ありがとう
メルティ編の最後に登場人物紹介というのを挿入しました。
石ころ屋不在の上に大したことは書いていませんが、
『名前だけ出てきたけどこいつどこで出た奴だよ』ということがありましたら参考にどうぞ。
砦に戻った僕らは、グーゼルの案内に従い砦内を歩く。
やはり、北壁付近と比べても気温が高く、実際には決してそんなことはないのだが、まるで南国に来たかのような錯覚すら覚える。
これは、あれか。寒いときには冷蔵庫の中が温かく感じるのと同じか。
しかし実際、温かい。照明と暖房を兼ねた火が壁際にいくつも焚かれており、その暖気が僕らの顔を優しく叩いた。
「救護室はこっちだ」
途中何人もの騎士や衛兵とすれ違うが、皆グーゼルを見て道を譲ってくれる。
僕はその度に会釈をし、通り過ぎていく。
彼らが畏まっているのは、畏怖ではなく尊敬からだろう。それも、グーゼルに対しての。僕やスティーブンはその端にくっついているだけで、本来僕らは道を譲るほうの存在だ。
その考えを補強するかのように、皆グーゼルには頭を下げるが、その後ろについていた僕らを見て怪訝な目をしていた。
重軽傷者が多数出た先の隊は、未だにこの砦に留まっている。
重傷者を先に街に送り返さないのは、単純に手が足りないからだ。一人では動けなくなってしまった彼ら二人を運ぶためには、動ける者がついていかなければならない。しかし今は、その運ぶための人手すら惜しい状況なのだ。
それすらも、この砦にしてはおかしな話なはずなのだが。
「いつもこんな感じなんですか? 怪我人が出ても、運ぶ人がいないって……」
冗長性がない。過酷な任務にも程がある。
ここは僻地ではあるが、敵地ではないのだ。負傷者を後方に送り返すのは、簡単にできなければいけないだろうに。
グーゼルは、そう尋ねた僕の言葉に首を横に振った。
「前までは違ったし。あのバカ王様が国境沿いの騎士やら衛兵を増員するってんでな、人手が結構な数持ってかれちまった。ま、そっちに行った奴らは、怪我するような任務から解放されたってんで喜んでる奴も多いらしいけど」
そういえば、マリーヤの指示でメルティを襲ったのが狩人、というときもそんな話を聞いた。ソーニャも言っていたはずだ。兵が国境警備にとられて、狩人しか集められていないと。
国境警備とはここのことではなかったのか。しかし。
「……私が通った街には、二人しか騎士がいないところもありましたが……」
思い返すと、僕が最初に入った街にも騎士が二人しかいなかったはずだ。だから戦える者が少なく、雪海豚の群れで大騒ぎになった。
「それはその街の町長の意向じゃね? あたしは知らねえけど、レヴィンの野郎がこそこそ回ってたところにゃあ騎士嫌いの奴が多いらしいし……」
レヴィン。
その言葉を聞いてハッとする。そういえばグーゼルは僕の名前を知っていた。それがどこからの情報か、確かめてもいなかった。
……思い返してみれば、ヴォロディアとの会話でもレヴィンの意向には否定的な様子だった。それに今も、友好的とは言い難い。
これは、魅了に抵抗出来ていたということでいいのだろうか。
「レヴィン、ですか」
「お、そうそう。お前も昔レヴィンに会ってたんだってな。本当はその話を聞いて、やってみてほしいことがあったんだけど、魔法使いならいいや」
少しだけグーゼルに対し警戒する。この国最強相手ではあるが、仮に襲われたら僕は何処まで抵抗できるだろう。
表情を崩さないようにしながらさりげなく重心を整える。歩きながら、グーゼルのその手が不穏な動きをしたら、即座に防げるように。
「魔法使いなら何か不都合でも?」
「警戒すんなって。あの、片腕の魔法使いに内傷を起こしたっていう闘気に用があったんだよ。さっきの闘気も魔法も使える、ってのはよくわかんねえし楽しそうだけど、まあ、どっちみち魔法使いなら実験にゃならねえし。気にしないでいいよ」
こともなげにグーゼルはそう言う。僕が何もしなくていいのなら、僕が不利益を被ることはないだろうが……。
「レヴィンって誰じゃ?」
そう、僕だけが人知れず緊張していた空気を壊すように、スティーブンが問いかける。
それに応えて、グーゼルが眉を上げた。
「この国にこの前革命があったとき、軍の参謀とかいってた奴。口先だけの嫌なヤローだ。困ると横にいた女に問題だすみてえに聞いて、それをそのまま答えやがるんだ」
「ははぁ。儂はその男を知らんが、話だけ聞くとあんまりお近づきになりたくないのう」
「あたしだってそうだし。新しい王様はそいつにべったりだったけどな。困るとあいつに何でも聞いてた。今はそいつの作る武器に王様は夢中だってよ」
「……その男は鍛冶師か何かかの?」
「いいや。ただ腹案があったんだってさ。作るのはヴォロディアと職人達だよ。ここ半年以上あの城にも来ねえみたいだから、全然開発も進んでねえみてえだけど」
グーゼルが床の木片を踏み砕く。燃料の切れ端だろう、乾燥したその木片は、小気味いい音を立てて壊れた。
「奴に手を出されてた女どもは何人もそれで落ち込んでるし、何で帰ってこないかねぇ。自分が革命を起こして転覆させた国だろうに。武器も女も国も最後まで責任も持たねえって最悪だな」
「……奴は今行方不明なので」
嫌悪感丸出しのグーゼルにそう僕が告げると、それでまた眉を顰めた。
「エッセンでも有名人なんだろ? そんな簡単に隠れられんのかよ」
「ええ。しかし、元々ふらふらと各地を放浪していたらしくて。そもそも、王都付近ではそこそこ有名かもしれませんが、イラインの辺りでは有名ではないと思います。スティーブン殿も知らないようですし」
まあ、スティーブンの場合は旅に出っぱなしなのでそういう方面に疎いということもあるだろうが。
「そしてもう奴がこの国に現れることはありません。奴を知っている僕が、そう断言します」
何せ、もう死んでいるのだ。僕が殺した。
だがそれは直接言わない。言えない。
ここまでの言動でも、一応グーゼルは魅了されていないと思う。けれど、人の口に戸は立てられない。スティーブンもグーゼルも、自分の領域での発言権は高い。僕が殺したと、悟られるのは悪手だろう。
「ま、それならいいわな。これ以上おかしなことになっちゃ困るしぃ」
グーゼルは両手を頭の後ろで組み、そう呟く。
やはりその声に、嘘は見えなかった。
「……本当に治るのか?」
「ええ。多分」
グーゼルに案内されて救護室についた僕は、藁を敷き詰めた寝台の上に座り暇そうにしていた兵士たちの体を見せてもらっていた。
砕けて、そして治癒させられた脚。くの字に曲がったそれは、どうみてもまともに動かせるものではない。
兵士の僕を見る目も、疑わしい者を見る目だった。
そんな目を無視しながら、力を抜いた膝を何度も曲げ伸ばしして動きを確かめる。
途中に引っかかりなどはない。だが、膝の可動域に制限があるし、足首も力が入りづらくなっているらしい。
痛みはない。当然だ。もう治っているのだから。
これを一度壊してもう一度治す。それを考えれば、不合理な治療だと思う。
「痛みは消しますが、ちょっと痛いかもしれません」
「何、を……!?」
兵士の声が跳ねるように大きくなる。鎮痛はしているから痛みはないはずだ。だが、違和感はあると思う。
まるで飴細工を作るように、下腿の両端を持って捻り、曲げて伸ばして形を整える。筋肉や腱が動く感覚はそのまま残っているのだ。骨を撫でられているようなこの感覚は、きっと初めてのものだろう。
それも短時間で終わる。骨折の整復程度なら、もうお手のものだ。
「で、どうでしょうか」
手を離し兵士に尋ねる。その言葉に応え、昔治した大工と違い、素直に足の様子を確かめてくれた。
「お、い、いける! すげえ、……すげえ!!」
勢いよく足を振り上げる。それから寝台に腰掛けて、跳ねるように立ち上がった。
僕の肩を両手で掴み、その笑顔を近づけてくる。
「ありがとう、坊主、すまん、そうだよな、淋璃姫様が連れてきたんだしもっと信用しときゃよかった!!」
「……そうですね。お礼はグーゼル殿に……」
僕はグーゼルに対しお礼をしただけだ。兵士も、とりあえず僕を連れてきたグーゼルにも礼を言うべきだろう。
視界の端で不機嫌そうに顔を歪めた女性に、お礼を言えるものなら。
「……ではもう一人……」
「…………」
僕の言葉に、二つ隣の寝台に横たわる兵士が声を上げた。この砦の防衛隊隊長らしい。声を上げたといっても、蚊の鳴くような喘鳴音が主で、ほとんど言葉になっていないのだが。
氷獅子の牙の魔法で肺に損傷を受けている。故にほとんど息が吸えず、声が出ないのだ。
まあ、僕の耳なら普通に聞こえるけど。
近寄り微笑みかけると、唇を結んでから隊長は言った。
「やめろ、無駄だ」
「無駄ではないですよ」
「治療師が治してなおこの様だ。先ほどの足を治した術は見事。ではあるが、潰れた上に凍傷で腐った肺までは治せまい。手を出すな」
ほとんど言葉にならないまでも、隊長はそう固辞する。
何故だろう。健康になりたい、という意思が感じられない。これは、あのときの大工と一緒なのだろうか。
「……治ってほしくないんですか?」
「いいや。もう治らないと悟っているだけだ。そして、お前の術を高く評価している。年の頃を見れば、まだまだ伸び代はあるだろう。そんな時にする失敗は、育ってからの失敗よりも多くの悪影響を及ぼす。重ねて言う。手を出すな」
そこまで言って、隊長は咳き込む。といってもほとんど機能していない肺だ。吐き出される息も少なく、ただ喉が震えているだけに見えるものだが。
しかし、それなら治せるのに。
「私への気遣いなら無用です」
「私が気を遣うのだ。私の勝手だろう」
そう言ってそっぽを向く。
……要は、失敗体験をさせたくないのだろう。それで今後、僕が怪我を治すことに忌避感を覚えないようにという気遣いだ。
まあ確かに、成功体験は大事だし、失敗から恐怖心を抱いてしまうことはあるだろう。
しかし、失敗から学ぶことも多いだろうに。それに、今だからこそ失敗できるのだ。
「おいおい、意地張らねえで治してもらえって。こいつそんな繊細じゃねえんだからさ」
失礼な。抗議の意を込めてグーゼルを見るが、悪びれた様子はなかった。
隊長のほうは真剣な面持ちでグーゼルを見返していた。
「我らはこの国の未来を守るためにこの砦にいます。未来ある若者を、ここで潰すわけにはいかないでしょう」
そして、グーゼルにすら隊長は反論する。
そんな怪我を治すという程度で。それに、その程度の傷で。
気遣い自体はありがたい。そう思う。
しかし同時に、大げさな、とも思うのだが。
「もう一度聞きますけど、治るのが嫌なんでしょうか?」
「……そんなはずはないだろう。この国のためにもう尽くすことが出来ない。それが私たちにとってどれほど悲しいことか」
「なら、大丈夫ですね」
確認は取れた。ならば、僕は治そう。
彼らは治す。そう決めている。
胸の中央に手を当てて、意識を集中する。
挫滅した肺だ。もう普通に治癒させることは出来ない。仮に傷を普通に治しても、瘢痕組織として固まってしまう。
ならば、変質魔法の応用だ。
レヴィンが変質させた脳細胞を治すのと同じように、肺の細胞を分裂させ形を整えていく。
普通に治すのよりは時間がかかる。先ほどの整復よりはよっぽど。
しかし、今回治すのは肺とその周囲の組織だ。脳細胞ほど複雑ではない。個人の印象であるが。
「カ、ヒュ……」
右肺をいじっているからだろう、隊長は少し苦しそうに息を吐く。それもほんのわずかな時間だった。脳細胞ならもっと長い間苦しんでいるだろう。
「一回息を吸ってもらえます?」
既に肺は治した。しかし、一応テストしておきたい。
「やめろと……」
「もう治ってます。ですから、息を吸ってください」
これ以上の反論はないようで、隊長はおそるおそる、ゆっくりと息を吸ってゆく。
先ほどよりも多く吸えたところで一度息を止めて、瞬きをする。それから改めて、胸一杯に息を吸い込んでいた。
詰め込まれた空気を吐き出し、隊長は息と共に笑いを吐き出す。
「ハ、ハハ、なるほど、良い感じだ。なるほど、なるほど」
「ついでに肋骨とかも見ましたけど、他に胸郭は痛んでませんね。もう普通に戦えますので、これからも頑張ってください」
「ハハハハ、いいな。いや、なんてことをしてくれたんだ。これから退役して優雅な生活を送ろうとしていたのに!」
「まだまだ早いってことだよバーカ」
文句は言うが、これは冗談だろう。隊長は、泣きそうになりながら笑っていた。
グーゼルも、本気で言ってはいない。じゃれているだけ、という雰囲気だった。
これで元通りだ。
砦の戦力も、全て。
怪我を治しただけ。なのに生まれた温かな雰囲気に、僕は一歩下がる。
なんとなくその場に立っていられなかった。
「ありがとな。あたしも明日にはまたスニッグまで帰るし、そんとき改めて礼はするわ」
「いえ。気になさらずに結構です。明日はどこに居るかわかりませんしね」
勤務に戻った隊長たちと別れ、そしてグーゼルとも別れの言葉を交わす。
戦力は元に戻ったが、それでも一応グーゼルはここに残るらしい。アブラムという部下は他の紅血隊にも注意の声をかけるべく先に帰っていたらしく、グーゼルがまた悪態をついていた。
「ジジイも、気を落とすんじゃねえぞ」
「わかっとるわい。次は甘露でも探してみようかのう、また古い文献を漁らんとな……」
肩を少しだけ落としているようにみえたスティーブンが、グーゼルの言葉で胸を張る。希望は捨てていないらしい。他にも可能性があるのであれば、まだまだ頑張れるのだろう。
「じゃ、また」
「またなー!」
僕らは砦を後にする。ブンブンとスティーブンが手を振りながら。
行きは走ってきたが、帰りは少しだけ緩めていこう。
ジョギングペースで二人で走る。
白銀の雪を蹴飛ばしながら、冷たい風を切って。
この国は寒い。それは一切変わっていない。
けれど、何故かなんとなく、両肩が温かい気がした。




