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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
戦う理由

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閑話:臆病者

SIDE:ウェイト


閑話病が続いていますが、大丈夫です。

次からまた主人公視点で、あと閑話は二つくらいです(大丈夫じゃない)



1/21 本作では代八車の由来に、『一台で八人分の仕事(運搬)ができるところから(代八車)』説を採用しています(Wikipediaより)




 皆が皆、それぞれの仕事に散っていく。

 これから行うのは、北の雪原への大移動。それから、雪に塹壕を掘り木と氷の壁を築く。

 所詮、間に合わせのものだ。けれどその第二防衛線でどれだけの魔物を防げるか、どれだけの魔物を殺さずに生け捕りに出来るかで、この国の今後が決まる。

「代八車を空で運ぶな!! 資材をありったけ積んでいけ!」

 飛ばされた指示に、荷車の荷物が増えていく。それに不満を言うものは、誰一人としていなかった。


 第二防衛線は、首都にほど近い雪原に作られる。

 北の雪原はほとんど真っ平らだが、ある位置では風と日の当たりかたで斜面が出来るところがある。その建築予定地がまさしくそれで、ほんの少しだが丘になっており、その上に陣取ることが出来た。

 見た目はほとんど平地と変わらないその丘を使うのは、ほとんど起伏のないこの国での涙ぐましい努力の形だった。



 マリーヤは、兵士たちが駆け回るのを不安そうに見つめていた。

 まさか、とマリーヤすら思っていた。

 まさか本当に北壁が膨張するなんて。お伽噺に近い災厄が、こんな時に起きるなんて。

 誰しもが心の奥底で思っている、『自分だけは大丈夫』という根拠のない自信。マリーヤのそれがいまや、完璧に崩れ去っていた。


 今回の波がどれほどの規模かはまだわからない。

 アブラムの持ち出した火薬の量で、どれほどの時間どれほどの広さまで波が広がるか、それが未だにわからない。

 過去にあったのはツルハシによるものだけで、他に前例がない。案外、火薬を使ってもツルハシと変わらない結果になるかもしれない。


 けれど、もしそうではなかったら。

 そう考えると、マリーヤの背筋が凍った。膨らんだ波は、白い人形で形作られているという。その腕に掴まれ、引き込まれたら最後、出てはこられないとも。

 それが国全土を覆うような事態になるかもしれない。もしもそうなれば、死者はどれほどの規模になるだろう。

 先王が殺した五万の民。それだけでは済まないだろう。そんな程度の規模では済まないだろう。


 なら、今自分に出来ることは?

 そう考えて、何も浮かばないのが口惜しかった。

 所詮、今の自分はただの侍中もどきだ。戦場に立つことも出来ず、人々を逃がすために声を張り上げても衛兵の邪魔になるだけ。

 情けない。この非常時に何も出来ない自分が悔しくて、白い手が真っ赤になるまで、その手を強く握りしめた。



 今になって、マリーヤはヴォロディアの言っていた銃というものの価値についてわかった気がする。

 ヴォロディアと、そこに入れ知恵したレヴィン曰く、銃というものは調練も無しに非戦闘員を戦士に変えるという。

 その理想の武器はまさに、今自分に必要なものだ。

 立ち上がりたくとも立ち上がれない者はいつでもいるのだから。


 素人判断ではあるが、あの、ヴォロディアが作った銃ではとても戦えはしないだろう。誰が、数発撃てば自らの手足を奪う武器を使いたいと思うだろうか。威力だってきっと足りない。魔物に遭遇したことはないが、それでも、魔物はあの丸太よりもずっと硬いはずだ。

 けれど。


「……銃、認めるべきだったかもしれませんね……」


 ぽつりと呟かれた言葉。それは、マリーヤ自身も意外なものだった。

 つい先ほど、それで障害を負ったものを見ているはずなのに。今自分の爪の間に残っている血は、その銃により流されたものなのに。

 

 けれど、とマリーヤは重ねて思う。

 戦いたいときに戦えないのは辛い。まるで手足をもがれたようで。


 戦場に立ちたいわけではない。命のやりとりなど出来るとは到底思えない。

 しかし、銃があれば戦えるというのであれば。最低限、戦力になるというのならば。それは、力の無い者に与えられた光のようなものになり得る。

 

 今のこの国は、自分たちのものだ。

 自分たちの国を、自分たちで守るため。銃という形ではなくとも、民に何かしらの力を持たせるのは、良いことなのかもしれない。

 少なくとも先王の時代、民衆全員が銃を持っていれば、先王はきっともう少し民に甘かっただろう。その銃が、自らに向くかもしれないのだから。


 そんなふうに、ふと思った。




「ここにいらしたか」

 プロンデたち三人が、練兵場にようやく到着する。既に兵たちは散っており、皆それぞれの仕事にかかっているような遅い時間に。

 案内してきた衛兵は、上官の指示を仰ぎに走っていった。やる気がないわけではないのだ。ただ、やることがわからないだけで。

「……どうしてこちらへ?」

 三人に、マリーヤは尋ねる。プロンデたちは応接室で待っておいてもらうはずだったが、何故、ここに現れたのだろう。

 マリーヤの脳内でいくつも仮説が積み上がっていく。

「マリーヤ殿に協力するために」

「……今、私は何が出来るわけでもありませんし、また何をするわけでもありません。私への手伝いは不要でしょう」

 プロンデの言葉に、力なくマリーヤは答える。

 無力な自分だ。力添えされても、何も為せないほどの。そう自嘲した。


「正直、私も同意見だ。今必要なのは、現場での人手だろう」

 ウェイトもそう返す。目の前の元女官の手伝いなど、何があるだろう。全く見当がついていなかった。

「そう……ですね。でしたら……」

 ウェイトの言葉にも同意したマリーヤは、手近にいた一人の騎士隊長を呼ぶ。そうだ。カラスが連れていたということは、この者たちも有能なはず。そう思って。


 マリーヤに呼ばれた騎士隊長は地図を睨むのをやめ、マリーヤたちに歩み寄る。

「何か?」

「この方々を、どうにかして使っていただけませんか。いずれも紅血隊に負けぬ猛者たちです」

「……これは心強い。でしたら、のちほど手をお借りします。いくつか手薄な地帯が出来てしまいそうで」

 二つ返事で頷いた騎士隊長は、地図を見せながら場所を指し示す。マリーヤの一言だけで、彼らを戦力に使う気満々だった。

 だが、それを見てまたプロンデがわずかに首を傾げる。

「……何か?」

「いや……」

 不自然に動きが止まったように見えたプロンデに、マリーヤが問いかける。

 言葉を濁しても誤魔化しきれないその顔に、どうしようかと一瞬ウェイトを見た。

 だが、そこまで悩むことでもないだろう。プロンデは口を開く。

「私たちがどんな人物かも知らないのに、よく協力を仰げますね」

 プロンデの言葉に、その通りだとウェイトも頷く。

 そうだ。ウェイトとスティーブンに至っては初対面なのに。

「……今は手が足りないときです。誰であれ、協力的ならば使うべきでしょう。それに、特にプロンデ様はカラス様がこの城にお連れになった方。どんな人物かはたしかに存じませんが、それでも、無力ではないでしょう」


 その言葉に、ウェイトは少しだけ憤慨した。顔には出さないように努めながらも、長年の友人プロンデにはわかる程度に、わずかに表に出してしまう。

 初めてではないが、ウェイトやプロンデは久しかった。自らを信用の根拠に使うのではなく、他人が自らの信用の根拠に使われるのは。

 聖騎士という役職。信用されるのには上等なものだ。けれど、この国ではたしかに名乗ってはいない。名乗ることが出来ない身である。

 なるほど、目の前の女性は自分のことを知らなかった。いや、知られてはいけなかった。だから、その不満は封じ込めなければならない。

 

 そうは思った。しかし、ウェイトはそれでも皮肉を口にしてしまう。ウェイトの内心を知らないマリーヤにとっては、まさにただの疑問になってしまったが。

「カラス殿のことを、信用しているのですね」

 その言葉に、マリーヤも内心驚く。そうだ。まだ、知り合って日も浅い身。信用などという上等なものを築ける間柄でもないだろうに。しかし、そんなことを口にしてしまうなど。

 取り繕うように、マリーヤはなんとか言葉を紡ぐ。


「信用なんてとんでもない。まだ、利用、という段階でしょうか。彼には、世話になったもので」

 

 マリーヤは思い返す。

 そうだ。彼や彼の協力者のおかげで、この国に神器が戻ってきた。

 一つ手にすれば国を手にしたのと同じことで、しかも彼やその仲間たちであれば立ち上げた国を維持することも簡単だろうに。

 そうせずとも、<災い避け(ブレイザブリク)>を金に換えれば、莫大な財産になるだろうに、そうしなかった。

 まるで、ただの手荷物のように返された。そうするべきだから、という理由だけで。

 彼らは欲に目が眩むような者たちではない。それをマリーヤが知るのには充分なものだ。ならばきっと、彼らは信用できる。信頼できる。根拠は薄いが、そう思った。


 けれど、それは口に出せない。

 神器は、この国の宝物庫から発見されるのだ。神器の移動があったと、誰にも言うわけにはいかない。彼らはきっと、後ろ暗い者たちだ。彼らがそこに関わっていたなど、言質を取られるわけにはいかない。それは彼女の義理だった。


 故に、適当な言葉をマリーヤは咄嗟に考える。

 彼に、カラスに肩入れするような理由を、彼を思い浮かべながら。



「いえ、そうでございますね。歳はまだ若いものの、見目麗しい少年です。私も女として、彼に肩入れしてしまうのでしょう。そういうことにしておいてください」

「……その言葉、大きな声で言わない方がいいな」

 プロンデはわかっている。その言葉は、きっと今咄嗟に考えたものだ。けれど、それを追及はしまい。だから、冗談で返す。

 その横にいる騎士隊長の凍り付いた顔を見れば、冗談にもならないのだが。


「冗談でございますよ。たしかに、彼は魅力的でございます。私も十五年、いえ、十年若ければ夢中になってしまったかもしれません。しかし、私も些か薹が立ってしまっておりますので」

 クフフ、とマリーヤは笑う。城の多くの者を虜にした、艶と陰のある笑顔だった。

 

 ウェイトも遅れて察して目を細める。

 この女性は、何かを知っている。石ころ屋に関わっていた可能性すらある。レイトンがこの国を訪れた理由に関わっているかもしれない。

 そう、勘が告げる。しかし、もはやそれを聞ける雰囲気ではない。話題も移り変わってしまった。

 身振り手振り、話術でその場の雰囲気を作り上げ操作する。この目の前の女性の勝利だろう。内心、歯ぎしりをした。


 そんなウェイトを気にせず、ふとマリーヤは考える。

 そうだ、神器。あれがあった。

 〈災い避け〉ならば、波を防げるかもしれない。あらゆる災厄を寄せ付けないというあの結界ならば。

 そこまで考えて、マリーヤはいや、と思い直す。

 この国で魔力を使える者は少ない。そして、ほぼ全ての魔力使いが紅血隊に所属し仙術を学んでいる。

 彼らであれば、使うことは出来るだろう。相当量の魔力を使うとも聞いているので、さらに限られてはいるだろうが。


 革命以前、メルティのために結界を張り続けた術士は紅血隊ではなかった。そして、それ故に処刑されてしまった。

 今にして思えば、何が彼の罪だったのだろう。彼は、先王の命令でメルティのために働き続けただけなのに。


 ……それは今は関係ない。

 だが、どうすればいい。マリーヤは考える。

 今、紅血隊を信用することは出来ない。まだ尋問を終えてはいないが、彼らが北壁を刺激し、そしてその妨害をするかもしれないカラスとプロンデを襲ったのは明白だ。

 個人としてではなく隊としての行動だ。勿論全員の意思ではないかもしれない。けれど、それを判別するまで時間がかかる。

 それを考えるならば、紅血隊に持たせるわけにはいかない。

 ならば、候補は……。



 そこに、一人の職人が歩み寄る。

「マリーヤ様」

 彼はマリーヤにとって馴染み深い職人で、ヴォロディアと共に銃の作成に携わっていた職人だ。相方は不幸な事故により職を失ってしまったが、彼は変わりない。

 だが、喧噪には慣れていない。煤けた頬に鳥肌を立てて、周りを気にしながらマリーヤに話しかけた。

 思考を切り、マリーヤもそちらを向く。

「何でございましょう」

「ヴォロディア様からこちらに運び込むようにと指示を受けてきたのですが、ど、どちらに納めればよろしいのでしょう。この騒ぎは……?」

 彼は職人である。しかも、城勤めして日も浅い。先ほどの警報の意味も、何も知らなかった。

 もっとも、仕方のないことである。古くから伝わる鐘の音の意味は一応書物に残っているものの、基本的には口伝である。今まで存在しなかった『城勤めの職人』である彼に、伝える立場の者などいなかったのだ。


 そこを責める気はない。

 だが、マリーヤはその職人の背後に目を留めた。代八車に乗せられている木箱。布で包まれ、収められているそれは動く度にガチャリと()()音を立てていた。

「備品か? であるならば、そちらの倉庫に……」

「何故、それがこちらに?」

 騎士隊長が親切にも行き場を示そうとするのを遮り、マリーヤが尋ねる。

 意味がわからなかった。何故、今、それがここに来るのか。


「つ、使える銃を練兵場に運び込み、いくらかの人員に装備させよ、と。そう、伝わっていると聞きましたが……」

 箱の中に入っているのは、試作品の銃の山。基本的な構造は共通しているが、それでも筒の長さや太さなど、形の違うものが雑多に混ざった銃の山だった。


「私は、聞いておりません」


 冷たい色がマリーヤの声に混じる。こんな時にもなお、銃か。そんな呆れが胸中を支配した。

 銃自体についての態度は少しだけ軟化している。けれど、その効力に関してはまだ一切認めてはいない。

 手を吹き飛ばしながら弾けてしまう銃。ろくな威力もなく、狙ったところに当たらない。そんなものを、兵士に装備させろと。そういうのだろうか。

 マリーヤの顔色を窺ったわけではないが、それでもちらりとマリーヤを見て、それから騎士隊長は咳払いをする。

「私も聞いてはおらんな」

「え、いや、しかし……」

 職人も困る。彼はヴォロディアの指示通り、この練兵場に銃を運んできただけなのだ。それなのに、この冷たい態度はどうしたことだろう。

 もしや、何か自分はしでかしてしまったのだろうか。そう慌て、油の残った爪を噛んだ。



「……これは?」

「銃というらしい。この筒の中に火薬と鉄の弾を詰め、爆発の勢いで飛ばす武器だそうだ」

 荷車を覗き込み、興味津々に尋ねたウェイトにプロンデは答える。実際に見たことはないが、それでもそういうものだろうと察しは付いた。

「ふん」

 鼻を鳴らし、ウェイトは一つを手に取る。剣や槍とは違う、特有のズシリとした感触が手に伝わった。

「ここの留め具は?」

「え、ええと、それはですね、ここに火縄を挟んでおいて、それを使って中の火薬に着火しますです」

 職人は、ウェイトの相手に活路を見出した。これ以上、身分の高いものらの視線に耐えられなかったのだ。

 もっとも、話している相手も、エッセンでは役職上雲の上の存在なのだが。

「鉄管の上から熱するのか? それでは火などなかなかつかないだろう」

「直接火薬に火を点けて、そこから内部の火薬に火を伝える火皿、というものがあるらしいのですが、そちらの構造を誰も知らず……。一応、火縄を押しつけて少し待てば」

「知らない? その火皿というものを考えた者に聞けばいいではないか」

「……それは……」

 職人はいいあぐむ。その辺りの指示はヴォロディアも曖昧で、発案者のレヴィンに聞いても明確な答えはなかった。

 故にこの形式になっているのだが、職人としても鉄管に穴を開けて直接火を点けたほうが早いとは思っている。その場合、明らかに威力が低下してしまうのも問題なのだが。

「……まだ、発展途上のもので……」

「ふん、ならば、今使うべきではないだろう」

 

 そうは言いながらも、ウェイトの目は銃から離れない。

 自分も見たことがない未知の武器。鉄の弾を撃ち出すというところから大体想像は付くが、見たことはない。戦場で用いる炮烙玉と何が違うのだろうか。

 好奇心が抑えられない。この場にあっても。


「……火薬はあるか? 弾は? 火種は?」

「え、ええと、とりあえず荷台に載せてきた分がこちらに……」

 顔を上げたウェイトに、職人は怯む。

 それでも、ゆっくりと目の前に出す。小さな樽に一つ。だが、一発撃つ分には一掴みで足りる。火縄はある。火は照明を使えばいい。

「ウェイト」

「一発だけ撃ってみてもいいだろう。……いいだろうか?」

 今更のように、ウェイトはマリーヤと騎士隊長に尋ねる。プロンデの咎める声も聞いてはいなかった。




 銃声が、練兵場に響き渡る。

 既に人も減りつつある中で、その音はより一層大きく響いた。


 命中した木の幹は大きくへこみ、その威力を物語っていた。

 それを見つめ、ウェイトは溜め息を吐く。

「火薬を使うということからわかってはいたが、静音性はかなり低いな。これでは夜襲には使えん」

 見張りを隠密裏に倒すことは出来ず、そして火縄を裸で運用する以上夜間は目立つ。後者はまだ工夫の余地がありそうだが、前者は致命的だ。

「だが、弾の携帯性はよく、至近距離での威力は申し分ない。褒められるところはそれくらいだが」

 生半可な強弓には勝る威力。だが、他は弓には負ける。

「火薬を詰めるのに時間がかかる。弾の他、火縄がなくなれば撃てなくなる。……これは弓と同じ欠点だがな。弦が切れれば弓は射れん」

 呟くように、批評がされていく。銃の出来自体の批評はヴォロディアも交え進めているが、職人にとって、使う側の意見は貴重な経験だった。

 銃口を覗き込み、ウェイトはその穴を小指で穿る。

「手入れも大変そうだ。数発使えば中が汚れるだろう。……耐久性は、まあ、わかっているようだが」


 職人は目を逸らす。わかっている、どころではない。痛感している。

 長年一緒に働いていた相棒が、今日手を失ったのだから。


「使うのに闘気による保護が必要なのであれば、もはや剣を持った方がはやい。違うか?」

 ウェイトも、その話は既に聞いていた。なので、撃つ際には手と銃自体を闘気で強化していた。

 だが、そんなことをすればそれこそ意味の無い行為となる。

 闘気で身を守れるのであれば、その闘気で強化された拳で殴った方が早い。鉄の弾を投げた方が簡便だ。

 その言に、職人も頷く。昨日までならば反駁したかもしれない。けれど、相棒の惨状を見てしまった今ならば。

 その悲しみは、レヴィンにより残された脳の爪痕も凌駕しつつある勢いだった。



「……というわけです。倉庫に入れておいてください」

「わかりました」

 マリーヤは、ウェイトの言葉を継いでそう言う。使わせろというヴォロディアの指示に背く行為。だが、もう誰もその場では反論しなかった。

 




 しばらくして。スニッグから少しだけ離れた小高い丘。

 そこで、陣地の作成は始まっていた。

 首都からは地平線よりも離れてはいるが、本当はまだ北に作りたい。そう、皆は考える。しかし。それも難しい。機材の運搬に地形を考え、一番都合よく作れるのはここしかなかった。

 横を見れば、こちらも地平線より向こうまで着々と塹壕が作られている。

 当然全て繋げる資材も時間も無いので所々途切れてはいるが、それでも雪原を走る魔物や動物を全て食い止められるよう、壁が延長線上に並んでいた。



 広い雪原といえども、北壁に対してここはほんのわずかな猫の額ほどの雪原に過ぎない。しかしそんな雪原を守り切れば、ここより南への被害は八割方食い止められる。

 その理由はまだはっきりとわかってはいない。『この雪原以外は雪面が脆弱であるため』や『雪に何かが混じっている』『風の向きによる無意識の選択』など様々な説が学者たちや魔物の研究家の間でも議論されている。

 その理由の真実はともかくとして、北壁付近の魔物は南下する際にほとんどがこの雪原を通るのだ。


 そしてその先にあるのが王都スニッグ。城は、そのために建てられたという。


 

「壮観だな」

 ウェイトが呟く。視線の先には、必死に雪を掘り返す兵士たちがいる。まるでかまくらを作るように必死に掘り、雪を積み上げていく。勿論それは、かまくらなどというのどかなものではないのだが。


 観測した斥候たちの話によれば、あと一刻もなく魔物たちはこちらにつく。

 それまでに、防備を整えなければいけない。そう、皆必死だった。

  

「俺たちも手伝うぞ」

「儂もか」

 プロンデの言葉にスティーブンが文句の声を上げる。しかし抵抗するのは声だけで、その手には木製の円匙(シャベル)がしっかりと握られていた。

 スティーブンが、ズン、と雪を踏みならし、肩を回す。

「はは、任せい! ムジカルとの大戦では、さんざん作ったもんじゃ!!」

「私たちの作る場所は、木組み等はありませんが崩れないよう注意してください」

「おうさ!」

 わははー、とスティーブンが駆け出す。まるで雪遊びに出かける子供のように。それを見送り、プロンデは溜め息を吐いた。


 月野流当主。もう少し威厳のある方だと思っていたが。

 そう、内心思う。だが、すぐに頭を振ってその考えを振り払った。

 勝手な憶測や先入観はいけないと知っているはずだ。流派の当主が気やすい者で何が悪いのだろう。勿論、水天流の当主が()()では問題があると門人として思ってはしまうが、所詮余所の流派だ。問題ない。

 

 では、自分たちも……、とウェイトの方を見るが、その時初めて、ウェイトが何かを注視していることに気がついた。

「……どうした?」

「どこの国にも、臆病者はいるようだな」

 視線の先を、プロンデは追う。その先には、身をわずかに低く屈め、王都の方へ向かい歩いている二人組の兵士がいた。

 プロンデは首を傾げる。ウェイトの言葉の意味がわからなかった。

 本当に、人がいい奴だ。そう鼻息で告げ、ウェイトは兵士たちを指し示した。

「見ろ。武器も持たず、そして資材の運搬もしていない。なのに、あの先に何があるというのだ?」

「厠とか」

「臨時に作られたものは、あの先にはない」

「王都への伝令とかじゃないか」

「だったら、犬ぞりを使うか走っていくはず。先ほどから見ていたが、やたらと人の目を気にしていた。そして今も、目立たぬよう行動している。明らかに、逃げる気だ」

 そう言われてみればそんな気がする。プロンデはようやく合点がいった。

 要は、逃亡兵だ。

 戦線を離れ、どこかへ行こうとしている。今のところはその容疑がかかっただけだが、たしかにそう見えた。

 

「……おい?」

 ウェイトは歩き出す。その二人に向けて。

 だが、見ていたのはウェイトだけではなかった。そういった逃亡兵などを取り締まるべき職に就いている憲兵。塹壕を掘りながらも、彼らがそれを見過ごすはずがなかった。

「……我らが出るまでもなかったか」

 ウェイトはそうぼやく。

「ま、当たり前だな」

 プロンデも同意する。

 視線の先では、兵士たちが憲兵に引っ立てられていった。



 だが。

 ウェイトの足は止まらない。その足の力の元は、好奇心や興味など、そういう感情ではない。

「何しに行くんだ」

「決まっている。説教だ」

 正義感から。ウェイトは許せなかった。この、皆が一丸となって力を合わせるときに歩調を乱す者を。憲兵の手を煩わせ、現場から人手を奪う狼藉者たちを。

 憲兵たちが放っておけばいいなどとはウェイトは思わない。逃亡兵は士気低下のもとだ。今このときの士気低下は、後の戦線の崩壊を招く。それをわからない聖騎士ではない。

 逃亡兵たちはどこかへ引っ立てられていく。ならば、その先はどういうところか想像が付く。


 きっと、()()()()奴らが集まっているだろう。

 それが、許せなかった。




「けっ……」

 板と縄で簡易に作られた柔な監獄。そこに、逃亡兵たちは入れられていた。

 目の前には、睨みをきかせる幾人かの兵士たち。監獄の獄卒たちだ。

 中には逃亡兵たち以外にも既に十数人の兵士たちが座り込んでおり、皆丸腰だった。

 筵もなく、雪の上に直接座らされているのは資材の不足もあるが、主に懲罰のためだ。彼らは皆逃亡や喧嘩、抗命などにより懲罰を受けている身だ。

 皆例外なく、その理由は逃げるためのものだった。逃亡は言わずもがな、逃亡を見咎めた同僚を振り払うための喧嘩や上司への反抗。そういった者たちである。

 上等な扱いなどされるはずもなく、その他の兵士たちへの見せしめとするために、移送もされず防衛線の近くに残されていた。


 ウェイトも、そこへ着くなり鼻を鳴らした。人の身体が通れない程度に作られた柵から、中の囚人を睨みながら。

「臆病者どもが」

 小さく悪態を吐く。囚人たちはそれを聞いてウェイトを睨み返すも、ウェイトが視線を向けると小さくなり下を向いた。

 強気な視線を向けることも出来ないのか。そう、ウェイトは内心嘆く。



「恥ずかしくないのか」

 半分は挑発のため。もう半分は、自らの気を済ますため。ウェイトは先ほどの逃亡兵に声をかける。

 だが、期待していた罵声はこない。それが、本当に残念だった。

「今は火急の時。逃げてどこへ行こうというんだ」

 ウェイトの眉根がつまらなそうに歪む。だが、それに気付いて自ら表情を緩めた。


 ここへ来たのは説教のためだと先ほど口に出したはずだ。

 罵ってどうする。説教とは、教え道を示す行為だと、そう知っているはずなのに。


「……何故逃げた」

 無表情に近い怒り顔で、ウェイトはそう問いかける。だが、座り込んだ逃亡兵は下を見つめて動かなかった。

「…………」

「黙っていてはわからんな。それとも、ものを言う口をなくしたか。逃げる足は残っているのに」

「……黙れよ」

 皮肉に逃亡兵は少しだけ反応する。震える唇で、ようやくウェイトへと言い返した。

 それを確認し、ウェイトの口が歪む。

「口は残っているらしい。ならば、何故だ? お前も、いや、この火急の時に厄介ごとを起こしたお前ら全員、何故だ?」

「お前に、何か迷惑かけたか」

 ウェイトの質問には答えず、ゆっくりと小さな声で逃亡兵は口にした。だが、ウェイトは一切の逡巡も無しに返す。

「ああ。ここで国が滅びれば、我は大いに迷惑する。我だけではない。エッセンの国民も、お前らの守るべきリドニックの国民も、迷惑を被る。いいや、大半は迷惑とすら思えなくなる」

「俺一人いなくても……」

「変わらないか? ああ、そうだな、変わらないな」

 ウェイトは笑う。目の前の青年を嘲笑うように。

「一人がいなくても何も変わらない。それは、皆が同じことだ。しかし、皆が同じようにそう思えば、思ってしまえば全ては変わる。この国が少し前に転覆したように」


 国を前にすれば、個人は無力だ。

 けれど、集団となれば、結束すれば、国すらも倒すことが出来る。無力な民が力を持つ。その力を、馬鹿にすることは出来ないだろう。そういう意味を込めて、ウェイトは言った。


 しかし、やはり逃亡兵の目に力は戻らない。その理由を、いくら考えようとウェイトには理解できなかった。

 それは、当然とも言える。それは常人の悩みであり、超人ともいえる力を持つウェイトには縁が遠いものだからだ。

「何故、逃げようとした」

 故に、もう一度尋ねる。その言葉が逃亡兵を責めているということをわかりつつも。

 そして、その理由が臆病さからだということもわかっている。だが、理解したくはなかった。



 思わずいつもの尋問のように、剣に手をかける。塀越しに三歩ほどの距離。既に間合いに入っていた。

 だが、その剣に手をかけ制止する誰かがいる。振り向けば、やはりプロンデだった。


 プロンデは、ウェイトの方を見ずに囚人を見ながら言う。

「その辺にしとけ。あまりここで悪目立ちすると、マリーヤ殿に迷惑がかかる」

「だが、まだ」

 言い足りない。否、罵り足りない。そうは思うが、マリーヤの顔を思い浮かべてウェイトも口を噤んだ。

 プロンデは片膝をつき、逃亡兵と視線の高さを合わせる。それから、淡々と口にした。


「すまないな。お前らに、ここが怖いってことはわかってるつもりだ。だけど……」

「そ、そうだよ、俺らが戦えるわけないじゃないか!」


 視線の先の逃亡兵以外からそう声が上がる。一瞬意味を計りかね、それからウェイトは、自らのこめかみから何か音がした気がした。

 力の行き先がわからず、とりあえず目の前の木の柵を握りしめた。

「ほう……何故だ?」


「そ、そんな魔物と戦うなんて強い奴らがやればいいんだよ。死んだら終わりだろうが!!」


 握りしめた木の柵が砕ける。腹が立って仕方がなかった。

 その男は何を言っているのだろう。ウェイトは怒りを通り越して笑える気分だった。

 何故? 戦えないというのであれば、何故ここまで来た。民間人が来る場所ではないはずなのに。


「貴様らは何故騎士になった? 死んだら終わり。ああ、そうだろう。だが、だったら何故騎士に?」

「だ、だって、それは……」

 囚人が言葉を失い、目を逸らす。

 言えない理由。それは、ただなんとなく恥ずかしかったからだ。


 言えるわけがない。ただ『同世代の中で一目置かれたかったから』という理由を。

 それ故に、彼は口籠もることでごまかそうとした。


 だが、もはやウェイトの怒りは収まらなかった。

「騎士は、軍人は民より先に死ぬために生きている。それが、死にたくないから戦いたくない? 馬鹿も休み休み言え。馬鹿が」

 無言で肩に手をかけ、プロンデはウェイトを止める。もはや、プロンデも囚人を庇う気は失せていたが。


 ウェイトも、個人的な理由から聖騎士を志した身だ。騎士となる理由がどのような個人的な理由でも責める気はない。

 

 けれど、矜持はある。


 ウェイトは、(レイトン)を許せず、悪を罰することが出来る聖騎士を目指した。

 そして、なった以上は研鑽を積み、傷つくことを厭わない。それは、レイトンの関わらないことでさえ。実際に出来ているかどうかは置いておいて、そうであろうと努力してきた。

 しかし、目の前の囚人はそうではないだろう。

「なんだ? 安穏として生きていたければ、騎士になどなるべきではなかっただろう。この道を選んだ以上、退役でもしない限り寝台の上で死ねるなど思ってはいないはずだろう」


 悪態を吐きながらも、頭は回る。どうにかして、この臆病者たちを戦場に引きずり出してやりたかった。

 しかしどうやって?

 この者たちはおそらく戦えない。戦えないから戦う気がない。剣を持とうが槍を持とうが、魔物を目の前にしたら逃げ出してしまうだろう。

 一般的に、剣を持つよりも槍を持つ方が恐怖心が薄い。敵との距離が離れるからだ。だが、槍もおそらく無理。弓という手もあるが、あれは矢を飛ばすのに技量が必要だ。

 ならば。

 そして、ウェイトは閃く。彼らを引きずり出すために。戦場で躊躇なく死ねる者たちに仕立てるために。手段を選ぶ気はなかった。


 ウェイトは看守代わりの兵士を睨む。睨んだつもりはないが、怒りから、そういう目つきになってしまうのだ。

「……何か」

 目の前の獅子のような迫力を纏う男に怯えながらも、それを表に出さずに看守は応える。槍を持つ手に力が入ったのは、仕方のないことだった。

「……この者たちを、預からせてはもらえないか」

「出来るわけがないだろう。この者たちは逃亡を企てたものたち。逃げだせば士気に関わるし、王都まで行けば民の不信を招く」

「それはわかる。だが、ここに置いておくだけでは無駄になるだろう。なに、安心するがいい。この我が、立派に使ってやる」

「……何を馬鹿な」


 笑顔で言い放つウェイトに、看守は頭を振る。

 そもそも、この男も誰だ。仕事に従事せず、勝手に出歩き囚人に話しかけるなど。

 そうは思ったが、その『無駄』というのも少しだけ理解が出来た。

 ここに置いておいても戦力にはならないのだ。それに、あってはならないことだが撤退時にも邪魔になる。


 だがしかし、一つ問題が起こる。

 使()()とは。

「もしや、北壁にこの者たちを」

「それすらも無駄だ。この者たちを、魔物と戦わせる。無駄にしないためにはそれしかないだろう」

 囚人たちが、揃って息をのむ。

 そんな馬鹿なことをするものか。この牢にいるのは、戦いたくないからだ。それなのに、闘気もなく魔力もなく魔物と戦うなど、この男は自分たちに死ねと言っているのだろうか。


 プロンデもそう思った。

「見たところ、そう鍛えてはいない者たちだ。無駄死にになるだけだろ」

 鎧は着ているため体つきまではわからないが、その重心や立ち居振る舞いで少しだけならわかる。彼らは、武の心得がほとんどない。戦えるわけがないのだ。

 しかし、ウェイトは笑った。

「なに、なんとかなる。我らに任される予定の防衛戦の穴。上手くいけば、少しだけ広げても良いかもしれない。その辺りを考える」

「まあ、お前ならなんとかなるかもしれないが」


 プロンデは、聖騎士としてのウェイトの能力を思い出す。

 そうだ。たしかに、ウェイトならば新兵でもなんとかなる。しかし、それは一定以上の能力を持つ新兵に限る話のはずだ。

 

「どうだ? お前も腹が立つ話じゃないか? こいつらは、お前らが立つこの戦場を離れようとしたのだぞ」

 ウェイトは看守を煽る。看守はそれを否定できない。看守からしても、臆病な新兵たちの様子は腹立たしいものだった。

「……上長に確認を取ってくる。お前の名前と所属は?」

「我はウェイト・エゼルレッド。こちらはプロンデ・シーゲンターラー。マリーヤ殿への義により、救援に来た者だ」

「マリーヤ様の……わかった」


 マリーヤの縁者。それだけで納得し動き出す看守。

 それを見て、プロンデは驚く。彼女は役職も何もない。なのに、その名前だけで自分たちまで越権行為が通る。

 囚人を解放し、使う。このような越権行為、認められるはずがないのに。

 きっと、それだけ信用されているのだ。

 マリーヤがカラスを担保にして自分たちを信用したように、彼は今、マリーヤを担保にして自分たちを信用した。

 なんともありがたく、そして羨ましい話だ。プロンデはそう思った。


 ウェイトは振り返る。得意げな笑みを浮かべて。

「さて、忙しくなるぞ。プロンデは、解放される囚人たちの訓練を頼む。最低限、号令に合わせて整列出来るようにしておけ。見たところ、その程度も出来ないほどのようだからな」

「いや、俺たちも塹壕を……」

「スティーブン殿がいれば事足りる。既に、何十人分も働いているではないか」

「まあ、そうだけどさ」

 二人とも、スティーブンが雪を掘っている遠くを見る。

 雪が飛び、山が出来る。既に一部隊分以上の働きをこなしていた。

 

「我は一度スニッグに戻り、少し物資を持ってくる。何、すぐに戻る」

「……変なことを考えるなよ」

 溜め息を吐きながら、ウェイトを宥めるようにプロンデは言う。その後ろでは、囚人たちも青い顔をして事態を見守っていた。

 嫌ならば、声を上げればいいのに。



「戻るまで、魔物についても任せた」

「ま、わかったよ。何がしたいのか、後で聞かせろよ」

 だがあまり心配はしていない。そう、プロンデは知っている。

 この友がこの顔をするときには、何か大きな事を成し遂げるときだ。長年のつきあいから知っている。この顔は、何かを楽しんでいるときの顔だ。


 そう、だからこそ心配なのだ。

 この顔は、何事かを()()()()時の顔だ。


 ウェイトを見送りながら、プロンデは溜め息を吐いた。




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― 新着の感想 ―
まーこの国初の銃小隊にでもなるんじゃないかねー
ウェイトさん正義感に酔って邪悪をなす人になっちゃいそう 闘気病とでも言えばいいんでしょうか魔物相手に一般兵じゃ… 越権行為が過ぎますね もう一つの大国の間者なんかに見られたら 動きからしてプロ過ぎて水…
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