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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
戦う理由

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死ぬために

小難しい話は多分これだけです




 プロンデの身体にまとわりついた雪を、風で払い落とす。それから障壁を頭の上に張り、雪を防ぐ。

 本当に、それだけで軽快するのだろう。

 膝を落としたプロンデは荒い息を吐き、それから顔を上げて周囲を見回した。

 まだ戸惑っている様子ではあるが、それでも目に光は戻っている。夢から覚めた、そんな感じだ。

「大きく息を吸ってください。点穴は出来ませんので、自分でどうにか」

「……カラス殿? 今のは……?」

「白昼夢みたいのものです。雪が身体に付着するとまた同じようになってしまうので、僕から離れませんよう」

 周囲を見渡し、もう一息吐く。未だ苦しんでいる騎士たちの声が響いているが、風で舞っている雪を散らせば一瞬収まった。だが、本降りに近い量の雪だ。すぐにまた、再開する。


「すまないな。助かった。……けど、あいつらはどうにか出来ないのか」

 礼を言いながらも、プロンデは周囲をまた見回す。まだ苦しんでいる騎士たちは変わらずそのまま残っていた。

「申し訳ありませんが力不足ですね。障壁を広げるのも限度はありますし」

 治すには、現状雪をどうにかするしかない。だがその手立てが僕にはない。

「雪が原因と思われますので、その雲の対処を治療師に依頼してあります。出来るかどうかすらわかりませんが、僕よりはマシでしょう」

 出来るかどうかはわからない。むしろ、出来なくてもおかしくない。もう一度、聖典の奇跡を起こすようなものだ。たとえて言うなら、多分葦の海を割るようなもの。前世での超常的な現象が大分身近なこの世界でも、それなりに難しいことだろう。


 でも、やってもらわなければ。そうしなければきっと人が死ぬ。

 そして、僕だけの力では駄目だ。


 未来ある、彼らの力でやってもらわなければ。



「魔法使いが、よくいう……」

 溜め息をつきながら、プロンデがコートの襟の内側からフードを引き出す。そんな構造になっていたのか。そしてそのフードからも、留め具を外せば覆面のような顔の下半分を覆うマスクが出てきた。

 目元以外を完全に隠している。これは防寒用……というよりもちゃんと防雪用のようだ。

「俺を守る障壁はいらない。それよりも、もう少し魔物を片してからいくぞ」

「……用意周到ですね」

 それを始めから使っていれば、先ほどの雪の被害には遭わなかっただろうに。

 まあ、騎士たちですら雪と初遭遇なのだ。仕方がないか。

「聖騎士団の通常装備だよ。……もとは、水天流創始者の考案したものらしい。初代は雪を怖がっていたらしいから、こういう事態を想定していたのかもな」

 六花の型の着想を雪から得ていたという話のことだろう。あれは、怖がるというよりも対策をしていたということに近い気がする。

「ま、今はたしかに使い時ですが」

 だが武道家の本能とは侮れない。本当に、怖い雪というものもあるのだから。



 この辺一帯の防衛機能は雪のせいで麻痺している。

 僕が上空から魔物を発見し、それをプロンデに伝えて二人で処理する。失われた機能を完璧に補完しているとは言い難いが、それでも効果はあるだろう。

 日が沈みかけて視界も悪い中ではあるが、もはや上空からの視界に魔物はいない。

 そして、僧兵というのだろうか。拳大の鉄球がついた長い棒状の武器を携え、治療師のような緑の服の上から鎧を着た兵が三人こちらに向かってくる。

 一応頼んでおいた増援だろう。他も手が足りないだろうに、よく来てくれた。

 

 息を切らして駆け込んできた彼らは僕とプロンデを見ると、それぞれに一回ずつ頭を下げた。

 それから、プロンデに向かって深々と礼をした。

「貴方がミフリーに雪の脅威を伝えた探索者か。今、上級の者らで対策に当たっておりまする。じきに雲も割れるでしょう」

「……それは俺でなく、こちらのカラス殿にするべき礼だな。俺は探索者ではない」

「あっ……」

 間違え……というか勘違いしたのか。まあ、高そうな装備を纏った男性と、見た目粗雑な外套の子供では当然な気もするけど。

 一瞬鋭い目を僕に向けて、それから殊更に笑顔を作り僧兵は僕に語りかけてきた。

「それは申し訳なかった。改めて、礼を」

「いえ」

 その言葉に心がこもっていないのはわかる。この礼は形式的なものだろう。ならば、受け取る気もない。

「俺たちは少しこの場を離れる。付近の魔物は今のところ一掃してあるから来ないかもしれないが、もし来たら頼んだ」

「お任せ下さい。……ときに、貴方も魔法使いか魔術師でしょうか?」

「……雪のことなら、払いのけてそれ以上当たらなければ問題ない」

 プロンデは、少しだけ考えてからそう答える。それから、ああ、と小さく口の中で呟いて続けた。

「そうだ。法術を使わなくとも、騎士たちも雪を防ぐことが出来れば症状は治まる。布を張ったりして、塹壕に簡易的な屋根でも作ればいいだろうな。もっとも、その屋根を作ることが出来るのは現状治療師の方々のみだが」

「……そうですな。では、それも手配しておきます。……おい」

 僧兵が、下っ端らしい今まで黙っていたもう一人に声をかける。それだけで意図を汲んだのか、その一人は走って戻っていった。


 そして、僕もプロンデの言葉の意味を汲む。その言葉の原因となった僧兵の言葉も。

 表情に出しそうになった。くだらない、こんなときにも権力闘争か。

 要は手柄の奪い合い。多分、治療師以外が法術を使うことへの禁忌もあるのだろう。

 プロンデが法術で回復したのであれば、それは誰が使ったか。そして何を使ったのかを僧兵は知りたかった。だから、プロンデは先回りして誰も使っていないことを示した。そんなところだと思う。


 しかし、良い発案だ。手柄には興味がない。だが、少しだけ嫌がらせしたい。

 先ほどの僧兵の視線の意味は、きっと僕が嫌いなものだ。

「では、そこだけは何とかしておきましょう」

「何を?」

 僧兵の言葉を無視し、合図として足下の雪を蹴る。二十歩ほどの距離にあった一番手近な塹壕。その上に、氷の屋根を作るように。

 材料は足下の雪とそれが溶けた水だ。僕の足下から、せり出すように氷が伸びていく。幅の広い塹壕に合わせて、その向こう側の雪面につくように、アーチ状に。

 まるで波が覆い被さるように、厚めの幅広い氷が上を覆った。横は素通しの、サーフィンなどでくぐり抜ける丸まった波に近い形。これならば、空気も通るし万が一溶けて崩れても大惨事にはなるまい。この気温ならばそうそう溶けないだろうし。

 いくつか、見張りと出入りのための穴も開けてある。広い視界が取れないのは少し不便だとも思うが、雪が当たるよりはだいぶマシだろう。見えないわけじゃないし。


「その屋根の下に運び込んでもいいかもしれませんね。それでは、行きましょうか」

 

 これで、もしも僧兵が屋根を作って回ったとしても二番煎じだ。

 正しい対策を取ったと人に誇ることは出来るかもしれないしそれを僕は止めもしないが、その度に思い出して貰えれば少し溜飲が下がる。


 感情を出さないようにだろうか。唇を結んだ僧兵を尻目に、僕とプロンデは走り出した。




 本当に広い戦場だ。

 それとも、雪の範囲が局地的といったほうがいいだろうか。騎士総隊長のいる簡易詰め所には雪が降っていない。

 入り口に立つ見張りの騎士越しに覗けば、薄い生地の天幕の中、ムジカル産らしい動物が描かれた絨毯まで敷いてある。ランプの明かりとその赤い絨毯が相まって、中はとても温かそうだった。

 その建物をプロンデは素通りし、隣のまた小さい天幕に歩み寄った。


「すまない。こちらに先ほど北壁に関する資料を持ち込んだ者だが」

 入り口に立つ騎士に取り次ぎを頼む。見張りは交代でもしたのだろうか、初対面のような反応でプロンデを見た。

「所属と階級を」

「客分だ。それよりも、北壁の資料を閲覧させてほしい」

「……なんのために」

「敵の詳細を知るために」

 戦場だからだろうか。いくらかぶっきらぼうな気もするが、礼儀としてはこれでもいいのだろう。だが、結果は芳しくないようで騎士は首を横に振った。

「すまないが無理だ。あれの閲覧は副隊長以上と許可を得た者に限られている。なにぶん、貴重な資料なものでな」

「では、現在それを使った協議でもしているのか」

「いや。ほぼ総隊長以下が確認をした後、保管をしている。だが失われてしまってもまずいので制限をかけている。すまないが、決まりなのでな」

 資料は見せられない。そういったことを考え、指示を出す階級の者にしか。

 そういうことだろう。中を覗けば、いくつかの小さな机に本や巻物が並んでいる。多分、この平原の地図などの軍事情報もここに保管されているのだろう。ここは作戦室というわけか。

「ならば、資料を返却しては貰えないか。あれはもともとこちらのものだ。使っていないのであれば……」

「申し訳ないが、総隊長の許可がいる。返却には応じられると思うが、この戦の後になるだろうな」

 とりつく島がない。軍事情報の関係上、誰でも入れるようにするのはまずいのはわかるけれど……。


 ……まあ、こういうときのための僕だろう。

 正道では無理。ならば、邪道をとればいい。


 周囲の誰も、僕のことを見ていないことを確認する。

 今僕は、二人の視界に入っている。目の前の騎士と、左後方を荷物を抱えて歩いている騎士の二人だ。

 もっと人数がいれば難しいが、二人だけなら簡単だろう。

 後ろの騎士の抱えた荷物が揺れる。物資だろう木箱に入った矢が視界の中で横にぶれる。その後ろで多少何かが起きてもわからない程度にはそちらに目が行く。

 目の前の騎士が、瞬きをする。そんなもの気にしなくても、プロンデに注目している今であればどうでもいいかもしれないが。

 だがこれも、レイトンとプリシラから学んだ技法だ。基本に忠実にいったほうがいいだろう。……教えてもらったわけじゃないし、基本自体よくわからないけれど。


 まあ、バレないに越したことはない。

 二人の視界から外れた瞬間、僕は魔法を使った。

 




 プロンデのコートの袖を引き、僕は首を振る。

「いいですよ。ここから離れましょう」

「……だけど」

「もう中に入っても意味がないですから。本を読むくらい、いつでも出来るでしょう」

 諭すような言葉。だが、そこは少し違う意味が含まれている。

 一瞬読み取れなかったようだが、それでもプロンデは理解したらしい。溜め息をついて頷いた。

「……邪魔をしたな」

 それから騎士に向かい会釈をする。当然、と言わんばかりに騎士も頷きで応えた。



 ずんずんと僕らは歩く。今度は僕が先導で。

 後ろからプロンデが声をかける。責めるような重たい視線を感じた気がした。


「それで? いつの間に?」

「先ほど、見張りの方がプロンデさんに注目している隙に」

 隠し持っていたアブラムの資料をちらりと見せる。先ほど、透明化して忍び込んで持ってきたものだ。

 読まれてはいるのだろう。机の上に無造作に置いてあった。だが他の資料に紛れてもいたので、なくなってもすぐにはわかるまい。

「……貧民街の誹りはそういうところからもくるのだぞ」

「僕が貧民街出身だなんて、この国の誰も知らないでしょう。それに、これは僕が自分のものを取ってきただけです」

 返却には応じられるとも言っていた。ならば、返してもらうことには問題ないのだろう。

 その許可を取っていないことが問題なだけで。

 だが、やはりプロンデは納得がいっていないらしい。まあそれが当然だ。これは、紛れもない窃盗なのだから。

 僕の顔が、意図せず綻んだ。

「心配せずとも、読んだら戻しておきますよ」

「そうしてくれると助かる。流石に何も言わないのは立場上出来ないからな」

「そうですね」

 窃盗は犯罪だ。()()()()()()()()()()()



 適当な物陰を選び、僕らは読書会を始める。

 といっても僕が主で、プロンデは横から覗き込む形だったが。


 アブラムの几帳面らしい四角い文字が並ぶ。

 実験レポートのような部分に、日記のような部分、ただの思いつきのメモのような部分がページごとに分かれて書き綴ってあった。

「基本的には、刺激とそのために起きた反応を鎮めるのに必要な魔物の数や種類ですね」

「細かい男だったようだな」

 パラパラと捲りながら目を通す。しかし、けっこう面白い資料だ。


 初めの方には、指や息などの物理的刺激に対応して、どんな魔物を飲ませたかの記録が二十件以上並べられていた。だが、魔物の数がなかなか集められなかった愚痴と、曖昧な刺激に対する疑問や愚痴のような文章が走り書きされたところでそれは中止になったらしい。

 そこからは少し時間をおいたのか、筆記用具とインクが代わり、そして刺激が統一されていた。刺激が火薬の量に統一されていたのだ。

 火薬ひとつまみ……導火線の部分もあるようなので少し不定だが、それを使って刺激した場合、兎を一匹から三匹飲ませれば壁は静まる。そして、狐では何匹、犬では……とまとめられていた。

 それにより、兎一匹に対して犬五匹ほどという換算まで行えるようになっていた。個体差があるというのは違うところに考察としてまとめられていたが、種族で大体わかるのか。

 また、今度は兎などの生け贄の方を固定し、刺激の火薬量への換算まで行っている。同じ重さの鉄球をある長さの糸に吊し、水平にしたところから振り子のように落とした場合、その長さでは火薬の一つまみの何分の一かと何度も測られていた。僕には縁が遠い四則演算の記号も並んでいるようなので、計算によっても求められているのだろう。



 基本的な実験結果はそういうもので、また他の観測結果もある。


 消退速度の測定。グーゼルの話では、強い魔力の持ち主ほど、飲まれたときの消退速度は速くなると言っていたはずだ。だが実験によると、どんな魔物を飲ませてもどんな刺激を与えても全て一定だった。強い魔力を持っているから速く引いたり、強い刺激だったから戻る速度が遅いということもないようだ。留まる時間は長くなるようだが。


 波……というよりもそこで蠢く人のようなもののスケッチ。

 それによれば、一般の人よりも大きく、仮に引き出して見れば大人の倍近くの大きさがあるという。目や歯がある個体は存在しないが、稀に爪がある個体がいるという。


 そして、北壁の位置は不定、とグーゼルも言っていたが、そこまで調べられていた。日によって少し周期があるようで、近づいたり遠ざかったりしている。

 ある位置に杭を立て、そこからの距離を測り地図まで付けて事細かに記録していた。予測と実測値のずれなども把握されており、そしてそれが何度も修正されてしかも最後にはほぼ一致しているというところも素晴らしい。アブラムは、その日に壁がどこにあるか正確にわかっていたのだ。


 その辺りは僕にとっては面白い。振り子の糸の長さを変える機構をつけた鉄球や、火薬を同じ位置で爆発させるための支持台などの作り方まで簡単に描いてある。オリジナルの実験器具らしい。本当に、細かい。


「……楽しそうだな」

「ええ。こういう実験などが好きだったんでしょうね。アブラムは」

 死ぬために準備していた、という範疇を超えている気がする。この実験結果が後世の役に立つように、とそう願っている気がする。僕の勝手な妄想だけど。

「そうじゃなくて……」

 プロンデは言い淀む。しかし、好きでなければ楽しくもないだろうに。

「しかし、これだけではわからないな。今回の計画に関することなんかは後の部分か」

「そうですね。……走り書きですが、最後にあります」

 二人でそこを覗き込む。四角い文字が少し乱れていたが、それでもやはり、これはアブラムの文字だった。滲んでいる箇所もいくつかある。屋外で書いたのか、それとも……。


 かいつまんで、僕はその計画を読み上げる。

「グーゼル殿が北砦にいる日に決行。北壁に接するよう、火薬を九樽置き、それを一斉に起爆する。自らはそこから急いで離脱した後、北砦に退却。そこで魔物を相当数掃討し、北砦の兵士たちを退却させる。全員の退却を確認した後、グーゼル殿を拘束。魔物の残党からの防衛を兼ねて残り、自らとグーゼル殿を北壁に飲ませる。……大体、知っているとおりですね」

「その後のことは……ないか」

 計画のことに関して、これ以後のことは書いていない。手配する薬や火薬などの項目に丸を付けてあるのは確認のためだろう。だがその前のページに、計算したのだろう、起こる波の大きさに関しては書いてあった。


「……これによると、少なくともスニッグは完璧に飲み込むだろうということです」

「そう、書いてあるか……?」

 プロンデは首を傾げる。まあ、図などないのでいきなり読んでわかるものでもないかもしれない。だが、たしかにスニッグまでを飲み込むのに必要な面積と、それより少し大きいほどの面積の計算式が書かれていた。この後者の計算式が波の大きさに関してだろう。

「また、消退する大きさについては……」


 もう一つ、重要な情報があった。それが、僕の求めていた情報だ。


「目撃されている魔物たちから推測された生息数が他のところに書いてあります。そして、それらの魔物をほぼ全部飲ませた上、グーゼル殿とアブラム殿、二人を合わせて飲ませてちょうど北砦まで波が引くようですね」

 計算式上はほとんど誤差なくそうなっている。本当に、アブラムは戦士というよりも学者だったのだろうか。火薬九樽というのも本当は少し違い、いくらか捨てて調整しているようだ。


 計画上は、何もしなければ首都を追い越しその先まで北壁は全てを飲み込む。そして、アブラムとグーゼルが飲まれれば首都にかなり近いところまでで済む。そこから、魔物を全て飲ませれば北砦まで波は引く。そんな感じだ。


「消退する波の量に関する考察。こっちもかなり興味深いですね」

 さきほどちらりと見た感じ、アブラムなりに仮説を積み上げていたようだ。

 魔力が強いほど、という話ではある。そこをかなり厳密に調べようとしていた。これもおそらく自分が飲まれることを考えてのことだとは思うが、それでも執念の一言だ。

「ちょっとまて、そこまでまだ読めてな……」

「それじゃ、どうぞ」

 読んでいる最中だっただろう、最後の計画の場所を開いて僕はプロンデに本を渡す。僕はもういい。大体頭に入った。

「いいのか?」

「ええ。本を読むのは得意なので」

 長期間覚えていろと言われると少し自信はないが、今なら重要そうなところは空で言える。それだけで、今は充分だ。

「……その本によると、やはり飲まれる動物の魔力量によって消える波の量は差があるようです。そこを突っ込んで調べていたようですね」

 兎や犬など、種類でほぼ消える量は推定できるようだ。だが、そこにも誤差が含まれている。それは個体差の問題であり、個体の魔力量の差でもある。


「僕のような魔法使いが飲まれた場合と、プロンデさんのような闘気使いが飲まれた場合、その差は経験則的にわかっていたそうですが、それを定量的に調べようという試みです」

 そこも素晴らしいの一言だ。彼は、魔法や法術などの技能による部分を測定しようとしていた。レヴィンのようなカンニングではなく、自らで自然に科学を作ろうとしていたのだ。

 実際、エウリューケと気が合うんじゃないだろうか。

「それによると、魔力を使ったかどうかはほぼ影響しない。その魔物が、どれだけの最大魔力を持っているかが重要らしいです」

「現在値ではなく、最大値、という感じか」

「そうですね。狐に混沌湯を与えて魔力を失わせてから飲ませても、健康的な狐を飲ませても誤差以上の結果は出なかったそうです」

 実験動物となった狐は可哀想ではあるが。

「ただ、個体差はたまにあった。それは魔力量によるものだということはわかっていますが、それをどうにかして測定できないものかと」

「……協力的な魔法使いを使い捨てにでもしない限り、検証は不可能じゃないか」

「アブラムもそう結論づけていました。ですけれど、仮説もあった。けっこう、信憑性の高そうなものが」


 ようやくプロンデも計画の部分を読み終わったのか、考察のページに戻る。

 その下部分、最後のほうを見て、呟くように言った。


「『その個体の扱える最大出力の魔法による刺激で現れた波の大きさと、その個体を飲ませたときの消退量が一致している』」

「発見した経緯はその前段に書いてありましたが、その後の標本数も少なく確信には至っていないようですね」

 曰く、生け捕りにした氷獅子が最後の抵抗とばかりに放った、見たこともない大きな氷柱が北壁に突き刺さった。そのときはもう駄目かと思った。氷獅子の魔法では通常自らが逃げられないほどの広さに広がるから。だが、その氷獅子が飲まれたところ、壁は静かに治まった、という。

「まあ、勘違いの可能性もあります。使える魔法が大きいほど、魔力量は高くなっていくんですから、たまたま釣り合ったということも考えられる」

 

 それを考えれば魔法の威力なども測定できるかもしれない。

 もちろん、壁をむやみに広げて大事故を起こすわけにはいかないからそんなことはさせられない。しかし、それでも今の五本指や片手といった区別の他に、質的な区別が出来るかもしれない。そんなものがあるかはわからないが。


「最大出力というのも曖昧だな。俺は使えないからよく知らないけど、火の魔法と氷の魔法をどう比べるっていうんだ」

「衝撃や温度、性状によっても違いますからね」

 僕は頷く。その通りだろう。曖昧な仮説だ。

 


 だが、ここまでアブラムは調べていた。

 失敗すれば波に飲まれてしまうかもしれないという危険を顧みず、実験を続けて検証を続けた。


 グーゼルは、絶対に触るなと言った。それも正しいだろう。

 僕らの身を案じるにせよ、周囲への迷惑を考慮したにせよ、それも絶対に必要だ。

 しかしその結果、北壁は依然変わらず恐怖の、そして不可侵の存在であり続けた。


 アブラムはその禁忌を外したのだ。

 まるで、化学者が化学薬品を舐めて同定していたように、危険を顧みず不可侵の壁に挑み続けた。それは、愚かしいことではあるかもしれない。けれど、その努力はきっと認められるべきだ。

 少なくとも研究結果を読んだ僕にとっては、もうそれは不可侵の壁ではなくなったのだから。


 まして、なんの根拠もないわけではない。

 今や、アブラムはこの国で最も北壁に関し詳しい人物で、唯一の北壁研究者といってもよかった。

 専門家の判断だから従うというわけではないが、データに基づき蓄積された経験の上に成り立つ勘ならば、一定以上の信憑性はあるだろう。



「……悠長に話している暇はありませんでしたね。プロンデさんは読み終わり次第持ち場に戻ってください。僕は、その本を戻してから戦場に戻ります」

「ああ。もう少し待ってくれ。すぐに終わる」


 プロンデはパラパラと急ぎページを捲り始める。

 流し読みだが一応内容は読み取っているのだろう。しかし、読み取ったとしてもプロンデには不要な情報だと思うが。

 アブラムはこれを僕に残した。国のために残した、というのもきっと間違いではない。でも、この情報は僕が一番活用できる。


 雑多なメモ書きのページに、乱雑に綴ってあった。

『死にたくない』

『いつまで続くんだろう』

『白髪が羨ましい』

『また一人退役した』

 その嘆きの数々もきっと彼の本心の現れだ。彼は、自分の人生に意味がほしくてこの研究を続けた。自分のための研究だった。

 もしかしたら、僕のこれからの行動も全部わかった上で渡したのかもしれない。何せ、彼と僕は似ているのだから。



 パタン、とプロンデは本を閉じる。目元だけで、少しだけ渋い顔をしているのが読み取れた。珍しい。

「……俺が読んでおいてなんだが……ウェイトに渡しても無駄だな」

「でしょうね。ウェイトさんはあくまで戦闘が専門でしょう」

 様々な訓練も受けているとは思う。けれど、これを有効活用するようなものはない。

 だがそれはアブラムも同じだった。彼はずっと前線にいたけれど、本質的には学者だった。理論の証明に関しては僕よりも上だろう。その根気強さも、発想力もきっと僕は負けている。

 だから、だからこそ、この理論を使うべきではなかった。理論の実証と実用は違う分野だ。


「そして、これは、グーゼル殿を飲ませることが前提の計画です。仮に魔物たちを掃討したところで、北砦までも戻らない。騎士たちに読ませても、無駄でした」

 むしろそれでも首都(スニッグ)が危ない。先ほどの仮説で言えば、恐らくこの国で最大火力の一撃を持つグーゼルの魔力が、消退において最重要なのだから。


 プロンデの反応をじっと窺う。そして、これはプロンデにとっても重要な情報なのだ。

 彼はこの国の人間ではない。自分も危ないとあれば、ウェイト共々、即離脱を宣言しても誰も責めることは出来ないだろう。

「どうします? プロンデさんたちはミールマンまで戻っては」

 その次に起こることは簡単だろう。首都機能を失ったリドニックを、エッセンもムジカルも放ってはおかない。支援して立て直しを図るかもしれないし、いっそ自分たちのものに、と動くかもしれない。

 その場合は、またプロンデたちはこの国に来ることになるが。敵兵として。


 だが、プロンデは即答する。

「答えるまでもない質問だな。いや、むしろこの本を読んだから答えなけりゃいけないか。戻るわけがないだろう」

「国王に忠誠を誓った騎士が、他国のために命を捨てると?」

「いいや、捨てる気もない。ウェイトはいるし、なによりお前が逃げていない。ならばきっと、戦い続けていればなんとかなるんだろう」

 僕はその答えを鼻で笑う。馬鹿にしているわけではない。だが、可笑しかった。

「ウェイトさんはともかく、僕を自信の根拠にされても困りますけどね」

 たしかに、僕は逃げる気がない。だがやはり、プロンデの命までは保証できない。

「……戦役後を期待しておくことだ。お前も、共に命を賭して戦った。ウェイトの評価も少しは変わるだろ」

「それはそれは」

 期待は出来ないが、それは面白そうだ。僕が戦場においても盗みをした小悪党に変わりはないけれど。



 プロンデの持ち場の空を見れば、空に向かって光の粒が飛んでいた。

 それきり何も起きてはいない。しかしきっとあれは治療師たちの法術なのだろう。


「戻りましょう。本はお預かりします」

「ああ。先に戻る。何か手が必要だったら言えよ」

 恭しく本を受け取り、僕は頷きで返す。


 だが、魔物の掃討以外で手を借りることはないだろう。それからすることは、僕一人で充分なことで、僕にしかできないことだ。




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