ひとそれぞれ
「浮き世離れした業じゃのう……」
遠目だが、それでも僕らはグーゼルの戦う姿を見ていた。蟻が足下で動いているのを見るようなスケールだが、僕らにはそれでも充分だ。
そして、二人で頷く。なるほど、あれがこの国最強か。
マリーヤが褒め称えるのもわかる。確かにあの流麗な動きはなかなか真似できない。
特に最後の連打は、的確に急所を打ち抜いていた。実戦であれが出来るのであれば、その仙術とやらもいらないくらいだろう。
しかし、スティーブンの評はどういうことだろうか。凄いでもなく、綺麗でもなく、浮き世離れした、とは。
「……どういうことです?」
「凄まじい技量じゃ。惚れ惚れするような身のこなしに、確実に相手を破壊する攻撃。どれをとっても一級品じゃよ。じゃが……」
スティーブンは言葉を切り、髭を捻る。
「全ての動作が型どおりなんじゃよ。気付いておったか? グーゼル殿はここまで、一切息を乱しておらなんだ」
「体力があるから、ではないでしょうか」
確かに走ってきて、そして戦いに出て、息一つ乱してはいないけれど。
「そんな次元ではないわい。儂でもカラス殿でも、動くときには気息が乱れるものなんじゃ。力を入れるときには息を止める、または吐く。そんな具合にのう」
確かに。……いや、というかそんなところに注目していたのか。胡麻粒にしか見えないこの距離で。
「しかしグーゼル殿はそうではない。攻撃の間も、走って行く間も、全く周期が変わらんかった。まるで、そうしなければいけないと言わんばかりに」
「それが動きと何か関係があるんでしょうか」
「多分な。全ての動作が型どおり、ということは全ての動作にあやつなりの『正しい動き』があるんじゃ。多分、それがあやつの開発した『仙術』とやらではないかのう。……まったく、実戦で表演通りの動きをするようなもんじゃて」
無茶なことを、という言葉をスティーブンは伏せる。
恐らく、スティーブンの講評は正しいのだ。
僕よりも数段武術に詳しく、そして熟達している。達人は万事を知るというが、そういうことだろう。
「まあ、武術というよりも体術なのじゃろう。巧みな身体操作、それも自然と体得するようなものではなく理によって体得するもの……ほほ、カラス殿とは真逆じゃのう」
「……そうですか?」
突然僕が話題に上がり、驚いて聞き返す。
僕とは真逆。というとそれはつまり、僕の使っている技術は『自然と体得した体術』ということだろうか。
「失礼ながら、カラス殿は水天流を身につけているとは言い難い。じゃが、強い。その根底にあるのはその身体能力じゃ。推察するに、武器術は苦手じゃろ?」
「そうですね。槍や剣を試しましたが、しっくりくるものはなかなか……」
弓も扱えない。魔法で補助しなければ、狙った場所へ飛ばすのは未だに無理だ。
もうそういう修練はしていないから、というのもあるのだろうけれど。
「多分、あのグーゼル殿も器械は上手く扱えん。いや、扱えんわけじゃなかろうが、拳の方が速くて正確なんじゃろう」
「はあ……」
「ま、本人に聞いたわけじゃないから実際のところはよくわからんがな! ただあの身体操作法は興味深い! 月野流剣術と技術交流とか出来んかのう!!」
口をパカリと開けて、スティーブンは笑う。新しい技術に出会ったときの喜びを、一身に表現している。こういうところは多分、若者も老人も変わりないのだ。
「……しかし、怪我人が出てしまいましたね」
それも何人も。中には足の肉が半分食いちぎられた者や、衝撃で肋骨で砕かれている者もいる。それらは皆、重傷だ。
「治療師でも常駐しとるじゃろう。あんな怪我が随時あるんなら、それくらいせんといかん」
「でしたらいいんですけど……」
それが当然だろうと僕も思う。けれど、問題もある。
仮に治療師がいたとしても、たとえば最後にあの獅子の魔法で受けた傷はかなり深く抉られていた。
助かりはするだろう。傷自体は単純なもので、止血し治癒させれば命は助かる。
けれど、あの深い傷。治療師に任せればおそらく運動障害が残る。
「これが随時ならば、それはそれなりに問題でしょう。こんな小さな小競り合いで、あれだけ被害を出してしまえば……」
魔物の群れと遭遇しただけで、兵士達に運動障害が残るほどの怪我が多発するのだ。
一度や二度なら良くても、続けばたちまち兵達が弱体化していく。
本当は、そんなはずがないだろう。
曲がりなりにも、この国は北の魔物の脅威を退けてきたのだ。すなわち、ある程度の魔物であれば簡単に撃退できていないとおかしい。
だが、苦戦し怪我人が出た。今思えば、明らかに不自然な点もある。
砦の上で弓を構えていた弓兵達は、一度も矢を放ってはいない。あれを接敵前に撃ち込んでいれば、それなりに状況は変わっていただろうに。
矢を放たなかったのには理由があるのだろうか。大規模な戦闘において、牽制のためにも、当たらずとも何本も撃ち込んでおくのは定石に近いだろう。
それをしない理由があるとするならば、それは何だろうか。
「小競り合い、か。……小競り合いかのう? 魔物の群れ十数頭、街一つ壊滅してもおかしくないと思うが」
「しかし、あの程度の魔物に後れをとるとしたら大問題です。探索者ならば色付き一人いればいいし、エッセンならば騎士の中にもあれくらい相手を出来そうな人はいます」
練度が低いわけがない。装備が悪いわけでもない。そしてここは魔物を食い止めるために作られた砦。立地だって悪くはないはずだ。
そもそも、この見通しの良い雪原で、保護色といえどもあれだけ砦に敵を近づけるのもおかしい。
そんな考えはおかしいだろうか。
「……カラス殿も、麻痺しとりゃせんか?」
「え?」
言いづらそうな顔で、しぶしぶといった感じに口に出された言葉。麻痺している、というのは僕が小競り合いといったことについてだろうか。
「儂も、あの程度で重傷者が出るのは問題だという意見に賛成じゃよ。でも、のう……あれは殺し合いなんじゃ」
そこまで言って、スティーブンは首を振る。それから、気を取り直すように何度も頷いた。
「うんにゃ、説教くさくなってしまうところじゃったわ。何でもない。それより、先ほどの飴をもう一つくれんか? いや、ようやく体に力が入るようになってきたとこじゃて」
カラカラと笑いながら、スティーブンはそう催促する。
僕は背嚢からもう一つ飴を取り出し、それを差し出す。スティーブンはそれを受け取ると、舐めてまた顔を綻ばせた。
それを見ながら、僕は溜め息を吐く。
しかし僕の髪の毛にぞわりと悪寒が伝う。別に脅威ではない。けれど、やはりいたか。
「じゃが、儂らの力は必要ないと言っておったが、本当かのう?」
「ひとまず様子を見ましょうか」
僕とスティーブンは外を見る。そこにはまだ遠く、芥子粒のような距離ではあるが、魔物がいる。
雪に伏せ、気がつかれないように警戒しているのだろう。ゆっくりと近づいてきている。
警報は鳴らさないのだろうか。恐らく、先ほどの獅子の別働隊。
仲間達が死んでも動揺を見せることはなかった。人が少なくなるのを待っていたのだろう。
三頭の雌ライオンがいた。
ゆっくりと、確実に距離を詰めてくる。
グーゼルたちは東の砦に入っていったきりだ。故に、今表には誰もいない。
その距離は、砦から三十歩ほど。もうそろそろ応戦に出なければまずい距離だ。
これは、こっそり手を貸すべきだろうか。
そうは思った。
けれど、やはり必要なかったらしい。
「構え、放てぇ!!」
消していた気配が突然大きくなったのを感じる。見ている間に、砦の上から矢が降り注ぐ。 突然の矢の雨。しかし一応は反応できたようで、雌ライオンたちは飛び退いて躱す。
だが、やはり一匹に対し五本以上は放たれている矢なだけはある。
それに加えて、避けた直後の着地地点を狙うように放たれる時間差の攻撃という要素もある。
結果、短い悲鳴を上げながら、雌ライオンたちの体に何本かの矢が突き刺さる。
命を奪うまではいかなかったが、それでも深々と刺さっている矢だ。弱らせるのには充分で、放っておいても死に至るだろう。
そしてその弱った個体は、もう一度なんとか逃げだそうとした跳躍の着地地点にあった落とし穴に落ち、その底に激突し首を折った。
「……どうも不自然じゃなぁ……」
「気のせいじゃないですか」
スティーブンはぼやくように僕に向けて言葉を吐くが、僕は取り合わない。
いや、その落とし穴を作ったのは僕なんだけど。
突然作られた落とし穴に驚く衛兵達の声を無視しながら、僕はグーゼル達が東側の砦から出てくるのを眺めていた。
「いやあ、まいったぜまったく……」
「お疲れ様です」
頬に血飛沫をつけて、裾にも赤黒い染みをつけたままグーゼルはこちらの砦まで戻ってきていた。
「ところで、怪我人の様子はどうでしょう?」
その様子を見ながら、僕は尋ねる。グーゼルはその質問に、片手で後頭部を掻き毟りながら答えた。
「……二人が戦線離脱したし。足が動かなくなった奴と、肺が片方潰れちまった奴がいる。どっちも命は助かったんだけどな……もう、飛んだり跳ねたり出来なくなっちまった」
「……それはそれは」
やはりか。いや、あの様子の中で再起不能が二人だけ、というのも幸運なのだろう。
というか、非常事態だろうに。怪我人が出て、恐らく士気も下がっている。
僕らの案内などしていい事態ではないだろう。
「だから、悪いけど北壁まで案内してここまで戻ってきたらあたしはそこから抜けるわ。街には戻んねえ」
「いえ、ここで解散しても良いんじゃないでしょうか」
僕はスティーブンの方を一度見て、そう尋ねる。グーゼルが抜けるのは、欠けてしまった戦力を補うためだろう。休暇がなくなってしまったとしてもおかしくはない。
「いや、あたしもいく。爺さんはほっといても中にいっちまうだろうし、それにあたしも吹雪の中の様子を見ておきたい」
「何か変わったことでも?」
「近くまで来ている魔物がいたら掃討しておきたいんだ。他の魔物のせいで、あいつらが縄張りを変えてきたのかもしんねえし」
「もっと強い魔物に追われて、ということでしょうか」
僕の言葉にグーゼルは黙って頷く。
ネルグでも、冬になると魔物の生活圏が変化したりする。やはりどこでも、魔物の生存競争は激しいものだ。
年中冬のこの国では、ずっと起こり続けているのかもしれないが。
それから衛兵達が体勢を整えなおすまで待機し、僕らは北壁に向けて再び発つ。
ここからは僕がスティーブンの補助をし、グーゼルが索敵をしながら向かう。
砦まで走ってきた様子とあまり変わってはいないが、それでも少しだけ、索敵の分移動速度は落ちていた。
「ふひょー!! こりゃあ快適じゃて!!」
砦で適当にもらった樽にスティーブンを座らせ、それごと運ぶ。
大きく開いた足の間に両手をかけ、スティーブンは子供のようにはしゃいでいた。
飛ぶように流れていく景色。前を見れば、まだ遙か向こうだが、だんだんと吹雪には近づいてきているきがする。一つ山を越えなければいけないようだが。
スティーブンの様子を横目に見ながら、僕はグーゼルに話しかける。
「……先ほどの、再起不能になったかたですけど……」
「あん?」
周囲に気を配り続けているグーゼルは、一瞬僕の言葉を理解していないような生返事をし、それからこちらへ振り返る。だがその視線は一瞬で、また周囲をぼんやりと見ている形に戻っていた。
「先ほどの再起不能になった方、あとで引き合わせてもらえませんか」
「……何する気だよ」
「治します。もう一度戦場に立てとはいいませんが、日常生活は普通に送れるように」
「……はぁ?」
僕の言葉に、グーゼルの視界の焦点が僕へと合わせられる。少しだけ感じた迫力に、僕は身を引いた。
「僕は魔法使い。治療師ではありませんけれど、そういった怪我を治すのは慣れているんです」
「そりゃ出来るならしてほしいけどよ、……でもなぁ……」
「何か問題でも?」
片方が望んでいることを、もう片方が叶える。何も問題はないと思うが。
「何でお前がそんなことするんだ? 治療師でもねえのに。それこそ、何のためにだよ」
「……とくに理由はないですね」
そう口に出した理由。いや、理由にはなっていないんだけれど。
だが、本音だ。
僕とは関わりのない兵が業務中に傷ついた。特に、僕が手を出す必要はないだろう。
しかし、あえていうなら。
「グーゼルさんへのお礼でしょうか。仙術の実践。良いものを見せてもらいました」
「……お主も素直じゃないのう」
適当に作った理由を述べると、後ろから苦言が呈される。一応本音のつもりなのだけれど。
僕は何と返したらいいかわからず、振り返らずにそれを無視した。
グーゼルもなにか言いたげな顔をして、それを飲み込んだ。
「ま、いいけどさ。なら、頼めるか?」
「はい。僕から言い出したことなので」
そんなことを話している間に、僕らは高い山の前に立つ。
その上、向こう側には重く黒っぽい雪雲が広がり、すでに山頂の辺りは雲に包まれている。
砦を発ってから、もう地平線を何度も通り過ぎていたらしい。やはり、対象物があまりないと速さがわかりづらいから困る。
「しかし、北壁というのはこれではないんですか?」
境界として、高い山のことを壁ということもあったと思う。そう重い尋ねるが、やはり違っているらしい。グーゼルは静かに首を横に振った。
「ちげえよ。北壁はこんな山なんかじゃねえ。本当に、壁なんだよ」
斜面で一度立ち止まり、僕らは上を向く。既に、肌を露出したら数分で凍り付くような寒さ。しかしまだ、この奥があるという。
それはもう、生き物の住む場所ではないのではないだろうか。
「とりあえず、なだらかな経路を使うから、はぐれんなよ」
「わかりました」
少しだけ険しくなったグーゼルの顔。それを見て、僕は唾を飲む。
ここからは簡単な登山だ。
僕らは柔らかな雪面に足をかけて、一歩一歩踏みしめるように上っていった。
次回でようやく北壁に到着……途中長くてすいません
指揮官(瀕死)の様子は帰り道




