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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
夢の場所

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閑話:雪解け

SIDE:宿屋の親子

念のため。時期がずれてますしこの親子は無事です(最新話付近まで読んでから戻ってきた人に向けて)




「雪、降ってきたみたいね」

「あれ! 本当だ!!」

 木戸を開けて外を見た母の言葉に、ササメは大げさに反応する。それから合わせて外を覗き込めば、この国では季節を問わず毎日のように降る白雪がちらちらと舞い降りてきていた。

 青空混じりの曇り空を見れば、きっとこれは本降りにはならずもうすぐ止むだろうと、そう思った。そういった予想は、小さい頃から雪に慣れ親しんでいるこの国の人間であれば誰でも予想は出来た。

 ササメも、母であるシズリも、間違いなく。


 雪はもうすぐ止む、だが気温は下がってくるだろう。そうも思い、シズリはパタンと木戸を閉める。親子二人で営む宿屋には、今日もこれからは客は来ないだろう。そう思いつつ。


 受付に座り、ササメは中断していた編み物を再開する。誰に贈るわけでもない襟巻き(マフラー)は、既に何本も死蔵されているというのに。

 だが、受付に座り待機している最中の暇つぶしとしてはちょうどいい。わずかな小遣いからでも材料費を捻出できるそれを、ササメは辞める気はなかった。


「お客さん、今日も来なかったねー」

「そうね」

 戸締まりをしながらササメに応えるシズリの声は冷たい。異論などがあるわけではない。軽い問題を危惧してのことだ。


 客がいない。ササメは簡単に口にするが、それは小さな宿屋にとっての死活問題だ。


 一年前、吹雪と飢饉の年には、客は一人も来なかった。

 もちろん、それはこの宿特有の問題でもなく、当時は当たり前のことでもあった。エッセンとの国境沿いにあるこの街の宿を使うのは、何かしらの用事があってリドニックを訪れるエッセン王国の人間が多い。リドニックの人間が訪れないわけでもないが、そもそも飢饉で酷い情勢の時だ。外国人は入ってこなくなり、自国民は街間を移動することは少なくなる。


 仮に何処かへ行くとしても、重い税に懐も寒くなり、それなりに夜をしのげる宿屋よりも無料で泊まれる野外を選ぶ。故に、一人も客は来なかった。

 そして革命後も、それは続いていた。

 革命の後は、客足は少しだけ復活していた。しかしながら、緊張状態ともいえる国の情勢に、エッセン国民の足は遠のいたままで。エッセンとの交易は少なくなり、そのためにリドニックに足を踏み入れる者も少ない。


 今日も、客は来なかった。吹雪の前であれば、一日に数名は客が入っていたというのに。

 これではまずい。

 まだいくらか蓄えはある。宿の収入に、イラインから送られてくる仕送り。それを合わせて、何とか親子二人で生きる程度にはある。

 だが、これではいずれその蓄えも尽きる。元通り客足が復活するまで、待つことが出来るのだろうか。そんな悩みがシズリの脳内に吹き荒れた。


「……お母さん?」

 冷たい声はいつものことだ。しかし、一瞬だけ見せた深刻そうな顔にササメは尋ねる。だが、シズリは首を振り、殊更に笑顔を作ってそれをごまかした。

「なんでもない。さ、少し早いけど夕ご飯にしてしまいましょう」

 客が来ないのであれば、早く寝て明日に備えなければ。言い訳のようなそんな言葉を口にしながら。




 二人は向かい合い、シズリが作った粥をそれぞれ口に運ぶ。

 母と娘、いつもの顔ぶれである。そして職場も同じくして、ササメは今日は外出してもいない。故に二人の間に話題は発生せず、静かな夕食だった。


 器の底に木の匙が当たる。貴族であれば怒られている作法に適わない行為だったが、そんなささいなことは、庶民の二人には関係のないことだ。

 白葡萄酒などを使った酸味のある粥は本来朝食に食べることが多いものだが、今日は夕にそれを食べる。そのいつもとの違いに、ササメはシズリが悩んでいることを察していた。そして、その悩みの内容も。


 だが、その推測が正しいとしたら男女の間の話だ。親子といえども口を出すのは憚られるだろう。そう思い、口を噤む。代わりに、粥を啜る小さな音が静かな食卓に響いた。




 やがて日も落ち辺りは暗くなる。食堂内もちらちらと光る火屋越しの火の明かりが照らしているだけだ。客もおらず、静かな夜。雪が降ってきたのか、どこからか冷たいすきま風が吹いた。


 食堂内で椅子に座り、シズリは一人佇む。一人娘のササメのこと、宿の収入の減少、その他日々の悩みの種はいくつもあるが、そのどれもが解決することはない。

 どうしたらいいだろう。切迫しているわけでもないが、しかし無視することも出来ない悩みが、真綿で首を絞めるようにシズリを常に追い詰めていた。自分でも気付かないほどわずかなものだが、それは確実に。


 重圧に潰されるように机に突っ伏し、机の上に置いた黄緑色の宝石を指でつつく。

 指先ほどの大きさのその橄欖石(かんらんせき)は、夫と結ばれたその時に贈りあったものだ。

 二十年近く前の今よりもっと貧しかった頃の全財産を使って手に入れたもので、装身具として誂えることもできず、二人とも裸で保管していた。

 暗所でも輝くその宝石は、今でもシズリの心の支えだった。



 キイ、と軋んだ扉が開く。玄関の掃除を任せていた娘が入ってきたことを確認して、シズリは体を起こした。

 ササメはその姿を見て、少しだけ悲しくなった。しかしそれを表に出さぬようにして、笑顔で母親に報告する。

「お母さん、玄関の掃除終わったよ」

「そう。ありがとう、ご苦労様」

 ならば後は寝るだけだ。寝て、明日もまた来るかどうかすらわからない客を待つ。そうしなければ、とそう思ったが体は何故か席を立とうとしなかった。

 そして、ササメもまた、シズリの前を立ち去ろうとはしなかった。親の心配をするなどおこがましい。そうは思っても、今日の悩みの深さではもう黙ってはいられなかった。


「……なんかあったの?」

 しかし、それでも悩みの核心を聞くことは出来ない。故に、ササメは遠回しに尋ねるに留めた。

 シズリはその様子を見てクスと笑う。誰に似たのだろうか、その気の弱さは。いつもは明るい声で隠しているその弱気な面も、親の前ではお見通しだというのに。

「何でもない」

 ササメは、そのシズリの否定が嘘だと知っている。だが、それ以上追及できずに裾を握った。



 どうせまた、父親のことだ。

 ササメはそう察する。その机の上にある宝石を見ているときは、いつも同じ。夫のことを考えていたのだろう。そう見抜いていた。

 

 シズリの夫、ササメの父親は現在イラインへ出稼ぎに出ていた。

 それも、短時間のことではない。もう既に四年ほど、飢饉が起こる大分前に彼はこのリドニックを出た。

 その理由は、例に漏れず困窮だ。既にその時には、この宿の客足は鈍ってきつつあった。家族三人では生活できないほどには。


 必ず迎えに来ると彼はシズリに言った。

 無責任とも言える。いや、明らかに無責任だ。彼は愛する妻と娘を放り出し、隣国に逃げたといってもいいのだから。しかし、彼にはそれ以外に思いつかなかった。

 

 三人では生活できない。しかし幸運なことに、シズリとササメで宿の営業は出来るようになっていた。ならば、自分が宿から離れ、自活すれば口が減る分生活は楽になる。

 それに、エッセン王国で成功すれば、このリドニックよりも大幅に生活環境は改善される。そうして一発当てて、胸を張って妻子を養えるようになろう。そう、彼は考えた。


 宿の料理は彼の担当だった。料理には自信がある。

 ならばその腕で一旗揚げよう。ミールマンではなく、他の副都ならば、その料理の物珍しさから客も来るだろう。そう思って、彼はイラインに渡った。


 だが、それからもう四年も経つ。

 シズリもササメも、もう待ちくたびれていた。




 ササメは思う。

 もう父親は帰ってこないのだろう。自活するという目標が果たせず、野垂れ死んでいるかもしれない。それは極端としても、遠くイラインで自活できるようになった暁には、きっと自分たちのことは忘れてしまうのだろう。一人で生活できるのであれば、誰が面倒ごとなど抱えるというのだろうか。


 だから、母には父のことなど忘れて幸せに暮らさせてあげたい。

 しかし、本人にその気がないのであればどうしようもない。どうすればいいのか、ササメも決めあぐねていた。


 しかし、シズリとササメは別の人間だ。

 やはり二人の間にも思考の差異は存在し、そしてシズリは小さく切り出した。この頃ずっと温めていた計画を。


 あの魔法使いの少年がこの宿を立ったあの時に、頭をよぎった考え。

 シズリの作る粥は、このリドニックではありふれたもの。しかしその粥の味は、夫と共同で作り上げたものだ。遠く離れた街でも、その味を未だに変わらず出しているかもしれないというささやかな期待に膨らんだ計画を。



「ねえ、ササメ」

 深刻そうな声音。それに少しだけ怯えながらも、ササメは笑顔で返した。

「何?」

「お父さん、好き?」

「…………」

 その質問に、即座にササメは答えられなかった。否とは言えない。娘だからというわけではない。嫌な思い出などない、優しく頼もしい父だった。

 だが、素直に頷くことも出来ない。思春期の少女特有の、羞恥心の為せることだった。

「……嫌いじゃないけど」

「そう」


 シズリがササメの方を向く。真正面から見つめ、そして肩を竦めて笑った。少女のように。

「お母さんね、大好き」

「知ってるよ」

 冷やかすようにそう口にしてしまい、それからササメは不味いと思った。だがそれを気にする風でもなく、シズリは震える体を押さえながら続けた。

「お父さんね、迎えに来てくれるって言ったの。でも、……」

 シズリは唾を飲む。その緊迫した雰囲気に、ササメも唾を飲んだ。 


「……もう待てないって言ったら、どうする?」

「お母さんの好きにすれば」


 優しげな母の顔。いつも、仕事をしているときに自分を叱るときとは違う声音。

 冗談で返せるわけがない。だが、それでもぶっきらぼうに応えてしまうのはきっと人の性だろう。

 娘の気持ちを敏感に感じ取り、シズリは微笑む。素直じゃない娘だ。本当に、誰に似たのだろう。

 何となく気恥ずかしくなり、ササメは身を翻す。それ以上の話から逃げたかった。


 身を翻し、自分の部屋に向かおうと一歩踏み出す。明日も朝早いと、内心言い訳を口にしながら。

「おやすみ」

「おやすみ。貴方も、もうすぐ成人なんだから。いい男見つけなさいよ」

「別に今いらないもん」

「そんなこと言ってても、貴方もいつかは、ね」

 微笑みがニヤニヤとした笑みに変わる。それを見て、母は決意したのだとササメは悟った。

 ササメは溜め息をつく。

「わかったってば。……()()()()()一番いい男を見つけてやればいいんでしょ」

「残念ね。一番いい男はお母さんのものよ」

「親のそういう発言ってあんまり聞きたくないんですけどー」


 悪びれもせず舌を出すシズリに、ササメは微かな抵抗を返した。


 


 それからしばらくの後、リドニックの辺境、エッセンとの国境沿いにあった小さな宿屋の火は消えた。

 優しげで美しい女主人の宿屋の閉店を悲しんだ住民は少なくなかった。


 しかしそれでも、出立の前に見せた嬉しそうな笑顔に、誰も彼女らを引き留めることは出来なかったという。





ササメとシズリは、リドニック編初期の『橙雲』からしばらく登場した親子です。

作者の遅筆のため、再登場が遅くなり申し訳なく……。

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― 新着の感想 ―
イラインで親子三人、幸せに暮らして欲しいものですね。
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