳ありませんがこの文字読めないので」
「結構綺麗に書いたつもりなんだがな!」
「ええ。でしょうけれど、この国の文字は」
軽く開き、ちらりと中を見る。使われている字はほとんど同じだが、いくらか見たことのない文字がある。無理矢理読めないこともないけれど意味がとりづらい。
「やはり、エッセンとは違うので」
「それは失礼した。流暢に喋っているのでな」
比較対象がないが、言葉も文字もそれなりに覚えが速いと自負出来るのは特技になるだろうか。またムジカルの文字も今からまた覚えなければ。
それから、とりあえずの説明は聞いた。
王都にいるエネルジコの知り合い。好事家と聞いたが、エネルジコ以上はあまりあるまい。
少々気難しい彼を訪ねて手紙を見せれば、色々と便宜を図ってくれるらしい。
「そういえば、少年。先ほどの話だが」
「先ほど?」
話も終わり、席を立った僕にエネルジコが問いかけてきた。髭を忙しなく弾きながら。
「後ろ向きに飛べない鳥には、発達した足があるのだな?」
「…………? ええ。そうですが」
少し語弊がある気もするけれど、概ね間違ってはいない。正確に言えば、『歩ける足がある』だと思う。
「ふむ」
エネルジコは指で木鳥の設計図を撫でる。木製の板バネを仕込んだ底部の辺りを執拗に。
……いや、違う。これは線の形を決めているのだ。何度も繰り返し、それでも納得できないようでエネルジコは首を傾げた。
「足、足か……」
「まさか、足をつけようと?」
鳥を目指すといっても程度があるだろう。というか、エネルジコの作る木鳥は地面を歩くまいに。
「いや、足ではない。足ではないのだが……」
指で描いている形は、フラミンゴやダチョウなどの細長い足をつけようとしているように思えるのだが。
しかしその描く場所はどんどん変わっていき、木鳥胴体に垂直に描かれたそれが、やがて木鳥の操縦部がある胴体に沿う形になっていく。それからも進んでいき、ついには中に格納を……。
「飛行中の重心も考えて、横に操作棒でもつけるべきか? いや、なあ……」
ぶつぶつと呟くエネルジコの言葉に、なんとなくわかった気がする。
これは、正確には足ではない。
「……飛べる場所が限定されますけど?」
「……おお、少年も気がついたか、そうだ、足、足なのだ!!」
僕が突っ込みを入れると、その先を察したように意味が繋がらない言葉を吐く。だが、大体言いたいことはわかった。
「……今以上に精密に動作させなければ……、いや、そうか、そうだ、まず、左右に曲がるための機構をつけなければいけない。それと、上昇と下降か。これは翼の角度を飛行中に調整するとして、今までの模型からすると……」
火がついたようにエネルジコが独り言を発し出す。こういうところはリコに似ている気がする。……今思いついたが、彼と組めば翼ももっと軽量化できる気がするが。
それは言うまい。
「少年!!」
ガバッと顔を上げたエネルジコが机越しに僕に顔を近づける。力強い笑みで。
「いや、勇者の言葉に『情けは人のためならず』とあったというが、本当だな!! いや、少年、君のおかげで着陸が何とか出来るかもしれん!!!」
大興奮だ。なるほど、『鳥の足』をそう解釈したか。
「留め具を手元で操作し、底部から鉤を出す。上手く掴めるようにするために、場所も……」
作ろうとしているのは着艦フック。艦上機でもあるまいに。
もはやこちらを見てもおらず、勢いよく葦ペンが走る。何度も迷い線や×を重ね、機構を決めていく。
「縄か何かを掴めば……、……空気を掴む……のは難しいが……、いや、形を変えて密度のある布を膨らませて……?」
「……僕はおいとましてもよろしいですか」
「ああ、少年、世話になった!! スケルザレのやつによろしくな!!」
どうやら僕の言葉が引き金になり、着想が浮かんだらしい。
……レヴィンと同じことをしてしまった気がして嫌になり、思わず唇を噛みしめる。鉄の味が口の中に広がる。
「乗員の安全を考えておくのもいいか。いや、しかしやはりまずは速度と運転効率の向上を考えて、まずは搭載を……」
だが、楽しそうなエネルジコの顔にそれもどうでもよくなった。
溜め息をついて口の傷を治す。体の力が少し抜けた気がする。
「また来ます」
扉をくぐり、振り返ってそう口にしてもエネルジコは応えない。
本当に、夢中になれることがあるのはきっといいことなのだろう。きっとそうだ。
エネルジコの家を出て、僕は振り返る。
間近で見れば、高い塔のようだ。まるで空まで届きそうなほどの。
きっと彼なら届くのだろう。いつかは。
だがその前に。
僕は空を見上げ、その中にある物体を見る。空高く、浮かんでいる不思議なもの。
エネルジコの話を聞いていて、僕も気になってきた。
列を成し、街から街を繋ぐ正体不明の石、標。
エネルジコよりも少しだけ先に見てみてもいいだろう。
間近にある不思議なもの。近づいた魔術師が幾人も雷に打たれて亡くなっているもの。
視線を振り払うのにもきっとちょうど良い。
今日これからすぐに王都を目指して歩き出す僕への景気づけにも。
僕はいったん街から出て、それから飛行を始める。
目指すは標。人の到達できていない空。
イカロスのように、僕の羽根が溶けなければいいけれど。




