車輪
「さあ、これを見て何を思うかね?」
エネルジコに案内されて入った部屋。それは昨日僕が最初に案内された部屋から、一つ奥に入った場所だった。
木の板が敷かれた床、三面の壁には三段ずつの棚が付いていた。中央には頼りなさげなランプが一つ吊されており、ログハウス風の普通の家屋なのに何故か僕は秘密基地を想像した。
ランプの下の机には、大きな紙が敷かれている。和紙のようだが、それよりは幾分か密度のある紙で、ややつるつるしている。
そしてその紙に雑に……といっても雑に見えるのは線の太さが均一でないためなので、きっとこれが精一杯なのだろうが……雑に引かれた線は、見覚えのあるものだった。
「あの木鳥の設計図、ですか?」
「そうとも。よくわかったではないか。大抵の人間は少しばかり考え込むものだがね」
エネルジコは笑いながら設計図を撫でる。
机の天板に目をやると、この街では珍しい、木の板を使った平坦な天板だ。なるほど、この上で製図をするのであれば、植物を編んで作った机では心許ないだろう。
そして。
机を撫でると、傷まではいかない細かな凹凸が無数にある。文字のようなへこみまで。
葦ペンで製図しているのだろうが、そんな柔らかいペン先で机に跡が残るまで何度も描いたのか。
レヴィンの影響を疑って、本当に悪いことをしたと思う。真面目に、本気で彼は考えていたのに。
「少年には、夢はあるかね」
「夢、ですか」
一応聞き返すが、答えは決まっている。無い。無いからこそ、この男性に声をかけたのだ。
「ありませんね」
「そうか。私にはあるがな」
エネルジコは壁の棚を見回す。そこには、木で作られた飛行機のようなものがいくつも並んでいた。ただし、本物よりも大分小さい。僕らが片手で持てる程度の。
その一つを持ち上げ、エネルジコはしげしげと眺める。
尾翼もプロペラもない、ただの木の胴体に左右に一対の翼が付いただけの不格好な飛行機だ。
「これが、私の最初に作った木鳥だ」
木の棒に羽根をつけただけ。そんな見た目のそれが、空を飛ぶことなど……。
「いかがかな? 見事なものだろう?」
「……そうですね。しかし、それは……」
僕が言い淀むとエネルジコは笑う。口ひげをぴょんぴょんと動かしながら。
「そう、こんなもの、飛びはしない。あれの形を簡略化し、模しただけのものだ」
「先ほどの話の続きですか」
鳥のように腕を動かして、それでも飛べなかったエネルジコ。その後、この模型を作ったと。
「そうだ。先ほどの補足にもなるが、私の夢は、最初から空を飛ぶことだったわけではない。ただ、翼を持つあれが羨ましかった。だから真似をして、……とりあえず実際に作ってみた」
エネルジコはその木鳥を斜め上に軽く放る。もちろん、それはそのまま地面に落ちそうになった。上手く受け止めてはいたが。
「その改良型がこちら。胴体を滑らかにし、翼を長く薄くした」
また別の模型を持ち上げる。今度は先ほどの無骨なものよりも耐久性が低いのだろう。少しだけ、恭しく。
「これ以前にいくつも作ってみての話だが、成功したのはこれが初めてだ。空を滑り落ちるのは」
流石にこちらは投げない。空を滑り落ちるというのは、滑空するという意味だろうか。
ゼロから滑空する飛行機模型を作り上げるとは、手先がなかなか器用らしい。
「一瞬、それで満足をするところだった。ところがそんなとき、ふと思いついたのだ。『これに乗れば、空を飛べるのではないか』と」
突飛な発想……でもないか。
予備実験が終わったから、本実験に入った。そういう表現が近いだろう。
「そうと決まれば、次にしたのは明白だ。わかるであろう?」
「乗れる大きさまでの巨大化ですね」
「そう。流石にもう残ってはいないが、その時はこれをそのままの比率で巨大化した。そこからは存外簡単だったよ。少し改良を加えれば、サンギエの断崖から砂地に向けて、空を滑り落ちるまではすんなりといった」
懐かしむようにエネルジコは目を細め、模型を棚へと戻す。他にもまだまだいくつも模型はあった。
「空を飛べるかもしれない。そう思い、そして実際に空を滑り落ちることは出来た。そうしたら次だ。これもわかるな?」
「今度は、上に行きたくなった」
「正解だ。少年はいい学生になれると見える」
エネルジコはクツクツと笑う。それから、壁に貼り付けられた一枚のスケッチに目を向けた。
黒炭で描いたらしき簡素な絵だが、それが何なのかようやく気がついた。今までは小さくてよく見ていなかったけど。
「そんなとき、この空に浮かんだ標が目に付いた」
また違う、今度は翼に直接羽根車のようなものが付いた飛行機を手に取り、羽根車を手で回す。本当は、おそらく本物にはその羽根車を動かす機構のようなものが取り付けられているのだろうが、これは模型らしくただの飾りのようなものだった。
「さあ、そこを目指す旅の始まりだ!」
ブーン、と、遊ぶようにエネルジコはその飛行機模型を標の絵に飛ばす。
だが、その木鳥はエネルジコの手によりそのまま床へと墜落していった。
「そして失敗を繰り返し、そしてまた改良を加えること無数」
墜落した木鳥を地面に置き、しゃがみこんだままエネルジコは棚に目を向ける。
「ようやく、糸口を掴むことが出来た」
その先には、一番新しいであろう、プロペラの付いた模型があった。
「風車は風を受けて回る。その形に着目した私は、それを模した羽根車を木鳥の前後につけることにした。回せば、逆に風を起こすように」
プロペラ付き飛行機の横にあったのは、歯車も何も取り付けられていない小さなプロペラ。軸だけが取り付けられており、見た目だけだったら竹とんぼのようだ。多分、掌で擦り合わせれば……。
「このように、飛ぶ」
思っているうちにエネルジコがそれをやった。
びゅん、という風切り音とともに竹とんぼが飛ぶ。天井に軽く当たり、落ちてきた。
「一度はこれを縦に使い、翼のあるあれとは違う形のものを作ろうともしたのだがな」
ヘリコプターということだろうか。なるほど、その形も考えついていたとは。
しかしむしろ、僕的にはそちらのほうが簡単そうに思えるが……。
「大変だった。乗った私の方がぐるんぐるん動くわ、木製の軸が力に耐えきれず折れるわ……」
「ああ、だからやめちゃったんですか」
僕の総括に、コクンとエネルジコが頷いた。
「そんな失敗もあった。だがその時『木鳥の推進力にこれを何とか使えれば、標はおろかその先まで行くことが出来るかもしれない』と、そう思ったからこそ、今の夢がある」
「……長い道のりでしたね」
木鳥の、飛行機の形の変化とそれに伴う目標の変遷。今のエネルジコの夢は、その先にあると。
「夢というのはどんどんと大きくなっていくものだ。実際の私の歩みは、もう少し小さな歩幅であるが」
今度は、設計図に目を向ける。
そこに描かれたヒトデのような小さなパーツは、歯車だろう。
「だがしかし、確実に進歩はしている」
愛おしむように、エネルジコはその設計図を見て目を細めた。線に×や矢印が重ねられているのは改善点だろう。おそらく昨日のものの設計図に書き加えているのだろうが、パッと数えられないほどの膨大な数だ。歯車のところは手つかずだったが。
「……いつかは、私の作った木鳥で、この街の皆をあの空の向こうに連れていきたい。それが今の私の夢だ」
「叶いますか?」
「どうかな? いいや、叶うであろう。私は諦める気がないのだから」
フフフ、とエネルジコは笑った。
諦めなければ夢はいつか叶う。簡単なことだが、重要なことだ。着実な進歩を見せられた今では、僕の中ではその言葉は真実に思えた。
だが、本人には思うところはあるらしい。
それから表情を一転させ、弱気に眉を下げてエネルジコは愚痴のように言葉を吐く。
「まあ、それまでに死んでしまわなければの話ではあるな。どうも、着地が未だに上手くいかん」
たしかに。本人に暗に忠告もしたが、見えた袖の中からしてきっとエネルジコの全身は傷だらけだろう。正直、プロペラ駆動部よりも、車輪や何かをつけてきちんと着地できるようにするのが先決だとも思う。もしくはパラシュートのようなもので出来る限り安全に脱出するとか。
「何か下に……緩衝材のようなものをつけては?」
車輪を、という言葉は何故かつけられなかった。だが間違いではあるまい。砂地ばかりのこの国、滑走路などもない以上車輪は役に立たないだろう。
「一応、あるのだ」
僕の言葉に、エネルジコは設計図を指さす。その指さされた胴体部分の底は、反らせた木を組み込んで作った薄いバネのような構造になっていた。
「一度地面に激突し、派手に怪我しているからな。しかしあまり効果がない。体感的には、着地したときの突き上げる衝撃がほんの少し減った程度だ」
「……よく生きてましたね」
交通事故よりも多分もっとひどい。空を滑空する速度のまま地面に突っ込んだとしたら、下が砂地というところを引いても、高いところから落ちたスタックと同じようなものだろうに。
「未だにたまに脇腹が痛む」
「治しましょうか?」
右脇腹に手を当てて笑うエネルジコに、僕はそう申し出る。何故だろう、スタックの時よりもすんなり出た気がする。
だがしかし、エネルジコは力なく首を振った。
「そんな心得があるのか。さすが魔法使いだな。だが、いらん」
「何故でしょうか。……神経か骨かはわかりませんが、多分なんとかなりますけど」
骨折部が偽関節化しているか、もしくは肋間神経を痛めているか。その辺りだと思うし。
「この痛みは、戒めなのだ」
「戒め」
また妙にいかめしい単語が出てきたけど。
「木鳥が落ちねば、このような怪我はしなかった。木鳥が完成すれば、私以外もこの木鳥に乗ることになる。その時に落ちたりせぬよう、このような怪我をせぬよう気合いを入れるためにちょうどいいのだ」
「まあ、いいならいいんですけど」
本人が嫌がっているのなら話は別だが、そういうことなら無理強いはすまい。
そうだ。
魔法使い、という単語が出た。ならば、もう一つ。
「そういえば、僕は魔法使いですが」
「何を今更」
「一度空を飛んでみますか? そういう協力ならば出来ますが」
……まただ。何故だろう。僕自身、僕の言葉に違和感がある。
何かを渋っているような、何かに引っかかっているようなそんな気がする。
そんな戸惑いを掻き消すように、エネルジコは一際大きな声を上げた。
「いらん!!」
「何故でしょう?」
何故、と聞いてばかりだがまあいいだろう。エネルジコも怒っているわけではなさそうだし。
「少年の心遣いには感謝しよう。魔法使いだ。高位の魔術も使えるだろうし、人を空中に持ち上げることなど造作もないのかもしれん。私もそうして欲しいのはやまやまだ!」
「でしたら」
何故、と繋げようとした言葉もエネルジコに掻き消される。それなりに地雷ワードだったらしい。
「私一人で飛べんではないか!!」
え?
「……まずは自分一人で飛びたいと?」
「そうではない。私は言ったではないか。先ほど、『皆を空に連れていきたい』と」
「いっていましたが」
広げた手でエネルジコが机を叩く。その強さに、断固とした意思が感じられた。
「少年に連れていってもらえば、なるほど、空を飛ぶことは出来るかもしれん。だがそれは、少年がいなければ空を飛べないということなのだ」
それから、壁の標の絵を見る。悲しそうに。
「魔術師などに頼んでも同様だ。私が目指す木鳥は、老若男女貴賎を問わず、誰もが空を飛べる代物。少年や魔術師がいなければ飛べないというのであれば、それは飛べない木鳥ということなのだ!」
「体験してみるくらいならばいいのでは」
「……もしそうするとしても、それは次の段階だ」
エネルジコはふらふらと歩き、標の絵に手を這わせた。
「実は、標に近づこうと飛んだ魔術師は何人もいたらしい。だが誰一人帰ってこなかった」
「落ちたんですか?」
「打たれたのだ。標から放たれた雷に」
僕は絶句する。不用意に近づかなくて良かったと思いながら。
障壁で防ぐことは出来るかもしれないが、僕には雷を避けることは出来ない。知らなかったら危ないことをしたかもしれない。
「まあ、それはまだ些細なこと。主な理由は私の意地だ。まずは誰の手も借りず空を飛ぶ。他のことはそれからだ。少年、すまんな」
「いえ。そういうことでしたら」
どうも、先ほどから僕は空回りしている。エネルジコの言葉よりも、僕はそれが気になった。
動きがないのはもう少しで終わり




