気が合う二人
すいません。25日深夜分です。
さてどうしようか。
僕の体が思考のために一瞬硬直する。ここからとるべき自然な動きとすれば、このままスティーブンのもとに歩いていき、座って料理を頼むところだろう。
だが、その近くにはグーゼルがいる。それだけならば問題ないが、僕の名前を呟いたということはそれだけではない。確実に、何かあるだろう。
それも、今までの経験上良い方向ではない。
店を変えることを提案しようか。
そうは思ったが、それも少し問題がある。
スティーブンの前には既に料理が出てきている。これを無駄にするのは忍びない。
「お、どうしたんじゃ?」
無邪気にスティーブンは再度僕に声をかける。気付かないのも当然だろう。スティーブンの視界には入っていないのだから。
「……いえ」
しかし、僕が出来ることもないだろう。
この街で、もう僕は捕捉された。グーゼルが何かをする気ならば僕を探してするだろうし、隠れても意味はない。もうこれ以上姿を晒さず過ごせば問題ないが、スティーブンと一緒に行動する以上それも難しいだろう。
やはり、逃げも隠れもするべきではないのだ。
僕はスティーブンの座る壁際のテーブルに歩み寄る。
スティーブンの真正面に座れば、小柄なスティーブンの体から、大柄なグーゼルの体がはみ出して見えていた。
「こいつにもう一皿くれんか!」
「はいよ」
スティーブンは店員に呼びかける。近づいてきた店員に鉄貨五枚を差し出しながら、僕はスティーブンを見た。
この首都に来てなお鎧は変えず、一応食事中は兜と手甲は脱いでいるがあとはそのまま。
僕も同じようなものだが、この国の気候にそぐわないその服装は、何かこだわりでもあるのだろうか。
すぐに僕の前にも料理が運ばれてくる。
鹿肉の煮込みだが、やはりブラウンシチューのような感じだ。なるほど、脂身の少ない赤身肉は雪海豚よりも僕の好みにあう。底に薄く敷かれて沈められた米も、シチューを吸って美味しそうだ。
「……この店、さっきのプリシラさんのおすすめなんですが、良い感じですね」
「そうかの? 儂もまだ食ってないからわからんが、そうかもしれんのう」
スティーブンはそう言いつつスプーンをシチューの中に沈める。それから炊かれた米ごとシチューをすくい、口の中に入れて、少し頬を緩めた。
「うむ、まあ良い感じじゃのう」
この前の雪海豚の煮込みでは見せなかった表情。
僕もその表情に安心して、目の前の料理を口に運んだ。
やがて皿の料理が半分程まで減った頃。スティーブンはゆっくりと口を開く。
「……先ほど言った、用事なんじゃが……」
「はい。何のご用事が?」
僕が急かすようにそう言うと、逆にスティーブンは一瞬黙った。口にして良いかどうかわからない、といった風に。スプーンも止まり、ただ冷め始めた料理を見つめていた。
「儂を、北壁まで連れていってくれんか。いや、違うな。北壁を越えるために、力を貸してくれんか」
「北壁、とは」
僕はそう返す。知らない単語だ。北にある壁。察するに、北の防衛線のことだろうか。
その防衛線を越えたい? 魔物の群れが這い出る領域に? 何でまた。
「カラス殿は知らんかのう。吹雪の中現れる北壁。その先に、儂は行きたいんじゃ」
「吹雪の中……って。ええと、すいません、北壁ってのは何でしょうか?」
スティーブンの言葉では、その北の防衛線とも違うらしい。そして、吹雪の中ということは、魔物の領域というよりももっと奥の話か。
「……北壁というのはな」
「おいおいおいおいおいぃ!」
解説しようとしてくれたであろうスティーブン。
その言葉を遮るよう、後ろの女性が立ち上がる。……どこで何をしにくるかと構えていたが、何だ、こんなところで。
グーゼルは立ち上がった大柄な体を折り曲げ、振り返りつつあるスティーブンの顔を覗き込む。話に聞いたことがある、子供を叱る母親のような図だ。
「黙って聞いてりゃなんだってぇ? 北壁を越えたいぃ? 馬鹿言うなって、んなこと言って勝手に手ぇ出されちゃ、あたしらが困るんだよ!」
「何じゃ? お主は……」
面食らったスティーブンは怯えたように身を引く。そうか、当然と言えば当然だけれど、初対面か。それにやはり、グーゼルは迫力がある。
「その北壁からくる魔物を倒して回る、紅血隊の隊長様だよぉ! ジジイ、ふざけたこと抜かしてっとただじゃおかねえぞ」
「……あの……」
目立たないように隅にいるべきだろうか。そうは思った。何せ、相手はこの国最強。それに、僕に何か思うところあるらしいのだ。
だが、これ以上スティーブンが脅かされるのもなんとなく気分が悪い。
何をする気かわからないが、スティーブンも軽い気持ちで言っているわけではあるまい。多分。
空気を壊すよう、僕は顔の横まで手を挙げる。
「あぁ?」
その行為も癇に障ったらしい。グーゼルの片目が細められ、もう片目が見開かれ僕へと向けられた。何というか、愚連隊のようなというか、英雄に言っていいことではないだろうが、柄が悪いというか……。
少しだけ感じた威圧感をグッと飲み込み、僕はその返事にまた答えた。
「北壁、って何でしょう? 触ってはいけないものなんですか?」
「あ、ああぁ……、何だよ、そこから知らねえのかよ」
「すいません。この国に来てまだ二日目なもので」
矛先が僕に向いて、少しだけ怒りが収まったらしい。このタイプは話題が変わると怒りが消えるタイプだ。と、なんとなく思う。
頭をボリボリと掻きながら、グーゼルは唇を曲げる。
それから言葉がまとまったのか、僕に向けて説明を始めた。
「北壁ってのはなぁ……この国の北の方に消えない吹雪があるのは知ってっか?」
「ええ。聞いたことあります」
ソーニャにも聞いて、マリーヤにも聞いた。そしてその吹雪の手前で、グーゼルが戦っていることも。
グーゼルは腕を組み、目を瞑る。それから、鼻から息を吐いて続けた。
「そんなら話は早えや。その吹雪、先がまだわかってねぇんだ。どこまで続いているかわかんねぇ。終わりがあるかどうかもわかんねぇ。でも、そこには北壁がある」
「吹雪の中に壁がある、と?」
「ああ。ぬちゃっとしたやつがな」
グーゼルの話からすると、吹雪の中に突然壁があるという。
壁、というからには地形の隆起とかそういうものではなく断崖絶壁のようなものか、それとも人工物か。
そう考えて思い浮かべた光景では、石造りの壁がまず浮かんだが、それとも少し違うらしい。
正直、想像しづらい。
「……それで、それに手を出してはいけないという話でしたが……」
「おうおう、そうだよ。ジジイ、何がしてえか知らねえけど、越えたい? 冗談じゃねえ。触るくらいならまあいいわな。でもよぅ、越えるためにあんたは何すんだ? 切るか? 叩くか? んなことしちゃあ、大変なことになるかもしんねえのによぉ」
矛先がスティーブンに戻る。ややおとなしくなった気もするが、それでもまだ柄が悪い。
そこに萎縮したのではないだろうが、スティーブンは幾分か肩を竦めてグーゼルを申し訳なさそうに見た。
「……それはすまんかった……。じゃが、北壁に何かをするつもりはないんじゃ。ただ、その向こうに……妖精の国に行きたいんじゃ」
「妖精の国?」
僕は聞き返す。
いや、妖精の国があるという言い伝えは知っている。だが、そこに行きたい?
実在すらあやふやな幻の国。それを、スティーブンは目指しているとでも言うのか。
「バッカじゃねーの!? んなもんあるわきゃねえだろ!!」
案の定、グーゼルは叫ぶ。元の元気に戻ったような、大きな声で。
その声に食堂中の視線が一度集まるが、皆そそくさとまた視線を逸らした。
「わ、儂とてそれがあるとは思っとらん!」
「んじゃ何のために行くんだよジジイ!」
「変若水じゃよ!!」
シン、と食堂が静まる。
大きな声での応酬が、スティーブンの声で止まった。
変若水。たしかグスタフさんによれば、伝説の若返りの薬だったか。『そんなものはない』とグスタフさんも言っていたが。
グーゼルは溜め息を一つ吐く。憮然とした様子で。
「……バッカじゃねえの? 妖精の体についてる露とかいうあれだろ? 妖精なんていねーし、そもそも若返りなんか……」
「妖精なんぞ、おらんじゃろうな」
「なら、なんで」
尋ねたグーゼルをスティーブンはじっと見つめた。それからまた煮込み料理に目を戻し、こちらも溜め息を吐く。
「……妖精はおらんじゃろ。それでも、それに類するものはあるかもしれん。何の根拠もなく、『妖精の国がある』や『月から下りてくるときに、変若水が体を伝っている』という話が出来上がるとはとうてい思えん。作り話をするにしても、何かあるじゃろう」
沈痛な面持ちのスティーブンは、そう言って一口だけシチューを飲み込んだ。
「似たようなものであれば構わん。変若水があるかもしれん。ならば、儂は行きたい」
「……んなもん手に入れてどうすんだよ。大金手に入れて、欲しいもんでもあんのか?」
グーゼルの質問を最後に、スティーブンは黙る。また沈黙が流れた。
僕もシチューを一口啜る。だが、冷めてしまった。一度温め直そうか。
こういうときに魔法は便利だ。
「く、くくく」
沈黙を破ったのはスティーブンだった。何故か泣きそうな顔で、笑っていた。
「若い、若いのう。変若水を手に入れた末に、金か。まあ、そうじゃろう。そうじゃろうな、見たところお主も強い。失礼ながら見た目どおりの年齢ではないじゃろう」
「おま、失礼な! これでも花も恥じらう乙女だぞ」
「浴びるんじゃよ。儂が。それしかなかろうが」
グーゼルの反論に耳を貸さず、スティーブンは吐き捨てるように言う。
グーゼルの方は、スティーブンの言葉に居心地悪そうに苦笑いして横を向いた。
「お主らにはわからんじゃろうな。失ってしもうた物を取り戻そうとする儂らの気持ちは」
お主ら、というのは僕も入っているのだろう。まあたしかに、僕もきっと売ってしまうと思う。今から若返ったところで、幼児に戻ってしまうだけなのだから。
保存が利けばとっておくかもしれないが。
「……」
一瞬の沈黙。それから、舌打ち。グーゼルは苦々しい顔で唸った。
「悪ぃな。あたしも無神経なこと言ってたみてえだ」
「謝ることではないじゃろ。ただ、意見が違うだけじゃ」
突き放すような言葉だが、その内心は逆らしい。口喧嘩に発展しそうだった雰囲気は消え去り、スティーブンの空気が緩む。それに応えるように、グーゼルも少しだけ落ち着いたようだ。ぼさぼさの髪が少しだけボリュームダウンした気がする。多分気のせいだけど。
髪の毛を掻き上げて、グーゼルは唇を歪ませる。まるで、言いづらいことを言葉にするように。
「でもよぅ……その北壁を越えるのも無理じゃね? あたしら紅血隊は職業柄近づくこともあるけど、越えたことはねえ。それに、妖精の国を目指すわけじゃねえが、あの北壁を越えようとして飲まれていった奴も大勢いる。一人も帰っては来ねえけど」
「……まあ、かもしれんな」
シチューを食べながら、スティーブンは頷く。
その顔は、その言葉とは合致していない様子だが。
「じゃがのう。こちらには、この少年がおるんじゃ」
突然テンションが戻り、唇の端を髭ごと吊り上げながら僕を指し示す。何というか、元通りの感じだ。
「こいつが、カラスか……」
それに応えるよう、グーゼルは頷く。名前は知っていたが、僕の容貌は知らなかったのだろう。……多分、その名前は、レヴィンから聞いたのだろうけれど。
「名前を知っておったんなら話は早い! 化け狐の首を落とし、竜に風穴を開けた猛者。〈狐砕き〉のカラス。なんとなく、なんとかなる気がせんか!?」
「……それとはあまり関係がないのでは」
流れを遮るように僕は言う。そういう戦闘能力は、今回関係がない。
けれど、僕の反論をスティーブンは笑い飛ばした。
「いいんじゃよ! こんなもん、験担ぎじゃ験担ぎ! 運命とはこういうことをいうんじゃろうな、なんとかなるなる!!」
「ええぇ……」
器ごと傾けて、スティーブンはシチューを飲み干す。元気の良さは、もう戻っていた。
一息吐いて、それからスティーブンは優しげに口を開く。
「大体、儂が剣を手放すわけがなかろう。腐っても、月野流開祖の儂が! ……誰が腐ってるって!?」
「誰も言ってません」
「そうかのう」
興奮しかけて、ゴホンと咳払いをする。少し恥ずかしそうに。
「しかし、剣は失くした。雪海豚ごときの襲撃でな。そんなありえない事象によって出会ったのがカラス殿じゃ。これを、運命と言わずになんと言おうか」
「偶然じゃないですか」
「いやいや、これは必然なんじゃよ!」
拳を握りしめてスティーブンはそう断言する。
先ほどの感情の吐露から一転、本当に元気が戻って良かった。
「何をどうするかは知らん。じゃが、この出会いを無駄にせんかったら、後のことは神様が決めてくださる。なあ、そうじゃろ!?」
「は、はあ……」
自信満々な言葉を、否定しづらい。いや、僕から見ればかなり身勝手な理屈なんだけど。
「じゃから、儂は行く。なあに、ここで何も見つからんでも損はせん。カラス殿を恨んだりとかそういうことはせんよ」
「……まあ僕もそちらは気になるので一緒に行くのは構いませんが……」
吹雪の中にある壁。少しだけ見てみたい。
に、と笑ったスティーブンをちらりと見てからシチューを飲み干す。
やはり、シチューは温かい方が美味しい。
それに、やはり肉も僕好みだ。プリシラの『占い』も、良い仕事をしてくれた。
器を机に置く。
「よし」
それと同時に、女性の力強い声が前方から聞こえた。
スティーブンも僕も、見上げればグーゼルが笑っている。白い歯を見せて。
「あたしも行ってやるよ。自慢じゃねぇけど、この国で北壁に一番慣れてんのはあたしだからな!」
「お嬢さんも、か?」
「ああ。どうせ明後日までするこたぁねぇんだ。案内してやる」
「いや、しかし、紅血隊といったら、忙しいんじゃ」
僕は少しだけ戸惑いながら止める。
なんというか、僕への興味はなくなったようで好都合なのだが、ついてくるというのも少しだけ困る気がする。
だが、そんな言葉もグーゼルは一蹴した。
「うっせえな。さっきの罪滅ぼしだよ。馬鹿にして悪かったな、ジジイ」
「儂はジジイという名ではないぞ。スティーブン・ラチャンスという名前があるんじゃ。それに、もうすぐジジイじゃなくなるかもしれんしのう」
エヘンと胸を張りながら、スティーブンは名乗る。
「じゃ、あたしもお嬢さんじゃねえからなぁ。あたしはグーゼル・オパーリン! 老い先短えジジイのために、一肌脱ごうじゃねえか」
がし、っと二人は手を組み交わす。
二人とも気が合ったようで何よりだ。
けれど、この二人がいるのならば、僕は不要な気がする。
途中で適当に抜けようかな、などと思いながら、僕らは三人で食堂を出た。




