誤算
探索ギルドの中は、エッセンよりも騒がしく感じた。
といっても、原因は明白だ。バタ戸を開き、門をくぐってすぐに目に飛び込んできた光景に、僕の足は止まった。
宿のベッドと同じように蔓で編まれた椅子で、それが多数並べられて談話スペースになっている。そこまではいい。
その談話スペースで、皆が酒のようなものを酌み交わしているのだ。つまみらしい干し肉も座っている場所の横に銘々置いており、ちょっとした酒場のようなスペースになっていた。
違う、これは言ってしまえば、酒場に探索ギルドの窓口が設置されている。そういった方が正しいだろう、真実は逆でも。
正直入った後、二の足を出すのを躊躇した。明らかに僕が場違いなのだ。
服装には僕のように黒い色はほとんどない。肌の色はほとんどが浅黒く、他にいないわけではないが白い肌の僕は多少目立つ。
そしてやはり、酒。
酒への忌避感ではない。彼らだからというわけでもないが、酒を飲んでいる集団は独特の連帯感のようなものが見えると思う。仲良く酒を酌み交わしている者たちはもとより、端で静かに飲んでいる者まで。
そのためか個人主義が極まっていたイラインの探索ギルドと違い、皆が仲間だとでも言いたげな気配が漂っていた。
ちらりと見ると、それでも登録証は共通らしく蜥蜴の形だ。色付きも今のところおらず、探索者としての立場から見れば僕よりも格下ばかり。
けれどもやはり、何となく恐縮してしまう。
僕は仲間ではない。
酒を飲まず、服も替えず、肌の色も違う僕は余所者だと、そんな声が聞こえた気がした。明らかに僕の心の声だけれど。
「おぉ!? 新入りか」
「ばか、よく見ろよ、登録証を襟につけてら」
僕を見て、そんな囃し立てる声が飛ぶ。こういった言葉は僕の反応などどうでもいいので、いちいち応えずともいいということは知っているがやはり無視もしづらい。反応もしづらいのだが。
僕は一応そちらを見て、愛想笑いのようなものを浮かべてから中を改めて見回す。依頼掲示板はどこだ。
他の建物の例に漏れず、探索ギルドの中も泥で作られていた。
しかし、受付の後ろをそれとなく見れば、そちらは石造りに見えるので、重要な書類や備品は石造りの倉庫のようなものに入れられているのだろう。待合室ともいうべき部屋に繋がる形で、そういったきちんとしたものは備えつけられているようだ。
いや、それよりも。
僕が気にしているのを見て取ったのか、一人で飲んでいる男性が気怠げに顔を上げた。
「依頼を探してんのかい?」
「……。はい、この街は初めてなので、どんな仕事があるのかと」
「仕事? あるわけねえだろこんなど田舎に」
男性はそう答えると、素焼きのコップを勢いよく呷る。
「その分じゃ、現実を知らねえな」
それから絶句している僕をジロリと見ると、顎髭を掻きながらコップを椅子に置いて立ち上がった。
「見ろよこれ」
男性が案内してくれたのは、依頼が貼ってあるであろう掲示板だった。
木の合板が壁に備えられ、本当ならそこに依頼箋が並べて貼ってあるはずなのに。
「……本当ですね」
僕は不本意ながら頷く。
その木の板にはいくらか依頼箋をつけたことはあるのだろう穴は開いているものの、紙はほとんど貼っていない。なるほど、この口ぶりでは朝もこの通りなのだろう。この街で、大きな仕事はない。
何枚かある紙は、資材の運搬などがほぼ全てを占めており、探索者の仕事ではない。いや、探索者はもはや何でも屋化しているので、これも探索者の仕事なのだが。
その紙を見て、僕は気付く。紙というよりもその依頼の少なさに。
「……魔物などに関するものがないのは、ネルグから遠いからですか?」
ついでに言えば採集もない。自然を相手にするものがないのだ。
「そうだ。砂地にも魔物はいくらか出るんだが、大体騎爬兵が出て討伐しちまうからな。エーリフの近くなら違うんだろうが」
「きばへい、ですか」
どこかで聞いたことがある。……多分、スティーブンの譫言かな。
「俺たちゃ探索者はたまの雨期に働きゃいいんだよ。わかったら、とっとと帰りな」
「あ、と、もう一つですけど」
踵を返し、席に戻ろうとする男性を僕は呼び止める。もう一つ、確認したい依頼があったのだ。ちょうどここに。
「あん?」
「この、『エネルジコ』さんというのは木鳥の……」
依頼箋の依頼者の欄に、その名があった。見るからに他の紙よりも古いもの、つまり受ける人がいないのか。中は……。
「ああ。あのイカレ発明家だ」
「どういった方なんでしょうか?」
「この街の水守の一族だよ。だからあんな道楽を続けられるんだよな」
はあ、と溜め息をついてその実験室のある方向へ目を向ける。
やはり、『困った奴』という感じの評で間違いなさそうだ。
「その、木鳥を作り始めたのはいつだかわかりますか」
「知らん。そんなに気になるなら行ってみろよ。その依頼受けてやればいいじゃねえか」
今度こそ、話は終わりらしい。踵を返した男性は、耳の上に当てた手を、小さな円を描いて振り下ろすような仕草をしながら歩いていく。これも敬礼みたいなものだろうか。
だが、まあいい案だ。渡りに船というやつだろうか。
依頼箋を見れば、依頼の期限は三日、報酬は銀貨三枚……ということは色付きなら四枚か。内容としては、その間の研究の手伝い、主に力仕事……。
やっぱりやめたくなってきた。
「ほう、久しぶりの探索者かね」
「はい。初めまして」
やめたくはなった。だが、やはり近づくのには一番の方法だ。それに年間の探索者へのノルマもあるし、一応受けといた方がいいだろうと判断した。
なに、長期間の依頼ならばいくつかやったことがある。大体は森に籠もっての採集だったけれど。
研究室とはいうが、先ほど探索ギルドで聞いた話では、元はここは主に水質管理……というか監視のための塔らしい。
木組みの塔。長く太い丸太をいくつも組み合わせて、この街のどこよりも高くしている。その骨組みに沿うように設置されてある階段は粗末で、おそらく後付けだろうということが読み取れた。
その木組みの塔の中央にある建物……おそらく目測で十畳以上あるこの街でも大きな建物も丸太で組まれ、この街では珍しいログハウスのような造りになっていた。
塔の最上段には少し大きな台がある。先ほどもそこから飛行機を飛ばしたのだろう。
「力仕事、ということでしたので心配でしたが、探索ギルドで『構わない』と言われたので」
「ああ、構わない。誰だろうが、何だろうがな。若かろうが年寄りだろうが男だろうが女だろうが魔法使いだろうが闘気使いだろうがムジカルの人間だろうがエッセンの人間だろうがリドニックの人間だろうが妖精だろうが誰でも」
絞り出すようにエネルジコはそう言い切る。最後は息が続かなかったようで掠れた声だったが、どこかで息継ぎをすればいいのに。
「さあさあ、詳しい話は中で。入ってくれたまえ。いや、最近は誰も手伝ってくれなくなってしまってな。誰でも大歓迎だよ」
「そうですか」
そしてやたらフレンドリーだ。僕の背中に当てた手が力強い。
それから座らされた中の机は、やはり蔓などではなく、木で組まれた平らな机だった。
「さあ、水はいかがかな。いくらでもあるぞ、この街ではどこにいってもあるがな!」
僕の目の前に、素焼きの器が置かれる。その中になみなみと入っていた水は、別に毒もない。
だがまだ飲む気がせずに、僕は顔を上げる。
「それで、詳しい仕事の内容は」
「研究の手伝いだな。私が作っているものは知っているだろう?」
「木鳥ですね」
「ああ、そうだ。内容は、説明するより見せた方が早いな。さあ、こちらへ」
せっかちらしく、エネルジコは立ち上がると部屋の奥の扉を開く。そこは、あの粗末な階段に繋がっていた。
そこを駆け上がるようにひょいひょいと上がっていく。途中はしごのようになっている部分もあったが、掴まる場所もろくに整備されていないそれも簡単に上がっていった。
おそらく、高さ的には五階建てほどだろうか。そもそもこの街は平屋ばかりなので参考にしづらいが。
塔の最上階、開口部がそのまま空中になっているガレージのような部屋。これもログハウスのように木で組まれているが、この部屋の壁はすかすかだった。軽量化のためだろうか。
若干息を切らしながら、エネルジコは床を転がるようにしてから立ち上がる。
僕もその姿を追えば、そこには作成中らしい作りかけの飛行機が一台あった。
「いかがかな、素晴らしいだろう」
その木の飛行機を手で示し、エネルジコは胸を張った。たしかに、よく出来てはいそうだが。
だが、これが何か……。
「君に頼みたい力仕事は二つ。一つは、この材料の引き上げだ」
そう言いながら、エネルジコは外へ繋がる開口部へと歩み寄る。僕もそこを見れば、滑車のようなものと、下へと繋がる綱があった。
エネルジコがその綱を掴み、足に力を込めて引くと固定滑車が動く。そして、下に置いてあった台が、その綱に引かれて若干浮かび上がったのが見えた。
「あの台は、引っ張れば引っ張った分だけ上がり、留め具を外さなければ落ちないようになっている。それを使い、木鳥の材料をここまで持ってくるのだ」
「……これは、大変そうで……」
いや、僕や色付きならば簡単にできるだろう。だが、普通の人間らしいエネルジコには大変そうだし、先ほど言ったような老若男女でもいいというのはおかしいだろう。空ならばいけなくもないが、材料を……しかも木鳥の材料といえばそれなりに大きな木材だろうが、それをここまで持ってくるのは力の弱い老人子供には難しい。
「今は私がやっているのだがな、材料を全て上げるだけで日が暮れそうなほどだよ、ハハハハ」
笑い事ではない。というか、それをやらせようとしているのかこの男は。
「さあ、そしてもう一つはこちらだ」
僕の内心を知らず、エネルジコは部屋の隅を指し示す。そちらには、椅子と、その前に備え付けられたペダルと、そこからいくつかのヒトデ型歯車が連なった機関があった。
「あの回転羽根の中身はまだまだ工夫が出来そうなのでな。その改良のために、これを動かす誰かが必要なのだ」
「……はあ」
僕の気のない返事を無視して、エネルジコは軽くペダルを手で回す。それだけで、ヒトデ型歯車は上手く噛み合いプロペラに繋がるであろう軸が動いた。
なるほど。研究自体はきちんとしているらしい。
だがやはり、気になる。レヴィンが関わっているかどうか。頭部を触って確かめたいが、その機会がない。
一応もう一つ知る術というか反応を引き出せる言葉があるのだけれど、そういえばそちらをこの男に言っていなかった。
いや、本来は挨拶の基本なんだけれど。
「いかがかな。たしか、報酬は銀貨三枚。この作業でそれが手に入るが」
「……お受けしたいのですが、その前に……」
「うん?」
エネルジコの口ひげがピンと跳ねる。まったく邪気のない顔。
だが、その次の言葉を聞けばどうなるだろうか。
「申し遅れました。私、カラスと申します。是非ともそのお仕事引き受けさせていただければと」
殊更に、ニコリと笑いながら僕はそう申し出る。まだお互い名前を名乗っていなかったのはこのためではないが、ちょうどよかったかもしれない。
さて、どうなるだろうか。
エネルジコの反応を窺い、僕はじっと見守る。
「カラス……だと?」
エネルジコはそう静かに呟いて、やや顔を上げる。そして不機嫌そうに口を曲げ、青筋を立てたように見えた。
声も、若干震えている。
「なら、すまんがお断りだ。その名を聞けば、ここに入れはしなかったものを……!」
「……やはり、僕のことはご存じでしょうか」
この反応は、やはり当たりか。ならば、強引に眠らせた後脳を精査して……。
「いいや、知らない。だが、その名は不快だ。心底不快だ。すまんが、お引き取り願いたい」
「申し訳ありませんがそれは出来ません。僕には、したいことがあるので」
「何ぉ……」
エネルジコの周囲の酸素を遮断。強制的に気絶させる。我ながら押し入り強盗の様な真似だが、ここまでは道理に適っていないことはしていないから問題あるまい。眠らせたのは不味いけれど。
ドサリと倒れそうになった体を支え、静かに床に寝かせる。
「さて……」
そして、いつものように額に指を当て、内部に魔力を通して……。
「あれ?」
だが、思惑通りにはいかなかった。僕は心底戸惑う。
おかしな話だが、何故だろう。
その脳には一切の変質が見られず、何の影響も受けていない、綺麗なものだった。




