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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
戦う理由

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偶然の一致

三日に一度更新が続いていますが、文字数が多いので(ゴニョゴニョ



「プロンデ殿」

 僕は名前だけで呼びかける。けれど、こちらをプロンデは見ようとしない。目が離せないのだ。恐らく。

「そこ、そこにいろよ……」

 歩みは遅い。敵意は見えない。けれど少し警戒心が見えるのは、それが未知の現象だからだろう。先ほどプロンデは言っていた、『もう死んだはず』と。

「父上、貴方に会ったら、話したいことが……」

 一歩また踏み出す。まるで、霧の中、慣れない足場を渡るように。ぽつりとまたプロンデの頬に雪が落ちる。泣いてはいない、しかし泣きそうな顔だった。


 ……やはり僕には何も見えない。

「待……」

 その見えない何かのところに辿り着いたのだろう。プロンデが手を伸ばす。だが、当然のようにその手は空を切り、何も掴めないままプロンデはバランスを崩していた。

「あ……」

 そして、見えない何かが別の場所に行ったのか、また別の方向を見る。

 まるで夢遊病患者だ。

 転ぶ。バランスを崩しつつも受け身を取るようにしながら膝をついたことからして、正気は失っていないようだが、それでも前が見えていない。そんな感じだ。

 


 原因はなんだ?

 プロンデはたしかに何かを見ている。まさか、プリシラの言っていた『見える人』に類することだろうか。いや、この場ではなんの痕跡もないし、そんな男ではなかったと思う。

 見ているのは虚空で、それも場所が徐々にずれていく。そこに規則性は見えない。


 幻覚……? こんなときに、だろうか。それとも、こんなときだからだろうか。

 幻覚を見せる魔物もたしかにいるという。疑似餌のようにそれで小動物を釣り、捕食する陸鮟鱇や、逃げるために自分と同じ姿の幻を大量に作り出し、姿を隠す蛙など、そういう者たちが。

 けれど、リドニックにいるとは思えない。あれはネルグの魔物だ。

 

 それに、彼らではないと思う。彼らの使う幻覚、あれは魔法の一種だ。

 泥から人形を作り出してそれを動かすなどすれば、他人にもプロンデたちにも見えるだろう。しかし、本人にしか見えていないのであれば話は別となる。

 少なくとも僕は見えない。つまり、実体があるものではないのだ。

 そうなれば、その幻覚は見ている本人に作用しているということになる。鍛え上げられた闘気を持つプロンデの抵抗を、貫通して見せているということになってしまう。


 そこまで強い作用を起こす魔法であれば、僕が受けていないのはおかしい。

 僕に作用せずとも、魔力波を感じたり他にも何かあるはずだ。

 なのに。僕には見えていない。



 障壁に少しずつ積もってきていた雪を払いのける。

 黄色く白っぽい夕日の光量と相まって、視界がだんだんと悪くなってきた。

 既に、北の空は日の光が当たっていない黒い雲が広がりつつある。一瞬、話に聞いた灰寄雲かと思ったが、それならばきっと雪は今降っているような白ではないだろう。今の雪は、隊長も『白雪だろうが』と言っていた。



 プロンデを見れば、ついに膝をついてそれでも何かを追おうとしていた。

 何者かを追っている軌跡はぐるぐると回っているようなので、あまり遠くには行っていないがそれでも、この錯乱の様子を見れば……。


 

 待った。何かに引っかかり、僕は観察を一時止める。

 錯乱、と僕は思ったが、これは錯乱だろうか。

 違う、どこかで僕は見た。いないはずの誰かを見て、動作を乱していた者を。


 弾かれるように振り返る。

 そうだ、僕は同じような者を見た。細かい要素は違うが、同じなのだ。グーゼルと共に、北壁に向かったときと。

 あの時の、スティーブンと。



 プロンデを捨て置いて、僕は手近な塹壕に走り寄る。

 そこからも叫び声が上がっていたはずだ。そして辿り着いて見下ろしてみれば、細い通路のような穴、そこで何人もの騎士たちが、虚空を見て何かしらの反応をしていた。

「……俺は、帰る、帰るって……」

「……違うんだ、俺は単なる遊びのつもりで……」

「母さん、私は、そんな……」

 口々に、それぞれどこかを見ながら平謝りをしたり、涙を拭ったりしている。文章がまとまっていないのも共通しているだろうか。


 同じ……とすると、これも高山病?

 いやしかし、気圧は下がっていないし酸素量もそのままだ。それに、それが今突然この平地に起きたというのも無理がある。

 試しに一人の身体を見る。蹲り、耳を塞ぐように両手を顔に寄せ、涙を流しながら顔を横に振っている……わかりづらかったが女性か。

「失礼します、すいません」

 一応一声かけて、そして腕を掴む。錯乱しているがそもそもこちらがわからないらしく、抵抗すらしなかったが。

 

 ……とりあえず脳に異常はない。どこか異常に活発に動いているとかそういうものはない。

 ならば、眼球や耳に直接何かの影響が? そうは思ったが、魔力による観測でもそれ以上はわからない。

「だ……だって、私が戦わないと……兄貴が……、お兄ちゃん……? え……?」

 うわごとのような言葉に少しだけ心が痛む。どんな事情があるかは知らないが、周囲の人も含め、無意識に明かしたいことではないだろう。

 

 それに、人の秘密は殊更に暴くものでもないのだ。その秘密が、その人を殺すことに繋がるのかもしれないから。

 何を今更、とは思う。けれど、もっと節度を持ってすべきだったのだ。僕は。



 しかし、その声を聞いて気がついた。

 言葉が途切れ途切れだ。いや、辿々しいわけではない。ただ、苦しそうに合間合間で息を吸っている。

 もしかしてと血液を見れば、予想通りだった。


 血液中の酸素濃度が、極端に低くなっている。

 まったく同じとは言えない、けれど、やはりあのときのスティーブンのように。


 これは、換気障害?

 だが、そんなことがこんな大勢に一度に起きるだろうか。空気が薄くなったなどならまだしも、地上の気圧で。

 集団ヒステリーと言われた方がまだわかる。しかし、集団へのヒステリーの伝播はある程度親密な間柄で起こることが多かった気がする。その場合、今日たまたま居合わせたプロンデに症状が起きているのもおかしい。

 


 明らかにこれは何かの外的要因で起きていることで、そして多くの者が幻覚を見ている。一酸化炭素中毒などであっても酸素欠乏は起きるが、特徴的な顔色が出ていないしそもそも血液はもう確認している。

 ならば、何故。

 幻覚の内容はとするならば、共通点は親しい間柄の人が出ているということだろうか。これもスティーブンと同じくだけど。

 


 雪を払いのける。

 強くなってきた、障壁にすぐに膜が張るくらいまで。


 外的要因ならば、それを取り除けば皆改善するはずだ。というか、改善しないと危ない。今この場では、騎士たちの戦力が完全に無力化されている。

 幸い魔物はきていないが、来ていたら即座に大惨事となってしまう。

 

 そうだ。未だ戦っている人たちもいるはずだ。彼らが同じようであれば、危ない。

 僕は目を戻す。辿ってきた道に向けて。


 

 一応視界の中には、魔物はいないらしい。けれど、やはり尻餅をついていたり怯えた様子で頭を抱えている騎士が多数いる。

 徘徊するように歩き回る騎士たちもいたが、中にはきちんとした足取りの人がいた。



 ヒントになるだろうか。

 その人物の元まで駆け寄っていく。その深緑の服装を見れば騎士でないことはわかっていたが、それでも少しだけでもヒントがほしい。

 遠くにいた彼女のところにも、雪は多少ちらついていた。


 

「ああ、よかった、無事な人がいた!!」

 様々な人を見て回っていた治療師は、僕の姿を見て胸をなで下ろす。僕と身長が変わらないということは、女性としては少しだけ小さいくらいだろうか。

 水色の髪の毛の治療師は、続けて僕に問いかけた。

「いったい何が起きてるんですか!? みなさん幻覚を見だしたようで、行動が不能に……」

「申し訳ないですが僕もわかりません。というよりも、何故治療師様は無事なのでしょう」

 どちらかといえば、僕が聞きにきたのだ。しかし僕の問いにも、治療師は握り拳を口に当てて眉を顰める。

「私にもさっぱりなんです! 〈解幻(かいげん)〉も〈開眼(かいがん)〉も〈陽息(ようそく)〉も全く効かないんです! いえ、そんなこと言っても貴方にはわからないと思いますが……!」


 たしか聖典のかなり後ろの方に載っていた気がする。最後一つは覚えていないが、前者二つはどちらも勇者に同行した聖女が使った法術だ。魔王軍の四天王の手下が使った魔法による幻覚を解いた法術と、旅の途中疲労からなかなか目を覚まさなかった勇者を起床させるために使った法術だったか。

 描写的には、強く手を繋ぐとか、額への口づけとか、そんな風だった気がするけれど。

 

「どんな効果かは知りませんが、これは治療師様はどうして起きていると?」

「わかりません! ただ、雪が降り出した頃から皆さん錯乱し始めて……」

「……雪……」


 治療師の言葉に、僕は改めて空を見る。風に飛ばされ、ちらちらと落ちてくる雪。

 これが降ってきたときに何かが起きたとすれば、……気温の低下とかそういうものか。

「ねえねえ、どうしたらいいと思いますか!?」

 僕の裾を握り、治療師は泣きつくように言う。これはまさか、背が小さいのではなく年齢的に幼いのか。

 ……しかし、治療師だ。幼いといっても限度があるだろうに。

 最近は女性の年齢もわからなくなってきている……。


「治療師の貴方にわからないんでは、僕たちにはなおさらじゃないですか」

「二等治療師の私に期待されても困るんです!! 私より上の方には伝令も行かせられないし!!」

「……。……とにかく、他の手は試しましたか? 解毒や賦活は……」

 たしか、最低が三等だったと思う。ならば、一つ位階は上がっているのだ。素人ではあるまい。

「解毒……ですか? でも毒なんてなにも……」

「飲み水や、食糧に何か入っていたとか、何か病の……瘴気を吸っていたりとか……」

 言いながら僕も気がついた。持ち物の検査はしていない。やはり、他の人と話すことは刺激になるのだろうか。

 そして、空気感染も盲点だった。何か、そういう病原菌は……。


「そうですね!! すいませんでした!! 高度障害に似ていたので、そういうものかと思い込んでました!! ご指導ありがとうございます!!!」

 ピシっと敬礼をして、治療師は走ろうと振り返る。

 だが、その言葉に僕もふと違和感を覚えた。


「待って下さい」

「はえ?」

 騎士隊長といい、先ほどから呼び止めてばかりだ。確認のために、僕はもう一度言葉を繰り返す。

「高度障害に、似ていたんですね?」

 高度障害。高山病の別名だったか。高いところで障害が起きたから、という名前だろうが、この世界でも同じとは人の考えることは似ているらしい。

 いや、それよりも重要なことがある。

 彼女はそれに似ていたから、そう思い込んでそれの処置をした。もしかして、僕も?

「先ほど言っていた法術では、全く効果がなかったんですね?」

「ええ、はいはい!! あ、でも、〈陽息〉では一瞬意識が……」

 新情報だ。やはりもう一度聞いておいてよかった。

「その〈陽息〉というのはどういうものでしょう」

 言葉の感じでは、呼吸に関係する感じだろうか。しかし、呼吸ならみな問題なくしている。

 不勉強で嫌になる。聖典ならば、僕も読んでいるのに。

「こう、濃い空気を吸わせるものです。濃い空気を作るのは、私たちは、蝋燭の火が大きくなるように、って練習するんですけ……あ! すいません、これ秘密で!!」

「忘れました。……でも、わかりました。ありがとうございます」


 やはり、酸素不足が原因らしい。だが、高山病で使われる対策がほとんど効果を示さない。

 一瞬回復したようなので、それを解決すれば問題ないのだろう。けれど、すぐにまた再発したということはきっと原因は消えていない。


 僕の見立ては間違えていなかった。そう思いたい。けれど、違うのだ。間違っていたのだ、最初から。

 症状は同じだ。けれど、この道のプロがとった対策で改善しないのであれば、それは違っていたのだろう。


「最後にもう一つ」

「はい!」

 元気よく答えてくれる姿は本当に幼い。実は同じくらいとかそういうこともあるんじゃないだろうか。……年齢制限があって、それに一度昇級している以上、同い年くらいであればかなりの天稟であるが。

「雪が降りだした頃、なんですね?」

「え、ええ、まあ、そうなんですけど、……それって関係あります?」

 やはりそうかもしれない。ならば、僕なりの対策をしてみても良いかもしれない。

 それが正しい場合、絶望的な状況がさらに絶望的になるだけだけど。

「……今からちょっと試してみますので、僕の意識が危なくなったら、〈陽息〉をお願いします」

「え? あ? ちょっと!?」



 目を閉じ、僕は障壁を切る。そして、出来るだけ魔力を抑える。

 まとわりついていた雪が紙吹雪のようにはらはらと落ちるのがわかる。


 それが、僕の手や顔に落ちた。


「……ああ……」


 なるほど、すぐに症状が出た。

 足下がぐらつく。意識を持っていかれそうになる。やはりこういうことだった。

 目が霞む。その視界の中にぼんやりと見えた黒髪の女性。僕は彼女を見たことがある。


 元気な女性だ。友達も多くて、休日には女友達と一緒に銀座にショッピングに出ることもよくあった。

 いつもお土産に買ってきてくれた羊羹が美味しかった。

 笑顔がとても綺麗で、いつも僕に笑いかけてくれていた。


 その彼女が、ここにいるはずがないのに。



「大丈夫ですか!!?」

 治療師の声に、慌ててこらえて魔力を戻す。僕の腕にしがみつくようにしているのは、頼んでいた法術のためだろうか。

「ええ、大丈夫です」

 やはり、酸素は持っていかれるらしい。少しだけ視界に歪みが見えるが、それでもすぐに元通りになる。三度も呼吸すれば、全て元通りの視界だった。

 ふう、と一息吐いてから、僕はゆっくりと口を開く。


「原因、雪ですね」


「え!!?」

 丸く口を開けて固まる治療師に、僕はゆっくりと説明を加える。


「実は以前も同じようなことがあったんです。同じように、僕の目の前で老人が一人錯乱したことが。その時は、三人で山を登っている最中でした」

 北の山を指さしながら僕が言うと、勢いよく治療師はそちらを向いて、またこちらを見た。

「その時は、たしかに高山病もあったんでしょう。けれど、共通点があった」

「それが、……雪……」

「ええ。降り始めた頃でした。そして、そのときも僕は平気でした。もう一人の紅血隊も、意識障害はなかった」

 思い返せば共通点ばかりだ。

 意識障害や幻覚は僕には出ていない。そんな解説では少しだけ足りない。

 今のこの状況を考えれば、もう一つしっくりくる表現がある。

 『意識障害や幻覚は、魔力を使う人間には出なかった』だった。


 雪が降り始めた頃に起こりはじめて、限定的な症状。

 空気の薄さはたしかにあったので、高山病でもあったのだろう。だから僕は、その症状にあった対策をした。

 障壁を張り直し、気圧を調整した。それまで、雪は防いでいなかったのに、その時ちょうど雪を防ぐように切り替えたのだ。

「その時は、空気を吸わせて改善したと思ったんですが、そうでもなかったようです」

 取った対策は間違いだった。いや、間違いとも言い切れないだろう、そもそも周囲の酸素が足りなくなっていたのだから、気圧を上げなければ取り入れることは難しくなっていた。 一瞬症状は消えたのだろう。だが、その症状が本当に寛解したのは、気圧を上げたからではない。


「雪自体に、身体の中の酸素……空気を奪い去る効果があるようです。肌に触れただけで効果が出るほどの即効性もあるようですね」

「そんな……」

 あとは、恐らく幻覚も。幻覚自体は低酸素のせいで起きているかもしれない。けれどその方向性が固定されているのは恐らく雪の作用だ。

 それも、きっと記憶の中から近しい誰かを呼び出すような、そんなもの。


「……しかし、ならば……雪をなんとかすればいいので、治療師様は……」

「あああぁぁぁぁ!!!!!」


 通常業務に戻って……と言おうとしたところで、叫び声が上がった。

 僕らからではない、近くの塹壕にいた、騎士からだ。

 声を上げた本人は見えない。けれど、振り返った雪の壁に血飛沫が飛んだ。


「……治療をお願いします。気絶させてからのほうが良いかもしれません。幻の内容によっては、被害が増えかねない」

 どう傷ついたのかはわからない。錯乱した騎士が、自分を傷つけたのか。それとも、誰かを傷つけたのか。

 酸素不足で腕に力は入りづらいだろうから、そんなに酷い怪我ではないだろう。だが、放っておけば起きることは想像に難くない。

「はい! 今いきます!!」

 後ろ髪をなびかせ走り出す治療師の姿を見送り、僕は北壁の方を見る。



 雪のことを誰も知らないということは、きっとこの雪は街の辺りに降ったことがないのだろう。もしくは降っても、被害はさほど出なかった。

 では何故今これが降ったのか。薄々想像はつく。

 多分、この雪は北壁の近くに降る。おそらくは、スティーブンたちと北壁を見に行ったまさにその時にも降っていた。その雪が付着しなかったから、スティーブンはあれだけで症状が治まっていたのだ。


 生まれ育った土地だ。魔物たちにはきっと耐性がある。そして、魔力を使える僕たちにも。

 調和水と同じく、闘気で防げない毒もあったのだ。



 そしてそれが本当ならば、なんとなく、北壁の伝説の意味がわかった気がする。

 白い壁を見ての想像、というのも間違ってはいないだろう。けれど、もう少し直接的だった。

 北壁に近づいた者が見たのは、親しい者の幻。死んだはずの、そして老いたはずの。

 その幻が、若いときの姿となれば、そこからも想像してしまう。

 自分の親や兄弟、恋人や親友は、若い姿でそこにいるのだと。不老長寿の妙薬を飲んで、そこに。



 伝説に対しての考察はあとだ。

 今はこの雪をなんとかしなければ。

 今もなお、ちらちらと降り続けている白雪。雲も先ほどより広がっている。浴びてみた感じ、溶けてしまえば雪の効果はなくなる。

 だから、顔など、露出している部分に当たらなければ問題ない。そして酸素自体はスティーブンの時と違って潤沢にある。雪が消えてしばらくすれば、症状は治まるだろう。


 しかし、どうしよう。

 障壁を張ろうか。いや、この戦場自体を覆うのは難しい。たとえ僕の魔力が全快していても、さすがにそこまでは広がらない。

 騎士たちの雪を払いのけていっても、時間がかかるし今まさに降り注いでいるのだ。すぐにまた再発する。

 相手は天気だ。僕個人の力では限界がある。しかし協力を仰げる者もいない。紅血隊もいないこの戦場では、現状雪に耐性をもっているのは僕と治療師の人たちだけだ。

 マリーヤは〈災い避け〉を持っていた。あれであればいけるだろうか……。いや、しかし範囲の問題も障壁と変わらないし、何より今は首都まで往復する時間もない。

 

 どうしようか。雪をなんとかする方法。あの雪雲をなんとかする方法は……。

 ……そうだ。雪自体ではない。雪雲自体をなんとかすればいいのだ。

 頭を掻きむしる。

 ……雪雲をなんとかすればいいとしても、問題は大きく変わらない。あの大きな雲をなんとかしようなどとは、個人では無理だ。


 雲を消すといえば、どんな方法があるだろう。

 通常の雲ならば、放っておいてもすぐに消えてしまう。しかし、雪雲だ。普通の雪とは違って積乱雲のような分厚いものではないようなのが幸いだが、それでも上空に薄く広がっている巨大なものだ。

 たしか、ソ連が雨雲を刺激して降らせるようなことをしていた気がする。あれは、ヨウ化銀だったかを撃ち込むんだっけ。そうだ。ここに来るまでに降らせてしまえばいいのだ……どれほど降らせればいいかも想像つかないし、僕が数人いないと規模が足りない。


 やはり、大元をなんとかしてしまえばいいだろうか。

 北壁が近いところに雪が降るのなら、北壁を消退させてしまえば雪がなくなるかもしれない。

 もう少し後だと思っていたが、やむを得ないか。


 ……しかし、北壁をどうにかしたところで魔物の群れがいなくなるわけではない。それに雪雲がなくなる保証もない。

 最悪、僕不在で、錯乱した兵たちに魔物が突っ込んで来かねない。

 賭けに出てみるのもいいが、まだそのふんぎりは……。



「傭兵さん!! 次は何をしたらいいでしょうか!!!」

 奥歯を噛みしめて北を睨んでいた僕の背後から、治療師が声をかける。いや、自分で考えてくれとしか言えないのだが。

 とりあえず、治療は終わったのだろうか。暴れた騎士の鎮静も含めて。

「……僕は傭兵じゃないです。探索者です」

「あ、すみません!! じゃ、探索者さん!! 私は何を!!!?」

 悪びれもせずそう続ける彼女。考えてみれば悪いことではないのだが、僕もなかなかに苛立っているのか。

 

 そして、何をすればいいか、尋ねるというのも間違っていないだろう。

 きっと、僕に欠けているものだ。


「では、僕は何をしたらいいと思いますか?」

「え!?」

 治療師は聞き返す。口を開け、なんでそんなことを言うの? といわんばかりの顔で。

 雲を指さし、僕は続けた。

「あの雲をなんとかしたいんです。雪が降らなくなれば、この騒ぎは沈静化するので。その案を、出していただきたい」

「え、えっと!!?」

「聖典の奇跡でも英雄譚の魔術でもいいです。参考までに、僕は魔法使いです。何か案はありませんか」

「そそそそう言われましても!!」

 両手を胸の前で小刻みに振り、治療師はその内心を示していた。まあ、無理という話だろう。わかっている。これは八つ当たりに近い。


 ふと息を吐き、僕は表情を緩めた。

「すみません。八つ当たりです。治療師様は、先ほどのような方が出ると困るので待機で。もしくは、手近な騎士に〈陽息〉をかけて回って下さい。低酸素脳症などになっては……」

「あ、あの!! あれでしょうか!!」

 僕の言葉を遮り、治療師は両拳を握りしめて叫ぶ。

 さっきから思っていたが、いちいち叫ばなくてもいいと思う。

「長雨に苦しむ民衆のため、聖フォルテが雲に切れ間を作った記述があります!! でもそれは別に、奇跡というわけでも法術ってわけでも……!!」

「……さすが」

 やはり、きちんと勉強をしている人は違うらしい。僕も聖典をかなり読んではいるが、その記述に関しては見逃していた。いや、読んだことはあるはずだし、多分その辺だろうという当たりは付けられるが、言われるまで気付かなかった。


「新発見ですよ。その記述から、あの雲を退けて下さい。上級の方と相談してもいいです」

「ええええ? こんな土壇場で!?」

 彼女が知らないだけで、そういう法術はあるのかもしれない。エウリューケ曰く、階級が下ならば知らされない禁術すらあるのだから。

 

「僕はいくらか魔物を掃討してから少し調べ物があります。こちらは任せました」

「ま、任せ……」

「それと、治療師の方でもしも戦える方がいらっしゃったら、こちらの応援を。手が足りなくなってます。お願いします。未来の特等治療師様」

 僕がそう頭を下げて言うと、コクコクと頷きながら治療師は応えた。嬉しそうな顔が見えるのは、前段の僕の言葉からだろう。……やはり、少し幼い気がする。


 もう意思は充分だろう。ダッと駆けだした彼女を見送り、僕も一度北方面へ走り出す。

 ちょこちょこと魔物はいる。急ぎ魔法で片付けて、それからプロンデを回収して北壁の資料を閲覧しに行く。


 上空から見れば、逃げてくるいくつかの小さな群れが見えた。

 雪に塗れてもなお動けるとは、適応能力とは凄いものだ。


 その能力に敬意を表し、僕は風の刃で群れを片付けた。




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