せめてもの
「探索者……〈狐砕き〉のカラスだな」
「……あれ?」
エウリューケと別れた後、一欠片のパンと小さめのジョッキに一杯の濁った水という最悪の朝食をとっていた僕に、牢の外から声がかかる。
見上げるほどとはいわないがそれなりの大柄な体。露出度の高い衣装……下は粗末なズボンだが、上は裸の上に……これはエプロンかな? 黒い大きな前掛けをつけた男性が僕を見下ろして立っていた。
えびす顔が、監獄に似つかわしくない。
いや、それよりも。
「身元が知れてるんですか?」
僕の異名を口にしているということは、僕の身元を知っているはずだ。当然のように、探索者として僕がやったことも知っているということ。
困った。事前に用意していた会話がほとんど無駄になってしまった。
「ネルグ近郊でカラスと名乗る探索者、黒衣を纏う小兵となれば、間違いはないだろう。このような生業をしている以上、知らない方がおかしな話だ」
「それはそれは。でしたら、ここから出していただけませんか?」
僕が金貨を持っていた理由は出来た。ならば、疑いをかけた理由のひとつはなくなる。
もちろんそれだけではどうしようもなく、僕を見下ろす男の目から、そんな様子は一切読み取れないけれど。
それから当然のように男は僕に命令する。
「出してはやろう。だが、行き先は尋問室だ。来い」
男の背後にいた衛兵が、牢の中に入ってきて僕の手を後ろ手に縛る。雑な縛りかたに、青い蔓を使った粗末な縄。僕の名前を知っているというのなら、こんなもので僕を拘束できるなどと思ってはいないはずなのに。
男の後ろ姿が、うきうきと嬉しそうに見えるのが少しだけ気分が悪かった。
取り調べを受けていた部屋と同じではあるが、今回は机はなく椅子のみだった。見回せば、明らかに道具が増えている部屋の中央で、僕は座らされた。
衛兵は扉の外で帰された。……おそらく、中を見られたくないのだろう。
「さて……。素直に喋っても、喋らなくてもいいぞ」
「尋問官なら尋問官らしく、『真実を吐け』とか言えばいいのに」
僕が溜め息交じりにそう言うと、尋問官の顔色が一瞬だけ変わった。そして次の瞬間、僕の腹部に蹴りが入る。障壁を重ねて防いではいるが、通常ならば朝食のパンがそのまま出てくることになるだろうに。
その足から伝わる固い感触に何も感じないのか、尋問官はただ薄く笑って無反応の僕を見た。
「口を開いていいのはこちらから聞いたときだけだ」
「……」
「殊勝だな。さて、貴様の罪状だが……」
エプロンの裏から手紙のような物を取り出す。おそらく、『カラスがやったこと』が書いてあるのだろう。僕に何の心当たりもないものが。
「貴様は十日前以上から、あの道で度々強盗を行っていた。被害者は全て殺されて、金品を根こそぎ奪われている。貴様が白状した拠点の近くから、何人もの遺体が見つかっている。獣に掘り起こされ、食われて白骨化していたが」
「まあ、ネルグに遺体を放置しておけばそうなりますか」
死んだ人間の肉は獣たちの絶好の餌だ。逆に損壊していない方がおかしい。僕が見つけた女性は、それなりに長い間息があったのだろう。その長い時間が、きっと彼女を苦しめていたのだろうが。
突然、尋問官が僕の頬を張る。障壁越しに。
「口を開くなと言っただろう」
「…………」
見返すと、尋問官は笑顔を強める。相手の状態を気にしないというのはこの男の癖なのだろうか。というか、痛がりもしない相手を妙だとも思わない時点でおかしいのだけれど。
「貴様が口に出していいのは、『私がやりました』という言葉のみだ。さて、まずはどれからいこうか……」
尋問官は壁に歩み寄り、置かれた刃物を手にする。
刃は付けてあるものの、打ち合えはしないほどの薄い大きな包丁のような剣。それを二本手に取り、研ぐように擦りあわせた。
金属音が朝の部屋に響く。朝に似合わない不快な音だ。
殊更に僕の耳元で、尋問官がその音を響かせる。
「この剣はよく切れるぞ」
にやにやと笑う顔がとても不快だった。
しかし、言われっぱなしも癪だ。
正直、予想外だった。僕がカラスだと思っているにもかかわらず、尋問を続けるのは。さすがにそこまで来たら釈放すると思っていた。仮に探索ギルドに照会したら、ギルドの方からも何かアクションがあっただろうし。
ならばこの男の目的は?
もちろん、尋問官である以上、罪を白状させるのが目的ではあるだろう。しかし、それだけではない。絶対に。
考えるまでもなく、この不快な笑顔からそれを察することは容易だ。
「……素直に喋れば許していただけるんですか?」
「どうした、急に怖じ気づいたのか。あのカラスともあろう者が?」
不快な笑い方。これは、吐かせるのが主目的ではない。
「いいえ。素直に僕はやっていないと言い続けます」
「そうしてくれ、気が変わるまでな」
尋問官が、僕の太腿に刃を突き刺そうとする。突き立てられた刃は服の上で止まって、僕には全く触った感触すらない。
そこでようやく尋問官は不審に思ったようで、眉を顰めた。
「……貴様の体はどうも変だな。いっぱしの闘気でも扱えるのか」
「おかしなことを言いますね」
そして、今の言葉で僕もわかった。何故僕の名前を知っているのにこの男がここまで尋問を続けたのか。
いや、知っているわけではないのだ。
信じてもいないだろう。そうであってほしいと思っていただけで。
そして、頃合いだ。窓の外、尋問官からは見えない位置に青い髪が垂れて覗く。窓の外に張り付いて彼女がサムズアップしているということは、連れてきてくれたのだろう。ならば、彼は嘘は吐くまい。本当のことも多少隠すだろうけれど。
ならばもう尋問官にも用はない。僕が僕であると証明する話に、僕がリドニックにいたことを示す話はいくつも考えていたけれど、この男には不要だろう。
頭の中で、言い返す言葉がまとまっていく。
ただ、最後に色々と言い返して終わりたい。
「《狐砕き》カラスであれば、魔法使いのはず。今更僕が闘気使いだと思うこともないはずですが?」
「いいや、貴様はカラスだ。そうだろう? だから闘気を使うというのも誤りだ」
「ではどうして、貴方の刃は僕に届かないのでしょうか?」
「さて、もう一度やってみればわかるかも、な!!」
振りかぶらず、だが勢いよく僕の脇腹に剣が突き立てられる。
だが、今回は無抵抗にはしない。
腹部に触れる前に刃を切断。こぼれ落ちた刃を足で受け止め、つま先に乗せたままエプロンに蹴り込む。エプロン自体が固いらしく、上手くエプロンに傷をつけるだけのところで止めることができた。
「…………!」
「足を拘束していないのは駄目だと思いますよ」
力を抜けば、カラン、と刃が床に落ちる。
「……抵抗したな」
「傷一つつけていない今のこれを、抵抗と呼ぶのであれば」
尋問官の笑みが強くなる。残っている剣を構え、僕に突きつけながら。
「抵抗したなぁ!?」
「嬉しそうですね」
「そんなことあるわけがない! 貴様はカラスだ! 抵抗されればこちらが傷つくのは必至! 私は身を守るために貴様を殺すしかなくなったわけだ!」
「……もう少し、目的は隠した方がいいかと」
というか、仕事をすればいいのに。尋問……というよりは拷問官に近いようだが。
もう少しまともな人が来ると思っていた。
しかし、まあ順当かもしれない。尋問官自体はいっぱいいるのだろうけれど、ネルグの北側、一般的には僻地と呼ばれるこの土地にまで出張してくる尋問官はよほど熱心な者かもしくは不真面目な者が多いのだろう。
熱心な方に来てほしかったけど。
目的もわかった今、もう丁寧に接する必要もない。
「なに、始末書の一枚で済む。貴様の命はそれだけの価値しかない」
「……そうですか」
僕は立ち上がる。その言葉を聞きたくはなかった。
そろそろ本格的に、この国とはお別れかもしれない。普通に付き合うことが出来るのは、きっとごく少数の人間のみなのだ。
「ハハハ、いや、この街の衛兵から要請を受けたときは驚いたぞ。何人も殺した殺人者の尋問、犯人はカラスを名乗っている。そんな」
「『そんな絶好の機会があるなんて』」
「絶好の機会が……」
顔を背けながら言葉を継ぐと、言いかけて尋問官は黙る。
「『場合によっては途中事故として殺してしまうのもやむなしだ。誰にも文句は言わせない』」
「……黙れ」
半笑いのまま固まり、それだけ言って僕の言葉を止めようとする。予想した言葉だが、もう間違いではあるまい。
「『どうせ偽物だろうが、それでもあのカラスだと思えば楽しいだろう』」
「うるさい」
「『本物には手が出せないのだから、それだけでも気は……』」
「うるさい!!」
今度は剣を大上段に振りかぶる。
だが、ちょうどいいタイミングだ。
ノックの音の後、扉が開く。
「失礼しま……!?」
「!!」
入ってきた衛兵にとっては驚いたことだろう。上手くタイミングを調整できたようで、尋問官も固まって扉のほうを見た。
「じ、尋問官様?」
「……助けて下さい!」
僕が叫んで衛兵のところに飛び込むようにして駆け寄れば、それを追って尋問官が動く。
流石に、尋問の域を超えている。そうきちんと判断してくれたようで、衛兵が僕と尋問官の間に立ちふさがった。
「ど、どうされたのですか?」
「そいつが、そいつが私を……どけ!」
そいつ、と指さされた僕を衛兵が見る。だが、その視線はすぐに切られ、尋問官を宥めるように両手が突き出された。
「申し訳ありません、すぐに、カラス殿を釈放しろと……」
「な!?」
驚き僕の顔を見た尋問官だけに見えるよう、挑発のためにわざと笑顔を見せる。
「……っ!!」
その挑発にすぐに反応した尋問官が、剣をもう一度構えようとするが、衛兵を見てそれをやめた。
憤懣やるかたない様子。だが、それをみて気が少しは晴れた。我ながら性格が悪いとは思うが。
「では、僕はもういいですね。帰ります」
「あ、ああ」
「朝ご飯、ごちそうさまでした」
僕は頭を下げて歩き出す。
一食浮いたと思えばここまでの扱いへの怒りも……晴れないか。
荷物を受け取り外へ出ると、詰め所の門のところで、二人が僕を待っていた。
「ちぇー、せっかく派手ななんかが見れると思ったのになー」
「まずそれですか」
エウリューケが唇を尖らせるが、それに関しては僕は知らない。
「今からでも火つけちゃおうぜ!?」
「駄目でしょう」
僕はちらりと後ろを見る。エウリューケの言葉に反応したくても出来ない衛兵たちがそこに立っていた。
僕を待っていたもう一人の男性が、腕を組んだまま寄りかかっていた壁から背を離す。
それから深い溜め息をついて、僕の顔をじっと見た。目の下の深いクマが、その顔を不健康そうに見せていた。
僕はまた頭を下げる。
「お手間をおかけしました。ご恩はきっとお返しします」
「……いらん。貴様には何の咎もなく、そんな無辜の人間を守るのが我らの務めだ」
形式張った言葉。だが、本心ではあるのだろう。
エウリューケが連れてきてくれた男、ウェイトは言葉を吐いた後、力なく腕を下げた。
「どんな風に説明してくれたんでしょうか?」
「貴様は、この強盗事件が起きた当時我ら……我と一緒にいた。それだけを説明した」
「まあ、本当のことですね」
「当然だ。我は当時、イラインにいたのだから」
僕の言葉ではなく、聖騎士の言葉なら衛兵も信じられるだろう。そうは思ったが、それだけで僕の疑いが晴れるとは、やはりこの街の官憲は最低だと思う。
いや、多分実際は疑いも晴れてはいない。当初僕はリドニックにいたと主張していたのだから。だが、聖騎士という国家直轄の騎士団員の言葉を無下にすることは出来ない。それだけなのだ。
「……そこの女に言われてからも、この目で見るまでは信じられなかった。お前は、生きていたんだな」
「ええ。幸運にも」
僕の身の潔白を示すことと、一応ウェイトに挨拶をすること。その二つの目的は果たせたようだ。
ウェイトにとっては複雑だろう。あの戦場の誰もが死んでほしくはなかったのだろうが、それでも僕が生きていて、そしてあの人は……。
「プロンデが死んで、お前は生きている。何故だろうな」
「……申し訳ありません」
気持ちはわかる。僕が思わず謝ると、ウェイトは唇を引き締め、目を強く閉じて溜め息をついた。
それからまた僕を見る。
「いや、すまなかった。これは単なる八つ当たりだ。これに関してはお前を責める筋合いなどなかった」
意外にも素直に謝る。親友の死は、それほどまでにウェイトにダメージを与えているのだろう。前であれば、僕にまた嫌みの一つを吐いて終わらせたのだろうに。
「意外か?」
「いえ」
いや、そう思ったけど。だがそれを言い当てられたようでドキリとした。先ほどの尋問官の気持ちを今ここで追体験するとは。
「……わかっているのだ。あいつが死んだのは、我のせいだ」
「殺したのはプリシラさんでしょう」
「そうらしいな」
そしてまた意外にも、犯人がレイトンとも思っていないらしい。僕の言葉に素直に頷いたウェイトは、苦々しい顔で拳を握りしめた。
「だが、我のせいだ。お前を追うためにリドニック入りを決めたのは我だ。レイトンへの憎しみに身を任せて、スニッグまで追っていってしまった」
「…………」
「直前まで、露台で話していたのに。一緒に入ればよかったのに。そうすれば、二人なら、……」
空を見上げて、ウェイトは後悔の言葉を重ねていく。
そしてそのまま、体を背けた。僕に顔を見せないように。
「そう、全ては我のせいだ。だがしかし、我の未熟のせいだろう。このままでは貴様にも怒りを向けてしまう。それが単なる八つ当たりだと知っていても」
「それは」
仕方のないことだ。そう取りなそうとしても、ウェイトはその言葉を制するように続けた。
「わかっている。これは理不尽だ。しかし我はこれ以上我慢できそうにない。プロンデが死んで、貴様が生きている。そんな事実に。だからこれ以上、貴様と話すことはない」
一歩踏み出す。せめて僕から離れるように。
「女、用は済んだろう。送れ」
「……うぃーっす」
エウリューケすら、重たい雰囲気に対抗できないようでおとなしくウェイトの指示に従う。魔力は充分なのだろうか。
エウリューケがウェイトの肩に手を添える。
そして消える瞬間、もう一言ウェイトは添えた。後ろを向いたままで。
「……お前が生きていて、よかった」
それは多分、プロンデの言葉なのだろう。そんな気がする。
二人が一度に消え去る。後方でこちらを窺っていた衛兵は目を丸くしわずかに声を上げた。
衛兵の詰め所を軽く眺める。
小さな建物だ。だがこの小さな街に似合わず、この街とイラインの街としての規模の比率からするときっと大きいのだろう。
村から街へと昇格してすぐなのだろう、新しい石造りの建物。まわりの木造の建物からすれば少し異質にも見える。
僕はそう建物を眺めながら、あの親子への処置の算段をつけていく。
衛兵の採用基準は知らないが、昨日の様子ではあの衛兵はこの街出身なのだろう。古くから知っていたような気さえした。
ならば、きっとあの強盗犯からしたら昨日の衛兵は気易い仲で、そして他の町民からも同じようなものなのだろう。小さな村だったら、当然ともいえるものだ。
そしてそんな関係が村の中で作られている中、街道での強盗殺人が起きた。それがあったことを認めたからこそ、僕が……。
考えている間に、僕の視界の隅で青い髪が跳ねる。
「……お帰りなさい。ありがとうございました」
「ただいまー! 疲れたー!」
そのまま地面に寝転がりそうな具合に体を揺らして、エウリューケは応える。だが一度目をぱちくりと瞬き、僕の肩を抱いた。
「それでそれでー? こっからどうすんのさ。真犯人、拷問しちゃう? 血吐かせようぜ、肉削ぎ落そうぜぇ、臓物を道端に並べてやろうぜぃ」
「……そんなことはしませんよ。自白の強要なんて、また僕に疑いがかかるだけじゃないですか」
そんなことをしても意味はない。というか、最後のは明らかに死んでるし。
今回の敵は、村の中での友好関係だ。小さな村で生きるため、相互に確認し合い維持してきた信用が、今回の敵だ。
ならば、強要しても何の意味もない。
人は信じたいものしか信じない。
であるならば、この状況だからこそ出来ることがある。
「……自分から、言ってもらいましょう」
「ほへ???」
エウリューケの戸惑う顔がなんだか面白くて、僕はリドニックを出てから久しぶりに普通に笑った。




