妖精の歌
作者のリアルがトラブル続きで……おくれて……おそくなって……(息も絶え絶え)
「失礼します」
貴族相手の仕事の時のように、僕は出来る限り礼儀正しく部屋に足を踏み入れる。貴族相手の場合は大体使用人が扉を開いてくれたが、今回僕は自分で開いているというのは大きな違いか。
その場合扉を少し開き、声をかけてから扉をきちんと開く。それからゆっくりと足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉める、でよかったっけ。
一応エインセルたちをアリエル様の使用人と考えれば……、その場合はエインセルたちが扉を開いてくれるか。なら、開けて待っていた方が……、いや、客人が使用人のために扉を開けるというのも変な話だ。
一歩足を部屋に入れながら、僕は考え続ける。
どうやったっけ。オルガさんとルルの家庭教師の講義はどうなっていたか。
とりあえず、後ろからエインセルたちも続いてくるようなので、僕が閉めるまでに上手く入り込んでくれれば……。
と、そこまでは考えた。
そこまでは考えることが出来た。
しかし、それ以上は無理というものだった。
「♪~~~~~~!」
想像できるだろうか。
貴人の部屋に入ったところで、その貴人が趣味の時間の真っ最中だった。
それだけではない。というか、それくらいなら構わない。貴族といえども、編み物や縫い物、自分でお茶を入れている人すらもいたから。
「~~~~~♪」
しかし、ここまで変わっているのは見たことがない。いや、聞いたことがない。
聞こえるのは、アメリカンなロックミュージック。
恐らくアリエル様だろう。女の子向けのソフビ人形をリアルにしたような生物。
毛先がくるんと丸まった肩まで白金の髪に、黒いTシャツとハーフパンツ、その上にカーディガンを羽織る。
そんな生物が、木の机の上で、黒眼鏡をかけてマイクスタンドを傾けながら熱唱していた。
「……失礼しました」
僕は扉を閉めようとする。しかし、エインセルたちがそれを止めた。
「扉を閉めると時間経っちゃうよ」
「早く、急ぐんでしょ?」
背後の二人の言葉に頷くが、その間もエレキギターのような激しい音は続いていた。二人が無反応ということは、いつもこうなのだろうか。
「入ってもいいんでしょうか?」
「当たり前」
「何も問題ないよ」
その言葉に応えて、僕はもう一度部屋の中を見る。しかし部屋の主は僕らのことに気がついていないらしく、まだ絶好調のまっただ中だった。多分、サビに入った辺りだ。
これ、邪魔したらまずいやつな気がする。
だが、明らかに一つの疑問が解消されたのは確かだ。
どこにスピーカーがついているのかもわからない爆音と、どこが光源かもわからないスポットライトに照らされた彼女の歌っている歌。その歌詞は明らかにこの世界のものではなく、英語だ。その歌まではわからないというか覚えていないけれど。
「とー!」
踏み出せず固まる僕の背中を、二人は勢いよく押す。たたらを踏んで踏みとどまるが、その動きでアリエル様は僕らのことに気がついたらしい。
何故か鳴ったハウリングの音とともに彼女の動きが止まり、そして音楽まで止まって静寂が訪れる。
目が合った気がする。
「ぁ……」
「ええと、お楽しみの中申し訳ありません」
僕は頭を下げる。目元まで見えないので表情はわかりづらいが、明らかな動揺をアリエル様は見せた。
「ちちちちがうのよって誰よあんたエインセルたち黙って入ってくんじゃないわよバカァァァ!!!」
マイクスタンドを振り回してそう抗議する彼女の声を黙って受け止めるように、僕は頭を下げ続けた。
「だってアリエル様よくやってるし」
「綺麗な歌声だよ」
とりあえず用意された木の椅子に腰掛けて、僕らは顔を見合わせる。木の机はエインセルたちにより撤去され、今は円卓が部屋の中央にあった。
今までの部屋とは違い、この部屋は丸い。それも壁などはなく、床が滑らかに立ち上がり、半円の縁が盛り上がったような形の。
上を見れば、天井などはないのか。ただ、暗い闇の中に、本当にわずかにぽつぽつと明るい点が見えた。星よりも暗いが、これは星空だろうか。
エインセルたちに励ましの言葉をかけられてもまだ、アリエル様は憤懣やるかたない様子だった。
「それ、今までずっと見てたってこと? 見てたんなら言ってよ、もぉぉぉ!!」
目の前の、円卓の上で小さいミニチュアの椅子に腰掛けるアリエル様が頬を膨らませる。
「それで……」
だが、そんなことはどうでもいい。個人の趣味だし、別に好きなときに好きなだけ歌えばいいのだ。
それよりも、いくつか疑問を解消しておきたい。この部屋にいる間は時間が過ぎないのであれば、いくらでも質問は出来るはずだ。
久しぶりに、好奇心も湧いてきた。
「アリエル様は……」
僕が話を切り出そうと口を開く。だが、アリエル様はサングラスをそっと外すと、その緑色の目を僕に向けて目を細めた。
「あんたさぁ……、日本人?」
「よう……え?」
まず本当に妖精なのか、とそう尋ねようとした僕の言葉に被せてアリエル様が吐いた質問。それに、僕は思わず聞き返してしまった。
エインセルたちは無関心のようで、二人でごそごそと手遊びをしている。
アリエル様は僕の顔と体を嘗め回すように見て、頷いた。
「まず間違いないとは思うけど、うん、間違いない。日本人ね。ってーことは……」
また僕の顔を見つめて、目を細める。眉をしかめているのは、目に力を入れているのだろう。まるで近視のように。
「あんた、農家のほう?」
「質問の意味がわかりませんが、多分違います」
多分、前世の職業を聞いているのだろう。
そこで、僕の思考がいったん止まる。
……農家のほう?
「恐らく、職業には就いていなかったでしょう。それなりに裕福な家だったようです。……正直、よく覚えていませんが」
「そっち? ああ、そっちね、オーケー」
得心が行ったようで、アリエル様は深く頷く。そして、やはりアリエル様は。
「……日本にいらしたんですね?」
「あー、うん。よくわかったじゃん……って、言葉を聞けばわかるわね」
もちっとした頬を膨らませ、アリエル様はにんまりと笑う。なんというか、雰囲気がシャナに似ている気がする。それは、精霊と妖精が伝承上で近しい存在だからだろうか。
「あんた、名前は?」
「カラスといいます。アリエル様におかれましては」
もはや遅いが、それでも一応礼をとろうとする。だが、立ち上がり胸に手を当てたところでアリエル様は僕を手で制した。
「そんなのいらないわ。もっとこう、アメリカンな感じにしない? ハイタッチとかどう?」
「それはさすがに砕けすぎでは……」
いくら欧米の挨拶とはいえ、ハイタッチなどはさすがに親しい仲の軽い挨拶だろう。
これは多分、彼女がやりたいのだ。
僕がやんわりと提案を拒むと、アリエル様は途端に興味をなくしたようで唇を尖らせて横を向いた。
「つまんないの」
「……それで、少しお話いいですか?」
テーブルにまで着いて今更だが、それでも一応目上の存在だ。許可を取る。アリエル様はしぶしぶ、という感じで頷いた。
「帰りたいなら、あたしの助けなんか要らないわよ。あんたがさっきここに入ってきた部屋まで戻れば、多分ちょうど扉が開くわ」
「それも気になってるところですが、それではないんです」
「うん?」
多分ちょうど、というのは不思議ではあるが、きっと日数の関係だろう。三十日後にはあそこに出口が出来るのだろうと思う。
しかし、それではない。いくつも気になっていること。それは、アリエル様に対する一つの疑問に集約される。
「先ほどのアメリカンミュージック……」
「忘れなさい」
と、使っている外来語。あとは先ほど肯定した、日本にいたということ。それらはどういうことかと尋ねようとしたところで機先を制される。
だが、めげずにいこう。
「先ほどアリエル様が歌ってらした……」
「忘れなさい。あんたが部屋に入ってきたとき、あたしはここで物静かに座っていた。オーケー?」
重ねて尋ねようとしても、アリエル様はその話題に触れてほしくないらしい。わかっていてわざとやったけど。
僕は一度咳払いをして、改めて質問を口にした。
「……日本にいた、というのはどういうことです? ドゥミ様は、貴方が突然姿を消したと仰っていましたが。まさか、日本に?」
「あらあんた、ドゥミにも会ったの? っていうかあの婆、まだ生きてんのね。多分、地上じゃ何百年も経ってるけど」
僕がその名前を出すと、アリエル様は懐かしむように笑う。
そして、また一つ疑問が追加された。地上?
「……少し話しただけですけど、お元気でしたよ」
「ドゥミは魔法使いだもんね。……じゃあ、生きてるのは私一人じゃなかったのね……」
嬉しそうに、だが若干寂しそうにアリエル様は呟く。その言葉の真偽はわからないが。
それから、ふと思い出したように僕の方を向く。
「ああ、そうね、何であたしが日本にいたかって? そんなデリケートなこと聞くもんじゃないわよ。乙女の心は繊細なのよ」
「別に、言いたくないなら構いませんけど」
僕は目を逸らし、それから一呼吸置いて話題を変えた。
個人的な用事なら、目を瞑って知らないフリをする程度の分別はある。今回は気になるし、他の話題にかこつけて聞く気満々だけど。
「でしたら、先ほどの『農家』の方とはどういう関係で?」
「あいつ? わたしが日本からこっちに戻ってくるとき、私にくっついてこっちの世界に来たのよ。今はどこで何しているかも知らないけど。上手いことどこかの水子に潜り込んで生まれてきてんじゃないかしら。あんたと同じく」
「僕と同じ。……つまり、僕も貴方にくっついてこの世界にきた?」
また情報が追加された。だがしかし、その言い方であれば……。
「僕は、貴方の影響で転生したと?」
僕の言葉にアリエル様はキョトンと目を丸くし、それから何度か首を傾げた。
「……あんた、覚えてないの?」
「今僕の記憶上はアリエル様とは初対面です。以前にどこかで会っているというのであれば、覚えていないのでしょうね」
本当に転生したというのであれば、その邂逅は僕がこの世界で生まれる前のことだ。そこは未だに朧気だし、さすがに妖精などという非常識な存在がいれば、印象には残ってるだろう。
「呆れた。よっぽど執着がなかったのね。……違うわね。そんなに消えてなくなりたかった?」
「その辺りは覚えていないので、なんとも」
しかし、多分そんな感じなんだろうとも思う。別人の記憶として何度か見ている自分は、ずっと死にたいと思っていたから。
アリエル様は伸びをして、それから足をパタパタと動かす。人間大であればきっと艶めかしい姿だが、今の僕には微笑ましいようにしか見えない。
「オーケー、教えてあげる。あんたの人生も含めて。といっても、大した話じゃないけれどね」
「お願いします」
僕がそう言うと、アリエル様は椅子から少し身を乗り出すよう前傾になり、羽を広げた。やはり、昆虫のような羽。それに先ほどのドゥミに対する反応。もう疑いようがない。彼女が、千年前の妖精その人なのだろう。
僕はそのまま視線を横に動かす。
多分、そこにいるエインセルたちも、きっとアリエル様と同じく……。
「あれは、勇者が死んだときの話よ」
不敵な笑みで、そして悲しそうにアリエル様は口を開く。
待って、千年前から話すのか、これ。




