それは私とカラスは言った
2019/5/15 現在444話に閑話挿入しました。
本編とは一切かかわりがありませんが、かなり前の疑問が一つ晴れるかもしれません。
「とまあ、こんな感じでどうでしょうか」
「ひゃひゃひゃひゃ!!」
広がる血だまりと、若い衛兵が慌てて仲間を呼ぶのを見ながら、僕はエウリューケにそう尋ねる。そんな質問も聞いていない勢いで笑っているけど。
刺したマルセルは放心状態で固まっている。持っている小剣から血が滴り、靴を濡らすがそんなものも気にしていないようだ。僕の靴と違い、染みこんでいくから染みになるだろうに。
ひとしきり笑い、エウリューケは涙を拭う。そんなにか。
「ふぁー、面白かったぜぃ。カラス君、衛兵を買収したなんて一言も言っていないのにね!」
「そうですね」
「こいつはこいつで、本気で『裏切られた!』って顔してやんの。ひゃー!」
指をさされたマルセルは、僕らを見ていない、見えないようにしているのだから当然なのだけれど。それから倒れたロイクという男に目を向ければ、腹を庇うようにしてうつぶせに倒れたままで、もはや意識もないようだった。
まだ心臓は動いているようだが、意識を失い出血多量、まずいだろう。放っておけば死ぬ。
「まあ、何で繋がってんのか自分でもわかってない繋がりなんかこんなものよねー。同じ村の出身、ってだけじゃ何考えてんのかわかるわけないもんさ」
「しかし、ここまで上手くいくとは思いませんでしたね。というか、口を滑らせるところまでで終わると思っていました」
というより、出来すぎなのだ。予想していた流れはまあまあなぞっているけれど、僕としてはロイクが賄賂を提案した時点でマルセルが何故かと問い詰めてくれると思っていたのに。
「……とりあえず、動脈だけ塞いじゃいますか」
「なぜに?」
「僕はこの人を殺すために、嗾けたわけではないので」
本気で驚いているエウリューケを無視して、ロイクの傷を癒やす。見た目は変わらないように、だが動脈だけは繋いでおき、体液から水分も血液に補充しておく。少しだけ元気にはなっただろう。もしも誰かが治療師を呼べば助かるくらい程度に。
「わっかんねーな」
「死んでも構いませんけれど、一番望ましいのはこの人が処刑台に送られることです。エッセンでの極刑は斬首でしたっけ」
「そうだけど、それだけ?」
「ええ。処刑台に上がるべき人は、一人増えてますけどね」
未だ呆然としているマルセルを見るが、やはり応急処置すらしようとしない。助ける気がないのか、助かってほしくないと思っているのか。
まあ、ここで衛兵が出来る応急処置なんかたかがしれてるから、したところで何も変わらない気もするけど。腕や足ならまだしも、腹の怪我は圧迫止血くらいしか出来まい。
「うん、やっぱわっかんねーなおい」
マルセルが目を離した隙に、エウリューケはロイクの頭を軽く蹴る。首が変な方向に曲がったけれど、生きてるし見なかったことにしておこう。
「でも、よかったね。これで事件は解決したし。君が犯人じゃないという状態で、真犯人が自ら名乗り出た」
「もう一人残ってますし、解決はまだですけどね」
「娘さんかい?」
僕は頷く。既にミールマンに向けて逃げていった彼女。エウリューケが印をつけているし、探せばすぐ見つかるとは思うけれど、ロイクが吐かなければ彼女はそのまま逃げおおせるだろう。
「それならきっとこの村……じゃねえや、街から追跡されるよん」
「そうでしょうか」
「うん。流石にそこまで衛兵たちも馬鹿じゃないから、このおっさんが捕まった時に姿を消した娘なんか怪しむでしょ」
たしかにそうかもしれない。しかし、そうじゃないかもしれない。親が捕まったショックで姿を消したと、好意的解釈できる余地はある。さすがにそこまではしないと僕も信じたいけれど。
「もしも衛兵が捕まえに行かないんなら、親切なあちきが捕まえてきちゃうし」
「出来たら、お願いします。なんなら先ほどのウェイトさんも力を貸してくれ……るかな……。ごめんなさい、ウェイトさんに話を持ちかけるのはなしで」
ウェイトもまた使えばスムーズに事が運ぶとは思ったが、流石にそこまでは頼みづらい。エウリューケが石ころ屋だと知ってはいるだろうけれど、それでも恐らく未だに嫌悪感はあるだろう。
「あたしあいつ嫌い。えらそーだし、えらそーだし」
「……エウリューケさんでも嫌いな人がいたんですね」
「そりゃいるさいな。あたしだって人間ですもの」
何となく、好きか嫌いかでは判断しないと思っていたが、やはりそんな感情はあるようだ。
腕を組み、頬を膨らませながらエウリューケはぷいと横を向いた。
僕もエウリューケも、足音に気がついて顔を見合わせる。
「で、次はきっとキミの嫌いなものが見られるけれど、残る? 残りやすな、げへへ」
「まあ、最後まで見ていきますけれど」
エウリューケの視線が、廊下の先へ向く。先ほどの若い衛兵が戻ってきたらしい。仲間と、治療師を連れて。
マルセルが治療師に釈明するように叫ぶ。
「こいつが強盗殺人犯だった! 暴れたこいつを止めようとしたら、偶然剣が腹に刺さってしまったんだ!」
「すみませんが、どいてください!」
だが、治療師はそんなマルセルを押しのけるように避けてロイクに駆け寄った。まずは怪我人が大事という態度は、職業倫理的には正しいのだろう。
「よい、しょ」
かけ声をかけて、ロイクを仰向けにする。僕がさっき癒やした傷だが、見た目からは判別できまい。野良着の首下に持っていたごく小さな刃物で切り込みを入れて引き裂いていく。血で指が汚れ滑りそうだが、急いでいるらしくそんなものは気にする様子もなかった。
腹部の傷の検分。一カ所だけに見えるが、血を拭き取りながら他にもないか確認していった。まあ、一カ所だけなのだけれど。
ちらりとマルセルの握っている小剣を見て、それから傷の角度を見て唇を歪めた。
「深いか? いや、その男が私を襲おうとして必死で……」
一歩踏み出したマルセルを若い衛兵が止める。それでもまだ、自己弁護の言葉を吐き続けていた。
「本当に、蹴り飛ばしたいですね」
「やっちゃえば?」
「今この場では出来ないでしょう」
僕はそれでも拳を握りしめる。本当にロイクがマルセルを襲ったのであれば、マルセルにも理がある。その叫びも正当なものだし、考慮してもいい。
しかし、今していることは単なる防衛のための自己弁護だ。真実であればいいのに、全て嘘で固めたもの。
人々を守る衛兵のすることではない。
彼を僕の暴力から守るための我慢。
だが、そんな無駄な努力を続けている僕を無視して、エウリューケが一歩踏み出す。若い衛兵に止められながらも、まだ呟くように嘘を吐き続けているマルセルに。
「キミは今、悪の種を撒いた。それは自覚してるよね」
「……ええ」
その抽象的な単語は初めて聞いたが、理解は出来る。その言わんとしている意味も。
「マルセルさんの言い分はわかりましたし、調べ直しましょう。現場で出てきたものに、この人の使っていたものがなかったか」
「そうだな。そのほうがいいだろう」
若い衛兵が、マルセルの言い分に従い調べ直すと言った。
それ自体は素晴らしい。けれど、その前にもう一つ重要なことがあるのに。
「そう、このおっさんは力の使い方を覚えたよ。狭い街の中に構築された社会。今までは無自覚に使ってきた権力の威力と振るい方を覚えてしまった」
エウリューケが、マルセルの右腹部にそっと手を当てる。その距離まで近づいてもバレないのは僕の魔法的には出来なくもないが難しいし、やはり見ているだけでも学ぶことが多い。
ざわりと入れ墨が動いた。
「キミはキミの言葉で一人の人間を殺させた。いやいや死んでませんけどな!」
それからまた一歩離れてエウリューケは笑顔を作る。目が笑っていないけれど。
しかし、僕を見て笑う顔は、いつもと同じ明るい笑顔だった。
「でもじゃあ、この衛兵にはどう責任とらせましょか。一度や二度ならまあ今と変わらんじゃろ。でも、何度も何度も繰り返せば、いずれはこの権力を悪用し始める」
その言葉の続きはわかる。この先、味を占めたマルセルは腐敗していくだろう。
犯罪を権力で隠す。そこまでは今までもきっと無自覚の善意でやってきたことだ。
だが、それを自覚した。何かを見返りにすることまで考え始めたら、それはもはや善意でも何でもない。
「殺しちゃえばたしかに楽でしょう。彼がもうすぐ死ぬように」
「…………」
エウリューケが笑顔のまま更に目を細める。誇らしそうに、楽しむように。
「でも、そうならない道だってある。それをどうにかして探さなければ、エウリューケさんの言う老人になってしまうのではないでしょうか」
僕個人としても、マルセルは殺した方がいいとは思う。この国では、法律は人の心で簡単にねじ曲がる。そして恣意的にそれを行うのであれば、それは僕の敵だ。
だが、そうしない道を探してからでないというのはどうだろうか。
「じゃあ、それは誰が探すの?」
「……それは……」
僕は即座に言い返せずに言い淀む。その道を探すべきは、きっと僕ではない。エウリューケでもない。石ころ屋でも、ウェイトたちでもないのだろう。
「キミの考えは立派だね。人間は変われるって。どこで覚えてきたんだろうかまったくもう」
頬を膨らませてエウリューケは抗議する。相変わらず、何が彼女の思想なのかわからない。
「でもねぇ、悪性のでき物は放っておいても戻らんよ。抉り取って治すか、それとも新しくいい感じに作り直して浸食させるか」
「治療師にも、ですか」
「そうじゃろな」
きっと今の言葉には二つの意味があるのだろう。
マルセル自身と、マルセルの体内に出来たもの。いや、今エウリューケが作り直したもの。
「ねえ、カラス君。キミの考えは立派だし、きっと本当のことなんだろうね。でも、それをするには時間が足りないことも多いんだよ。時間は限りある。キミやあちきやレーちゃんにモスク君は、いくらでも時間があるよ。でも、世の中それじゃ足りないものもいっぱいあるんさ」
治療師が治療を終えたようで、ロイクが虚ろながらも意識を取り戻す。血液が足りておらず、物理的に血圧が上がらないのだ。先ほど水増ししたせいで、濃度も下がっているだろうし。
だが、一命は取り留めた。もう、すぐに命を落とすことはないだろう。彼の行く末も決まっている。処刑台の階段を、自分で昇るという大きな仕事が待っている。
そしてもう一人は……。
「さすがにこんな小さな街までは、あたしたちの手は伸びてないよん。伸びていれば、人事まで何とか出来たんだろうにさ」
「何を、焦っているんです?」
「何にも」
言いながら、エウリューケはくるりと回った。
「でも、あたし的なキミの教育じゃて。短絡的な答えに手を伸ばさなかったのはいいよ。でもでも、そうでなければならないときもある。そうしたほうがいいときもある。今回キミはそれを見分けられなかった。次の課題よねー」
くるくると踊るように回りながらエウリューケはそう口にする。やはり何か違和感があった。まるで何かの時間が迫っているかのように、それを遠回しに口にしているような気が僕にはした。
「だから、今回のはカラス君への罰則よ。そのおっちゃんは死ぬ。次はそうならないように気をつけてね」
「僕が治すとは考えないんでしょうか」
悪性腫瘍。その程度なら、僕には治せる。間違いなくエウリューケにも。再生魔法の応用でも、物理的に切り取ってもいい。さすがに微細なものは見逃してしまうかもしれないが。
「治さないよ。だってキミは、あたしに恩を感じているからね。今日返して! 返せぇぇ!!」
ガーっと、飛びかかるような仕草をエウリューケはした。実際に飛びかかってくるはずもないし、迫力もないのだが。
「いや、治す気もないですけれど。たしかに、その人は死んだほうがいいとは思います」
「でしょ? 知ってたし!」
無い胸を張り、エウリューケはそう言いながら跳ねる。
マルセルは死ぬべきだ。
でも、手を下すのであれば僕がやるべきだった。
この苦い気分はそのせいだろう。そう思った。
GW死すべし




