カラスの証言
森を分け入り、東を目指して少しの後、街道に出た。
やはりまたネルグの方に向かい伸びている道で、どこに出るかはわからない。ミールマンに行くか、それともムジカルの方に行く道か。
それでも、森に若干飽きてきていた僕は道を進む。どちらかといえばムジカル方面に向かい曲がっているようにも見えたというのもあったが。
この先に街があるということを示す標をいくつか通過し、僕は歩き続けた。
舗装などはされておらず、ただ踏み固められただけというような道。まばらだが絨毯のように絡まる根が少しだけ潰れて削れて見えるということは、それなりに人は通るのだろう。
しかし、今歩いているのは僕だけ。
だからこれは、彼らにとって絶好の機会なのだろう。
前方、少し遠くに蹲っている人が見えた。
よく見れば僕よりも少し上くらいの子供で、おそらく女性。遊んでいるとかそういう風ではなく、空腹や腹痛などの体調不良でしゃがみこんでいる。そんなように見えた。
進行方向だ。注意しつつ、それを悟られないように歩き続けた。
注意しているというのは少女にではない。いや、少女にも警戒は必要そうだが、そうではない。
道に気配が三つあるのだ。僕と少女、それと誰か。
理由はわからないが、見当はつく。道の端に寄っている少女とは反対の位置にある茂みの中から、誰かが少女を窺って見ている。
初めは、少女を襲おうとしているのだと一瞬思った。
だが、おそらくそうではない。
やがて、少女のすぐ近く、つまり少女と誰かの間を通る。
一応、ちらりと少女の様子を窺い見た。
その結果、やはり心配はなさそうで、血色のいい頬にわざとつけたような泥がついていた。
ならばやはり、これは声をかけるなどするわけにはいくまい。
結果、素通りを決め込む。あとで衛兵にでも一言伝え、不穏な動きを……。
「……あの、もし……」
……思えば、道を変えれば良かった。森へまた分け入るとか。少しだけ後悔した。
既に姿を見られている以上、姿を隠すことは出来るだけ避けたいが、そうしてもよかったかもしれない。
どの対応もとれなかったのは、薄い用心深さと、過剰な警戒心のせいだろう。また反省しなければ。
とりあえず僕は振り返り、声をかけてきた少女を見る。
その後の結果まで予想しながら。
「……なにか、食べ物はお持ちでないでしょうか……、空腹で、動くこともままならず、喉も渇いて……」
消え入りそうな声。知らずに接していれば、騙されてしまう者もいるのだろうか。その頬は痩けも見られず、太ってはいないが、明らかに飢えてはいない。昔のハイロやリコのほうが、よっぽど不健康そうな状態で動いていた。
「……申し訳ありませんが、人に差し上げられるものは持っていないので」
リドニックで買った野菜の食べ残しなどなら少しだけあるが、これは人にあげるわけにはいくまい。
そもそも、そんなものも要らないはずなのだが。このネルグの森の中、食べられる果実はそこそこ実っている。
台詞的には、おそらく千年前の勇者の英雄譚でも参考にしたのではないだろうか。あれはネルグではない森だから成り立っていた台詞なのに。
しかしまあ、手間が省けるといってもいいかもしれない。
衛兵への通報も、犯人がいたほうがいいだろう。
「でしたら……」
「仲間はお二人だけでしょう……か!」
僕は少女の言葉を遮り、背後に迫る棍棒を念動力で止める。
ついでにその棍棒を握る男性の動きも止めて、振り返り様に首を蹴り飛ばせば、男性は吹っ飛んで転がっていった。
「ゲッ……!!」
転がりながら、呻き声を発する男性。外見年齢は三十過ぎだろうか。
僕より少し上だと思う少女の、父親くらいの年齢。血縁があるかは知らないけど。
「てめえ!」
男性は慣れていないような受け身をとり、それから僕を睨んだ。身のこなしからすれば、棍棒を手放していないのは意外。常日頃からそういうものを扱っているのだろうか。
おそらく常人。それを確認した僕は、彼らの周囲の酸素を取り除く。それだけで、二人ともが地面に倒れ伏した。
とりあえず寝た二人を並べて、服装を検分する。
どちらも、汚されてはいるし豪華ではないが、一応仕立てられた服だ。サイズも合っており、もともと自分の服として買ったものだろう。
そして二人ともに、身体的な不調は見受けられない。やはり、全て最初から演技だった。男性はネックレスまでしている。爪の中に泥もなく、その他の様子を見てもこの近くに住居があるのだろう。
検分はもういい。二人を放置してもいけない。両手で二人の襟首をそれぞれ持ちながら上空まで飛び上がり、周囲を見て探る。
少しだけ離れた場所に、森に囲まれた小さな街がある。街か村かも正確にわからない程度の規模だが。
それは僥倖だ。だが、探しているのはそれではない。
ここまでくれば、彼ら二人の目的はわかっている。
強盗だ。
通りがかりの人間の気を少女が引いたところで、男性が後ろから殴りかかる。そして金品を奪うというのが手口だろう。
しかし、その場合はあったほうが好ましいものがある。
彼らは武装はしているけれど、手荷物などはない。いつ獲物となり得る者がここを通るかわからない以上、待機などをするためにもっと装備が必要だ。食べ物は周囲にいくらでもあるが、休憩する場所なども必要だろう。僕とは違って。
その、拠点がどこだか知りたい。
一つ気になることがあった。
男が使っていた棍棒。太い木の枝を加工した簡素なもの。それなりに重たく、無防備な頭部に当たれば大事になるだろうものだったそれは、幾度も硬いものに打ち付けたように歪んでいた。
以前、僕の偽物がやっていた手口では、被害者に怪我をさせることはなかった。そのために大事にならず、場所も王領とライプニッツ領の境だったということで衛兵は動かなかった
だが、この手口では怪我人、もしくは死人が出るのだ。
もしも怪我をした被害者が逃げおおせて、金品を奪われたと衛兵に訴え出れば流石に衛兵も動くだろう。
それを防ぐために、とてもとても有効な方法がある。
彼らがその方法をとっていないと願いながら少しだけ見て回れば、少しだけ離れた森の中の茂みに埋まっている大きな岩、そこに簡素に布を張ってある場所があった。
目立たないようにカモフラージュされているため、上からでないとそうそう見つからないだろう。針葉樹のまばらな葉だから見つけられるだけで、上からでも見辛いが。
「……やっぱり……嫌な感じが……」
思わず呟きながら、僕はそこに降り立つ。予感ではない。臭気による実感だ。
血の臭いがする。鮮血ではなく、どちらかといえば古い血の臭い。四畳もない焦げ茶色の布の下。僕の身長よりもわずかに低いその木陰のような場所を覗き込んで、僕は少し後悔した。
岩に沿って、いくつもの小袋が置いてある。統一性のあるそれらの、わずかな傷からちらりと見える中身からして、『戦利品』を分類したものだろう。
ここに保管しているのは、一度に換金すると怪しまれるため、小分けにしているのだと思う。
だがそんなことはどうでもいい。
犯人二人の襟首を握る手に力が入る。首が絞まっているかもしれない。だが、目の前に倒れている人よりはマシだ。
苦しいかもしれない。だが、今僕の目の前に倒れている女性は、もう苦しみすら感じないだろう。
二人の襟首を放し、倒れている女性に躙り寄る。
まだ触れていないが、もう既にわかる。閉じられた瞳はもう開かず、その口や鼻はもう息を吸いも吐きもしない。
明らかに死んでいる。……主に下半身の着衣を乱れさせたまま。
死因は恐らく割れた頭。血だまりが出来るほど血を流しているのに、気絶しただけとでも思ったのだろうか、猿轡として布を噛ませて、手を拘束し腰に巻いた縄を杭に繋いでいる。
そして、着衣や取り去られてもいないアクセサリー類、そして小袋から見える彼女らの持ち物だったと思うものの特徴からみれば、明らかに彼女はリドニックの……。
「…………」
男性の腹部に思い切り蹴りを入れ、叩き起こす。拘束などはしていないが、充分だろう。
「ガッ……! アッ……!」
咳き込みながら、男性が目を覚ます。苦しそう、だが関係ない。
引きずり起こし、強制的に目を合わせる。
「ここは、貴方たちの根城であっていますか?」
「あ、ああ? んだ?」
僕の問いが理解できないようで、腰が抜けたように座り込んだ男性は一度周囲を見回し、それからまずいものを見られたというように口を噤んだ。
何となく、腹が立った。いや、この状況では、一応僕が腹を立てる要素はないはずなのだけれど。
「質問に答えていただけると嬉しいです」
「ゴホッ……!」
もう一度腹部を蹴り、そのまま腹部を踏みつぶすように力をかける。スナック菓子が割れるような音とともに、アバラが折れた感触がした。
男が叫ぶ。
「そ、そうだ、よ……! 死んで、んのかよ、そいつ! ちょっと遊んだだけ……」
支離滅裂なわずかな自白だが、答えは聞いた。もういい。もう充分だ。
「僕を狙っての強盗、死ぬかも知れなかった攻撃。いつもなら、殺してしまうところなんですけれど」
「ぃぃぃぃ……!」
言葉を遮り見つめると、口の端から血の泡を吐きながら、男は歯を食いしばる。無意識に足に力が入っていたらしい。
「治しません。さ、衛兵のところまで行きましょうか」
もう一度気絶させ、男と女を引きずっていく。
先ほど見えた街まで、歩きであれば少し時間がかかるだろうが。服がすり切れても構うものか。
「馬鹿なことしたねー。いつものカラス君らしくねえやい」
エウリューケが僕の話を遮り、鉄格子を揺らす。この後の顛末も想像がついたのだろう、少し楽しそうに。
「ええ。本当に。いつもなら灰にでもしてしまっていたんですが」
「そうっすな、全身の皮を剥いで道に広げとくよね」
「……それはしたことないですね」
頷きながら、エウリューケも怖いことを言う。さすがに僕も、面白半分でそれはやらない。
だが、本当にどうして生かしておいたんだろうか。そうは思うが、その解答は明白だ。
僕は彼らを、人を食べて生きていたあの少女に重ねたのだ。殺してしまえば後悔すると、そう思ってしまったから。
殺さない方が後悔すると、あのときは思わなかった。完全な僕のミスだ。
「続きを聞きます? もう大体わかっているでしょう」
「簡単にね。お願いなー」
「……まあ、飽きない程度に」
もう一度空を見上げる。話しているうちに、朝日の黄色みは少しだけ薄くなってきていた。
「……それで、自ら出頭してきたのは殊勝なことだが、どうしてあの親子を襲った?」
「違います。僕は襲われたので、彼らを気絶させて運んできただけです」
もう何度聞かれただろうか。僕はまた同じ答えを繰り返す。
彼らを近くの街に運び込み、衛兵に突き出したところ、とりあえずと彼らは引き取られ僕は奥へと通された。その時応対した衛兵のハンドサインから気になってはいたが、やはり、衛兵から見れば僕は得体の知れない不審人物らしい。
通された部屋は明らかに尋問部屋で、机と椅子二脚しかない簡素な部屋だった。わかりづらいが木の壁も補強されており、とりあえず凶器になりそうなものも椅子くらいしか見当たらない。扉というか出入り口は閉じられているが複数あり、どれもその先には衛兵らしき気配がする。容疑者が暴れ出しても問題ない部屋というわけだ。
鼻の下だけに分厚い髭を蓄えた中年の衛兵が、僕をじろりと睨み付ける。
「登録証があるということは探索者だということはわかる。何故あそこをうろついていた?」
「移動中です」
「依頼もないのにか」
「ええ」
観光という目的は理解されなかった。定住する場所を変えることはあっても、旅行という文化がないからだ。雪を見るためという理由を理解してくれたスティーブンやソーニャはやはり異端だったのだろう。
進展がないことに苛立っているのだろう、取り調べをしている衛兵は机を叩く。表情には出していないまでも、動作に出しては駄目だろうに。
やがて、入ってきた新たな衛兵が、中年の衛兵に耳打ちをする。それを聞いて、衛兵の口角が吊り上がった。
耳打ちといえども聞こえている。僕が先ほど伝えた、被害者女性の死体と戦利品置き場の場所へと衛兵がいってきたらしい。
そして戻ってきた。正直なありのままの報告と、一切の真実のない嘘を携えて。
「お前が言うとおり、女が一人死んでいたとさ。で、何故やった?」
「頭ごなしに決めつけないで下さい。僕は襲われて、先ほど連れてきた彼らが犯人です」
何故かは知らないが、やはり最初から僕が犯人扱いだ。
彼らにとって、素直に出頭した僕は、甘く見れる存在らしい。言葉の端々に侮りが見える。
衛兵が拳を振り上げる。
そして、そのまま勢いよく机に叩きつけた。大きな音が鳴る。威嚇だろう。
「まだ言うのか!? お前が連れてきた二人はなぁ! 治療院で目を覚ましたぞ!! お前に突然襲われたと言ってんだよ!」
「嘘ですね」
「じゃあお前が持ってる金貨はどこから出てきてるんだ!? ただの探索者があれだけの大金を持っているわけがないだろう!!」
「それについては、探索ギルドに問い合わせてみていただければわかるかと。詳細は明かされないかもしれませんが、それなりに納得いただけると思います」
クラリセンで聞いた話では、衛兵たちは街間の連絡はほとんどないという。しかし、探索ギルドではあるだろう。僕の名前を出せば、金貨を持っていてもおかしくないとわかるはずだ。
だが。
「餓鬼が偉そうな口をききやがって、探索者なんざごろつきの集まりだろう。そりゃあ、儲かってる奴はいるだろうが、お前なんぞ木の実でも集めてるくらいがお似合いだよ」
「本当ですよ。少しは信じてもらえませんか」
「これでも忙しいんだこっちは! 賊の話なんか、信じていたらきりがない」
頬の筋肉が引きつるのを感じる。悪感情のない表情も疲れてきた。その表情がいけないのかもしれないけれど。
それから何度か堂々巡りを繰り返し、疲れたのか衛兵は頬杖をついて長い溜め息を吐く。
ここに至って肉体的な尋問がないのは僕が子供に見えるからだろうか。それもまた馬鹿にされている気がしてイライラしてきた。
「なあ、お前はまだ若い。殺したのはエッセンの人間じゃない。素直な態度を見せれば、数十年の強制労働で済むかもしれない。少しは認めたらどうだ」
「自分がやっていないことをどう認めろと仰るんですか」
「強盗をして生きるということは、人の道に外れたことだ。懸命に努力して、汗水垂らして生きている人間を、お前は今馬鹿にしているんだ」
……話が噛み合わない。というか、向こうに噛み合わせる気がない。
まだ僕の出自は知られていないはずなのに。
僕に信用がないということではなく、先ほどの二人に信用があるということだろうか。
「お前が罪を擦り付けようと襲撃したあの親子だって、そうだ」
「襲われたのは僕ですけど」
「もう四年前になるか。あの親子は母親を亡くしてな。働き手を一人なくした家族だが、それでも挫けずにまた畑を耕して暮らしているんだ。そんな彼らと自分を比べて、惨めだとは思わないか? 人を殺して奪って生きる、そんな暮らしが嫌にならないか?」
「それはその二人に言ってください」
言っていることは良い話に聞こえるかもしれないが、そもそも会話が成り立っていない。
いや、会話をしていないのだ。
きっとそもそも僕は目の前にはいない。彼の中では。
苛立ちが増していく。
目の前の衛兵は僕と話をする気がなく、このままでは犯人の二人はこのまま野放しになるだろう。そして僕は奴隷となり、どこかで働かされる。
たしかに僕は客観的な証拠は持っていない。彼らに襲われた傷もなく、むしろ男の肋骨を片側全部折っている。
だが、僕でない証拠ならいくらでも出てくるはずなのだ。
被害者の女性はリドニック出身。なら、リドニックのどこの街から……恐らく北壁の膨張騒動によるものだろうが、いつ出てきたか。そしてその時僕はどこにいたか調べればきっとわかるはずだ。
多額のコインを持ち歩けるだけの能力があるかどうかは、探索ギルドに問い合わせればわかるだろう。というか、僕は無自覚ながらも少しだけ名前が売れているし、名前を明かしてもいる。名前だけでもある程度察することが出来るはずだ。
追えるのはあの被害者の女性の足取りだけではない。戦利品の量から、被害者があれだけではないことも予想がつく。明らかに、複数人分だった。
そんな捜査などもせず、顔見知りの意見だけを信用し、僕の意見は聞き入れない。
僕の身辺を調べるなどすればいいのに、それすらもしない。ギルドに所属している以上、そこからいくらか僕の情報はわかるはずなのに。
妻もしくは母を亡くした彼らが可哀想? それはそうかもしれない。
ならば、僕は?
「僕は魔法使いです。彼らを傷つけてまでお金を儲ける必要はありません」
「馬鹿なことを……」
僕は指先に火を灯す。実際には、エウリューケのような高位のものであれば魔術師にも出来る動作ではあるが、一般的に詠唱なく魔法を使えるのは魔法使いだけだ。これだけで、信じることが出来るはずなのに。
「……その技能があれば、奴隷落ちしても優遇されるだろう。それが本当に魔法ならばな」
しかし、認めない。どこまで彼らは信じられているのだろうか。というか、魔法でなければなんだというのだろうか。充填魔術にせよ魔道具にせよ、使えるのであれば同じことだろうに。
もう一度深い溜め息をつき、衛兵はちらりと後ろを見る。扉の鉄格子越しに、夕日に照らされた廊下が見えた。
「わかったわかった。今日はもういい。正規の尋問官が明日来る。それまでは独房で、頭を冷やしておくんだな」
「……どうしたら信じてもらえますかね」
「素直に話せばいいんだ」
こめかみ辺りで音が鳴った気がする。
目尻を下げてそう口にする衛兵に、僕は暴力を振るわないようにするだけで精一杯だった。




