投じた石ころ
衛兵の詰め所から少し離れた僕らは、とりあえず適当な人目につかない屋根の上に移動する。
高い建物がほとんどない街だが、衛兵の詰め所の屋根の上が石造りで広いためにちょうどよかった。ちょうど真ん中辺りならば、下から見られてもほぼ見つからない。
僕はそこに座り込み、荷物を開く。
「何を使うんで?」
「いえ、何を使うかというよりは、なくなっていないかの確認ですね」
中に入っていたごく小さな鍋や刃物はもとより、薬や貨幣の確認だ。薬などは時折確認しているためよく覚えているが、お金はどうだっただろうか。
薬はおおまかに、金貨や銀貨銅貨は一枚一枚取り出して確認する。半鉄貨まで残ってはいた。
実はお金に関してはいつも数えていないのであまり自信はないが、それでも恐らく消えてはいないだろう。
いい機会なので数えておく。金貨十二枚に銀貨三十枚、あとは細かい硬貨で銅貨五枚分ほど。背嚢の底の方に貯まっているのでずしりと重たい感じはしていたが、そんなものだったか。
……この背嚢の中に入っている分だけで、平均的な一般市民の年収の一年分以上あったわけだ。
なるほど、それだけ無防備に持ち歩いていれば、たしかに不審な気もする。
「わぁお! 金持ちやん」
「いまここにあるのは僕の家を除く全財産ですからね。まあそんなもんです」
昔は金貨一枚で喜んだのに、今はこれが当たり前だ。本当に、そういう意味では変わってしまったのだろう。
まあ、消えていないのであればいい。正直銀貨の数枚が消えていても気付かないし、金貨すらわからないと思うけれど。しかし、官憲として取り上げるのであれば全額持っていくだろう。
接収されていない。もしくは、気付かぬように接収されている。
そのどちらかであれば、今は充分だ。
適当に何枚か手の中で弄びながら、僕は考える。あの強盗に聞かせる言葉について。
そして、すぐに決まった。
「じゃあ、いきますか」
「おう、いくかい? そのおっさんとおなごのもとへ」
「ええ」
僕は立ち上がり、一度深呼吸する。
今回は信じさせない。この街では僕の言葉など誰も信じない。だから、出来ることがある。
少し探せば、男たちは街の外れ、畑の並ぶ一角で畑の草取りに従事していた。
背の低い草を握り、引っこ抜く。刃物などで刈り取らないのは、それが収穫物でもなくそして根っこすら残しておきたくもないからだろう。千切れた草の汁で手が汚れて茶色く染まっていくのを見て、僕はその手が血に染まっているのを想像した。この仕事とは、何の関係もないのに。
その畑のすぐ手前で僕たちは立ち止まる。それだけで、不審人物たる僕らに彼らは注目した。
手が止まり、僕の足下を見て眉を顰め、そして頬を拭いながら僕の顔を確認する。
「おぇ!?」
叫び声を小声で堪えられたのはいい反応だ。その声に、娘のほうも僕らを見た。
二人とも、僕が引きずってきたときとは違い、野良着のような服を着ている。ゆったりとした白っぽい生地で、袖の辺りは草で肌を切らないようにだろう、長袖の先が赤い紐で縛れるようになっている。
娘の方だけ頭巾を着けている。双方とも手袋がないのは貧困からだろうか。たしかクラリセンで見たオラヴは使っていたような気がする。
「お前、なんで……!?」
「牢から出てこられた理由ならば、考えるまでもないでしょう。僕は無実ですから」
ニコリと微笑むと、二人ともが身を引く。手に抱えていた草の束を取り落として。
「……精が出ますね。こちらは真面目にやっているようで。……いえ、あれも真面目でしたか」
「な、何の話かわからねえな。つーか、何しに来たんだよ、お前は」
男が身を引き、後退る。だが、背にしているのはネルグの森だ。逃げようとも、必ず捕まえる。
「何の話かわからない、というのは明らかな嘘ですね。僕は貴方たちに襲われ、この街まで連れてきた。何の撞着もなく、貴方たちの罪は本来明らかですし。僕がそのためにここに来たのもわからないわけがないでしょう。それに、貴方たちの嘘も……」
「んなわけねえだろ、なあ。俺たちはお前に襲われて、ひでえ目にあったんだ! それともなにか? また俺たちに暴力を振るって、無理矢理犯人に仕立て上げる気か!?」
また後退り、娘を庇うように男は立つ。その動作だけはかっこいいのだけれど。
そんな男に僕はわざと微笑みかける。出来るだけ、他の何かを匂わせるように。
「そんなことはしませんよ。僕は衛兵の人も認める無実の人間ですし」
「つーか、なんでお前は出てこれたんだ、俺たちが暴力を振るわれたのも事実なのに!!」
それを言われると僕も弱い、が、僕の中ではそれは彼らのその次の行動で帳消しになっている。嘘をついて僕を罪に陥れた。それを本当のことにしてもいいが、その場合はもはや衛兵が介在しない最後の手段だ。
「衛兵の人も話がわからないわけではないようで。いや、こういった貧しい街の方はみんなそうなんですけれどね」
文脈は読みづらいが、この男ならきっと正しく誤って読み取ってくれるだろう。
僕が言葉にしておらず、そして本当に言っていない意味まで。
「……と、失礼しました。貧しいは言い過ぎでしたね」
重ねてそれを強調すると、男は目の色を変える。唾を飲み込むため、大きく喉を動かしながら。
「お父さん」
「黙ってろ」
ここにきて初めて声を上げた娘を男は止めた。それから、瞬き少なく僕らを見た。
「……いくらだ?」
「何のことかわかりませんし、僕に対しては使えない手だとも思いますよ。僕、それなりに金持ちなので」
「ヒヒヒヒヒ」
エウリューケの言葉を使わせてもらえば、エウリューケが忍び笑いをする。だがその言葉に、とうとう男の顔色が変わった。
もう一押しか。
「貴方たちが犯人だと、僕は知っています。衛兵がきっと貴方たちを捕らえに来るでしょう。逃げても無駄です。その場合は、僕が追いますから」
「お前に、何の権利があって……」
「権利? ないですね。でもやはり、この貧しい街ですから……」
僕は街を見る。本当に貧しい街だ。副都イラインと比べるのは可哀想ではあるが、僕が過ごした開拓村よりも、再建されたクラリセンよりも貧しい街。まだ村といってもいいほどの。
「いくらくらいで買えるんでしょうね?」
「!!」
男がとうとう決心したらしい。顔が青くなる。何処かへ行こうと一歩踏み出し、そして僕らの顔を見て止める。もういいだろう。
「さて、僕らは行きましょうか」
「もういいのかい?」
「はい。どうせ彼らは逃げられないでしょうし」
もう一度彼らを見て、僕はぺこりと頭を下げる。
「それでは。貴方たちが処刑台に上がる日を楽しみにお待ちしております」
「おま、待……」
僕はエウリューケとともに姿を隠す。
突然消えた姿に、二人はまた目を丸くして驚いていた。
今回は空間転移は使っていない。だが、目の前で消えればそれで充分だろう。
魔法と同じく魔術に関しても知られてはいない。認識阻害も透明化も転移魔術も、一般人が見たらそれは等しく『よくわからない現象』だ。
二人は上手く勘違いしてくれようで、僕らが去ったと思い込みまず安堵の息を吐いた。
「……本当に、これだけでいいのかい?」
エウリューケが僕に尋ねる。心配はわかるし、大丈夫じゃないのかもしれないが、それでもこれで駄目なら次がある。彼らの末路は変わらないが。
「ええ、おそらくは。しばらく見守っていましょうよ」
僕らがいなくなって途切れた緊張感。だが、彼らにとっては変わらず切迫している状況のはずだ。
それを二人ともわかっているらしい。安堵の息は吐ききられず、男が娘に向かって叫んだ。
「ロマ、念のためお前はしばらく身を隠していろ! ミールマンまで行けばとりあえず何とかなる!!」
「でも、お父さんは……」
「俺は……」
そして忌々しそうに舌打ちをすると、身を翻した。
「俺はマルセルのところにいってくる! いいか? 俺が迎えにいくまで、この街には戻ってくるなよ!?」
「……おと……」
答えも聞かずに男は街の中に走り出す。することはわかっている。
「さて……」
「待って待って、念のためにやっとかんと」
僕らも男を追おうとエウリューケを促そうとすると、そのエウリューケから待ったが入る。
「何ですか?」
「一応ね。この子も見逃しちゃまずいっしょ」
視線の先の、さきほどロマと呼ばれていた娘。彼女もいうが早いが準備を始める。
頭巾を解き内側を見れば、そこには金貨が縫い付けられている。用意周到なことだ。確認だけだったのか、また頭巾を巻き直した。いや、これは確認のためだけではない。髪型を変えているのだ。
一応手荷物は持ち歩いているようで、畑の脇に置いてあった小さな麻袋のような袋を掴み上げ、中に丸めてあった接ぎだらけの外套を羽織った。
その娘に近寄ると、おもむろにエウリューケは自らの袂から丸めたハンカチのような布を取り出し、その外套の内側に上手く貼り付ける。
当然そんなことは知らない娘は走り出す。小走りだが、ミールマンを目指したたしかな足取りで。
「捨てられちゃ困るけど、あれでいいしょ」
「何です? あれ」
見送りながら、エウリューケは肩を竦める。それから笑顔で僕を見た。
「発火式の魔法陣! あたしが魔力を飛ばすと燃え上がるから、ミールマンで見つけやすいのよ」
「……ああ、どうも」
意図がようやくわかった。名前も特徴も知っている以上、探せば見つかるかなぐらいにおもってはいたけれど、たしかにその方がわかりやすいか。
「接ぎだらけでよかったねー。あれならわからんじゃろ」
「まあ完璧に紛れてましたね」
たしかに簡単にはバレないだろうし、エウリューケのすることだ。耐久性なども問題ないだろう。しかしそんな用途があったか。
いや、発見方法が『服がいきなり燃えた人を探す』という派手なものになるから少々心配なのだけれど。
「さて、見失わんうちにいかにゃ」
「そうですね」
もう一度僕らは男のほうを見る。街の中に入っていった後ろ姿は、とても見つけやすかった。




