この国の未来
定期的に入る小難しい話
妙に気恥ずかしくなり、頭を掻く。ほんの何気ない、話題と話題の間の一瞬の沈黙のはずなのに、何か言わなければいけない気がした。
少しだけ、目頭が熱くなったのは無視して。
僕の言葉が無視されない。
その前の発言を考えれば、それはきっと僕の言葉に限ったものではないだろう。
僕だけではない。誰の言葉も無視されなくなる。却下されることはあるだろうけれど。
それは、発言者の身分に差が無くなると言うこと。
身分に差がなくなるとしたら。
かつてのハイロが私刑を受けた件も、それ以前に僕やニクスキーさんが取り囲まれた件も、全て身分というフィルターを通さずに見てくれるとしたら。
モスクが手に入れた宝物を、きちんと吟味してくれるとしたら。
「いいですね、それ」
「理想論でございますし、まだまだ解決しなければいけない問題は山ほどあります。いずれは、というところでしょうけれど」
いくつかの光景を思い出しながら僕が褒めると、マリーヤも少しだけにやけて唇を歪める。
何の気なしに出した言葉ではあるまい。どれだけの真剣さかはわからないが、いつかは本当に成し遂げる気なのだろう。誰も身分に差もなく、誰も差別されない社会を作る気なのだろう。
いい話だ。それが本当に成し遂げられるならば、本当に。
「是非とも頑張っていただきたいです」
もう誰も、死なずに済むように。
この国で僕が殺した少女。今後彼女のような存在が死なずに済むように。
この国は安定し、以前よりは豊かになった。だから、彼女のような存在が今後もきっと増えてしまう。
以前ならばすぐに死んでしまうはずの者が生き延びて、そして社会の外で泥を啜りながら暮らしていく。豊かになったことで苦しむ者が出る。それは本来あってはならないことだろう。
彼女も僕も人間だ。幸福に生きてもいいはずだった。彼女の道は僕が閉ざしてしまったけれど。
そうだ。無条件な人間扱い。それが、今のこの世界では難しい。
少女だけではない。見捨てられていた存在は、社会的強者にもいた。
アブラムも、強いが人間だった。苦しむときは苦しむし、恐怖することもあるだろう。
強者の彼がそんなことを思うわけがないと皆は思った。同じ人間だと思わなかったから、今回の悲劇は起きてしまった。
それを誰かが認めてくれれば、彼は死を選ばなかったかもしれないのに。
本当に全員が平等というのは無理だろう。
皆が同じように安楽な生活を送れるわけがない。どうしたってあらゆるサービスにはコストがかかる。
持たざる者が何の対価も払わずに人並みの生活をするのを認めるのは難しいし、持っている者に多くを支払わせたくなるのは心情的には理解できる。理不尽だとしても。
しかし今のところ、彼らには最低限の尊厳もない。
たとえば僕らが死んでも誰も気にしない。それは、僕ら……もう僕には母親がいるけれど。……それでも僕らの共通認識だと思う。
そしてそれは、アブラムも一緒なのだろう。死んだところで悲しむのは仲間たちだけ。守られている民はきっと皮肉の一つでも言うだけで終わるだろう。
だが、全員に目を向けてくれるというのなら。その言葉に耳を傾け、存在を認識してくれるのであれば。
この国は僕やハイロやリコやモスクを存在する人間として扱ってくれるのであれば。
胸を張り、僕は宣言に応える。
「その言葉が真実であるうちは、僕の道理に反しない限り、僕はこの国の味方をしましょう」
僕はこの国の敵にはならない。理不尽に破壊することも、貶めることもない。困っていたら手を貸す。当然のことでもあるが、それがきっと礼儀というものだろう。
「んじゃ、ずっとだな」
「ええ、期待しています」
笑いながら答えたグーゼルに対し、僕は深く頷く。
人間を、人間扱いする社会を作る。そう宣言した官吏がいる。
それはきっと喜ばしいことだ。これからの子供たちのために、今を苦しむ大人たちのために。
何より、僕が嬉しい。それが本音だった。
しかし、水を差すようで悪いが、問題が山積みなのはやはり大問題だろう。
「ですけど、具体的には難しいでしょう? そういう規則を作ったとしても、人の心は変えられません」
変える必要があるのは衛兵たちだけではない。国民が不当に心中で身分差を付けているだけで、その願いは叶わない。
区別と差別はきっと違う。多くの犬は空を飛べないし、猫はチョコレートを食べられない。体の構造が違えば、便利不便もあるだろう。そういった区別を付けるのも必要だとは思う。だがその両者の見分けはとても難しい。
それに、『差別をやめましょう』などと声高く叫んだところで、誰も変わらない。誰か良識ある人物が直接全てをずっと見張ってでもいれば別だろうが、そんなことは当然無理だし、そうでなければ今の全体的な風潮は固く守られていくだろう。
「その通りでございますね。しかし、良い兆候もあるではありませんか」
「良い兆候?」
マリーヤが頷くと、グーゼルが聞き返した。先ほどは息が合っていると感じたのに、具体的な方針とかは二人でも話していないのか。
グーゼルの方を向き、マリーヤは微笑む。
「騎士団への所属を希望する若者たち。彼らはそういう意味では心強いのですよ」
「はぁ?」
眉間に皺を寄せ、グーゼルが凄む。圧力などはないが、怒っているようにも見えるから初見であれば怯えてしまうかもしれない。
その表情をよく見れば、本当に意味がわからず聞き返しているというだけのようだが。
「今は特に騎士団員を募集したわけではありません。そして、恩賞などが出ることも今までないわけではなかったはずです。革命後でもたまにのことですけれど、羽振りよく酒を酌み交わし遊びに出ることもあったでしょう」
「まあ、そうだけど……それが?」
口籠もるように小声になり、グーゼルは続きを促す。
「おわかりになりませんか。もう既に、社会が変わっているのです。これは先王の治世時代はなかったことです」
グーゼルとスティーブンと僕を順に見て、マリーヤは笑顔を強めた。
「身分の固定されていた以前であれば、『自分も身を立てたい』と願ったとしても手段は限られておりました。いいえ、そう願うことすら出来なかった」
「……ああ」
マリーヤの言葉に僕は大体の意味を掴む。表情を変えた僕に、話を継ぐことを促すようにマリーヤは視線を向けた。
その視線に釣られて、スティーブンとグーゼルも僕を見る。
「専制……というと少し否定的な言葉の印象があるので……この国は絶対君主制が近かったでしょうか。その弊害ですね」
「せんせー……? ……よくわかんねえ言葉使わねえでもっと簡単に言えよ」
「……王族や貴族は豪華な衣装、庶民は質素な衣装、というのが固定されていたんです。それ以外を着ることが許されなかった」
グーゼルが不思議なものでも見るような顔で首を傾げる。それに応えて咄嗟に出した喩えだったが、不十分か。
「……王族や貴族が政治を行い、民衆にはそこに立ち入る権利がない。すると、庶民はどうなると思います?」
「どうって……腹立てるんじゃねえの?」
「一時的にはそうでしょうけれど、ずっと……何世代も続くと慣れるんです、みんな」
「慣れる?」
「ええ。政治に対して、何も関心を持たなくなるんです。自分も社会を変えるよう努力しようとか、思わなくなっていく」
それを考えると、メルティの父親は去年の吹雪までは上手くやっていたのだろう。
国民が国家運営に対しての知識を持たない。それは、君主制が正しく運用されている証拠に他ならない。
国王に対する好悪の感情がどちらに大きく振れていても、それは君主制としては失敗だ。
「そして階級が固定されると、次に待遇が固定されていきます。上を目指しても仕方ないですし、上手くやっている人を見ても羨ましく思いますけど、自分がそうなろうとは思わなくなる」
それも極端だとは思うが、わかりやすく言えばそうなるだろう。
向上心の衰退。もしくは栄達を望んだとしても、狭いコミュニティの中でのことだ。
「以前までのこの国の美点と欠点がそこでした。多分」
僕は以前のこの国を見たことがない。だから想像でものを言っているが、マリーヤの顔を見る限りまだ間違えてはいないらしい。
「本来、少しばかりの不満があろうとも死ぬわけじゃありません。皆適当に不満を晴らしていくんです。美味しいものを食べて、酒を飲んで、家族と語らってゆっくり眠る。それで済んでしまっていたんです」
日々の不満は、何とか折り合いをつけてやり過ごしていく。なんのストレスもない日々はないが、現状維持をすれば今までの生活が続くのだからそれでいい。皆そうなっていく。
「ですから、ヴォロディア王が『身分を撤廃した』と叫んでいても、皆具体的な行動を何も起こさなかった。庶民は庶民のままだと思っていましたから」
「ですが、ついに大勢現れました。燻っていた火に燃素が注がれたように、『もしかしたら自分も幸福を求めていいのではないか』と思った者たちが」
マリーヤがそう言うと、ようやくグーゼルは渋い顔で頷く。
「難しいこっちゃよくわからねえけど、向上心がある奴らが出てきたってことか?」
「ええ。その通りでございます。自分が庶民であることを不満に思い、それを変えようとする者たちが現れ始めた。治安維持などの観点から見れば望ましくない事態ではありますけれど、身分差のない国というのであれば彼らは必要な者たちです」
「……儂などが若いときは、皆そんなもんじゃったと思うがなぁ……」
スティーブンがぼやくように口を挟んだ。
「若者が栄達を望むなど当然のことじゃろ。むしろそれが出来なかったほど窮屈な国じゃったんか?」
「出来ないのではなく、考えつかなかったんです。当然と思えるのは、スティーブン殿がエッセンで生まれ育っているからだと思いますよ」
「……ぬぅ……?」
「エッセンでは開拓村を街に育てたり戦場で活躍した者が爵位を得たり、そういうことが起きていますので、そういった土壌があった。でもこの国では階級間での移動はなかった」
……と思う。想像だけど。
「だから、戦う力もないのに騎士になって栄達するなどという道に飛びついた。今まで考えたこともないのであれば、向いていない道に飛び込んでしまったのも仕方がないでしょう」
馬鹿なことを、とも思うが。
死ぬかもしれない戦場に出て、時には自ら命を投げ出さなくてはいけない職に、覚悟もなしに踏み込むなど馬鹿げている。
「ですから、そこで止めるのは現在騎士の職に就いている人たちの役目ですね。いずれ、みながきちんと考え出したら波も止まりますよ」
「それまであんな奴らの相手しなくちゃいけねえのかよ」
ぷく、と頬を膨らませてグーゼルが抗議する。だがまあ仕方ないとも思う。それが、彼ら国民を守る騎士たちの仕事だ。グーゼルは正確には違うけど。
「……話を戻しますと……」
マリーヤが話題をまとめるように声に出す。それだけで注目が集まることからして、やはり彼女も人の上に立つ存在なのだ。
「兆しはあるのです。もはや存在しないはずの階級や身分などというものに未だ国民たちが囚われている中、そういったものに囚われず動けるものたちがいる。これを良い方向に導くのが、この国を支える施政者としての私たちの役割でしょう。ですから、カラス殿」
僕の名前が呼ばれただけで、何となく空気が引き締まった気がする。
「私は、先ほどの心配は要らないと思っております。人は変わる。変えられる。カラス殿がなにやらお変わりになられたように」
「……僕が、何です?」
「お気づきになりませんでしたか? ああ、鏡などお見せした方がよろしかったでしょうか」
クスリとマリーヤは笑う。それに合わせたように、グーゼルもニヤと笑い、スティーブンは深く頷いた。
「私たちには何かはわかりません。けれど、城に戻ってきたカラス殿の顔は、以前よりも険のなくなった清々しい顔をしておられますよ」
「そうですか? 僕にはわかりませんが」
頬を撫でて、唇を持ち上げて確認するが、僕には違いがわからない。元を覚えていないせいもあるだろうが。
「壁の向こうで妖精でも見たんじゃろ?」
スティーブンが笑いながらそう言って、そして動きを止めて瞬きを繰り返す。それから自分の言葉が驚愕のものかのように奥歯が見えるほど口を開いた。
僕に詰め寄ってくる。まるで叫ぶような声で。
「で! そうそう、そうじゃよ! 壁に飲まれた後どうなったんじゃ!? 妖精は? 妖精はおったんか!?」
「ええと、どこから話したらいいでしょうか……」
「変若水はあったか!? 持ってきてくれたんじゃろうな!」
僕の言葉が届いていないような剣幕で、スティーブンが僕の肩を揺さぶる。とりあえず殴り飛ばせば黙るかな。
「妖精は羽があると聞いたが、姿は見えたのか!? 遙か昔アリエル様は敵対した者を雷で焼き殺したというが、会った妖精はどのような者じゃった!?」
「ではまず会ったのは……」
「ええい、やはり儂が直接行った方が……そうじゃカラス殿が生き残れたというのは……!」
「うるせえ」
「おぐっ……!」
僕が喋りづらそうにしているのを見て取ったのか、グーゼルの手によってスティーブンの体が勢いよく横に倒れる。
正直、首に手刀はやり過ぎだと思う。
「そのように、次から次へと聞いては答えられませんよ」
「…………」
マリーヤがそう語りかけても、スティーブンは横倒しになったままぴくりとも動かない。大丈夫だろうか。
「ええと……」
「んで、波に飲まれたって聞いたけど、意識とかあったのか?」
対応に困っていたが、スティーブンは無視して進めるらしい。とりあえず息はあるようなので、僕はグーゼルの言葉に応え、語り出した。




