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捨て子になりましたが、魔法のおかげで大丈夫そうです  作者: 明日
戦う理由

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407/937

閑話:最後の反抗

SIDE:紅血隊

 


 北を見れば、そこはもうこの世の終わりが来たかのような姿だった。


 まだ、白い波は遠い。山脈を駆け下りてくる途中だった。

 その天を衝く山脈も、この砦から見れば地平線とほぼ重なってしか見えないのだが。


 けれど、その姿は異常な光景だった。

 波、とはいうが水のようではない。

 走り来る、人。


 白い人間の群れが、飢えて乾き何かを求めるように、こちらに走り迫ってきている。

 前の人間を踏み越え、溶け、また粘土をこねて作られるかのように形を成す。


 音はしない。足音は響いているが、これは逃げる魔物の群れの足音だろう。

 白い波に押されて、砦の前の死体の山から血生臭い風が吹いた気がした。


 グーゼルの背中の毛が怖気立つ。

 あの波に飲まれてしまえば、どこにいくかはわからない。死ぬかどうかすらもわからない。

 広く信じられている死後の世界では、死んだ人間の魂は集められ、炎の中で混ざり合う。

 そしてその炎から飛び出た火の粉が、この世界の胎児に潜り込むという。


 しかし、あの波に飲まれてしまっても、そうなるのだろうか。

 死んだ魂が、あの波から解放されるとどうしていえよう。

 あの波から突き出た手や足が、その壁に飲まれていった先人でないとどうしていえよう。


 なんの根拠もない恐怖。嫌悪感といってもいい。

 その壁から突き出る手。その手の恐怖に、グーゼルは囚われそうになっていた。


 けれど。



 後ろを振り返る。南を向けば、犬ぞりに乗って逃げ出す兵士たち。走って行く者もいる。

 彼らは、国の礎だ。

 彼らは、この国の防壁。それは違いない。けれども、もう一つの顔がある。


 家に帰れば、家族がいる。親や子がいる。勿論、独り身の者もいるが。

 その全てが守るべき人間だ。彼らすらも、守らなければいけない。グーゼルは、その決意に拳を握りしめる。

 ならば、その北壁の脅威から彼らも守るべく、行動しなければ。


「アブラム、こっからはなるべく殺すな。魔物の身体は、出来るだけ行動不能にして転がしとけ」

「了解しました。全て、北壁に飲ませますとも」


 隣で頷く気配がする。

 しかし、グーゼルはまた違和感に襲われた。


 アブラムの声がおかしい。いや、おかしいわけではないし、たしかにそれは信用する部下の声だ。だがやはり、自分の知っている声ではない。


 グーゼルはアブラムの方を向く。

 いや、向こうとした。



「ぶむ……!?」

 振り返ろうとしたグーゼルの口を、白い布が塞ぐ。

 その布に含まされていた液体を通した空気。それを吸ったグーゼルの身体の力が抜ける。


「全て、飲ませます。勿論、貴方も含めてね」

「おま、え……」

 倒れ伏すグーゼル。その目と顔を懸命に上に向けて、アブラムの顔を見ようとした。

 その顔の下半分は覆面に覆われていて、見ることは叶わなかったが。


 頬を砦の石床にこすりつけながら、グーゼルはアブラムを見る。

 その頬がやたら冷えた。


「なんえ、おあえ、なにして……」

「やはり、私たちには効果覿面のようですね。混沌湯(こんとんとう)、ピスキスからはるばる輸入した甲斐があったようです」

 倒れたグーゼルを見るアブラムは無表情で、意識的に何も表に見せないようにしていた。

「大丈夫です。この国はきっとなんとかなりますよ。とりあえず、下へ参りましょう」

「やえ、な……」

 倒れたグーゼルを担ぎ上げて、アブラムは階段を降りる。その大柄な身体を畳むようにして、グーゼルはアブラムに運ばれるしかなかった。



 運ばれた先は、温かな部屋。

 他の部屋よりも灯りが多く、そして中央に置かれた鍋で、ぐつぐつと湯が沸かされていた。丁重に、筵の上にグーゼルは寝かされる。抵抗しようとはする。けれど、その部屋に漂う湯気を吸った途端、とうとう完全に身体に力が入らなくなった。


「……てめ……」

 横隔膜に力を込めることすらほとんど出来ない。それでもなんとか吸うことが出来たわずかな息を使い、蚊の鳴くような声で、グーゼルはアブラムに文句を言おうとする。

 アブラムは一度外を見て、誰もいないことを確認した後ようやくグーゼルの方を向いた。


「聞きたいことは山ほどあるでしょう。どうせ、最後なのです、全てにお答えしましょう」

 真面目くさったその態度が、何故かグーゼルは可笑しかった。笑うことも難しかったが。


「魔力を持つ者はこの部屋では動けませぬ。アウラから採れる混沌湯。薄められた状態でも、魔力を持つ水中の魔物を絶命させるものですからな」

 アブラムは、その視線を中央の鍋に向ける。

 泡が立つようなその鍋から沸き出る蒸気は、魔法使いや魔術師、仙術使いといった魔力使いにとって、まさしく死の霧だった。



 混沌湯。無色透明の液体。

 その用途は、同じくアウラで採取される調和水とよく似ている。

 アウラの浮島から産出し、周辺の海域を汚染することで魔物に対する結界を作る。調和水の湧く浮島と、混沌湯の湧く浮島の位置を山頭が上手く調整し、アウラにおける人間の生息域を確保している。

 調和水と同じく、毒だが人間にとっては有益に使えもするものだ。


 だがその性質は真逆のものだった。

 調和水は闘気を失活させる。正確に言えば、取り込んだ生物の闘気活性化を阻害する働きを持つ。

 対して、混沌湯が阻害するのは、魔力の展開。また、操作。

 取り込んだ生物の思考をかき乱し、魔力の操作を攪乱し、失活させる。


 魔法使いや魔術師、魔力の恩恵を受けている生物は、ほとんど全て常に無意識に魔力で身体の操作を補助している。体内の循環、筋肉の操作、神経活動に至るまで、魔力による影響を受けている。

 まるで傀儡人形(マリオネット)の糸のように。

 混沌湯は、その糸を断ち切る。


 故に、調和水は闘気使いと大多数の無力の人間を殺し、混沌湯は魔力使いを殺す。

 生来魔力に頼り切っていたグーゼルにとっては、対処できない毒だった。




 その湯を掬い上げれば、手の中で玉のようになる。

 アブラムは鍋から掬い上げたその玉を掌で転がして弄ぶ。

「私も、この綿水母で作った覆面がなければ一息すら吸えないでしょう。直接殺す毒ではないですが、いずれグーゼル様も死に至ります……間に合うとは思いますが」

「へ……っ! あたしを飲ませて、北壁を鎮めようってか」

 混沌湯で消えるのは、魔力で補助されている力。グーゼルは残った肉体の力で、どうにかして身体を俯せにする。

 寝返りすら打てない。今のグーゼルは、赤子にすら負けているのだ。


「なんで、こんなことを……?」

「ヴォロディアの理想のためには、グーゼル様、貴方が邪魔なのです」

 蚊の鳴くような声で尋ねたグーゼルに、アブラムは間髪をいれず答える。硬い表情のまま、苦しそうに。

「お前があいつの話にかぶれるとは思わなかったけど……」

「何度も、何度も演説は聴きましたからな。入れ札をして、国民の代表を選ぶ。国民は一人一人国の未来を考えて、代表を選ぶ。素晴らしい考えと思います」


 アブラムは鍋から一歩離れ、あぐらをかく。

 睨み付けるグーゼルを見下ろしながら。


「ヴォロディアは、人は皆平等だと言った。それはつまり、平等に戦う権利があるんです」

「……よくわかんねえな……」

「銃という武器、それが典型でしょう。非力な女子供でも、戦う術を得られると聞きます」

 女子供でも。その言葉を聞いて、グーゼルの腕に力がこめられる。

 そして、腕を持ち上げ拳を床に叩きつける。今の萎えた身体では、本来出来ないほどの大事業だった。

「馬鹿なこと言うなよ、アブラム。なあ、それはよ……」

「わかりますか。誰しもが戦えるのです。紅血隊など、組織せずともよい。銃さえ持たせれば、全ての国民が熟練の兵になるのです。それは受け売りでございますがね」

「馬鹿なことを言うなっつってんだろ……!」

 グーゼルの言葉に怒りが籠もる。その言葉は、グーゼルにとって許せるものではなかった。

「全ての国民が兵になるだぁ? ふざけんな。全ての国民を兵にして、その兵が立つのはどこだ? お前は、国民を戦場に立たせるってのかよ。イカレてんな」

「……ヴォロディアの言葉からすると、そうなるでしょう。全ての国民が、国の運営に口を出す権利を持つ。ならば、義務も持たなければ。ここに、この砦に国民を立たせましょう。魔物を討ち果たさせましょう。既に、そのための下地は整えられつつあるのですから」

「下地……?」

 本気で意味がわからず、グーゼルは聞き返す。一瞬、アブラムの顔が悔しさに歪んだ。


「軍備は縮小されつつあります。兵は減り、物資も制限されている。そしてそれはヴォロディアの手によるもの。ならば、そのヴォロディアを支持する国民の声と捉えてもいいのでございましょう」

 アブラムの言葉に、グーゼルは唇を結んだ。



「私たちは既に宣告されているのですよ。この国に、紅血隊(私たち)はいらない、と」



 アブラムは胸に手を当て俯く。誰かに言い聞かせるような態度だった。

「あたしたちがいなくて、どうやって魔物の脅威から身を守るってんだよ」

「先ほど言ったでしょう。銃がございます。試作品ばかりですが、それでも数も揃いつつあると聞きます」

 脳裏に浮かぶのは、何丁もの試作品。アブラムも何度か工房の職人に見せてもらっていた。

「……そんな信用できねえ兵器なんざ、あの馬鹿王が何言っても即使われるようには……」

「そのために、今朝手紙を残して参りました。準備していただいております。今頃、ヴォロディア王はその装備を調えているでしょう。兵士に持たせ、その指揮をヴォロディアが執る。訓練期間などはほぼないに等しいですが……なに、調練無しに使えるのがあの銃の利点とも聞きます」

「……まさか、てめえ……」

 もう一度、グーゼルの腕に力がこもる。しかしもう持ち上げることは出来ず、ただ睨むだけに留まった。

 その迫力を受け流し、アブラムは頷く。

「もうお気づきでございましょう。この事態は私が起こしました。北壁を刺激して」



「……そこまで、腐ってやがったのか……」

「これも、必要なことでしょう。膨れあがった北壁はここで止めます。魔物も、銃を使いヴォロディア王が撃退する。後に残るのは、雪中などに逃れた魔物を残し、魔物の数が激減した北の雪原。それに、銃の信用とヴォロディア王の名声。……全て、この国のためなのです」

 淡々と、アブラムは言葉を吐く。その様を見て本当に悔しくて、グーゼルは拳を握りしめた。

「お前は、あたしらを捨て石に使おうってのか」

「その通りです。かの紅血隊隊長が亡くなり、その代わりに銃が台頭する。それくらいしなければ、民は動きませんよ」

「……、なあ、本当に信じらんねえんだけど。何でだ?」

 グーゼルはもう一度、何故と聞く。

 それは、アブラムのことを理解しているからの言葉であり、そして一切理解していないからこその言葉だった。

「お前は、そんな犠牲を出してまで何かやるような奴じゃねえだろ。そういうのは、革命軍のクソどもにでも任せとけよ」

「犠牲、ですか……」


 その言葉にアブラムは目を細める。

 多分、今の言葉は自分を信じているから出した言葉だろう。そう、改めて確認しながら。


 本当にこの人は自分のことをわかっていてくれているのだ。

 そうだ。本当は、そんなことをするような人間じゃないことを自覚している。

 本当の自分は、もう少し気弱で、そんな大それたことなど考えないだろう。


 けれど、これは本音だ。

 この騒乱は、本心から起こしたものだ。



 アブラムは目を閉じる。

 本当に、この人は自分のことなどわかってはいないのだ。

 そうだ。彼女は強者で、自分のことなど本当に理解はしない。

 相反した考えを整理し、思い直す。


 そうだ。最初で最後の本音を出そう。

 最後くらいは、格好悪くてもいい。弱くても、構わないだろう。



 ゆっくりとアブラムは口を開く。

「その犠牲とは、誰のことでございましょう」

「……あん……?」

 ここからは本音を話そう。そうは思ったが、アブラムもいきなり何もかも吐露することは出来なかった。

 長年の認識の相違。ここにきて、ついに表面化したというのに。

「死ぬ者を犠牲というのであれば、そうでございましょう。この国の民は、今から少しばかり犠牲になる。まだ実際の運用がされていない銃に頼るのです。少しばかり傷つく者は出るでしょう」

「それを、お前は……」

「しかし、私たちもそれは同じです」


 きっぱりと出された言葉。

 初めてそれを口に出すことが出来て、アブラムは少しばかり嬉しかった。


「……グーゼル様は強すぎるのです。だから、自分たちを犠牲だとは思わない」

「あたしたちが……?」

「お忘れなのでしょうか。私たちが常に立ち続けていたのは戦場。それも、死地です。私たちは、民の平和のために犠牲になり続けてきているのですよ」

 胸を張って、アブラムはそう言い切った。自分とグーゼルは違う。そう、力を込めて言い切る。

「一歩間違えば死に至る。魔物の爪を躱しきれず、牙を外せず、死に至った者は何人も見てきたはずです。なのに、何故自分はそうならないと言い切れるのでしょうか」

「……そうならないように……」

「そう、仙術を研鑽し、鍛えてきた。しかしそれも、絶対ではないのです。……!」

 ふいに、アブラムが顔を上げる。グーゼルも、それは感知できていた。


 ゆっくりと立ち上がり、そして砦から顔を出す。

 雪の雪原。砦に走り込もうとしてきていたのは、大足猿(おおあしざる)と呼ばれる猿。

 平均的な成人男性ほどの身長であるアブラムの倍ほどの大きい身体を持つ顔の黒い猿だった。



 音もなく、アブラムは跳ぶ。

 そして、手刀を一閃。大足猿は叫び声も上げず、痺れた身体を横倒しにした。

 もう一発。両の太ももをこするように蹴り飛ばすと、そこで切断される。


 初めて、大足猿の悲鳴が響き渡った。


 その声を耳に入れることなく、アブラムは猿に背を向けてグーゼルのもとに戻る。

 初めての、腹を割った会話。そこで邪魔されたくはなかった。



「大足猿。本来ならば、一頭でも隣接する砦に応援を呼ぶ魔物です。まかり間違えその拳を頭部に受ければ、魔法も何もなくとも炸裂してしまうでしょう」

「……危なそうには見えねえけどなぁ……」

 グーゼルは溜め息をつく。

 たしかに、一つの砦では荷が重いかもしれない。けれど、今目の前で見たとおり、紅血隊の人間であれば一人でなんとかなる程度の()()魔物だ。

 なのに。

「……研鑽し、身につけた力は変わらねえ。……絶対だろ」

「いいえ。突然の風、体調不良、足場。その力を生かせない要素はいつでもございます。そんな死地に、私たちはいつもいるんですよ」


 アブラムの脳裏に浮かぶのは、守るべき民の姿。

 安穏とした市街地で、笑い合う姿。


「実際、この国を守る人間は必要です。しかし、私たちはいらない。ならば、その要らないと言った人間にこの死地に立っていただきましょう」

 アブラムの目が暗く染まる。

 その目を、グーゼルは初めて見た。


 笑い飛ばすようにグーゼルは言う。

「あたしにゃ、お前が逃げ出したいだけに聞こえるけどな」

「…………」

 その言葉に反論できないアブラム。

 しかし、今反論する気はなかった。その通りだったから。


 言葉の代わりに、アブラムの目から涙がこぼれる。

 何十年もの間我慢してきた、涙だった。

「…………。よく、……おわかりになられましたね……」

「は……図星かよ……」

 嘲笑うような言葉を口に出しながらも、グーゼルは内心戸惑っていた。

 そんなことを言うような男ではなかったはずだ。そんな、泣き言を。


 アブラムは一度涙を拭う。砦の外では凍り付いてしまう涙が袖を濡らした。


「……なにも私だけではないのです。お忘れでしょうか。国境勤務になった兵たちが、喜んでいたのを」

「……あれは……」

 グーゼルも、その姿を思い出す。

 砦に来た伝令から辞令を受け取り、頬を綻ばせた兵の姿はたしかに見ている。

 けれど、それは半ば冗談半分だと思っていた。

「誰しもが、戦いたくなどないのですよ。死ぬような場所に好んで出る者は少ないでしょう。私も、紅血隊の同士たちも、衛兵たちも、本当は同じなのです」

「……あれが……」

 アブラムの真面目な表情にそれが本当の話だと気付いて、グーゼルは息を飲む。


 一度息を大きく吐き出し、覆面を締め直して深く息を吸う。

 全て、話すべきだ。

 自分はここまでのことをしてしまった。ならば、それが自分の責任だろう。



「……私には友がおりました。貴方に師事し、仙術を学ぶ前からの幼馴染みです」

 ぽつぽつと、アブラムは語り出す。先ほどまで言葉に込められていた力は、もはやなかった。

 もう一度、グーゼルの前に座り直す。懺悔するように、沈痛な面持ちで。

「少し前に、心の病で亡くなりました。死に目にも会えなかった」

「そりゃ、残念だけど仕方ねえ……」

「死に目に会えなかったのは残念でございますが、そこは別にいいのです。偶然ですけれど、葬儀には参列できた。幸運でした。私も、この職務を続けていれば大事な者の死に立ち会えない覚悟はしておりますから」

 それが不満の源か。グーゼルはそう早合点したが、それを即座に否定されてまた困惑する。

 ならば、何が。

「その葬儀で、彼のために皆が泣いておりました。彼の息子夫婦、姪、そして孫たちまでが……」

 まだ、グーゼルにはわからない。

 人の営みの結果。それが自分たちが守るべきもの。それが、何故、と。

「私も、そこで初めて気がつきました。私は、羨ましかった。泣いてもらえることが、でもありません」

「なに、が……」

「親や上の者たちから受け取った『何か』を、子や孫に継いで死んでいけることが、です」

 悲しく、アブラムは微笑む。

 その頬を、また涙が伝った。


「仙術を学びたくなかった、などという気はございませぬ。導師様の薫陶を受け、手に入れたこの力は素晴らしい。この力で人々のために働けるのは、とても嬉しかった」

「さっきと……言ってることが違わねえか……」

「しかし、この仙術のおかげで、私たちの身体は不老に近い。永遠に続くこの命。それが、今はとても恐ろしいのです」

 グーゼルの反論にもはや反応せず、アブラムは心情を吐露し続ける。

 仲間内では共有されている弱音。それをグーゼルに吐いたのは、アブラムが初めてだった。


「七日間戦い続けて、三日間の休養をとる。永遠に続くその繰り返し。その繰り返しの最中にも、街では民がいて、そして泣きあい笑いあい、それぞれが尊い一日を生きている。私たちが三日の休みでなんとか英気を養い、七日の死地で神経や気力をすり減らしている間にも、でございます」

「休みぐらい、申請すりゃいくらでも……」

「とれるのでしょう。しかし私の、いえ、私たちのこの身には、貴方の教えが息づいている。そんな選択肢など、紅血隊にはとれる人間はいないのですよ」

 だんだんとわかってきたアブラムの行動理由。それを聞いて未だに、グーゼルにはくだらないとしか思えなかったが。

「戦場になど立ちたくはありません。しかし、民が襲われていればこの身は躊躇なく危険に我が身を晒すでしょう。貴方の号令一つで、巨大な魔物に立ち向かっていくでしょう。それはたしかに私の誇りです」


 けれど、とアブラムは膝を突く。混沌湯を吸わずとも、その四肢に力は入らなくなっていた。

 もはや、グーゼルには項垂れたアブラムの顔は見えない。だがその啜り泣きの声だけは、耳の中にまで響いていた。

「もう、限界なのです」

 弱々しいその声に、グーゼルは何も言い返せない。


「六十年以上、貴方の下で働き続けてきました。戦い続けてきました。師父、どうか教えてください。退役のないこの身体で、私はいつまで戦い続ければいいのですか……!」



 その言葉に、ようやく、なんとなくグーゼルは理解する。

 部下たちに無理をさせ続けてきた。先の考えを訂正しなければいけない。

 この国の民に含まれるのは、兵たちだけではない。部下である紅血隊の隊員たちも、その守るべき民だったのに。


「……あたしが死んだところで、お前は生きてくんだろ。老けて死にたきゃ、その呼吸法をやめるんだな……」

 今の自分に、もう助かる術はない。そう考えて、ならば、とグーゼルは口にする。

 ならばこの、弱い部下だけでも助けなければ。自分は北壁に飲まれる。だから、その先の人生まで縛ることは出来ない。

 しかし、涙を強引に止めて、アブラムは囁くように言った。

「もう、生きていく気はありませんよ。北壁を鎮めるのに、グーゼル様だけでは心許ないでしょう」

「……最初から……」

「ええ。もはや、やめようと思ってもこの生き方を変えることは出来ない。何度も試しました。しかし、身についた呼吸は、やめることが出来ないのです。私が生きて、ヴォロディアの治世を見ることはない。もはや、決まっているのです」


 ふらふらと、アブラムは立ち上がる。

 もう一度目をこすると、目元が赤く腫れ上がっていた。


「グーゼル様。今、外にあの少年が訪れているのはわかりますか」

「……あ、ああ……」

 遠くなってきた意識。動かせない身体でも、何かが迫ってくるのはグーゼルにもわかっている。

 その少年の方向を向いて、アブラムは溜め息をつく。


「やはり、奸計は私には向いていない。邪魔されないように、との処置が裏目に出てしまった」

 グーゼルに向けて、アブラムは振り返る。

 反逆後、初めて見せた笑顔だった。

「間違えていたのは私。グーゼル様、貴方はやはり間違えてはいなかった。私の計画には邪魔が入り、貴方が困ると誰かが助けにくる。それは、貴方が今までしてきたことの結果でしょう」

「……お前じゃ勝てねえぞ……」


 微笑み、砦の外を向く。もう、グーゼルの顔を見る気はなかった。

「これが最後の仕事です。ならば、しようなどいくらでもある。あの魔法使いの少年には気の毒ですが、北壁を鎮める最後の犠牲になってもらいましょう」


 レヴィン(革命軍参謀)の腕を奪ったとされている少年、カラス。

 だからというわけではないが、直感があった。


 黒い外套の少年に注意。

 そう、気まぐれで立ち寄った占い師には聞いた。けれど、それは関係がない。


 殺そうと思った。火薬と混沌湯を運んでいる姿を見られてしまった。その口封じに。

 同じく自分の姿を見た老人と、共倒れになれば良いと思った。ならずとも、重傷を負ってしばらく出歩けなくなるだけでも充分だった。

 探索ギルドの有力者である彼に、迂闊な発言をされては困るから。


 しかし、今思えば理由はそれだけではあるまい。

 あの目。荷車に向けた、あの迷いのある自信なさげな荒んだ目。

 なんとなく、自らの邪魔になると思った。

 この国の未来を決めるのに、ちょうど良い障害だと思った。


 いいや。

 その彼の目の迷いが、自らの迷いと重なったのだ。

 同族嫌悪。だから、目障りだった。


 ゆっくりと、歩き出す。

 もう、自分に迷いはない。ここまでのことをしてしまった。もう、後戻りは出来ない。



 何故、自信を失っているのかは知らない。

 けれど、少年よ。私は迷いを振り切ったのだ。


 お前は、どうだ。


 砦を出る。

 そこに、ちょうど立ち止まった黒い外套の少年。


 その少年に微笑みかけて、アブラムの最期の戦いが始まった。




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― 新着の感想 ―
自殺したいなら周りを巻き込むもんじゃないねぇ
[一言] 分からないでも無いな、アブラムの気持ち。 圧倒的に正しいカリスマが1人いて、自分が苦労する事を苦しいとも言わずに淡々とやってるのを見てると、スゲーって尊敬の念と、それをしたく無いと思ってる自…
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