閑話:渡された火
日は昇る。
当然の摂理である。雨の日も風の日も、どんな日でも必ず朝には日は昇る。
日は昇る。
いつも通り、何が起ころうとも。誰が死のうとも。
透き通る氷のような城。その上層部にある露台から、二人の男が城下を見下ろしていた。
「二割というところか……」
「ああ」
日は寒いこの国にしては高く上り、もう昼頃という風情だ。にもかかわらず、城下町に活気はない。元々人通りはそう多くはないが、それでも少ないわけでもない。その活気がない原因は、単純に人が少ないからだった。
突貫で行われた避難民の誘導。それは巧く事が運んだ。その立役者となったのが、優秀な官吏に、機転の利く衛兵たち。一部、消極的協力という抵抗に近いことを行う憲兵もいたが、それでも全体的にそれは間違いなく行われた。
しかし現在は、それ以降に滞りを見せている。即ち、避難民の帰還に遅れが出ていた。
南にあるいくつかの街に散った一万に満たない民は、現在雪車や徒歩で移動をしている。彼らは当然、元の街に戻ることを選ぶ。しかし、緊急性の低い事案だ。避難よりもゆっくりとそれは行われ、まだ現在も二割ほどしか街に戻ってきていなかった。
街は閑散とし、北壁の波から逃れてかつ騎士たちに見逃された無害な小動物がわずかに闊歩している。
その街を見下ろしているウェイトたちから見れば、そこに人が住んでいるとは思えない寒々とした光景だった。
プロンデは、街から目を逸らさないウェイトに向けて補足する。
「だが、大きな混乱もなく、そして避難による死傷者もいない。それだけこの国の官吏は有能だったということだ」
「……既に王城の機能は回復しているらしい。人口の多さという点を差し引いても、エッセンで同じことが出来るかどうかはわからん」
ウェイトもその言葉に応えて官吏を褒める。それは本音だった。
ミールマンやイライン、グレーツなど、大きな街では尚更難しいだろう。だがそれ以上に、有事に迅速な行動が出来る官吏あってのことだと、素直に褒めていた。
「だが、官吏だけではなかろう。革命の後ということも作用していると我は見た」
「そうだな。王族や貴族、腰の重い連中がいないのもいいな」
火のついた炭を使い、プロンデは煙草に火を点ける。ウェイトにも煙草を差し出し勧めるが、いつものようにウェイトはそれを首を振って断った。
そう、今のこの国は身分差というものが存在しない。
故に、避難誘導も身分でわける必要がなく、また貴族などを優先する必要もない。そのためもあり、手順をいくつも減らすことが出来ていた。
「……狐につままれたような、というのは勇者の言葉だったか」
ウェイトが、唐突にそう呟く。その意味を受け取れず、プロンデは煙草を口から離し次の言葉を待った。
「見ろ、逃げていた者たちの顔を」
そのプロンデに、ウェイトは遠くの景色を指さす。街の端の集会場。そこにはちょうど、数十人の避難民が到着したところだった。
プロンデも、なんとなく意味を読み取る。なるほど、彼らの顔が。
「戸惑いはあろうが、憔悴など全くなく、普段通りの顔だ。自分たちが滅びるかもしれなかったことなど露知らぬ顔だ」
「まあ、何事もなかった街を見ればそうなるかもな」
プロンデは煙を吐き出しながら苦笑する。それも当然だろう。百年に一度の災害が起きたと知らされ、そのために自分たちは取るものも取り敢えず逃げたというのに。
即日帰ってもいいと言われ、帰ってみれば傷一つない街。何のために逃げたのだろうと、そう思ってしまうのも無理はない。
その避難民たちの顔を眺めながら、プロンデは口を開く。革の袋に灰を落としながら。
「……アブラムの資料は見たか?」
「ああ。何の役にも立たない資料だったが」
ウェイトは首を回す。凝っていたようで、バキバキと音が鳴った。
「中の走り書きに、奴の犯行動機があった。恐らく今奴があれを見れば、激怒するだろうな」
「喜びこそすれ、怒るなどお門違いにも程があるが……」
プロンデの補足に、ウェイトは呆れを含んだ溜め息で応える。民間人は、戦いなど知らない方がいい。荒事も、犯罪も、無縁であればそれが一番良い。そう考えてのことだ。
だが、仮に自分がアブラムだとしたら。アブラムと、同じ立場だったとしたら。そう考えて、ウェイトは言葉を最後まで吐けなかった。
それを見て、プロンデは苦笑する。そして、決断した。親友を諫める言葉を、今ならば口にしてもいいとそう思った。
「狐といえば……」
口に出しながら、その切り出し方に後悔する。何となく不自然だ。そうは思ったが、プロンデはそのまま続けた。
「もう二十二年か二十三年か、それくらいになるか。あの化け狐に遭遇してから」
「なんだ、いきなり」
ウェイトはプロンデの言葉に困惑する。突然の話題の転換についていけなかった。
「ムジカルとの大戦、そこで俺たちが遭遇したあれだよ」
そこまで聞いて、ウェイトはようやく思い出す。そう、それは、戦友を一度に多数亡くした日。絶望的な戦場だった。
話題になっている大戦は、二十二年と少し前。
エッセンから、ネルグを挟んだ東側にある隣国ムジカル。そのムジカルの軍部が、ネルグの所有権を奪い取るために魔物を釣り出しイラインへと差し向けたことに端を発する大戦だ。
終戦のほんの直前。ネルグの北側にある平原に布陣した両国軍。それがぶつかるちょうどその時、戦場にあの化け狐が現れた。
化け狐による恐慌の魔法により、各軍は混乱。錯乱した騎士は隣にいた戦友に斬り掛かり、恐怖を紛らわせるために自分で自分の両目をくりぬいた者までいるという悲惨さだ。
一頭の魔物による被害の規模。その大きさは竜をも超えて、今もなお歴史に残っていた。
「あのとき、お前は言ったよな。『死んでいった者は弱かった。弱い心しかないから、心の隙を突かれたのだ』って」
「……言ったな」
確かにそう言った。それはウェイトも覚えている。自分とプロンデは運良く生き残ったのだと、そう自覚しながらも、やはりそういう思いは捨てきれなかった。
もちろん、死んでいった仲間たちやその遺族にそれを言うことは出来ない。プロンデのみに対し吐いた、愚痴のようなものだったが。
「今回の事件も、そう言えるか?」
「……」
即答できなかった。プロンデの問いは、そのときとほぼ同じだというのに。
ウェイトは、狐の恐怖に負けて死を選んだ同僚を、弱かったから死んだと切り捨てた。
なのに今は、永遠に続く生への恐怖に負けて周囲を巻き込み死を選んだアブラムを、弱かったから、と一言で切り捨てることが出来なかった。
「……言わなければならないだろう。奴が魔物に対し恐怖を感じぬほど、世間から孤立してもなお立ち上がれるほど強ければ、それで済んだ話だ」
「そうだな。言わなければいけないのかもしれない」
言わなければいけない。それは、ただの義務だ。本心がどうであれ、そう言わなければいけない。
戦友にまでそう言ったウェイトであれば、確かにそうなのかもしれない。ウェイトなら、グーゼルと同じように永遠に戦い続けることもあるいは可能かもしれないのだから。プロンデはそう思った。
しかし。その考えこそが新たな戦乱を生む。プロンデはこの瞬間、レイトンの言葉もアブラムの凶行も、カラスの行動も全てが繋がった気がした。
「狐といえば、あの砲撃も見事だった」
「話題がころころと変わるな。珍しく、機嫌がいいじゃないか」
ウェイトはそう笑い飛ばすように言う。だが、そのプロンデの考えを汲もうと、話を合わせることにした。
「……ちょうど、そうだな、あのときの戦と同じだ」
そして考えてから、思い出を口にする。プロンデの言葉の意味と話題にしたいものがわかった気がした。
思い出したのは、化け狐。それと、狐砕きの最期。
「探索者デンアが放った一撃。混乱の極みにあった戦場を一撃で鎮めた砲撃。《山徹し》」
「未だに穴が残っているらしいな。ネルグの根でも、まだ修復できない規模だったらしい」
プロンデも、その時の攻撃を思い出しながらそう続ける。
化け狐を討伐した探索者デンア。彼はその時、両国での衝突による混乱と戦力の浪費を避けようと、平原の中央にその光を放った。
結果、地の底まで続く穴が、両軍を裂くように出来上がったのだ。
「本当に、それと同じだった」
「『〈狐砕き〉はクラリセンにおいて、《山徹し》を放った』という噂。本当だったようだ」
ウェイトも実際には信じていなかった。噂になっており、何人もがそう証言している以上、何か砲撃を放ったのだろう。しかし、それが本当に《山徹し》だとは。
「単独で放つ、王国史上最強の砲撃。それを、ああまで見事に模倣するとは」
「さすがに規模は小さかったけどな。でも、同じだった」
今回の光は小さく、そして細かった。さすがに本物とは並べられないのだろうというのは二人の共通意見だ。
しかし、模倣して見せた。魔法使いとは、そこまで凄まじい力を持つのか。
「俺は、あのカラスと昨日行動を共にした」
「知っている」
「その前に、レイトンとも少し話した」
ウェイトは弾かれるようにプロンデの方を向き、目を見開く。そんな重要なことを、今まで黙っているとは。
悪心があるわけではないだろう。だが、その意図がわからなかった。
そのウェイトの仕草に、プロンデは苦笑する。
「勘違いするなよ。あいつの暇つぶしに少し付き合っただけだ。だけど、そこで言われたことがある」
「何だ?」
情報があるならば、早く出せ。そんな催促が、少し可笑しかった。
「俺とカラスは似ている。善悪への道を、選びかねてうろうろしているってな」
ウェイトは息を吐く。何の話だ。そんな困惑と落胆を吐き出すように。
「その言葉の意味が、昨日の事件と、アブラムと、そしてお前の話を今聞いてようやく理解できた。俺に関してはわからないけど、あのカラスに関しては」
「……」
無言で促された続きの言葉が出しづらく、プロンデは唾を飲み込んだ。
「あの少年は、試金石だったんだ」
「……どういう意味かわからんな」
レイトンの影響をなおも拒むように、ウェイトは胸を張る。理解できない、というよりも理解したくないだけなのだが。
「俺とカラスがこの城を訪れたとき、あいつは迷うことなくこの城に忍び込むことを決断していた。結局は普通に入ることが出来たから、そんなことはしなかったが」
「貧民街の小僧が、城に入れるわけがないからな」
「そうだよ。そして、あの戦場で。あいつは盗みを働いた。俺が、アブラムの資料の閲覧を拒まれてさ」
半ば睨むような目がプロンデに向けられる。何故、目の前でそんなことを許した。そう目だけで問い詰めていた。
その圧力に負けず、プロンデは毅然と言い切る。言わなければいけない。共に研鑽を積み続けたこの親友を諫める言葉を、今こそ。
「あいつは悪事を働いているんだろう。それは明白だ。しかし、悪人というわけではなかった」
「悪事というのは悪いから悪事というのだ。それを迷いなく選択する者を、悪人と言わずして何という」
「カラスは、悪への道を積極的に選んじゃいない。善悪の立場なんか一切考えていないと俺は思った。あいつは、無頓着なんだ。自分が選ぶ道に」
悪人を庇うような発言。本当に、珍しい事態にウェイトはいよいよ訝しむ。何を言いたいのか、薄々読み取れている今であっても。
「忌避もしていないとは思うが、それでも好んで悪事を働いてもいない。必要ないのなら、ものを盗むことすらしないだろう。そう、必要ないのなら」
「…………」
黙り込んだウェイト。それに構わず、プロンデは話し続ける。
煙を吐き出し、また煙草を吸う。先の赤い光が、少しだけ強くなった。
「アブラムも、恐怖で死んだ戦友たちも、一緒だったと俺は思う。環境が全て悪いとは言わない。最終的に、選んだのは自分たちだ。盗みを働かず資料を見ないことも、いつか魔物に殺されるまで戦い続けることも、剣を手放し目を瞑りやりすごすこともできた」
「それが、弱さだと言っている」
「しかし、原因がなければ彼らはそれをしなかった」
プロンデは息を吸う。煙を含まない純粋な空気を。
詰め込まれる冷たい空気。萎んでいた肺が、清浄になり膨らんだ気がした。
「俺たちは聖騎士。エッセンにおける法の執行権を持つ」
「何を今更」
ウェイトは嘲笑うように返す。だが、親友のその目は真剣だった。
「捜査権はない。犯罪者を正式に裁くのは所司たちだ。だけど、法の一端を俺たちは担っている。法とは、弱い者のためのもののはずだ」
「弱い者とは、奴らのことか」
「……お前の言うとおり、行動を選ぶのはそれぞれの個人だろう。そして権利がある以上、裁くのも俺たちの仕事だ。けれど」
プロンデはウェイトの目を真正面から見つめる。石像のような顔にある二つの目。その真剣な目に、ウェイトは威圧感まで感じていた。
お互い相手に悟られぬよう、唾を飲み込む。
「その原因を除くのも、俺たち官憲の仕事だと思わないか」
吐き出されたプロンデの言葉に、ウェイトは頷きながら目を逸らす。
初めてに近い珍事だった。プロンデがウェイトを諭す言葉ではなく、叱る言葉を吐くのは。
「要は、防犯意識を持てという話だろう。そんなことは、わかっている」
「盗みを働く手を掴んで止めるのが、今までの俺たちの防犯だ。俺は、それも間違えているんじゃないかと思う」
「……よく、わかった」
まだ続けようとするプロンデの言葉を、ウェイトは強引に止める。
嘘ではない。もう、おおかたのことは理解していた。『カラスは試金石』という、その言葉の意味も。
「……すまない。少しだけ、言い過ぎたようだ」
強引に止められ、少しばかり熱が冷めたプロンデはそう謝罪する。
謝罪することなど何ひとつないのに。その言葉をウェイトは飲み込んだ。
代わりに吐いた言葉は、今までと同じ。あえて、プロンデの言葉を無視してその言葉を紡ぎ出す。
「我らの持つ、水天流免許皆伝。それだけで、もはや引く手数多だ。自分の道場を構えることも出来たし、衛兵や剣闘士になることも出来た」
ウェイトは柵に積もった雪を握り締める。その圧力に、雪は指の隙間から水となって消えていった。
「我が聖騎士になったのは、レイトンを処刑するためだ。衛兵となって、逮捕するだけでは足りない。この手で、法に従い奴を殺してやろうと」
「知ってる」
「聖騎士として、任務には従事しよう。この身は陛下と、そして民の剣だ。だが、我はやはりその目的を忘れられない」
力のない言葉に、プロンデは唇を結ぶ。
「幼馴染みが奴に殺された。その恨みは、憎しみは消えてなくなることはない」
「俺も、許せとは言わないよ」
その行動は、未だにプロンデにも理解しづらいことだ。けして、正しい行いなどではない。
「……俺は、そのこともレイトンから聞いた。本当かどうかは知らないけどさ」
「随分と親しくなったものだな」
ウェイトは笑う。怒る気にはなれなかった。
「その友人が、奴に殺しを依頼していたのは知っているよな」
「ああ。悲しいことに。妹を暴行した犯人を、憎しみから」
思い返す度に悲しくなる。あの、仲の良かった兄妹が揃って死んでしまうなど。
後悔に、唇が切れる。
「妹君も首を切り、自殺した……あの頃、我に力があったら……」
力というよりも、権利が。しかし一介の水天流門下生にそのような者を罰する権利などあるはずがなく、そして衛兵も証拠がないの一点張りだった。
「じゃあ、二度目のは?」
「二度目?」
思い出に思考を奪われそうになったウェイトに重ねて問われた質問。しかし、ウェイトはその意味がわからなかった。二度目? いや、意味はわかる。だがその指し示しているものの理解が追いつかなかった。
「……奴の話では、その友人はもう一度ドルグワントに仕事を依頼している。それが何故か、そして誰かは言わなかったが」
「……さすがに、嘘だろう」
「嘘だとしたら、その意図がわからない」
いつものからかい。そんな可能性も捨てきれない。
しかしあれはきっと本当だ。そうプロンデは確信していた。
「その詳細もわからない。だけど、その依頼の理由は、復讐なんだろうか?」
「さあな。我も初耳だし、その真偽もわからない。……奴の嘘だろう」
そうウェイトは願う。信じている親友は、恐らく事実として自分に話したのだろう。ならばきっと本当のことなのだ。そうは思いながらも、嘘だとも信じたかった。
「話を戻すが……」
「ああ」
脱線してしまった。そう自戒する。自分が聖騎士を志した理由を吐いている最中だったというのに。
「恨みは別だ。お前の意見も、きっと正しいのだと思う。……だがもう、遅かったがな」
カラスは死んだ。重要な試金石となる少年が。きっと、彼が犯罪を犯さずに済む世の中を作れば、それでもう大多数の犯罪も消えて失せるのだろう。多分、プロンデが言いたいのはそういうことだ。ウェイトはそう思った。
「……まだまだ、遅くはないだろ」
「いいや、遅い。そういった仕事は我らではなく統治者の仕事だ。エッセンでは王族や貴族、この国では官吏たちか」
改めて、ウェイトは街に目を戻す。
そこでは、話している最中にも帰還してきていた避難民たちが、家路へと急いでいた。
「お前も言っていたが、この国はきっといい国だな。いや、いい国になる下地があるというべきか」
「ああ」
プロンデもそれに同意する。この国では、統治者の力は小さい。しかしその分、民衆の力が強い。これから強くなる。
この国の統治が上手くいくか、それとも失敗に終わるか。それは、統治者たる民たちの力が重要になる。
それもわかっている。だから、ウェイトは今吐いたばかりの自分の言葉に反論した。
「官吏たち、というのも少し違うな。世襲制も消え失せ、万人に機会がある。国の統治に口を出せる機会が」
この国の民衆の力は強い。王の首を切り落とすほど。
「この国のこれからは、民が自分たちで決めていかなければならない。自分たちも当事者であると自覚しなければ。残念ながら、まだ気は抜けんな」
この国の試金石は、民衆全員だ。自分たちで法をつくり、自分たちでそれに従う。自分を鎖で縛るような、その覚悟がなければ、すぐに悪の道に走るだろう。
良い国になる下地はある。だが、すぐに悪に落ちる下地も。
「そうだ。もはや遅くとも、我らも力を入れなければ」
プロンデの言う、試金石。それを最大限活かすには、自分たちも統治者であるべきだった。貴族にはなれないが、代官など、そういったものを目指してもいい。
そういった道を選ぶことはなかった。もう遅いのだ。
しかし。
「この国が善い国になったとき、隣に悪の王国があってはつまらん」
「……だな」
明確な回答はなかった。
だが、言いたいことは伝わった。そう確信したプロンデは微笑む。
そして、ウェイトの様子を見て拳を握りしめる。
決意した。そうだ、同じように、自分も直すべきところが山ほどある。レイトンの言葉ではないが、善の道と悪の道を、即座に間違いなく選べるようになる必要がある。
そうでなければ。法を司る聖騎士として。
「……先ほど、城の観測手が確認した。北の平原で、灰寄雲が降り始めたらしい」
「まあ、しかたないだろうな」
プロンデの言葉に、ウェイトは頷く。数千頭を超える魔物。あれだけの魔物が死んだ。そして、騎士たちも。
ならば、降ってもおかしくはない。死に招かれ、更なる死を呼ぶ黒い雪が。
「もうすぐ、こちらにも来る。それを見れば、否応なく避難民も思うだろう。死人が出たと」
「そうだな。そうでなければ、死んでいった者たちが報われん」
今は信じられずとも、雪を見れば皆思う。人が死んだと。誰かが、たしかに死んだのだと。
忘れられる。不本意に死んだ者にとって、それ以上に悲しいことなどそうそうないのだから。
プロンデは煙草を革の袋の中でもみ消す。吸い口しか残っていない紙巻き煙草の火は、もう消えているも同然だったが。
「お前も入れ。泣いて暴れるスティーブン殿を抑えるのは、グーゼル殿だけに任せてはおけない」
「プロンデ」
背を向け、城の中に入ろうとした友をウェイトは呼び止める。差し出された手の意味が一瞬わからなかった。
「煙草をくれ」
「……ああ」
珍しい。いつも儀礼的に聞いてはいるが、この親友が煙草を吸うなどそうそうないのに。
見たことがないと言っても過言ではない。きっと、内心何かが変わったのだろう。そう思った。
プロンデは、ウェイトの咥えた煙草に、片手で風よけをしながら火を点ける。
他人にするのであっても慣れたもので、すぐに赤い光が灯った。
「先に入るぞ」
「ああ……っ!」
応えようとしたウェイトの言葉が止まる。やはり。プロンデは予感していた。
「ゲホッ!!」
盛大に、ウェイトが咳き込む。煙を吸うなどという慣れていない行為。それに、安易に手を出すとこうなる。
「……大丈夫か?」
「……! …………!」
涙まで流しながら、大丈夫と手をパタパタと振る。
ウェイトは意味のある返答は出来ず、咳き込む声だけが王城の露台に響き続けた。




