命より大事な
僕と同世代だろう少年に手をかけて、内部を探りながら傷を癒やしていく。
頭蓋骨は割れ、硬膜が裂けて中身も飛び出しかけている。手足もひびの入っていない骨はなく、内臓も強い衝撃を受けて痛んでいる。肋骨は子供の柔らかさ故か、二本ほど割れているがその他はほとんど傷ついていないのが意外だった。
高エネルギー外傷ではあるが、単純な怪我だ。
生きてさえいれば、治せないことはない。雑菌等の心配はあるものの、抗生物質様の薬液もいくらかは持っている。まあ、今のところ心配はないだろう。多分。
骨を接ぎ筋肉を繋ぎ、皮膚をくっつけ見た目を整える。そんな治療を続け、少年も意識はないものの自発呼吸もやや強まり、ただ寝ているだけという見た目になった頃、ようやく少女は少年の肩に縋り付く。
三本の三つ編みを束ねて、もう一度三つ編みにしたような後ろの髪。そんな海老のような髪の毛がぴょこんと立った。
「……よかったよぉ……!」
「あとは目を覚ました後、いくらか薬を飲んでいただければ問題ないでしょう」
両手に付着した血を洗い流しながら僕はそう呼びかける。
傷は全て癒やし、見た目も整えた。だが、失われた血液までは補填していない。増血剤はあったっけ。まあ、なくとも水分をとらせて養生させればいいか。
僕の言葉に、今更気付いたようで少女は顔を跳ね上げる。涙ながらに、眉を顰めて心配そうに。
「あ、ありがとうございました。あの、そいで、お代は……」
少し顔色を悪く、少女は僕にそう尋ねる。そんなものいらないけれど、そうとも言えない。
「それなんですが、多分金額にすると貴方たちには払えないので、他の方法でお支払いいただければ」
「……他の……」
少女が息をのみ、少しだけ後退る。襟をわずかに抑えながら。いや、わざと誤解させる風には言ったが、そこまで過敏に反応しなくても。
僕は意識的に笑顔を作る。これ以上怖がらせるのは酷だろう。
「いえ、いくらかお話良いでしょうか。いくつかの質問に答えていただければそれで結構です」
「話って、何です?」
少女が一度目の下を拭うと、そのせいで少年の血液が頬に伸びる。あまり衛生的によろしくない気もする。まあいいか。
「多分、今この辺の村は流行病とかで大変ですよね。その詳細と、あとは貴方たちがどうしてここにいたかを教えて下さい」
「そんなことで?」
「ええ、そんなことです」
僕は深く頷く。そう、そんなことだ。
僕以外にはきっと理解できないのだろうけれど。
少女の名前はスラ。そして、倒れている少年の名前はスタックというらしい。
双子ではないそうだが、同じ年に生まれてともに数えで十一才。ならば僕よりも歳下か。
「それで?」
「あの、私たちは石壁花を採りに」
「石壁花……」
僕は、言われて少年が落下した場所を見上げる。そこには、あと一歩の場所に黒いキノコか苔のようなものが張り付いていた。
グスタフさんのところで見たことがある。たしか、あれも薬に使えるはずだが。
「誰かに使うんですか?」
僕が使い道を尋ねると、スラは息を飲む。それから、胸の前で手を揉みながら小さな声で答えた。
「お母さんの病気を……そんための薬を……」
「すると、咳でも出てるんですかね。流行病で?」
スラはこくんと頷く。なるほど。たしか、石壁花は煎じて飲めば気管支炎や、根治まではしないが労咳の薬になったはずだ。流行病もその系統か。
そのとき、スタックが目を覚ます。顔をしかめて、頭を押さえながら。
「……痛え……? あ……れ……?」
しかし、痛みはないだろう。血圧の関係で気分はよくないかもしれないが、怪我自体はもう治っているのだから。
「お兄ちゃん!」
「スラ、あれ、俺は石壁花を……」
落ちた辺りの記憶は混濁しているのだろう。手元を探り、そして地面を探り、目的の物を手に入れてないことを認識してスタックは溜め息をついた。
僕は崖の上を指さす。
「未だにあそこにありますよ」
「……お前は……?」
怪訝そうに僕をみたスタックに、スラが釈明するように明るく言う。
「この人は、治療師様! お兄ちゃんを治してくれたんだ」
いや、治療師とは一度も名乗っていないのだけれど。
スラを一度見て、そして目を細めてスタックは僕を見つめる。それから何を思ったのかは知らないが、もう一度息を吐いて立ち上がった。
「そりゃ悪いんぁ……」
そして、崖に手をつく。立ち眩みだ。
「お兄ちゃん、今は無理だよ、いったん村に戻って……」
「……俺しか採れねえんだし、俺が、採らなきゃ……」
スラを振り払いながら、またスタックが崖に手をかける。しかしその指先には力が入っておらず、懸命に太腿に力を入れても足も持ち上がることはなかった。
「……採ってきましょうか?」
「そりゃ、やめてくんねえか。治療師様」
「僕は治療師ではありませんし、あの程度なら簡単ですけど」
飛んでいってもいいし、普通に魔力圏内だから、ここから一歩も動かずに剥がすことも出来る。
「あんたには感謝してるし、治療師でないとかどうでもいいんだけど、俺たの掟で無理なんだよ」
「…………?」
「石壁花を人に譲ってもらったら、俺たサンギエの男は成人の資格を失っちまうだ」
「……よくわかりませんが」
「あの、ね? サンギエの男しょは、成人するために、あの石壁花を村長に納めないといけんのよ。で、それを人に譲ってもらったら、もうその根性なしは一生成人にはなれんの」
「はあ……?」
二人の説明は一応理解はした。
少し前の村で聞いた話だったか、あの顔の刺青はサンギエにおける成人の証だった。
その成人の……男性限定かな、その通過儀礼が、石壁花を採ってくることだったと。
そして、その自力で採ってくるはずの石壁花を譲り受けたりしてズルをすれば、成人として一生認められない。
そういうことだろう。
しかし。
「薬を作る材料なのに、入手条件が限られているっておかしくないですか」
「俺ぁ知らんよ。でも、ずっとそうなんだ、仕方ねえだろ」
ようやくスタックも壁にかけた指に力が入ったようで、少しだけ体が持ち上がる。そのつま先もすぐに地面に戻ってきてしまったが。
「でしたら、誰か他の人間に採ってもらったら……」
「成人したサンギエの男は、採っちゃいけねえって決まってるんだ。成人できない奴が出たら困るって。だから、誰も採ってくんなかった」
僕はいよいよ眉を顰める。
何を言っているのか、理解は出来るが納得はいかない。母親が死にそうで、助けたい。そんな子供の頼みを誰も聞かなかったのか。
「そりゃあ、治療師様なら簡単だろ。でも、そんなことになったら、母さんが悲しんじめえよ」
息を切らして、壁に縋り付くようにスタックは頬を押しつける。その体では絶対に登れないだろうに。
「あの、でも……そうだ、あの、治療師様!」
「違います。僕は探索者です」
「あ、そ、そうで」
思わず言葉の最中に訂正をしてしまった。気が弱いのか、それだけでスラは出しかけた言葉を言い淀む。
その続きを待ってじっと見つめると、目を逸らした。
「あぅ……」
それからスタックの方を向いたまま、スラは叫ぶように言う。
「そ、そうだよ、探索者……様に治してもらおう! お母さんの病気も、この人ならきっと……!」
「代金は、どうすんだ……?」
「あ……」
スタックに言われて、スラも今更気がついたように声を上げた。
「お前だって知ってっだろ。エッセンやムジカルじゃあ、治療師様にかかるにゃ、そりゃあ大金がかかるんだし……」
そこまで言って、スタックはハッと僕を見た。
「そういえば、お前、俺を治した代金は……」
「今お話を聞いている分で相殺されています。お支払いは今済ましていただいている最中ですよ」
スラが怒られそうな話題と剣幕になりかけていたので、僕は止める。僕のわがままで怒られるわけにはいかない。
それから、この先の喧嘩や言い争いまで予想できた。それをさせるには気の毒だろう。僕は、腹を決めて言葉に出す。
「いいですよ。治せるかどうかはわかりませんが、なんとかします。案内してください」
もとよりそのつもりだ。
それに彼らの話からすると、今現在、治療用の薬が村に存在しない。
ならば急がなければ。
しぶしぶといった感じで僕を促したスタックとスラの目を盗み、スタックが登っていた崖と違う場所の上を少しばかり見ながら、僕は二人の後に続いた。
道中、造血作用のある小さな小瓶の水薬を飲んで、美味しそうな顔をしていたスタックには驚いたが。微かに苦みと塩味のある水薬。どちらかというと、味よりも『水分』というのがありがたいらしい。
門番のような存在はおらずそして誰も外に出ていない静まりかえった村。
空が狭い空間。その崖際の坂道沿いに、いくつも家らしき建造物が並んでいた。
大人二人が腕を広げたくらいの坂道を登っていく。
崖から下を見れば、当然、少しずつ地面から離れていく坂道だ。
スタックは、不自然なまでにそちらを見なかった。
「ここだよ」
スタックが立ち止まったのは、やはり岸壁にへばりつくように建造された石の家だった。
均一に積まれた石が、所々開けられて窓になっている。部屋はいくつか区切られているものの、それでも一部屋と言われてしまえば否定できない作りだ。
そして、父親だろう人物が、のっそりと姿をあらわし、そしてスタックを見て開口一番大声を上げた。
「……っこの! 馬鹿! 今のこの村に人を入れたのか!? お前は、この状況で……!」
「お父さん、この人、お母さんを治せるかも……!」
「黙ってねえかスラ! スタック、またお前だろう! 今のこの村に人入れて、そん人が流行病に罹ってしまったらどう……」
「お父さん!」
少し頭を下げて、黙って父親の声をやり過ごそうとしているスタックだったが、スラの父親を止める声にそちらを向いた。
父親も、スラの剣幕に驚いたのか、言葉を止める。
「お母さんを治せるかもしんないの! 後にして!」
「治せるって、おめえ……」
頼りなさげに、父親は僕を見る。これで僕が治療師の格好でもしていたらしなかったであろう、眉の下がった顔。もう見慣れたものだ。
「治せるかはわかりませんが、見せてもらわなければ何とも」
「お兄ちゃんの怪我も、この人が……」
「怪我?」
視線を向けられたスタックが、ぶすっとした顔で……いや、これは何かを隠そうと目を逸らして答えた。
「……崖から落ちた。もう治ってるよ」
「…………」
それから父親は外を見て、もう一度スタックを見たと思ったら襟首を掴んで、強制的に外を向かせる。
何をするのかと思ったが、すぐにその意図に気がつく。
視界の中に、家の外、段差の下を入れる。
「お前、ちょっと外出てみろ」
「俺は大丈夫だ」
「いいから、はやく」
嫌がるスタック。そして、その嫌がりようは、家から出た瞬間に直接的に発生した。
「!!」
腰を抜かしたようにへたり込む。這うようにして体を家の中に入れようと手に力をいれた。 それを見て、父親は目を閉じて天を仰ぐ。
「念のため、と思ったけんど、お前……」
「しばらくは仕方ないんじゃないでしょうか」
僕はその後ろ姿に話しかける。僕にはあまり縁がないが、それでもこれは仕方あるまい。高いところから落ちて死にかけた。そのすぐ後、高いところから下を見られないのは。
しかし、僕の言葉に怒った風でもなく、唇を結んで父親は首を振った。
「そういうわけにはいかねえだよ、客人。恐れ病になっちゃあ、サンギエの男はお終えだ」
俯き、ふらつくように壁に背中をつける。
そして、僕を見て、父親は縋り付くように口にした。
「なあ、あんた病気を治せんだって!? そいつの恐れ病は……」
「恐れ病、とやらが心の問題ならば難しいですね。僕は体の不調専門なので」
僕は精神科医やらそういった存在ではない。
恐れ病、というがそれはきっと高所恐怖症のことだろう。移動するために、ときには切り立った崖の道を通らなければいけないこの国の人間にとっては死活問題だろうが。
しかし、それは死に直結する病ではない。
「僕が何とか出来るとしたら、奥様だけです」
奥から、軽い咳をする音が響いている。痰が出ているわけでもないようだが、それでも音色はきっと病的なものだ。
「とりあえず、見せていただけませんか? けして、悪化するようなことにはならないでしょう」
治せないかもしれないが、その場合は現状維持だ。
それに、一応もう手立ては作ってある。多分、大丈夫だろう。
そうは思っていたのだが。
「気管支炎……というわけではないようですけど」
コクコクと、多分年齢的には若いのだろうけれど、初老に近い見た目の女性が頷く。声を出し辛いようで黙ったまま。
僕は振り返り、父親に尋ねる。
「同じ病の人が他にも出たんですか?」
「ああ。他に三人、同じように血が出る咳してる。薬は村長のとこの息子さんの分で使い切っちまったから、あと二人だけんど」
「流行病ではあるんですね」
僕は頷き、そして視線を女性に戻す。その少しばかり変形し広がった指はたしかにそういう兆候ではあるが、その目の白い部分の色は違う兆候でもあるだろう。
「その薬というのは、石壁花の?」
「そうだ」
ならば、きっとその村長の息子はその流行病で、そして正しい治療法だったのだろう。そして、他の二人もきっと薬があれば。
幸か不幸かでいえば、きっと不幸なのだろう。
薬の原料は希少で、村の下らない掟で手に入る量も少ない。
そのために、必要なはずの薬がこの家の母親には回ってこなかった。
そして、幸か不幸かは分からないが、その薬はこの家の母親には必要ないだろう。
僕は昔を思い出し、誰にも気付かれぬよう少し笑った。
しかし、どうしようか。
治してしまうのはむしろ簡単なのだけれど。
「……そういえば、どうして貴方は石壁花を採りに行かなかったんですか?」
僕はスタックたちの父親に向かって問いかける。もう若くはなさそうな外見だが、顔にはしっかりと刺青がある。一度は採ってきたはずだ。ならば、『採りにいくことは出来た』はずなのに。
理由はわかっている。
「村の掟で……」
わかっている。しかし、言わずにはいられなかった。
「奥様の命よりも大事な掟なんですね」
僕の言葉に、ゴクリと唾を飲んだ音が聞こえた。
「いえ、申し訳ありません。部外者が言いすぎました」
「いや、そうだな。君の言うとおりだ」
もう少し怒ると思ったが。僕の過ぎた嫌みを、父親は素直に受け取った。逆に凄く申し訳なくなった気分だ。
病人である母親のほうを見ると、僕を責めるように首を横に振っている。本当に、僕がいうことではなかった。
治そう。そう決意した。
しかし、他にもやっておくことはあるだろう。特に、今この時しか出来ないことが。
「……しかし、困ったことにやはり石壁花がなければどうにもなりません。どうにかして手に入らないでしょうか」
「それは……」
父親は息をのみ、壁際で黙ってみていたスタックたちは力なく落としていた両の拳を握りしめる。
「この村には、他に石壁花を採れるかたは……」
「いない。俺たの村では、スタックが最後の一人だ」
「そうですか」
総勢五十人程度の村。若者たちはいるが、もう採りにいくことは出来ない。病を広めないために通行を制限されている今、交易で手に入れることも難しい。
ならば、あとは彼らが石壁花を採ってくるしか薬を手に入れる手段はない。
本当に、掟とは面倒なものだ。
「……どうにもなんねえだか?」
「ええ」
絞り出すようなスタックの言葉に僕は答える。明確な嘘、責められることは覚悟していたが、そうせずにスタックはとぼとぼと寝所らしいスペースへ歩き出した。
「俺ぁ寝る。じゃあな」
「お兄ちゃん!?」
スラはそれを追おうとするが、父親が肩を掴んで止めた。しかしそれを振り払い、スラも駆け出す。簡素な仕切りだが、部屋の中には、彼らの両親と僕だけが残った。
父親は僕に向かい、少し頭を下げる。
「世話になったな、客人」
「いえ。何もしておりませんので」
「スタックが生きて帰ってきたのは、あんたのおかげだ。代金も何も払えねえけんど」
「いりません。もういただいておりますので」
もう二人から話は色々と聞けた。好奇心も満たせたし、まだ僕は仕事を終えていない。
僕は一度咳払いをし、それから息を潜めて静かに口を開く。スタックたちには聞こえないよう、それに母親にも見えないよう、父親にだけ袖の中から出した紙の包みを見せる。
開いたそれを見て声を上げそうになった父親を、唇の前に人差し指を当てるジェスチャーで止めた。
「それから一つ、ご相談が……」
外を指し示した僕に頷きで応え、父親は僕に続いて部屋から出てきた。




